すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

煌言50~「出合い」を呼び寄せる

2016年03月31日 | 読書
☆「出合い」というのは、必ずしも「人」ではなくてもよい。時との出合いもあれば、事件との出合いもあれば、運命との出合いもある。それらは、避けることのできない邂逅であり、それによって人は大きく左右されていく。人ではあるが、人以上の何かもっと巨きなものをもたらしてくれる、そういうめぐりあいというものがある。
 野口芳宏『名人への道 国語教師』(日本書籍)


 「出会い」ではなく「出合い」と書き続ける野口先生のこだわりは、感覚的とも思うが、自らの生きる姿勢を明確に体現している一つの処世訓であろう。


 それぞれに、年度初めの「出合い」がある。
 ただそれを「出合い」と呼ぶための心の持ち様は、必ずその姿に反映される。

 それはけして下向き、うつむく視線にはない。
 から元気であっても、明るく、微笑み、前向きであることが「出合い」を呼び寄せるのである。

 時との出合い、運命との出合いだったと、後から呼べるように姿勢を正して、明日を迎えたい。



 私事ながら、無事に教員退職の日となりました。
 たくさんの方々に支えられたことを連日の片づけ中に感じています。
 本当に、ありがとうございました。

煌言49~「問題」を意識する

2016年03月30日 | 読書
☆問題は(中略)「問題だ」と思うから「問題」として生じるのである。問題が有ると思わず、のんびり過ごしていれば、問題は無いことになる。問題とは観念的なものである。
 宇佐美寛『私の作文教育』(さくら社)


 地震のような災害や交通事故のような場合は除けば、確かに「問題認識」の有無や大小こそが、「問題」そのものであろう。

 些細なことに対しても、問題と思って解決する人と、そう意識せずにクリアできていく人に分かれるのかもしれない。
 そして、他者にその良し悪しを判断することはできない。
 ただ、おそらくその問題の及ぼす「範囲」こそが、「影響」という言葉で他者を巻き込むことになる。

 だから、教員は自身の抱える「問題」について、常に意識的でなくてはいけない。


 さて、仕事を離れれば範囲は狭まる。
 しかし、問題は無いと言い切れるだけののんびりさも持ち合わせていない気もする。
 どこまで影響させようというのか。

プル的な広報を目指して②

2016年03月29日 | 教育ノート
 転任した隣市は情報漏洩の問題発生などもあり、ずいぶんセキュリティが厳しかった。ブログ形式発信も認められなかった。そこで5,6年も更新されなかったホームページを刷新し、継続した。新ソフトを使ってサイトも一新し、スマホ対応にした点も懐かしい。このページは今もある。残念ながら更新は滞っている。


 そして現任校。ここでは堪能な先生もいてある程度ホームページ更新もあったようだ。しかし現実の忙しさで「充実」を語るには気が引けた。そこで、再び自身によるブログチャレンジである。趣旨説明後、満を持して初年度二学期から開始し、約1年半継続した。授業日全更新は無理だったが95%程度はクリアした。


 アクセス数はカウンターによると28337が最終。当然、教員も訪問するだろうし、単純にその評価はできないが、ここでも見てくれる方は応援団になってくれた。もう少し組織的に、地区こぞってネットワークを築けば、それなりに面白い動きにつながると思うのだが、言い訳をすれば統合問題で手をつけられなかった。


 ブログ形式はオーナーである自分が去るときに処理している。可能性は低いが悪用される危険があり、責任が他に転嫁しないよう心がけた。この問題を考えると、いつも思うのは「悪意を持った攻撃」に対しては、デジタルもアナログも境はないという認識だ。ネットゆえの波及の怖さは認めるが、そこが核ではない。


 紙媒体と異なるデジタルの有利さを活かせたか、と問われたら、全く自己評価は低い。しかしそれは公的なことだけでなく、こんな駄文を記しているこのブログとて同様だ。ただ、できるだけ晒しておく、開示することの一種の明るさは、コミュニケーションの基ではないか。そんなふうに始めたので、括りもそれだ。

プル的な広報を目指して➀

2016年03月28日 | 教育ノート
 学校広報研究会の「広報活動をプッシュからプルへ」という主張には感銘をうけた。もちろんまだまだその域に達していない現状が周辺にある。結構、時は経ったのにあまり進展していないと思うのは、私だけではないだろう。その原因は何か。考えるところはあるが、ここではひとまず自分の振り返りをしてみよう。


 ホームページを立ち上げたのは、教頭になって4,5年目だった。モノズキの血が騒いだとも言えるが、当時は推進が声高に叫ばれ、他でも取り組んだところが少なくない。個人のホームページビルダーを学校に持ちこみ作成した記憶がある。冬季住民運動会の校長代理挨拶で、地域に呼びかけたことも忘れられない。


 その後の教頭2校では、ネット関係は手をつけなかった。今振り返ると、多くの学校でホームページは存在したが、マンパワーがなく結局萎みだしたのがこの頃ではないか。反面、自分個人としてホームページ更新や、流行り出したブログに手を出し始め、やや手慣れた感覚を持ったことが、次につながっていった。


 新任校長で赴任した学校にホームページがあった。時間的余裕も感じたので何度か更新してみたが、正直ぱっとしなかった。翌年、校長会組織の広報委員会所属となり少し調べてみたら、地域全体で2,3の学校を除き、本当にぱっとしない更新率であることが判明した。自分から打開に動くかという意欲が湧いた。


 「ホームページは校長自ら取り組むのがいい」という先行実践者の声に励まされ、またブログ波及の流れもあり、2年目より学校ブログをスタートさせる。子どもの姿を即時にカラーで伝えられるのは楽しみだった。小規模ゆえ、訪問者は多くなかったが、懇談等すると見てくれる方は確実に「応援団」だなと感じた。


 次に赴任した学校でも下準備をしながらブログ更新を続けた。しかし問題が発生する。それ以前から写真公開のリスクについては議論があった。個別の心配な声についても丁寧に対応したつもりだ。しかし結果、納得できない某人から抗議が持ちこまれ、上からの指導に従ってブログは閉じることに。残念がる声もあった。


 ここで挫けてはいけないと、ホームページ刷新をし「今日の1枚」という形で実質の連日更新をしたが、それについては何の苦情もなかった。いかにイメージで物事が語られるか…いい経験をした。そこでは作品サイトもつくり、結構充実したページづくりをした。残念なのは転任した後に一度も更新されないことだ。(続く)


煌言48~喜びを共有できる空間

2016年03月27日 | 読書
☆人は一人で生きているんじゃない。自分ひとりで、こっそり喜んでいるのもわるくはない。しかし、そのことを、自分のことのように喜んでくれる人がいて、喜びを共有できるしあわせ。そのしあわせに勝るものはない
 酒井臣吾『酒井臣吾の学校だより』(明治図書)

 酒井先生が、三年生の子どもに「いちばんうれしかったこと」を訊かれたことをきっかけにして、補教に入ったときのエピソードや家庭での出来事を思い巡らして、たどり着いた結論。

 ヒトが人間として生きることの本質をとらえているような気がする。
 そして教育の場では、おそらく最も大事にしなくてはいけない一つではないのか。

 酒井先生は、その点について「コドモは意外と多い」と書き、「オトナは実は少ない」と解説している。
 それはよく考えると、学校という場が特殊な空間であることも示している。

 だからこそ、それは貴重であるし、見失ってはいけない認識だと思う。

とにもかくにも1000号

2016年03月26日 | 教育ノート
 広報活動という言い方が当てはまるかどうかはわからないが、担任をしていた時から、いわゆる「学級通信」は経営の一つの核であった。ただ、そのことを振り返るには時間が経ち過ぎている。なんせ、「学校報」に携わってからの年数を数えてみたら、丸20年だということに気づいた。ずいぶんと続けてきたものだ。


 最初に担当となったのは、現任校で教務主任をしていた時だ。それまで担当していた教頭先生がご栄転され、新しく着任する人より三年目に入った教務がいいだろうと(自分も書きたい気持ちがあった)「馬音」と名づけてスタートさせてもらった。このタイトルがそれ以来今までずっと続けられているのも縁である。


 まだPCが一般的でなく、個人所有の何台目かのワープロ(文豪)で作成した。効果的だと思ったのは、やはり写真。最初はプリント版を貼り付けて印刷したが、途中からデジカメが登場して紙面に組み入れた。自分が大きく載っている号を、家の中に貼り付けているという児童の声があり、嬉しさと責任を感じた頃だ。


 新任教頭として赴任した小規模校では、「煌」と題して発行した。ここでは週1回の保護者版と月1回の地域全戸配布版という2種類に取り組んだ。5年も勤務したので、このあたりがずいぶん手慣れた頃だ。校長の理解を得ながら、雑感なども時折記したりして、楽しく広報できたように思う。ワープロからPCへ。


 次の赴任校は統合のためにたった1年だった。校長先生が月1ペースで出していた。お願いして「ウィークリー」と形で発行させてもらった。管外交流で他郡市に出た2年間も、週1ペースを守ることができた。たいした内容ではなかったが「教頭先生の書く文章のファンです」と誉めてくれた父母の声が嬉しかった。


 ここまでが10年。そして校長職となっても週1ペースを続け、年度によって「漢字」「俳句」等コーナー設定もした。ただ最終的に肝心なのは子どもの姿である。「学校の姿を見せる」を常に念頭に置き、レイアウトは上達したように思う。慣れすぎた反省はあるけれど、とにもかくにもほぼ1000号書いた勘定になる。

煌言47~苦さを噛み締める

2016年03月25日 | 読書
☆「(跳び箱を)全員とばせられる」というのは、誰にでもできることなのである。しかしそれを人前で言えるまでには、やはり、A・Bの方法でもできない子どもをどうしたかという、一つ一つの仕事の積み重ねが必要なのである。
 向山洋一『斎藤喜博を追って』(昌平社)


 この初版本の発刊された79年4月に採用となった。そしてその月のこの本とめぐり会った。
 「全員」という言葉は、仲間とサークルを始めたときのキーワードであった。
 そしてその事を語るとき、常にこの一節が念頭にあった。

 時が過ぎ、とび箱に限らず、いくつかのことで全員達成させる技法を身に付けた自分だが、明確に「人前で言える」までの積み重ねを続けてきたかと問われれば、心許ない現実だなと正直に寂しさを感じている。

 もっと場を求めるべきだったという反省は、何の足しにもならない。

 ただ、その苦さを噛み締めている同輩は結構いるだろうことは記しておこう。
 

煌言46~不可能から見える

2016年03月24日 | 読書
☆(野口芳宏先生に学んだ)四年間で私の得たたった一つの結論は、実は次であった。
 野口芳宏先生の真似は、一生涯不可能である。

 堀裕嗣『学級経営力を高める 感化主義の提唱』(明治図書)


 初出は確か「国語教育」誌だったと記憶している。
 この一節を読んだ時、ちょっとショックを受けたことを覚えている。
 野口先生に憧れ、その手法を真似てきた者は私だけではないだろうが、同様に思った実践家もいたのではないか。
 野口芳宏先生との距離を縮めたいと願って頑張ってきたことが否定されたような印象を受けたからだろう。

 しかしここで堀氏が述べたいのは、自己キャラクター分析に基づく、自覚的な授業技術の追試なのである。
 そこでは、授業技術そのものを細かく区分し、その適用の効果を微視的に分析し、かつ巨視的にとらえる目を持つ重要性を強調している。
 その意味では、この文章に驚いてからの自分を、支えてくれた一節でもあると思っている。

後始末を始めながら

2016年03月23日 | 雑記帳
 いよいよ、様々な後始末をしなくてはならない。家人からは「ゆっくりやったらいいでしょ」と言われるが、どこか貧乏症とでもいうのか、几帳面というのか(それはないな)、とにかく早めに片付けたい意識が出てくる。修了式後の三連休に、まず書棚からと思い取りかかるが、予想通りではあるが膨大な量に唖然だ。


 12年前に建て替えた我が家にそんなに自慢する箇所はないが、書棚だけはレベル以上だろう。書斎に一架、寝室に一架、そして2階には2メートル5連のメイン書架ともう一つサブがある。雑誌だと棚一つに約150冊は入る幅がある。今までも廃棄してきたが、改めて見直すと、「夥しい」という言葉を思い出すほどだ。


 「雑誌は保存しておくことに意味がある」と言ったのは向山洋一氏だったろうか。そう考えると70年代から揃っているので資料的な価値はあるのかもしれない。しかし比較的新しい誌を同僚にあげて、あとは「紙ごみ」の日に出そうと腹を括る。そしたらなんと、回収日が明後日だと言われ、少しピッチを上げる。


 連休中に半分ほど手をつけた。学校にいってからも、年度末業務の傍ら、ひたすら紙資源化に励む。個人情報等の処理をしながら、差し支えない文書、冊子などを紙紐でしばる。一年前だったら「まだ使うかも」という意識が浮かんだが、今回はさすがにズバズバと進み具合がよろしい。家に持ち帰って資源回収へ。


 雑誌片付けをしていて、ふと目に留まる号がある。何度か手に取ったからか、かなり印象的な記事があったか。『児童心理』2006.5はすぐわかった。表紙に載っている「内田樹」の名前。あのインタビューは目から鱗であり、間違いなくここ10年の読書の一つの核をつくった。経済合理性と教育、人を信頼すること。

煌言45~教師の主観とからだこそ

2016年03月21日 | 読書
☆子どもが、“子ども”として育ちにくい土壌になってしまったことは、間違いない。しかし、この土壌にあっても、あっという間に子どもは変わる。一月あれば、“学びに向かう子ども”になる。一年あれば“学ぶからだ”をもった子どもが育ってくる。
 岩下修『学ぶ「からだ」を育てる』(明治図書)


 数字に表せないことを「一月」「一年」と限定して語ることができる境地には、積み重ねられた経験があることには違いない。

 一定の数値データに頼る部分はあるにしろ、それ以上に子どもの姿を全身で受けとめる教師の主観こそ鍛えられなければならない。
 「学ぶ『からだ』」をもつ子を育てるために必須なのは、結局のところ、学ぶ「からだ」を持っている教師自身とは言えまいか。

 学ぶ「からだ」の本当の評価は、少なくともそんなふうに学びを希求する人にしか出来ない気がする。