日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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【写真展】江成常夫展 「多摩川 Tama River1970-1974」

2016-09-23 23:55:32 | 本・映画・展覧会
 多摩川に鮎が戻ってきて久しいはずだ。今年は推定463万尾だそうだ(ソース)。遡上の時期になると新聞のローカル面に川面を跳ねる鮎の写真が出たりする。その多摩川が汚れていた時代、規制が始まる直前のワースト期に撮られた写真を敢えて今の時代に展示する。

 会場にぐるりと掛けられたモノクロ写真のパネルは3セクションに分けられる。秋川あたりの上流、調布あたりの中流、そして丸子橋から羽田に掛けての下流域。それぞれ風景が違う。上流域の写真は自然写真と言っても差し支えないものだし、中流域は普通に川のある風景。ショッキングなのは下流、洗剤の泡の中を漕ぐカヌー、油膜が光る川べりに重なる魚の死骸、工場のばい煙をバックにうろつく野犬。確かに自分の子供時代、たまに乗る東急電車で多摩川を渡るとちょうど堰があるため真っ白い泡が川面を埋めていた。

 公害防止法の制定から40年、たぶん流域人口は増えている一方だと思うが水質は劇的に改善されている。住民の努力より関係者によるインフラ強化による部分が大きいと思われる。
今後さらなる改善は進むのか?進める必要があるのか?あるとすれば、もっと流域の人々が川に親しみ、その結果として川を綺麗に保たなければという意識を持つよう啓蒙してゆくのも重要ではないか。身近でない川を大事に思う人は多くないだろう。

 それにしても、テーマが自分に身近な存在だからか、直前に観た2名と同じモノクロ作品ながら本展の写真群はどれも「しっかり撮れている」と感じるものだった。構図も、光の加減も、スナップなようで周到に計算された結果であるように見えた。これがプロの作品なのか。なぜか「ニコンサロン特別展」のタイトルが付けられた本展。会場にご本人らしき年輩の紳士がいらっしゃったが流石に訊くのは失礼と思いお辞儀だけして退出した。

 関連記事:「復活する多摩川のアユ

 2016年9月8日 銀座ニコンサロンにて
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2016年9月10日 【食べ物】袖ヶ浦・寿

2016-09-23 20:25:48 | 食べ物・飲み物
 「木更津 ラーメン」で検索すると「竹岡ラーメン」と言うのが引っ掛かってくる。なんだ?竹岡って周辺の地名だ。ここで生まれたラーメンらしい。ギター繋がりでお知り合いになった「木更津ボンド」氏に「竹岡ラーメンの旨い店を教えて下さい!」とメールしたところ数軒の候補を頂いた。が、どれも夜が早い。やる気ないのか?みんな夜歩きしないのか?いやいや木更津だものヤンキーいるでしょ夜遊びするでしょ(←決め付け)。

 原二バイクを引き取ってそのままショップに持ち込み、そのまま内房某所にクルマの部品を取りに行くことにした。ヘッドライトの内部が劣化破損し、このままでは夜間走行に支障をきたす。ストックしてある予備部品を引き取りに海を渡るついでに、教えて貰った店に寄ることにした。到着したのは正午少し前、幸い空いていた。割と小ぶりな丼な気がしたのでチャーシューメンを頼んだ。

 クリヤだが表面には少し脂の浮いたスープ、富山ブラックほどではないが相当に濃い色。啜ってみると見た目ほど濃くはない。鶏ガラだろうか、複雑な旨みを感じる。魚介臭はしない。複雑な旨みなのは出汁+醤油の賜物かな。スープは細めだが黄色っぽく透明感があり、この種類では珍しい。チャーシューは薄切りだがしっかりとした甘味を感じる。メンマは細く長め、繊維感が強く残る。少しおろし玉葱が載っており、すぐに溶けて消えたのがスープの旨みを引き立てているのは間違いないだろう。

 食べ終わる頃には待ち客が数人、タッチの差で幸運だった。役場には近いが交通の便は悪そうな場所にある店が永年繁盛しているのも理解できる旨さだった。紹介いただいた木更津ボンド氏に御礼申し上げます。(ギタ友イシイさんも)ご一緒できなくてゴメンなさい!
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【写真展】第5回キヤノンフォトグラファーズセッション -キヤノン賞 受賞作品展

2016-09-23 06:38:06 | 本・映画・展覧会
 夜の約束や予定までの僅かな時間、ギャラリーに寄って写真を眺めるのは慌しいが充実したひととき。今夜もそう。ここしばらく電車を乗り換えるのが面倒だったりで足が遠のいていたが、涼しくなってきたし少しは動こうと思う。今日の展示は珍しいスタイルで2人の作品を展示していた。いずれもモノクロ作品。

 小松里絵:電車の中から撮ったらしい雪中の集落の写真から始まるストーリーは、祖母の住む町であり自分の心の拠り処であるように解説されていた。真冬の光景や春めいた海の写真、新設の雪面を歩いてゆく人物と、北の町でのシーンがさまざまなサイズいろいろな体裁のパネルで並ぶ。この意図的に見える脈絡のなさは何だろう。

 宛超凡:日本留学中の中国人。重慶近郊だという彼の実家近くの、やや大きな川の岸辺で撮った地元の人を入れた写真。生活用品が映っているわけではないため人々の暮らしぶりは身なりと表情から窺うしかないが、あまりエネルギッシュな様子も充足感も感じられない。何とか生きているとか、束の間の放心に来たとか、そういう印象しか受けないのは発展著しい中国沿岸部でないから?最近は内陸部もそれなりに好景気だと聞いているが。

 どちらも作者がどういう意図で撮ったかを理解することは難しかったが、自分なりに「何だコレわかんネェ」でなく一定の解釈と言うか感想が出てきたという事は、やはりこの両名の作品が優れていると言うことなのだろうか。

 2016年9月8日 キヤノンギャラリー銀座にて
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