「さよならの扉」平安寿子
久しぶりに平安寿子作品を読んだ。
ユーモアのレベルが上がっている、以前より熟成している、と感じた。
円熟期の田辺聖子作品を思い出したくらい。
ストーリーは専業主婦・仁恵が夫を膵臓癌で亡くすところから始まる。
その時、夫53歳、仁恵48歳。
亡くなる直前、夫は自分に愛人・志生子(45歳)がいたことを告白する。
志生子が仁恵の夫と最初に付き合い始めたときの会話が次のとおり。(P69-70)
「どんな男なら、都合がいいの」
「何も要求しない。今すぐ会いたいとか、縛らせてくれとか、金貸せとか、そういうこと一切言わない。わたしとやったって、人に吹聴しない。わたしが自分に惚れ込んでいると思い込まないで、わたしが会いたいと言ったときだけ、来てくれる。別れたいと言ったら、きれいに消えてくれる」
これ男にとって最高・・・つまり、女性にとっても最高、ってことか。
でも、ある種の男性や女性にはムリな関係でしょうね。(愛情が深まるほど拘束・束縛と紙一重になるから)
志生子の性格を描写した箇所がある。(P75)
ファザコンは結婚できないよ―。
大人になっても父と出かけると聞いた友人は、志生子にそう言った。
娘を可愛がる父親って、娘に何も要求しないの。ただ、いてくれるだけで嬉しいの。でも、夫になる男は、妻には妻の役割を要求してくるからね。ところが、父親にしたい放題させてもらってた女は、男に支配されることへの耐性がないから、我慢できない。
さて、そんな志生子と本妻・仁恵が出会って(結果として)奇妙なつきあいが始まる。このあたりの繊細な心理描写が秀逸。レベルの高いユーモアを感じる。仁恵が明るく、おおざっぱでこだわらない性格、そしてまったく正反対な志生子。
自分達のことだけでなく、周囲の人間関係もしっかり描かれている。リアルな描写力があるから、ユーモアがより生きてくる。
何年も介護をした父が亡くなるシーンの描写もいい。
父が死んで、みんなせいせいしていた。志生子もそうだ。だが、「せいせい」のあり方が違う。
やっかい払いできて「やれやれ」と同義の「せいせい」と、荷物を下ろした反動で感じる身軽さの「せいせい」は、違うのだ。
(中略)
父の死は、志生子をあらゆる思い込みの鎖から解き放ったように思われた。
フワフワと、よるべない。自由だが、重みがない。人生の密度が下がった。不思議な気分だ。
楽しいのか寂しいのか、わからない。
さて、タイトルの意味だけど、次のような文章が最後出てくる。
さよならの扉に、鍵はない。どうしようもなく絡み合った人生は死をもってしても切り離せず、扉を開けて何度も出入りを繰り返す。
PS
この作品の面白さを伝えることが出来ただろうか?
私はいろんなタイプの小説を読んでいるけど、特定の状況を好む傾向がある。
そのひとつが、妻と愛人が出会う、ってシチュエーション。
そういう意味で、本作はすごくツボ、であった。
さて、このような「状況」を描いた作品を挙げると・・・。
「妻たち」(瀬戸内晴美)
「阿修羅のごとく」(向田邦子)
「魂萌え」(桐野夏生)
他に、ストーリーに、もれなく不倫が付いてくる永井するみ作品とか。
【ネット上の紹介】
社会経験まるでなしの本妻とデキる独身OLにして夫の愛人が、夫の死をきっかけに対面。そんな女ふたりが織りなす、奇妙な心の交流を、一滴の涙を添えてユーモラスに描く傑作小説。