「山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か」羽根田治
以前から気になっていた本。
遅ればせながら読んでみた。
いくつか気になった文章を紹介する。
P11
山の遭難事故は、いつ、誰に起きたって不思議ではない。日常から非日常への移行は、ほんとうにあっけないくらい簡単になされてしまう。
P12
増加する一方の遭難事故に歯止めをかけるために必要なのは、登山者がまず「山は危険である」という前提に立って登山を始めることだ。
P18
大正期に入ると探検の時代が一段落し、大衆登山ブームが到来して日本の山岳会は大きな転換期を迎えることになる。「登山ブーム」と呼ばれる現象は今日までに何度か起きており、一般に第1次登山ブームというと戦後の昭和30年代のブームを指すことが多いようだ。が、近代登山以降というスパンで見るのなら、大正期に始まった登山ブームを第1次としたほうが適切であり、本書はそれに従うことにする。
P31「ナイロンザイル事件」について
翌55年1月2日には、北アルプスの前穂高岳東壁で岩稜会の若山五朗が墜落死するという、これまた遭難史上に残る事故が発生する。(中略)
それまで山岳登攀では主に麻ザイルが使われていたが、当時は麻ザイルの数倍の強度を持つというナイロンザイルが出回りはじめたころで、岩稜会が初めてナイロンザイルを用いて挑んだのが前述の山行であった。ところが、高い強度を持つはずのナイロンザイルが、たった50センチほどの滑落に耐えられずあえなく切断、これが直接的な要因となって若山が命を落とすことになり、またその前後にも同様の切断事故が相次いだことから、問題は一気に表面化した。
事故後、岩稜会の関係者は何度も実験を繰り返して「ナイロンザイルは岩角に弱い」ことを突き止め、ザイルメーカーの東京製綱の作為的な実験による言い逃れや、「自分たちのミスをナイロンザイルに転嫁した」といった批判にも屈せず、粘り強くザイルメーカー側の責任を追及する。その主張が認められたのは、事故からおよそ20年が経過してからのこと。消費生活用製品安全法の制定によって登山用ロープの安全基準が設けられ、だんまりを決め込んでいたメーカー側もようやく謝罪を表明し、長きにわたる闘争に終止符が打たれたのであった。(現在日本で出回っているザイルを始めとする登攀用品は、外国製品ばかり。この影響かもしれない。なお、この事件は「氷壁」(井上靖)のモデルとなった)
P52
第3次登山ブームがいつ始まったかは、意見の分かれるところだ。広義では1970年代後半としても間違いではないだろうが、一般的な認識としては80年代後半もしくは90年代初頭とするのが妥当なようだ。いずれにせよ、このブームが過去2回のブームと大きく異なっているのは、圧倒的多数の中高年登山者に支えられていること、そして百名山ブームとリンクしながら拡大・持続していることであろう。
P85
「最近ストックを持って山に登る人を見かけるようになったなあ」と思ったのも束の間、ストックはあっという間に中高年登山者の間に広がり、今では年齢を問わず山登りの基本装備として誰もが持つようになっている。
かつて、山登りの“三種の神器”といえば、登山靴、ザック、雨具を指していたのだが、今日ではアミノ酸サプリメント、サポートタイツ、ストックの三つを“新三種の神器”と呼ぶのだそうだ。(ストックは便利と思うが、振り回す方がいる。ストック使用者に近づく時は注意)
P205
現在、民間ヘリコプターを要請したときの救助費用は、1時間あたり50万~60万円とうのがおおよその目安となっている。
P209
日当の額はエリアによって異なっているが、食費などの実費を含め、夏場で3万円前後、冬場では5万円前後といったところのようだ。冬山で遭難事故が起こり、7人の民間救助隊員が3日間出動したとしたら、それだけで100万円余りが出ていってしまうのである。
【ネット上の紹介】
ひんぱんに報じられる山の遭難事故。厳冬期の北アルプスだろうと、ハイキングで行く山だろうと、遭難事故は、いつ、誰に起きても不思議ではない。「自分だけは大丈夫」「私は危険な山には行かない」―そんなふうに考えているとしたら、あなたも“遭難者予備軍”だ。“明日はわが身”にならないために、今こそ、「山でのリスクマネジメント」を考える。
[目次]
第1章 山の遭難小史;
第2章 統計が語る現代の遭難事情;
第3章 救助活動の現場から;
第4章 遭難事故のリアリティ;
第5章 なぜ増える安易な救助要請;
第6章 ツアー登山とガイド登山