「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」門田隆将
福島原発を地震と津波が襲う。
本作品は、その闘いを綿密な取材により再現している。
P8
吉田所長の言葉
「もう駄目かと何度も思いました。私たちの置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧もなにもかも失った中で機体を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります」
P10
著者の言葉
私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大地震と津波の中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う。
P368-369
現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表すると共に、私は、やはりこれを防ぎ得なかった日本の政治家、官庁、東京電力・・・・・・等々の原子力エネルギーを管理・推進する人々の「慢心」に思いを致さざるを得なかった。
著者は今回の事故を防ぐチャンスが2度あった、と言う。
ひとつは、2001年の9.11テロ。
もうひとつが、2004年12/26スマトラ沖地震。
この2つにより、「全電源喪失」「冷却不能」「10mを超える津波」を想定すべきだった、と。
但し、これらの事態に対処するには多額のコストが必要。
P371
結局、日本では、行政も事業者も「安全」よりも「採算」を優先する道を選んだのである。それは、人間が生み出した「原子力」というとてつもないパワーに対する「畏れのなさ」を表わすものだった。世界唯一の被爆国でありながら、その「畏れ」がなかったリーダーたちに、私はもはや言うべき言葉をもたない。
【ネット上の紹介】
その時、日本は“三分割”されるところだった――。 「原子炉が最大の危機を迎えたあの時、私は自分と一緒に“死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていました」。食道癌の手術を受け、その後、脳内出血で倒れることになる吉田昌郎・福島第一原発所長(当時)は、事故から1年4か月を経て、ついに沈黙を破った。覚悟の証言をおこなった吉田前所長に続いて、現場の運転員たちは堰を切ったように真実を語り始めた。 2011年3月、暴走する原子炉。現場の人間はその時、「死の淵」に立った。それは同時に、故郷福島と日本という国の「死の淵」でもあった。このままでは故郷は壊滅し、日本は「三分割」される。 使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちは、なぜ電源が喪失した放射能汚染の暗闇の中へ突入しつづけることができたのか。 「死」を覚悟した極限の場面に表われる人間の弱さと強さ、復旧への現場の執念が呼び込む「奇跡」ともいえる幸運、首相官邸の驚くべき真実……。吉田昌郎、菅直人、班目春樹、フクシマ・フィフティ、自衛隊、地元の人々など、90名以上が赤裸々に語った驚愕の真実とは。 あの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。ヴェールに包まれたあの未曾有の大事故を当事者たちの実名で綴った渾身のノンフィクションがついに発刊――。