「境界の町で」岡映里
著者は、元・雑誌編集者。
3.11以降の福島との関わりを描いている。
ノンフィクションと言うよりエッセイ。
自分の心情、現地の人たちとの交流が語られる。
P33
原発の保守の仕事を請け負う双葉町の建設会社社長・松本さんとの会話
「社長は年収どのぐらいなんですか?」
「まあ、おなじぐらい(900万)じゃね」
「すごいですね」
「すごくねえよぉ、ヤクザのときはもっと稼いでたもん」
「ヤクザって何してたんですか」
「恐喝だね」
「どのぐらいの稼ぎになるんですか」
「月1億ぐらいかな。でも、疲れる。電話は24時間鳴るし、今の方が気楽」
「なんでやめたんですか、ヤクザ」
「親分と合わなくなったんだよな」
彼は、「お茶!」と言って若い衆にお茶を入れさせた。
「飲む?セシウム茶」
P44
東京電力福島第一原発の西門のそばにあるデイリーヤマザキはガラスが割れていた。
「ATMやられてんだよ。あちこち。3月12日からおまわりさんみんな逃げちまったからな。この辺りの他県ナンバーとか、福島のわナンバーのレンタカーとかたまに走ってるけど、あれ全部盗難狙いだろうな」
(外国の報道では日本人のモラルの高さを称えていたいたが、暴動こそ起きなかったが、盗難は普通に起きていたようだ・・・いわゆる『火事場泥棒』か)
P110
人の人生の稲妻のような一瞬に触れて、私の言葉も瓦礫になった。福島でそんな経験を何度もした。共感も、心配も、同意も、言葉にした瞬間すべて嘘になった。すべての言葉を奪われてしまった。共感したい、同化したい、同意したい。でも言葉という道具は頼りにならなかった。
P175
福島に通うにつれて、東京に私の居場所はなくなっていったように感じた。
「脱原発」「原発再稼働」という、原発のありかたを議論する場でしかない東京にいることに、私は疎外感を感じるようになっていった。
私は「原発」の是非を問うためでなく、そこで生きている、生きていた「人」に会いに福島に行っていたから。
P176
一方で、福島の人と親しくなり、方言を覚えていくにつれて、私は福島にいるのも苦しくなっていた。どれだけ深く関わっても、所詮私はよそ者でしかない」という感覚にたびたび襲われるようになったからだ。
P221
「岡、ここで写真なんか撮っても放射能は写らねえからな。お前、単に20キロ圏にハマってるだけだろう?ここはシャブと同じぐらい、ハマるとやばいぞ」
(中略)
「“原発テーマパーク”でも造ったら繁盛するんじゃねえの。第一原発エクストリームツアーして、そのあと防護服のコスプレして記念写真撮ってやるんだ。おめえみたいなのがうようよ来るぞ」
他の原発・震災関連の作品とは、趣が異なる異色作、である。
【参考リンク】
岡映里『境界の町で』
【ネット上の紹介】
2011‐2014福島県浜通り、検問のある町。たしかな描写で、風景が、土地が、人間が、立ち上がる。岡映里、衝撃のデビュー作。
[目次]
プロローグ 漂う
冷蔵庫
正門へ
父と息子
勿来漁港から
復興セレブ
原子力サファリパークで
3年で消える町
お父さんの選挙
エピローグ 忘れられる