「職業は武装解除」瀬谷ルミ子
これほど『つぶし』の効かない職業はない。
生活に困らないよう職業を選び、そのために勉強をするのだが、
まったく異なるコンセプトで人生を歩んでいる。
迷いのない、潔い印象を受ける。
――こんな生き方があるのか、と。
方向が決まっていて、一直線に進んでいる。
(本人は手探りだろうけど、結果として一直線)
「世界が尊敬する日本人25人」(『Newsweek日本版』)にも選ばれている。
当然、プロ意識も高い。
P25
同僚からは、紛争地で悲惨な現実に直面しても、感情的にならず淡々としていることが多いとよくいわれる。それは自分の仕事が同情することではなく、人々の抱える問題を解決するために行動することだとつねに思っているからだと思う。
P35
DDRとは何か?
Disarmament 武装解除
Demobilization 動員解除
Reintegration 社会復帰
P35
和平合意が結ばれて紛争が終わっても、それだけで人々が安全に暮らせるわけではない。紛争が終わるということは、兵士にとっては、明日からの仕事がなくなるということだ。
P157
「和解」とは、必ずしも、手と手を取り合い仲良しである形でなくてもよいと思う。たとえ緊張状態にあっても、お互いに争いや暴力を使わずに問題を解決できる状態で共存できているのであれば、それもひとつの平和の形なのだ。日本と中国や韓国についても、和解したかと聞かれて、全員が同じ答えを返さないだろうし、答えは分かれるはずだからだ。
仕事をするうえで、大事にしていることが3つある、と。
P190-192
①想像力、イマジネーションを最大限活用する
②限界まで精神的にへとへとになったときでも、「あと一歩」だけ進んでみる
③人生の岐路や、難しい決断を下すとき、俯瞰して考えるようにする「30年後の自分が今の自分を見ていたら、どちらを選ぶだろう」と。
思った以上に、おもしろく、得るものもあった。
PS
【著者紹介】によると、次のように書かれている。
1977年群馬県生まれ。
中央大学総合政策学部卒業。
英ブラッドフォード大学紛争解決学修士課程修了。
ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワールなどで、
国連PKO、外務省、NGOの職員として勤務。
2007年よりJCCP事務局長として、ソマリア、南スーダン、アジア地域などの事業を統活。
現在、認定NPO法人日本紛争予防センター(JCCP)理事長、JCCP M株式会社取締役。
専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など
【おまけ】
読んでいて、栗山 さやかさんを思い出した。
方法論は全く異なるが、芯の部分が同じ、と感じた。
【参考リンク】
紛争地のアンテナ - 瀬谷ルミ子のブログ
瀬谷ルミ子(Rumiko Seya)(seyarumi) - Twitter
プロフェッショナル仕事の流儀 第116回 瀬谷ルミ子
プロフェッショナル仕事の流儀 スタッフブログ 武装解除 瀬谷ルミ子さん
【ネット上の紹介】
紛争地帯で、自分よりも権力のあるものに翻弄される人生を送る人々と、政治家の無責任な発言に不安を覚え、未来が描けなかった自分を重ね合わせた高校時代。でも、私たちは努力さえすれば状況を変えられる社会に生きている―。24歳で国連ボランティアに抜擢され、27歳でアフガニスタンのカルザイ大統領から助言を求められるようになっていた。そのすべては、小さな決意の積み重ねからはじまった。「世界が尊敬する日本人25人」(「Newsweek日本版」)に選出された著者による初めての本。
[目次]
1 群馬の田舎から世界を目指す(生意気だった子ども時代
人生が変わった瞬間 ほか)
2 武装解除の現場に立って(内戦中のシエラレオネへ
子ども兵士は加害者か、被害者か ほか)
3 生きる選択肢を、紛争地の人々へ(壊れた組織を立て直す
紛争とは、平和とは ほか)
4 紛争地での事件簿(自分の身の守り方
ルワンダで銃を持った兵士に脅される ほか)
5 50年後の世界と日本、そして私たち(ボーダーレスな世界に必要なもの
私たちに残された選択肢)