「関ケ原」(上巻)司馬遼太郎
「新史太閤記」の後日談に当たるのが、「関ヶ原」。
引き続き読んでみた。
上中下三巻なので読みごたえがある。
とりあえず上巻。
P38
本多正信について
「佐渡守正信は、大久保家の失脚後、三年を出でずして、顔に梅毒が出、顔かたちが崩れ、奥歯までむき出て死んだ。正信の子上野介正純は改易されたが、これは忠隣を落とし入れた因果の報いか」大久保彦左衛門「三河物語」より(当時、梅毒が流行っていたのだろうか?秀吉も梅毒が原因で子供が出来なかった、といわれている。同じ絶倫のヘンリー八世も梅毒といわれている)
P48
淀殿について
彼女は、北政所とはちがい、その人間的な味わいを伝えるような逸話は皆無といっていい。おそらく閨房以外での彼女は、なんのおもしろみもない平凡で愚痴っぽい女であったであろう。(司馬氏らしからぬ偏見と決めつけ?)
P49
いずれにしても、関ケ原という史上空前の大事件は、事のおこりを割ってみれば、ふたりの女性のもとで自然と出来た閨閥のあらそいであったといえる。
P357
――あの女のどこがいいのであろう。
と、近臣がかげでささやくほどに、阿茶は不美人であった。頬が削げ、眼がつりあがり笑うと歯がむき出た。
歳も、ふけている。もう五十のなかばになるであろう。老婆といっていい。
が、家康はこの女をなんと十七年も側室にしつづけてきているのである。
(時代を感じる・・・現代の作家がこのような表現をつかったら、フェミニストに袋叩きにあう?)
P359
淀殿は容色こそすぐれていたが、才気はなく、政治むきのことを秀吉に告げたことはおそらく一度もなかったであろう。(司馬氏は淀殿が嫌いだった?)
【疑問】
P57
膏薬陀羅尼助売りになり、高井田を出てからは、山伏の姿にもどっている。
――陀羅尼助は胃腸薬だから、「膏薬」ってのはおかしい・・・著者の勘違い?
私の間違い? 知ってる人がいたら教えて?
【感想】
関ケ原にどう、雪崩れ込んでいったのか、詳細に描かれている。
石田三成は「いいやつ」かもしれないが、徳川家康に対抗するほど、キャラクターとしては面白みがない。
この長篇3巻を持たせるには、複雑で魅力的な人物でないといけない。
そこで島左近登場だ!
ダブルキャストで、なんとか(徳川家康に)張り合うことが出来る。
【追加】
映画では初芽は忍びという設定だったが、小説では淀殿の侍女、って設定。
その後恋仲になる、ってのは同じだけど、映画はプラトニック。
ファンに対する配慮か?
【ネット上の紹介】
東西両軍の兵力じつに十数万、日本国内における古今最大の戦闘となったこの天下分け目の決戦の起因から終結までを克明に描きながら、己れとその一族の生き方を求めて苦闘した著名な戦国諸雄の人間像を浮彫りにする壮大な歴史絵巻。秀吉の死によって傾きはじめた豊臣政権を簒奪するために家康はいかなる謀略をめぐらし、豊家安泰を守ろうとする石田三成はいかに戦ったのか。