「城塞」(上)司馬遼太郎
P72
神道は日本古来の土俗であるため、死者は当然、土葬される。一方、火葬のほうは仏教渡来とともにつたわった。このため火葬すれば仏になり、土葬をすれば神になるという素朴な宗教分類法が、秀吉にはあった。
P174
ヘイホウとよむときは軍隊の進退法をあつかう軍学のことで、ヒョウホウとよむときは剣技、槍術、組みうちのための小具足術などといった個人的な武技になる。
P516
物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のようなするどさで相手に訴える。
P557
いまの茨木市の市街をあるいても、その城あとはほとんど住宅街になり、ここがおそらく本丸跡ではないかと推測された場所(茨木市片桐町の茨木小学校校庭)に石碑がたてられている。
P570
片桐勢は、鳥飼の渡しをめざしていた。その渡しから淀川を西へわたれば片桐領である。(鳥飼じゃないけど、私の小学校時代にも淀川に無料の渡し船があったのを思い出す。豊里大橋のあたり・・・「平田の渡し」。 バッタを捕りに、このあたりまで出かけた。この文章を読むと、鳥飼大橋のあたりにも渡しがあった、と。内環と中環では、離れてるから、渡しが欲しかったのでしょうね。私が小学校の頃は、ビルなんてなくて畑が続いていたように記憶する。年長者に聞くと、中環のあたりは、蓮根畑だった、と。 水はけの悪い泥地だったのだ、ということか)
P588
道理などは、もはや家康に必要はない。家康だけでなく、強大な側にはつねに道理は必要でなかった。自分の側の必要が道理になるだけのことであり、この一点だけは古今を通じてかわらない。
【感想】
冬の陣、夏の陣が描かれる。
トップの人間が重要と、つくづく感じられる。
家康側の謀略に、易々と引っ掛かってしまう。
家康から見たら、大阪側なんて赤子の手をひねるようなものか?
ああ、情けない、と思うのは、現代人の視点だから?