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「突破者」宮崎学

2011年06月13日 21時56分23秒 | 読書(伝記/自伝/評伝)


「突破者」宮崎学

宮崎学さん自伝。
宮崎学さんというと写真家・宮崎学さんを思い出すかもしれない。
この方は、同姓同名で、まったく別人。
(検索すると両者の著書が混ざってリストアップされるので、困ったものだ)

さて、「突破者」宮崎学さん・・・激しく、濃い人生である。
第一部・・・1945-1975
第二部・・・1975-1996
これは、激動の戦後昭和史そのもの。
(この人生に匹敵するのは、「血と骨」の梁石日(ヤン・ソギル)さんくらい?)
人生の概略がウィキペディアに載っている。
次のとおり。(これを読むだけで圧倒される)

→宮崎学

本作・「突破者」の文章をいくつか紹介する。
なお、私は南風社のオリジナルでよんだので、ページはそれに拠る。
(新潮文庫の表紙画像を掲載したのは、南風社の画像がなかったからである)

P207
土建業界、ひいては関西という土地柄はこうした人物を「とっぱ」と呼んでもち上げる風潮がある。とっぱとは「突破」のことであろうが、要するに無茶者、突っ張り者のことである。それも、家父長的原理に基づいて無茶をやる者を、関西人は好む。

P232
私も突破はやった。突破をやらなければ、土建屋の親方は務まらないだ。会社の重量鳶たちがスナックでヤクザ連中と喧嘩になり、怪力にものをいわせて相手を壁になげつけたりして大怪我させたことが何度かあった。当然、ヤクザは怒り狂い、私のところに掛け合いに来る。こんなときでも、親方というのは突っ張って職人を守るほかない。
「そっちは喧嘩のプロやないか。それが堅気にやられたと自分からいうことが、だいたい、おかしいやないか」などと原則的なことをいうわけである。あれこれ突っ張って決着をつける。すると当の重量鳶たちは、そのことを過剰に恩にきる。それをいじらしいと思うものだから、次も突っ張る。こんなことの繰り返しだった。


P242-243
京都にはさまざまな階層がある。上層には歴代公家である公家衆、裏千家などの茶道や華道の家元衆、西陣の織元である室町衆、本願寺の門跡などの坊主衆、伏見の酒造の蔵元である伏見衆などが鎮座し、下層には西陣の織子や各種職人、肉体労働者などが位置している。京都はまた差別社会でもあり、被差別民や在日朝鮮人も確固たる位置を占めている。狭い京都盆地のなかで、こうした各層が一定の微妙な距離を置きながら長い歴史で煮詰まった状態で共存している。
この固定社会で京都を実質的に動かしている集団が、私見によれば四グループある。伏見酒造の蔵元、西陣の織元、運動、そしてヤクザである。(中略)
そしてヤクザは、あまたある階層間の潤滑油として京都では独特の役割を果たしている。京都のヤクザ組織である会津小鉄は昔から京都に根を下ろした土着ヤクザ。構成員は1600人ほどいるが、そのほとんどは京都の人間である。だから各層の人たちと陰に陽に人的につながりがあり、中小企業と大企業間の金銭のもつれから坊主とその愛人の揉め事に至るまで、各層の人からさまざまな依頼を受ける。(中略)
京都人の人となりは保守指向が強く、性格はクール。というより概して冷たい。保守性を語る好例として、京都人の馴染みの商店との付き合い方がある。年配の京都人は近くに同種の新しい店が開店しても、絶対といっていいほど利用しない。また利用する人がいると「あの人はイケズやわ」と非難する傾向がある。京都に古い商店街が残るのも当然のことといえる。性格の冷たさということでは、倒産した経営者に対する対応で、大阪などでは「頑張りなはれや」と引き続き激励するものだが、京都では口を利くと、金を貸してくれといわれるのではないか」と思うらしく、口も利かなくなる。見事なほど手の平を返す場合が多い。(中略)
京都は社会も人も一筋縄ではいかないところがある。(中略)いずれにしても、面倒な土地柄である。

P299
ヤクザの世界は、三つの言葉を知っていれば渡れる。
「イモを引くな」「クンロクを入れる」「往生する」、この三つである。
「イモを引くな」とは、切所に立ったらびびるな、ということ。「クンロクを入れる」とは、相手の動揺する心にとどめを刺すこと。(中略)「往生する」とは、苦境に立ったとき、自らにふんぎりをつけること、負けを潔く受け入れることである。これは、自分を捨てることにつながる。
びびるな。相手の心にとどめを刺せ。自分を捨てろ。これだけを実行していれば、ヤクザとして生きられる。


P422
バブルは1985(昭和60)年9月のプラザ合意をきっかけに生まれ、90年の大蔵省による不動産融資の総量規制ではじけたといわれる。プラザ合意とは、この年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開かれたG5(五カ国蔵相会議)での合意で、この合意以降、各国がドル高の是正に向かって急速に円高になった。貿易で食っているわが国は深刻な事態に直面し、政府=大蔵省は国内産業を保護し、円高不況から脱するために低金利政策に転換した。
こうして、86年1月から立て続けに6回にわたって公定歩合が引き下げられた。その結果、そこいらの中小企業や不動産屋でも巨額の融資を受けられるようになり、金利の安い金が日本国中に大量に流れ始めたわけである。


P422-431・・・バブルについて具体的な例を示しながら、著者の考えが述べられていて興味深い。
よかったら、読んでみて。

【参考リンク】
著者公式サイト

【ネット上の紹介】
世の中ひっくり返したるで!敗戦直後の京都でヤクザの組長の息子として生まれ、大学では共産党の学生ゲバルト部隊を率いて大活躍。中退後は週刊誌の突撃記者となって大暴れするが、実家の解体屋が傾いたのを救うために一路京都へ。窮状打開のため談合破りや仕事の強奪など荒っぽい経営に乗り出したが…。グリコ・森永事件で「キツネ目の男」に擬された男の波乱万丈の半生記。

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