女は二度生まれる
1961年/日本
孤独になる幸せ
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
『花吹く風』(1953年)の流れで本作を論じるならば、九段で芸者をしている主人公の小えんは幼い頃に両親を亡くしており、厳しい環境の中で男に身を委ねる芸者という職業を選択せざるを得なかったのであろう。一級建築士の筒井清正や、寿司屋の板前である野崎文夫や、実業家の矢島賢造などと逢瀬を楽しみながら、他方で大学生の牧純一郎や映画館で知り合った工員の泉山孝平とも商売抜きで楽しんでいた。
やがて小えんは筒井の妾になり、筒井の死によって筒井の妻や娘と知り合うことになり、子持ちの女性と結婚して板前からわさび生産者になった野崎が家族と楽しそうにしている姿を見かけ、他方、就職した牧が客として店に現れ、接待として自分を得意先の外国人に抱かせようとしたことで、牧には小えんに対して愛情が無かったことを知る。
孝平が行きたがっていた上高地へ一緒に行ったものの、小えんは孝平一人を行かせて自分は島々駅構内のベンチに一人腰掛けて作品は終わる。小えんがどのような思いを抱いて座っているのか定かではないが、男と関わらない安らぎを見つけたようにも見える。それまで旅行者で溢れていた駅に、小えん一人しかいなくなっていることは、冒頭のシーンで、小えんが筒井と寝ようとした際に、靖国神社から5時を告げる太鼓が鳴ったり、小えんが孝平とホテルで休憩を取る際に、何故か窓の外で工事をしていたりと、とにかく小えんにまとわりついていた喧騒が無くなっていることを鑑みても、孤児という出自からなんとなく人と関わることを義務のようにこなしていた小えんが、ようやく男を巡る煩わしさから逃れて改めて孤独になれた幸せというものを噛み締めているように見える。孤独を幸せに感じることができるようになったことこそが小えんが成長した証なのではないだろうか?
美代子容疑者自殺 兵庫県警は責任否定、監視体制に「落ち度はなかった」(産経新聞) - goo ニュース
角田美代子容疑者が12日に兵庫県警本部の留置施設で自殺したことに関して記者から
監視体制について問われると兵庫県警は「落ち度はなかった」と話しているが、就寝の際に
上の布団を首までかけていたために、角田がTシャツを首に巻いて自殺を試みた事に気づく
のが遅れたことは明らかで、基本的な監視が出来ていなかったことになる。それにしても
相当苦しかったはずなのであるが、取り乱すことなく体を布団から出さなかったという強靭な
忍耐力は認めざるを得ない。こうして余生を刑務所で過ごすことを潔しとしない希代のワル
は自ら命を絶ったことで、自分は麻原彰晃こと松本智津夫のような俗物ではないことを
証明したのである。