FASHION STORY ~Model~
2012年/日本
壁を巡るストーリーについて
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公の雛子がトイレに入ると、モデル仲間が嘔吐している現場を見てしまう。外からファッション誌「LA STRADA(ストラーダ)」の編集長の森崎の声を聞いた彼女は飛び出して、自分を使って欲しいと直訴するのであるが、太ったモデルは使わないと断言されてしまう。その様子を背後から呆然と見ていた雛子には彼女にかける言葉が見つからなかった。
上記と同じ構図のシーンをクライマックスで再び観ることになる。現場に来ないミホを見かけた雛子はミホの後を追いかける。帰ろうとするミホに向かって背後から、ミホが仕事を放棄するならば、自分が代わりに「LA STRADA」の表紙のモデルを務めると言い残して立ち去る。現場に戻って森崎に声をかけようとした時に、ミホが現れて謝罪することでミホが表紙を務めることになる。壁を左に配する同じような構図を使いながら、一方は諦める人物を、他方は諦めない人物を配することでその対称性を際立たせているのである。
決して雛子は現場を立ち去ろうとしたミホに声をかけたことを後悔しているわけではないだろう。物語の中程で、セクシーさを表現できなかった雛子は新人モデルのジュンの視線も感じながら、プレッシャーで顔がこわばってしまう。そんなを雛子を慰めてくれた人物こそミホだからである。注目するポイントは、2人の会話のシーンの構図も、背後に壁がフューチャーされていることで、岐路に立つ登場人物に、乗り越えるべき‘壁’というメタファーが上手く取り入れられていると思う。
逆に言うならば雛子が親友のモデルに仕事を辞めて故郷の宮城県に帰ると告白された場所が階段の踊り場だったことで、既に壁など関係なく、大震災に見舞われた故郷の再建を手伝うという彼女の強い意思が感じられるのである。
期待を遥かに超える主演の本田翼の好演が印象的だが、もちろん小さい体で下働きに悪戦苦闘する田村の存在も見逃すわけにはいかない。
優子号泣、異例の批判「この映画嫌い」(日刊スポーツ) - goo ニュース
映画「悪の教典」を見た大島優子が上映後のトークイベントに姿を現さず、「私はこの
映画が嫌いです。人の命が簡単に奪われていくたびに、涙が止まりませんでした。『映画
だから』と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、私はダメでした。ごめんなさい」という
コメントを出し、大島の代わりにイベントに出席した秋元才加も「まだドキドキしています。
すごく怖かった」と泣きながらコメントした理由は、伊藤英明が演じる教師がせせら笑い
ながら女子学生を射殺していくシーンが、まだ若い大島や秋元にとっては他人ごととは
感じられなかったのかもしれない。当然私には実感できない類の感情ではあるのだが、
秋元康に仕込まれた“炎上商法”という可能性は捨てきれない。
ねらわれた学園(1981)
1981年/日本
‘狙い’が外れた学園
総合 30点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
SF小説とアニメーションの相性の良さというものは確かにあるのだが、『ねらわれた学園』(中村亮介監督 2012年)の文句のつけようがない作画と物語をリンクさせた演出テクニックを観てしまった後に、本作を観たならば、カルト作品という位置づけは可能であるとしても、クライマックスにおいて主人公の三田村由香の「自分よりも他人を大切にし、自分が死んでも友人を助け、出来損ないの地球を守る」という宮沢賢治的な宣言に、英光塾を作り、優秀な学生たちを集めて新しい世界を作ろうとしていた星の魔王子は何も言い返せず、一度金星に引き返して熟慮してから再び戻ってくるという言い訳は、ただ単に由香の超能力が星の魔王子よりも強かっただけで、星の魔王子の考えに深みがあるわけではない。
本作には原作者の眉村卓や、プロデューサーの角川春樹や映画評論家の田山力哉など珍しい人たちが出演しているのだが、「永遠の未完成、これ完成なり」という宮沢賢治の言葉を口癖にしていた由香の祖父が誰なのかは分からなかった。
あゆ&マロの2ショットパリから世界発信(日刊スポーツ) - goo ニュース
浜崎あゆみが真剣交際しているニュースなどに興味を持つ人はもはやいないと思う。
どうせ12月8日に発売するミニアルバム「again」の宣伝であると誰もが分かるからだが、
もしも以前外国人の夫がいた浜崎が、普通の相手ではインパクトが弱いと思い、振付師の
野村涼子を妻に持ち、現在は離婚裁判中であるという理由でダンサーの内山麿我を
選んだとするならば、次々とプライベートを切り売りするまでの浜崎の根っからの商売人
ぶりには感心するものの、デビュー時からほとんど変わりばえしない歌詞と曲は、やはり
“プライベート”は売っても、魂をすり減らすような思いまではしていないからではないのか
希望の国
2012年/日本=イギリス=台湾
希望という‘腫れ物’
総合 30点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
東日本大震災から数年後の長島県で大震災が起こり、県が誘致していた原発が爆発したことから、酪農を営む小野泰彦と妻の智恵子、一緒に暮らしていた息子の洋一とその妻のいずみの生活は一変してしまうのであるが、原発がテーマであるのだから余震が一度もないことをとやかく言うつもりはないとしても(ちなみに君塚良一監督の『遺体 明日への十日間』では4回の余震が描かれている)、かなり大きな地震に見舞われたはずの小野家の外観も内部も‘被災感’がほとんど感じられない。
最も解せない点を挙げるならば、原発から半径20キロ圏内が警戒区域に指定され、きっちりと20キロ線上に杭を打たれるほど距離に厳密さを見せながら、他方では、お祭りが始まったと勘違いして家を抜け出した智恵子を、泰彦が車で探しまわり、いつの間にか雪上を歩いている智恵子は徒歩で短時間でどこまで行ったのか想像がつかない。
ラストシーンも同様で、放射能恐怖症を患っているいずみが、洋一が運転する車から、着ていた防護服を脱ぎ捨てて、やがて岸辺で他の家族とくつろいでいる際に、洋一が持っているガイガーカウンターが放射能を探知するのであるが、例えば、彼らが原発から30キロなのか50キロなのか、どれほど離れた場所にいるのか分からないために、放射能に対する危機感が感じられず、オチとしては弱いのである。
泰彦がライフルを持って牛舎に行き、30頭はいるはずの牛を銃殺するシーンにおいて、何故血まみれの牛舎を映し出さなかったのか疑問が残るが、それは私が先に『悪の教典』(三池崇史監督 2012年)を見てしまったためにインパクト不足を感じたためではあろうが、愛さえあれば洋一といずみのように生きていけるし、泰彦と智恵子のように心中も厭わないというアイロニーは良いとしても、やはり銃殺された智恵子を映さないという演出が、決して私が『悪の教典』に毒されているわけではなく、被災者の心情に配慮しているのだとするならば、「一歩一歩」腫物に触るように扱う、脆弱な「希望」に原発を廃炉に追い込むだけの力があるのか疑問を抱かざるを得ず、園子温監督の前作『ヒミズ』同様に同じ理由で失敗していると思う。
沖縄の海兵隊中尉が住居侵入、部屋に20代女性(読売新聞) - goo ニュース
「上半身裸」の沖縄米軍属、ナイフ所持…逮捕(読売新聞) - goo ニュース
沖縄県警那覇署が18日に、酒に酔ってビル内の部屋に侵入したとして、住居侵入容疑で
現行犯逮捕した24歳の海兵隊中尉トーマス・チャンケットは宜野湾市の米軍普天間飛行場
所属だから日本に滞在する全米軍人を対象にした夜間外出禁止令(午後11時~午前5時)
に違反しているのであるが、沖縄県警石川署が17日に、折り畳みナイフ(刃渡り約9センチ)
を所持していたとして、銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した42歳のスティーブン・セピアン
は米軍属ということで夜間外出禁止令の対象外らしい。飛行場所属と軍所属では人物の
質に差があるという事なのかもしれないが、結局酒を飲んでしまうと差がなくなるのである。
オール・ザット・ジャズ
1979年/アメリカ
自分の死を受け入れる‘幸せ’
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ブロードウェイの演出家であり映画監督としても知られている主人公のジョー・ギデオンはブロードウェイで上演する新作のオーディションを仕切りながら、『スタンド・アップ』という新作の映画の編集もこなすという忙しさであるが、この編集がなかなか終わらず何度も同じシーンを見直すためにスタッフたちからは呆れられている。踊りがメインのミュージカルとスタンドアップ・コメディアンが主人公の、セリフがメインとなる映画の対照的な仕事を両方かけ持っているという設定に、ボブ・フォッシー監督のこだわりが伺える。
配役が決まり、出演者全員で台本の読み合わせをするのであるが、最初の「カリフォルニアで暮らすためには車は必需品で、風呂場に行くにも車がいる」というギャグの後の、セリフが何故かギデオンには聞こえなくなり、‘生活音’だけが耳に響く理由は、ギデオンが別の観念に囚われているからである。
ヴィヴァルディの音楽と、ヴァイシンの目薬とアルカセルツァーやデキセドリンなどのクスリで鼓舞していたギデオンの体は限界に達しており、やがて現実と幻想の区別がつかなくなる。見るもの全てが踊りだすようになり、彼の担当医のみならず、動脈や静脈までが擬人化して踊りだす。病室で見ていたテレビ番組において、いつの間にか公開されていた『スタンドアップ』が女性の批評家によって酷評されるのであるが、それはギデオンが作品にこだわっていたことが、作品そのものではなく、主人公のセリフである「怒り、否定、交渉、意気消沈、容認」という、死に至るまでの5段階についてだったからである。他のテレビ番組内においていつも黒人のMCが‘親友’として呼び出しながら、その相手が登場する前に、テレビを消していたギデオンは、自分の死を‘容認’することでその相手が自分自身であるという舞台設定を整え、ようやくギデオンは命が燃え尽きるまで人生の全てを、絶えず自分につきまとっていた死の天使であるアンジェリックと共にダンスに捧げる決心がつくのである。
乳もみNHK森本アナ釈放「大変な…」(日刊スポーツ) - goo ニュース
NHKの森本健成アナウンサーが、電車内で女子大生の胸を約10分間触ったとして
強制わいせつ容疑で逮捕された問題は、どうやら冤罪ではなさそうで、酔っていた上に、
激しく電車が揺れた弾みで胸に触れてしまったということも考えられないこともないが、
下着の中に手を入れて掴み出そうとしていたらしい。昨日、処分保留で釈放されたという
ことで、レギュラーでキャスターを務めている「おはよう日本」で弁明をするのかと思って、
わざわざ土曜日に早起きをして見ていたのであるが、何故か本人は出演しておらず、
その理由も説明されないまま小山径というアナウンサーが代役を務めていた。
ねらわれた学園
2012年/日本
意思疎通と携帯電話
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公で中学二年生の関ケンジと、幼い頃から隣りに住んでいる涼浦ナツキは同級生である。ナツキはケンジのことが小さい頃から好きだったが、そのようなナツキの想いに全く気がつかないケンジは生徒会書記を務めている春河カホリに夢中になっている。
ある日、京極リョウイチがケンジたちの学校に転入してきた頃から学校の雰囲気が変わっていく。京極は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』のセリフを練習することに「自分の本心を言わないで、何故わざわざ決められたセリフを言わなければならないのか分からない」と疑問を呈する。もちろん、それは後に京極が金星人であることが明かされ、テレパシーで他人と交信できる能力を持っており、自分と同じような高い能力を持っている生徒を探しに来たためであり、生徒会長を味方につけて校内の携帯電話の所持を禁止にした理由も、言葉というものを全く信用していないためである。
しかし幼少の頃からケンジのことが好きで、「好き」だと告白しているものの、周囲の雑音で自分の想いがケンジに届かず、糸電話で再び告白するが、糸の‘混線’で想いが届かず、ようやく心待ちにしていた携帯電話の時代において、携帯電話を取り上げられることはナツキにとっては不本意であり、皆勤賞が途切れる一因となる。
確かに留年してしまった山際ゆりこにとっては言葉を交わさなくても自分の気持ちを察してくれる京極は理想的な存在ではあるのだが、テレパシーで相手の気持ちを察することと、自分の気持ちをどのような言葉を選択して相手に伝えるのかということは意思疎通としては同じであるものの理解の上では決定的に違う。おそらく京極は生徒会‘書記’である春河カホリとの関わりにおいて、京極自身金星人と地球人の‘ハーフ’であったためにそのことに気がつき、金星からのミッションを諦めざるを得なかったのであろう。
レンズに光が差し込むことによるフレアーを大胆に取り入れた作画の美しさは文句のつけようがなく素晴らしい。ドビュッシーの「月の光」が使われていたが、『魔法少女まどか☆マギカ』でも登場人物の上条恭介の、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」に関する言及があったが、ドビュッシーはそれほど人気があるということなのだろうか。ちなみに「タイムワープは物理法則です」とはもちろんギャグである。
キンドルが売れないこれだけの理由 日本は電子書籍の「墓場」だ(東洋経済オンライン) - goo ニュース
アマゾンの「Kindle(キンドル)」以外にもソニーから「リーダー」、シャープから「ガラパゴス」、
パナソニックと楽天からも「UT-PB1」という電子書籍が出ていたとは知らなかった。私も
日本では電子書籍は売れないと思う。そもそも電子書籍専用端末を必要とするほど
みんな本を読んでいるのだろうか 確かに仕事で読まなければいけない人もいるのかも
しれないけれど、私のように月に1冊くらい読む程度の人間にとっては電子書籍専用端末
など全く必要としないし、もしも電子書籍専用端末でなければ本を読めなくなる日が来た
時は、私は迷わず本を読むことを放棄するだろう。