百醜千拙草

何とかやっています

実験科学的産業革命

2009-10-30 | 研究
研究が捗らず、苦しんでおります。産みの苦しみであって欲しいと思いますが、前回の論文の時も、いろいろやって苦しみましたが、結局、それは論文上は何の価値も加えることはありませんでいた。研究ですから95%はハズレで5%当たればよい方だとは思っていますが、今回、同じマウスを作ったcompetitorは既に投稿したということで、当たるまでじっくりやればよい、という状況でもなさそうで、ちょっと焦っています。こういう時に焦って結果を追い求めようとしても殆どの場合、思ったようなデータがでるということはまずないということは経験で分かっているので、本当は、無欲に坦々と目の前だけをしっかり見つめてコツコツやる方がよいのでしょう。数日前、ちょっと期待していた実験もネガティブデータに終わりました。これは、休みをとって仕切り直しをせよ、との天の声ではないか、と思ったりする昨今ですけど、もちろん、「天の声にも変な声がたまにはある」という古人の警句もありますから、注意をしなければなりません。
 最近の雑誌はそこそこの所なら、殆ど必ずストーリー(メカニズム)を要求されるので、昨今は論文出版上、ストーリーを提示することは不可欠となっています。この傾向、私は好きではありませんけど、こういう縛りによって、研究者がより深く実験を進めようとする動機にもなっていますから、一概に悪いとは言えません。ただ、ストーリー中心主義みたいになってしまって、各々のデータの厳密さの評価が甘くなってしまう本末転倒がおこることもしばしばあります。研究者の方もこういった傾向を悪用して、厳密な観察結果よりもストーリーを組立てることばかりに注意を向けて「怪しい」論文を連発する人もいます。ですので、マトモな研究者であれば、どうやって本当のストーリーに辿り着くか、その辺のアタリをどうつけるか、この辺のストラテジーの立て方や決断は大変大切だと思います。ここで誤ると迷い道にくねくねとはまり込み、くねくねしている間にますます(その多分誤っているであろう)ストーリーに思い入れが深まって、別れたいけど別れられない愛憎の泥沼に入り込み、傷を深めることになります。
 ところで、先日、家の補修をするのに材木を切る必要があって、電動鋸を買ってきました。電気を入れて、ウィーン、10秒で切れます。手で切れば、5分はギコギコやらねければならなかったでしょう。こういう「パワーツール」の威力は実際使ってみると驚かされます。木材を切るということは、人間が手を使ってもできることで、私はずっと電動工具をバカにしていました。手でやるのとほとんど同じ操作を機械でやるというだけのことですし、その機械でなければできないというものではない上に、用途別にかさ高い工具を別々に揃えるというのは、馬鹿らしいと思っていました。あるいは、これは東洋と西洋の美意識の違いなのかも知れません。「できるだけ多目的なツール(手)を、技術を高めることによって、少なく使う」ことを尊び、力任せのやりかたを嫌うのが東洋の伝統なら、どんな人でもスイッチ一つでそれなりの仕事ができるようにするようが良いと思う「産業革命的思考」は西洋のやりかたなのかも知れません。そして、物質的な面での目標を達成する上で、産業革命が果たした役割を思い出すまでもなく、決まった目的を早く楽に達成するためにわざわざ開発されたパワーツールに、人間の筋肉がかなうはずもないのです。「B29を大和魂を込めた竹槍で撃ち落とす」という冗談を思い出しました。  
 研究でも、テクノロジーの進化によって、様々なパワーツールが開発されてきました。15年ほど前、DNA チップ、マイクロアレイが出た時、多くの研究者はアレイに拒否反応を示しました。仮説無しの力仕事で何かを釣って来ようという脳みそのない研究に対する軽蔑からです。しかし、そのXXでもできる実験や検査から得られる情報の(質はともかく、少なくとも)量は、一つ一つの仮説をねちねちと検討する場合と比較になりません。頭や技術を使うのは、むしろそのデータを見てからということでしょう。ここでもXXと鋏は使いよう、と言えます。パワーツールがなかった時代は、全ての実験のプロセスで非常に限定した疑問に対するYes or Noというような解答を期待する実験を積み重ねるやり方で、一つ一つ選択枝を狭めていくやり方が主でした。これは地図のない未知の土地を探索するのに似ています。そんな時、どこから始めるか、情報の乏しい中で何を選択し何を除外するか、という判断を下すのは困難で、長年の経験と洞察力に基づいた職人的「カン」が重要でした。しかし、パワーツールが使えるようになってからは、とにかく、まず力任せにデータを出して、それから考えるというやり方へと変化してきたように思います。つまり、パワーツールで目的に沿った地図をまず作成してから探索をする、そういうやりかたができるようになってきました。その情報に基づいて次の行動を決めるので、職人的「カン」への依存性は減少し、尚かつ、カンを正当化するための理屈をこねる必要も無くなってきました。現在、全ゲノムシークエンスが分かり、遺伝子発現パターンのカタログもほぼ完成した段階では、そのインフラに沿って実験方法も変化していくべきであろうと思います。これは従来の研究法との比較して、データの大量生産とデータのマスシェアリングを促進する研究界の「産業革命」と言ってもよいでしょう。ただし、産業革命がもたらした害悪も見られるようになってきました。持てるものは富み持たざる者は下位階層に釘付けになる、研究格差が拡がってきたように思います。そんな中で大多数の持たざる研究者が生き残っていくにはどうしたらよいか、というのは誰でも考えることではないかと思うのです。やはり、大量生産方式が通用しない職人的仕事を極めて、その狭い世界で地位を確立していくことであろう、という常識的な結論に落ち着くような気がします。もたざる側の私もなんとか職人的技術でしかアプローチできないようなニッチ分野を見つけたいと腐心しておりますが、そう簡単なものではないことを日々、実感しております。一方、データのマスプロダクションによって、一般研究者の生活が豊かになってきた点は否定のしようがありません。私でもUCSCのゲノムブラウザーやNCBIのサイトを開かない日はありません。これらの情報がなかったら、どれだけ日々の研究が大変かと考えたら気が遠くなるほどです。
 実験科学ですから、一のデータは百の理論に勝ります。行き詰まっている時の私の研究上のモットーは「犬も歩けば棒に当たる」です。先が読めない時は、智恵を絞るだけではなく、とにかく闇雲にでも歩き回ればマグレ当たりすることもあります。近年は、パワーツールのおかげで、研究の多くのプロセスで、頭はなくても一発で片がつく、そんな場合も増えてきました。そんなときにパワーツールに対する偏見のために、研究の真の目的の達成が阻害されるようなことがあれば、それこそ本末転倒であると思います。この辺が実験科学とパワーツールというものが存在しない他の学問、哲学とか文学とかとの違いではないでしょうか。どんな方法をとっても「正しい結論に早く辿りついた者」がエラいという単純なルールです。智恵が出ないなら汗を出せ、というのは実験科学の現場でも真実ではないかと思います。幸い、パワーツールのおかげで余り汗もかかなくはなってきています。犬も車で移動する時代になったのかも知れません。
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正論の鳩山氏、最先端研究支援開発プログラムの帰趨

2009-10-27 | Weblog
鳩山首相の所信表明演説、正論が真っすぐ述べられていて良かったと思います。鳩山氏、お金持ちの家柄で育ちが良いのが私は長所だと思うのですけど、一般国民はそれを逆に取るかも知れません。「友愛」とかの理想を述べると、自分や家族が生き延びのに必死で、他人のことなど考える余裕もないというような大勢の国民の本当の現実を知らないから、きれい事が言えるのだ、と思う人も多いでしょう。確かに自分が生き延びることで精一杯の人に、他人を思いやる余裕を持つのは難しいでしょうし、そういう人には政治家はできません。
 鳩山氏、育ちのよい素直な言葉で正論を真っすぐに述べることができるというのは、素晴らしいことだと私は思います。その恵まれた環境があったこそ政治家として国民に奉仕する機会もあるというわけです。同じように恵まれた環境にあったのに、それに感謝し謙虚に国民に尽くすという態度を全く欠いていたアホウ氏を反面教師として、言葉通り、国民のために働いてもらいたいと思います。

方々から受賞者選択での不透明さや恣意性について疑問の声が上がっている、自民党が選挙前に駆け込みで決めた大判ぶるまい研究費、最先端研究開発支援プログラムは、結局、当初の選考者に与えられることになりました。一人あたり最大50億円の研究費(民主党政権となってから平均90億から減額)を支給という巨額の資金でありながら、その審査はかなりお粗末で、出来レース疑惑がもたれています。民主党の文科省副大臣は政権交代前からこのプログラムの凍結見直しを公言していましたが、結局、自民党政権下で決まった悪いプロジェクトであっても、一旦、選考が終わって、受賞者が決まってしまったら、政権が変わったからといって、ハイやり直しというようにはできなかったという事らしいです。もう一つは、選考の不透明さや疑惑に対して、研究現場から強い運動が起こらなかったので、文科省としても、このプログラムを一からやり直すという口実に欠けたという点があります。結局、研究者同士は、仲間でもありますが、敵やライバルでもあります。研究業界は狭い世界でもあり、基本的にはお互いがお互いを評価するわけですから、研究費支給の選考がおかしいと大声を上げたり、おおっぴらにに研究費の選考を批判できる研究者は多くないでしょう。その点でやはり、文科省官僚と大臣がイニシアティブをとって、プログラムの見直しをするしかなかったのではないかと思います。1500億円というお金は、国の予算からすれば大金ではないかも知れませんが、少ないお金でもありません。しかし、研究者の立場からみれば、一人あたり50億というお金は天文学的数字です。通常の数人からなる小さな生物系の研究室では、全員の給料もろもろも含めて年間予算は数千万円という所でしょう。そんな規模でしか研究したことのない研究者が、突然、その10倍もの金額のお金を貰って、うまく使えるはずがありません。無駄づかいに終わるのが関の山です。
 アメリカはオバマ政権になってから、景気対策のために約8千億ドルの税金が注ぎ込まれ、そのうちNIHへは約100億ドルがバラまかれました。この金額を二年以内で急激に消費することで、経済刺激効果を期待するわけです。ニューディール政策ですね。私はニューディール政策の効果には懐疑的な方ですけど、この間のNatureの記事では、コメントを寄せたほとんどの人も、今回のオバマの経済刺激政策後にこの金が無くなる二年後のことを心配しており、この資金の急激な注入に批判的です。というのも、2003年のショックを覚えているからです。クリントン政権時、NIH予算倍増が行われ、研究界は好景気に湧きました。ブッシュ政権になってNIH予算増額の凍結が行われて、正式にクリントン政権が決めたNIH政策が切れた2003年には、研究費申請の採択率は一気に半減し、その状況は未だに続いています。今回、このNIHの景気対策一時資金の少なからずが、たまたまその時期に応募されて、採用されなかったグラントの救済に使われました。これはフェアでないだけでなく、研究者の数を増やすことに繋がりますから、おそらく、二年後にこの一時金が切れた時のダメージを増加させることになります。この金は経済刺激政策の一環ですし、一時的なものなのですから、研究者の救済に使われる額は最小限にしないといけないのですけど、かといって、普段から苦しんでいる研究者を放っておいて、別の用途にその金を使うというのも困難なのはわかります。だから、研究者救済にこの金を使うと2年後に今の痛みは倍になって返ってくるとは分かっていても、やらざるを得ないというジレンマがあります。実は数ヶ月前、このNIHの一時金の一部を使って、チャレンジグラントと呼ばれる二年間だけのグラントが約200本分、募集されました。このグラントは経済政策の一環ですので、応募できるトピックがかなり具体的であること、通常のグラントの5年間に対して2年であるということ、などから、私は応募者はそう多くないだろうと思っていました。ところが、蓋を明けてみたら、グラント数の100倍にあたる2万件の応募となり、NIHのピアレビューシステムに多大な負担をかけることになりました。NIHの各施設が最終的な支給判断の調整を行うことになりますが、それでも最終的な競争率は、2%ぐらいになるであろうと予想されています。このことは、それだけ多くの研究者が切羽詰まっていることを示しているのだと私は思います。このグラントに関しては、いくら予備データは必要ないといったところで、英文シングルスペースで12ページの申請書を準備する必要があるわけで、それには、かなりの時間がかかります。その間、他のことは余りできなくなります。それだけの時間をかけてでも、採択率2%のグラントに応募する人がこれだけいるという事は、それだけ研究界が窮しているということでしょう。
 一方、日本のこの最先端研究開発支援プログラムはバラまくのではなく、集中投下するわけですから、おそらく経済効果はそれほど期待できないでしょうし、集中投下で科学が進歩することも期待薄です。この金が職を失いかけている研究者の救済に使われることもほとんどないでしょうから、私にとっては、税金の無駄遣いにしか見えません。おまけに、これは研究格差を広げ、裾野を切り取ってしまう愚行に思えます。この政策についてはこれまでも散々、批判して来たのでもうやめておきます。

ところで、この件に関しての文科省副大臣の言葉に私は感心したので、転載しておきたいと思います。

「科学技術、中でも先端研究に予算を付けるのは最も難しい。なぜならば先端研究とは未知の領域を切り拓くことだから、誰も分からない分野に挑戦するものだ。誰も分からないのだから、その先に結果が出るかどうかも分からないし、その必要性に対する理解者も多くない。しかし、税金を使うには、一義的には過半数の納税者の同意を得なければならない。ここに先端研究に対して税金を使うことの絶対矛盾、自己撞着がある。この矛盾の解決は永遠につかない」

研究者ならよく分かる話ですが、一般の人にはこの事は十分理解されているとは私は思いません。研究はそもそもリスクの高い投資であり、中でも先端研究は投資という面から見れば、より一層、リスクの高いものですから、リターンとか利益とかを考慮の基準にしたのでは、予算はつきません。先端研究へは全体の研究予算の中からいくらかずつ決まった額を無条件で回すようにするのが良いのでしょう。
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ちょっといい言葉(4)

2009-10-23 | Weblog
しばらく前、夏目漱石の「則天去私」について触れました。「天の意に沿い、自我への執着から去る」ことを実践することが、プラグマティカルに有用であることを、私は数年前のグラント危機の間に実感しました。そのころ、グラントが切れたら、研究者としてのキャリアのみならず、生活そのものが成り立たなくなるという状態にあったのでした。
 天の意に沿うには、天というものを信じられなければなりません。人はめぐまれた状態にあるときは、しばしば、天のことを考えません。自分がめぐまれた生活をしているのは、自分が努力して成し遂げた結果だと思っている人も多いでしょう。苦境になって始めて、恵まれていた時、それは、自分以外の人々や他の巡り合わせのおかげであったと、感謝の気持ちを持つものではないでしょうか。その苦しい時を経なければ、人は天の存在に気がつかないものです。つまり、天とか神とか創造主とかの存在は、人や教会から教えられたりするのではなく、自らの経験を通じて、実感されるものなのだと思います。そういう経験のない人に、神とか天とかの話をしてもわかってもらうのは、難しいことはよく分かります。臨済も「愚かなものは笑うが、智恵のある人はわかってくれる」と言いました。
 以前、柳田充弘のブログで、人との縁に関して、こう述べられてありました。「わたくしも誰かの手のひらの上で一生を送っているような、錯覚を感じることがあります。つまり、こういうことになるのは、昔からそういうお話しが既に有ったのかもしれないと」人間長くやってれば、誰かの手のひらというものを感じるようになるものです。 誰かの手のひらを感じることができるのなら、自己への執着と、その誰かに逆らうことが、意味のないことがわかるかも知れません。
 漱石の「智に働けば角が立ち、情に竿せば流される。意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい」という小説の出だしを知った時、子供心に、妙に納得した覚えがあります。この世は住みにくいのが当たり前で、苦しみに満ちているのが普通だと思います。そして、そんな苦しみばかりの人生でどうやって幸せに生きることができるのか、その鍵が「天の配慮」を読むということで、漱石の「則天去私」は実用的な智恵なのだったのだ、と私は自らの苦境にあって実感したのでした。 自分というもの、自己への執着心を捨てて、偉大なる創造主の元に降参するということは、偉大なる創造主(面倒なので「天」と呼んでおきます)と一緒に働くことだということです。我々の理解の及ばない天の配慮というものがあり、自己への執着心は、しばしば、その天の配慮とconflictを起こします。そうした時にわれわれに勝ち目はありません。何と言っても、手のひらの上ですから。天の配慮を読んで、それに沿って行動すれば双方うまくいきます。つまり、天は何らかの意図をもって、宇宙の構成因子の一つ一つに使命を与えているのだと考えると、自分が、天から何を期待されているのかが見えてくるだろうと思うのです。しかし、しばしば、われわれのEgoはその天からの使命に反抗し、それによって、使命の達成は阻害され、われわれは不幸になるということがおこります。それは、私たちの「私」を去ることができず、「天」の意に則することができないからであります。
  偉大なる芸術家、創作家は、彼らの仕事が「自分自身のものではない」としばしば語ります。彼らが一生懸命努力して技術を身につけて苦しんで作品を生み出すのは間違いないのですが、その創作の源は彼ら自身ではない、といういうことをしばしば彼ら自身が語ります。つまり、インスピレーションやアイデアは外から与えられるものだ、と考えているということです。モーツアルトの楽譜には書き直した跡がないという話を聞いた事があります。楽譜に写す前に完全な音楽が彼の頭の中に存在していて、それを写すだけなので書き直す必要がなかったのだということでした。その頭の中で鳴っている音楽は、モーツアルト本人が無から有を作ろうとしたものではなく、どこかから与えられたものなのだそうです。マイケルジャクソンは、(自分の踊りや歌の才能というものは)神がそれを、自分を通じて、この世に現し、世界の人と分かち合うために与えたのだ、と語っています。「Off the Wall」のメロディーは、外出中に突然、頭の中に沸き起こって来て、楽器の弾けないマイケルは忘れないように歌いながら帰って誰かに採譜してもらったという話を聞いたことがあります。どこかで読んで知った天才数学者の場合は、寝ている間に、夢の中で女神が答えを教えてくれると語っています。即ち、彼らは自分自身を「神」なり「天」がその意志をこの世に実現するためのカタリストである、と考えているということです。このことは、芸術家や一部の特殊な人だけに限りません。 Wayne Dyerは、神が自分というものを使って、偉大なる目的の実現をしようとしており、そのために自我を捨てて努力すれば、神はその手助けしてくれるのだ、と言います。
 「則天去私」は、Ego、我執というものが虚である事を知り、天の偉大なる采配を信じることです。それを信じるためには、自ら努力し、苦しんで、天の存在、その采配というものの存在に触れる必要があると思います。 最近、あらゆる人間は神の子であり、神は各々の人間に使命を与え、この世に創り出したということを、私は信じるようになりました。神が実在するかどうかは実は本質的な問題ではありません。大切なのは、そう信じることができることがこの世を生きる上で、自分にとって「役に立つ」ということです。
 数年前のグラント危機のとき、(いまでもグラントに生活も研究もすべてがかかっているという状況は同じですが)その時のグラントが穫れなかったら、研究者人生は終わりという状況に直面して、非常な不安を感じたことがありました。会社をいつクビになるかも知れない、いつ会社が潰れるかもしれない、仕事を失って収入がなくなったら、ホームレスになるかもしれない、そういう不安を抱えている大勢の人がいると思いますが、私も当時は同じ不安を持っていました。しかし、今では、そういう危機に瀕しても、不安は感じなくなりました。「不安を感じること」そのものが、そもそも精神衛生上悪いですし、それは問題を解決するのに役に立たないので、「不安を感じることを止める」という選択を私はしました。しかし、不安という感情をそんな理屈だけでコントロールできるものではありません。不安を感じずに済むためには、「不安を感じる必要がない」という実感を得ることが不可欠です。私が不安を余り感じないのは、「私は天の意志に沿って働いているから、問題があれば天の方が配慮してくれる」ということを確信しているからです。私は天の意志を実現することだけに集中すればよいのです。研究者としての私の働きが悪いなら、グラントが切れて、天は別の仕事を私にあてがうでしょう。私が仕事を失うことが必要だと天が思うなら、仕事を失うでしょう。私が死ぬことが誰かのために必要ならば、私は死ぬでしょう。そんな中で、私ができることは、自分なりにベストを尽くすことだけです。そして、それができるなら、天は後のことはすべて配慮してくれると私は感じています。
 最近読んだ「こびとさんをたいせつに」という内田樹のエントリーの内容、私はよく分かります。「まだ知るはずのないことを知っているという感覚」、「知性の二重底の構造」、「こびとさん」という説明や比喩は、「神様」という言葉を使えば、もっと簡単に説明できるかも知れません。まだ知らないことを知っているのは、天や神様(やこびとさん)が教えてくれているからだと私は思います。だから、私は困っている人には、こう言っています。
「一生懸命やってれば、神様が助けてくれますよ」
「神様」というと、うさん臭いのですけど、「こびとさん」とか「暗黙知」とか言うと、その説明がやっかいですし、「天」と言うと諭吉的偽善性が連想されてしまいますし、「集合的無意識」とか言うと反ユング派のアレルギー反応を呼びそうですし、「偉大なる創造主」とか言うとキリスト教原理主義者みたいですので、私は「かみさま」と言っておくのが結局、最も無難だと思って、そう言っています。 「神様が助けてくれる」というとヘンな人みたいに思われそうですけど、私はこれを経験から知ったことですし、こういう類いのものは客観的に科学実験などで証明できるようなことではありませんから、わかる人にしかわからないものでしょう。わかる人なら、この知識の活用の仕方も知っているでしょうし、私の言いたいことも理解してくれると思います。
 私のこれまでの人生振り返ってみると、「欲しいと思うもの」が与えられたことは余りなかったのですけど、「必要なもの」が与えられなかったことはありませんでした。必要なものが与えられず、私が十分に機能できないと、天の方も困るようなのです。一方、私が自己本位の欲に従って欲するものは、必要でない限り、与えられないようです。
(ですので、「鏡に向かってアファメーションをする」とか「無意識の法則を使って夢を実現しよう」タイプの話を私は信用しないのです。それは個人がコントロールできるような法則があるのではなく、あくまで天の意によると思うからです)
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核先制不使用宣言の意義

2009-10-20 | Weblog
昨日のニュース。

岡田克也外相は18日、京都市で講演し、米国による核兵器の先制不使用宣言について「日米間でしっかり議論したい」と語り、米側に不使用宣言をするよう働きかける考えを示した。日本政府はこれまで核抑止力の観点から米国の宣言に反対してきた。
  核の先制不使用は18日の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の本会合でも議論され、年明けにも出される最終報告書に盛り込まれる見通し。岡田氏は報告書がまとまった段階で、米側に議論を提起したい考えだ。 岡田氏にとって核の先制不使用は野党時代からの持論だが、外相就任後は「外務省内でよく議論したい」と主張を抑えていた。

 「核抑止力の観点から日本はアメリカの宣言に反対してきた」ということは、「自分からは使わない」と禁じ手にしたのでは、核を保持している意味がないということですね。この理屈については、先日の内田樹の研究室で議論されております。いつ核を使うかも知れないという恐怖感が抑止力の根源であるということです。一方、同日のニュースではイランで自爆テロで31人死亡とのニュースが並んでいます。テロ(あるいは理想の実現)のためには自分も他人も死んでもよいと思う人々がこの世にはいるわけで、そんな恐怖感の閾値が我々と違うと思われる人にとっては、「いつアメリカやロシアが核爆弾を落とすかも知れないという恐怖感」は、ないに等しいのかもしれません。アメリカの核がテロリストには効かないということも同プログでも述べられております。そして、核抑止力が維持されるためには、核保有国の中にテロリストなみに不条理な人間がいて、そういうヤツが何らかの拍子に核ボタンを押してしまうかも知れないという状況が必要だ、というようなことが議論されております。
 それでも、文明国であるアメリカなどが核を保有している限りは「無茶な事はしないだろう」という安心がわれわれにはあります。一方、その核が恐怖感閾値に明らかに「ずれ」があると思われる自爆テロリストや彼らと同様の思考をする者の手に渡った時のことを考えると、これは結構な恐怖です。「xxxxに刃物」なわけで、ただでさえ理解困難な人々ですから、そういう人々の手に大量殺傷兵器が渡った場合に何がおこるか考えたら本当に恐ろしいです。おそらく彼らは、武器をチラつかすだけで実際に使わない「兵は不祥の器」的兵器観を持ちあわせている可能性は低いでしょう。砂漠の民との理解し合えない溝に打ちひしがれたアラビアのロレンスを思い出します。
  交通事故を無くす、多分唯一の方法は、人々が交通しないことでしょう。少なくとも、車のなかった時代に車に敷かれて死んだ人はいなかったに違いありません。核による人類の殺傷を防ぐ唯一確実な方法は、おそらく、核を捨てることしかありません。持っていれば使いたくなるのは人の情です。アメリカが、「核の先制使用をしない」宣言をするということは、他の核保有国に対しても、同様の宣言を強いることになると思われます。勿論、そのような宣言がどれぐらいの実効力を持つかは多いに疑問視されるところではありましょう。歴史を振り返れば、一旦、戦争になってしまったら、宣言や約束など何の意味もありませんでした。ベルサイユ条約を破棄して第二次世界大戦に入ったドイツにしても、日露中立条約を破って、火事場泥棒的に満州侵攻してきたロシアにしても、約束は破られるためにあるようなものです。戦争に勝ったものが、どんな戦法も正当化してきたわけですし。「約束は守る」「嘘をつかない」「他人を傷つけない」、このように幼稚園の時から教えられてきたことが、国と国との関係ではしばしば「やってはいけないこと」とされます。それはお互いを信用できないヤツだという疑いの目で見ているからです。これまではそれもやむを得ないことでした。しかし、私は何度か言いましたが、世界は少しずつ、成長してきていると思います。歴史は繰り返すかも知れませんが、ちょっとずつ違ったように繰り返されるのではないかと思います。それは、人々が、自らの過去の行為を反省し将来に生かそうとする智恵を身につけて来たからだと思います。これらの進歩は、過ちから学び、過ちを繰り返さぬように応用しよう、とする個人の意識の成長の総和に比例してきたと思います。
 ですので、核のない世界に向けて、まずは「核の先制不使用」の宣言は悪くない出だしだと私は思います。これは宣言することそのものに意味があると思います。何らかの行動を通じて、人々の意識は刺激されていきます。核保有国で最も力を持っていると考えられているアメリカが「核先制不使用」を宣言するという行動はそれなりにインパクトがあると私は思います。
  我々が平和な文明社会を享受するためには、安全が確保されることがまず第一です。そのためには、地球に住む人々が文明社会のスタンダードの意識基準を共有することが不可欠であろうと思います。核についての教育、核の先制不使用の宣言、などなどを通じて、テロリストにもよく核の恐ろしさを理解してもらわねばなりません。まず、相手に核を捨てろと言う前に、アメリカ自らがその手本を示さなければ、核のない世界の実現には一歩も進みません。その実現のためには、世界の人々が核に対する考えを共有できるように、意識の地球的成長が必要です。パラドキシカルですけど、それには行動が必要だと思うのです。つまり、既に核を持ってしまった現実で、核のない世界を実現していくには、地球的に人々の意識の成長が必要ですが、それは核を放棄していこうと努力をするという行動があって始めて可能ではないか、と私は思うのです。ですので、「核先制不使用」を宣言するという行為は、結局その宣言を守るか守らないかは別にして、最初の一歩としては、望ましいことであると私は思います。佐藤栄作の口先だけの「非核三原則」でも効果はありました。中身が伴っておれば良かったのにと思いますけど、あの時代では仕方なかったのかも知れません。
 私が「核抑止力」という理屈を信じないのは、それが自己矛盾だからです。「人類の平和のために人類滅亡を来すかもしれない兵器の恐怖に頼る」という理屈を小学生に分かってもらうのは難しいでしょう。小学生に理解できないような理屈で正しいものがあったためしがありません。「核兵器はとても危険なので無くしましょう」というのが当たり前の態度です。核抑止力とは「人を見たら泥棒と思え」式の少数の社会に害を与える者を排除するために社会全体を危機に晒す明らかに誤ったやり方です。これが理解できない人はいないでしょう。わかっているのなら正しいことをしなければなりません。人の不幸の多くは、わかっちゃいるけど止められないことをやり続けることで引き起こされるのです。
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丹霞焼仏と南泉斬猫

2009-10-16 | 文学
先日、仏像を焼いて暖をとったお坊さんの話を書いた時、出典が思い出せず、そのお坊さんのことをどういうわけか古霊だと思って、そう書いたのですが、その後、偶然、本を読んでいて、誤りに気がつきました。仏像を焼いたのは古霊ではなく、丹霞天然で、羅漢に供養をしていたのは、その弟子の翠微無学でした。その丹霞が仏像を焼いた時の話が、「丹霞焼仏」という公案になっていることもそれで知りました。

丹霞は寒い日に木仏を焼いて暖を取ったが、それを他人から譏られたため、その人に「焼いて、木仏から舎利を取る」といった。
しかし、その相手は、「木仏から舎利が取れるはずもない」というので、丹霞は、「それならば私を責める理由は無かろう」と答えた。

この話は理解しやすいです。一休さんのとんち問答みたいですね。偶像崇拝に対する批判でしょう。 丹霞の弟子、翠微無学の羅漢供養の問答を再録。

「あなたの師匠は仏像を焼いたというのに、あなたはなぜ供養をするのか」
「焼いても焼き尽くされるものではない、供養したければいくらでも供養すればよい」(焼くも良し、拝むも良し)

偶像崇拝やその批判というレベルを越えた境地を見よ、ということでしょうか。

翠微が羅漢を供養しているのを見て、僧が問う、 「羅漢を供養すれば、羅漢は供養を受けに戻って来られますか」
翠微の答え、 「お前は毎日、何を喰っているのか」

供養は羅漢の問題ではなく、供養者その人の問題であるとの謂いでしょうか。

「丹霞焼仏」と漢字四文字にすると、何となく詩的ですけど、言っていることは、「丹霞が仏像を焼いた」という極めて散文的な叙述です。この「丹霞焼仏」という言葉の響きで思い出したのが、「南泉斬猫」です。南泉が猫を斬るということですけど、これはかなり有名な公案で、画のモチーフ(例えばコレ )としてもよく使われています。 この話は次のようなものです。

ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。 南泉は猫を提示して言った。 「僧たちよ、一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう」  
誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。  
 夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州 は履(くつ)を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。
南泉は言った。 「もしお前があの時おったならば、猫は死なずにすんだのに」

公案ですから、決まった答えがあるわけではなく、自分なりの答えを考え抜いて見つけるしかないのですけど、私は、未だに、なぜ南泉が猫を斬らねばならなかったのか、よくわかりません。僧たちに落ち度があったのはわかります。猫の生死がかかった瞬間にあって、何一つ言えなかった僧たちは仏徒としてふがいないと思います。猫ではなく、苦しんでいる人だったらどうでしょう。その苦しむ人を救うことが僧の役割です。死んでからお経を上げるだけの葬式仏教では意味がありません。生死の刹那に、理性の判断を排した所から出てくる(生死を超えた )ものを引き出して見せよ、そういう問いだったのでしょう。思うに、その言葉の中身よりも、まず、何かを言い、行動することができなければダメだということなのではないかと思います。そうしていれば、少なくともおそらく南泉は猫を殺さない口実ができたはずだと想像するのです。仏徒たるものは危機に際してまずは体で正しく反応できるようでなければならない、だからこそ南泉は趙州の奇怪な行動を認めたのではないでしょうか。
 この公案には、もっと哲学的な解釈も多々あります。例えば、趙州が普段左右に分けて履く靴を揃えて頭の上に載せたという行為を、「生死というような二元的立場を超越する」と意味にとらえる説もあります。しかし、そもそも禅仏教はそんな哲学臭いことを嫌いますし、公案を何かの比喩として読むことは誤りを生む思いますから、私は泥臭い常識的な解釈が好きです。(もちろん正解はありません)  
 でも、いくら弟子を指導するためとは言え、本当に猫を殺すことが必要だったのか、私はわかりません。とくに、南泉は、死んだら牛に生まれ変わるといい、畜生道こそが道だ、と言っていた人ですから。
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ノーベルの意図

2009-10-12 | Weblog
オバマ大統領のノーベル平和賞、賛否両論のようです。私があらためて議論するようなことでもないのですけど、一言。
 前回、アメリカの大統領がノーベル平和賞になったのはジミーカーターですが、大統領をやめて20年も経ってからでした。クリントン政権の副大統領のアルゴアがノーベル平和賞を貰ったのは、政治家としてよりは環境問題活動家としての評価によるものでした。ルーズベルト(テディ)とウィルソンは随分前に大統領現役中に貰っていますが、各々、日露戦争終結、国際連盟設立という業績がありました。オバマにはまだ業績らしい業績はありません。全くの無名であったオバマが大統領になって一年も経っておらず、アフガニスタンの戦闘も継続中のアメリカ大統領が、なぜ平和賞を貰うのか、おかしい、早過ぎる、という意見は尤もです。
 他の賞ではその業績が評価されて初めて賞になるわけで、業績の評価にはしばしば何十年もかかりますから、なおさら、この平和賞が大統領一年生のオバマに与えられるということに疑問を感じる人が多いのはやむを得ないでしょう。
 しかし、私はこのノーベル賞財団の英断を讃えたいと思います。確かにオバマはまだ何の業績らしい業績もありません。アメリカを建て直せるか、ブッシュが始めて泥沼となったイラク戦争、タリバン、アルカイダとの闘いを収束できるかも分かりません。彼の大統領としての真価が問われるのはこれからです。 世界は、イラン、北朝鮮の核増殖問題、イスラムのテロ、アフリカの貧困、飢餓、第三世界での人口爆発と先進国での老齢化、環境破壊問題、などなど、長期的にインテンシブな注意を要する困難な問題が山積みです。そんな中でアメリカのリーダーシップは極めて重要な鍵を握ることになります。もしブッシュにもう一期の任期があったとしたら、世界は取り返しのつかないことになっていたかもしれません。多くの世界の人はそう思っていると思います。そこへ、若い黒人系のオバマが絶大な人気を持って現れました。アメリカを建て直し、世界を良い方向に導いてくれるだろう、という人々の期待はいやがおうでも盛り上がります。オイル利権でガチガチの国益主義者のブッシュではなく、コミュニティーオーガナイザーで、演説好きの、そして多分理想主義のオバマに対する人々の期待は等身大のオバマの何百倍にも膨れ上がっているでしょう。問題が山積みの今日の世界で、現在もし救世主がいるとしたら、オバマが最も近いでしょう。「Yes, we can!」と言って、人々に植付けたある種の信仰心を裏切って、そのオバマがこれまでのようにアメリカの国益だけのために世界と取引するようなことがあってはならない、と世界の有識者は考えているはずです。アメリカ国益主義に釘を刺し、世界平和実現への継続的努力を要求するというプレッシャーを与えるという意味で、このタイミングでのノーベル平和賞は有効なのではないか、と思います。女性4名、男性1名からなる平和賞選考委員の意図もその辺りだろうと想像します。
 ノーベル賞は生きている人にしか与えられません。約1億円の賞金は、本来はその賞金を使って世界に役立つ仕事をして欲しい、という意味もあるのでしょう。ですから、賞は受賞者の更なる研鑽と努力を促すものであって、宝くじでの一等賞とは意味合いが違うと思うのです。
 これから、オバマはアメリカ大統領である一方、ノーベル平和賞受賞者でもあるという肩書きで仕事をしないといけなくなります。力によるアメリカ覇権主義的行動へのブレーキがかかるであろうと世界は期待しているでしょう。世界の平和のためにアメリカが率先して核軍縮を実践することを世界は望んでいることでしょう。そして、オバマがこれから取るであろう政策の一つ一つが世界平和達成という点から評価されることになるでしょう。オバマもそう感じるはずで、これは思いの外、効果的なのではないかと想像します。
 当然のようにアメリカ国益第一主義で、世界のことよりも自分の住む社会が昔のように住み心地が良いことが最も大切と考える保守派アメリカ人は、このノーベル賞に反発し、オバマが世界の(あるいは、この権威ある財団のあるヨーロッパ諸国の)利益を優先して、アメリカの国益を損なうのではないか、といつもの調子で非難しています。また、オバマ以上に世界平和に貢献してきた人はもっと沢山います。賞が何らかの実績に対して贈られるとするなら、これは不公平だという思う人がいるのも当然です。
 しかし、ノーベル自身の意図を考えてみれば、このオバマに対する平和賞は極めて納得できるものではないかと思うのです。ノーベルは自分が発見したダイナマイトによって人々が死んだり殺されたりするのを悲しんで、科学技術の「平和利用」と人類の幸福を望んで、彼の遺産の利用を指示しました。ノーベル賞の究極の意図は世界の平和の達成、ヒューマニズムの推進です。それなら、現在のこの不安に満ちた世界を平和に導くのに最も有効な力をもっているのは誰か、ノーベルの意志を達成する最も大きな可能性を持っているのは誰か、それを考えれば、現職アメリカ大統領という結論になるのは当然でしょう。公平とか不公平とか、政治的マニピュレーションだとか、アメリカの国益がどうとか、そういう下位レベルの思考をしていてはいけません。この場は、素直にノーベル賞受賞を喜んであげるのが「大人」というものであり、正しい地球市民の態度であると思います。
 ノーベル賞がこのようにプロアクティブに使われたことはかつてなかったのではないでしょうか。それだけ、ノーベル賞財団の人々も世界平和に危機感を持っており、その達成には、オバマに是非とも中心的役割を演じてもらいたい、そう考えたのであろうと思います。ですので、これは賞というよりは奨学金のようなものですね。「オバマ君、期待をしているから、頑張ってくれたまえ、くれぐれもがっかりさせないでくれよ」そういうことですね。オバマ自身もそう解釈していました。
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自己責任

2009-10-09 | Weblog
亀井金融相の「自殺や家庭内殺人は経団連に責任がある」発言、一理ありますけど、ちょっと時代錯誤ではないかと私は思います。柳田先生のブログから以下引用。

 亀井大臣言ってくれましたね。家庭内殺人事件がおおくなったのは、勤労者を人間と思わない、大企業経営者に責任があるとか。これ、おもしろい発言というか、亀井節炸裂というか、いいですねえ、亀井人間丸出しです。でもまあ首相がちょっと言い過ぎじゃないとか、いさめたのもいいくらいでしょう。
   わたくしもこれに参加させてもらいます。 亀井さん、もと警察一家の御仁です。これを頭に入れないと、彼の発言の意味がわかりません。 大企業経営者は、日本の一番えらい親分衆じゃないか、あんたらが日本を支配してるんじゃないか。あんたらの人情が薄くなったので、下々まで薄くなって、家庭もギスギスして、殺人も起きやすい、こんなふうに聞こえます。 50年から60年くらい前、亀井青年か少年時代には真っ当な議論でした。 でも今の大企業の経営者なんて経団連の親分でもなんかポカンと口を開けて、自分がえらいなんて、権力持ってるなんてぜんぜん思ってないように見えます。自分の力が分からないので、平気で何人でもクビを切っているのでしょう。この経団連の親分衆ももう4代も5代も前から、大親分なんていう雰囲気を漂わすのはいなくなったのではないでしょうか。稲森さんのような強烈なカリスマ性のあるおかたは経団連になんて行かないでしょう。 そういうわけで、亀井節はようするに大企業の経営者を励ますというのか、もっと偉そうに振る舞えば、逆に首切りも出来なくなる。こんなふうに聞こえます。あんた等、しっかりしろといってるのでしょう。 家庭でのお父さんもそのミニチュアで、どかっと座って黙っていればすこしは威厳があるのに、あしたクビになるかもしれなくて心配は、そんな態度もとれないのでしょう。 亀井大臣なかなか素晴らしいのですが、世間の共感は一部どまりでしょう。大企業経営者を偉い人なんて思う日本人はほとんどいないのですから。

私も柳田先生の解説に大意で賛成します。しかし、亀井さんの発言を私は肯定しません。この亀井さんの発言は現在というコンテクストでは共感を得れないだろうというのもその通りと思います。社員のクビを切りたくて切る企業はないでしょう。多くはやむを得ず切っているに違いないと思うのです。
 私が中学生の頃は、資本家は持たざる一般労働者を搾取するものと決まっていました。小作人が地主に虐げられるようなもので、労働者が労働条件の改善を目指して資本家と戦うことは正しいことでした。(有島武郎のカインの末裔とか小林多喜二の蟹工船とかの昔のプロレタリア文学を読むと、確かに悪者の資本家が労働者の搾取するという図式が鮮明です。しかし、これも貧しかった時代の背景を考慮に入れると、結構一方的ではないかと思いますけど)これは、封建時代の貴族や武士のクラスとそれに対する生産者という昔からあった階級闘争のようなものでもあったのかも知れません。しかし、日本の企業は基本的に江戸時代の商家の大旦那、番頭、丁稚というような構造をそのまま引き継いでいました。そして、高度成長期の日本の大企業では、終身雇用制で社長が親なら社員は家族みたいな比較的安定した組織があって、その安定を前提として雇用条件の改善などの交渉がされていたと思います。それがだんだんと、社員と会社の関係は、アメリカ式の個人主義的契約関係になりました。そうなると、会社と社員は対等の関係です。会社の経営者やオーナーは利益を出して会社を運営していくということが第一の目標で、かつては家族であった社員を養うことは二次的になるでしょう。「会社は株主のものだ」というようなことを平気で言うようになります。そうなると、一方、もはや家族でなくなった社員は労働を売って金銭に替えることが第一の目的となり、会社の使命などを考えるのは二の次になります。会社の利益はサービスなり商品を売って初めて得られますから、いくら頑張っても売れなければ収入はゼロです。一方、社員は働くだけでお金が貰えるという仕事なわけで、企業経営者とその社員というのは、会社と社員の関係が対等であるならば、金というものに対する考え方の大きな違いがはっきり表にでてきて対立関係となってくるのはやむを得ないと思います。となると、会社はその目的に役に立たない社員は(もはや家族というわけでもないのだから)辞めてもらいましょうとことになるし、社員は社員で、十分給料払ってくれないなら労働はしない、という風になって不思議ではありません。
 こういう風潮の中で、「社員の不幸は会社のせいだ」というような発言に共感できる人は多くないと思います。結局、その会社に入社して働くと決めたのは社員自身なわけですし、その選んだ会社がパッとしないなら、選んだ自分が悪かったと反省するのが筋です。逆のことも言えるわけで、社員が仕事ができなくて会社が損し続けているなら、そんな社員を入社させた会社の責任なわけです。しかし、「日本の経済が悪いのは社員が悪い」とは会社は言わないでしょう。
 日本の教育は良いサラリーマンをつくる教育でした。小さいうちから受験勉強に励んで、与えられた課題をいかに効率よくこなすかというトレーニングを受け、それに秀でた者が、よい大学に入って、一部上場企業に就職し、会社の言う通りに働いて、定年まで務めて、退職金と企業年金をもらって引退する、そういうモデルがバブル崩壊まえぐらいまでは成り立っていました。一方、企業経営者を育てるような教育は一切、学校ではなされません。企業経営は実力勝負のハイリスク生き残りゲームですから、多くの場合、働いただけでお金がもらえるというような性質ものではありません。そして、人間は大抵、安定を望むものですから、リスクの少ないサラリーマンが人気を得ることになりますし、そのための教育が日本で主流であったことは理解できます。ですから、亀井大臣が若かった頃には、国民の多くがサラリーマンのものの考え方により強い共感を持ったのであろう思います。そういう世代ではサラリーマンの不幸は雇用者の責任というロジックは容易に支持を得られたのだろうと思います。なぜなら、サラリーマンにしてみれば、リスクの低さゆえに、会社の不自由な階層の中で、(経営陣よりも)安い給料で、会社のために働いて耐えているのだから、その安定を保証するのは会社の責任であると考えるであろうからです。であるのに、近年は経済の低迷によって、大企業のサラリーマンでさえ、失職したり、減給になったり、契約制になったり、というリスクが随分増えて来たというわけです。学校では安定と引き換えに不自由なサラリーマンになるための教育を受けて来たのに、実際、社会にでてみれば、サラリーマンも大して安定でない、そうなってみれば、人々は騙されたような気にもなるでしょう。しかし、経済成長の停滞で従来の日本式経営ができなくなってきたのであれば、それは仕方がありません。経団連が悪いというのも一理あるのは間違いないですが、誰が悪い、と責めた所で問題が解決するはずもありませんし。先生の言う事を聞きなさい、年長者のいうことを聞きなさい、社長や部長の言う事を聞きなさい、(そのかわり、何か悪いことがおこったら彼らのせいにすればよい)そういう教育で育ってきた日本人ですから、情勢が悪くなったら、「これからは自己責任ですからね」と言われも困るという気持ちはよく分かります。しかし、人間は基本的に皆一人で生きていて、自分の人生は自分でしか生きることができないということを考えると、当然「全て自己責任」であるのが当たり前なのです。また、これを受入れられない限り、自分の人生の不運や不幸を常に誰かのせいにして、正面から向き合うことを避け続け、不運から学ぶべず、ますます不幸になるということになります。そういう意味で、「経団連が悪い」という亀井さんの発言は、現代の社会情勢にそぐわないし、日本の将来への前向きな発展にむしろマイナスなのではないか、と私は感じるのです。
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ビルマ、オリンピック、ジャズ

2009-10-06 | Weblog
ビルマの民主化運動リーダーのスーチーさんが、軍事政権によって理不尽に14年という長期の軟禁状態におかれています。その軟禁期間が切れる直前となって、自宅に池を泳いで来たアメリカ人を助けたという理由今年の5月に起訴されました。つまり軟禁期間中に許可無く外国人と接触したことが罪であるというのです。明らかなヤラせ裁判の結果、更に軟禁期間の延長という判決が数ヶ月前下されました。これに対して、スーチーさんは控訴しましたが、この度の控訴審で、予想通り、裁判所は控訴を棄却しました。当事者のスーチーさんの出廷も認められなかったという話です。最初から裁判所と政府はグルなのだから当然ですけど、あらためて、ビルマの軍事政権に対する怒りを感じさせるニュースです。スーチーさんは、ビルマ民主化運動での自分の役割を十分に自覚しているのでしょう。あえて、ビルマに留まって、法治国家としてのルールの中で、軍事政権という独裁制と戦っているのだと思います。
 毒杯と知りながら、それを口にして死んだソクラテスは「悪法も法なり」と言って、法治国家における遵法の大切さを身を以て示しました。スーチーさんも裁判に勝ち目が無いことは百も承知の上でしょうが、なおも法に従った手続きを取り続けることで、「民主主義国家は人々が決めた法に基づいて営まれなければならない」というメッセージをビルマと世界の人々に送る一方、法の上に立とうとする軍事政権を批判しているのだろうと思います。
 国連人権理事会はスーチーさんの即時無条件解放要求決議を全会一致で決議。また3日に行われた日本とメコン川流域5カ国との外相会議での議長声明にスーチーさんの解放要求が含まれました。ビルマ政府はスーチーさんを「政治犯」と呼んでいるようですが、無理が通れば道理が引っ込む、武力クーデターでできた政権のくせに、何を言うのでしょうか、盗人猛々しいとはこのことかと、鼻白んでしまいます。その後の岡田外相とビルマの外相の会談で、岡田外相はスーチーさんの解放を要求したとのこと。世界唯一の被爆国の日本は、ヒューマニズムを推進するメッセージを述べることが期待されています。しかし、それは即ち、軍事クーデター独裁政権で民衆を力によってコントロールしようとするビルマ政府への批判になります。外相として国際関係を悪化させるようなことは避けたいでしょうが、かといって、日和ってビルマ政府のいうことに迎合したり、笑って誤摩化したりしては、ビルマ以外の国からの軽蔑を受けることになるでしょう。岡田外相は、スーチーさんの解放要求を出しました。正しい態度であると思います。なぜなら、正直は最高の政策だからです。
 スーチーさんに比べて、ポランスキーはイカンですね。社会的視野から自分の行動を見るということができないのでしょうか。ポランスキーの減刑を支持している国や人々は、ポランスキーが重篤な罪を犯し、しかも裁判中に国外逃亡したという事実に対して、どうオトシマエをつければよいと考えているのでしょう。昔のことで被害者もそっとしておいて欲しいという意向なのだから、サラリと水に流せばよい、とでも思っているのなら、それこそ、人類が始皇帝の時代から苦労して築き上げて来た法治に元づく近代民主主義に対する冒涜であると私は思います。

 東京オリンピック落選とのこと、よかったです。都民も大半が反対だったと聞きます。都民にとっての迷惑だというだけでなく、今の日本、そんなものをやっているような余裕はないでしょう。東京オリンピックは従来のハコモノ思想と同一延長線上にあります。そんなイベントや派手なプロジェクトに気を取られず、もっと大切な国民の日々の暮らしのこと、国民や都民にとって住みやすい国にするにはどうすればよいのか、という国の基本部分に注意を払わないとといけません。ハードではなくソフト、「もの」ではなく人です。日本はずっと人間を中心に社会を組立てるということを怠ってきました。常にハコを先に作って、人をハコに合わせて入れようとしてきました。新政権に望むことは、これを逆転させることです。人間中心の社会、トップダウンではなくボトムアップで政策が決まるシステムです。そう言う意味で、無駄な公共事業の中止、オリンピックの候補落選は喜ばしいです。イベントは本来、住民のコミュニティーレベルの合意の上で企画されるべきものであり、今回のオリンピックのように大半の都民の反対を無視し、数百億といわれる税金を使って、ごり押しで決めようとするのではいけません。この大半の都民の意向を無視して招致運動に150億円もの税金を使った勘違い都知事は、都議会選の自公惨敗、オリンピック招致失敗を受けても「辞めない」そうです。「辞めないのが責任」なのだそうです。どこかで聞いたセリフだなあ、と思ったら、失策の後、自民党の責任者が辞めたくない時に使っていた決まり文句のようです。(事情通の友人の話だと、こういうタイプの人は死ぬまで治らないのだそうです)

ノーベル賞医学生理学賞はテロメア維持機構の解明に与えられました。ラスカー賞を三年前に取っていることから不思議ではないですけど、細胞分裂とかの大変基礎的な生物機能の研究で、どちらかと言うと地味な研究分野なので、とってもおかしくはないけど、やっぱりとったかというような必然性はちょっと感じません。柳田先生のブログでは、毎年話題になる村上春樹さんのノーベル文学賞受賞の可能性について触れられてあります。私は村上春樹の小説を読んだことがありません。読もうとしたことは何度かありました。「風の歌を聞け」、「ノルウェーの森」、「ねじ巻き鳥クロニクル」など、本を手に取って、数ページ読んでみて、いつもそのまま書架に戻すのが常でした。そのそもノンフィクション以外のジャンルを私は余り好きでないのです。ところが、この週末、村上春樹の本を初めて一冊読みました。と言っても、これは「やがて悲しき外国語」というエッセイ集なので小説ではありません。二十年前ぐらいに村上春樹がアメリカのプリンストンとボストンに住んでいた頃(ちょうど今の私と同年台だったころ)のエッセイで、私は思いのほか、彼の人間性や正直さや考え方に好感を持ちました。昔、ジャズバーを経営していたいう音楽ファンらしく、エッセイには、当時、彗星のように現れたウィントンマルサリスの話とか、トミーフラナガンやパットメセニーの演奏をボストンで聞いた話とかが出てきます。昔の私と同様、50年―60年のイーストコーストのジャズが好きであったらしいこともわかり、妙に親近感を持ってしまいました。その頃出版されたマイルスデイビスの自伝の話も出てきます。私、その訳書が出た時、この手の本にしては高かったのですけど(上下巻で4千円ぐらいだったような覚えがあります)、迷わず買いました。翻訳の文体が余りに「Cheesy」で辟易としたのですけど、エッセイ集では、村上春樹はこの本を訳書が出る前に原書で読んで「黒人口語英語で書かれているので翻訳では原書のニュアンスを感じとるのは難しいだろう」というようなことが書いてあって、なるほど、そういう理由だったのかと納得しました。ウィントンマルサリスのデビューは私が高校生ぐらいのころだったと思うのですけど、よく覚えています。彼が、循環吹法とかいうテクニックを使って、「熊蜂の飛行」を息継ぎ無しで演奏しているのをみて、ビックリしました。鼻で呼吸を行いながら、口の中に溜めた空気でトランペットを吹くという技のようです。鼻で息を吸いつつ口からは空気を出すのですけど、私も練習してみましたが絶対できませんでした。その後、何度も彼の演奏を聞くことはあったのですけど、確かに技術的にうまい、でもディジーやマイルスデイビスのように心に響かない、そういう印象を持っていました。20年前の村上春樹も同様に感じていたようです。ボストンでのパットメセニーのライブについては、「良いのだけれど、門限10時のお嬢さんとデートしているようだった」との印象を書き残していて、私はこの感覚、とっても良くわかります。大学の終わりのころに私がジャズを聞かなくなってしまったのも、これが理由です。当時のコンテンポラリージャズに私は興味が持てませんでした。「ジャズは死んだ」とマイルスも含めて、多くの人がそう言いました。私にとってのジャズは、「至上の愛」のころのジョンコルトレーンであり、セロニアスモンクであり、マイルス五重奏団でした。その後の世代のジャズは私の心に響きません。ジャズは70年代に入るまでには死んでしまい、沢山あったジャズ喫茶やジャズバーも私が大学生の頃には、既に数えるほどしかなかったのに、なお、一軒一軒と毎年店を閉めていきました。そういう空間が無くなるのは寂しかったですが、別に無くてもよい、と当時の私は思いました。
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うまく衰える

2009-10-02 | Weblog
私が本当の子供の頃、円は固定相場制で1ドル360円でした。物価を比べると、1ドルで買える同じようなものが日本では100円ぐらいでしたから、円は3倍以上、過小評価されていたわけです。その後、変動相場制になり、以後、日本の製造業を中心とする産業が振興し、盛んに輸出して外貨を稼ぐようになって、日本の社会はアメリカの後をひたすら追いかけながら右肩上がりに豊かになっていきました。80年代のバブルの時代には1ドル80円台になり、Japan As Number 1 とかいう本がベストセラーになり、日本中が浮かれていました。その反動がバブル後の長い低迷でした。その間に日本の生産人口は減少し、老齢人口は増加し、中国や韓国の台頭で製造業が頭打ちとなりました。一方、国はバブル時代の楽しい夢が忘れられず、税金を浪費しては債券で穴埋めするということを繰り返し、小泉政権以来、国の借金を倍増させ、日本を世界一の借金国にしました。グローバル経済、市場原理主義の名の下に、国民の富を株式市場に注入させ、アメリカの投資銀行に儲けさせ、民営化の名の下に、国有財産を安値で売り払って現金に替えて浪費しようとしてきました。そして、昨年末、アメリカでは、不動産ローンを中心とする不良債権で銀行の資金が回らなくなり、一瞬にして世界的な経済危機が引き起こされ、日本もそのあおりを受けました。
 数十年にわたって、日本の経済と社会が迎えつつあった問題に対する抜本的対策を蔑ろにして、サラ金の借金をサラ金で返すような目先のツギ当てのような政策を続けてきた結果、大企業優遇によって末端を潤す従来の自民党のやり方が破綻しました。つまり、日本の高度経済成長期の方程式が使い物にならなくなり、日本の経済と社会の維持はゼロから考え直さなければならなくなりました。二十年前からぼんやりと見えていたこのことが、否定しようのない現実として、今、突きつけられているということなのだと思います。
 中小零細企業の状況はまだまだ悪化の一途のようです。いわゆる大企業の下請けで喰って来た周辺企業は、より強いしわ寄せを受け、歳入5割減というというところも珍しくないそうです。それに比べたら、研究費一割削減ぐらいで文句は言えません。同じ零細企業(研究室)とは言っても、政府の資金で、一旦グラントが貰えれば数年の保証がある研究者(でなければ研究などできませんが)は、毎月の厳しい生き残り勝負の世界に生きる一般の零細企業オーナーよりは、恵まれているかもしれません。(もちろん、グラント貰うのは簡単ではありませんし、貰えなかったら収入ゼロですけど)
 日本の小泉政権以来の経済政策を「焼き畑農業」と形容する人がいます。仕事を金を得るだけの手段であるという立場からしか見ない拝金主義の結果、金にならなくなったら、そこを見捨てて次に移動する、その結果、様々な地味な分野の荒廃を来たし、そこに住む人の住処を奪って来たということなのでしょう。狩猟や焼き畑農業ではなく、土地を耕して計画的に農業を営むことができるようになって始めて、人類は定住し、豊かな文化を育む余裕が生まれました。国民が人間らしい生活を送るために、零細企業でもある程度安定した仕事があるように社会を回す計画的な経済政策、そして、企業間の協力と(できれば友愛に基づいた)信用関係が長期的に維持できるようなアソビというか余裕がある社会になるように国が制度を整える必要があるでしょう。これまでは、逆でした。自由競争、規制緩和が、経済効率を最適化する、経済効率最適化は正しいことだ、と一見、もっともな理屈で、金でははかれない社会の安定とか、企業間の信頼関係とか、数字にはならないが高度な社会活動に不可欠な要素を切り捨ててきました。結果、日本の社会は荒廃しました。
 遠目に見ると、現在は第二次世界大戦後に似ていて、そのプロスペクトについては、敗戦後よりも悪いと私には思えます。敗戦後はアメリカのマネをするという方法があったため、何をすればよいのかははっきりしていました。そうして、あっと言う間に復興し、高度成長し、多くの点で一見、日本はアメリカと同等かそれ以上のものを達成しました。しかし、バブルの崩壊がおこり、その後、日本はアメリカのマネをやっていたのではどうにもならない時点に達しました。経済危機を迎え、苦境に陥って、アメリカはアメリカである故に手段があり、日本はアメリカではない故にハンデを負わねばならないことを実感せざるを得なくなりました。アメリカの後を追うというストラテジーが機能しなくなり、焼き畑農業で、安定した企業関係が分断されて、中小零細企業が倒産に追い込まれていく現在、今後、日本の社会はどう生き延びれば良いのでしょうか。自民党は、時代や状況が変わってもアメリカのマネをし続けるという政策で破綻しました。それなら、これからの社会はどのような方向を目指せばよいのでしょうか。イギリスやヨーロッパ諸国がこれからはお手本になるかも知れません。
 現在、社会のリーダー層にいる人々は、日本が右肩上がりに成長してきた姿しか記憶にないでしょう。その若く伸びていくばかりであった日本は、更年期を迎え、ミッドライフクライシスに当たり、そして老年期に入ろうとしています。社会が縮小していくときに、ダメージ少なく低迷期に軟着陸していくコツを知っている人はそう多くないでしょうが、社会は発展させなければならないという呪縛からは少なくとも自由になる必要があると思います。盛者必衰、驕れるものは久しからず、ですが、斜陽落魄にあたって、玉砕するのではなく、どのようにうまく衰えていくか、そんなことを考える必要があると思います。相対的な若年人口は当面、どんどん減っていくはずです。私は日本の人口が減る事自体は長期的に悪いことではないと思いますが、その過渡期の若年人口と老齢人口のアンバランスは、問題を生むのは間違いないです。問題の解決は子供の人口を増やすことではなく、若年人口に頼らずに老齢人口をサポートしていく方法を考えることであろうと思います(といっても、「友愛」以外に考えつきませんけど)。しかし、社会と経済規模の縮小を前提に解決を考えようとする立場の人を余り見たことがありません。国は少子化担当大臣みたいなものまで創って、子供を増やし、経済を振興させようとしているようです。少子化はむしろ原因ではなく結果です。子供を持てない社会にしてしまったのです。バブルの時のような派手な生活は忘れて、何百年前みたいに地道に畑を耕して、小さく暮らす、それが解決策であろうと思います。まず低姿勢で耐えて、それから社会をコミュニティーのレベルから徐々に安定化していく必要があります。若い人には気の毒ですけど、他にどうすればよいのか思いつきません。
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