百醜千拙草

何とかやっています

報道の将来

2019-01-29 | Weblog
新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた 新聞は不要、でいいんですか?

という記事で現代ビジネスは、新聞業界の危機を伝えています。ピーク時に比べて25%減ったとのこと。
私ももっぱらニュースはネットです。同様にTVも見なくなりました。ウチのTVのスイッチが入ることは月に一回あれば多い方です。ネットに比べてTVのニュース番組は速報性もないし、欲しい情報を簡単に選ぶわけにもいきません。
かつてはTVや新聞が主なニュースのソースでしたが、今は欲しい情報を得るにはネットの方がはるかに効率的です。

また読売や産経、NHKのようなプロパガンダ媒体の偏向報道の酷さが、さらに新聞、TV離れに輪をかけていると思います。この新聞離れの傾向はネットでニュースの配信が禁止されるようなことがない限り、さらに続くでしょう。
しかし、ネットに流れるニュースもさらにそのソースがあるわけで、誰かが時間と手間をかけて取材しているものです。それには人件費や取材費といったものを負担するスポンサーが必要です。誰もがネットで簡単に無料もしくは安価でニュースにアクセスできるのも、誰かがカネを出してそうした取材のコストを負担しているからです。

メディアも企業であり、健全な経営があって初めて成り立つわけですが、そのメディアのスポンサーは誰かと考えれば、講読料を払う購読者に加え、広告を出してくれる企業ということになるでしょう。とすると、メディアはスポンサーの意向にはなかなか逆らえないわけで、スポンサー企業、経団連、政府広報を出してくれる政府、などの意向に沿わない記事は筆も鈍ります。

これは商業科学雑誌、NatureやCellみたいな雑誌にも言えるでしょう。広告を取るためにこの手の雑誌も「押し紙」のようなことをやっています。販売店に押し付けるのではないですが、部数の数に沿って広告料も上がっていくわけですから、雑誌社としては発行部数を増やす努力をしています。多分そういう理由で、私もCellやNature Methodのプリント版を無料購読できています。Natureは講読料を払っていますけど、正規料金は払ったことがありません。

スポンサーの意に沿わない報道は抑制されます。例えば、アベをかばって国会でウソを重ね、公文書偽造までした佐川君、検察審査会で「不起訴相当」との決定がこっそりされていました。これは重大なニュースだと思いますが、これを報道したのは朝日と中日/東京新聞のみのようです。このまま森友問題はそっと幕を引きたいアベ政権の意向を汲んだその他大手新聞はスルー。政府から広告をもらっている大手メディアはこの事件を報道できないのだと思います。一方、この議決は極めて重い。つまり、この国では、政権の都合に合わせて公文書を偽造し、国会でウソを並べ立て、結果、公文書改竄をやらされた公務員の人を自殺に追い込んでも、誰も責任を取らなくて良いのです。アベ友はやりたい放題で、犯罪を犯しても逮捕直前でもみ消してもらえ、贈収賄の証拠を並べ立ても検察は告発を無視、一方、アベに逆らう人は、デタラメの罪状で逮捕され、人々の記憶が薄れるまで、半年も意味なく拘留された上で延々と裁判を引き延ばされる、そんな民主主義後進国であると宣言したようなものです。

森友文書改ざん「非常に悪質」 佐川氏不起訴「相当」議決
議決書では、「非常に悪質」と述べながら、不起訴。とんだ茶番もいいところです。非常に悪質でも起訴さえされないのだから、アベはやりたい放題でしょう。あれだけ悪事の証拠を積み上げられても、アベ政権の誰もなんの責任も取らずにヘラヘラしていられるのですから。良心というもの持たない爬虫類は恐ろしい。

話がずれました。それで、新聞の未来についてに戻りますが、このままでは、経営危機になって、取材費も人件費も出せなくなっていって消滅するということになり、誰も政府の腐敗を取材して報道せず、様々な隠れた情報が表に出なくなってしまうようになれば、結局、困るのは一般の人々となります。ですので、健全な報道システムは社会にとって不可欠であると思います。しかし、現在のように、メディアが権力を監視するのではなく、権力のプロパガンダに使われているようでは、本末転倒です。

アメリカやイギリスの議会では二大政党がお互いに国民の支持をより得られる政策を出し合って、牽制しあうことで民主主義政治を行っているということになっています。しかし、牽制し合うフリをして実は裏で握っていれば、独裁国家と同じです。日本は三権分立と言いますが、有名無実。三権連立となって、権力側が協力して国民搾取に邁進しています。

これらのことを考えると、三権、それから第四の権力であるメディア、は厳密にその行き来を法的に制限して、彼らの間で協力が起こらないようなシステムを作る必要があると私は思います。メディアの取材活動の公平中立を確立するには、彼らの取材費、人件費を、スポンサー企業や政府ではなく、その情報の受け手である国民が平等に負担するのが良いと私は思います。しかし、厳密にメディアも含む権力間での交流を制限しないといけません。

悪貨が良貨を駆逐するのは、現在の人類のレベルでは、常に真です。社会システムの腐敗を防ぐという点で、権力者の良心を信用するわけにはいきませんから、悪貨が混じらないように常に厳しいチェック体制を維持する必要があり、そのためには厳密な三権及びメディアの分離、その活動資金を国民全体で負担するという形にしていくのが良いのだろうと思います。ま、それには権力側が法体制を改めないといけないので、今の政府ではムリですが。多分、外圧なしには、日本の政治は変わらないのでしょうね。

何れにしても、このままでは、メディアはジリ貧だし、経営のために毒まんじゅうを食べ続けるようなことをすれば死期をますます早めるだけだと思います。しかし、公平な取材活動による情報の伝播というのものなしには、民主主義国家はなりたちません。問題は活動資金。スポンサー企業に頼らない独立した取材活動を行う報道家の方もおられますが、どうしても調達資金の制約が活動の制限となっています。

将来的には、立派な社屋や社員を抱えた大手新聞社はなくなり、こうした小規模の取材活動をつないで包括的なニュースを配信するヴァーチャル新聞社になり、紙媒体はなくなっていくのではないかな、と思います。
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暗夜の一燈

2019-01-25 | Weblog
リバイスに一年以上かかった論文がようやくアクセプトになりました。嬉しいというよりやれやれという気持ちです。扱っている題材が題材なので、私の分野には大きなインパクトはない仕事ですけど、広く分子生物学という観点からは、それなりの意義はあるかなと思っています。私にとっては、今後大きな発展の見込めないネタではあるのですが、この論文のco-first authorの二人の就職とグラントの獲得には役立ちそうで、それが何よりです。

先週末、グラントの予備応募のフィードバックが返ってきました。ここ数年の間に明らかになったのは、これまでの私の研究スタイルを続けていたのでは早晩、行き詰まるだろうということことです。この1−2年の間に、分野の意向やニーズに沿った方向で、研究スタイルを変え、さらにそれを先取りするような研究プロジェクトを提案していかないと、間違いなく廃業です。

ま、それで一つ思いついてボツボツと始めたプロジェクトがあったわけですが、これは、私がこれまでやってきたようなマウス遺伝学を使った生物学的研究ではなく、細胞工学系の応用研究で、ゴールの設定も進め方も随分違います。私の希望としては工学的、翻訳的研究で通じて、何らかの生物学的発見ができればいいなと都合よく思っているわけですが、その見通しで進めていってもいいものなのか、となかなか自信が持てませんでした。

私にとっては新しい分野だったので、このまま進んで良いのかどうかを見極めたいといういう思いで、これまで色々な人に話を聞き、アイデアを話してきました。今回のグラントの予備応募にしても、グラントの見通しもそうですが、グラントレビューアからもっと忌憚のない意見を聞きたいという気持ちもありました。

予備応募に対する3人のレビューアのコメントは好意的でした。安心の反面、ちょっとがっかりもしました。ここで私に本当に必要なのは、鋭い現実的な批判で、それを期待していたのですが。結局、自分のことは、自分で考え、自分で決断し、結果は自分で責任を取るしかない、という当たり前の結論に達しました。

しかし、この一年弱、いろいろな分野の先達の人の話を聞き、その研究の内容を見ていると、おそらく、どんなに偉い研究者でも、真摯に研究に向き合っている人は、自分のやっていることに十分な確信を抱いているわけではない、ということがわかったような気がします。先端を走る人々は、誘導してくれるペースメーカーはいないのだから当たり前です。誰もが五里霧中の中をわずかなサインを頼りに試行錯誤しながら歩いていて、そうしているうちに手がかり、足がかりを見つけて、自分の歩もうとする方向性にとりあえずの確信を持つに至るにすぎないと思います。

一方で大多数の人が(生活のために)要領よく面白い話を作ってインパクトファクターの高い雑誌に論文を出したいと願っているようです。その目的のためには、手探りでやらねばならないような、先の見えないような先端の研究はリスクが高すぎます。生活は大切だし、どんな形であれ論文にするというのは、何もアウトプットを出さないよりははるかに重要な貢献をすることになると私は思いますから、論文を書くためのストラテジーを持つことは必須です。しかし、論文をハイインパクトジャーナルに出すことだけがゴールになってしまうと、研究は腐ってしまうと思います。バランスが難しいですね。

さて、このグラントに出したプロジェクトは非常にriskyで、成功の確率は読めません。そもそもそういう研究をサポートするグラントに応募しようとしています。希望としては目指すものの10%をなんとかして達成し、それを叩き台に「カイゼン」を繰り返して、100%に近づけていければ、と望んでおります。多分10%が達成できれば、継続するに必要な資金を得る可能性も高まるでしょう。その10%の達成の可能性が如何ほどなのかを、私としては、できれば早い目に見極めたいと望んでいるのですが。

この新しいプロジェクトを始めようとする過程でとりあえず感じたことは、濃い霧の中で右か左かと迷いながら手探りで歩いているのは、たぶん正しい歩き方であり、他の方法はないだろうということです。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして学んでいければよいと思っています。そして、ダメならダメでその結果を受け入れれば良い、という結論に至った次第です。

「一燈を提げて、暗夜を行く  暗夜を憂うること勿れ  只だ一燈を頼め」 (言志四録)

の心境と言えば、カッコよすぎますか。
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オーストラリアン オープン

2019-01-22 | Weblog

五年前のアベとプーチンの記者会見の映像がネットで話題になっていたました。この時のすでにプーチンに茶番を記者会見で指摘され、「処置なし」の巨大な溜め息を吐かれたアベ。プーチンにしてみれば、アベと話すことは時間の無駄と思ったのでしょう。それから五年、何が悪いのか全く理解できないくせに、北方領土問題で名をあげたいアベと外務省はしつこくロシアに絡み続け、それが、プーチンとロシアをイラつかせ、「北方領土と呼ぶな、南クリル区だ」、「日本は唯一第二次世界大戦後の条約を理解していない国だ」と態度を硬化させてしまいました。先日は日本国内向けにアベがついたウソに抗議、また、記者会見でそのウソがばれるのが嫌で外相会談後の記者会見をしないように河野太郎がロシア側に求めたことも暴露されました。

ニュースによると、この売国奴はこれまでの日本政府の主張を全部反故にして、正式に北方領土、全土の主権がロシアの帰属することを決定し、代わりにその5%に過ぎない二島の引き渡す可能性を残す(しかし主権はあくまでロシア)、という無条件降伏で決着させようとしているようです(安倍政権、2島決着案を検討ー北方4島返還「非現実的」)。このニュースでは、言葉を選んで「引き渡し」と「返還」を使い分けていますが、もはや「返還」は二島であってもありえないのです。全島の主権はあくまでロシア。それを確定した上で二島なら引き渡す(可能性)について合意しようとしているわけで、外交的には「完敗」、アベはそれでも日露平和条約が成立すればOKなのでしょう。株価を維持するためだけに、日銀のカネで株を買い支えさせるようなことをするような連中ですから、己の体裁のためには、戦後の日本政府の努力をすべて水に泡にし、ロシアには徹底的にバカにされた挙句、国土を売り渡すことなど「へ」とも思っていないのでしょうな。

「原稿のアベ」https://twitter.com/toubennbenn/status/1086400933334941696
五年前の記者会見で、原稿を読みながら質問する記者と、それに原稿を読みながら回答するアベを見て、プーチン、自分の意見を言う前に「今、記者の人が原稿を読みながら質問したことに気がつきましたが、質問を書いた人に伝えてください」と、アベの自作自演を皮肉っています。

さて、気分の悪い話はここまでにして、オーストラリアン オープンテニスもいよいよ後半。先のUSオープンの大坂選手の優勝以来、またちょくちょくテニスを見るようになりました。大坂選手、素晴らしい。グランドストロークのパワーと読みのよさ、カウンターのキレ、昔のマルティナ ヒンギスをよりパワーアップしたような感じです。やや早いタイミングで放つパワーショットの破壊力は抜群です。女子テニス界でもトップではないでしょうか。弱点と思うのはややスロースターターなのと、あとはセカンドのスピンサーブかな、と思います。
スピンをかける必要のあるセカンドでは、腕の下から上への振りでスピンをかけつつ体の前への移動を使ってラケットの後ろから前への動きを補いますが、大坂選手の場合は、ファーストとあまり変わらないフォームで体が開き伸びきったぐらいの位置で打っているようで、そのために後ろから前への運動が弱いように思えます。

サーブといえば、私がテニスを見始めてから今まで、メカニカルに最も美しいサーブを打つのは男子ではサンプラスだと思います。体、肩、肘、手首のすべてを連動させて、パワーとスピンを両立させています。女子では、(異論もあるでしょうが)リサ レイモンドのスピンサーブ。レイモンドのスピンサーブは教科書的に美しい(と私は思います)。インパクトまで体を横向きに保ち、腕の振りでスピンをかけつつ、トスしたボールの眞下に体を前に移動させることでスピードを出しながら、そのままネットへと出て行きます。

自分でプレーしていた時は、女子テニスもよく見ていました。これまでの女子テニスプレーヤーの中で抜群のテニスセンスを持つと思うのは数人います。一人はマルティナ ヒンギス。ボールのスピードや破壊力はないものの、安定したフォームで左右に自在に打ち分けるトップスピンのグランドストロークは素晴らしい。しかし、大坂選手は絶頂時のヒンギス以上だと思います。それからベルギーのジャスティン アナン (Justine Henin)。彼女のシングルハンドのバックハンドトップスピンの切れ味は鋭く、小柄ながらもキレとパワーのストロークでとチャンスをつくり、ネットで決める、美しいテニスでした。それから、リサ レイモンドです。シングルスプレーヤーとしては、あまり知られていないかもしれませんが、ダブルスではグランドスラムで10回以上は優勝しています。レイモンドのスピン サーブはボレーのためのサーブ、そして知る限り、女子最後のネットプレーヤー。パワーテニスの時代はシングルスではネットプレーヤーは不利で、自然とダブルスが主な活躍の場となりましたが、レイモンドはストロークプレーのレベルも高いと思います。彼女より前の世代の女子ネットプレーヤーといえば、ナブラチロワ、それから最近若くして亡くなりましたが、ヤナ ノボトナ。ノボトナのスピンサービスも悪くないですけど、ノボトナもナブラチロワもストロークプレーが弱点。レイモンドのストロークプレーは、同じような体格のアナンほどのパワーはないものの、シングルハンドのバックハンドのトップスピンは美しい。もうちょっと身長とパワーがあったらシングルスでも大活躍できたのではと思うのですけど。

さて大坂選手。体格にもテニスセンスにも恵まれ、近い将来、彼女がランクNo1となる可能性もかなり高いと思います。最近は女子テニスもヘビー級の格闘技のような迫力ですが、日の丸を背負った選手が、パワーで相手をねじ伏せるのを見るというのはなかなか感慨深いものがあります。一方で、小柄な選手が技と頭で戦う試合が見れた昔もよかったなあと思います。

2004オーストラリアンオープン、ヴィーナス ウィリアムス戦でのリサ レイモンドの教科書的なスピンサーブからのボレー。その次のポイントでは、ライジングでの片手打ちバックハンドトップスピンでのカウンター。
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第一印象と研究能力

2019-01-18 | Weblog
せっかく何ヶ月もかけて準備して来てもらったポスドクの人でしたが、この開始からの一ヶ月足らずを見て、これはもう見込みがないと判断せざるを得ない状況となりました。このままずるずるいけばお互いに不幸になるのが明らかだったので、やめてもらうことにしました。

本人はおそらく研究キャリアの現実の厳しさをあまり理解していなかったのではないかなと思います。好きな時間に研究室に来て、誰かの指示で手を動かしていれば自動的に論文が出て、次の職につけるとでも思っていたかのようです。しかし、指示をしようにも、最初の日から毎日一時間以上遅刻して誰よりも早く帰られてはその時間もありません。

環境の変化や言葉の問題などなどを差し引いても、自分が期待されていることをよく理解しておらず、状況を客観的に見る能力にも乏しいと分かった時点で、黄色の点滅信号がピコピコでしたが、実際にごく初歩的な実験をやらせてみたら、実験のデザインも目的も理解できておらず、言ったことが覚えられず、手先も不器用だということがわかって、赤の点滅に変わりました。最後のトドメは、実験の実際上の問題について質問にやってきたときに、こちらが説明している間、話を聞いていなかったことです。さすがにキレてしまいました。そこから突如、説教タイムとなり、今後、このまま続けても、どう考えても、お互いに実りのない時間になることが明らかだと確信したので、やめてもらうよう説得し、納得してもらいました。おかげで、彼の次の職探しの世話までする羽目になっています。

人間、何でも現実を自分のつごうの良いように解釈するようにできているものです。最初に応募してきたときに、ちょっとパッとしないなあ、と思ったのは事実です。コミュニケーションにも多少難があると思いましたが、彼の経歴とプロジェクトがマッチしていたので、第一印象がパッとしないのも、緊張しているせいだろう、とか言葉の問題に過ぎないに違いない、と都合よく解釈してしまいました。しかし、直感というのはだいたい正しいものです。普段は私は直感を信頼しているのですが、ちょうど人が欲しかったし、レジュメ上はピッタリと思われたので、直感を無視してしまいました。最終判断を下す前に、直感の理由を理性的に検討すべきでした。

現実は、言葉の問題もありましたが、それを差し引いてもコミュニケーションは事実下手でした。コミュニケーションが下手というのは、自分と周囲を客観的に観察した上で相手が何を欲しているのかを察する分析能力の欠如、もしくは相手の欲求に適切に反応する運動能力の欠如、を示唆します。これらの能力は、客観的にものごとを観察し、その観察事象を解釈して、仮説を立て、それを実験的に検証していく、という科学研究に必要な能力と同じものです。第一印象や見た目が悪いというのも同じことです。見た目を根本的に変えることはできませんけど、知らない人に会うときには、清潔で適切な身なりをする、目があえば微笑む、といったように相手によい印象を持ってもらう努力はできるはずで、それは簡単にわかります。見た目の第一印象もコミュニケーションの一部であり、そういうことに気を配らないということは、実験においても細部に気が回らず、バカなミスを連発する可能性が高いことを意味すると思います。

一事が万事といいますが、普通の人間が理解できないような天才でない限り、コミニュケーションに難があり、第一印象が悪いというのは、科学的能力の低さと相関すると私の経験からは言えます。そして、30前までそうだった人が、多少指導したぐらいで、急激に成長して生まれ変わるなどということは現実には、起こりません。

悪い人ではないのはよくわかります。時間をかければそれなりになるかもしれません。しばらく逡巡はしたのですけど、今度は理性的に考えました。実験がヘタでもやる気があるのなら大変ですけど指導はするし、やる気はイマイチでも結果を出すのなら、それなりのやり方も考えます。でも、ポスドクなのに、実験がダメで、科学的研究の基礎が理解できておらず、やる気もない人はお手上げです。

よくわからないのは、小さな仕事とはいえ論文は書いているし、PhD時代の指導者からの推薦書は比較的強い、そういう人が実験のコントロールの取り方も理解できないのはどういう理由なのかということです。私にはマイクロマネッジメントはできないし、その時間もないので、PhDでありながら自分の頭で考えて行動して結果を評価するという作業ができない人を、イチから教育して使えるようにする、ということは不可能です。そもそも、そういう理由で技術補助員ではなくポスドクを雇ったのですし。

雇うのも大変でしたが、やめてもらうのも一苦労。規定上、三ヶ月は雇用を持続する必要があり、これまでの時間と労力がすべて無駄になり、私にとってはマイナスからやりなおしの上、やめてもらうために最長三ヶ月は意味もなく雇用しなければならなくなってしまいました。研究計画はすべて一旦、白紙です。手持ちのプロジェクトを見直して、見込み薄のものは全部カットし、最優先プロジェクトに関しては技術補助員に任せられるレベルになるまでは、自分でやることにします。やっと資金を工面して来てもらって、これからだ、と思っていたらいきなりコケて半年前のレベルに逆戻りで、ちょっとガッカリ。

しかし、今、ロスカットをためらって、彼が塩漬けにでもなれば、共倒れ必至です。私もすでにダメージを受けていますが、このままずるずるいくと、今後はそのダメージが蓄積するだけでなく、結局、相手も不幸になります。彼には別の場所がきっとあるでしょう。
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Makedonsko Devojce、ジプシー音楽

2019-01-15 | Weblog

バルカン半島の旧ユーゴスラビアの一部であった小国、マケドニア共和国が国名変更予定とのニュースを見ました。
ギリシャの北部を含むバルカン半島南部はギリシャのアレクサンダー大王の紀元前の時代からマケドニア地域と呼ばれておりますが、その地域の北部に後年、スラブ系などの他民族が移り住んで国家が作られ、そして旧ユーゴスラビア解体の後、マケドニア共和国として独立しました。しかし、そこに住むスラブ系の人々は本来のギリシャ系マケドニア人とはつながりもないことから、ギリシャがマケドニア共和国に対して国名の変更を要求してきました。今回、マケドニア共和国で国名を「北マケドニア共和国」に変更する方針が先週末に決定したということです。

この国については、旧ユーゴスラビア時代のマザーテレサの出生地ということぐらいしか私は知らなかったわけですが、ここしばらくこの地域の音楽を聴く機会があり、マケドニアの音楽のなりたちについて多少関心をもっていましたので、今回のニュースに目がとまりました。

私の学童期はソ連は健在であり、ロシアはソ連とほぼ同義であって、ウクライナもベラルーシもバルト海三国もソ連の田舎という認識、ユーゴスラビアも一社会主義国家という感じでした。世界地図は比較的シンプルで、共産圏というイデオロギー的に区別された地域の中にロシアを中心にスラブ系国家や中国が存在していました。大まかに、国々は資本主義圏と共産主義圏、その他に分かれていました。極端に言えば拝金主義と理想主義、しかし理想主義者もメシを喰っていかねばならず、また人間の根源的欲望は理想よりもはるかに強いわけで、社会システムは徐々の腐敗し、結果、メシの喰えないイデオロギー国家は支持を失い、ソ連は崩壊し、民族主義によって旧共産圏は再編されました。

しかし、そもそも国を持たず、小さな家族単位で移動しながら国家という枠組みのない生活を営んできた人々もおります。イスラエル建国までのユダヤは別にして、例えば、ヨーロッパでジプシーと呼ばれる彼らは明らかに共通の文化を共有していますが一定の場所に落ち着いて国家を形成するということはしませんでした。といって彼らの民族意識が低いわけではありません。その辺の話はまた次の機会に。

ジプシーの起源は北インド、パキスタン辺りの移動生活民族のようで、現在、ロマと呼ばれている人々が主ですが、活動は中東からヨーロッパ各地に広がり西洋に文化的な影響を与えてきました。とりわけハンガリーでの音楽的活動は有名で、ジプシー音楽に曲想を得たリストのハンガリアン ラプソディーや、ブラームスのハンガリー舞曲、サラサーテのツィゴイネルワイゼン(ジプシーの旋律)、それからモンティのチャルダシュ など、哀愁を帯びた官能的なメロディーは昔から多くの音楽家を魅了してきました。

しばらく前に、マケドニアのJovano Jovankeという曲を紹介しましたが、ハンガリー音楽同様、バルカン半島の音楽もジプシーの音楽と重なります。先日、ジプシー音楽の多国籍グループ、Barcelona Gispy balKan Orchestraの曲を聴いていて、なんとなく懐かしい感じのした曲が気になっての楽譜を探してみたら、これもマケドニアの音楽でした。曲名が「Makedonsko devojce(マケドニアの少女)」なので自明なのですけど。

調べてみると、この曲は1964年に「新民謡」のスタイルで作曲されたとあります。なぜこの曲が気になったのかな、と考えてみると、曲調が私の子供の頃の日本の歌謡曲っぽいのです。つまり、高度成長期の日本、豊かな生活を目指して、みんながむしゃらに働いていた頃です。実際、その頃の作曲です。日本では、焼け野原にされての敗戦という屈辱からようやく立ち直り、明るい未来を思い描けるようになった頃。そんな人々が折々に感じる虚しさや寂しさへの共鳴するような音楽です。基本的に短調で、泣きとコブシが入る情緒的な曲。この曲もメロディーや和音進行がそんな昭和の歌謡曲を思わせます。

昭和の後半期は、戦後の混乱期を経て経済発展の真っ最中、ドルも固定相場制の1ドル360円が終わり変動相場制に変換、奇跡の経済発展を可能にした円安の時代が終わり始めました。一億が一丸となって戦後の復興と経済発展のためにがむしゃらとなっていた時代でしたが、子供の私には関係ありません。その頃のことは単に懐かしい記憶の断片として残っているだけです。のぼり調子で活気がありました。

さて、このマケドニアの新民謡、昭和の歌謡曲と違うのはリズムの躍動感と音階で、それが大きな魅力となっています。楽譜を見ると、Jovano Jovankeと同じく7拍子の変則リズム。この7/8のリズムというのは他の民謡ではあまり見たことがないのですけど、この地域の伝統的なリズムなのでしょうか。農耕民族はイチ、ニ、イチ、ニの田植えのリズム、騎馬民族は馬の早駆けのリズムで3拍子の曲が多くあります。この曲ではこれは三拍子の最初の一拍の後に半拍の余分な拍子が挿入されているように聞こえます。つまり3+4の複合リズムというよりは、3泊のリズムが針飛びしたような、早駆けの馬がけつまずいたような感じです。そして、このリズムの上に修飾音とこぶし回しの多いメロディーが乗っています。

ネットで見つけた各種、Makedonsko devojceを

オーソドックスな演奏


昭和の歌謡曲的演奏、こぶし回しが独特、演歌も歌えそう。


Barcelona Gipsy balKan Orchestraのドイツ公演でのライブ。


プーチンのピアノ


詳細不明、日本のおじさんおばさんの民謡の会での様子。


演奏スタイル、アレンジとボーカルがちょっといま一つですが、日本のジプシーバンド、ピラミドスのライブでの模様。日本語歌詞。


歌ってみたい人用、カタカナ歌詞付きのカラオケ


オマケ。バイオリンとチェロの官能的なチャルダッシュの演奏。
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度し難い、ウソつき、無能、恥知らず

2019-01-11 | Weblog
数日前の辺野古がらみの話ですが、いまだに話題になっているので。
今更、アベが堂々とウソをついたところで、この男が邪悪で病的なウソつきであることは国民の多くがすでに周知しており、アベは遠からず、ウソをついて国家を私物化し売り飛ばした売国奴、として小学校の社会の教科書に汚名を残すであろうことは間違いないわけですが、また新年早々、この病的なウソつきは、テレビで堂々とウソをつき、沖縄県民と多くの辺野古問題に関心を寄せる国民の怒りを買い、複数メディアで糾弾されることになりました。

いくら新聞や有識者や国民から、糾弾され、怒りを買い、アベやめろ、とシュプレヒコールを浴びても、感受性も思考力も爬虫類なみのこの男は、それを屁とも思わない厚顔ぶりで、平気でウソをつき続ける。アベのウソもひどいが、NHKもひどい。ほとんど、「北朝鮮、将軍様チャンネル」と変わらない。ウソつきの片棒を担いでそのウソを無批判に垂れ流すのだから、立派の犯罪組織と言えるでしょう。琉球新報、アベのウソを糾弾すると同時にNHKも批判。恥知らずに恥を知れというのは所詮、無理なのでしょう。

琉球新報、<社説>首相サンゴ移植発言 フェイク発信許されない

 安倍晋三首相がNHK番組「日曜討論」で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の埋め立てについて「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移している」と、事実と異なる発言をした。一国の首相が自らフェイク(うそ)の発信者となることは許されない。、、、、
 首相の発言は準備されていたはずである。簡単に確認でき、すぐに間違いと指摘されることを、なぜ堂々と言うのだろうか。県民の意向を無視し違法を重ねて強行している工事の実態から国民の目をそらすため、意図的に印象操作を図っているのではないか。、、、、
 首相が頻繁に口にし、今回も最後に述べた「沖縄の皆さんの気持ちに寄り添っていく」「理解を得るようさらに努力する」という言葉も、フェイクにしか聞こえない。
今回、もう一つ問題があった。事前収録インタビューであるにもかかわらず、間違いとの指摘も批判もないまま公共の電波でそのまま流されたことだ。いったん放映されると訂正や取り消しをしても影響は残る。放送前に事実を確認し適切に対応すべきだったのではないか。放置すれば、放送局が政府の印象操作に加担する形になるからだ。

「子供じゃあるまいし、一国の首相がなんで、すぐにバレるウソをつくかなあ。。。」というツイートがありましたが、アベ、見かけは初老でも頭は子供、というか爬虫類。

新年早々、快調にウソをつき飛ばしているアベですが、昨日はロシア外務省にもウソつきと非難された由。
「安倍晋三首相が「プーチン大統領は領土問題を解決して平和条約を締結する強い決意を持っている」と述べたことに対して、ロシア外務省は9日、「安倍首相の発言は日露両首脳による合意の本質を歪曲し、両国の世論を誤った方向に導くものだ」と厳しく日本政府に抗議した」。
ウソつきは誰にも信頼されないですから(同じウソつきのトランプは別かもしれませんが)、これで、北方領土の話は、後退はしても一ミリも前進する可能性はなくなりました。アベのこの政治音痴、外交での無能さ、平気でウソをつける恥知らずさ、もはや人間とは思えません。本当に爬虫類なのかもしれません。

もう一つ、クイーンのブラインアン メイが「辺野古埋め立て反対」のホワイトハウスへの請願に署名し、その活動支援を表明したというニュースも多くのメディアで取り上げられていました。あいにく、この請願によってアメリカが何かしてくれる確率はほぼゼロですけど、この問題がメディアに上がり日本国民がアベ政権の汚いやり方を知ってもらうことにつながるのではないかと期待しています。そのアベ、「ボヘミアン ラプソディー」を見たそうですが、そのブライアン メイが辺野古埋め立て反対に署名したと聞いても、爬虫類なみの感受性しか持たないこの男はどうせ爬虫類なみの反応しかしないのでしょうな。
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市場暴落と世界大恐慌の不安

2019-01-08 | Weblog
毎度、暗い話で悪いですが、一寸先は闇の世の中、しかも、日本は足場の悪い崖沿いの急な下り坂の暗い夜道を歩いている状態で、うっかり足を踏み外せば、ハイそれまでよ、という状態にあります。車なら、登り坂なら多少スピードを出して無茶をしても止まれますが、下り坂で無茶をすればコントロールを失って終わりです。一旦、コントロールを失えば、もう出来ることはありません。最悪を考えて準備をし、慎重に事を進める必要があると思います。

オリンピック、万博、辺野古の基地新設だと、当初の予算の何倍もの金をかけて、アベ政権は国民の富を土建屋や利権団体、アメリカに流し、国を売ってきたわけです。一方で、この政権下で史上最低の経済成長率をごまかすために日銀に非常識な金融緩和をさせ、その金を株式バクチにぶち込んで、株価操作を行い、株式指標の数字を使って「イザナミ景気」だ、というタチの悪い冗談を言う。金をつぎ込めば、そりゃ株価は上がるが、それだけのことです。バブルの時代と同じ理屈で株価が上がっているワケですが、決定的に違うことは、バブル時代は市場が飽和して儲けた金をビジネスの拡大に再投資することができず、余った金が株式市場に流れたワケですが、今回は、株式操作のためにそもそもない金を日銀に刷らせてバクチにぶち込んでいるということでしょう。株価を支えることだけが目的ですから、プロのバクチ打ち、外資のハゲタカファンドにとってはそれを利用してボロ儲けするのは簡単。そして、その損失は結局は国民の税金のツケとなるというわけです。世界的な株式市場の低調には複数の理由がありますが、そもそも上がれば下がり、下がれば上がるのは株式の物理法則で、これまで大体、10年に一度ぐらい株式市場の大暴落が起こってきました。前回の大暴落は2008頃のリーマンショックですが、アメリカのDow Jonesのチャートを見ると、不思議なことにその後の比較的順調な回復過程では取引高は低かったのですが、2017から急激に取引高が増大しそれにつれて株価の上昇度も上がり、2018はプラトーに達し、そしてこの2か月ぐらいで10%以上の暴落が起きています。振り返って見れば、ここからしばらく株価は下がり続けるだろうと思わせる変化です。またその根拠となる不安材料も十分ありますが、そのへんは数日前の植草さんの解説で。

日経平均株価が下げ続けている理由
2019年の大発会は、日経平均株価が前年末比452円安の19561円で取引を終えた。
昨年の大納会では大引け間際に買いが入り、2万円の大台を超えて取引を終えたが、公的資金による株価買い支えの印象が強かった。
、、、だが、2019年を展望すると警戒感を拭えない。
、、、株価の下落トレンドへの転換を予測してきた。そのなかで、日経平均株価推移が2007年推移と類似していることを指摘した。

私は、株価下落の基本要因として
1.米中貿易戦争、2.FRB利上げ、3.日本増税 の三つを挙げてきた。
日銀が日本株式の買い支えを行っているが、日銀の役割を逸脱するものだ
2012年12月に第2次安倍内閣が発足して以来、安倍首相は日銀を私物化する対応を進めてきたが、その弊害が累積してきている。
日銀の資産規模がGDPの規模を突破した。このような国は世界中のどこにも存在しない。、、、、
米国は量的金融緩和政策を先行して実行したが、FRB資産残高はGDP比25%の水準までしか膨張しなかった。、、、、
この水準でさえ、「異例の資産規模膨張」であると認識され、その後は、異常事態からの脱却=「出口戦略」が実行されて現在に至っている。
日銀の意思決定は、総裁、2名の副総裁、6名の審議委員に委ねられているが、現時点では、この9名全員が安倍内閣によって指名された者になっている。、、、
「量的金融緩和でインフレを誘導する」との目論見が実行されてきたが、結果としては、インフレは実現せず、日銀資産の途方もない膨張だけが残存することになった。、、、
米中貿易戦争はトランプ大統領が仕掛けたものだ。トランプ大統領は中国の対米輸出に高率関税を設定する対応を進めてきた。、、、、3月までに米中貿易戦争が終結すれば制裁関税の発動が見送られる可能性があるが、これが実施されれば中国経済に与える影響は極めて大きなものになる。、、、
中国の最重要経済指標である製造業PMIが12月についに景気改善の分岐点となる50を下回った。FRBは利上げ継続の方針を維持している。そして、日本では本年10月に消費税率を10%に引き上げる方針が維持されたままなのである。、、、
株価は一進一退を繰り返すものだが、基調としてのトレンドとしては、極めて強い警戒を維持し続ける必要がある。、、、

つまり、トランプ政権の対中国政策、アメリカのFRB利上げ、アベ政権下でのアベの保身のための非常識で異常な経済介入と消費税政策、これらが、市場暴落と長期にわたる低迷を引き起こす可能性が高いということでしょう。

株に限らずバクチで失敗して一生を棒に振った人というのは多いと思いますが、怖いのは一瞬の暴落でその後何十年もの借金を背負うことになりかねないということでしょう。あいにく、日本国民はすでに多額の借金を背負っており、それを政権は自己保身のために小手先の目くらましでごまかし続けている。アベの経済政策の失敗は、無責任極まりない政権の政策の大失敗が十倍になって何十年もに渡って国民を苦しめることにつながるだろうと思わざるをえません。とくに国民ひとりあたりのGDPは第一次アベ政権でそれまで最低の0%成長、二次政権では史上最悪のマイナス成長。それをごまかすために日銀に刷らせた金や年金資金で株価操作を行い、勝つつもりのないバクチを打つ、借金しか残らないオリンピックに過去5大会を合わせた以上のカネをかける、反対する国民の意思を踏みにじって、数十兆円という国民のカネでアメリカ軍のための基地を新設し、一兆円のローンを組んで使い道のないアメリカ製ポンコツ兵器を買って、日本をアメリカに差し上げる、売国奴アベ政権の邪悪さ、阿呆さ、卑しさには際限がありません。もう手遅れかも知れませんけど、一刻もはやくこの国難の元凶を退治する必要があります。
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理性的に希望的に

2019-01-04 | Weblog
研究室は、まだ正月気分です。
新しくきたポスドクの人も、エンジンがなかなかかからず。
これまで、数回、各一時間以上かけて、この分野の現況と将来の展望から説き起こし、研究経済、目指す目標、そのためのプロジェクトについて話したのに、どうもあまり理解できていない様子。

まだ若いせいでしょうが、自分が自分の将来のためにいま何をすべきかを考えるという習慣が欠けているようです。(ま、私もえらそうなことはいえませんが)それでも、目の前にことにとりあえず一生懸命とりくんでいれば、なにか得るものもあると思うのですけど、あいにくその姿勢も乏しいので、ちょっと困惑しています。やる気があって来たはずなのに、そのやる気が見えないのはどう解釈したものでしょう。

どうも本人は、学位をとったばかりで、これまでの授業料を払ってお客さんとして研究室で教えてもらうという立場とお金をもらって結果をだすために働くという立場の差が理解できていないようです。
もうちょっと根気よくやってみるつもりですが、こちらとしては実験補助員ではなくポスドクを雇うにはそれなりの理由があるわけで、でも、この調子だと実験補助員を雇った方がマシということになりかねず。、、、

ものごとは良い方に解釈しないと悪い現実を引き寄せる、という話はよくききます。これは悪い現実でも良い方に解釈する癖をつけると気分が落ち込まなくて済むという現実的な対処法であろうと思います。この人のエンジンのかかりが悪いのもまだ仕事に慣れていないせいで、一旦、スイッチが入ったら頑張ってくれるだろう、ととりあえず解釈しておきます。

人間はだれでも、ものごとを都合のよいように解釈したがり、自分を過大評価しがちです。しかし、私は、現実の解釈はできるだけ、中立、客観的な立場で行うべきだと思います。そして、理性という人間にあたえられた能力は鍛えれば感情をコントロールすることができます。
これまでの経験で、理性的にものごとを考え理性に従って行動することは客観的にみて最善の結果を生む確率が高いということを私は学びました。中立に物事を見て、考えられる最悪の事態に対処できるようにしておくと、都合の悪いことが起きた場合でもそのダメージを少なくできます。客観的に物事を見ることは、スキーで言えば常に正しい位置に立つということではないかなと思います。そのことによって種々の事態に素早く対処することが可能となると思います。そして、現実によってもたらされる様々な感情を理性によってコントロールしていくことができるのは人間だけが持つ能力です。感情が暴走しないようにコントロールするのはなかなか難しい。喜怒哀楽が豊かであることと、それをコントロールすることは別ものであります。喜怒哀楽が豊かなのが人間らしいのではなく、それを理性によってコントロールできることが人間らしさであると私は思います。

現在、日本の将来は客観的に見て明るい要素に乏しいですが、それを理性的、客観的に判断し最悪の状態を考え万全を尽くした上で、事象を希望的にみるということが必要なのでしょう。そうでなければ鬱になってしまいますからね。
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今年の抱負と希望

2019-01-01 | Weblog
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

月日の区切りは生活を見直す良い機会ですね。新年といえば、New year's resolution、今年の私の仕事上の抱負は、昨年始めたcell engineering系のプロジェクトを軌道に乗せること、データサイエンスの手法を学び、大量データ解析とその視覚化が自分でもある程でできるようになることです。余裕があればパターン認識とディープラーニングもちょっとかじってみたいと思います。また夏頃から新しいtranslational research projectを始める予定です。神経学的評価がからむのでその部分の知識も身につけたいと思っています。協力してくれる専門家は確保しました。プロジェクトそのもは手法的には従来のマウスを使った応用研究で、あまり頭は要らないのでガシガシとやるだけ。新しいことをするのは楽しいですが、cell engineeringに関しては、いろいろ考える頭も必要で、一年以内に成功の目処をつける必要があるのでちょっとプレッシャーです。そのために生物系engineeringで学位をとったポスドクを雇ったのですけど、ちょっと先行き不安な出だし。論文用の研究も同時進行しないといけないのでまた忙しい一年になりそうです。

仕事以外では、今年こそ、デタラメ政権を退陣に追い込みたい。先日、ツイッターで知ったフランスの雑誌の特集(下)ですが、戦後を知らない時代に生まれて育った世代が大多数となった日本人は、日本が戦争する可能性についてなかなか想像しにくいと思いますけど、世界ではずっと戦争や内戦はあちこちで続行中、戦争は外国の人にとってはリアルな脅威です。外国から今の日本を眺めたら、アベが「戦争」をしたがっていると解釈するのが自然でしょう。昔から、他国を侵略して略奪することはもっとも手っ取り早く富をつくる方法です。無論、国民にとっても国にとってもはこれは長期的も短期的にも割に合いません。しかし、アベやアベを操る一味にとっては、戦争は十分に割があうと計算していると思います。

VA-T-EN GUERRE: 戦争へ向かう日本



私も何度か、危惧を述べましたが、アベを操る一味が描いている絵は戦争でしょう。むしろ、それに向けて国民生活をわざと困窮させ、国民が戦争に活路を見出すしかない、という気分になるように追い詰めようとしていると思えます。戦争と言っても憲法があるので、おおっぴらにはできないから、米軍の使いパシリとして戦争に一枚噛むという形にして、どこかに行ってとりあえず戦争に加担する。それを日本の国益のためであると喧伝する、そして戦争なので非常事態宣言を出し、政令を憲法より上位におく、その上で、政令に基づいて国民の資産を凍結し、政府の借金をチャラにした上で、火事場泥棒的にアベ一味は国民の財産を盗む、ま、そんなところではないか、と想像するのです。戦争の理由や戦争の場所はどこでも良いのです、あのアルカポネ気取りのヤクザが漏らしたように、ナチスの手法に学んで民主的に独裁制を敷けば良いと思っているのしょう。独裁者の最後は惨めなものなのに。

戦争の理由はいつもカネです。売国奴、アベ政権が、これまで批判を受けながらもこっそりやっていた国富の私物化を、戦争という名目で、もっと大掛かりにやって、それと同時に日本政府財政を建て直す、そんな邪悪な企みは現実に存在すると思います。アベがアメリカにヘコヘコするのに、アジア諸国には横柄な態度に出るのは、戦争にはアメリカにまず動いてもらう必要がある一方、国際紛争が日本がらみで起きることがアベ一味の戦争計画にとって都合がいいからではないか、と勘ぐっています。そのためには沖縄に米軍基地があることが望ましい。だから、アメリカは移設費用を出してくれればいつでも在日米軍をグアムに移すと言っているのに、日本政府は沖縄県を犠牲にしてでも米軍の沖縄駐留を恒久化しようとしているのでしょう。太平洋戦争の時、アメリカがハワイを捨て石にして真珠湾攻撃を誘ったように、アベは沖縄を捨て石にして戦争をしたいとでも思っているのではないでしょうか。そのために、わざわざ諍いを作り出すようなバカ丸出しの行動をするのではないでしょうか。韓国のレーザーにしてもIWF脱退にしてもそうです。なぜ、わざわざ批判されることが明らかな行動に出るのか、何か目的がなるのでしょう。(もちろん、アベやアホーやアベの腰巾着の自民党員のレベルを見ていると、単に思考能力がないだけで深い謀慮があるわけではないという仮説も捨てれませんけど)

アベもその腰巾着の自民党員も、そもそも、国民や日本の将来よりも、自分の今と次の選挙のことしか頭にない連中です。だから、国際社会の非難を無視し、国会での議論もせず、国民の合意もなく国際捕鯨委員会を勝手に脱退した上、自民党の食堂で鯨料理を出し、あの寝業師も「鯨はわれわれの食生活に欠かせない。変なことばかり言う国(の人)が日本に来たときには、鯨をどっさり食わせる」という痴呆丸出しのことを言う。私が最後にクジラを食べたのは30年前、その時でさえクジラ肉などどこのスーパーにも売っていませんでした。この寝技しか特技がない役立たずは、わざわざ世界と多くの国民の神経を逆なでして「クジラが食生活に欠かせない」などという理由は、地元の和歌山の捕鯨業関連団体の票欲しさでしょう。自分の票さえ確保できれば、それによって日本全体が被る被害のことなどどうでも良いと思っているのでしょう。
自民党にもまだマトモな人はいるはずだと思いたいですけど、アベ、アホー、ガースーをはじめ、その金魚のフン連中をみていると、暴力団とチンピラヤクザにしか見えません。

戦争が長期的に問題の良い解決法であった試しはありません。国民を騙し、他人の命や財産を奪い、地球を破壊する、その行為に「人間」としての正当性があるはずもない。戦争に活路を求める、つまり他人の命や財産を犠牲にしてカネもうけする、というのは邪悪としか言いようがない。しかしアベはすくなくとも世界からは、邪悪なトランプのバター犬、そう見られています。

愚かな独裁者が国を滅ぼすのは歴史に多くの例を見つけることができます。しかるに、アベ一味は、マスコミを操作し国民総白痴化を推進して、権力を掌握し、偽造、捏造、ウソ、ゴマカシ、挙句に馬鹿げた閣議決定と強行採決で無茶を通してきました。それも己が利益のためです。国を売り、国民を路頭に迷わせることによって、自分とオトモダチはその富を搾取する、あたかも自分の家に放火して保険金をだまし取る詐欺師のようです。このウソつきの邪悪な詐欺師を政権から引きずり降ろさないと、小田嶋さんの予言が実現してしまいそうです。


新年そうそう気の滅入る話で申し訳ありません。ま、しかし「門松は冥土の旅への一里塚」という言葉もあります。無事に年を越せためでたさを祝うと同時にこれからの困難にも十分警戒することが必要でしょう。

今年こそ、アベが退陣し、長期的視野を持って日本の平和と国民の幸福を実現する方法を考えられるような「知恵」を持ったリーダーが現れることを望みます。
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