百醜千拙草

何とかやっています

日本崩壊

2011-07-29 | Weblog

 

政府、東電は3-11に何が起こっているかは既に分かっていたのに故意に情報を隠蔽し、住民を危険に晒し続けてきました。これらの動画を見て、改めて、怒りが涌いて来て抑えきれません。

<シミュレーション メルトダウン>

 

< 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦先生>

 

 

<福島住民の怒りをかった腐った政府担当者の答弁>

 

<上の動画のダイジェスト版 -福島県民と憲法を平気で踏みにじる政府>

この現地対策本部とかいう組織の怪しさについては「反戦な家づくり」で解説があります。

 

ソ連が崩壊したのはチェルノブイリの5年後でした。今回のフクシマ事故で、日本の政府がいかに腐敗しているかをさらけ出しました。我欲のために住民の命を踏みにじる政府、もはや国家の体をなしていません。先日逝去された小松左京さんの「日本沈没」はSFではありませんでした。このままでは、5年後、小児がんが多発し、経済が低迷し、結果、難民化する日本人を何ともできずに、日本政府は市民によって打ち倒され、地方が自治、独立を宣言して、日本という国家も崩壊するかも知れません。その時には東北地方は世界中の核廃棄物の処理場にされているかも知れません。

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8月2日

2011-07-29 | Weblog
アメリカでは、「運命」の8月2日に向けて、与党、野党間で激しい攻防が続いています。数日前にはTVでもオバマと下院議長の共和党のベーナーが演説、危機感を煽りました。
 私、これはいわばヤラセみたいなものだと思います。
アメリカは第二次大戦後、100回もDebt Ceilingを上げ続けてきました。アメリカ経済がずっと借金で成り立って来たのは事実であり、これがアメリカという国でなく、普通の一般家庭であれば、とっくの昔に破産して禁治産者となって経済活動から閉め出されているところです。借金は諸外国に国債を売りつけて調達してきましたがそれもとっくに限界に達し、度重なる金融緩和でドルを刷りちらしてきました。アメリカ経済に対する「信用」は既にないと言ってよいでしょう。そして、既に今年の借金上限を数ヶ月前に越えてしまったアメリカは8-2までに上限を引き上げの法案が通らない限り、国が破産し、国から支払われている国家公務員の給料や生活保護の支払いなどがストップし、アメリカ国債は紙クズになり、当然、日本と中国はとんでもない損失を被り、株式市場は大暴落し、世界大恐慌が引き起こされる、という話です。
 もちろん、アメリカがデフォールトに陥ることは、借金がチャラになって喜ばしいというようなことではなく、世界の基軸通貨としてのドルの地位を失うということであり、即ち、アメリカの世界支配が終焉するということなので、いくら借金が増えても、現段階でアメリカがデフォールトを宣言することはありえないでしょう。
 与野党が合意に達しないかもしれないフリをしているのは、来年の選挙に向けて政治的地位を強めたい共和党がこの機を利用して、緊縮財政の強い要求をごり押しし、民主党側がそれに抵抗しているという政治的駆け引きという事情だと思います。また、これらのウラでは、これを機にアメリカ デフォールトの危機を煽って株式市場を操作してまた一儲けしてやろうという意図もあるのかも知れません。

あたり前のことですが、金がなければ生きていけないような資本主義社会では、一般国民の生活が向上するのは、経済活動の規模が増加することが必要です。とりわけ、現在の日本では、モノがあっても売れないという状況は流通しているカネが少ないわけですから、やはり、すべきは金融緩和で金を刷ってバラまくことではないかと思います。であるのに、日本は借金大国だ、「バラまき」はいかん、税金の無駄づかいだなどと、増税だ、という理屈になるから、窮するものがますます窮することになり、弱者は見捨てられ、被災民はいつまでたっても救済されないわけです。早い話が経済活動を活性化するということは富の再配分をして、窮するものに金を回す作用があるわけで、まだ資本主義社会である日本で、現在の状況で政府がすべきことは、緊縮財政ではない、と私は思うわけです。緊縮財政で増税することによって、確実に経済活動は低下し、税収は今よりも更に減少する負のスパイラルに陥るだろうと私は思います。増税がうれしいのは、国民ではなく己の身が一番大事な官僚です。増税したところで、その金は官僚組織の裏金になったり天下り先の給料になるだけで、国民には何も返ってきません。

話がずれました。早い話が金持ちが金を使わなければ、貧乏人は救われないようにできている資本主義社会で、消費税増税のように、貧乏人から税金を巻き上げようとする政策は、国の経済活動を損ない、逆効果だということです。同じ増税するのなら、社会活動に寄与する分の免税項目を増やすかわりに金持ちに課税して、金持ちの金を世の中に回すようにしなければ、そもそも貧乏人は使う金がないのだから、ジリ貧になるばかりです。

保守白人を支持基盤にする共和党は、ヒスパニック、黒人などの比較的低所得者の層や、大学教員など政府資金をメシの種にしている層を支持基盤に多くもつ民主党の「バラマキ」に反対してきました。ティーパーティーなど小さな政府を主張する田舎の保守系白人は、政府に自分たちの金を巻き上げられて、低所得層へ「富を再配分」されたくない、とういのが本音でしょう。社会のシステムが現在の日本と同様、経済クラスを固定化(低所得家庭の子供はよい教育が受けられず、よい職につけず、高所得を得られない)するようにできてきます。そのシステムを作って来たのは比較的裕福な保守系白人だったわけで、だから、ヒスパニックや黒人が低所得なのは「自己責任」だ、オレたちの税金を彼らに回す必要はない、などと本当は言う資格はないと私は思います。先に来た者が後からやってくる移民を搾取することによって成り立って来たアメリカという社会ですが、そのPonzi Schemeも破綻しつつあります。先の中間選挙で下院で優位を失った民主党は、共和党の要求をかなり飲まざるを得なくなり、福祉は削られ、研究費も削られ、社会はますます二極化が進むことになるでしょう。そして、否応無く日本も同じ道を進むことになります。日本の場合、フクシマのAftermath、日本の立ち位置を考えると、日本の社会の劣化はアメリカ社会の数倍のスピードで進む可能性があると思います。

そんな中で、日本が本当に目指さないといけないのは、市場原理による競争社会ではなく、友愛の社会、共生の社会、極端に言えば金が無くても生きていくことができる脱市場原理社会であるのは明らかです。あいにく、日本政府と官僚組織、経団連、アメリカ、などが、「金に依存しない社会」などというものの構築を許さず、絞れる所まで絞ってやろうとしますから、小沢氏らが復権して民主党の初心を取り戻さない限り、苦しみは増加する一方でしょう。

ところで、つい先ほどあった、小沢一郎氏とウォルフレン氏との公開討論の様子が早速、レポートされています。(http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51922105.html)
今の日本の惨状、もちろん諸悪の根源は官僚政治ですが、現在国民ができるのは政治家を選ぶということしかないわけです。比べるのがバカらしいですけど、せめて、空きカンに小沢氏の1/10程度の見識と誠実さがあったら日本の社会と政治はここまで酷くならなかったのではないかと思わずにおれません。二見さんのコラム(http://www.the-journal.jp/contents/futami/2011/07/post_39.html)に、学生運動にかかわっていたころの空きカンに関して次のような記載がありました。

学園紛争華やかなりし頃、東工大の学生運動のリーダーだった菅と渡り合った友人のM教授は「菅からは確固たる政治信条、政治理念は感じられなかった。しかし、言葉尻を捉えて攻撃する能力は天才的だった。機を見るに敏なノンポリだった」と語っている。他方、30数年前、某県の知事選に「若気の至り」で新左翼の一派・ブントの全面支援を受けて立候補した友人は「菅はあきらかにブント派だった」と言い切っている。権力に到達するためには「何でもあり」なのだろう。


リーダーには絶対にしてはいけないタイプ、人間としても最も卑しむべきタイプです。このカスのおかげで被った被害は測り知れません。しかし、鳩山内閣退陣後の政権に空きカンと悪徳弁護士を据えてしまった小沢氏も人を見る目がなかったという意味では責任があります。その後、代表選や6/2の不信任案などで、始末をつけようとしたものの、これら奸賊どもの奸計で不発に終わって現在に至っています。嵌められて、ダメージが大きくなってから善後策をとるのではなく、最初から空きカンのようなクズを見分け、ダメージを予防する策をとっておくべきでした。
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知は力

2011-07-26 | Weblog
暴言で辞任となった松本前復興大臣に関係して、「反戦な家づくり」に紹介されていた日経ビジネスオンライン 2011.7.21 の記事を一部、転載します。

松本前復興大臣を惜しむ声 「せめて環境大臣でいてほしかった」
 松本氏に近しい人によれば、同氏は東日本大震災の直後に被災地入りした後、4月からは毎週末ごとに被災地に足を運び、避難所を回り、市長や町長と会談を重ねてきたという。もちろん、被災3県の知事とも何度も会談している。宮城県の村井嘉浩知事とも会い、電話でも話す仲だったという。国の復興構想会議に参加している別の人物は、「内閣では松本大臣が最もまじめに出席し、休み時間も3県の知事と個別に話し込んでいた」と証言する。
 報道された宮城県の応接室にも過去に訪れた。村井知事が後から入ってきても不機嫌になることはなかったという。今回の言動の真意は、「旧知の仲である村井知事に、内輪の感覚でゲキを飛ばしたのではないか」と近しい人は見ている。
 さらに、「発言の背景には、県が市町村とすり合わせができていないことへの苛立ちもあったのでないか」と指摘する。「宮城県が打ち出した水産業復興特区の構想に市町村は反発し、その調整がうまくできていなかった。このため、市町村が県を飛ばして直接国に相談してくるケースもあった。そうした事態に霞が関の一部は不満を抱いていた。『ちゃんと調整しろよ』という気持ちが松本氏にはあったのでないか」と推測する。


「反戦な家づくり」では、村井知事(大阪出身、防衛省、松下政経塾出という過去を持つ)の背景から、

一方でネオコン村井知事が、水産特区だの、復興会議に地元の人入れないだの、無茶苦茶を言ってることは分かっているのだから、普通に考えたら、松本ドラゴンは日米利権屋に潰されたと見える。

おそらく、私たちは菅内閣で一番マトモな人材を、「世論」で引きずり下ろしてしまったのだ。しかも、復興という 今一番大事なところで

と推論しています。辞任時に「粗にして野だが卑ではない」と自らを語った松本大臣の言葉を思い起こすと、やはり、この推論の線が正しいような気がします。東北復興をダシに一儲けしてやろうと考えているのは中央であり、彼らにとって地元民はどうでもよいということ。それで熱血暴言大臣がうざったい連中は繋がっている宮城県知事とのやり取りをネタにイチャモンをつけて大臣を嵌めたということのようです。そもそも「智恵を出さないと助けない」とかいう発言の対象は、宮城県ではなく岩手県の話だったらしいですが、それに対しての岩手県からの苦情はほとんどなかったのだそうです。それをマスコミが例によって、宮城での「客の迎え方が悪い」と復興とは直接関係ないどうでもよいやりとりに絡めて針小棒大に報道し、辞任に追い込んだのが実情のようです。

ここまで腐っている四権連立の政府ですから、現状では、いくら国民が大声で叫んでも、大臣を嵌めて辞めさせたりするのはヘでもないのでしょう。しかし、国民が声を上げ、騙されない智恵をつけない限り、この現状が改善することもないのも事実です。

そして、先週末の民主幹事長の公約見直し謝罪、情けない連中です。早い話が、小沢、鳩山民主党の「国民の生活が第一」という公約をあげて、「特別会計や埋蔵金に切り込み、予算の枠組みを変えて、国民生活の向上をめざします」と約束して議員にさせてもらい、政権をまかされたのに、仕分けとかいう下らないパフォーマンスをやったきりで、特会も埋蔵金を仕分けされたくない官僚どもに丸め込まれて、やると言った事を何にもせず、そのくせ、できませんでしたと謝ればそれですむと思っているわけです。その公約見直しの判断も党内での議論があったわけではなく、この無能内閣のボンクラどもが延命のために野党の意見を丸呑みして法案を通したい一心で、勝手に決めたという話。(というか、空きカンは最初から増税論者の確信犯)その野党の自民党といえば、なんと72%の議員に電力会社関係者から個人献金がわたっていたという話がありました。このボンクラ内閣と党執行部、己の無能のせいで参院選にボロ負けしたために野党の要求を飲まなくならなくなったくせに、公約が実行できないのは約束した小沢、鳩山のマニフェストが悪い、そういう態度です。当時民主党に投票した人たちのほとんどは、今の無能で卑怯な内閣にバカづら晒して並んでいるドアホどもにタダ飯を喰わせてやるために民主党を支持したのではない、と腹に据えかねているでしょう。やりもしないで、「できない、できない」と泣き言を言い、そのくせ、「無能でした、申し訳ありませんでした」と土下座して総辞職する潔さもない、コイツら全員、本当にカスです。空きカンは次の選挙で消滅してくれるとして、実家の事業関連の組織票のおかげで議員でいられるボンボンの岡田氏、前回この昼行灯に入れた従業員の方は次はよく考えて投票してくださいよ。

さて、ちょっと前の話。以前から原発反対運動を続けている作家の広瀬隆さんとルポライターの明石昇二郎さんが、原発御用学者らを刑事告発したという話(http://news.livedoor.com/article/detail/5719806/?p=1)。そのときのインタビューから抜き書き。

私自身は原発の裁判をやったことがあるが、非常に労力がかかる上、最高裁で負けるようになっている。人事に政治家が介入し、三権分立はされていない。原発裁判は100%負けるようになっている。

私が心配しているのは、日本人が汚染地域の生産物をバクバク食べている事。農林水産省のサイト(http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kensa_0715.pdf)を調べれば分かるが、世界各国の輸入規制が発表されている。「日本のものを食っちゃいけない」と書いてある。それを皆さんも食べているんです。我々はいいんです。問題は子どもですよ。子どもが食べているんです。5年後に大変なことが起きるんです。断言します。アメリカだって輸入禁止品目を出しているが、非常に正確です。我々より何を食べては行けないか知っています。国民がアホなんじゃないかとおもいます(笑)

電力会社が今すぐ出来る事は、日本全土6000万Kwの自家発電分を買うことです。それで停電は100%起こりません。皆さんに節電を呼びかけているのは、送電線網を開放することによって、地域独占が崩れるのを恐れているだけなんです。(自家発電分の)電力を買わないで、節電を要請するという傲慢なことをやっているんです。彼らがやっていることはもう電力会社じゃない、彼らの仕事は電力を調達し供給すること。もう「東京停電」「関西停電」と呼べばいいんです。もしトヨタがうちには売る車がありませんって言ったらアホでしょ?東京電力がやってることがそれなんです。プロとして一番恥ずかしいことを公言して、それをマスメディアが煽ってるんです。日本人はみんなアホです。原発は昔から全部止めても何も起こらないんです。電気を皆さんに供給しなければいけないから公益事業なんです。それを彼らは放棄しているんです。


戦後、四権連立で洗脳コントロールされてきた日本人の「無知(アホ)さ」が己が身を滅ぼそうとしています。本当の事を知り、自分の身を自分で守る努力をしなければ、官僚組織というバケモのに利用され、見捨てられ、そして殺されます。そのことがこの数年ではっきりしてきました。真実を知ることが現在と将来を守る力になります。
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放射能みんなで浴びれば目立たない

2011-07-22 | Weblog
今月末が〆切のグラント、予定より早く書き上がりそうで気分よくフフフーンと鼻歌まじりで最後のチェックと文献リストの作成に取りかかっていたら、エンドノートのPubMedサーチで見慣れない文献が引っかかってきました。イヤな予感がして、よく見てみると、私のグラントの最初のAimで計画していた実験が、何と論文になっているではないですか。どうも先週末、私がグラントの予備応募をした日にその論文がアクセプトされたようで、雑誌社がアクセプト原稿をそのまま公開したようです。参りました。最近、こういうの多くて困ります。去年も、論文投稿直前に同じマウスを出版されて、その後、一年苦しんだ辛さが今だに尾を引いているというのに、と涙目になりました。悪い事にグラントの早期完成を読み込んで、二件引き受けたレビューの〆切が3日後に迫って来ている上、助手の人は急病でお休みしています。この悪状況の中で、95%仕上がっていた申請書を、あと数日で大幅に書き直さなければならなくなりました。しかし、ここで落ち込んでいる時間はありません。(ブログ書いている場合でもないのですけど)エイと気合いを振り絞って、ほぼ完成していたグラントをザックザックと切り倒し、書き直し始めました。この一月余り、ずっとコレに集中してきて、ようやく終わりが見えたところで、やり直しというのは、キツいものがあります。本文を書き直した後、リンクしている予算だとか日程表とか抄録とかモロモロの書類などなどの書き直しをしないとならず、考えただけで気が狂いそうです。しかし、丹誠込めて育てた農産、畜産物を出荷できなくなった福島の農家の方々の苦しみや痛みとは比べたら、こんなものは屁のようなものだと思い直しました。

さて、放射線汚染された食品が日本国中に流通しているとのニュース。無能な政府と悪質な官僚体制、こうなるのは最初から分かっていましたが、情けない話です。あたり前のことができないのです。あたり前のこととは、原発を政府の管理下に置いて収束作業を行うと同時に、東電を解体し東電の資産を処分した上で、政府が福島の畜産農作物を全て買い上げ、被害者を保障し、放射線汚染の拡大を抑えるということです。足りない金は取りあえず刷ればよい。この事態で金融緩和することは当然であるのにしない。アメリカの言いなりの財務省がさせないのです。あたり前のことができないのに加えて、官僚組織とそれに操られる無能の空きカンどもが保身のためにヤバいことはこっそり隠そうとしてますます被害を拡げて言っています。被災者や被害者は政府は見ないふり、あまりに酷い。政府が最大限の努力をしたとしても、ヨーロッパ放射線リスク委員会の予測では、福島第一から200kmの地域では、十年間で二十万人以上のガンが発生すると考えられています。であるのに、放射線汚染を抑えるどころか、危険を隠蔽し、汚染食品の流通を許し、被害を拡大させていっているのは、自分の利益のために国民を犠牲にするのを厭わない悪質極まりない官僚組織の体質のせいでしょう。空きカンは既に福島事故の初動でのミス、それから外国人違法献金の件で刑事告発されているらしいですが、地震以後、政府と官僚組織がやってきたことは、凶悪犯罪と言えるでしょう。
 そして、福島原発、安定冷却のステップ1が達成されたとのニュース。よくもこんな小学生でもわかるようなデタラメを言えるものです。データもろくに出さずに口先だけで「できた」と言う、いつもながらの隠蔽体質の東電と政府。メルトダウンが起きていたのも事故後早期からわかっていたのに、ずっとウソをついてきた当局です。地上げさんのブログにエダマメの詭弁が紹介されていましたが、「爆発」している映像をさして「爆発状事象」と言い換えたらしいですね。メルトダウンという言葉を使いさえしなければ、メルトダウンを認めたことにはならない、爆発しているように見えても爆発という証拠がないので爆発かどうかわからない、という理屈のようです。こういうのをペテンと呼ばずして何をペテンと呼ぶのか。

メルトダウンして汚染水がダダ漏れになっている状況で「安定」はないでしょう。核はメルトダウンして既に地下に達してしまったので、もと原子炉のあったところの温度は低下してきたというだけのことでしょう。事態は安定どころかもっと悪化していると考えるべきでしょう。既に、ダダ漏れの放射性物質のお陰で、近海魚は食べれなくなってきました。放射性物質はどうも地下水系や漏れた汚染水を通じて、大量に海に流れていっていると考えられます。政府や農林水産省はまた汚染状況を隠し、そのうち汚染魚が牛肉同様、全国に流通し、被害を拡大させるのでしょう。被害が十分拡大してしまって取り返しがつかなくなってから、今回のように、ナンダカンダと理由をつけて、実は、汚染していましたなどと言い出すのです。「放射能、みんなで浴びれば目立たない ー 空きカン」(詠み人知らず)そういう理屈のようです。
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劣等国家の四権連立 - 知る事からはじめよう

2011-07-19 | Weblog
日本女子サッカーの快挙、本当に感心しました。延長で一点入れられたときにはこれまでかと思いましたが、攻撃力で圧倒するアメリカに粘って、少ないチャンスをものにし、そしてPK戦を圧倒しました。やはり、要所要所で素晴らしいワザをみせた沢選手とPKでのゴーリーの人の活躍が光っていたと思います。対するアメリカでは、何と言っても最初に先制点を入れたAlex Morganがよかったです。二点目の絶妙なアシストもこの人でした。若い世代ならではの大胆でスピード感あるプレーに痺れました。
 この勝利は本当に素晴らしいのですけど、またマスコミはこの話で埋め尽くして、都合の悪いニュースをかすませようするのだろう、卑しい空きカンは支持率アップに利用しようとさえするかも知れない、とイヤーな気分が涌いて来て自己嫌悪に陥ったのでした。

さてちょっと暗い話。
日本という国に住んでいる日本人は、個人レベルでみれば、諸外国に比べ、平均して、おそらく能力も高く思いやりにも満ちた人が多いだろうと思います。それは、振り返って思うに、戦後の高度成長の中で一億総中流意識が芽生え、多くの人が生き残るために他人を騙したり盗んだり疑ったりする必要がなかったという環境のせいでしょう。政府やはそんな一般日本人から税金を集め、仲間で分け合い、大企業は一般労働者を安く使ってきたわけですが、年々、生活が上向きになっていく大企業のサラリーマンなどにしたら、危険な閾に達するような社会への不満も限られていたのではないかと思います。長期に続いた55年体制がすっかり官僚政治を定着させてしまい、官の組織は日本経済が斜陽に陥ってからもその破滅的な体質を変えることはできませんでした。というか時代に沿って変ることを拒否してきました。そして、さすがに育ちのよい日本人も、騙されて来たことに気がつき始めました。

私が学生だった頃は、日本は科学技術の発達した先進国だと思っておりました。当時、アメリカの教科書では、日本人がチョンマゲ、着物姿で、みずぼらしい紙と木ででいた建物の中で、ハイテク製品を作っているマンガが紹介されているというのを知って、アメリカ人は戦争で勝ったから日本人をバカにしているのだな、と思っていました。
 今になってはっきりわかるのは、ちょっと事情を知っている外国人は、日本人個人をバカにすることはなくても、日本という国家は二流だと認識してきたということです。いくらハイテク技術がすぐれていても、個人として素晴らしい人々が多くても、国という組織としての未熟さ、民主主義というものが実際には存在していないこと、総じて国民の社会意識の低さをもって、国家としては一人前とみなしてもらえていないのが実情でしょう。
 そんな中で日本の色々な団体(科学研究分野も含めて)が金を使い「国際ナントカ会」みたいなものを組織して、国際社会の仲間に入れてもらおうと一生懸命やっているのをみると、正直、悲しくなります。それらの活動を通じて日本が欲していることは、外国に一人前の国として対等につきあってもらいたい、というその一点のようです。対等につきあってもらって、そして一人前の国として見てもらうことによって、何を得ようとしているのか、ほとんどの場合私にはわかりません。一人前の国としてつきあってもらえたらそれで単に満足なようです。そのために金をつぎこんでいるように見えます。言ってみれば、友人(になりたい国)の歓心を金で買っているようなもので、悪いですけど、それではバカにされる一方でしょう。日本が外国から一人前に扱ってもらいたいと思うのならば、一人前になる努力をするしかないと私は思います。

江戸時代から連綿と続く「お上」と「庶民」の構図が、いわゆる「先進国」で今だに残っているのは日本ぐらいではないでしょうか。西洋で現代社会の基礎となっている民主主義が社会に確立することになったフランス革命やアメリカ独立がおこったのは200年以上も前のことです。それに比べ、日本は今だに封建時代です。日本には人々が自らの力で権利を勝ち取ったという歴史が欠けていて、明治維新も西洋のものまね、戦後民主主義に至っては、その実はアメリカの日本人エイジェントが権力中枢に配置され、政府は昔の国民管理体制を利用してアメリカの植民地支配に加担してきました。いわば、民主主義のフリをした只のアメリカの植民地に過ぎませんでした。諸外国が日本を見る目は、アメリカの植民地の二等国、戦後65年が経った今でさえ、それは変わっていないでしょう。現実に現在も日本はアメリカの植民地です。

先週の「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/2011/07/16_1115.php)で、若者がマルクスを読まなくなった(居心地のよい現状に満足して、社会というものを考えなくなった)ことについて、こうあります。

そうやって日本人はマルクスを読む習慣を失い、それと同時に、成熟のための必須の階梯の一段を失いました。それから30年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど未熟な国民になりました。
金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。


私に言わせれば、自己責任というのは各個人が自分に対して課すべき心得であって、立場の強いものが弱いものに向かって言うべき言葉ではありません。こういう言葉を口にせざるをなったのは、実は政府がそこまで逼迫した状況に落ち込んでいるということだと私は思います。社会意識の未熟な国民は、この政府が望んできたものです。この国の政府は、国民を守り国益を増大させるためにあるのではなく、国民から税金を巻き上げ搾取するために存在してきました。そして、その本音を隠すために、マスコミを操作し、政治家を骨抜きにし、国民は何をやっても社会は変らないというあきらめを植え付け、 3S (Sport, Sex, Screen)を駆使して、一億総白痴化(もしくは家畜化)を進めてきました。だから、日本人が未成熟な子供であるのは、政府に大きな責任があると私は思います。しかし、日本が世界から子供だとバカにされているのは間違いないことで、我々、個人にも、それを直視し、成熟への努力をする必要があることは言うまでもありません。

残念ながら日本はこれからもまだまだ降下し続けるだろうと思います。原発事故のおかげで、その底がますます見えなくなりました。そうなれば、人々は、必然的に社会のことを考えなくならざるを得なくなるでしょう。貧困や暴動を通じて、この国が55年体制以来維持して来た官、財、マスコミの癒着利権構造が揺さぶられ、そして打ち破られることになると思います。チュニジアやエジプトで起こった市民革命、そういったものが日本という国が一人前になるために必要なのかも知れません。

こんなことを考えていたら、タイミングよく、阿久根市長選で論議を巻き起こした前竹原市長のインタビューが出ていました。当時の市長選、既得権者の擁護者、マスコミは、竹下市長をあたかも悪人かのように報道していたのを思い出しますが、このインタビューを読む限り、極めて全うな意見です。(http://www.data-max.co.jp/2011/07/post_15569.html)。
一部転載。

 
身分制度が社会全体を蝕んでいます。事実上この国には三権分立はありません。立法・司法・行政に第四の権力、記者クラブ報道が結びついた四権連立で国民の自由と財産を蹂躙しています。日本は社会制度の劣等国家であり、国家の真実を知らない国民の誤解、善意、妥協、諦めで支えられているのです。

 私はこの様子を大蛇に例えました。公務員大蛇は政治家を国民から組織を守るウロコにしている、政治家はピカピカ光る大蛇のウロコをするのが誇らしくて嬉しい。誰がウロコになっても大蛇がやることは変わらない。選挙はウロコを替える脱皮にすぎない。大蛇は脱皮をする度に税金を食って太るのに、犠牲になる国民がウロコに何かを期待してしまう。

 国家の本体は公務員組織であり、官僚がその他公務員を兵隊とする軍隊です。この軍隊は国民に向けて銃を乱射しています。にもかかわらず国民は悪政の犯人が政治家だと思っている。
 「公務員は官僚組織(全体)の奉仕者であって住民(一部)の奉仕者ではない」。戦後日本は天皇が官僚組織に変わっただけ、戦前と同じです。

<知らなければ変えられない>
 景気悪化と円高の原因は、単純に通貨不足です。日本銀行はバブル時代のトラウマから金融緩和をしてこなかった。財務省は天下りを確保するための大きな政府へまい進。増税の理由が欲しくて財政赤字の拡大策をとっています。政府紙幣発行を進めようとした中川財務大臣を官僚が罠にはめるなど、官僚の悪質さは言語を絶する。彼らは大震災も増税のチャンスと心得ています。

 この国は原発推進のためにでデタラメな安全神話を作り、人類史上最大の放射能汚染を拡大し続けていてこれを止められない。電力会社は役人と強く癒着している。東電幹部と担当省の官僚たちは保身第一、いまだに国民を欺き続けている。今後、爆発的に増えるであろう癌患者を考えれば戦慄します。

 知れば知るほど官僚たちが確信的に国民を犠牲にしている姿が浮かび上がってきます。一方、議員たちは票のためなら何でもする。それ以外は何もしない。言ってみれば純粋強欲なバカ。
 極悪官僚と票バカ政治家たちがこの国の住民を奈落の底に落としています。
 「知る事からはじめよう」。これは私が会社と家庭を捨て、死ぬ覚悟で配り始めたチラシの最初のタイトルです。このひどすぎる国家の仕組み、これを国民が知らなければ転落を止めることはできません。多くの国民が現実を知ってはじめて票バカ政治家を変えて極悪役人組織を変えることができるのです。希望の持てる社会はそのあとです。
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追い込まれた検察

2011-07-15 | Weblog
研究費申請の実験計画で、別の研究室から既に出版されているマウスを貰おうと、とらぬ皮を当て込んで計画書をつくっていたのですが、問い合わせの返事が来ず困っています。知り合いを頼って、最初に話を通してもらい、その後、直接連絡したのですけど、無視されています。日本のとある有名大学の研究室です。
ま、他の研究者からこの手のリクエストは、忙しくてメールを読むヒマがないとか、面倒くさいなと思いながら忘れてしまうことはよくあることですので、このマウスは貰えないものとの前提で研究計画の変更にとりかかりました。
 建前上は、出版された研究材料は基本的に要求があれば、研究者がわは配布する義務があり、論文もそれが掲載条件になっている雑誌もあります。ただし、現実は、マウスを作るのも飼うのもコストがかかるし、同様のプロジェクトが進行中で共同研究ができないなどの事情もあったりしますから、リクエストしても断られることもありえます。ただ、同業の研究者同士で、わざわざ知り合いを通じて話を通してもらった後の正式依頼を無視されるというのは余りないことなので、どういう事情なのかと勘ぐってしまいました。また聞きではその研究室はこれまでマウスを外にださないという話もあって、今どき珍しいスタイルだなと思いました。研究者によっては、スクープされたり研究結果を盗まれたりして痛い目に合った過去のトラウマから、他の同業者を信用しなくなってしまうような人もいます。個人的な偏見だと、こういう傾向は縦割り社会の日本で、特に分子生物学分野で多いような気がします。マウス遺伝学をやっている人々は、多分、もうちょっとオープンだと思います。マウスを作ったり、解析したりするのは手間と時間がかかるので、研究結果を盗まれるという危険が少ないからかも知れません。それに、今どきは、いろいろなマウスを複合的に解析することが多く、マウスをやりとりしないと研究がお互いに進まないという事情もあります。実際、これまで、何度も色々な研究室にマウスのリクエストをしましたが、アメリカやその他の国では、出版されているマウスをリクエストして、断られたことは一度もありません。一度、渋られた事がありますが、それはマウスを作った研究室が別の共同研究者と既に私がやりたいと思っていたと同じような研究をしていたからという事情があったからで、私がその別の研究者と実は知り合いだったことがわかったら、すんなりマウスは貰えました。マウス研究の場合、持ちつ持たれつですし、同業者の間で悪い評判が立つと色々差し障りもでてくるという実利的な事情もあって、みんな親切な人が多いです。今回も、マウスをお願いしたら、いいですよ、とサクサク話が進むことを期待していたので、不意をつかれました。むこうの事情はわかりませんが、こちらの事情も説明して、知り合いも通しての問い合わせなのに、全く無視するという態度は、困ります。ま、協力したくないということなのでしょうけど、協力すると口では言っておいて実際にはしない、空きカンのようなウソつきもいますから、そんな連中に比べたら、まだマシだと思って忘れることにします。

さて、毎日新聞、「陸山会事件」の小沢氏の初公判を10月にするというような協議が行われているというニュースがありました。「陸山会事件」とは、端的に言えば、政権交代阻止のために小沢氏失脚を狙った当時の自民党が検察を使ってでっちあげた事件です。選挙前をわざわざ狙って、現職国会議員を含む小沢氏の秘書三人を逮捕し、ありもしない西松献金事件で立件という絵を描いたところが、何の証拠もみつからず、引くに引けなくなって、政治資金報告書の書き方が悪いといちゃもんをつけて小沢氏を共謀罪で起訴しようとしました。さすがにムチャで起訴を断念したと思ったら、これまた架空の察審査会まででっちあげて、ムリに裁判に持ち込もうとした醜悪極まりない悪質な事件です。
 秘書の公判が始まって、裁判所は大量の検察側の証拠を却下しました。石川議員に関しては、検察の唯一の「証拠」である供述書15通のうちの10通を悪質な誘導や恫喝のもとになされたもので信用できないとして証拠採用却下。残った供述書には事件の核心に関連するものはなし。つまり、裁判では検察の起訴内容には根拠がないということになりました。秘書はどうも三人ともすでに事実上、無罪は確定している様子です。秘書が無罪なら共謀罪など成り立つはずがないので、自動的に小沢氏も無罪でしょう。裁判所もグルかと最初は思っていましたが、マトモな場合もあるようです。
 そして、小沢氏のでっち上げの検察審査会の不正のカラクリについて、森ゆうこ議員がついに証拠を掴み報告したとのこと。検察組織などの国家権力の闇を探ってインチキを暴き出すと、一昔前なら、三井氏のようにいきなり逮捕されるか、石井議員の様に暗殺されていたところでしょうが、森議員元気でがんばっておられるようで、頼もしいです。この状況で小沢氏の公判がどうとかいうのは荒唐無稽といえるでしょう。そもそも全てが陰謀によるでっちあげなのですから。検察側ももうどうしようもなくなって責任者は逃げ出している様子。前の村木さん事件のときの前田元検事のように、誰かをスケープゴートにして、しっぽ切りで逃げようと思っているのかも知れません。それにしても、醜悪極まりない話です。小沢氏の起訴も不正、秘書もでっちあげて逮捕、犯罪事実の証拠はゼロ、よくもここまでメチャクチャできたものです。東京地検特捜のようなヤクザ組織は直ちに解体すべきですね。連中も税金を食い物にして、組織の保身のためには、権力を乱用して平気で汚い事をすることをためらわないのですから、本当にタチが悪い。益よりも害の方がはるかに多い。

今後は、おそらく、空きカンの辞任と小沢氏の公判棄却と復権がシンクロしていて8月には、空きカンもお陀仏、そして「陸山会事件」はウヤムヤになってマスコミも手のひらを返したようになるのでしょう。あれだけ検察のウソのリーク情報を無批判に垂れ流して来たマスコミですから、マスコミは共犯者です。ウヤムヤにして忘れるのではなく、しっかり自己批判し、この事件の片棒を担いだことを反省して、事件の全貌を正確に報道してもらいたいと思います。
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研究の説明、暴言のウラ

2011-07-12 | Weblog
今、今月末が締め切りの研究申請書を書いております。マウスの手配、研究に向けての共同研究の申し込み、予備データの準備、研究施設の状況報告など、研究内容以外の事柄を整備するのが以外に大変で消耗します。今回は珍しくTranslationalな研究をプロポーズするので、研究の意義を示すという点でラクです。研究費を出す機関にもよりますけど、基礎医学の研究は、最終的には人々の健康の増進、疾病の予防と治療を目指すために行うという建前があるので、研究内容とその究極の目的がどのように繋がっているのかを一般の人にもわかるように説明するのは研究申請者の義務ですが、それはしばしば困難な場合も多いです。それで、研究者本人もちょっと大風呂敷を広げたりせざるを得なくなったりします。

さて、今回、謎だったうなぎの生態にせまる大発見がなされて、ニュースになっていました。おそらくこの研究でも、税金を使って行う以上、納税者たる一般国民に対してその研究の意義をわかりやすく説明する義務があったのだろうと思います。その「説明義務」ゆえでしょうか、天然うなぎの卵を発見した、東京大学大気海洋研究所・塚本勝巳教授の言葉 -

「末永くかば焼きが食べられるように、我々は努力しないといけない」


私、この言葉遣いも好きです。「末永く」、「かばやきを食べる」という「究極」の目的を目指して、真摯に研究に取り組んでいる様子が目に浮かびます。是非ともこの研究費申請書を読んでみたいです。

ところで、前回とりあげた復興大臣の辞任と宮城県知事の話、その背景とその政治的なウラについて、多少知る所がありました。この知事、複数のブログで既に指摘されているように、防衛大学出で松下政経塾出身というちょっと危ない過去を持っていて、宮城復興計画では中央の利権集団と取引して利益誘導をめざす右翼系で政治手法は旧態然とした自民党体質の人のようです。宮城県復興計画は、つきつめれば、野村総研と三菱総研が手を組んで作っており、被災した地元市町村からは、誰一人、震災復興会議の審議委員には選ばれなかったという話もあります。つまり、この大阪出身のどうも旧自民党体質の宮城知事、本当に地域の人のための復興を考えていたように思えない、熱血、暴言大臣、その辺のことが気に入らなかったのではないかと推測されます。
 もうひとつ、田中良紹さんの「国会探検」(http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/07/post_267.html)では、この大臣の辞任の時に、自らを「粗にして野だが卑ではない」と言ったことをとりあげ、わざわざ自分は「卑」でないと言ったのは、「卑」の大権現、空きカンに対する批判であるという説が述べられています。以下、抜き書き。

そもそも松本氏は「菅総理は6月中に辞任すべき」と明言していた。閣僚の中でそう発言したのは松本氏ただ一人である。ところが菅総理は辞任せず、復興担当大臣の重責が松本氏に回ってきた。他に引き受け手がいなかったからである。望まれて任命されたのではない事を本人が一番良く知っている。固辞しても断りきれないと見るや「ならば私流でやりますよ」となった。

松本氏の辞任は菅総理にとって「寝耳に水」だった。「あの程度の暴言なら許容せざるを得ない」とおそらくは思っていた。辞めさせれば自分の延命に関わる。そして今や人事をやろうとしても誰も言う事を聞いてくれない。最高権力者と言っても既に権力はないに等しい。松本氏の後任を選ぶにも副大臣の昇格という選択肢しかなかった。権力者の威令が示された人事ではない。

このように菅総理の延命策はことごとく自らを追い詰めていく。国会の会期延長問題では野党はおろか与党執行部とも溝が出来た。「浜岡原発」の停止要請では地方自治体に不信感を抱かせ、「玄海原発」の再開問題で誰かから入れ知恵された「ストレステスト」がさらに不信感を増幅させた。そして海江田経済産業大臣との閣内不一致も露呈させた。

1年足らずではあるが菅総理の政治手法を見ていると、「ポピュリズム」以外に政治を知らない事が良く分かった。小さな政党に所属してきた生い立ちがそうさせるのかもしれない。この人は大組織を動かす術を全くと言って良いほど知らないのである。

政治家の仕事は政策を国民に訴える事ではない。政策を実現する事である。政策を訴えるのは学者でも評論家でも出来る。しかし政策を実現するのは政治家にしか出来ない。実現するためには反対勢力も含めて現存する組織を動かす必要がある。しかし小政党にいると大組織を動かすノウハウを習得する機会がない。メディアを使って国民に訴える以外に政治の方法を知らない。


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暴言と公僕意識

2011-07-08 | Weblog
傲慢な言動で速攻で辞任となった松本復興大臣の言動について、ネットでは賛否両論あります。なぜ両論かは、数日前の「内田樹の研究室」にある通りだと思います。要は、言葉の内容が必ずしも悪いのではなく、言い方がまずかったということです。

「天は自ら助けるものを助く」というのは、どのようなコンテクストにおいても事実です。「知恵を出さないヤツは助けない」というのは、地方の当事者としての責任の自覚を促すという意味では当然の考え方です。「客を待たせた」発言も、当事者として自覚が足りないことを指摘したという意味では、理解できます。

ただ、人間は感情の動物であり、理屈では動かない、という別の真理に対する配慮が足りなかった、つまり、「口のききかたが悪かった」というのは、全員一致の意見ではないでしょうか。もちろん、私個人としては、例えやる気が余っての勇み足であったにせよ、あるいは何らかの戦略的意味があったにせよ、このようにエラそうに上から怒鳴りつけるようなことをする「徳」に欠ける人間はダメです。

新聞記者を恫喝して、「書いたら、アンタの社は終わりだから」といったのが、冗談であったのかどうか、私は知りません。こういう権力を嵩に着て脅すような物言いいを聞いて「ヤクザ大臣」だという意見も聞きます。しかし、それなら、「口のききかたが悪い」という非難も、ある意味、ヤクザの理屈なのだというあたり、われわれにも多少の自覚があってもよいでしょう。ヤクザのいちゃもんはわざと本質とは関係のない枝葉末節を上げつらうものです。

この方の言動のウラにどのような意図があったのか、興味深いです。なにしろ、間もなく総辞職になる予定の「空きカン内閣」で、誰も引き受け手がなかった最も責任が重い大臣職をわざわざ引き受けたということからして、興味を引かれます。誰もやらないのなら、オレががんぱるしかない、と思って引き受けたのなら、その復興への意欲が強すぎてつい言い過ぎたということも考えられるでしょう。「知恵を出さないヤツは助けない」という言い方は、傲慢に聞こえますが、良くとれば「オレたちもがんばるからアンタたちもがんばってくれ」という意味で言ったのだろうと想像できます。実際にそういうように言ったなら、非難されることもなかったでしょう。あるいは、本当に単にarrogantで状況を理解できない人だったのでしょうか。まさか、ワザと失言して空きカン内閣のサボタージュを引き受けた訳ではないでしょうし。

しかし、この人が本音で語っているのなら、私は、ウソをつきまくる空きカンよりは買いますね。ウソで塗り固められた巧言令色よりも、言葉は悪くても本音で語ってくれたら、物事は少なくとも、前に進みます。また、私がこの事件で良かったと思ったのは、インタビューの記者を「書いたら、社は終わりだからね」と脅したという事です。こう言われて、書かない記者はいないでしょう。「書くなと脅した」というのは、冗談のつもりだったか、脅せば書かないと本当に思ったか、あるいは、本当は書いて欲しかったか、のどれかでしょう。いずれにしても、「現職大臣が記者に書くなと脅した」というニュースが一般国民に与えるインパクトはそれなりにあったと私は思います。権力者がマスコミに情報操作をかけている証拠だ、と思う人も出てくるでしょう。ならば、マスコミの言うことをそのまま信じるべきでない、と考え出す人もでてくるでしょう。

「客を待たせるな」発言をきいて、沢庵和尚の言葉を思い出しました。(ひろさちやさんの本から)
「この世の人、客にきたとおもへは、苦労もなし」
つまり、人間はこの世に客としてやってきたのだから、不味い食事を出されたときも、褒めて食べなければならないし、夏の暑さも冬の寒さも、こらえねばならない。孫も子も兄弟も相客だと思って、仲良くくらして、あとに心を残さずにおいとましなければならない、ということです。

客が主人に向かって「客の迎え方」について文句を言うときには、客の方も「客の心構え」もわきまえるべきだと私は思います。

ただし、この場合、どうも知事側にも問題がありそうです。大臣の口の聞き方が悪いが、知事の態度も悪かったわけです。そもそも、この大臣も知事も本来、県民、国民につかえる公僕です。この事件、言ってみれば、召使いどうしがケンカして主人たる国民、県民の不利益になるような結果になったのですから、やっぱり二人ともダメです。彼らは国民、県民のために働く「humble servant」であるという自覚が足りないのではないでしょうか。
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騙される者の責任

2011-07-05 | Weblog
池田香代子ブログの数日前のエントリーの中で、伊丹万作著「戦争責任者の問題」が紹介されていました。http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51799647.html
戦争の責任は、一般国民にもあるのではないいかという話だと思います。一部、抜き書き。

(戦争、敗戦について)「いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。」

伊丹はきびしくたたみかけます。「だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。」そして極めつきは、「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。

この暗澹とした伊丹の予言はあたったのです。絶対安全な原発というウソで塗り固められた、経済成長という名の一本道を、私たちはむしろ意気揚々と突き進み、世界のトップに躍り出るかと思われた時期もありました。.....


私も、騙されるのは騙される方にも責任があるという意見に賛成です。騙したヤツがもちろん悪いに決まっています。しかし、騙されて、例えば、地下鉄でサリンを撒いた人間にも当然、責任があります。

国民の大多数が原発を止めろと叫んでいるのに、利権者どもが停止中の原発の再稼働を画策しています。九州電力玄海原発、政府と町長や知事が住民の意向を無視して、汚い手を使って再稼働させようとしてます。今だに収拾の目処どころか、破綻が迫っているフクシマの惨状を目の当たりにしていながら、住民の意向を無視してまで停止中の原発を動かそうとする連中は目があっても見えず、耳があっても聞こえず、頭はあっても考えら得ないのでしょう。
 原発に関しては、共産党ががんばっています。しんぶん赤旗に、原子力関連財団が、以前、原発推進のための「世論対策マニュアル」を出していたという記事があるのを知りました。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-02/2011070203_01_1.html
一部抜き書き。

・繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記事も、読者は三日すれば忘れる。繰り返し書くことによって、刷り込み効果が出る。いいこと、大事なことほど繰り返す必要がある。
・政府が原子力を支持しているという姿勢を国民に見せることは大事だ。信頼感を国民に植え付けることの支えになる。
・不美人でも長所をほめ続ければ、美人になる。原子力はもともと美人なのだから、その美しさ、よさを嫌味なく引き立てる努力がいる。
・停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが、大衆であることを忘れないように。
・ドラマの中に、抵抗の少ない形で原子力を織り込んでいく。原子力関連企業で働く人間が登場するといったものでもよい。原子力をハイテクの一つとして、技術問題として取り上げてはどうか。
・原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦出来るようにしておく(ロビーの設置)。
・テレビ局と科学技術庁のむすびつきは弱い。テレビディレクターに少し知恵を注入する必要がある。


原子力は美人だというのはどういう認識なのか首を捻りますね。「芸能界で原発反対すると仕事を干される」のは、政府、利権団体からの差し金でした。

それにしても、国民をバカにした態度が見え見えです。国民を洗脳して、原子力関連のハコモノをいっぱい作って天下って税金をだまし取ってやろうという官僚組織の傲慢さにみちみちています。このマニュアル、戦前のものではありません。今だに官僚組織というのは、慇懃無礼に国民を見下し、そして如何にうまく騙して税金をくすねとるかということばかりを考えているということなのでしょう。こういうマニュアルが戦後50年近くたってもあったということは、彼らにとって日本国民はずっと騙しやすいカモだったということだと思います。身を守るためには、自分の責任でものごとを知り考える技術と能力をもつ必要があります。バカにされるのは大抵、バカにされるだけの理由があるのです。

池田香代子さんは、先のエントリを下のように締めくくっています。

だけど、もうやめませんか、騙されるのは。伊丹は書いています。「現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」この「現在」は、残念ながら2011年でもあることを認め、思い切りへこんだらそれをバネにして、これからはすこしでもましな選択を重ねていきませんか。なによりも、このていたらくにたいして責任の軽い、なのにより放射能に影響を受けやすい若い人びとや子どもたちのために。


池田さんの新訳(2002)による「夜と霧」(ドイツ強制収容所の体験記録)のあとがきの最後にこうあります。

このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ,消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。しかし、フランクル(著者)の思いとうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。


情報操作を見破り、騙されず、真実を徹見するするために、人はどうするべきか、方便的に懐疑し、仮説を客観的に検討する科学的思考が必要なのだと思います。
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No Nukes!(25) 忙中閑あり

2011-07-01 | Weblog
先週末の土曜日、ふと見た昔の論文から思いついて、グラントに応募してみる気になって、準備を始めました。いわゆる萌芽的研究で、予備データが必要ないタイプの小さめのグラントです。しかもちょっと変った機関から出ているグラントで、最初は自分の研究分野では応募はムリだろうと思って、来月末が〆切なのですけど、すっかり忘れていました。それが、最近、手を出している分野と公募の分野が実は関係があって、研究募集の内容と私のやりたいことが微妙に重なることがわかって、急遽、応募できる可能性を探り出しました。
 こういう時には、シンクロニシティーが起こります。ふと掲示板を見るとその話と関係したセミナーの公示が出ています。そのセミナーで興味を引かれた遺伝子産物は今日の別の講演で全然別のコンテクストででてきました。話がヒョンな事からトントンと進んでいく時は、流れに乗って、力を抜いて成り行きに任せるようにするのが、うまく行くコツだと思います。
 そんなわけで、数日前から、実験は必要最小限に抑え、机の前にかじりついて、文献の読み込みとグラントの内容のあら筋づくり、共同研究者の探索、予備データ作りの計画などに、集中しています。研究計画を「売れる」形にする作業というのは、ちょうど詰め将棋を解いているようなもので割と楽しいです。いろんな文献やデータから、計画するプロジェクトの仮説が正しく、研究遂行によって意味のあるデータがかなり高い可能性で出る可能性(詰み筋)を読んでいくわけです。その詰みまでの行程をうまく読めればグラントは当たる確率が高くなります。一方、データやこれまでの知見の不足などから詰みまでが読めない場合は厳しくなります。残念ながら、私は詰め将棋はダメで、とんでもない見逃しをして間違うことが多いので、今はとんどもないその見逃しがないように慎重に計画を練っているところです。

私の机のすぐ横に、"task quadrant"を貼付けてあります。仕事を四つに分けて優先順位をつける、というやりかたで、1、緊急を要する重要な仕事、2、緊急を要さない重要な仕事、3、緊急を要する重要でない仕事、4、緊急を要さない重要でない仕事、に分類して、カテゴリー、1と2を優先させて、生産性を向上を目指そうとするものです。私も日常の仕事を意識的にこの四つに分類して、優先順位の低いものになるべく時間を裂かないようにと心がけています。
 例えば、来月末に〆切のあるグラント書きはもちろん1の最優先のカテゴリーで、来年に出すつもりのグラントや研究は2でしょう。返事を出さないといけないビジネスメールとか、人の論文のレビューなどは3、インターネットで民主党総会の様子をチェックしたり、ブログを書いたりするのは、4でしょうか。民主党総会で公務を口実に途中でトンズラした空きカンや、空きカン批判だけして実効力のある行動は何もなかった民主党員の腰抜けぶりを見てハラを立ててしまったり、こういうのは健康にも悪いし、本当に時間のムダだと思います。しかし、一方で、仕事と関係のない時間つぶしのような活動も、リズムをとったりするのに多少は必要なのではないか、と自己正当化しております。忙中閑ありとも言いますしね。ま、仕事時間中はなるべく空きカンのことは考えないようにしています。忙中にカンが出てきて怒りがこみ上げて仕事に差し障るほどバカらしいことはありませんし。

今の日本、非常事態にあります。Task quadrantで言えば、震災被害者の救済とフクシマ原発事故の収束は、カテゴリー1の緊急最重要課題です。にもかかわらず、その実感が空きカン政府や一般の人にも乏しすぎるような気がします。アウシュビッツの記録、「夜と霧」をちょっとずつ読んでいますが、人間、どんな極限の状態でもそれなりに慣れてしまうのだそうです。しかし、日本人は今の状況にそのまま順応してしまうべきではないと思います。日本は今、核汚染非常事態にあって、国土の多くを失い、経済は既に低迷していて、政府は国民を守るという義務をとっくの昔に放棄しており、外国からは「日本は大変、貧しい国になる」と考えられている上に、史上最低の無能総理や利権者どもが己の利益のために国難を拡大しつづけているという戦時中なみの非常事態であるということを忘れるべきではないと思います。フクシマを第三の敗戦と位置づける人もいます。確かにフクシマはヒロシマ、ナガサキの原爆とだぶります。しかし決定的に違うことは、ヒロシマ、ナガサキは原爆で戦争が終わりましたが、フクシマの戦争は今も続いており、しかも終わりが見えないということです。声を上げ続けなければ、国民は知らない間に茹でガエルにされてしまいます。
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