百醜千拙草

何とかやっています

結局どちらも犬

2016-10-28 | Weblog
フィリピンの過激派大統領、ドゥテルテ大統領、来日しアベ氏と会談。

過激派が過激派となるにはそれなりの理由があります。数々の暴言、強権的政策にもかかわらず、多くの支持を集めるのも理由があると思います。そのやり方や下品な発言の裏には共感できる部分もあり、学ぶところもあると思います。トランプでさえ、一部の主張には賛成します。

朝日新聞から。
 米国に犬のように扱われている――。来日中のフィリピンのドゥテルテ大統領は27日、前日の安倍首相との首脳会談で、米国に対するこんな自身の思いを語ったことを明らかにした。記者団の取材に答えた。米軍の再駐留を可能にする軍事協定を見直したい考えも改めて示した。、、、、
 ドゥテルテ氏は、安倍首相からこれまでの「反米発言」の真意を聞かれたと明かし、「単なるうわさだから気にしないで」と言ったと説明。そのうえで「犬のように(米国に)パンを遠くに投げられる。問題があるたびに『援助を止める』と言われる」と個人的な感情を伝えた、、、


「日本も米国の飼い犬だが、よく貢いでいるので可愛がられてるよ。国民から税金を巻き上げて、中央銀行にバンバンと金を刷ってもらって、バラ撒けばいいんだよ。カネが足りなくなったら国債を日銀に買ってもらって塩漬けにすればいい。そしたらご主人様は美味しいエサをくれるよ」と、アベ氏も言ってみたらどうですかね。

フィリピンは外国からの援助が必要な状態、小突かれて見下され、軍事戦略のためだけに利用される旧宗主国のアメリカよりも中国に擦り寄りたい。対して日本は、官僚組織が対米隷属を根本教義とし、対米隷属よって(国民ではなく)官僚組織が利益を得るシステムを長年にわたって構築してきたため、アメリカ抜きの外交も経済も最初から考えようともしないわけです。日本政府は、アメリカに日米同盟という偽りの「保険」に多額の保険料を払い、アメリカのハゲタカファンドの喰いものにさせるために国営産業を民営化しようとし、TPPで国内の市場を明け渡して外資企業に内需産業を食い荒らさせ、結果として、医療制度、食料、水などの社会のインフラを不安定化させようとしているわけで、まさに国民を犠牲にしてアメリカに貢いでいるのだから、ご主人様からの扱いが違っても当然ではあります。ドゥテルテ大統領から見たら、日本はさぞマヌケな国に見えるでしょう。彼は、「俺の唯一の主人はフィリピン国民だ」と言いましたが、アベ氏はそんなことは1センタボ分も思っていないでしょう。それを見抜けないドゥテルテ大統領ではないですが、日本からの援助も欲しい。さすがにアベ氏に向かっては、アメリカに対するような暴言は吐けないでしょうが、本音のところを聞いてみたいです。
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また楽しからずや

2016-10-25 | Weblog
週末、遠来の友人と晩飯。一年ぶりの再会です。いつもの学会では二年に一度ぐらいは顔を見るのですが、学会中は忙しくてなかなかゆっくり話をすることもできないので、こういう機会は貴重です。

シトラスフレーバーのベルギー風ビールで乾杯。クラムチャウダーとシシリー風蒸しムール貝、イカスミのリングウィーニにエビ、貝柱、とイカを添えたもの。クラムチャウダーはクリーム仕立てのボストン風。ロードアイラインドクラムチャウダーはクリームを使わないすまし汁、ニューヨーク風はトマトスープ仕立て。好みはロードアイランド風チャウダーですが、このレストランではメニューにはありません。私は、ムール貝から出るダシに焼いたバゲットを浸して食べるのが好きなのです。味噌汁ごはんみたいなものでしょうか。前菜だけで半分、満腹。

こういう昔の友人と楽しいひと時を過ごすことは、何よりの喜びの一つです。私が研究をやめてしまわないのも、興味を同じくする人々とのこんな付き合いがあるというのが大きな理由の一つだろうと思います。私の研究生活でのもっとも有意義なものはこうした人々との縁を得たことだろうと思います。また来年も彼らと会って楽しく思い出話をしたいがために、ガンバローという気持ちになっている部分も大きいと思います。

しかし、分子生物学、分子遺伝学に引っ張られてきた基礎医学系研究は、研究手法のサチュレーションに伴って行き詰まりつつあるという認識は、お互い分野は多少違っても共有していることを確認しました。一つの分野が始まり、そこに大勢の人がやってきてやれることをやった後、分野から去っていくわけですが、分野の始めの方からいる人間は、なかなか、ブームが去ったからと言って、新たな分野に移ることはできないものです。新たな分野に移ったとたんにその他大勢のフォロアーという立場からやらねばならないわけですから。それで、斜陽になっていく分野を寂しい気持ちで眺めつつ、そこに軸足は置いたままでまだできそうなことをやるという感じになります。

思うに、行き詰まりというのは、果実が成熟しきったような状態ではないかと思います。そこに新しい種は内包されているのですが、その種が発芽するためには、果実は朽ちて落ちなければなないのです。「一粒の麦も死せずば」ということですね。そんなことを思いつつ、私が次にすべきことは、朽ちつつある果実の中に新しい種を見つけて、その芽を出させる手伝いをすることであって、私自身が死せる果実となって朽ちるのではないはずだ、と言い聞かせたのでした。
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エピジェネティックス シンポジウム

2016-10-21 | Weblog
1日シンポジウムに出ていたので、更新が遅れました。
エピジェネティクスがトピックでしたが、あまり、興奮するような話はなかったような感じです。途中で集中力が切れてしまいました。年のせいですかね。

1. 特定のDNA領域とinteractする蛋白を、in vitroの再構築系を使い、pull-down後にiTRAQを使ったMass Specで解析するという実験。artificial すぎるし、iTRAQも感度悪そう、あまり食指が動かず。
2. ヒストン修飾をSingle nucleosomeレベルで解析するという話。Nucleaseを使ってSingle nucleosomeを単利、DNA断端をビオチンと蛍光色素で標識し、アビジンをコートしてスライド上にまばらに結合させて、そこでヒストン修飾特異的抗体を使って、免疫染色、イメージングで解析するという技術。その後DNA-seqも可能という話。これまで生化学的な方法であったChIPをin situ(というと語弊がありますが)に近い状態で解析するという発想の転換。メリットは複数のヒストン修飾が同じヌクレオソームで起こっているかどうかを調べることができること。面白いが、あまり応用範囲が広くはなさそう。
3. 非常に少数の細胞を使って、DNase hypersensitivey site assayを行い、オープンクロマチンを同定する技術を開発し、マウスの初期杯に応用。こういう技術開発は役に立ちます。やってくれてありがとう、という感じですね。
4. tiling gRNAを使ってのCRISPR/Cas9によるシステマティックなmutagenesisアッセイで転写調節に重要なシスエレメントを同定。内在性の遺伝子発現調節をリードアウトにアッセイできるというメリットは大きいが、実験が大変そうです。ヒストンマークで当たりをつけて、昔ながらのエンハンサーレポーターを使ったアッセイではいかんのですかね。プラスミドで多くのレポーターコンストラクトを作るのと、ガイド/Cas9発現ウイルスを作るのとどちらも大変でしょう。
5. Public data baseにあるChiP-seq, DNase-seq, ATAC-seqなどのデータをもとに巨大なメタデータベースを構築したという話。Cistrome Projectの一部。お世話になりそうです。早速web siteに行ってみました。充実してそうです。
6. 特定のRNAに結合するsmall compoundのスクリーニング法の開発。企業の研究室からの成果。創薬に生かそうということですが、まだまだ先は相当長そうです。

あと、いろいろ特定分野に特化した話もありましたが、休暇あけの疲れが残っているようで、集中力が切れました。
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新潟の民意

2016-10-18 | Weblog
溜まっていた雑誌をパラパラ見ています。中国から発生初期のゲノムのepigeneticな変化を解析したという論文が二本、Natureに出ていました。最近、力技の効く基礎研究は中国に持って行かれているような気がします。生命学研究に最大の予算を割くアメリカでは何かと規制が強まり、コストも高く、研究効率が悪くなりつつあり、加えて、基礎研究よりも応用研究を重視するような傾向が強まってきているため、基礎研究に投入されている資金に対するアウトプットは必ずしも高くないと思います。一方、中国では良かれ悪しかれ規制も緩く、人件費も安いということでしょうコストパフォーマンスは良いのだろうと思われます。無論、その裏には学生のabuseや倫理規制のlaxさもあるだろうと想像されます。ま、昔の(今も?)日本もそんな感じでした。しかし、高コストと低効率をを考えると、遠からず、基礎研究は中国産ということになりかねないのではないでしょうか。ちょうど、戦後、アメリカの製造業が斜陽に入って、日本が工業製品などを輸出するようになり、そして今や、それが中国にとって代わられた、製造業の変遷を見るようです。

現在、アメリカの主たる産業は金融などのサービス業、日本もそうなりつつあり、日本の中核産業は今は、製造業でもテクノロジーでもなく、ひょっとしたら外食産業なのではないかとさえ思わされます。また、一方で、高齢化する社会で介護のニーズの上昇などで、医療関係のサービス業も随分、増えたような感じがします。国内の需要を国内で供給するわけで、これで、役人のピンハネがなくなれば、内需型サービス産業でそこそこ安定して社会が回るかも知れません。外貨は、スシ目当ての外国人観光客で稼ぐ、というのはどうでしょう。アベ政権もするはずのない「経済成長」のために、日銀の輪転機を回転させるよりも、内部で金を回してよりself-containedでSustainableな社会構造を目指してもらいたいものです。(が、そのためには霞が関官僚とはじめとする役人が身を切る必要があるので、無理でしょうな)

さて、多少、明るい話題。週末の新潟県知事選挙で、反原発候補の米山氏が大差をつけて自民党候補に勝利。泉田知事の不可解な出馬断念を受けて反原発候補は出遅れたため、自民候補が楽勝するだろうという当初の予想を裏切っての大逆転です。この知事選、終盤に向かって民進党党首が、この知事選で米山氏の応援演説に来たという事件がありました。民進党は対立候補を支持する連合を慮り、離党した米山氏を公認せず自主投票としたにもかかわらず、党首自らが応援演説に入ったというのはどういう意図でしょうか。単に、勝ち馬に乗るのに聡いだけなのか。いずれにせよ、民進党党首は、再大戦犯を幹事長にした段階で党首してはダメですが。党一番ではなくて二番目ではダメだったのでしょうか?

この際、民進党に残っているまだマトモな人々は、自由党に入ればどうですかね。幹事長だけ民進党に残ってもらえたらいいでしょう。いまだに「単独政権を目指す」と言っているらしいですから、この際、お一人で頑張ってもらったらいいでしょう。

東京新聞の社説では、この選挙結果に関して、
 安倍政権は選挙で示された民意を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。再稼働を既成事実化してはならない。
 七月の参院選では民進党など野党四党の統一候補が与党候補に競り勝ったにもかかわらず、県知事選で民進党は支持組織の連合傘下に電力総連がある事情から早々に自主投票にとどめた。
 終盤になって蓮舫代表が米山氏の応援演説に駆け付けたが、与党と野党のどちら側につくのか、国政選と地方選との違いがあるとはいえ、軸足が定まっていないことを露呈した。猛省して今後の選挙戦略を練り直すべきである。

とアベ政権と民進党に苦言。

ともかく、米山氏、選挙後に自ら語った通り、原発再稼働の話は遠からず出てきます。それに絡んで、利益誘導、脅しや妨害工作がいろいろ出てくることと思いますが、是非、負けずに初心を貫いてもらいたい、と思います。
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風に吹かれて50年

2016-10-14 | Weblog
ようやく現場復帰したところで、まだ調子が出ませんので、短く。

Autophagyがノーベル賞になったのも正直、意外でしたが、ボブ ディランがノーベル文学賞というのには意表を突かれました。約35年ほど前に初来日したのを子供心に覚えておりますが、その時でさえ、過去の人、「ボブ ディラン、ボク シラン」などと週刊誌に書かれていました。メッセージ ソングですか、60年代の彼の活躍は、日本のフォークソング ブームのきっかけであっただろうと思います。「戦争を知らない子供たち」とか「あの人の手紙」とか、日本でも反戦ソングが歌われました。
しかし、なぜ、今、ノーベル賞なのでしょう。貧富の差が拡大し続ける世界で、ノーベル賞選考委員の人々が、世界的な戦争への危惧を感じ取っているのかも知れません。生けるレジェンドをもう一度、反戦のシンボルにしようとしているのでしょうか。しかし、そうだとしても、今の若い世代にそのメッセージは伝わるのか、ちょっと疑問ですが。その点に関しては、オバマの平和賞ぐらいのインパクトしかないのかもしれません。

マスコミも政府とスポンサーに縛られて、独立した表現の自由などないに等しい北朝鮮化する現代ニッポン。メッセージは芸術、音楽を通じて、間接的に伝えるしか無くなっていくのかも知れません。そういう意味では、ボブ ディランの受賞は意義があるかもしれません。一人の音楽が娯楽の域を超えて社会的な影響を及ぼすことが可能であるということを示したのですから。だからこそ、ノーベル賞なのでしょう。社会的影響力の少ないものには与えられませんからね。
しかし、彼の社会的インパクトが大きかったのは半世紀前、やはり、どうして今頃、とは思いますね。
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休暇中の日常など

2016-10-11 | Weblog
実家での用事と休暇は今日で終わります。母の付き添いで病院に行きました。昔と違って、いろいろコンピューター制御されていて居酒屋などでよくある呼び出し機械を持たされ、その機械を自動清算機に入れて支払いします。診察は昔と変わりません。昔は三時間待ちの三分診療でしたが、電子制御されて効率化したせいか、今は一時間待ちの一分診療です。血圧測るのも自動計測機で診察前にやります。これでは有り難みというものがないですな。その後に行ったフランチャイズのレストランでも、タブレット状のものが各テーブルに装備されていて、それで注文します。味気ないですね。やっぱり人間がメニューを持ってきてくれて、今日のオススメの説明を聞いて、多少、質問などもしたりして、というプロセスがある方がいいです。コストのカットのために人間を省くのが最も効率が良いのでしょうが、それでメシを喰っている人もいるわけですしね。

テレビで連日やっているのが、豊洲移転問題、東京オリンピックの無駄遣い問題で、うんざりしました。出ている役者はみんな同じ劇団、結局はウヤムヤになって、最後は予定調和の大団円。都民も「政治に腐敗はつきものでしょ」と達観している様子。これは、ショーとわかっていてプロレスを楽しむ日本人の機微とでもいうべきものですかね。

本気でやれば、ジャンボ鶴田に勝てるレスラーはいなかったという話を昔聞きました。温厚な鶴田が、ごく稀に本気でキレてしまうことがあって、そういう時は見境なく暴れまくってから、正気に戻るということがごく稀にあったのだそうです。プロレスファンはひょっとしたらショーの隙間にたまに起こる本気のアクシデントがを楽しみに観客は来るのかもしれません。国政でも都政でもそういうのを見たいですな。ま、無理でしょうが。

新潟知事選、米山候補、今のところ、本気でのようです。前の反原発の泉田知事が非常に不可解な理由で4期目の出馬を直前で撤回した後を継ぐ反原発候補です。ただし、時の政権に反対する知事の不可解な変節というのは露骨に目の当たりにしますから(前の仲井真沖縄県知事の辺野古承認事件など)、無事に知事となっても、最後まで主張を貫き通せるかは、また別の問題です。自分だけならばともかく、家族、一族の身に危険が及ぶような脅され方をしたら、さすがに降りると思います。実際、泉田知事、3年前も原発稼働に反対した際は、本人も会見で自身の暗殺の可能性を口にして「自殺はしない、自殺となったら絶対に違うので調べてくれ」と岩上安身さんとのインタビューで語っていました。
私は、米山氏という人を知らないので、冷静に経過を見守りたいと思います。

さて、ようやくメディアが、自称文豪の元都知事を叩き出しました。老い先短くなって、引退して何年もたってから叩かれるのは辛そうです。ま、己が因果が身に報い、と、やりたい放題のツケが回ってきただけのことで、これは天の理といえるでしょう。天網恢々、人間、正直に真っ当に生きねばならないものだ、と改めて思い直した次第。岡目八目とはよく言ったもので、この人危ないな、と感じる人は、やはりそれなりのものを受け取る事に必ずなります。しかし、おそらく本人はその危うさを感じておらぬのでしょう。

実家の用事の合間に、グラント書きも毎日ちょっとずつ作業を進め、7割方完成しました。それでも研究室にいないとダメですね。勘が悪くなったような気がします。小さなグラントでも中々、書くのは大変です。同じ書くなら大きなグラントを書く方が良いという人が言うのもわかります。しかも字数制限が辛いですね。字数の関係上、どうしても詳細を端折らざるを得なくなるのですが、端折っていはいけない詳細と、端折るべき詳細というのは、読む人によって異なるものですし。日本人は自明であることはわざわざ言わない奥ゆかしいコミュニケーションの仕方を好みますが、グラントでは奥ゆかしいのはダメですね。読む方はイヤイヤ読んでいるのですから、イヤイヤ読んでいる人でも要点がわかるように、前書きに何が書いてあるかを書いて、続けてその内容を書き、最後に書いたことをもう一度まとめる、三回は言わないと通じません。私の場合は、一度、読んでスッキリ理解できないものは、もうダメという評価になってしまいます。その第一印象が覆ることはまずありません。
シンプルで意義と内容分かりやすいことが第一で、加えて「なるほど」と唸らせるようなポイントが一つ、二つ、それが最低条件ですね。それはクリアしているとは思うのですが。あとは第一印象を良くするための文章や図表のレイアウト、言葉遣い、それを洗練させていけば締め切りまでには、満足できるものになるのではないかと思っています。研究を志した時には、営業職の人を見て大変だなあと同情していましたが、自分がこのようなストレスの多いセールス活動に苦労する日々を送るようになるとは思っておりませんでした。
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悲しき司法

2016-10-04 | Weblog
半休暇中なので、変則的に更新しています。

ちょっと前に、辺野古移設に関して、国と沖縄県とが裁判で争っている件で、先の高裁の疑問の残る判決に関しての東京新聞の社説を読んで、ちょっと思いました。

その社説にあるように、「国」と「県」とが争うとはどういうことか、ということです。この場合の「県」は明らかです。沖縄県民の民意に従って選出された知事が沖縄県県民の総意に沿って行動しているのですから、「県」とはすなわち(大多数の)沖縄県民のことです。
それでは「国」とは何か。亡くなる前の野坂昭如さんが、全体主義、改憲志向のアベ政権を批判したコメントの中で、国が守るのは「国体」であって「国民」ではない、という言葉がありました。むしろこの場合は、改憲によって戦争に参加できるようにすることにより、国は国民を犠牲にして国体という実態不明のものと一部の利益集団を守るのです。

今回の「国」と「県」との争いもそうです。これは日本国民と沖縄県民の戦いではなく、そもそもグアムへ出て行くと言っていた沖縄在日米軍に取りすがり、代わりに辺野古への新基地移設を約束した売国組織、すなわち対米従属で利益を得てきた連中と、沖縄県民との戦いです。事実、野党は今回、問題となっている高江のヘリパッド強行工事に地元反対民と協力して反対してきました。

国と県の戦いといっても、日本国民の大多数の総意の元に、沖縄県民と戦っているわけではありません。しかし、選挙で勝ったから与党と政府の行動が国民の信任を得ていると強弁してきたのが、自分の頭で論理的に考えることができないアベ政権。ナチスの手口のサル真似です。沖縄県では、米軍基地の辺野古移設反対を最も大きな公約として主張してきた候補が選出されて、その公約に従って行動してきています。一方、国政で在日米軍の恒久化が主たる公約になったことはありません。国民は辺野古移設を願って投票しているわけではないのですから、国と県の争いは、国民と県民の争いではありえない、むしろ大多数の国民は、沖縄県民が戦前、戦中、戦後と被ってきた甚大な被害と差別と人権の侵害に、共感と支持をしこそすれ、在日米軍の恒久化、すなわちアメリカの植民地であり続けて、アメリカと売国奴の利益のために、国富を貢ぎ、沖縄県民に売国の犠牲を強いるべきだとは考えていないでしょう。

東京新聞、社説。辺野古裁判 最高裁は公平な審理を

 高裁では沖縄県が負けた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡る裁判は、今度は最高裁へと移る。「辺野古しかない」と決め付けず、県側の主張を十分吟味した公平な審理をすべきだ。
 天秤(てんびん)があるとする。片方には日米安保条約に基づく国策がある。もう片方には米軍基地による沖縄県民の苦痛がある。普天間飛行場が返還されれば、その分だけ苦痛が減る。だから国策が優先される-。まるで福岡高裁那覇支部の判決は、そんな理屈を使っているかのようだ。
 だが、これは国側の言い分そのものである。国策追従の姿勢があらわだ。むしろ辺野古移設に対する県民の民意は、県知事選挙や国政選挙などで明白に「反対」と表れている。苦痛はなお大きい。
 そもそも天秤に例えた利益衡量という考え方は、「国民の利益」のためにつくられた法理であって、これを「国の利益」に用いることにも疑問を持つ。
 この訴訟は辺野古移設に伴う埋め立てについて、仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事の承認を翁長雄志(おながたけし)知事が取り消したことが根幹にある。国側は承認取り消しを撤回するよう指示した。翁長氏が従わないのは「不作為」であり違法、地方自治法に基づいて、その確認をするという国の論理を高裁は丸のみした。
 この司法判断の根拠は正しいのだろうか。仲井真氏の承認を審理の対象とし、「裁量権の行使に逸脱や乱用がない」ことを理由に適法とした。しかし、本来は翁長氏が承認取り消しをしたのだから、裁判所はその違法性を立証せねばならないのではないか。翁長氏に裁量権の逸脱や乱用がなければ、やはり適法となろう。争点が間違っていないか、最高裁はこの点を重視してほしい。
 翁長氏は「憲法や地方自治法の解釈を誤った不当判決」と述べた。確かに国防が国の任務でも、米軍基地の大半を沖縄に押しつける理由にはならない。国と県とは対等である。それが地方自治法の精神である。むろん埋め立てを認めるかどうかは知事の権限である。国が強要すれば、自治権をも侵害する。
 沖縄の苦痛は基本的人権にもかかわる。「辺野古しかない」という一方的な結論は、司法判断というより、もはや政治判断である。沖縄の軍事的な優位性も、国の主張を丸のみする-、こんな司法の姿勢がまかり通れば、「国の大義」に地方はひれ伏すことしかできなくなる。


東京新聞、ギリギリのところまで論理的に踏み込んで、今回の高裁と国のやり方を批判しています。最高裁は矜持を持って司法の独立性を守ってもらいたい。残念ながら、司法、立法の独立性など幻想に過ぎないようですが。高裁でさえ、この有様ですからね。
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