百醜千拙草

何とかやっています

夢の話 (2)

2017-12-29 | Weblog

今年もあと数日。総じて今年は辛いことの多い年でした。実は昨日も自己愛(疑い)の人が関わった投稿中の論文のデータが怪しいことに気がついて、すっかり頭を抱えてしまいました。これは一旦、取り下げてEditorと交渉するしかありません。やはり、自己愛ゆえか、その巨大なエゴからの成功へのプレッシャーのせいで怪しいデータでも自分の仮説に都合がよければ使ってしまうのでしょう。このcovert Narcissistタイプの自己愛(疑い)の人に色々と悩まされて、つくづく思いました。この手の人間は原発と同じです。成功へのモチベーションが高いので働くときは一生懸命やりますが、興味がなくなれば一切働かなくなるし、暴走しだすとメルトダウン並みのダメージを起こします。結局、平均するとパフォーマンスも悪く、そして暴走した時のダメージは大きすぎます。やはり、なるべく関わり合いにならないに越したことはありません。しかしcovert typeは本当にその本性がわからないのですよ。ちょっとおかしいな、と思っているうちに被害が積み重なっていくのです。ま、大きな被害と言っても、私の場合は、論文の後始末と一年半の時間のムダで済んでいますから、人が死んだSTAP細胞事件とは比べものにならないレベルだと自らを慰めています。

そんな一年でしたが、良いこともありました。新しい若い人と仕事を始めましたし、自己愛の人々とはほぼ縁が切れつつあります。普通の人と仕事ができるのがこんなに楽だとは思いませんでした。それに、アベの保身のために何ヶ月もの間、冷暖房も窓もない4畳の独房に不当勾留されて精神的拷問を受けている籠池氏夫妻やその家族のことを考えれば、私の辛さなど知れたものです。

辛いことにばかり注意を向けていると良いことにも気がつかなくなります。また、禍福は糾える縄のごとしで、今年の辛く嫌な経験も実は将来の幸福のために必要なものであるのかも知れません。というわけで、物事の良い面を見る能力、時間軸や視点を変えて物事を良い方向に解釈できる能力は、幸せに生きるためのコツであると信じています。また、そのために簡単なのは「感謝の実践」であろうと思います。

幸せに生きるコツに関して、またまた「夢」についての話を目にしたので。

小林正観さんの心に響く言葉より…

生れてからずっと目が見えいない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。
私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。

それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と現状に対して不満ばかり口にしています。
私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手にいれなければ幸せになれないと教え込まれています。そのように洗脳されているのです。

それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。

それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。
夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、休みもほとんどありません。
「何が楽しくて生きているのですか?」とときどき尋ねられることがありますが、「ただ幸せをかみしめて」生きている。「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。

願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものをありがたく味わう。それこそが、本当の「感謝」なのです。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。、、、、、神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、私たちを釣り上げてくれます。
かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆがとてつもなくおいしく感じられるでしょう。、、、、、その体験があったからおかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。

私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。そういう構造になっている。そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。  (『人生は4つの「おつきあい」』サンマーク出版)


一つしかない現実ですから良い、悪いと判断したところで意味ありません。その判断を保留して、ただ現実を味わい、夢も希望もない、幸せに満ちた生活が送れるようになりたいものです。

みなさまも 良いお年を。
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Birds of a feather...

2017-12-26 | Weblog
今年は自己愛の人の異常行動に悩まされた一年でしたが、自己愛性人格障害といえばトランプで、こちらもこの一年、いろいろとトンデモない言動や行動をして人々を怒らせました。
アメリカがエルサレムをイスラエルの首都とみなすという議会での案は30年ほど前からあったそうですが、これまでの大統領はそれを宣言するようなことをしませんでした。そうすれば、当然世界最大の宗教を持つイスラム圏の国々から猛反発を受け、パレスティナ問題はさらに紛糾し中東戦争から世界大戦と拡大する可能性があるからでしょう。わざわざ、騒ぎを煽って問題を大きくするのはバカです。しかし、トランプは何しろ自分のことしか考えていませんから、世界大戦になろうが、人々が大勢死のうが知ったことではなく、自分がユダヤとの約束通りにエルサレム首都宣言をして派手に目立てばそれでいい、という自己愛行動をとります。

パレスチナ自治政府のマルキ外相は「米国がエルサレムをイスラエルの首都と認めたことで、中東和平における米国の将来の役割を無効にした」と非難。米国は中東和平の公平な仲介者になれなくなったという認識を表明。
親米政権のトルコもさすがにイスラム国、エルドアン大統領は21日、首都アンカラで演説し、「トランプ大統領、あなたは米ドルでトルコの民主的な自由意思を買うことはできない」と批判した、とのこと。

幸い、国連は、- 米トランプ政権がエルサレムをイスラエルの首都と認定した問題について、国連総会(193カ国)で、米国に方針の撤回を求める決議案を128カ国の賛成多数で採択。反対は9カ国、棄権は35カ国。日本は英仏中ロや韓国、ドイツなどとともに賛成した。-
と当然の判断。

私がホッとしたのは、日本がこの国連決議案に賛成したことです。何しろ、アベのトランプのxx舐め外交は惨めなぐらいですから、良くて棄権、下手すると反対に回るのではないか懸念しておりました。(もし、そうなっていたら、日本は独立国などではなく完全にアメリカの飼い犬であることを公言するに等しいですからね)ま、日本は中東諸国とは比較的良好な関係にあるので、ここでトランプのxxを舐めるよりは、イスラム系中東国との関係を悪化させる方がまずいと理性的な判断をしなのだろう、と思います。

トランプは、エルサレム首都案に賛成しない国には援助を打ち切る、と言ったらしいですが、さすが自己愛性人格障害ですな。この手の人間は、その巨大で醜いエゴのために、物事には勝つか負けるかしかなく、みんなで共栄共存することを考えられないのです。他者に対する共感性のなさ、他人の身になって考える能力の欠如のために、レシプロカリティーという概念が無いのです。

当然、トランプ以外のアメリカ人も理性的な人々はおります。アメリカ外交評議会の会長、Richard Haassは、「対外援助はいざという時に協力してくれる友人を作る国家安保の一環であり長期投資であり、一時の激情で出したり引っ込めたりするものではない。」と述べ、「エルサレムで一方的独断を強行して批判されると国連や世界の殆どの国を敵に回して恨んだり恫喝したりしたトランプ政権は今度どんな面を下げて北朝鮮やイランの制裁に国連の枠内に皆で協力しろと言えるのか?あの政権には外交や優先度を戦略的思考出来る者はいないのか?」と批判。

ごもっとも。

対してトランプの腰巾着、ヘイリーは、各国の国連大使に「われわれは一票一票に留意する」とするけん制のメールを送り、「国連に対する米国の見る目は変わる」と国連への拠出金削減をチラつかせて、恫喝。

類を持って集まり、朱に交われば赤くなる、バカ殿にはバカな家来が寄り集まるのは洋の東西を問わないようで。


さて、報道があまりされていないので、アベがらみの犯罪に関して。

今治では加計学園問題に関して裁判が開かれたようです。

20日、松山地裁で「加計裁判」の第1回口頭弁論があった。今治市民が、菅良二・今治市長を相手どり加計学園への補助金支出の差し止めを求めた訴訟だ。被告は今治市長なのだが、準備書面は計画が「アベ案件」であったことを冒頭から厳しく指摘する ― 安倍晋三が「私的利益」の為に恣意的に加計学園に開設を認めた学校法人への寄付などは地方自治法232条の2の「公益上必要がある場合」に該当しない。安倍晋三、加計晃太郎の「私益」の為の寄付、補助金の交付決定であり違法である。― アベと加計学園の補助金詐欺を問う裁判です。

アベの太鼓持ちTBS元記者が犯した強姦逮捕をガースーの子飼いで当時の警視庁刑事部長が逮捕直前でもみ消した事件が、国会でも取り上げられています。このアベ友である男の性犯罪の被害者として、記者会見を開き、告発本まで出した詩織さんの勇気ある行動が人々の共感と呼ぶと同時に、犯罪を権力でもみ消すという法治国家にあるまじき事件に対する怒りも惹起しました。最近、NHKが日本でも性犯罪やセクハラの被害にあった人が声をあげつつあるという現況を報道したそうで(堰を切った、日本の#MeToo)、てっきりこの詩織さん事件を取り上げているのだろうと読んでみました。しかし、さすがは「アベさまの日本偏向報道協会」、詩織さんのことも、アベ官邸がもみ消したと疑われるこの強姦事件についても一言も述べていません。

アベがらみの犯罪の報道が忖度なのか圧力なのか知りませんが報道されない、報道自由度180国中、72位の報道後進国ニッポン。

アべにアベ夫人、ガースー、その手下、それからアベ友、太鼓持ちジャーナリストと、ま、よくもここまで似た者同士が集まって、悪だくみできるものです。
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福島アンダー コントロール

2017-12-22 | Weblog
ま、わかっていたとは言え、現実にはっきりと明言されると落ち込みますね。
アベ政権の卑怯で丸見えのウソには辟易としますし、騙した政府が悪いのは間違いないですが、騙されてアベを支持した国民も責任はあります。

「海洋放出以外の選択肢はない」 第1原発・処理水の処分方法
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20171215-228281.php
2017年12月15日 09時10分 福島民友

原子力規制委員会の更田(ふけた)豊志委員長は14日、東京電力福島第1原発で避難指示が出された市町村を訪れ、首長と意見交換する取り組みを始めた。飯舘村の菅野典雄村長との会談では、第1原発で増え続ける放射性トリチウムを含む処理水の処分について「希釈して海洋放出する以外の選択肢はない。風評被害を恐れる人への理解や同意を得られるよう、声を上げたい」と述べた。
 更田氏は10月の福島民友新聞社のインタビューでも「希釈して海洋放出するのが現実的で唯一の選択肢」と発言。地元合意を前提としているが、風評被害を懸念する漁業者の反対は根強く、実現へのハードルは高いのが現状だ。処分方法を巡っては、経済産業省の小委員会が社会的影響を含めた方策を探っている。


福島近海での魚の放射性セシウムは12・21の報告だと5.9-50 Bq/kg. すでに放射性廃棄物なみ。風評被害の風評というのは何を言っているのですかね。

結局、いつもの「既成事実を作って、なし崩し」の政府のやり方をとることになるのでしょうな。そのうち放射性物質は海へタレ流しが当たり前になり、食品が汚染されているのも、それを食べて病気になるのも当たり前、食べたお前が悪い、自己責任と政府が言うのも当たり前になるのでしょう。

沖縄基地問題も同じ。米軍のヘリの窓が落ちてきても、そんなところに幼稚園がある方がおかしいという言うようなヤカラがいる国ですからね。沖縄返還から50年近く経っても米軍基地が沖縄に今だにあって、米軍の日本の上空を日本の飛行機は自由に飛ぶこともできないという方ががおかしいと言えない国ですから。無理が通れば何とやらです。スジを通すということができない国です。
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夢の話

2017-12-19 | Weblog
夢を持つことのネガティブな側面の話をした時に、自己愛(疑い)の人から、激しく反論されて面食らったという話をしばらく前にしましたが、たまたま、夢と現実についてのビートたけしさんの話をネットで目にしたので、引用しておきたいと思います。

―「やりたい仕事が見つかりません」   
いきなり参っちゃうね。
まあ若い奴なんだろうけど、はっきり言うと、「やりたい仕事が見つからない」ではなくて、やりたくてもそれに見合った実力がないだけ。そこで大体、芯から挫折を味わうべきなんだ。
、、、
負けることを知らず、現実も見ないで、「やりたい仕事が見つからない」と嘆くなんて図々しいにも程がある。

大体周りの大人もいけない。
「夢をあきらめちゃダメだ。希望を捨てずに努力をすれば、きっと夢は叶う」―なんて、安っぽい曲の歌詞みたいなことばかり言っているからダメなんであって、現実を直視させなきゃいけない。そんな欺瞞にみちた言葉に騙される奴がたくさんいるから参っちゃう。

金もないのに、宝くじ買うバカも同じ。「いずれ当たると思って買わないと、当たるものも当たらない」なんてバカ野郎。そんな非科学的なことを言ってるんだったら、確率論を勉強しろ。その辺りを歩いて隕石に当たって死ぬ確率よりも低いんだから。
「いいじゃないの。お金じゃなくて夢を買いにいってるんだから、おおきなお世話」
そんな声も聞こえてきそうだけど、結局、厄介なのは「夢がいいものだ」という間違った考え方がはびこっていることだろう。
、、、
おためごかしで「夢をあきらめないで」「希望を捨てちゃダメだ」「君はもっと強くなれるよ」なんて、甘っちょろいことを歌っている奴を信用しない方がいい。それを真に受けて社会に出て、すぐに「こんなはずじゃなかった」「やりたい仕事がない」って、本当にバカ野郎だね。  (『バカ論』新潮新書)


口は悪いですが、ごもっとも。
宝くじは滅多に当たらない、理想のポジションなど夢想していてもまず向こうからはやってこない、人一倍の努力をしても簡単には人は認めてくれず、チヤホヤしてくれるのは下心がある場合だけ、というようなことを学ぶには、真面目に現実に向き合えば、比較的簡単にわかります。(しかし、自己愛の強い人はこれができないようです)

そこで、落ち込んでイヤになりながらも、試行錯誤しながら毎日精一杯やっているうちに何か光明のようなものが一筋見えてくることがあるのではないでしょうか。それは地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようなもので、決して天界の栄光に満ちた明るく豊かでひたすら気持ちの良いものではないと思います。しかし、その光は揺るぎない力強さがあります。一寸先の闇の中を進むのに必要なのは、その頼める一燈です。

失敗を繰り返しているこの自己愛(疑い)の人の夢の追いかけ方は、私から見ると、確かに「金もないのに宝くじを買う」に近いのです。金を手に入れる最も確実で効果的な方法はコツコツ働いて節約して作った資産を長期的計画に基づいて運用していくことだろうと思います。時間も努力も必要です。しかし、そうして作った資産は、当然の努力の結果であり、ゆえに「金が儲かった」という感動はあまりないでしょう。

同じく、夢を叶えたいのなら、目標のものが与えられて当然だというレベルに達するまで、まずコツコツと努力を重ねて自分の価値を高めるのが最短だと思います。つまり、夢の実現が当然の結果に過ぎないレベルに自分が達することによって、夢は叶うのではないでしょうか。また、そうした努力のプロセスでより実現性のある目標の設定と調節がなされていくために「夢」は叶いやすくなるものだろうと思います。「引き寄せの法則」はこう解釈すべきだと、その人には話したものでしたが、、、。

それで思い出しましたが、オリジナルの「引き寄せの法則」本の一つのタイトルは「Ask and it is given」でした。これは聖書の中の言葉で、マタイ伝では「叩けよ、さらば開かれん」が続きます。これは、望めば欲しいものが与えられると解釈するのではなく、望まなければ与えられないという必要条件を述べたものに過ぎないと解釈するべきであると私は私の先輩から教わりました。(論理学的にはこれは「逆」なので必ずしも真ではありませんが)対偶を考えたほうが言わんとすることが分かりやすいかもしれません。つまり「扉が開かないのであれば叩いていない」ということです。つまり私の先輩によると、この言葉は、扉は開くまで叩き続けよ、と解釈せよということです。扉を開ける最も確実な方法は、扉をノックして誰か親切な人が開けれくれるのを期待するのではなく、扉そのものが壊れるまで、叩き続けることだというワケです。

ま、叶わないからこそ「夢」なのです。僥倖の結果かなった夢は、当たった宝くじと同じで、人生を狂わせることの方が多い「悪夢」になってしまうことの方が多いのではないかと思います。
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サーロー節子さん、ICANノーベル平和賞受賞スピーチ

2017-12-15 | Weblog
ちょっと、日にちが経ってしまいましたが、先日行われたオスローでのノーベル平和賞受賞のスピーチを読みました。

また愚痴から始まるようですが、このノーベル平和賞の受賞スピーチを日本のメディアはほとんど報道しません。もはや日本人ではないイシグロさんのノーベル文学賞はわがことのように報道するのに、日本人の被爆者として反核運動を続けてきたサーロー節子さんのノーベル平和賞はスルー。もちろん、反核がアベ与党が進めたい原発稼働や核武装化に都合が悪からでしょう。それにしても浜の真砂ではないですが、アベ絡みの悪巧みはつきませんな。

森友学園問題も安倍晋三、加計学園問題も安倍晋三、レイプもみ消し問題も安倍晋三、 スパコン詐欺問題も安倍晋三、リニア利権問題も安倍晋三、もはや完全に「悪事の裏に 安倍晋三あり」だな。 — きっこ (@kikko_no_blog)

さて、愚痴はこれぐらいにしておいて、一応地方紙ながら、唯一まともな大手新聞である、東京新聞に演説が掲載されていました。

ノーベル平和賞が団体に授与されたのは初めてです(と思います)。共感する能力のある大人の人間なら、このサーロー節子さんの言葉が胸に沁みるでしょう。国語の教科書にも採用してもらいたいぐらいです。まだ読みでない方は、是非全文を読んでください。
      ◇
 両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。
 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。
 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。、、、、

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。
 、、、、、
 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。
 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。
 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。
 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。
、、、、、
 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。
、、、、、
 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。
、、、
 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 
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つらい年

2017-12-12 | Weblog
早くも今年も年末。今年は私にとっては辛い一年でした。昨年にそこそこまとまりかけた二つのプロジェクトを出版して、新しいことに挑戦する予定でしたが、褌と当てごとは前から外れる、を実感しました。大きな原因は人間関係です。しばらく前に書きましたが、それらのプロジェクトに関わる人に常識では考えられないような対応をされたことをきっかけに、人格障害のことを学ぶハメになりました。今年は、その二つのプロジェクトに別々に絡む二人に振り回されました。彼らは違うタイプの自己愛のようですが、共通しているのは強烈なエゴがあり、それを通すためには、支離滅裂な言い訳や嘘、自分自身の仕事を妨害する行動さえ厭わないという態度です。事実、一人からは、ファーストの論文がそこそこのインパクトの雑誌でリバイスの機会を与えらえたのに、その作業を丸投げされるハメになりました。どうも私を困らせることで相対的に自己優位感を味わいたいという動機のようでした。もう一人はもっと厄介で、明らかな間違いを絶対に認めず、自分の正当性を主張するために、まるで、嘘つき佐川君やその後の理財局長なみの呆れてものが言えないレベルの論理の破綻した言い訳を延々としてくるのです。普通なら2秒で済む話が1週間にわたってキチガイじみた長さと量の屁理屈がメールで送ってくるので気が狂いそうになりました。しばらくは、対応を辛抱強いファーストオーサーの人に任せていましたが、ラチがあかず、結局、不本意な形で投稿せざると得ませんでした。つまり、この人にとっては、いくら自分が間違っていても、それを指摘されて直すことになるのは自尊心を傷つけられるので、受け入れ難いということのようです。この二人とも、頭が悪くて道理が理解できないのではなく、その病的なエゴのせいで己の誤りを素直に認めることができないのです。コチラは彼らのエゴをできるだけ傷つけないように逃げ道を用意しながら下手に出ているのに、この障害特有の共感性の欠如のせいか、こうした相互性を利用した交渉というものが成り立たないのです。つまり、下手に出ればつけあがり、道理を説けばへそを曲げ、強く言えば逆切れするわけです。これではお手上げです。彼らが自分のエゴの有害性に気づいてそれをコントロールできるようになるまで、彼ら自身は辛い人生を歩むことになるでしょうが、問題は周囲の迷惑です。彼らは自分のエゴの要求には敏感ですが周囲の人間の迷惑や気持ちを考える能力に欠けているので、「恩を仇で返す」ようなことを繰り返してしまうのです。

ま、それでも、人格障害者(らしい)人々との付き合いから、私も学ぶところはありました。そのおかげで過去にひどい目にあった隣人の行動が腑に落ちました。とある人格障害に特化したブログでは、人格障害という概念を知って、その可能性を考慮に入れて人の行動を評価できるようになった人を「扉が開いた人」と形容しています。この概念をよく知らなかった私は、何年もの間、ちょっと変な行動をするなあと思いつつも、実際の被害が看過できなくなるまでその人の本当のおかしさに気づかなかったのです。素人判断はもちろん危険ではありますが、おかしいと思っても処置を放置しておくと被害が拡大して後悔することにもなります。知識を得て客観的に正しい判断を下す能力が重要なのは、研究だけに限らず人間関係においてもそうだな、と実感しました。

さて、今年は辛い年だったという話がヘンな方向にそれましたが、本来の話題は、最近のニュースに関してです。人格障害ではなく、あえて言えば発達障害なのだろうとは思いますが、もう一人の困った人、アベ夫人のことです。目立ちたがり屋で、人の気持ちが理解できず、やっていいことと悪いことの区別がつかない、「天真爛漫」で子供のような人、のようです。今回、ベルギー大使館で表彰された時に出したコメントがまた大勢の人々の反感を買っています。が、本人はなぜ国民が怒っているのか理解できないでしょうね。ネットで意見を拾いました。

私人であることを理由に国会への喚問を否定しながら勲章をもらってスピーチし、籠池夫妻は今だ保釈すら認められないのに自分は「つらい一年だった」と過去形で話す。やはり、いくらなんでもこれはダメすぎると思う。(森達也 監督)

昭恵夫人は森友以来ほとんど公の場に姿を見せない癖に、「つらい1年だった」って一体どの口で言っているのだろうか。国会で証言したのに政府与党から誹謗中傷され、家族との連絡も禁止されて独房に監禁されている籠池氏の方が余程辛いだろう。あれだけ深く関わっておきながら知らん顔出来るのが凄い (異邦人)

安倍昭恵の「今年は辛い一年だった」という年末の感想を、口封じのために5カ月間も拘置所に不当勾留されている籠池前理事長の奥さんに聞かせてやりたい。(きっこ)

今年はつらい年だった、がんばってきてよかった──。よくもまあぬけぬけと言ったものだと呆れるほかないが、昭恵夫人といえば11月23日にも「第1回世界こどもサミット2017」に出席した際に「今年は学校のことで、いろいろございました」と述べ、会場の笑いを誘ったと報道された。もちろん、ネット上では「国民をバカにしているのか」と反発を買った。笑いを取ったら非難を浴びたので、今度は涙を流して被害者面する。だが、そもそも森友問題は昭恵夫人の「身から出た錆」であって、どう考えても彼女は私人ではなく公人であり、説明責任がある。そこから逃げっぱなしで「今年はつらかった」などと言える神経を疑わざるを得ない。、、、、昭恵夫人は、前述した勲章授与式後の昨日8日、Facebookにこんな投稿をした。〈これからも人を繋ぎ、人を励ましていかれる人でありたい〉(リテラ:安倍昭恵夫人が無神経発言を連発する裏で…森友・籠池夫妻の“口封じ”勾留が長期化!)

いやはや、強烈ですな。どこをどう捻れば「これからも人を繋ぎ、人を励ましていかれる人でありたい」などと平然と言えるのですかね。この人に共感力と理解能力と判断能力が著しく欠如しているのはよくわかります。自分のことばかりで他人の迷惑に考えが及ばないのですね。やっぱり人格障害でしょうか(人格障害ノイローゼになりそうです)。

ついでに、もう一つ。田中良紹のコラムから。最近、スパコンベンチャーが補助金詐欺で逮捕されましたが、そこが顧問として雇っていたのが、アベの太鼓持ちで、アベがその男が犯した卑劣な性犯罪を逮捕直前にもみ消させたのではないかという疑惑で国会でも議論されている男です。モリ、カケ、スパとアベがらみ人間が関与する組織での補助金不正プラス官邸の関与が深く疑われる犯罪もみ消し疑惑、このタイミングでのアベがらみの人間が関与する事件での逮捕は、いよいよアベの終わりが近づいたということかもしれません。このコラムでは、籠池夫妻の長期拘留しかも接見も認められないという異常な措置の意味を推測しています。ま、一種の拷問です。おそらく推察の通り、単離拘留して洗脳するつもりなのでしょうが、国会での籠池氏、腹を括った人間の余裕さえありました。この勝負、籠池氏は簡単にはギブアップしないだろうと思います。

(一部引用)
、、、「森友問題」は国有地の払い下げで値引きが明らかになった当初から安倍総理の強すぎる否定が注目された。
「妻や自分や事務所が関わっていたら総理も議員も辞める」と答弁したのである。そう否定しなければならないほどの大問題なのだとフーテンは思った。だから安倍総理は経緯を知る籠池夫妻を徹底的に排除する方針を採った。
財務省や国土交通省には資料を廃棄させ、嘘の答弁を続けさせ、国民には籠池夫妻を「悪人」と思わせるための証人喚問と、大阪地検による「詐欺罪」での逮捕を強行させた。
 取り調べでは安倍総理夫妻に逆らわぬよう徹底した説得と洗脳が行われているのではないかと想像する。 保釈された時に心を入れ替え安倍夫妻を非難攻撃させないようにするのが大阪地検の仕事だと思う。それがうまくいっていないから保釈されないとの見方もできる。
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王の病気

2017-12-08 | Weblog
先日の内田樹の研究室のエントリー、「Madness of the King (王の狂気)」で、Japan timesの記事が紹介されていました。
トランプが自己愛性人格障害であるというのは以前から指摘されていましたが、記事には、痴呆の可能性を指摘する専門家がいるということも書かれていました。

この間、イスラエルのアメリカ大使館をエルサレムに移しエルサレムをイスラエムの首都と見做すと発表して、世界の反感を買ったトランプですが、これは目立ちたがり屋で好戦的なトランプがパレスチナを挑発するためだけのスタンドプレーなのか、あるいはトランプの裏にいる軍産を中心とする連中が、第三次世界大戦を中東発で起こすべくその下準備を始めつつあるサインなのか、測りかねておりました。

今日の話題はエルサレムをイスラエルの首都と見做すと発表したという行為でそのものではなく、これに関して昨日、トランプが行ったスピーチです。CNNニュースによると、トランプのスピーチがおかしいと指摘しています。

、、、、会見の終わりの方で、トランプのいつもの喋り方が変化し、幾つかの単語でろれつの回らないような発音をしたとFaceBookやTwitterで取り上げられ、一体、これは何を意味をしているのかと憶測を呼んでいます。ろれつが回らないことの正式な病名は「dysarthria」で、発音に使う筋肉が弱ったりやそのコントロールが悪い時に起こります。いろいろな理由でろれつが回らなくなります。これは、脳腫瘍や脳梗塞などの神経系疾患のサインのことがあります。また脳性まひやギランバレー症候群なのでもろれつが回らなくなります。多発性硬化症、筋ジス、ライム病、ハンチントン病、筋無力症、側索硬化症、パーキンソン病、ウィルソン病、すべてでろれつが回らなくなることが起こります。、、、、

CNNの医学コレスポンデント、脳神経外科医のDr. Guptaは、何度かビデオを観察した結果、トランプのスピーチに明らかな異常があるといいます。、、、、De Riesthalはとりわけ、大統領が「United States」と言った時に発音の異常が明らかだったといいます。 トランプは典型的なニューヨークの「クイーンズ訛り」があるにせよ、「これははっきりとした彼のスピーチの変化である」、、、

と、ま、今ところ、病気なのか、痴呆の始まりなのか、単に酔っ払っていたのか、不明ですが、すでに過去と比べてスピーチの変化が指摘されている以上、これは何らかの病的なサインであると取るのが筋でしょう。

何れにしてもトランプは辞めさせないといけません。ロシアスキャンダルや無能を理由に罷免するよりも、病気を理由に引退というのが穏便でしょうね。

しかし、そうなった時に、人格障害プラス痴呆のトランプのXXを舐めるしか能がないわが国の王はどうするのですかね。
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夢を持つことについて

2017-12-05 | Weblog
またまた「困難な成熟」からの連想ですが、人間の成熟は、他人との生産的な相互関係の構築能力の発達のことだろうと前回書いたのですが、まずは「自分との関係」が健康的でなければ、健康的な「他との関係」は築けないのではないかと思いました。

自己愛性人格障害と思われる人の話をちょっと前に書きました。私は専門家ではないけれども、その人の「闇」の部分が露見した時に、その人の行動や言動をそういう視点から解釈すると整合性があってよく理解できるということがわかりました。なにしろ、自己愛障害は100人に一人という高頻度で、しかも近年増えているようですから、障害なのか単なる個性に過ぎないかは微妙なところです。その人も、感情的に爆発した時の異常さを知らない人から見れば、ちょっとおかしいところがある人という程度です。しかし、実際に生活や仕事に支障が出ているので、障害と言っても良いと思います。

後になって振り返って、一つ何となく納得したエピソードがあります。
ある時、雑談をしていて、「夢」の話になったことがありました。寝ている間に見るやつではなく、成し遂げたい人生の目標というような意味の方です。それで、私は、東洋の考え方では、「夢を持っている」というのは不幸な状態であるとも解釈できる、という話をごくカジュアルな一般論として話したのです。つまり、夢を持っているということは、その人が現在の状況に満足しておらず、現状よりもより良い状態を手に入れたいと願っているということを意味するという、ま、よくある解釈です。つまり、幸せであるとは、あるがままの人生を肯定することであるとすると、夢を持っているということはそれを、否定することでもあるという理屈です。

ごく、気軽な調子で、「夢を持つ」ということのネガティブな解釈も存在するという雑談のつもりで、話したので、私は、「ふーん、そういう解釈もあるのね」ぐらいの軽いリアクションが返ってくると思っていたら、相手は、かなり感情的な反論をしてきたので、面食らった覚えがあります。あたかも、私が「夢を持つことは悪い事だ」と言っているかのような反論の仕方をするので、驚いてしまいました。

後から思えば、これは、私がこの人のコアにある信念みたいなものを否定したと思ったのではないか、と思い当たりました。「夢を実現する」というのはこの人にとって、譲れないことであったのだろうと思います。この人は、今の自分は「本当の自分」ではないと考えていて、夢の中に存在する「素晴らしい本来の自分を実現すること」によって、現在の不幸せや不満は解消されるはずだ、そう信じているのではないか、と思いました。つまり、この人は、ありがままの現在の自分を認めてやることができず、ゆえに「青い鳥」を探しあてることは何よりも大切なミッションであり、青い鳥が見つからないもしくは存在しないという考え方は受け入れがたいのだろうと想像しました。どうも、現在の自分が不本意な状態にあるのは、「本来の自分」は素晴らしいのに環境がそれを具現化するのを妨げているだけなのだ、と思っているようです。であるからこそ、より価値のある人間へと成長しようという努力を惜しむのではないでしょうか。本来の素晴らしい自分はすでに存在している、後は、白馬の王子様がやってきさえすれば、素晴らしい私が現れる、そんな風に思っているのかもしれません。  

山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、我、人と訪め行きて、涙さしぐみ帰りきぬ、、、、
「本来の素晴らしい自分がすでに存在している」とか「その素晴らしい自分を具現化することを妨げている外部の要因が除かれば幸福なれる」という考えが、現実の前に押し潰されるという経験をして、人は大人になっていくのではないでしょうか。

というわけで、France Gallで「夢に見た王子様」、この歌詞はシビれますぜ、旦那。

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国民の気持ち

2017-12-01 | Weblog
前回の人間の成熟についての話からの連想で、ふと、しばらく前のアベ夫人の発言を思い出しました。

安倍昭恵夫人が23日、三重県伊勢市で開かれた民間団体主催のシンポジウム「第1回世界こどもサミット2017」に出席し、「今年は学校のことで、いろいろございました」と述べ、会場の笑いを誘ったという話です。この国民や籠池夫妻を愚弄した発言に多くの人々が、呆れて怒りを露わにしましたが、私もその呆れはてたうちの一人です。

人の気持ちがわからない、他人の立場に立って考えることができない、自分の行動を客観的に見て判断することができない、よく言えば天真爛漫、悪く言えば幼稚。しかし、幼稚な子供じみた人間が権力を操る立場にあるのは危険なことです。役人を秘書代わりに使っているのだから、アベ夫人は私人だという言い訳は立ちません。その役人を使って、森友に便宜を図ろうとした証拠も出ているわけですからね。つまり、やってはいけないこととやっていいことの区別がついていないのではないでしょうか。本人は親切のつもりで特定の人に国民の財産を安く売ってやろうとしたのでしょう。それで、アベの身が危ういとなれば、トカゲの尻尾切りどころか、籠池夫婦をスケープゴートにして、「祈ります」で済ました上に、今回は「学校のことで、いろいろございました」と他人事。あれだけ野党が国会招致を求めているのに、アベが拒否、世の中狂っております。

思い出したのが、マリーアントワネットが言ったことにされている「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」実際はマリーアントワネットの言葉ではないようですが、国民の神経を逆なでするという点で、アベ夫人の発言と共通点があります。その後のマリーアントワネットとルイ16世の運命は歴史にある通りです。マリーアントワネットも実は天真爛漫な親切な人だったようですが、一般国民のことにはあまり興味がなかったのかもしれません。
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