なんとか今月末が〆切のグラント書き終わりました。今年始めぐらいから始めたので半年以上かかりました。最初の草稿の時に中心に置こうと思った主題がうまく発展せず、それを捨てる決心をするのに一月以上かかり、二稿目でも一つ大きなプロジェクトを落とす決心をするまで、また一月以上かかりました。そこから推敲を重ねて、方針が決まって最初の一ページが書けたのが二ヶ月前ぐらいです。随分絞り込んでフォーカスしたよいグラントになったと思います(通るかどうかは別問題ですけど)。ある程度ポジティブなデータもあるプロジェクトやアイデアは捨てるのが難しいですね。グラントは数人に見せて概ね好評だったので、まだちょっと〆切までには日がありますが、これで行くことにしました。
同時に次に出すグラントのことを考えはじめました。このグラントでやりたいと考えている二つのプロジェクトは前から決まっていたので、このグラントの方が話はストレートにまとまるだろう、と楽観していたのですが、最後のプロジェクト、つまり最初の二つのプロジェクトで得られたデータを上のレベルに引き上げるためのプロジェクトがヒラメキません。もうすでに一週間ほど、このことばかり考えていますが、なかなか方針が決まらず、苦しいです。思えば、今回出すグラントのときも最初の数ヶ月は、出口のない迷路に閉じ込められたみたいになってかなり追いつめられました。アイデアを出すために、文献を読みあさったり、人のグラントを読んでみたり、ぼけーとしてみたり、いろいろやってはいますが、光明が見えてきません。こういう時ほど、リラックスして地に足をつけないと、アイデアも降りてこないのだろうな、と思うのですが。
つい成功して活躍している人のグラントや論文を見てしまいました。これは、参考にならいどころか、気分的にはむしろ有害なような気がします。参考にならないのは彼らと私では前提が違うこと、そして有害なのは、人間ですからどうしてもつい他人と自分を比べてしまうということでしょう。
過去を振り返ってみても、私はトップクラスの人間であったためしはありません。頭の出来で区別すると、小学校から大学まで一貫して、私は「凡人クラス」の中を上下するだけでした。凡人クラスと天才/秀才クラスの間にはガラスの天井でもあるかのようです。下を見ればキリがないように上を見てもキリがない、そうは思っていても、実際問題として研究者として生きて行くのにグラントは必要で、グラントを取るためには、天才/秀才クラスの人間とも戦わないといけないのです。研究において彼らがなぜ私と違うクラスにいるのかと言えば、それは強力な武器を持っているからだろうと思います。武器とは、カネと人と技術と実績で、そういう武器があるから勝てるし、そして勝てばより強くなる、というポジティブフィードバックが働きます。そういう相手に、カネなし人なし技術ふつう実績は並の私が戦うには、彼ら以上のアイデアを出して、重要な研究上問題のアキレス腱となる部分を見つけ、力を高度に集中してそこに注ぎ込むしかありません。
私が研究はじめたころに、感銘を受けた論文があって、不思議な縁で今はその著者の人と研究上の交流があります。その論文は、細胞分化における転写因子の役割に関するパラダイムを打ち立てた分子生物学上の歴史的な論文だと私は思います。当時は分野が違ったので、その著者の論文をフォローすることもなく、随分たって、その人の研究上の興味が私の分野とオーバーラップするようになってから、その後の仕事の論文を読むになりました。この人の研究室は小規模で、発表論文数的には寡作な方ですが、一つ一つの論文の質が高く、大変厳密に実験が行われていることにいつも感心します。最近の野心あふれる若手であれば、おろそかにしがちな小さな細部までキッチリ押さえてあって、綿密なデータをもとに論文が書かれています。そしてその研究は地味な主題を扱っていながら、しっかりとしたインパクトがあります。こういうスタイルが私の目標です。しかし、やはりグラントを書く点ではあまり参考にはなりません。そういうスタイルで長年やっていけるのは、過去の実績に基づいたネームバリューがあることが大きいと思われるからです。「彼なら任せて安心だ」ということですね。ネームバリューはグラントが成功する上で大切です。グラントで最も大切なことは「なぜその研究がなされないといけないのか」という必要性に基づく大義です。二番目に大切なのは「誰がやるのか」だと思います。そして最後に、何をどうやるかという実験(プロジェクト)そのものがくるのですが、おそらく実験内容そのもの重要性は3割未満でしょう。私の場合、二番目に難がありますから、残りでカバーするしかありません。
グラントのネタとしては、重要な問題は扱っていると思うので、やるべき自明のプロジェクトはカバーしています。足りないのは、インパクトのある成果を出すために問題攻略の要となるアキレス腱を見つけ出すことと、そこに力を集中して叩き込むためのアイデアです。言うは易し、行うは難し。方針ははっきりしていても具体的なアイデアが出てこないころが、凡人の凡人たる所以です。強力な武器をもっている研究室なら、アキレス腱を探す必要もなく力任せにやれるでしょうから、力任せのグラントを書いても通るかも知れません。しかし、私が同じことを言っては、鼻先で笑われて門前払いされるのがオチです。
舞の海の相撲でも見直してみますかね。アイデアが浮かぶかも。
同時に次に出すグラントのことを考えはじめました。このグラントでやりたいと考えている二つのプロジェクトは前から決まっていたので、このグラントの方が話はストレートにまとまるだろう、と楽観していたのですが、最後のプロジェクト、つまり最初の二つのプロジェクトで得られたデータを上のレベルに引き上げるためのプロジェクトがヒラメキません。もうすでに一週間ほど、このことばかり考えていますが、なかなか方針が決まらず、苦しいです。思えば、今回出すグラントのときも最初の数ヶ月は、出口のない迷路に閉じ込められたみたいになってかなり追いつめられました。アイデアを出すために、文献を読みあさったり、人のグラントを読んでみたり、ぼけーとしてみたり、いろいろやってはいますが、光明が見えてきません。こういう時ほど、リラックスして地に足をつけないと、アイデアも降りてこないのだろうな、と思うのですが。
つい成功して活躍している人のグラントや論文を見てしまいました。これは、参考にならいどころか、気分的にはむしろ有害なような気がします。参考にならないのは彼らと私では前提が違うこと、そして有害なのは、人間ですからどうしてもつい他人と自分を比べてしまうということでしょう。
過去を振り返ってみても、私はトップクラスの人間であったためしはありません。頭の出来で区別すると、小学校から大学まで一貫して、私は「凡人クラス」の中を上下するだけでした。凡人クラスと天才/秀才クラスの間にはガラスの天井でもあるかのようです。下を見ればキリがないように上を見てもキリがない、そうは思っていても、実際問題として研究者として生きて行くのにグラントは必要で、グラントを取るためには、天才/秀才クラスの人間とも戦わないといけないのです。研究において彼らがなぜ私と違うクラスにいるのかと言えば、それは強力な武器を持っているからだろうと思います。武器とは、カネと人と技術と実績で、そういう武器があるから勝てるし、そして勝てばより強くなる、というポジティブフィードバックが働きます。そういう相手に、カネなし人なし技術ふつう実績は並の私が戦うには、彼ら以上のアイデアを出して、重要な研究上問題のアキレス腱となる部分を見つけ、力を高度に集中してそこに注ぎ込むしかありません。
私が研究はじめたころに、感銘を受けた論文があって、不思議な縁で今はその著者の人と研究上の交流があります。その論文は、細胞分化における転写因子の役割に関するパラダイムを打ち立てた分子生物学上の歴史的な論文だと私は思います。当時は分野が違ったので、その著者の論文をフォローすることもなく、随分たって、その人の研究上の興味が私の分野とオーバーラップするようになってから、その後の仕事の論文を読むになりました。この人の研究室は小規模で、発表論文数的には寡作な方ですが、一つ一つの論文の質が高く、大変厳密に実験が行われていることにいつも感心します。最近の野心あふれる若手であれば、おろそかにしがちな小さな細部までキッチリ押さえてあって、綿密なデータをもとに論文が書かれています。そしてその研究は地味な主題を扱っていながら、しっかりとしたインパクトがあります。こういうスタイルが私の目標です。しかし、やはりグラントを書く点ではあまり参考にはなりません。そういうスタイルで長年やっていけるのは、過去の実績に基づいたネームバリューがあることが大きいと思われるからです。「彼なら任せて安心だ」ということですね。ネームバリューはグラントが成功する上で大切です。グラントで最も大切なことは「なぜその研究がなされないといけないのか」という必要性に基づく大義です。二番目に大切なのは「誰がやるのか」だと思います。そして最後に、何をどうやるかという実験(プロジェクト)そのものがくるのですが、おそらく実験内容そのもの重要性は3割未満でしょう。私の場合、二番目に難がありますから、残りでカバーするしかありません。
グラントのネタとしては、重要な問題は扱っていると思うので、やるべき自明のプロジェクトはカバーしています。足りないのは、インパクトのある成果を出すために問題攻略の要となるアキレス腱を見つけ出すことと、そこに力を集中して叩き込むためのアイデアです。言うは易し、行うは難し。方針ははっきりしていても具体的なアイデアが出てこないころが、凡人の凡人たる所以です。強力な武器をもっている研究室なら、アキレス腱を探す必要もなく力任せにやれるでしょうから、力任せのグラントを書いても通るかも知れません。しかし、私が同じことを言っては、鼻先で笑われて門前払いされるのがオチです。
舞の海の相撲でも見直してみますかね。アイデアが浮かぶかも。