百醜千拙草

何とかやっています

新大阪市長について

2011-11-29 | Weblog

大阪市長選で前大阪府知事が当選とのこと。喩えが悪いかも知れませんが郵政改革で熱狂支持を受けたコイズミを思い出させます。この新大阪市長、ハシズムとか呼ばれて強引な改革をやろうとしていることが多くの人のバッシングをうけているのは聞いていますし、つい先日の「内田樹の研究室」では、その教育に対する考えかたに痛烈な批判がされていました。改革に対する情熱があるのはわかりますが、挑発的で強引なやりかたや、教育システムに軍事的ともいえる規律を導入してシステムをトップダウンでコントロールしてやろうとする考え方は、私も気に入りません。「維新の会」とかいう団体で活動しているようですが、だいたい、明治維新は日本の外圧に対する敗北であって、その後、独立国として関税自主権を取り戻すのに非常な苦労をしたという歴史を鑑みれば、「維新の会」とかいうネーミングからしてちょっとズレているのではないか、と思わされます。

ニュースのリンクから、府知事時代のこの人と私学助成金削減に反対する高校生との3年前の討論を知りました。(「子どもが笑う」とは皆さんが笑うことではない)この高校生との対話で、この人の言ったことは基本的に間違っていないと私は思います。(ところで、この対話で出てくる「自己責任」という言葉が、しばしば、市場原理主義擁護というコノテーションをもって使われているのを私は愉快に思っておりません。私は「自己責任」は、自分の人生を豊かに生きる上で不可欠の考え方であると信じております。)

ただし、問題は話している相手です。相手は、義務教育期間中「先生や親や大人の言うことをまじめに聞いていれば良い」というロボット教育を叩き込まれてきた子供たちだということです。私が自己責任の話を理解できたのは、つらい大学院、ポスドク時代を何年も過ごしたあとの話で、小中学校で「先生や目上の人の言うことを聞け」とだけ教え込まれてきた子供が「自己責任」を理解できるはずがない、と思うのです。(できたら、よっぽどの大人です)その子供たちに(学校教育で教えてきたことと異なる)現実社会の本音を正面からぶつけたら、泣き出すのも無理はないと思います。弱い相手に対する思いやりというものが欠けているとの批判されるのもやむを得ないかも知れません。しかし、この知事の立場であれば、他にどう言えただろうか、とも思います。

大人の目からすれば、この高校生たちの言うことは甘えです。「学力が足りないので私立の高校にしか行けなかった」というのはちょっと情けない言い訳だと思います。「先生に(私立しか行けないと)言われたから(私立に行った)」というようなことを言っています。また、この子たちは「教育の権利」が保障されているのだから、カネを出せ、とも言っています。それに対して、「学校に行かなくても勉強はできる」と知事は答えます。つまり「本当に勉強したいという気持ちがあるのか?」と聞いているのでしょう。「勉強は学校に行かなくてもできる」というのは真実です。また「そんなに勉強したいのだったら、どうしてもっと頑張って公立に行かなかったのか?」という知事の質問は当然のものとも言えます。

私は、原則的に前知事の言うことは、もっともだと思います。高校生を対等な立場の相手として本音で語ったのも立派なものです。あの立場では、あれ以上の対応はできなかっただろうとも思います。しかし、その発言がかくも多くの人の反感を買い、この前知事が、子供、弱者に対する思いやりに欠ける、人間性に問題がある、という反応を起こすのは何に起因しているのか、と考えずに居れませんでした。相手は子供なのだから適当なことを言ってその場を誤摩化せば良かったのでしょうか。(日本政府は国民に対して、そういう態度をずっととってきましたが)府の税金からの収入ををどう配分するかが知事の究極の仕事です。税収に限りがあるのなら、優先順位をつけざるを得ません。それによって不利益を被る人々は必ず出てくるわけで、全員の願いを聞くわけにはいきません。知事はそのことを伝えたに過ぎないと思います。また「勉強は学校に行かなくてもできる」というのは、建設的なアドバイスであると私は思います。

問題は、むしろ、この子たちがこれまで、受けて来た教育だと思うのです。この子たちは、自分たちには教育を受ける権利がある、権利が保障されているものは「自動的に」与えられるべきだ、と思っているようです。それで「学力が足りないので、先生に言われて私立に行った」というような言い訳が出てくるのではないでしょうか。自分に学力がないのは、環境のせいであったり、先生のせいであったりするのだから、彼らが自分の教育に責任をとるべきだ、なぜなら、教育を受ける権利があるからだ、という理屈のように聞こえます。そう主張するのは自由ですが、その主張を買ってくれる人がいるかどうかも考慮しておくべきでしょう。結局は、他の誰でもない自分自身の教育の問題なのですから。かれらの理屈は、「上」のいうことを真面目に聞いて命令通りに動く優秀なロボット労働者を量産する、という高度成長期の目的に沿った教育成果に他ならないのではないか、と私は思います。「自己責任」という当たり前の原則についてわざと学校が教育してこなかったのは、そういう「自立」した国民は、教師にとって、企業にとって、そして国家にとって扱いづらいからだ、と思います。管理する側からすれば、大人しく従順で与えられた仕事を文句を言わずにソツなくこなす人間が望ましいわけす。管理側は、「オレの言うことを聞け、その代わりに何かあったらオレが責任をとる(実際はとらないわけですが)」、そう言って、高度成長期に役立つサラリーマンを量産してきたのだろうと思います。これは「教育」そのものの問題というよりは教育システムの背骨に埋め込まれた政治的意図が起こして来た問題ではないのか、と思います。教育の本当の目的は、自分の頭で考え最適の判断ができる「自立した人間」を生み出すことであるべきだ、と私は思っています。しかし、税金を使って行う教育は、国家にとって(建前上は、その構成人員である国民にとって)子供を教育することが有益になるようにデザインされているわけで、優秀なロボットが欲しかった時代の教育はそのような政治的、社会的目的に沿ってなされていたのでしょう。その観点からは、日本の義務教育のシステムは、むしろ自己責任や自立を放棄し、長いものに巻かれて、いつでも替えがきく社会の一歯車として、受動的に生きなさい、と暗に教えて来たのではないか、と思います。そういう人間は使う側から見れば便利です。戦争になれば黙って戦場に行くでしょう。

この前府知事が高校生に対して、いわば「自立」を促している一方で、同じ人間が、大阪の教育条例を変えて管理しにくい教師を締め付けようとしているという、分裂した(と私には見える)言動に、私は警戒感を持ちます。自立、自己責任の大切さを教えるのは悪いことではないと思いますが、府知事なり市長という権力を持った側が、その権力の行使の利便のための言い訳にこれらの言葉を使うのであれば剣呑です。

さて、この高校生たちですが、府知事に直訴したという行動は立派だと思います。彼ら自身が問題を自分で解決しようと行動を起こしました。その行動に「自立」、「自己責任」の意識の芽生えが見られます。そして、この討論の後、高校生たちは、生徒同士で、「勉強せなあかん。悔しいからな、勉強していろんなことしらなきゃあかん」と語り合ったとあります。その本意は正確にはわかりかねますが、この前知事との対話がこの子供たちに、知ることに対する動機を喚起したらしいとは察せられます。この経験は彼らのとって大きなプラスであっただろうと思います。

行き過ぎた弱肉強食の市場原理主義が日本の社会の格差と貧困を生み出して来たのはそうだろうと思います。競争でギスギスした社会よりも共に支え合う「共生」の社会を、というスローガンをよく聞きます。私も賛成です。しかし、「共生」の前に「自立」という言葉がついています。「自立と共生」です。自立していない人間が他人を助けることはできません。そして、助けられた方は自立を学んで別の人を助ける側に回らねばなりません。共生における助け合いは、自立した人々によるreciprocalなものでなければ長続きしないと思います。

ところで、この選挙で、大阪はどうなるのか、私は正直、政治主導でガンガン変える、と考えているこの人に対して不安な気持ちを持っています。大きな作用は大きな反作用と対であり、権力の集中は腐敗を産むのです。大衆が熱狂的に支持したヒトラー独裁は不幸な結果に終わりました。自民が圧勝したコイズミ改革は売国を促進し国を荒廃させました。改革に対する人々の期待が強く、強いリーダーシップを望むときほど、皮肉なことに強いリーダーシップは腐敗した独裁制へと速やかに転換し、より悪い結果を産んできました。そうならなければいいですが。

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感謝祭とアメリカ大統領選

2011-11-25 | Weblog

この週末はアメリカでは感謝祭で、多くの家庭でフットボールを見ながら一日中、食べたり飲んだりして日を過ごす週末ですが、来年のアメリカ大統領選に向けて、共和党候補指名への選挙活動はしばらく前から始まっています。前回も出ていたミットロムニーとロンポール以外の人は余り知りませんが、当初トップを走っていた黒人候補のケインは露骨なセクハラ スキャンダルを仕掛けられて失速、ペリーはどう見ても頭が悪いのを見透かされて支持をどんどん落し、現時点ではミット ロムニーとニュート ギングリッチがトップに出てきました。ギングリッチはかつて下院のハウススピーカーをやったこともある実力者ですが、不倫で一旦、政界から身を引いたという過去があります。ロムニーはモルモン信者という点が嫌われていましたが、残りの候補がパッとしないのに助けられているです。私、この人が生理的に嫌いです。喋り方もその内容もガマンできません。共和党の中では前回はロンポールが最もまともに見えました。ただ、線がちょっと細くで押しが弱いのでアピール力に欠けて、支持を延ばせません。ロンポールの主張は小さな政府であり地方分権ですが、それは同時に巨大な合衆国としての内部分裂を起こす可能性があり、例えば、北部沿岸州のカネが南部の比較的貧しい州に流れているわけですが、そうした富の再配分を低下させ、より格差を増大する方向に向かうことになると私は思います。彼は国民皆保険制にも反対しており、より社会主義的社会が望ましいと思う私とは意見が違います。極端には、自分の周辺の狭い社会の安定と繁栄が確保できれば、その他には口出ししない主義と言えるでしょう。しかし、外交に関して言えば、小さな政府、不介入主義を唱えるロンポールがアメリカ大統領になることは日本にとっては悪くないのではないでしょうか。例えば、かつて日米同盟について、ポールは、日本は米軍依存をやめるべきで、在日米軍の撤退を強く主張し、「米軍基地の抑止力」は幻想に過ぎないと発言したようです。まるで、日本がアメリカを利用しているようなもの言いが気に入りませんが、アメリカが小さな政府となって外国へちょっかいを出すのをやめてくれたら、諸外国はたすかるでしょう。かつで米ソ冷戦時代の不安定性が汎アメリカ主義でによって一時的には安定化したとはいえるかも知れません。しかし、アメリカは、いまや(かつても)、そのパワーを何とか維持するために、世界各国にテロを仕掛けては世界平和を乱す暴君に成り果てています。アメリカ財政はとっくに破綻していて、これまでのように外国からカツアゲし続けてもどうにもならないような段階です。どこかで突然、大きく破滅するか、そうでなければ、少しずつ商いを小さくして、普通の一国家になる道をえらんで破滅のショックを最小化しようとするか、いずれかであろうと思います。智恵ある人なら後者を選ぶでしょうが、アメリカ一般国民や政治家が十分に成熟した自己統制能と理性を持っているとは思えないので、きっと行ける所までこの調子でゴリゴリ行って、最後はテルマとルイーズのように崖からダイビングするようなことになるのでしょう。(長年の愚民化政策のツケです)理想的には、アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパがそれぞれに独立した経済圏をつくって、各経済圏での経済の安定に各々が責任を持つようなシステムが望ましいのではないかと私は思います。グローバル化した経済では、ブラジルでの蝶の一羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こしたりするわけですし。

正直、前途が極めて暗いアメリカの大統領をこれからやる人は大変でしょう。オバマ同様、いろいろ公約して夢を語ったところで、明るい未来を実現できる可能性は極めて低く、それどころか、ユーロが崩壊し、債務削減のためのコストカットを2年後に本格的にやりだしたら、あっと言う間に1930年代以上の大恐慌に陥るでしょう。Gainするどころか、Lossを如何にCutするか、というレベルのことしか行えないわけで、それでは国民はどう転んでも満足しません。入院中の患者がいくら全快退院を求めても、実際に大統領のできることは、その場しのぎの延命処置ぐらいでしょうから。ただ、ロムニーはやめて欲しいと思います。最終的に誰が指名を勝ち取るかはわかりませんが、共和党が有利な選挙になり、オバマが再選されない可能性もかなりあるわけですから、共和党候補も少しでもマトモな人に指名をとってもらいたいと私は思います。いくら大統領ができることが限られているからといっても、自爆を早めるような人選はやはり避けてもらいたい。アメリカがコケそうになった時に最初にとばっちりを喰うのは日本なわけですし。アメリカがクシャミをすれば日本が風邪をひくのは、アメリカの病気を日本が引き受けることになっているからです。アメリカが寝たきりになったときには、下手すると日本は既に死んでいるかも知れません。

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沖縄科学技術大学院大学のGHQ

2011-11-22 | Weblog

柳田先生のブログで、柳沖縄科学技術大学院大学の不正疑惑について、理事会へ審議の請願書を出して告発したものの、木で鼻をくくったような返事が来て、事実上、黙殺された、という状況になっているということを知りました。理事の不正ですから理事会が自己批判するようなマネはしないのでしょう。日本の政府、官僚組織を見てもわかるように、組織では、不正を正して人々の権利を守ろう、というタイプの人間は、権力中枢から嫌がらせを受けて追い出され、結果、権力に残った連中は保身だけには長けた事なかれ主義のクズばかりになってしまうわけですが、それが仮にも「大学」という場所で起こっていて、関係者や学生を含む運動にならない(通常の大学ではなく大学院大学であるという性質にもよるのでしょうけど)という辺りがちょっと悲しいです。東大紛争や「いちご白書」を私はリアルタイムで知っているわけではありませんが、そういう話を通じて、私の中には「大学」は、学生や教官が共につくる民主主義的自治組織であるというイメージが今でもあります。そうあって欲しいと思っています。

コメントで戴いた情報で、この大学での以前のパワハラ事件も国会まで上がったもののアホウ氏の形式的答弁でお茶を濁されて終りになった、という話を知りました。そして、その後、次のようなコメントを戴きました。(強調は著者)。

OIST新組織体制のようです。トップが責任を取らない体制がいつまで続くか注目に値します。今後柳田先生がどうでも良い理由で罰せられたり圧力をかけられたときにOIST内部で何もアクションが起こらない場合は組織内の自己浄化は今後不可能と見て間違いないでしょう。また独立した第三者機関のチェックが形骸化することはパワハラを受けた方のブログを見れば明白です。誰がこのような組織を望んでいるのかと考えたとき、それは現場で働いている人間でもなく、沖縄県民でもなく、日本国民でもなく、おそらく外国勢で固められた上層部だけなんでしょう。

柳田先生の告発の顛末を見ると、まさにその通りのことが起こっているようです。このような不正行為が堂々と何年にも渡って行われてきているのに、それを正す機構が一切、機能していないのです。(日本の検察と司法の腐敗ぶりを見れば、不思議はありませんが)。トップが責任をとらない卑怯者体質は、日本の官僚および官僚的組織をその最たる例として、日本に広くはびこっています。税金がかなり投入されているこの沖縄大学院大学が、外国人や(あるいはその背後にいるかもしれない内閣府の役人)にいいように利用されて、実際に実害を受けているのは、一般国民であると思います。それでもおとなしい日本人は、文句を言うこともなく、略奪されるがままなのでしょう。行政や第三者機関がそもそも保身第一の事なかれ主義なのだから、被害にあっている弱い立場の人間は本当に救われません。

柳田先生は、この大学を、(私の解釈によると、進駐軍が、彼らの基準を押し付けて、日本人を奴隷化して、その富を奪う)「TPP的大学」と呼んでおられましたが、頷けます。アメリカの属国としての負け犬根性が叩き込まれている日本の行政官僚などがいう「国際化」はアメリカのモノマネをし、日本人には不便なように、そしてガイジンには便利なように、組織を変えることのようです。ちょっと前には、日本にあって日本人を雇用しておきながら、社内公用語をわざわざ英語にしたという恥ずかしい会社がありました。その発表をするのに社長自ら英語で記者会見したという病膏肓のニュースを見て、私は正直、呆れを通り越して怒りがこみ上げてきました。これを負け犬根性といわずして何というのだろう、こういう根性が、日本をアメリカの属国の地位に釘付けにし、そのツケを沖縄の人々や一般国民に押し付けて、自分は知らないフリをする卑怯をのさばらせてきたのではないのか、と思ったのです。

それにしても、国内にはTPP交渉参加は議論が必要だと言いながら、エダマメは「政権がTPP参加で合意し、全ての品目と分野を対象にする」というウソをアメリカ側に伝えたそうで(衆議院議員小里泰弘のブログ)、平気で二枚舌を使うドジョウ政権は最低です。政権延命のためにウソ、思いつきを連発した空きカンはクズでしたが、ドジョウの腰の低さ(足の短さ)と八方美人も、ただの政権延命のための姑息な手段にしか過ぎなかったようです(最初からうすうすわかってはいましたが)。

TPPが締結されると、日本の多くの組織で沖縄大学院大学のようなことが起こるでしょう。日本にあって日本人の税金を使った組織でありながら、アメリカのスタンダードを押し付けられ、管理中枢を狙って侵入してくるアメリカ人はその税金を横取りし、そして日本人労働者は彼らの奴隷となって、日本人同胞を搾取するために使われることになるのでしょう。

戦後のGHQ統制下に逆戻りというわけです。やりきれませんね。

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ヨーロッパの心

2011-11-18 | Weblog

世の中見ていると、生きているのが嫌になるようなことばっかりで、投げやりになりそうになります。私は人間の性の善を信じて、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のように生きたいと思いますが、あいにく、どうみても現実は醜く、グローバル化した資本主義で今や人々は皆、カネの奴隷にされて、一日四合の玄米と味噌と少しの野菜も食べられず、他人の世話を焼くような余裕もなく、生きていくだけで精一杯という人々を増やしつつあります。

さて、ガダフィ殺害が、アフリカの経済的独立を封じ、引き続いて欧米の植民地的状態に置くための欧米の謀略であったというようなことをちょっと前に書きました。ふと昨日、藤永茂さんのブログを覗いてみた所、50年前に、ベルギー兵によって暗殺されたパトリス ルムンバというコンゴの首相の話がありました。大変興味深く読んだので一部を抜き書きしておきたいと思います。

ベルギーは、ヨーロッパでは内部分裂した社会を抱える小国だが、コンゴでは、独立以前からコンゴを支配する大君主のような地位に立つことを成し遂げたつもりであった。そのベルギー人たちの目から見て、パトリス・ルムンバの犯した許し難い罪は、1960年6月の独立記念式典でベルギー国王の行なったスピーチに反論したことであった。(中略)

パトリス・ルムンバは独立から2ヶ月もたたない内に首相の座から追われ、自宅に監禁された。彼は脱走したが捕えられ、殴打され、拷問にさらされ、挙句の果てに惨殺された。この暴行、拷問、殺害のパターンは今日まで、パトリス・ルムンバの暗殺から50年後の今に至るまで続いている。[訳者注:この論考はカダフィ惨殺の10ヶ月前に発表された。]
  ルムンバの暗殺の時以来、真の独立の道を辿ろうとしたアフリカ人指導者のほとんど誰もが暗殺された:Eduardo Mondlane, Amilcar Cabral, Herbert Chitepo, Samora Machel, Thomas Sankara, Felix Moumie, Chris Hani, Steve Biko.  指導者たちに対する暴力は、アフリカ人の抑圧とアフリカの資源の略奪に反対の声を挙げたジャーナリスト、学生、野党指導者、社会勢力に対する脅迫と暗殺行為を同時に伴った。

欧米は己の利益のためには、外国を侵略、略奪、内政干渉、暗殺、脅迫、なんでもやってきます。同様に、日本でのロッキードの角栄や陸山会事件の小沢氏が受けている迫害は、ガダフィやフセインに対して欧米が行ったことと同一線上にあると私は思います。日本が救われないのは、アメリカの手先となって私利のために国を売り、同胞を裏切る連中が権力中枢に集められていることではないでしょうか。

その一週間前のエントリーでは、藤永さんは次のように述べています。

1986年のトリポリ空爆についての吉田ルイ子さんの証言を知った今、2011年に演出されたカダフィ暗殺劇についての我々の想いは怒りとシニシズムに満ちたものにならざるを得ません。いわゆるマスコミが完全にコントロールされている状況下で、どうすれば一般の人間が歪曲されていない事実を掴めるか、どうすればマスコミからの操作をはねのけて独立の思考判断を維持するかという困難な課題に我々は日々直面しているわけですが、これまで既に明確に目の前に曝されている事実から読み取れるのは、アメリカを含む「ヨーロッパの心」と私が常に呼ぶ精神の残忍さと傲慢です。信じ難いような傲慢と残忍性です。

われわれは、アメリカが、特にブッシュ-チェイニー時代、数々の無法なでたらめを公然と行ってきたのを目の当たりにしてきました。「9-11はアメリカの自作自演で、中東侵攻への口実作りのために自らの国民を虐殺したのだ」とイラン大統領は公然と非難しました。しかし、この悪魔のように残忍で傲慢な「ヨーロッパの心」をもつ人間はごく一部で、大多数のアメリカ人やヨーロッパ人は、無意識の協力者もしくは被害者でさえあるのだろうと思います。悲しいことに、世界はその残忍な一部の悪魔によってコントロールされてきて、その上、彼らは反省することを覚えず、フセインを殺し、ビンラディンを殺し、ガダフィを殺ししてきました。

人類はその内の一部に巣食う残忍で傲慢なこの悪魔とどう戦えばよいのでしょうか。多分、人間、一人一人がもっと賢くなるしか道はないのでしょう。アメリカは(日本でもそうですが)その国民をハリウッドのバカ映画やプロスポーツ漬けにし、マスコミを通じて愚民化を進めてきました。そうして国民には、イラク戦争はアメリカ国防のためだとか、ビンラディンはテロリストだとか、ガダフィは独裁者で民主主義の敵だとか、カストロはアメリカを攻撃しようとしているとか、デタラメを信じ込ませて、残虐な犯罪行為を正当化してきました。藤永さんが言うように、マスコミが完全にコントロールされているという状況下で、その洗脳の呪いを破るのは簡単なことではないだろうと思います。

以前、チョムスキーは、どうしてそのように世界情勢を深く知っているのか、と問われて、自分の情報の殆どはメディアに発表されている、と答えました。ただメディアは一面しか伝えません。書かれていないことを読み取ることができてはじめてチョムスキーと同じ質の情報が共有できるということでしょう。

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ユーロ崩壊、日本の外交

2011-11-15 | Weblog

ベルルスコニ、本当に辞めたようです。メディア、産業を支配し、二期半、10年以上に渡って政権にいたベルルスコニも経済危機でついに降りました。これを喜ぶイタリア人も大勢いるでしょうが、マトモな後任がいないし、イタリア政府は腐敗が激しいので誰がやってもどうにもならない、と国民は半ば投げやりになっているのが実情なのだそうです。東方のどこかの国と同じですね。ギリシャもEU支援を受入れるための合意形成のために首相が首を差し出して、新連立政権となりました。国家危機を野党が利用して政治的前進を図ろうとするのはどこでも同じようです。横から見ているとそういうことは結局自分の首を絞めることになると思いますが、当事者には違う心理があるのでしょう。実質ユーロを支配しているドイツがギリシャを助けるのはギリシャがドイツの軍事兵器などを買うからだという話があります。しかし、当のギリシャでは国民の半分は役人だそうで、実質的に富を産む仕事をしていないわけですから当然、カネも尽きます。そうなれば、ドイツにしてもカネがないのならもう客ではない、とユーロ圏から蹴り出そうとするのではないででしょうか。イタリアとスペインも同じ事で、思うにユーロは早ければ数年で崩壊し、南ヨーロッパの国々は以前の通貨システムに戻らざるを得なくなるのではないでしょうか。

経済危機と言えば、東北震災の後、傲岸不遜の経済学者、ラリー サマーズが、「日本は大変貧しい国になる」と予言しました。私は、震災と原発災害のことを言っているのだろうと最近まで思っていましたが、週末、ドジョウがTPP交渉参加意志表明という官僚原稿を棒読みするのを聞いて、サマーズが日本が大変貧しくなると言ったのは、このことを言っていたのかも知れない、と思い直しました。一般日本人の生活レベルをグローバルスタンダードまでに落とし込むのと引き換えにアメリカ企業の利益を産むためのスキームTPPを、空きカンや財務官僚の傀儡のドジョウらBKD(売国奴のことを最近はこう言うそうです)を使って、他ならぬアメリカが、シュクシュクと進行させてきたのですから、サマーズが日本の貧しい将来を予言できるのも当然なのです。

アメリカとは独立にアジア外交をしようとした田中角栄を、ロッキード事件を使ってハメたことに対して、キッシンジャーが「あれはやりすぎた」と言ったという話を最近、どこかで読みました(ちょっと、どこか思い出せません)。また、キッシンジャーは、「日本人はあたり前のことを受け入れるのに、議論を延々とやって15年かかる」とかつて言ったという話も田中良さんのブログで前に知りました。つまり、明治維新と日米安保のことを言っているのです。明治維新と言えば聞こえはいいですが、早い話、外圧に負けて力ずくで開国させられた(城を開け渡した)だけのことで、日本人がいくら反対だ賛成だという議論をしたところで、日本は力で負けたのだから開国することは最初から決まっていたのです。日米安保も同じことで、戦争に勝ったアメリカからしてみれば、日本をアメリカの軍事属国にすることは日本人がいくら反対したところで最初から決まっていた話で、抵抗したところで覆るわけもないのに、日本人はウダウダと何を無意味な議論をしているのか、バカではないのか、と思っていたワケです。TPPもアメリカ様が日本に参加しろと言っているのだから参加しないという選択は日本にはないし、沖縄米軍基地の県外移転もアメリカ様がイヤだと言っているのだからできないのだ、少なくともアメリカと日本官僚はそう思っているワケです。アメリカにとってみれば、最初から決まっているのだからさっさとやれよ、という事でしょう。

しかるに、どうして日本は最初から決まっている結論に到達するのに、何年もウダウダと議論するのかということです。私自身はこの手の責任所在があいまいで決断が遅い日本社会の体質がガマンなりませんが、日本がこういう意思決定の方法をとるそれなりの理由があるような気がするのです。

昔、国会で、牛歩戦術というのがありました。成立が最初からわかっている与党法案に対して、野党が議員席から投票箱に票を投じるのに異常に長い時間をかけることによって抵抗したという社会党の得意技です。理屈上は、国会の会期終了まで牛歩で採決を送らせれば、その法案は一旦廃案になり成立を一時的に阻止できるわけです。しかし、与党の議員数が法案成立のための数を満たしていれば、いずれは法案は成立するわけで、牛歩をやったところで結果は変らないのです。実際、牛歩をやっている国会中継を見ると、まるでパロディー番組としか思えないバカバカしさです。であるのになぜやるのか。パフォーマンスに加え、もう一つは実際、多少の「時間稼ぎ」ができるという理由ではないかと思います。

日本の重要な政治議題の結論はアメリカと官僚が既に答えを書いているので、議論するまでもなく最初から決まっている訳です。それを一応、議会で議論したフリをし、民主主義のフリをして民意として決定する、それが属国、日本の統治形態です。そんな中で、唯一できるささやかな抵抗が「時間稼ぎ」であったのではないか、と私は思うわけです。一応、独立国の民主主義、法治国家という建前があるので、建前は通さねばなりません。それを口実に時間稼ぎをする、そのための議論なのではないかと思います。

ドジョウも最初から決まっていたTPP交渉参加意志を、あたかも熟慮の末に表明したという形にするために、予定していた表明わざわざ一日だけ遅らせるというsubtleなワザを出しました。しかもこれはTPP交渉参加表明ではなく、交渉参加へ向けて関係国と協議することの表明だそうで、これからも、議論したり熟慮したりするフリをしながら、政権が少しでも長く続くよう、時間稼ぎをしつつ、結局、最初から決まっているTPP交渉参加という結論に近づいていくのでしょう。農業や医療という日本の保護市場はいずれこのTPPによってアメリカのハゲタカ企業に明け渡すことは決まっていて(と少なくともアメリカは思っている)、そうなれば、サマーズが言うように、一般日本国民は大変貧しくなることも決まっているのです。そして、日本のできる唯一のささやかな抵抗が「時間稼ぎ」だ、多くの政治家や官僚はそう考えているのでしょう。当然、松下政経でしっかりカタにはまったドジョウもそう思っていると思います。その負け犬根性が、日本をますますアメリカの属国としての立場に釘付けにしてきました。その負け犬根性を払拭し、本気で対米従属から脱することを考えたのは角栄と現在はその弟子の小沢氏だろうと私は思っているのですが、、、。

ここまで書いた後、田中良さんのブログが更新されていて、TPP参加について「これでよいのだ」というタイトルで出ていました。大変興味深い説です。ドジョウが一日表明を遅らせたのは日本のTPP反対派に対して打った時間稼ぎの猿芝居だと私は単純に思っていたのですが、同じ猿芝居でもこれはひょっとしたらアメリカに対して打った芝居の可能性もあると思わされました。もしそうだったらドジョウは役者です。(たぶん、違うでしょう、先週の国会での様子を見ると、ドジョウはTPPのISD条項についても知らず、日本が交渉参加できるのは全ての条件が日本抜きで設定されてしまっただということもわかっていなかったようですし)

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不良ガイジンと劣等感

2011-11-11 | Weblog

沖縄大学院大学でのCorruption(?)についての柳田先生のブログ記事の感想を書いたところ、その理事長の秘書的仕事をしている人からパワハラを受けた方のブログをコメント欄で紹介して戴きました。どうも情報ありがとうございます。(http://hisako6a.blog.ocn.ne.jp/blog/早速、読んでみました。その通りだとすると、(柳田先生の話からも間違いないようですが)、とんでもない話です。しかもこのパワハラを加えた人、極めて子供じみたエゴを持つ幼稚な人間なようですが、明らかに組織と多くの人々に悪影響を及ぼしてきたのに、いまだに野放しになっているというのはどういうことでしょうか。まるで乱暴を働く米兵に対して、アメリカ様の家来だからとビビって何もしない日本政府のようです。昨日の柳田先生のブログでは更に詳しい情報がありました。総合すると、やはり、不良ガイジンが日本の税金でできた機関を喰いものにしているとしか見えません。

このパワハラの人、たぶん外国人だと思われますが、おそらく明治時代の西洋人のように日本人は劣等動物だと思っているbigotなのでしょう。年に6千万以上ももらっている学長が兄弟をつれてきてポジションを与えたというのも多分、同じメンタリティーで、日本はアメリカの属国で日本人は劣等民族だから、何をやっても許されると思っているのではないでしょうか。まさに進駐軍です。イラクに侵攻して4万人以上の無実の市民を虐殺したアメリカ軍を思い出させます。沖縄の人々が、期待をかけていた沖縄大学院大学が地元の振興ではなく、逆に進駐軍によって県民や国の税金を盗むための道具にされていることに対して、怒りを持つのももっともだと思いました。

日本は幕末、外圧を受けて無理やり開国させられ、欧米には力でかなわないことを思い知らされてから、自らのアイデンティティ(があったかどうか知りませんけど)をかなぐりすて、ひたすら西洋のモノマネをし、脱亜入欧なる恥ずかしいスローガンのもとに、西洋化に邁進しました。そのころから、そして特に第二次世界大戦で負けてから、欧米に対する強い劣等感を刷り込まれました。その劣等感の刷り込みの強い人々が考える大学の「国際化」とは、端的に言えば、職場に「欧米の白人」研究者を飾るということであって、思うに、彼らにしてみれば、劣等民族の日本人が「欧米の白人」と肩を並べて仕事をしているということだけで満足なのではないでしょうか。学問の中身はどうでもいいのです。英語をしゃべる白いガイジンがその辺にいてトモダチのフリをしてくれたら、その刷り込まれた劣等感が多少なりとも和らぐのではないでしょうか。同じような劣等感の裏返しが、日本人の流行歌の歌手が英語を練習して英語の歌を歌ってLAあたりで小さなコンサートをやってレコードも売り出してコクサイ的歌手として世界デビューするというよくある話だと思います。この手の話を聞く度に、私は情けない気持ちでいっぱいになります。(ま、流行歌手が何をしようとその人の勝手だし、そを私がアレコレ非難するような権利もありませんので、悪口はやめておきます)。

話がズレました。大学では、学問の世界ですから、学問の中身が良ければ、本当は白人だろうと黒人だろうとアジア人だろうと関係ないというのが国際化だと私は思うわけです。日本の大学はクオリティーの高い研究成果を出すことに集中すればよいのであって、その研究成果を以て世界に貢献することこそが国際化というもので、白いガイジンがその研究現場にいることと国際化とは何の関係もないと思います。

あいにく、日本の行政や政治家は今だに、ガイジンと英語で会話することが外交だと思っているようで、国際化とはガイジン(それも欧米の白人)が日本に沢山きてくれることだと思っているような時代錯誤の低能ぶりですから、柳田先生がいくら現場で告発しても何ともならないのかも知れません。

私は、日本人に明治維新のころから刷り込まれた強い欧米に対する劣等感をまず何とかしないと、日本はいつまで経ってもアメリカの植民地で、好きなように利用されるばかりだと思います。相手は日本の富を盗みに来るのに、日本の政府は、その盗人に対して、ようこそ来てくれました、これで日本も国際化しました、と追い銭を出すような勘違いぶりだから、向こうもつけあがるのではないでしょうか。むしろ、日本人が日本人であることをまず取り戻し、例えば、無法な沖縄の在日米軍や不良ガイジンに対しては法に則って毅然した態度で対応することが、日本が世界の中での地位を築くこと、つまり、国際化への一歩だと私は思います。

学問の世界には国境は基本的にはないと私は思うので、学問に関しては関税撤廃、フリートレードが推進されるべきだと思います。優秀な人ややる気のある人間で大学のミッションの達成に貢献できる人材なら国籍にかかわらず採用すべきだと私は思います。あいにく、日本の大学などがいう国際化政策とは、多少頭が悪くても税金泥棒でも、欧米系白人を雇う、ということで、想像するに、それは欧米に対する強く刷り込まれた劣等感に起因しているのではないでしょうか。それにつけ込んだのが沖縄大学院大学の不良ガイジンというわけででしょう。(そうでなければ、権限を濫用し、兄弟まで呼んできて日本の税金を喰いものにするような「飾り」のこのガイジンは、私が最初に思ったように、バックに日本官僚でもいて、税金泥棒の煙幕がわりに使われているのかもしれません)

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訃報二つ、柳田先生の告発

2011-11-08 | Weblog

先月末に北杜夫さんが亡くなったこと、ニュースを見落としていたようで、つい最近まで知りませんでした。なだいなださんのブログで知りました。中学時代は大ファンで、「船乗りクプクプの冒険」を読んで作家になりたいと思ったぐらいです。高校時代に好きだった辻邦生さんとも北さんは深い交流があったらしいとこの訃報で知りました。あいにく大作、「楡家の人々」は私は余りよさがわからず、その後、読み返す機会もありませんでしたので、北さんは私の中ではユーモア小説家のどくとるマンボウです。なださんと北さんは同じ医局の先輩と後輩で、私が医学生物学の研究を今やっているのは、そもそも中高生のころに、北さんやなださんのような作家になるためには、まず医学部にいって精神科に入るのが良いと思い込んだせいだとも言えます。あいにく、私は文才のなさを高校で自覚し、また精神科にも進まなかったので、作家でなく研究者をやっているという次第です。小説というものを余り読まなくなって長くたつので、好きな作家というと殆ど故人になってしまいました。寂しい気持ちがします。

その後、参議院の西岡議長が死亡するというショッキングなニュース。惜しい人を亡くしました。一方で、ドジョウとその一味は財務官僚とアメリカの言うがままにTPP交渉参加へ向けて調整中との話。やはりドジョウはただの使いパシリであったか、わかってはいても情けない気持ちです。せめて西岡議長にビシッと言ってもらいたかったと思います。それにつけても、このTPPは歴代首相中ダントツの卑怯者でドアホの空きカンの置き土産。思い出すだけで怒りで血圧があがります。

岩下修三ブログ 猿でもわかるTPP講座(2)

 

柳田先生のブログで沖縄大学院大学の学長の年収が6千万で、人事等に不明瞭なことがあるという話。当然、この手の話は昔からあります。某私立大学医学部では理事長の息子と結婚した元医学生が卒後数年で内科の教授になったという話を聞いたこともあります。しかし、沖縄の場合、私立大学とはいえ、税金でできた大学ですから、例のハコモノを作ってポストをつくって天下って税金をつまみ食いする、官僚、役人どもの税金泥棒スキームの一部なのかもしれません。学長はその後の変化がなければSydney Brennerの後の後任の外国人でしょうから、ひょっとしたら大学は、見栄えのする看板のために非常識な額を積んだだけなのかもしれません。いずれにしても、極論すれば、税金泥棒の道具にこの大学が使われているわけです。柳田先生のブログでの個人的告発はこれからも続くようです。思うに、柳田先生、文化勲章の受賞者でもあり、影響力のある有名人ですから、たぶん、これまでのように露骨にセクハラ事件などをでっち上げて、大学から追い出して言論封鎖するという手はとれないだろうと読んで、ブログで告発されるつもりになられたのではないか、と想像します。これから色々、陰湿な嫌がらせがあるかもしれません。アメリカのチョムスキーの場合は、数々の政治的発言にも関わらず、彼の大学人としての身分は尊重されてきました。しかし、日本は植草事件の例を上げるまでもなく、大学人も学問の自由もおかまいなしです。官僚組織に都合の悪い人間は犯罪をでっちあげられ、マスコミを使った人物破壊を受けて、社会的に抹殺されます。大学自治、学問の自由に守られていなければ、研究者というのは極めてFragileな存在です。研究者殺すには刃物は要りません。グラントが当たらないように兵糧攻めにすれば終りです。そして税金ベースのグラントを誰に出すのかを最後に決定するのは官僚です。大学人も学問の自由とその地位を守るために団結し、集団で不正には抗議することが必要だと思います。自分さえよければよいという態度が最後は自分の首を絞めることになるのですから。

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若者の未来、ガダフィ殺害のウラ

2011-11-04 | Weblog

研究助手の女の子が辞めて一月余り、今月からまた新しい人が来てくれました。彼女は医師ですが、なんと夫と子供を本国に残して単身で来たとさっき知りました。そうでもしないと本国では基礎研究などする機会などないのだそうです。消化器が専門の夫君もそのうち研究のためにベルギーに行くとの話。その研究への情熱に何とも頭の下がる話です。

二人の若い美女といっしょに仕事するというのは楽しくていいのですが、特に独身の方の若い女の子というのは何かと心配もあり、すでに、いつか嫁にやらねばならない娘の父親のような心境です。二人はほぼ隣りあう国から来ていますが、両国とも深刻な経済危機にあり、国の将来に明るい見通しが立たないという点では一致しています。二人とも、いくら研究をがんばった所で、本国に帰っても就ける研究職など無い、というのが現実なのでそうです。あいにく、私はカネもコネも力もないので、その辺、何もしてあげられません。せめて毎日、楽しく研究活動してもらえるようにと気をつかうぐらいです。研究協力している別の大学の大学院生の女の子は、東ヨーロッパ出身ですが、高校を終えた時点で、既に自国では志す医学研究を仕事にすることは不可能と見切って国を離れました。彼女らのように若くして自分の国でのキャリアに見切りをつけなければならないというのは、大変不幸なことだと思いますが、それが世界での現実なのでしょう。競争原理に基づく資本主義のしわ寄せです。日本は、アメリカの属国ではあったものの、長らく平和と経済成長を享受し、とりあえず国内で喰ってはいけるだけのレベルを維持できていました。しかしコイズミあたりから激しさを増した売国政策で、日本人一億総中流が一ランク下がって、一億総下流に近いような時代となってしまいました。才能ある日本の若者も思うような職に就くのはますます難しくなってきています。にもかかわらず、日本の大手マスコミを含む権力組織は、国民を守ろうとするどころか、逆に国民から税金を巻き上げ、税金を使った国家財産を外資に叩き売り、都合の悪い人間は犯罪をでっち上げて失脚を図り、あげくに日本の農業やインフラ事業を含む産業を「競争原理」との名目で、ハゲタカ投資会社を含むアメリカ企業の草狩り場とすべく、TPPを推進し、日本を一面の焼け野原にしようとしています。この権力組織にいる恥知らずのバカどもは、それが自分の首を絞めることだとは思っていない(というか思いたくない)ので、ますます思考停止に陥るのでしょう。いずれにせよ、日本がこの調子だと才能のある人ほど日本から出て行こうとするようになるでしょう。バカに利用されたいと思うMな人は余りいません。

 

ところで、最近、リビアのガダフィ殺害について暗黒夜考に転載された記事を紹介します。おおまかには私が聞いていたことと合致していますが、ガダフィがNATO、アメリカに殺されたのは、イスラム系の国で金本位制への移行推進のリーダー的役割をがダフィーが果たしていたからだ、というのは、私は知りませんでした。これが実現していたら、アフリカ、イスラム世界間での貿易にドルもユーロも使わずに済み、彼らが西側と独立した経済圏を確立する可能性があったわけです。アメリカとヨーロッパの既得権享受者はアフリカ、イスラムの独立を許してなるものか、と市民革命をでっち上げてガダフィを嵌めたというワケで、なるほどと腑に落ちました。中国はロシアとの貿易にドルを仲介させるのを止めたという話ですし、アジアでもイスラムでも西側金融による詐欺にはもうウンザリしているのが事実でしょう。金本位制を止めたのがそもそも詐欺を正当化するためですから。詐欺に詐欺を重ねてどうしようもなくなった西側金融は、その詐欺に嫌気がさしてドル-ユーロ圏から各国が離脱しようとする動きを何としてでも止めたかったのでしょう。態のよい「民主主義確立のため」とかいうシラジラしい名目で、おのれの我欲でガダフィを嵌めた連中は、日本にTPPをゴリ押ししてきている連中と同じ穴の狢なわけです。金本位制の公正な経済システムを再構築されて、ドル立てでの貿易を止められたのでは、これまでのようにドルを刷って泥棒をゴマカすことができなくなりますから。以下引用。

 

まず、ロシアの作家であり金交換所の創始者、スティリガル氏の発言が分かりやすいので引用する。

(引用開始)
「マレーシアの首相モハミッドとカダフィでペルシャの金貨(ディナール構想)を話し合い、それをイラン、スーダン、バーレーンが支援しました。
そして1年経つとインドネシア、UAE等の国にも広がり、首相同士での会議も行われユーロやドルの各国間の取引をディナールに移行するのが現実味を帯びてきました。

ガダフィはドルとユーロの決済を辞める事を宣言しました。そして最初に西欧諸国がやった事は国際中央銀行にあるリビアのドルとユーロ資産を「人権侵害の制裁」という名目で凍結したのです。

実際の原因は「心理効果」でイスラム界のリーダーで最も影響力があるカダフィは「価値が変わらない金本位性」にする宣言をマレーシアで文書にしました。
それに多数の国家が続いてきました。猛烈な勢いで準備をしていました。

カダフィはアフリカ連合、そしてアフリカ統一通貨を作ろうとしてCIAが触発して反乱が起きました。

これは「世界金融システムの崩壊」の先を見ていた爆撃の前にカダフィはロシア、インド、中国を回って彼は金(ゴールド)での取引を推して回っていました。

「希望の連鎖」が起きるところでした。なぜなら、どの国もFRBとバーナンキーの奴隷はうんざりだったのですから。アメリカ国民だってバーナンキーの奴隷です。アメリカ政府はバーナンキーからお金を借りているのですから。

金取引で「紙」を捨てる動きが出てきた。もしカダフィが紙を捨てて金(ゴールド)にする時間があったのなら、ムスリム圏だけではなく多数の国から支持されたはずです。

ドイツのメルケル首相も「あと、どれだけアメリカの失敗のつけ払いが続くの?」と苦言を呈している。彼らも金本位性に移したかった。世界中がバーナンキーのために働きたくないのだ。」
(引用終了)

 

TPPも、西側金融が日本の市場のみならず社会を食い荒らすための仕掛けであり、断れば、ドジョウにはがダフィーと同じ運命が待っているわけです。ガダフィーとの違いは、断ってすぐ首相を辞めてしまえば、相手も追ってこないので殺されることは多分ないということでしょう。ドジョウにそれだけの根性があるとは思えませんが、万が一、見事、TPP交渉参加を断って首相を辞めるのなら、私はこの人の評価を三段階上げることにやぶさかではありません。

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TPP、ドジョウの決断

2011-11-01 | Weblog

ビンボーひま無しで、何故忙しいのか良くわからないのに忙しいという困った状況です。実験そのものがそんなに忙しいという気がしないので、忙しい理由は記憶に残らないような雑用のせいなのでしょう。研究時間の半分はものを考えたり、論文を読んだり、セミナーを聞いたりといった活動に割くべきなのに、そういう時間も十分とれているという気がしません。あっという間に週末になって、週末は家事に追われてまた月曜日です。気がつくと夏も秋も過ぎ去ってしまいました。ただ、仕事に行くのは楽しいのでいいです。楽しく一日を忙しく過ごしている間に浦島太郎のようになっていきそうです。

このブログは研究活動の息抜きにと書きはじめたもので、それで、研究とはあまり関係のない社会のことなどをいろいろ考えるようになりました。以前は研究に関係したストレスから離れるためでしたが、最近はむしろ、日本や世界の社会のことを考えたりすると、息抜きどころか、怒りが湧いてきて、息抜きになりません。研究のことにじっくり取り組むことができないことの方がストレスになってきました。うまくいかないものですね。とはいっても、社会があって始めて研究も成り立つわけで、ただでさえ苦しい研究界ですから研究者も社会のことに敏感であるべきだと私は思います。

日本は、原発事故の収拾がつかないという危機的状況にあるのに加え、破綻寸前の経済になりふり構っていられないアメリカの要求、多すぎる人口を持て余す中国の独裁政府が領土問題で攻撃的になってきている状況があり、まさに内憂外患にあります。加えて、日本の官僚組織とマスコミいう搾取集団が、国民に対して極めて悪質な洗脳、恐怖政治を進め、売国を加速させようとしてきています。そして世界では癌化した資本主義が末期症状を呈しつつあります。この状況下でドジョウは何をしたか、何もしているように思えません。当面の懸念のTPPは反対議員がどうも過半数を超えたようで、どうするのでしょうか。どちらに転んでもドジョウ政権はこれで終わりになる可能性が高いですから、同じ終わるのなら日本国民のためになるような選択をして終わってもらいたいです。福田首相が突然辞めたのは、実はアメリカが百兆円規模の国債を売りつけようとしたのを最後に突っぱねたのが原因だという話を聞いたことがあります。属国の首長が宗主国に楯突くのと引き換えに自分の首を差し出したのだという話です。とすると、ドジョウもTPP交渉参加にノーと言えば辞めざるを得ないということでしょう。しかし、これだけの反対派を押して交渉参加を決めたらどうなるか、それは最近の米韓FTAを飲まされた韓国の国民が何をしたかを見れば明らかではないでしょうか。ソウルの市長補欠選は野党が制しました。国民も反FTAデモを繰り広げています。日本でも同じこと起こるでしょう。ドジョウがTPP交渉参加を決めた段階でこの政権は運営不能となって終わりでしょうし、もし参加を断った場合は当然アメリカに辞めさせられるでしょう。財務省の傀儡と揶揄されるドジョウですから、アメリカに楯突く可能性は低いと見込まれるのが悲しいです。

ちなみに日経オンラインの記事が元記事と思われる「米韓FTAに盛られた毒素条項」という記事が出回っています。これが本当だとすると、ひどい話です。韓国は極端に輸出産業に依存する経済構造をとっており、対米輸出がその経済に極めて重要なのだろうとは想像できますが、一方、それによって犠牲にされるものはほとんど国の主権そのものと言ってもよいと思います。このことはTPPにも当てはまると思います。

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