百醜千拙草

何とかやっています

旅の思い出 (研究篇)

2019-09-27 | Weblog
学会から帰ってきました。久しぶりにニュースを見ると、あいかわらずのアベ政権のバカさとデタラメ加減に腹がたちます。キリがないのでやめますが、トランプの罷免の調査が始まり、アベの国家内乱予備罪への告発がようやく東京地検へ送られたようで、この際、この二人まとめて政治の場から消えてもらいたいものだと思います。

さて、学会ではその前の週にパリであった数人の研究者とも再会。共同研究の口実でまたパリに呼んでくれるように頼みました。実現したら、今度こそモナリザを見て、それから前回行けなかったのでベルギーまで足を伸ばすつもりです。学会では、大勢の昔の知り合いと会って楽しかったです。
最近、九州地方の某大学の教授になって単身赴任したという昔の知り合いは、赴任先にユニークな天然化合物のライブラリーがあるというので、共同研究の約束。学会の内容はパッとしませんでしたが、昔の知り合いやお互い知っているけど会ったことのなかった人、グラントのプログラム担当者、雑誌の担当者の人、などなど直接話ができたので、参加した意義はあったと思いたいです。

さて、学会前のパリとストックホルムの旅行では数人の研究者と話をしました。研究者はどこでも大変だなあと思います。知り合いが働くパリの北駅のそばにある病院は昔の修道院の建物を使っており、病院と研究室のある建物が中庭を囲み、中央には礼拝堂があるという趣のある場所で、(歴史的建造物のため外観を変えることは禁じられているので)歴史の重みを感じる建物の中に研究室が病室と壁一つ隔てて並んでいるというユニークなところでした。しかし、中身と言えば、フランス政府の緊縮政策によって研究者は苦しい活動をしいられているとのこと。研究者の雇用体系は複雑で、私を呼んでくれた知り合いはフランスの研究を一括にマネッジするINSERMという組織に直接雇用されていますが、私も以前から知っている彼の同僚は病院や病院が関連する大学から金が出ているという話。それによって、研究、研究プラス教育、プラス臨床と義務が変わってきます。悩みは、いずこも同じ、カネ。
優秀な若手の研究者が欲しいけれども、誰もアカデミアで研究をしたいという人がいない。民間に出れば給料は二倍で、誰もポスドクなどやりたがる人はいない。カネも人も乏しい中、研究は世界との競争で、グラントはEU諸国との競争。
「十分な資金を得るのはなかなか難しい。小さなグラントを5つ集めてなんとかやっている。しかも、夏の間はすべてがバカンスのために仕事が止まってしまう。ただでさえ無責任な事務が休暇に入るので書類一つ、オーダー一つ通らず、実験にならない。そもそも、俺の給料をしっているか?」みたいなことをきかれました。晩飯をおごってくれようとしましたが、それを聞いて、割り勘にしました。
彼の同僚が面倒を見ている学生はふたりともPhDを間も無く取る予定とのことでしたが、一人はすでに軍隊付属の警察のScience degreeが必要なポジションへの就職が決まっており、もう一人はまだ将来のことはわからないが、ポスドクをやらないことは確かだ、という話。二人とも面白い研究をしているのですが。これでは理系のアカデミアは死ぬでしょう。

ストックホルムでは研究室をもっている二人と話をしました。研究所は比較的最近、新築したらしく、ノーベル賞の受賞講演が行われる建物は6年前にモダンな形のものに改築され、彼の研究室もガラスばりの近代的建造物になったそうです。しかし、スウェーデン政府は箱物には金をかけても、目に見えない中身には金をかけない主義らしく、ここでは、研究所の家賃から人件費、すべてに金を払う必要がある上に、もっとも大きいスウェーデンのグラントでさえ、それを賄うに十分ではなく、自分自身の給料と研究費を稼ぐために別の国にも研究室をもっているのだという話。間接経費がグラントに込みになっているそうです。グラントが切れたら研究室スペースを取り上げられ、実質、研究不可能になるという状態。かつて近所のアパートを借りてオフィス兼研究室の一部に当て、研究所のラボスペースを減らすことを真剣に考えて交渉したそうですけど、却下されたとのこと。
二人ともロシア人で一人はモスクワ、もう一人はウィーンに二つ目の研究室をもち、行ったり来たりして、やりくりしているようです。国の人口が少ないスウェーデンは当然、科学に回るカネも少ないわけで、その額は研究所を回していくには不足。そんな状況では、福祉国家のスウェーデンではスウェーデン人は誰も不安定な研究者になりたがらない、なぜなら適当な仕事につけば一生安泰だから、ということ。研究所にいるのは外国人ばかり。最近は、好調な中国経済のおかげで中国人学生が奨学金をもってきてくれるようになったので、助かっているのだそうです。
どうも福祉国家スウェーデンでは学生に対しては給料を支払う義務があり、給料であるがゆえに付帯する諸費用が高額なので負担がバカにならないのだそうです。一方、ポスドクには給料を払う必要はなく、Stipendでよいので、付属する諸費用をカバーしなくてもよい分、コストが抑えられるそうです。という理由で、奨学金を持っていない学生はとるつもりはないという話
学位取得のお祝いパーティーに一人だけいた日本人の人とも話をする機会がありました。イギリスに数年いてスウェーデンに移ってきて数年、独立したくてグラントに応募はしてみたが残念ながら運にめぐまれず、今年末に伝手を頼って日本の大学に帰るのだという話。

今や研究者は世界中どこにいっても「運」次第だと私も思います。「運も実力のうち」とはいいますが、私にいわせれば「実力も運のうち」です。しかし、ついていない時に運のせいにしたり、ついているときに実力だと勘違いすると、運は離れていくように思います。またこの運の動きには慣性の法則が働いているようで、離れていく運を引き止めるのは大変です。

彼は旧帝大出身で、ここの研究室からももうすぐN紙の姉妹紙に論文が通りそうだとのことなので、実力は十分です。成功する、しないの差は紙一重にしかすぎず、どちらに転がるかは運です。彼はこれまでのキャリアパスにあまり満足できていない様子でした。その原因は、ひょっとしたら、その眉間のシワのせいではないか、とひそかに思ったのでした。実力も運のうち、苦しい時こそ、ニコニコと楽観的に淡々と努力を継続すれば運が向いてくるのではと思うのですが。外国でアジア人研究者が集まっている時、日本人は割とすぐわかります。日本人は多くの人が難しそうな顔をしているのです。

パリもストックホルムも観光で行くには素晴らしいところだし、短期間住むのも楽しいでしょう。しかし、そこで長期的に研究者として生活していくのは大変です。パリの知り合いも郊外に5000万円ほどする家を25年ローンで数年前に買ったところで中学生の子供が二人。幸いヨーロッパはアメリカと違い大学費用が安いので子供の高等教育のために蓄財する必要はないのだそうですが、決して明るい未来が見えているわけではありません。ストックホルムの知り合いも子供が二人、夫婦共稼ぎでなんとか。増える難民と移民問題に、スウェーデンもフランスも政府は公共サービスをカットし緊縮財政政策をとりつつあるようで、ヨーロッパの研究者には逆風が吹いているようです。
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旅の思い出 (観光編)

2019-09-19 | Weblog
旅行から帰ってきました。いろいろ楽しかったですけど、観光で行くのとそこで生活するのには大きな違いがあると実感した旅でした。今回は観光客としての印象を書いておきたいと思います。

はじめて行ったパリは予想外に良かったです。地下鉄は使いやすく便利、ときどきいるスリや強盗以外は安全です。日本の痴漢でっちあげグループと同じく、スリは数人のグループで車内で密着状態を作って犯行を働くのですが、彼らは主に東ヨーロッパからの不法移民の子供だそうです。ヨーロッパでは未成年は簡単に罰することができないということで、捕まっても数時間の勾留ですぐに釈放されて戻ってくるので、旅行者は怪しい若者の集団を避けるぐらいしか手がないようです。
言葉も、さすがに観光地なので英語で不自由を感じたことはありません。ただ、凱旋門、シャンゼリゼ、ルーブル、エッフェル塔といった観光地は人が多い上に、喫煙者も多いので、その変はちょっと残念。

ま、いろいろ記念になることはしました。
ルーブルに行くついでに、Angelinaのホットチョコレートとモンブランケーキ。30分待ちの行列に並び、この二つを味わうことができました。とってもリッチなホットチョコレートにたっぷりの生クリーム。なるほど評判になるだけのことはあります。それからシグニチャー アイテムのモンブランもたっぷりのクリームの上に濃厚な栗の甘みをふくんだ餡がふんだんにかけられています。これも大変おいしいのですけど、これを二つ食べると胃が限界になりました。
(Angelinaのモンブランとホットチョコレート。ホットチョコレートにホイップクリームを入れて楽しみます)
ルーブルではミロのビーナスとモナリザを見るつもりでしたが、モナリザはその日は残念ながらみることができず。
(ミロのビーナスのゴージャスなお尻)
初日の晩ごはんはルーブルを9時に出たので、ひぐま。パリでラーメン、予想通りの展開となりました。 醤油味の東京ラーメン。8.5ユーロ。二日目はモンマルトルからオペラ座、ルーブル、ノートルダムまで延々と歩きました。モンマルトルの教会への道はさながら京都の清水寺への参拝路のような感じで、土産物屋が立ち並び、観光客と似顔絵描きや呼び込みの人々でごった返していました。オペラ座は中に入ると正面に意味不明の黄金の巨大なタイヤのオブジェ。全く、不釣り合いです。オペラ座の天井のアートはなかなか素晴らしいですけど、四方に不気味な顔の像が配置されており、変な部分が多いところです。ギフトショップではオペラ座怪人グッズが売られています。(オペラ座の意味不明の黄金のタイヤと怪人?)
ノートルダムは先立っての火災のため全面封鎖で、裏側の補修工事が痛々しいです。再び川を渡って戻り、マレ区の繁華街のBrasserieでカモ肉料理とKronenbourgのビール。
三日目、「奇跡のメダル」を手に入れたあと、ルクセンブルグ公園を散策。この公園に限りませんけど、ポプラのような樹が幾何学的な配置で植えられていて、その整然とした並木が続く様子が、私が子供時代に思い描いていたヨーロッパの雰囲気です。葉はまだ緑でしたけど、下の絵のような感じ。

夜は、現地の旧友がカルチェ ラタンのフランス田舎料理の店に連れて行ってくれました。初めてエスカルゴ食べました。ガーリックバターの味つけです。パリでは前菜のことをEntreeというので混乱しました。アメリカと逆ですね。翌日は彼の病院の研究室。昼は近所のカフェ。パリで困ったことは普通のコーヒーを頼むとエスプレッソが出てくることで、普通サイズのコーヒーは普通のカフェでは置いていないことが多いようです。食後はクリームを垂らしたエスプレッソ、Noissette。

ストックホルムもよいところでした。到着日に空港で知り合いと会うことができ、出発までの一時間ほど今後の共同研究の話をしました。翌日は招待してくれた別の知り合いがストックホルムの旧市街(Gamla Stan)を眺めるEriks Gondolenというちょっとハイエンドのレストランに連れて行ってくれ、大学の金だから遠慮せずに喰うようにとの指示で、スウェーデン料理。デザートにCloudberryのジャムかけアイスクリームとSea Buckthorn 入りのデザート。Cloudberryは寒いところでしかとれないものらしく特有の風味。
(GondolenのCloudberry Jam Icecream)

Sea Buckthornも寒いところでとれる酸味のつよい黄色の木ノ実でなかなか美味。
(食べたものとは違いますが、この写真の上に乗っている黄色いのがSea Buckthorn)

翌日は彼の学生の公開学位審査。まずは学位のテーマに関するバックグランドの話を私が半時間ほど、それから学生が学位研究の発表、その後はまず私がいろいろと質問、それから審査員、一般聴衆の質問、その後、学位授与を決定するというプロセスでした。半時間以上に渡っていろいろ質問をしないといけないというのは当日の朝言われたのでちょっと、うろたえました。二、三、思いついたことをきけばよいのだろうと軽くかんがえていたので、いろいろと関係のない話をしながら、質問を考えつつなんとかやり過ごしました。夜はレストランでのお祝いの会。
ストックホルムでは、学位審査日の前日の午後の自由時間にGamla Stanを散策しました。このストックホルムの旧市街はこじんまりとしており、美しい石畳と可愛らしい建物で、大勢の観光客で賑わっており、話に聞くとジブリのアニメ映画の舞台に使われたとのこと。
(Gamla Stanは小さな島でストックホルムの別の場所と橋やボートでつながれており、この絵のような感じです)

お土産屋でリンゴンベリージャムを購入。あといろいろユニークな食べ物があります。例えば、スーパーで売っているおおきなチューブ入りのタラコペースト。これはご飯のお供に良いです。が、格安飛行機は荷物の量に限界があり、お土産にするのは断念。

ストックホルムで仕事は終わりで、あとは観光だけのためにベルリンとライプツィヒを訪れました。ベルリンは大きな都市で、大聖堂は見応えがありましたが、それ以外は近代的でまずまず感じの良い都会というだけです。悪くないですけど。ベルリンのドイツ人は(多分、東京の日本人と同じように)他所者には総じて不親切な感じをうけました。電車の駅員は全員無愛想で、一人は質問しようとすると、「ノー イングリッシュ」と言ってそのまま去っていき、駅のインフォメーションの親父は何を聞いても、答えは一言、二言で終わり(これは、別のお客に対しても同じ態度でしたから、アジア人差別ではなさそうです)。
翌日、ベルリンから高速電車でライプツィヒへ。基本的にドイツの電車には改札口がなく、検札も適当、駅員も少なく、どの車両のどこに乗ればよいのかよく理解できず、困りましたが、電車は快適。需要と供給によって電車賃はストックマーケットのように変化するので、当日の値段は前もって買った時の値段の三倍していました。

ライプツィヒはとても良いところです。ここも小さな街で、数時間もあれば堪能できます。ここで、バッハの働いていた教会を訪ねるのが、この旅行での私の最大の目的だったので、まずは聖トーマス教会へ。駅から10分ほどで到着。街にいるストリートミュージシャンも、バッハやバロックの曲を演奏しており、他の街とは違った雰囲気です。街は静かで、ベルリンに比べて落ち着いており、人もベルリンよりは親切な感じです。ここではパリでもストックホルムでもよく見かけた中国人団体客も余り見かけませんでした。ドイツは外国観光客に人気がないのかもしれません。
聖トーマス教会のバッハの墓とバッハが弾いたであろうオルガンを見て、向かいのバッハ ミュージアムに立ち寄ったあと、ライプツィヒ大学前を通って、ちょっと離れたメンデルスゾーンハウスへ。メンデルスゾーンがバッハを取り上げなかったら、現在ほどバッハが偉大なる音楽の父と言われていたかどうか。メンデルスゾーンが晩年の数年を過ごしたこの場所はオリジナルの階段や家具や楽器が保存されており、当時をしのぶとともに、11歳で作品集を出版し20歳ほどでバッハのマタイ受難曲の指揮をしたメンデルスゾーンの早熟の天才性にあらためて打たれました。もし若くして死んでいなければもっと多くの名作を残したでしょう。そこからまた街の中央部に戻り、聖ニコライ教会に立ち寄りました。ベルリンの壁の崩壊のきっかけとなった行進はここから始まっており、それを記念する足跡が教会横にあります。時間があったので、もう一度、聖トーマス教会に入ってぼーっとしていたら、午後のミサが始まってしまい、まったくわからないドイツ語の説教をきき、口パクで賛美歌を歌い、信者のフリをしつつ、隙をみて逃げ出しました。そのまま夕方になったので、市庁舎の横にあるゲーテの銅像を見て、その向かいのゲーテや森鴎外がよく行ったという地下にあるレストランの入り口にあるファウストの銅像をチェックしたあと、天気が良かったので、予定を変更して、広場に出ているBrasserieでドイツビール。シュニッツェルにソーセージなど、ドイツっぽいものを注文(この期間中は肉食解禁しています)。ドイツのこの手の店は、勝手に席について、通りがかるウェイターを呼び止めて注文するシステムらしく、入り口でホストを探して立っていても誰も相手にしてくれません。この旅行中、毎日ビールとワインを飲んでいますが、ドイツで飲んだ種々のビールには余り感動せず。あたりが悪かったのですかね。ビールはアメリカの方が美味しいものが多いと思います。また、ヨーロッパのアメリカン コーヒーもダメですね。ストックホルムでのアメリカーノという呼ばれるアメリカ風のコーヒーは、なんとエスプレッソを単純にお湯で薄めて作っているだけでした。やはり、コーヒーは日本が一番美味しいと思います。一方、パンはどこも美味しいです。パリではバゲットコンテストで一位となった店がたまたまコーヒーを飲んでいたカフェの向かいにあったので、買ってみました。これは、悪くはないですがふつうのバゲットでした。ストックホルムはホテルで数種類のパンを食べましたが、どれも美味しく、ドイツではチェーン店らしいパン屋があちこちにあって、種類も豊富で味も大変よいです。ヒマワリの種の乗った素朴なやつが良かったです。

ベルリンではベルリンの壁の跡も訪れました。「愚か」という言葉しかありません。このような巨大な壁を作って、民族や家族を分断し、数々の悲劇を生んだ人間のエゴ。ベルリンの壁は人間の「愚かさ」の象徴です。普通の感受性を持った人ならそう思うでしょう。(アベもこれを見て、己の愚かさを顧みればよいと思いましたが、アレには無理でしょうな)ベルリンのホテルではホロコーストを特集していました。これがドイツと日本の差でしょう。ドイツは己の愚かさに対峙し、過ちを忘れないように今でも努力を続けています。一方、日本の史上最悪のアベ政権は過去の過ちをなかったことにしようとするばかりか、歴史を積極的に改ざんし、歴史資料を破棄し、己の愚かさから目を背けて、ますます愚かになっていっています。諸外国はそれをよくわかっていて、愚かものが危ないことをしようとしている、とアベ政権への注意を喚起していますが、愚かすぎるアベ政権は諸外国がアベを危険な愚か者と思っていることさえわからないのでしょう。

あの愚かさの象徴のようなベルリンの壁を作ったのもドイツ、あの驚くべき美しさと緻密さをもつ音楽を生み出したのもドイツ、幅が広いと言えばいいのでしょうか。しかし、ドイツは過ちを総括し反省を続けることで、再びヨーロッパで確固とした地位を維持しています。一方、日本も多くの優れたものを生み出しましたが、残念なことに、愚か者に刃物を預けてしまい、多くが破壊されてしまった今、アジアの二流国に向けて凋落の一途をたどっています。

今週末からまた学会に出ますので、次回もお休みします。ヨーロッパの知り合いから覗き見た普通の研究者の生活について思うことがあったので、その次の機会に書きたいと思います。
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旅行

2019-09-06 | Weblog
ふらんすに行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し、というのは昔の話。今や世界中の空港のあるところなら1日もかからずにどこでもいけるようになり、外国旅行のありがたみもなくなりました。
今回、初めてパリとストックホルムとドイツに行くことになりました。知り合いの研究室でのセミナーと学位審査員というのが口実ですけど、半分は遊びです。ドイツはバッハの活躍した場所をじかに見てみたいと思っていたので、旅行の最後に付け足しました。知り合いのドイツ人に、ライプツィヒに行きたいというと、それならベルリンを拠点にすれば良いと言われたので、ベルリンに泊まって、ライプツィヒには電車で日帰り旅行の予定です。

昔は、外国に憧れたもので、「兼高かおる 世界の旅」を見るのが週末の大きな楽しみでした。先日亡くなられましたが美人だった兼高さんの山の手風の言葉を聞くだけでも十分エキゾティックでした。ところが、時代は変わり、いまやインターネットで情報はいくらでも手に入りますので、わざわざ用事もないのに外国に行くこともないか、という気分でした。年をとると旅行に限らず何かと面倒にもなりますし。しかし、多分、旅の楽しみは、触感や匂いというインターネットでは味合えないものに直に触れることなのでしょう。

今は昔ですが、私が子供のころは多くのフランス文化も輸入されていて、音楽でも70-80年代ぐらいまでは、シャンソンを始め、シルビー バルタンやフランス ギャルなど、ユニークなフレンチポップスは日本でも人気でした。そのせいか、フランスと聞いて連想するのは、そうしたフレンチポップスから染み出してくるような雰囲気です。だから、今回フランスに行って、数カ所行ってみたい場所があります。それは、自分の子供時代を間接的に再訪するということで、私にとっては、外国に対する子供の憧れをかきたてたフランス文化や外国の文化が溢れていた昔の日本を訪れることでもあります。

パリでの用事は1日で終わるので、まるまる二日は観光しようと思って、行きたいところを考えてみました。シャンゼリゼ、コンコルド広場、ルーブル博物館、そこから更に東へ移動、川を渡ってノートルダム寺院。できたらこれを歩いてみたいのですが。二日目はモンマルトルの丘、エッフェル塔とルクセンブルグ公園、多分、これで十分です。地元民に聞くと、 寺院のあるセーヌの島周辺を散策し、"Basserie"タイプのレストランに入って軽く飲みながらフランス飯を味わうようにと言われましたが、そんなオシャレは性に合わぬので、ウロウロした挙句に、ラーメン屋ということになるかもしれません。

記憶はかすかですけど、大阪万博の華やかさと賑わいは覚えております。その後、何度か訪れた万博公園の静けさ。パリの万博でエッフェル塔が作られた時もおそらくフランス版三波春夫がその下で万博音頭を歌ったのでしょう。地元民はエッフェル塔が嫌いな人が多いようですけど、子供の頃を懐かしんで万博つながりで行ってみたいと思っています。

エッフェル塔の下。多分70年代。
Jane BirkinとSerge Gainsbourgのこのビデオの風景が懐かしい雰囲気です。 

Francoise Hardyのジャケット写真のバックのエッフェル塔。曇り空がいいです。

同じく、フランソワーズ アルディの"Comment te dire adieu"。この曲はユーミンの「まちぶせ」の元歌らしいですね。さらにこの曲のオリジナルは、"VERA LYNN - It Hurts to Say Goodbye (Top 10 Hit in 1967)". 子供の頃、遊園地は外国と同じ、別世界でした。

それから数十年、Alizeeのライブ映像の場所。ここはその地元民に聞いたところ、Nortre Dame寺院から北に川を渡ったところにある Place de l’Hotel de ville (City hall plaza)というところだそうです。 この広場の雰囲気が子供のころに想像していたフランスの感じがします。昔はAlizeeも可愛かったですな。

あいにくストックホルムではしたいことはありません。ここでは余り自由時間がないので、ちょっと散歩して、本場のリンゴンベリー ジャムを買いたいと思っています。仕事以外はホテルのそばでゆっくりします。
ライプツィヒは楽しみです。バッハ、メンデルスゾーンやゲーテのゆかりの場所を回る予定です。

というわけで、明日から二週間ほどお休みします。
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Shame on me

2019-09-03 | Weblog
(京都大学大学院教授、藤井聡氏)

1997年の消費増税が実施されてから、デフレに突入し、20年以上も日本の実質賃金は下がる一方で、可処分所得は年間50万円も減った。、、、、
998年や2009年頃にはGDPの10%程度、約50兆円程度を市場に供給していたが、安倍政権になってからは資金の供給量は年々減少していき、2017年には3%以下(11兆円程度)にまで縮小している。ここまで激しい緊縮内閣に変貌してしまったのは2014年に消費増税を断行したことによる。、、、
実質賃金は過去に類例のないスピードで激しく下落している。その落ち込みは、1997年の消費増税時よりも、2008年のリーマンショック時よりも、遙かに激しい。2012年の第二次安倍政権発足時よりも4.1%も国民は貧困化してしまったのである。すべては2014年の消費増税が諸悪の根源である。にもかかわらず、今年10月にはさらに8%から10%へと消費増税するというのだから理解に苦しむばかりだ。日本を再生させるためにも断固阻止しなければならない。、、、、
一方、国会で通過した法案は、「移民政策」をはじめとして、種子法の廃止、農協改革、IRカジノの解禁、水道の民営化……などいずれも、日本のマーケットへの諸外国の大企業の参入を促すばかりだ。まさに今、「日本が売られている」状況に至っている。一部の「政商」が日本の富を海外に売り渡し、自分の会社の懐を潤しているのだ。、、、、

このままでは日本は30年後にはアジアの貧国の一つとなってしまうのは確実だ。試算したところ現状が続くと世界3位の先進国どころか、現在の6割程度の年間所得250万円(中央値)へと下落し、史上初の「衰退途上国」に落ちぶれる。他国は現在の2倍に成長するにもかかわらずだ。

この予言が当たる可能性はかなり高いと思います。理由は二つ。
この消費税増税で、国内の経済は大きな打撃を受けることになります。税収は結局、増えない一方、アベの外交無能が招いた巨額の損失、特にトランプにはどんな無茶な要求も丸呑み、交渉や対話とかが全くできずにカモにされまくり、加計学園のように一味の仲間には不正に税金を流し、国民の血税を私物化し国を売る、こんな犯罪を総理自らが先導してやっていて、国が壊れない筈がない。その一方で、この邪悪さだけは一人前だが頭の中は小学生の詐欺師を支持する国民。
Fool me once, shame on you; fool me twice, shame on me という言葉を思い出します。
日本が没落し貧困国になるのも、詐欺師になんども騙される国民の自業自得。

もう一つ。
ある些細な発言がきっかけで、正体がばれ、一直線に墜落するという例がしばしばあります。例えば、緑のたぬきの「排除いたします」宣言。うまく都民を扇動して知事に就任し、希望の党を立ち上げて上昇気流に乗ったのに、天網恢々、この不用意な一言で正体を現し、頂点から墜落しました。
今回の下の枝野のマレーシアの消費税に対する一言は、おそらくただでさえ低下傾向の立民の支持を半減させたでしょう。結局、この男もやってるフリなのではないか、政治プロレスでいかに自分の出番を確保するかしか興味がないのではないかという疑念を支持者に与えるに十分な発言でした。
あれだけデタラメな国会答弁をされたのに審議拒否もせず、すんなり閉会させて夏休み、枝野の本気度を疑わせるような出来事がポツポツ続いて、人々が何かヘンだぞ、と思い始めたのを、おそらく本人は気づかずに、今回のようにポロっと軽い気持ちで言った一言が疑念を確信に変えて命取りとなるのでしょう。少なくとも私の場合はそうです。福島事故の時に、メルトダウンをごまかし、健康に被害はないと根拠もなく言っていた時から、ちょっと信用できないのではという気持ちはあったのです。これは緑のたぬきと同じパターンになるのではないでしょうか。これで、立民は分裂し、れいわへの集結が促進されるのではないだろうかと期待するのですけど。れいわ、共産、あと野党各党、与党に分散しているマトモで本気の議員が集まって連立して、アベ一味とアベ一味に擦寄る仏敵の公明党幹部にトドメをさしてもらいたいと望んでおります。



長くなりますが、タイムリーな記事を目にしたので。これは良い解説記事だと思います。なぜ、立民の支持が低下したか、なぜ山本太郎が支持を集めるのか。しかし、今回の枝野の発言で、山本x枝野が田中x大平のような関係になることはなくなったと私は感じましたが。


、、、中島:枝野氏は、国民からの「枝野立て」の声に従って立憲民主党を結党し、ひとりで記者会見に望みました。そこで、多くの人は「俺の声が枝野に届いた」と感じ、ラディカルデモクラシーが起動した。だから、枝野氏は「立憲民主党はあなたです」という言葉を使ったんです。
 しかし今回の選挙では、立憲民主党のラディカルデモクラシーとしての側面が裏切られた形になりました。、、、、
立憲民主党は、国民民主党とのいざこざで「プロの政治」を露呈させたことによって、「あなた」という説得力がなくなり、ラディカルデモクラシーの追い風を受けられなくなってしまった、と。今回の選挙では改選9議席からおよそ2倍となる17議席を獲得していますが、野党第1党としては前回、16年参院選で旧民進党が獲得した32議席に遠く及ばない結果となっています。、、、

中島:また彼(山本太郎)のすごいところは、人の話をよく聞くところ。、、、彼らの言葉を血肉化させることで、山本氏の中には体重の乗った言葉が生まれるんです。
 
 彼は日本のサンダース的な運動を作りました。そしておそらく、この流れは一過性ではないでしょう。  、、、
僕は政権交代が可能かもしれないと思っています。、。官僚ともやりあえるほどの熟議デモクラシー型の政策集団がいることで、はじめて政権として成り立つでしょう。、、、誰が山本氏とパートナーシップを組めるのかがポイントです。、、、

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