一昨日、イランの大統領が国連総会の出席のためにニューヨークを訪れた際、コロンビア大学が大学での講演に招待し、大統領はこれを受けて講演しました。イランは保守派アメリカ人から、テロリストへの物資供給をしている可能性とか、核開発を積極的に進めているとか、ホロコーストを否定しているとか、同性愛者を処刑しているとか、そうした点で近年非難の的となっています。このコロンビア大学でイラクの大統領が講演を行うということに対して、多数の抗議者がデモをし、中には著名な学者まで交じって抗議を行ったというニュースを聞きました。民主主義の根本をなす言論の自由をこの人たちはどう考えているのだろうと私は思ったのでした。(もっともデモをするのも表現の自由の権利の内でしょうが)いったいこのデモ隊の人の何人が、直接イラクの大統領からこれらの疑念についての説明を聞いたことがあるのでしょう?ほとんどの人がマスコミの偏った情報に依存して、判断を下しているのではないでしょうか。アメリカは日本以上に政治的圧力によるマスメディアのコントロールが激しい国です。マスコミの言うことの半分は嘘ではないにしろ、かなり偏った報道のされかたがされます。そういう情報にうっかり乗せられて、イランは即ち悪い奴、悪者は問答無用とばかりの単純かつ感情的な価値判断をしているようにみえるプロテストの人々は、ちょっと、「たち」が悪いと思います。彼らは自分は「正しく」イランは「間違っている」と信じているようです。その信念は、いかなる確固とした基盤に基づいているというのでしょう?マスコミの報道などでしか間接的に知らないイランに対して判断に確固とした基盤など持ちようがありません。また、アメリカ軍はイランイラク戦争ではイラクに味方してイランの攻撃を援助したこと、そして今回のイラク戦争や過去のベトナムで多数の一般市民を殺しきたこと、またアメリカは核爆弾を人間に対して用いた唯一の国であり、ホロコーストなみのジェノサイドと批判されてきたてきたこと、こういったことをこの人たちはどれだけ十分ふまえた上でイランに対して意見を言っているのでしょうか?だからこそ「たち」が悪いと思うのです。そんな中で、イランのリーダーと直接、対話する機会を作ろうとしたコロンビア大学は大学の社会的使命を果たそうしたのだと思います。ニューヨーク市のリベラルアーツのアイビーリーグ大学という立場としては、当然の行動であると思いますし、それを企画、主導した大学関係者の英断を私はたたえたい気持ちです。国どうしの交際には、こういう話合いを通じて理解を深め、そして慎重に判断を下していくのが、何事にも重要であると私は思います。しかるに、このプロテストでの「自分たちは正しい」と無批判の信仰を持っているらしい人々の、問答無用とばかりに対話を阻止しようとする行動は、私から見ると野蛮であるばかりでなく、その無批判の信仰が恐ろしく見えます。プロテストの中にはイラン大統領をヒトラーに例えたアジ看板もありました。ヒトラーは独裁者でしたが、その独裁を支持したのは民衆であったことを忘れてはなりません。民主主義国家が選挙によってヒトラーの独裁制を採択したのです。衆愚政治といいますが、民衆が良い判断を下す能力がなければ、民主主義は暴走する可能性があります。今回の抗議行動、そして政府によって洗脳されてきたアメリカ一般人の無根拠な信仰のレベルを考えると、こうしたエリート大学が積極的に社会に介入し、社会の木鐸たる役割を果たすべき時勢なのではないかと思います。人間は感情的な動物であり、感情は常に理性に勝ります。社会の知と理性の中心たるべき大学の行動が一般市民の感情の暴走のブレーキとなることを私は望んでいます。衆生無辺誓願度、これがこの市場主義で荒らされた世の中で大学の社会に持ち得る究極に使命ではないでしょうか。(とりわけ、マスコミがとっくの昔に木鐸であることをやめてしまい、娯楽産業兼洗脳集団と化してしまった現在では)
ふと、昔、白血病で亡くなった若い女の子のことを思い出しました。小児期を過ぎてから十代後半で発病する急性白血病は極めて予後が悪く、その女の子の場合も寛解、再発を繰り返し、その都度つらい化学療法とその様々な副作用に、泣き言一つ言わずに耐えていたのを思い出します。一人娘の回復を願う両親は、最後の一か八かの賭けとなる骨髄移植に最後の望みを託しましたが、結局は病に押し切られました。その女の子は無論のこと、苦しい治療の末に一人娘を亡くした両親の苦しみは察するに余りあります。その後すぐ、お母さんが原因不明の浮腫に悩まされるようになりました。一年程して、お母さんは小康を得、その時に離婚されたことを告げられました。結局、お父さんは一人娘の死のつらさと苦しみに耐えられず、悲しみを紛らわすために酒の力に頼ろうとしたそうです。お母さんは気丈に娘の死を受入れ、自分の人生を生きることを選択されました。その後、お父さんがどうなったのか知りません。この苦しみと悲しみに流されてしまわずに乗り越えていかれたことを願うばかりです。
世の中には様々な不条理があります。善良な市民が理由もなく犯罪に巻き込まれたり、戦争で殺されたりします。被害者はもちろんのこと残された人々も苦しみます。“When bad things happen to good people”はRabbiのHarold Krushnerが25年ほど前に出版した本ですが、著者の息子が早老症と診断され14歳で死去した経験が、この著作のきっかけになっているようです。神に仕え、善人であろうと努力してきた著者が、なぜこのような苦悩を受けなければならないのかと悩み、「全能の神」に対する考察を行っています。著者の結論は、こうした不条理をつくりだしたり、世の中の苦しみをつくりだしたりしているのは「神」ではなく、むしろ「神」は、苦しむ人々と共に苦しみ、これらの問題を解決しようと努力しているのだということでした。旧約聖書の中のヨブ記(Job)は、この不条理をテーマにしており、Krushnerの本の中でもその解釈について多くの頁が割かれています。神がサタンの挑発に乗り、ヨブの信仰を試すために、ありとあらゆる苦難を彼に与えるという話です。ヨブ記が伝えるものは何か、サタンと取引する神の意図は何か、不可解です。あえていうなら、われわれに無意識に植付けられた善悪、苦しみと喜びそうした価値基準への無批判な信仰に対する問いかけでしょうか。仏教ではありそうな解釈ですが、聖書ですから当たってはいないような気がします。
物事の見方、感じ方は人様々です。半分水の入ったコップをみて、半分しかないと思うか、半分もあると思うかはそれを見る人の主観に依存しています。この苦しみに満ちた世の中を理解しようとするにあたって、神は全能ではないが、その善意性を信じるか、神は何らかの人間の理解し得ない理由で不条理を世界に具現しているのだと考えるか、あるいは、神は存在しないか死んだと思うのかは、人それぞれの感情および理性の恣意性に依存しています。神を考慮に入れるかどうかは別にしても、「人生は苦であり、世の中に様々な不条理が存在する」というまぎれもない事実、(これをあえて事実と言うのは、この世に生を受けた人で、こういう感想を持たない人は皆無であろうと私は信じるからです)この事実をどう解釈するかは、個々人にまかされています。この本の著者のように、この不条理を解釈しようと努力してある結論に到達する人もいるでしょうし、苦しみや怒りの感情でそれが不可能な人もいるでしょう。私も若い時は悩み、不条理に対して怒りました。理想があれば現実との乖離に悩むのは当然です。しかし「理想」とか「善良であること」とかの「正当性」を証明するのは、実際のところ不可能です。我々が考えている「善」が本当に「善」である保証などどこにもありません。自分を善人と信じている人ほど、その信念ゆえにより徹底的な悪人たりえるわけです。そういう善悪、道理不道理の相対性を考えると、「不条理」と思う事そのものに「不条理に悩む者」の問題があるとも言えそうです。私は不条理が存在することが事実であると言いましたし、この不条理がそれに悩む人の心に存在することはまぎれも無い事実であると信じます。そして人間であればこの経験をしないものはいないであろうと思います。おそらく人間以外の生き物にはこういう経験はないのではないかと思われます。(もちろん、ひょっとしたら彼らも悩んでいるかもしれません)古人は、悩みなく一瞬一瞬の栄光なる生を生きる人間以外の動物に一種に理想を求めました。また一方では不条理に悩むことを人間の特権であるとも考えました。こうした理性が提供できる解決法は、残念ながら人間は感情の動物である故に、この世に生きることの苦しみを和らげるのには即効性はないようです。命ある限り、苦しみの人生を肯定して生きること、私たち人間にはその他の選択肢は与えられていないようです。
世の中には様々な不条理があります。善良な市民が理由もなく犯罪に巻き込まれたり、戦争で殺されたりします。被害者はもちろんのこと残された人々も苦しみます。“When bad things happen to good people”はRabbiのHarold Krushnerが25年ほど前に出版した本ですが、著者の息子が早老症と診断され14歳で死去した経験が、この著作のきっかけになっているようです。神に仕え、善人であろうと努力してきた著者が、なぜこのような苦悩を受けなければならないのかと悩み、「全能の神」に対する考察を行っています。著者の結論は、こうした不条理をつくりだしたり、世の中の苦しみをつくりだしたりしているのは「神」ではなく、むしろ「神」は、苦しむ人々と共に苦しみ、これらの問題を解決しようと努力しているのだということでした。旧約聖書の中のヨブ記(Job)は、この不条理をテーマにしており、Krushnerの本の中でもその解釈について多くの頁が割かれています。神がサタンの挑発に乗り、ヨブの信仰を試すために、ありとあらゆる苦難を彼に与えるという話です。ヨブ記が伝えるものは何か、サタンと取引する神の意図は何か、不可解です。あえていうなら、われわれに無意識に植付けられた善悪、苦しみと喜びそうした価値基準への無批判な信仰に対する問いかけでしょうか。仏教ではありそうな解釈ですが、聖書ですから当たってはいないような気がします。
物事の見方、感じ方は人様々です。半分水の入ったコップをみて、半分しかないと思うか、半分もあると思うかはそれを見る人の主観に依存しています。この苦しみに満ちた世の中を理解しようとするにあたって、神は全能ではないが、その善意性を信じるか、神は何らかの人間の理解し得ない理由で不条理を世界に具現しているのだと考えるか、あるいは、神は存在しないか死んだと思うのかは、人それぞれの感情および理性の恣意性に依存しています。神を考慮に入れるかどうかは別にしても、「人生は苦であり、世の中に様々な不条理が存在する」というまぎれもない事実、(これをあえて事実と言うのは、この世に生を受けた人で、こういう感想を持たない人は皆無であろうと私は信じるからです)この事実をどう解釈するかは、個々人にまかされています。この本の著者のように、この不条理を解釈しようと努力してある結論に到達する人もいるでしょうし、苦しみや怒りの感情でそれが不可能な人もいるでしょう。私も若い時は悩み、不条理に対して怒りました。理想があれば現実との乖離に悩むのは当然です。しかし「理想」とか「善良であること」とかの「正当性」を証明するのは、実際のところ不可能です。我々が考えている「善」が本当に「善」である保証などどこにもありません。自分を善人と信じている人ほど、その信念ゆえにより徹底的な悪人たりえるわけです。そういう善悪、道理不道理の相対性を考えると、「不条理」と思う事そのものに「不条理に悩む者」の問題があるとも言えそうです。私は不条理が存在することが事実であると言いましたし、この不条理がそれに悩む人の心に存在することはまぎれも無い事実であると信じます。そして人間であればこの経験をしないものはいないであろうと思います。おそらく人間以外の生き物にはこういう経験はないのではないかと思われます。(もちろん、ひょっとしたら彼らも悩んでいるかもしれません)古人は、悩みなく一瞬一瞬の栄光なる生を生きる人間以外の動物に一種に理想を求めました。また一方では不条理に悩むことを人間の特権であるとも考えました。こうした理性が提供できる解決法は、残念ながら人間は感情の動物である故に、この世に生きることの苦しみを和らげるのには即効性はないようです。命ある限り、苦しみの人生を肯定して生きること、私たち人間にはその他の選択肢は与えられていないようです。
子供の使う形容詞で、Supercalifragilisticexpialidociousという言葉があります。「素敵な」とかいった意味ですが、そもそも言葉の断片をつなげてでっちあげられた言葉で、映画メアリーポピンズの中の歌で有名になりました。この映画の15年ばかり前にある音楽グループが、同じようにでっちあげた言葉を使った曲、「Superpackafattyouciossmokethebowliyiloveitoschious」を発表しており、作詞者は後にディズニーを相手取って、著作権侵害を訴えて裁判が行われたこともあるそうです。(当然ならが敗訴しています)この言葉を思い出したのは、昨日駅で電車を待っていた時に、ベンチの隣に座った若い女の子が携帯電話を親指で押してテキストメッセージを打っているのを見たからでした。私は携帯電話を持っていません。昔から電話が大嫌いで、電話で人としゃべることが楽しいと思ったことがありません。ポケットベルを持っていた時代は、最初はこちらの都合に関わり無く呼び出されるのがとても不愉快でした。普通の電話のベルというのも十分暴力的だと思います。休みの朝にゆっくりしているときに鳴るセールス電話とか、夜中の間違い電話とか、電話を叩き壊してやろうかと思う程頭にくることがあります。私見ですが、今やe-mailがあるので、緊急時以外に電話が必要であるとは思えません。しかし街中では、電話で誰かとしゃべりながら歩いたりしている人が沢山います。電話が鳴ると周囲の人の迷惑も顧みずよろこんでしゃべり出すのです。電車やバスの中で本を読んだり考え事をしている時に、そんな人が乗り込んでくると、最高にイライラします。私にはどこにいても人からいきなり暴力的に呼び出される携帯電話というものを、必要もないのに持つ若い人の気持ちは全くわかりません。、、、と携帯電話の不満はこれぐらいにして、とにかく隣に座っていいた女の子はしゃべっていたわけではなく、携帯電話を使ってメールをしていたのです。私の昔知っていた人にブラックベリーで講演のメモをとる人がいました。講演のメモなど紙と鉛筆でもしばしば取り損なうので、とりあえず紙とペンは用意していきますが、私は何年か前からよほど必要が無い限りは講演のメモをとるのは止めてしまいました。ですから、その人が薄暗い講堂でブラックベリーでメモを打ち込むのを見ていて、私はびっくりしていまいました。十指は使えないので、親指だけを使って打つのです。私はパソコンで両手を使って打っていても、考えに打つのが追いつかないのでイライラします。その人は二本の親指だけでとてつもない早さで打っているのでした。私は携帯電話を殆ど使ったことがなく、したがって携帯電話でテキストメッセージを打つのがどんなものかわかりませんが、あれだけの限られたボタンで複雑な文章を打つのですから、おそらくブラックベリーよりももっと手間がかかるであろうことは想像できます。私がやったらすごくイライラすることでしょう。そんなことを思いながら、携帯電話にメッセージを打っている隣人を見ていた時、そういえば、最近テキストメッセージ早打ちコンテストが行われて、13歳の女の子が優勝したというニュースがあったなと思い出したのです。そのときの打ち込んだ言葉が、Supercalifragilisticexpialidociousだったのでした。あらためて今インターネットで調べてみると、この女の子はこの34文字を15秒で打ち込んだらしいです。試しに、普通にキーボードで両手を使って打ってみると私は10秒以上かかった上に3文字打ち間違えました。親指だけで打つ一文字0.5秒未満という早業は言うに及ばず、ジュリーアンドリュースでさえ綴りを間違えたというこの言葉をよくも正確に打てたものだと、私は感心してしまいました。恐るべし13歳。子供は天才です。
生命科学分野での博士余り問題が深刻化してきています。長期的戦略に欠ける官僚主導の日本の政府、大学の近視的政策で、こうなることは最初からわかっていたけれど、やはりこうなってしまったということでしょう。
昔から博士号など足の裏の米粒と言われていました。博士号は単なる箔付けであった医師にしてみると、その心は、博士号は「(足の裏の米粒同様に)取らないと気持ちが悪いが、取ったところでどうってことはない」という程度のものいう意味ですし、研究の専門家に取ってみれば、博士号は「(足の裏の米粒同様に)取ったところで、喰えない」という意味です。確かに博士号は、大学で教授になりたい人には必要なものでしょうが、研究そのものには直接必要なものではありません。博士号という肩書きは、労働意欲をかき立てるための学生のエサとして使われていた訳です。いまや博士号を持っているから研究能力や知識が優れていると単純に考える人などいないわけで、正味、博士の肩書きは箔付けにも使えない米粒なみという状況ではないでしょうか。
夏目漱石が朝日新聞の社員だったころ、文部省から文学博士を授与されそうになった時の話が、「博士問題の成り行き」という小文に発表されています。文部省が、一方的に「博士号をやる」というのを、「いらない」と突き返した時の話で、その断りの手紙が、
拜啓昨二十日夜十時頃私留守宅へ(私は目下表記の處に入院中)本日午前十時學位を授與するから出頭しろと云ふ御通知が參つたさうであります。留守宅のものは今朝電話で主人は病氣で出頭しかねる旨を御答へして置いたと申して參りました。學位授與と申すと二三日前の新聞で承知した通り博士會で小生を博士に推薦されたに就て、右博士の稱號を小生に授與になる事かと存じます。然る處小生は今日迄たゞの夏目なにがしとして世を渡つて參りましたし、是から先も矢張りたゞの夏目なにがしで暮したい希望を持つて居ります。從つて私は博士の學位を頂きたくないのであります。此際御迷惑を掛けたり御面倒を願つたりするのは不本意でありますが右の次第故學位授與の儀は御辭退致したいと思ひます。宜敷御取計を願ひます。敬具
二月二十一日 夏目金之助
專門學務局長福原鐐次郎殿
という風でした。尤も、これは漱石が四十四歳で朝日新聞社社員であった時の話ですから、博士号を持つ持たないは、この時の漱石にとってまず何の意味も無かったのは確かです。漱石が留学後に大学講師をしていたころだったら、果たしてどう対応していたでしょうか。大学教員であれば、博士号は役に立ちそうです。そうも漱石は、特に欲しくもない学位を「授けてやろう」という文部省の態度がどうも気に入らなかったようです。その「博士号問題の成り行き」の最後には次にように述べてあります。
博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉(ことごと)く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与(ふよ)したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握(しょうあく)し尽すに至ると共に、選に洩(も)れたる他は全く一般から閑却(かんきゃく)されるの結果として、厭(いと)うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西(フランス)にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。
従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾(てっとうてつび)主義の問題である。この事件の成行(なりゆき)を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。
確かに、研究能力と博士号を持っているかどうかというのは直接関係ないと思います。しかし近年の大学教員の採用にあたっては、学位は、車を運転する時に運転免許が必要なように、それなりの研究能力がありますという証明書みたいに扱われています。大学に就職して、アカデミックラダーを昇るための第一歩としてこの免許証が必要なわけで、博士号を取ろうと考える人は、その本来研究とは無関係の就職手段を得るための道具として博士号を見ているわけです。そして漱石の言うように、体制側はこの制度を守る事によって、体制側の人間の利益になるようにしています。つまり、学生や研究生を指導する側は、指導という名目のもと、学生なり研究生の労働力を効率よく無償利用するための道具として博士号を利用してきたわけです。また漱石の言うように、博士号を取らないと研究者ではないというような風潮が形成されてしまうのは損失であるというのは、正に正論です。実際の研究能力よりも博士という肩書きを優先しようとわけですから。博士号を持っている人を差別化してその既得利益を守るという博士制度が、(現在のような博士余りの世の中で)破綻しかけている状態では、今後は大学院に進学して研鑽を積んで、米粒のような博士号をとったところで、喰っていくのにも困るとなれば、研究者の道を志す人は少なくなっていき、やがて日本のアカデミアの研究はやせ細っていくことになるのではと危惧します。
問題は善後策ですが、私が思うに、ありません。これからに関しては、博士号は学問上の業績に対して与えられる褒美であって、本来の研究能力とも就職とも関係ないという建前を研究者を志す人に、十分理解してもらうようにするのがよいのではと思います。現時点で就職難に苦しんでいる博士の人は(私も実はその一人ですが)厳しい中でもできるだけ努力して業績を上げて競争に勝てるように頑張るか、あるいは、時勢が悪かったと思って、あきらめるしかないですね。頑張ってもダメな時はダメですから。結果で評価される研究では頑張ったこと自体は評価の対象にはなりません。ただ、頑張ることによって業績のあがる確率を多少上げることはできます。(あきらめの悪い私が言うのもなんですが、一生の時間は限られていますから、ときには、前向きにあきらめて方向転換する方が良いこともあると思います。)
昔から博士号など足の裏の米粒と言われていました。博士号は単なる箔付けであった医師にしてみると、その心は、博士号は「(足の裏の米粒同様に)取らないと気持ちが悪いが、取ったところでどうってことはない」という程度のものいう意味ですし、研究の専門家に取ってみれば、博士号は「(足の裏の米粒同様に)取ったところで、喰えない」という意味です。確かに博士号は、大学で教授になりたい人には必要なものでしょうが、研究そのものには直接必要なものではありません。博士号という肩書きは、労働意欲をかき立てるための学生のエサとして使われていた訳です。いまや博士号を持っているから研究能力や知識が優れていると単純に考える人などいないわけで、正味、博士の肩書きは箔付けにも使えない米粒なみという状況ではないでしょうか。
夏目漱石が朝日新聞の社員だったころ、文部省から文学博士を授与されそうになった時の話が、「博士問題の成り行き」という小文に発表されています。文部省が、一方的に「博士号をやる」というのを、「いらない」と突き返した時の話で、その断りの手紙が、
拜啓昨二十日夜十時頃私留守宅へ(私は目下表記の處に入院中)本日午前十時學位を授與するから出頭しろと云ふ御通知が參つたさうであります。留守宅のものは今朝電話で主人は病氣で出頭しかねる旨を御答へして置いたと申して參りました。學位授與と申すと二三日前の新聞で承知した通り博士會で小生を博士に推薦されたに就て、右博士の稱號を小生に授與になる事かと存じます。然る處小生は今日迄たゞの夏目なにがしとして世を渡つて參りましたし、是から先も矢張りたゞの夏目なにがしで暮したい希望を持つて居ります。從つて私は博士の學位を頂きたくないのであります。此際御迷惑を掛けたり御面倒を願つたりするのは不本意でありますが右の次第故學位授與の儀は御辭退致したいと思ひます。宜敷御取計を願ひます。敬具
二月二十一日 夏目金之助
專門學務局長福原鐐次郎殿
という風でした。尤も、これは漱石が四十四歳で朝日新聞社社員であった時の話ですから、博士号を持つ持たないは、この時の漱石にとってまず何の意味も無かったのは確かです。漱石が留学後に大学講師をしていたころだったら、果たしてどう対応していたでしょうか。大学教員であれば、博士号は役に立ちそうです。そうも漱石は、特に欲しくもない学位を「授けてやろう」という文部省の態度がどうも気に入らなかったようです。その「博士号問題の成り行き」の最後には次にように述べてあります。
博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉(ことごと)く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与(ふよ)したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握(しょうあく)し尽すに至ると共に、選に洩(も)れたる他は全く一般から閑却(かんきゃく)されるの結果として、厭(いと)うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西(フランス)にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。
従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾(てっとうてつび)主義の問題である。この事件の成行(なりゆき)を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。
確かに、研究能力と博士号を持っているかどうかというのは直接関係ないと思います。しかし近年の大学教員の採用にあたっては、学位は、車を運転する時に運転免許が必要なように、それなりの研究能力がありますという証明書みたいに扱われています。大学に就職して、アカデミックラダーを昇るための第一歩としてこの免許証が必要なわけで、博士号を取ろうと考える人は、その本来研究とは無関係の就職手段を得るための道具として博士号を見ているわけです。そして漱石の言うように、体制側はこの制度を守る事によって、体制側の人間の利益になるようにしています。つまり、学生や研究生を指導する側は、指導という名目のもと、学生なり研究生の労働力を効率よく無償利用するための道具として博士号を利用してきたわけです。また漱石の言うように、博士号を取らないと研究者ではないというような風潮が形成されてしまうのは損失であるというのは、正に正論です。実際の研究能力よりも博士という肩書きを優先しようとわけですから。博士号を持っている人を差別化してその既得利益を守るという博士制度が、(現在のような博士余りの世の中で)破綻しかけている状態では、今後は大学院に進学して研鑽を積んで、米粒のような博士号をとったところで、喰っていくのにも困るとなれば、研究者の道を志す人は少なくなっていき、やがて日本のアカデミアの研究はやせ細っていくことになるのではと危惧します。
問題は善後策ですが、私が思うに、ありません。これからに関しては、博士号は学問上の業績に対して与えられる褒美であって、本来の研究能力とも就職とも関係ないという建前を研究者を志す人に、十分理解してもらうようにするのがよいのではと思います。現時点で就職難に苦しんでいる博士の人は(私も実はその一人ですが)厳しい中でもできるだけ努力して業績を上げて競争に勝てるように頑張るか、あるいは、時勢が悪かったと思って、あきらめるしかないですね。頑張ってもダメな時はダメですから。結果で評価される研究では頑張ったこと自体は評価の対象にはなりません。ただ、頑張ることによって業績のあがる確率を多少上げることはできます。(あきらめの悪い私が言うのもなんですが、一生の時間は限られていますから、ときには、前向きにあきらめて方向転換する方が良いこともあると思います。)
年をとってきて残り時間が徐々に短くなるにつれ、不思議な事に人はよりゆったりとおちついてくるようです。私はなかなかゆったりとはいきませんが、多少、年をとって良かったと思うことは、精神的には、競争心とか嫉妬心とかが少なくなってきたことでしょうか。私は子供のころから競争社会の弱肉強食、動物的なのが嫌いでしたが、その割に負けず嫌いでもありました。だから勝っても負けても不愉快になる損な性格でした。年をとってきて周りのことが余り気にならなくなってきて、気持ちは割合安定してきたようです。「少年老いやすく学なり難し」の焦りを感じる日も多かったのですが、最近はそういった結果ばかりを気にする態度が馬鹿らしいと思うことも多くなりました。肉体的な面では、余り食べなくても持続的に活動ができるようになりました。瞬発力は無くなりましたが、一定の調子で長時間作業をしたりするのは却って苦にならなくなりました。きっと代謝率は若い時の半分ぐらいに落ちているでしょう。二十代のころは三食しっかり食べても、夕方頃に、大腿部の脱力感など低血糖によると思われる症状が出る事があり、砂糖とカフェインのいっぱい入った缶コーヒーとカロリーメートを常備していました。最近は若い頃の半分ぐらいの摂食量で生きていけるようになりました。朝は一膳のご飯と一菜、食後のコーヒー、昼はパン二切れ、コーヒーとリンゴ、夜もご飯一膳とおかず、食後にちょっと甘いもの。ここ5年ぐらいこんな調子です。そのうちお昼は食べなくてもよくなりそうです。ある時、TaoistのWayne W. Dyerが テレビの講演で、「Stop pouring when itユs full」と言ったのが、何故か食事の時にいつも思い浮かんでくるようになって、食べるのを腹八分目で止めるようになりました。体調は悪くありません。無理は出来なくなりました。夜更かししたりすると、そのツケは倍返しとなります。アルコールは飲めなくなりました。アルデヒド代謝が悪くなりビールを一本以上飲むと、楽しくなる前に眠くなり、その後頭痛や吐き気がでるので、稀にしか飲まなくなりました。ちょっと激しい運動をすると頭痛が起きてそれで半日以上を無駄にするので、運動は軽いのを少しだけするようにして、なるべく汗はかかないようにしています。こういうように肉体におこってくる衰えを数えると何だか半病人みたいですが、精神的にはむしろ安定しているので、若い時よりは幸せなように思います。毎日楽しいことや苦しいことや面白くない事がおこりますが、そういう日常の瑣末時が積み重なってやがて死んでいくのだなあと思うと、山本夏彦さんの「私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすることといえば、死ぬまでの暇つぶしである」という言葉に深く同感せざる得ません。暇つぶしの意は、命とか人生とかに客観的な価値を求めないという謂いでしょう。皆、自分にとっては自分の命はかけがえの無いと尊いものですが、他人の命ならいくらでも替えがあると思っています。自分のすることは重要なことだと思っていても、他人がすることはちっとも重要でなかったりします。価値観というものは本来相対的なものですが、そのむなしさみたいなものを考えると、自分が今日一日をどれだけ満足して過ごせるかという以外に何も重要なことはないように思えます。いつ死んだって良いと思うのは自分の命の一瞬一瞬にそうした悟りがあるからでしょう。だから覚悟するようなこともなく自然にそう感じれるのだと思います。「海老踊れども斗を出ず」、人間の一生は仏心の中に始終し、始めも終わりもその間も常にその中にあると思えば、生きている事も死ぬ事もその間になす様々な暇つぶしも全ては斗(ます)の中の出来事に過ぎません。死は生の逆というわけでもないし、暇つぶしも重要事と差はありません。それを自然に受入れて日々是好日というわけです。
ブッシュが大統領になり、イラクへの泥沼の言いがかり戦争を始め、日本の自民党が追従し、ブッシュが再選され、小泉前首相を安倍氏が引き継ぎ、、、この6、7年、世の中は悪い方向へ一直線でした。悪い方に行くと最初から帰趨がわかっていながら、彼らが政治代表として選ばれていき、数々の悪政が実現されているのを見るたび、どこまで悪くなるのだろうという亡失とした感覚とともに、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、、、」と呟いたものです。昨年のアメリカでの民主党の勝利あたりから、少しずつ状況が改善しつつある様子が見えはじめました。そしてアメリカ追従路線で日本の社会を改悪した小泉前首相の路線を引き継いだものの、官僚の相次ぐスキャンダルとリーダーシップのなさを発揮して、辞めることになった安倍首相。このタイミングでの安倍首相の辞意表明を見ても、この人は最後の最後まで無能の人だったなあとため息がでます。温室育ちのボンボンと好意的に(?)見る人もいますが、首相としてはあまりに情けない。日本が見えていないだけでなく、自軍も見えておらず、将として腹を切る時期を逃した挙げ句の最悪の辞め方です。無責任一代男、時間給で働くアルバイト感覚で政治家をやっていたのでしょうか。プロフェッショナルの辞めかたでも侍の辞め方でもありません。 直木三十五の小説、南国太平記の中で、死に急ごうとする主人公、小太郎に、叡山の怪僧、義観が説教する場面があります。
「生とは、徒らの生でなく、死とは、徒らに、犬死することではないぞ。死とは、自棄自暴して、生を断つことではなく、永劫の命、来世の生のために、喜んで赴くの心だ。死の覚悟とは、絶望しての覚悟でなく、十方を通貫して、転変自在の意じゃ。内外打成一片にして、善なく、悪無し。千刀万剣を、唯一心に具足して、死生を超越す。これが、士の、剣客の、生死の覚悟じゃ。痛まず、悩まず、悲しまず、変ぜず、驚かず、これ、剣客の心じゃ。それに、何んぞや、父の墓参? わしへの礼? 左様の世上凡俗の習慣を、訣別の大事と心得ているようで、生死を越えての覚悟がついておると思うか? 死の覚悟とは、心を極め、天命を知り、一切有為世界の諸欲を棄て、天地微塵となるとも、いささかも、変動しない、この心が、剣刃上の悟りではないかムム剣刃上を行き、氷稜上を走る、階梯を渉らず、懸崖に手を撒す、この危い境地をくぐって、小太郎、この四明の上に於て、まさに、剣刃上を行き、懸崖を走りながら、未だ、世上煩悩を棄てきれぬか」
自分がつらくなってきたから楽になるために辞めるという自己中心的な安倍首相の辞め方は、みっともないことこの上ないです。これでこの人は政治家としては終わりでしょうが、本当にその辺もわかっているのでしょうか?わかっていたらこんな辞め方はしなかったのではとも思いますが。
「生とは、徒らの生でなく、死とは、徒らに、犬死することではないぞ。死とは、自棄自暴して、生を断つことではなく、永劫の命、来世の生のために、喜んで赴くの心だ。死の覚悟とは、絶望しての覚悟でなく、十方を通貫して、転変自在の意じゃ。内外打成一片にして、善なく、悪無し。千刀万剣を、唯一心に具足して、死生を超越す。これが、士の、剣客の、生死の覚悟じゃ。痛まず、悩まず、悲しまず、変ぜず、驚かず、これ、剣客の心じゃ。それに、何んぞや、父の墓参? わしへの礼? 左様の世上凡俗の習慣を、訣別の大事と心得ているようで、生死を越えての覚悟がついておると思うか? 死の覚悟とは、心を極め、天命を知り、一切有為世界の諸欲を棄て、天地微塵となるとも、いささかも、変動しない、この心が、剣刃上の悟りではないかムム剣刃上を行き、氷稜上を走る、階梯を渉らず、懸崖に手を撒す、この危い境地をくぐって、小太郎、この四明の上に於て、まさに、剣刃上を行き、懸崖を走りながら、未だ、世上煩悩を棄てきれぬか」
自分がつらくなってきたから楽になるために辞めるという自己中心的な安倍首相の辞め方は、みっともないことこの上ないです。これでこの人は政治家としては終わりでしょうが、本当にその辺もわかっているのでしょうか?わかっていたらこんな辞め方はしなかったのではとも思いますが。
テニスのUSオープン、男子シングルスはロジャーフェデラーが優勝しました。過去二十年近くプロテニスは見ていますが、彼はおそらく最強でしょう。ピートサンプラスがスーパーオールラウンダーとして驚異的な活躍をしました。それまでのテニスでは、ボレーヤーはストロークが弱く、ストローカーはボレーが弱いのが相場で、そうしたプレースタイルの違いが個性となって、興味深い試合が数々ありました。マッケンローとレンドルとか。そのうち、テニスラケットの性能が良くなり、どこからでも正確なハードヒットができるようになってくると、ボレーヤーは不利になってきました。ひたすらベースラインで相手がミスをするまでハードヒットを続けるというスタイルが主流となり、ジムクーリエとかがしばらく一位にいました。それを打ち破ってきたのがサンプラスのスーパーオールラウンダースタイルで、球足の早いサーフィスでは、サーブ&ボレー、遅いサーフェスではグラウンドストロークと使い分け、長らく無敵の座についていました。そのサンプラスに衰えが見え始めたころ、サンプラス以上のオールラウンドテンスで、サンプラス以上のスピードをもって、サンプラスを引退に追いやったのがフェデラーでした。私から見てサンプラスの弱点はバックハンドストロークだと思います。サンプラスの片手打ちバックハンドでのトップスピンに余り攻撃力はありません。あくまでバックハンドは、正確にコートにいれてチャンスを待つためのつなぎのショットでした。両手打ちバックハンドを使うプレーヤはバックハンドでも強打して攻撃することが可能です。片手打ちバックハンドでは体の前方でボールを打つ必要がある上に、両手打ちよりもより大きなテイクバックとスウィングが必要なので、正確に強く打つことが困難なのだと思います。サンプラスのバックハンドトップスピンの打点は、ボールが1バウンドして落ちてくる辺りになるので、どうしてもコートの後方から打つことになり、その点でも攻撃力に劣ります。サンプラスがあと十年若くて、フェデラーと対戦したらどうなるかというのは、とても興味深い仮想です。私はサーブ、ボレー、フォアハンドは互角、バックハンドグラウンドストロークではフェデラーの勝ちと思います。フェデラーのボールの扱いに対するセンスには誰もが舌をまくでしょう。今回の決勝戦の対戦相手の若者、良いプレーをすると思います。よい回転とスピードのサーブ、正確で攻撃的なグラウンドストロークを持っています。しかし、天才のセンスに欠けます。私が天才のセンスを感じたプレーヤーは、フェデラーの他にはマッケンロー、アンリルコント、アンドレアガシ、ピートサンプラスです。いくら試合に勝ってもひたすら正確にボールを返すばかりの壁のようなプレーヤー、レンドルとかナダールとかは、見ていて面白くありません。フェデラーはグラウンドストロークをいろんなタイミングで正確に打つ事ができます。驚く事にバックハンドトップスピンを片手打ちでライジングで打つ事もできるのです。これは相当ボールに対する予測がよくないとできません。私は片手打ちバックハンドのテニスプレーヤーで、バックでライジングのトップスピンを打てる人を他に見た事がありません。ストロークも攻撃的なストローク、守りのストロークを巧妙に使い分けてきます。フォアハンドは体がほぼ真っ正面を向いていても、スゥイングのタイミングを微妙に調節することで、左右に打ちわけることができるようです。こんな打ち方をしたら普通はボールにコントロールも威力もつかないと思います。こういう常人が努力を重ねてもできないことができてしまうところが天才なのでしょう。
女子テニスは相変わらず面白みに欠けます。ミスが少なく安定している者が勝つ、というテニスでの常識どおりの結果と思います。女子で天才を感じた人は少ないのですが、あえて言うなら、マルチナヒンギスでしょうか。カムバックしてからイマイチですが、強かった時、ライジングの早いタイミングでのストローク、左右に振り回すテニスは女子の中では見ていてなかなか面白いと思いました。歴史的にはビリージーンキングやマルチナナブラチロウ゛ァやトレーシーオースチンとかも比較するべきなのでしょうが、私は余りリアルタイムで知らないので何とも言えません。グラフは勿論好きでした。彼女は殆どあのフォアハンド一本で長期にわたって君臨したのですから大したものでした。
盛者必衰、いずれフェデラーも勝てなくなるでしょうが、それは、彼以上の天才が打ち負かすというよりは、きっと彼の年齢からくる衰えによるものになるであろうと思います。それぐらいフェデラーのテニスは完成度が高いと思います。
今日、パバロッティの死去のニュースを聞きました。七十一歳、膵臓がんだったそうです。私はパバロッティについて論じる資格はほとんどゼロに近いのですが、さすがに10数年前に3テナーズが大ヒットした時にCDは買いました。それとあと二三、図書館で借りてきたCDがiPodに入っています。昔、大学の実験室で3テナーズをかけて実験していた時、クラッシック好きの先輩が「パバロッティはいいですね」と話しかけてくれたのを思い出します。その人はその後、病で急逝したのでした。3テナーズはクラッシックレコードとしては異例の大ヒットになったのですが、普段クラッシックに興味の無い人も「三大テノールの夢の競演」みたいなキャッチフレーズに乗せられて、「どうもすごいらしい!」という妙な期待感からCDに手を出したのだと思います。恥ずかしながら私もその一人です。それより更に5、6年前の「宇宙ブーム」の時と似ています。当時、神経変性疾患に侵された天才理論物理学者、スティーブンホーキングが一般向けの宇宙の始まりと終焉についての本を出版し、ベストセラーとなりました。アメリカで流行るものはちょっと遅れて日本でも流行るので、一般書店の一番目立つところに山積みになっていた「ホーキング、宇宙を語る」は私も買いました。当然内容の半分はよく理解できませんでした。その点、音楽はもっと簡単です。理解する必要も特にありません。3テナーズといいますが、微妙な格付けはあるみたいで、ホセカレーラスよりはプラシドドミンゴの方がちょっと上でドミンゴよりはパバロッティがちょっと上という感じだったように思いました。本来ソロで歌うテノールが同じステージに三人集まって、朗々たる歌声を披露したのですから、なかなかのものであることは、素人の私にもわかります。こってりした豚骨スープにすりおろしニンニクを大量に加えて厚切りチャーシューを目一杯のせたラーメンみたいです。CDの目玉は当然ながらパバロッティの「Nessun dorma」だと思います。クラッシックではモーツアルトの次に私の好きなプッチーニの未完のオペラ、ツーランドットの中のこの名曲は、クラッシック界のみならずいろんな人が歌っていますが、かなりの声量を必要とするためか、誰もパバロッティにかなう者はなく、「Nessun dorma」はパバロッティの曲というイメージが出来上がっていると思います。彼以外の「誰も歌ってはならぬ」という感じです。歌えばボロがでますから。パバロッティ死去のニュースでは当然ながら、この曲を歌っているパバロッティの映像が流されていました。「誰も寝てはならぬ」と歌われるこの曲とともにパバロッティは永遠の眠りにつきました。「自分の名前を夜明けまでに当てたら命を捧げよう」と賭けをした主人公が歌うこのアリアの最後の部分で、「夜よ消えよ、夜明けに我は勝利する!」と力強く歌い上げる部分が、テレビに映し出されていました。これから先も当分、この曲をパバロッティ以上に歌える人は出てこないのでしょう。そして、この完全なるパパロッティの勝利を人々は長らく記憶する事でしょう。
労働者階級が地盤沈下して、先進国での多くの国民の生活レベルが低下してきていることを考えていた時、昔好きだったスタンダードジャズの曲、「Born to be blue」を思い出しました。やはり人生いろいろ楽しくないことが多いと悲しい曲をより思い出すのでしょう。私はこの曲をヘレンメリルのレコードで知りました。この曲は変わった和音進行を持つ曲で彼女のささやくような声とあいまって不思議なもの悲しい雰囲気が醸し出されています。スタンダードなのでエラフィッツジェラルドも含めていろんな人が録音していますが、不思議とヘレンメリル版が私には一番しっくりきます。「some folks were meant to live in clover, but they are such a chosen few」という出だしの歌詞で、私は「live in clover」という成句を覚えました。つまり最初から少数の裕福な人は決まっていると歌っていてるのです。私(つまり、大多数)はブルーになるように生まれついているという歌詞は、現在の格差社会にそのまま当てはまるようです。因みに歌そのものは1946年に発表されています。
ヘレンメリルは日本でも人気のあった白人ジャズシンガーですが、彼女の代表作といえば、天才トランぺッター、クリフォードブラウンと競演したデビューアルバムで、「Born to be blue」もこのアルバムに収められています。私も高校、大学生のころはこのレコードを愛聴していました。声量はないのですが、ちょっとハスキーな声で控えめに歌う所が、日本人の琴線に触れるのかもしれません。1954年のレコード発表当時は、サラウ゛ォーン、エラフィッツジェラルド、ビリーホリデイらの大御所の黄金期ですから、白人シンガーで声量がないヘレンメリルのこのデビューアルバムがヒットしたのは不思議に思えます。クリフォードブラウンを投入した文字通り鳴りもの入りのデビューレコードだったのでヒットしたのかもしれません。因に、このレコードがクリフォードブラウンの最終録音らしいです。クリフォードブラウンが天才トランぺッターであることには私は何の異論もありません。気に入らないのはあんなに若くして、あれほど完成度の高いソロを吹ける完全無欠の天才ぶりでしょうか。作曲の才能にも驚きます。彼のもっともよく知られている曲「Joy spring」は、後年マンハッタントランスファーの歌でも再ヒットしましたが、そのメロディー、複雑でありながら高度に構成されている和音進行(当時の作曲スタイルでの完成系と行っても良いかもしれません)、「うーん」と唸らされます。他のジャズ史に名を残す大物トランぺッターで(例えばマイルスデイビスやディジーガレスピーなんかを思い起こしてみても)彼程の無欠の天才さを誇った者がいたでしょうか?クリフォードブラウンは26歳で交通事故で亡くなってしまいました。音楽家としての活動はたった4年余りでありながら、現代にいたるまで強い影響を与え続けています。夭折が神話を促進するのはよくあることでしょうが、それにしてももうちょっと長生きしてもよかったのにと思います。バンドの相棒であったドラムのマックスローチもつい2週間前に83歳で亡くなってしまいました。クリフォードブラウンと同い年のヘレンメリルはまだ歌手活動しているみたいです。さて、クリフォードブラウンは別にしても、このヘレンメリルのアルバムはよく出来ていると思います。私はとりわけ「What’s new?」が好きでした。おそらくこの曲がヘレンメリルの代表作と言ってよいのではと思います。大阪梅田の駅前第二ビルの地下に同名のジャズ喫茶があって、高校、大学生の時には時折いきました。当時、シンセサイザーメーカーのローランドが駅前第三ビルにショールームを持っていて音楽好きの学生や社会人のたまり場になっていたのですが、そこが混んでいて遊ぶ場所がない時に、もっとも近いジャズ喫茶であった「What’s new?」に行くという感じでした。もっともその他の音楽喫茶同様、当時でさえ「What’s new?」は、一般客のために音量を絞ってあって、ジャズを聞きにいく場所という感じではありませんでした。ヘレンメリルのこのアルバムには、それ以外にも「S’ wonderful」「You’d be so nice to come home to」などの名曲が収載されています。今知りましたが、このレコードの編曲とプロデュースはクインシージョーンズでした。多くの非ジャズファンの日本人同様に、私がクインシージョーンズを知ったのは、「愛のコリーダ」がヒットした時でした。最初はポップ曲の作曲家だと勘違いしていました。(ジャズが死んだといわれてから、多くのジャズ演奏家が既存のいろんな演奏スタイルを試み、単純な8ビートを基調とするロック音楽のリズムを使うのが流行りました。当時、クロスオーバーとかフージョンとかいわれていたように思います。)ヘレンメリルのデビューは、(私の推測なので何の根拠もないですが)多分、最近のノーラジョーンズみたいなノリで、白人リスナー向けにアイドルを売り出そうとしたのでしょう。いずれにしてもレコードのできは悪くありません。そして、ヘレンメリルは日本やヨーロッパで生き残ることができました。もうレコードは手元にありません。こつこつ買い集めたジャズのレコードは、大学生の頃に中古レコードショップで小銭に替えてしまいました。さよならだけが人生だと呟きながら、元町商店街の脇道をそれたところにあった中古レコードやの狭い階段をレコードの入った段ボールを担いでのぼったことを思い出します。
ヘレンメリルは日本でも人気のあった白人ジャズシンガーですが、彼女の代表作といえば、天才トランぺッター、クリフォードブラウンと競演したデビューアルバムで、「Born to be blue」もこのアルバムに収められています。私も高校、大学生のころはこのレコードを愛聴していました。声量はないのですが、ちょっとハスキーな声で控えめに歌う所が、日本人の琴線に触れるのかもしれません。1954年のレコード発表当時は、サラウ゛ォーン、エラフィッツジェラルド、ビリーホリデイらの大御所の黄金期ですから、白人シンガーで声量がないヘレンメリルのこのデビューアルバムがヒットしたのは不思議に思えます。クリフォードブラウンを投入した文字通り鳴りもの入りのデビューレコードだったのでヒットしたのかもしれません。因に、このレコードがクリフォードブラウンの最終録音らしいです。クリフォードブラウンが天才トランぺッターであることには私は何の異論もありません。気に入らないのはあんなに若くして、あれほど完成度の高いソロを吹ける完全無欠の天才ぶりでしょうか。作曲の才能にも驚きます。彼のもっともよく知られている曲「Joy spring」は、後年マンハッタントランスファーの歌でも再ヒットしましたが、そのメロディー、複雑でありながら高度に構成されている和音進行(当時の作曲スタイルでの完成系と行っても良いかもしれません)、「うーん」と唸らされます。他のジャズ史に名を残す大物トランぺッターで(例えばマイルスデイビスやディジーガレスピーなんかを思い起こしてみても)彼程の無欠の天才さを誇った者がいたでしょうか?クリフォードブラウンは26歳で交通事故で亡くなってしまいました。音楽家としての活動はたった4年余りでありながら、現代にいたるまで強い影響を与え続けています。夭折が神話を促進するのはよくあることでしょうが、それにしてももうちょっと長生きしてもよかったのにと思います。バンドの相棒であったドラムのマックスローチもつい2週間前に83歳で亡くなってしまいました。クリフォードブラウンと同い年のヘレンメリルはまだ歌手活動しているみたいです。さて、クリフォードブラウンは別にしても、このヘレンメリルのアルバムはよく出来ていると思います。私はとりわけ「What’s new?」が好きでした。おそらくこの曲がヘレンメリルの代表作と言ってよいのではと思います。大阪梅田の駅前第二ビルの地下に同名のジャズ喫茶があって、高校、大学生の時には時折いきました。当時、シンセサイザーメーカーのローランドが駅前第三ビルにショールームを持っていて音楽好きの学生や社会人のたまり場になっていたのですが、そこが混んでいて遊ぶ場所がない時に、もっとも近いジャズ喫茶であった「What’s new?」に行くという感じでした。もっともその他の音楽喫茶同様、当時でさえ「What’s new?」は、一般客のために音量を絞ってあって、ジャズを聞きにいく場所という感じではありませんでした。ヘレンメリルのこのアルバムには、それ以外にも「S’ wonderful」「You’d be so nice to come home to」などの名曲が収載されています。今知りましたが、このレコードの編曲とプロデュースはクインシージョーンズでした。多くの非ジャズファンの日本人同様に、私がクインシージョーンズを知ったのは、「愛のコリーダ」がヒットした時でした。最初はポップ曲の作曲家だと勘違いしていました。(ジャズが死んだといわれてから、多くのジャズ演奏家が既存のいろんな演奏スタイルを試み、単純な8ビートを基調とするロック音楽のリズムを使うのが流行りました。当時、クロスオーバーとかフージョンとかいわれていたように思います。)ヘレンメリルのデビューは、(私の推測なので何の根拠もないですが)多分、最近のノーラジョーンズみたいなノリで、白人リスナー向けにアイドルを売り出そうとしたのでしょう。いずれにしてもレコードのできは悪くありません。そして、ヘレンメリルは日本やヨーロッパで生き残ることができました。もうレコードは手元にありません。こつこつ買い集めたジャズのレコードは、大学生の頃に中古レコードショップで小銭に替えてしまいました。さよならだけが人生だと呟きながら、元町商店街の脇道をそれたところにあった中古レコードやの狭い階段をレコードの入った段ボールを担いでのぼったことを思い出します。
6年前のNew York Timesベストセラーとなったドキュメンタリー、「Nickel and Dimed」をこの夏休みに読みました。ジャーナリストである著者、Barbara Ehrenreichは、アメリカの低賃金労働者の実際をよりよく知るため、自身が低賃金労働者となってアメリカの3都市、フロリダ州マイアミキーウエスト、メイン州ポートランド、ミネソタ州ミネアポリスで、低賃金労働者の生活を約1年にわたって経験します。ウエイトレス、ホテルの清掃員、クリーニングサービス、老人ホームの介助係、ウォールマート(アメリカ最大のスーパー)店員といった職業に就き、その賃金で生活するということがどういうことかを書き綴っています。あらためて思い知らされたのは、この世界一豊かな国の低所得者層は、普段人の目につかないところで、とんでもなく貧しい生活をしているということでした。市場原理による競争を原則とする資本主義社会では、富は偏在し、競争力は経済力に比例して増加しますから、金持ちはますます金持ちになり、貧困層は競争力が低いためますます困難な生活へと追いやられています。過去日本の大勢であった中流層は競争原理が押し進められた結果、地盤沈下し実質下流層へ格下げされつつあります。本が書かれた当時のアメリカ人の平均収入は年間約40,000ドルで現在もそう変わっていないと思います。平均値からみると収入がそれだけあれば中流といえるのですが、それらの人々が中流といえる生活が本当にできているのかというのは疑問です。この本によるとウォールマートの店員などの非熟練職は時給7ドルぐらいです。1日8時間、月に20日働いて、年間13,000ドル強にしかなりません。養っていくべき家族のある人は、こうした職を2つ3つと掛け持ちし、休日なしで働き続けることになります。小さい子供がいて預けなければならない場合は、その費用に収入の半分近くをあてなければならないこともあります。年収が30,000ドルに満たないアメリカ人は約60%おり、シングルインカムで家族を養っている場合は、食べていくことは何とかできても、殆ど何の余裕もありません。因みにアメリカでのポスドクの最初の給料はこれくらいでしょう。アメリカが豊かに見えるのは、豊かな部分だけが目に見えるからです。普段目に見えない一般アメリカ人は、いざという時の貯蓄をする余裕もなく、市場原理で値段をつり上げられた不動産のために家を買ったり部屋を借りたりすることも満足にできなくなって来ています。とくにこの住居問題は近年大きく、食費の家計に占める割合で貧困を測ると、貧困層は一見減少しているように見えるのですが、住居費の家計に占める割合は食費よりもはるかに大きくしかもそれは急速に上昇してきているため、実際の生活レベルは悪化しているようです。著者はミネアポリスでは、供給不足需要過多による家賃の高沸により、収入に見合ったアパートを見つけることができず、長期滞在者用のモーテルに寝起きせざるを得ませんでした。その最低レベルのモーテルでさえ結局はウォールマートの賃金だけでは収支をあわせることはできなかったのでした。低賃金労働者の中にはアパートを借りる事もできず、トラックや車のなかで寝起きするものもあります。サンフランシスコでは終日営業の巡回バスを寝床にしている人の話も聞きます。豊かな国のアメリカの低賃金労働者の生活レベルは極めて低く、著者はアメリカの豊かさはそうした人々の犠牲の上に成り立っていると言っています。アメリカは裕福層が巧妙に社会システムを操作し、経済的クラス分けを行うことで、裕福層の利益を守り、貧困層が容易にはそのクラスを出る事ができないようにしています。ちょうど江戸時代に農民が搾取されていたのと同じ構図です。ジョンエドワードの言う二つのアメリカというのがこれで、裕福層が貧困層を搾取することによって、裕福層は苦労無く裕福であり続けられ、貧困層はいくら働いてもそこから抜け出られないのです。アメリカの後を追いつづけている日本でも同じことが起こっていると思います。一部の裕福層は金で社会を操作できます。残りの大多数の国民は彼らに搾取され続けられています。そのうち、アメリカや日本でこの経済的カースト制を倒そうとする動きが起こるでしょうが、それは強い痛みを伴うことになるでしょう。いつも傷つくのは弱者なのです。