百醜千拙草

何とかやっています

Post-truth時代と思考力

2017-01-31 | Weblog
早速、トランプはバカをやり始め、あちこちで抗議活動が起きています。おまけに相変わらずツイッターに気分が悪くなるような書き込みもしているようです。メキシコとの国境の壁の話では、そのアイデア自体が荒唐無稽なのに、加えてメキシコに建設代金を払わせる、とバカ丸出しを言い出して、メキシコとの首脳会談がキャンセル。先週のイスラム圏からの入国を大統領令でいきなり制限した行為には、憲法と法治を冒涜しているという批判が上がり、穏健派のイランのロハウニ師も非難、イランへのアメリカ人の入国を制限すると言いだしました。いらぬ敵を作って憎しみを煽り立て、これまでオバマ政権がイランの核兵器縮小を目的に辛抱強く交渉してきた苦労を台無しにしました。人々が苦労をして築きあげてきたものを己の自分勝手なエゴと独りよがりの考えでぶち壊す、そのくせ自分は何を勘違いしているの英雄気取り。ゲーテは活動的な馬鹿ほど恐ろしいものはないと言いましたが、まさにキチガイに刃物です。せめてバカにハサミであって欲しかった。

何れにしても、これまでの世界の秩序を揺さぶっているのは確かですが、問題は、彼には人に顔を背けさせる人間としての醜さがあります。汚いものや破壊することに刺激や欲求不満の捌け口を求める人間も確かに多く、トランプをヒーローのように勘違いする人もいるようですが、そんな刹那的な解決法が長期的に有意義なものを生み出した試しはありません。加えて、人をマニピュレートするために、その場その場で適当にウソを言い、他人を罵る。ウソも百回言えば本当だ、ましてオレが白といえば黒いものも白になる、そういう幼稚で傲慢なトランプの態度は、良識のある人々に危機感を抱かせます。

東京新聞のコラムによると、政府がウソで塗り固めて国民を管理する世界、「2 + 2 = 5」となるような世界を描いたジョージ オーウェルの「1984」が、突然、売れ出したのだそうです。このフィクションに現実味が感じられるほど、トランプはデタラメだということでしょう。真実が価値を持たない「Post-truth era」は、人は客観的事実に基づいて理性的に判断を下すのではなく、事実関係は二の次にして自分に都合のよい話だけを信じる時代です。考えるのではなく感覚で反応するだけです。ブルース リーではあるまいし。人間の心、感情というものは一瞬で変化する頼りないものです。人間は知性というものを授かり、真実を見極めることによって長期的により良い判断を下すことができるようになりました。考えることをせず、反応するだけなら動物と同じです。知は力であり、思考力はその武器です。ペテン師の口車に乗ってはいけません。

また、客観的な「真実」があるということを前提に世界の理解を進めようとする「科学」にとって、この傾向は好ましいものではありません。(e.g. Post-truth: a guide for the perplexed. Nature; )いまだに「STAP細胞は存在して、何らかの利権の犠牲になって、ないことにされているのだ」という陰謀論を振りかざすような一般人が結構いますからね。彼らにとって、自分に都合がよいものを信じるのに客観的事実の検討は必要ないのです。
そういえば、随分前にポストモダンという思想的流行がありましたが、どんな流行も廃れるもので、もはやポストモダンなどお好み焼屋のメニューでさえ見かけなくなりました。Post-truth という馬鹿げた時代もすぐ過ぎ去るとは信じてはおりますが。

話を戻します。トランプはその「オレが一番」というエゴのままに行動しているだけでしょうが、結果として、これまでの秩序を破壊しようとしているようです。確かに持てるものと持たざるもののディスパリティーがここまで大きくなった現代社会の歪みは正されないといけないと思います。しかし正すことと壊すことは別です。既得権益を享受する者に対する一般人の不公平感や妬みやあるいは憎しみというものは、正当なものではあるものの、それ自体は、エゴゆえに生まれる醜いものです。それがトランプの醜いエゴと共鳴していると私は感じます。敵を作って攻撃して勝てば幸せになるというものではありません。われわれは戦争から学びました。戦争の一番の被害者は戦勝国も敗戦国も一般人であり、勝っても負けても、戦争は地獄です。物事をビジネスディールのレベルでしか考えられない単純なトランプは、どうやればアメリカ国民と世界の人々が平和に長期繁栄できるのかという観点から考えることができないようです。アメリカ株式会社の利益を上げることが自分の使命だとでも勘違いしているようです。つまり、自分だけが得をすれば(同じ地球上に存在して資源を共有する)他の国はどうでも良い、という浅い考えで十分に事実を集めて深く考えることなく行動しているのだと思います。これらのキチガイじみた大統領令がその証拠でしょう。

結果、トランプ政権での、一番の被害者は、旧体制の既得権者ではなく、一般国民と世界の一般市民となるでしょう。結局は一般市民が大迷惑を受けた挙句により悪い社会体制に落ち着くことになると思われます。壊すのは作り出すよりもはるかに易しいですからね。

同じようなことが日本でも起こりました。公約は破るのが当然で、選挙前の話のほとんどは票をもらうためのデマカセでした。結果、史上最悪と言ってよいアベ政権を生み出すことになりました。アベ氏の口から出る言葉は多くの場合、日本語として意味をなさず、残りの半分はウソであり、さらに残りは逆ギレとヤジという中身のなさです。真実を元に誠実に訴えるのではなく、人々の耳に心地よく、インパクトがあればそれで良いと思っているような政治家が続きました。自民党をぶっ壊すとか、暴走老人だとか、扇動的な演説で一時的に人々の注意を引くことはできます。それで、壊したり暴走行為をしたりすることもできるでしょう。しかし、その後、何か良いものが生まれたとは思えません。国民の問題は何も解決せず、選挙の度に「改革」を叫んで、当選すると、結局はより悪い方向に変化しました。そして、すべての悪政のツケは結局、一般国民が払わされます。暴走老人はこれから吊し上げられるこのになるでしょうが、いずれにしても豊洲の巨額のツケは結局、都民が払うことになるし、オリンピックで残されるであろう巨大な負の遺産の処理も、都民と国民の税金で賄うしかありません。

ま、それはともかく、トランプに今のところは味方がいます。それは、これまでの体制に不満を持っていた人々です。アメリカの戦争産業と金融産業、この二つの巨大の力がアメリカの世界覇権を維持してきました。力と金で人々をコントロールする、というのは反吐の出る話ですが、しかし、その一方、そのおかげでアメリカは世界一豊かな国でいることができ、そのライフスタイルを求めて移民が集まる国となりました。旧体制に不満を持つ一般アメリカ人でさえ、アメリカが世界に仕掛けた物理的な戦争や金融戦争のお陰を被ってきたのは事実だと思います。

つまり、世の中、既得権を持つ側と一般国民、搾取する側とされる側、正義の味方とショッカー軍団が、敵対していて、相手の損失が自分の得につながるというような単純なものではないと思います。皆が一つの地球というリソースを共有しているのです。お互いのパーティーが満足できるような落とし所を辛抱強く探っていくしか解決はないと私は思います。

日本の支配者層(税金を集める側)と一般国民(税金を払う側)も同様の関係だと思います。国民が豊かであるからこそ税収も上がるわけで、ないところから消費税などを使って搾り取ろうとしても結局は税収の増加には繋がりません。では、単純に霞ヶ関をぶっ潰せば国民はハッピーになれるのか、そんなワケはないでしょう。包括的に物事を見れる有能な官吏や政治家は必要です。そういう人々が国が全体として(自分だけでなく)みんながある程度豊かに暮らしていくためにどうすべきかを考えるのがリーダーシップというものです。そういう人が見当たりません。
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ポモドロでんでん

2017-01-27 | Weblog
この一年、一週間が過ぎるのが異常に早いような気がします。月曜日だと思ったらもう週末。週末が終わったと思ったらまた週末。その間、何も進歩がないような時もあります。もうちょっとバランスのとれた生活をすべきだろうと、前回のグラントの時から、時間管理のためのポモドロ タイマーを使い始めました。もともとトマトの形のキッチン タイマーをコンピューターソフト化したものですが、私がフリーで使っているものはあいにくトマトのデザインではなくて残念です。これで、20 -30 分時間を、1日に何枠か確保して、その間は一つのことに集中し、他のことは考えない。というルールでやります。これは意外に良いです。実験をする時間と考え事や書物をする時間を分離することは意外に生産性を上げます。
昔は、作業や義務の合間ぐらいにしか論文を読んだり、書いたりするしか余裕がなく、机の前にじっくり座ることもできないような時代がありましたが、それでは、やはりマトモな研究は難しいと思いました。作業をこなすだけでなく、あれこれと考えたり読んだりして楽しむ時間、余裕、というものが、必要だと思います。

一流の研究者には余裕のある人が多いと思います。以前は、一流となったので先々に心配が少ないから余裕があるのだろう、と思っていましたが、どうもそういうものでもなさそうです。どちらかというと逆で、仕事を余裕を持って楽しくやっている人が自然と良い仕事を出していいっているように思います。時々、偉い研究者の人に用事でコンタクトを取ることがありますが、偉い人ほど親切だなと感じます。これも偉いから親切する余裕があるというよりは、そういう人が偉くなるのだろうと思います。

週末、YouTubeでWayne Dyerのしばらく前の映画「Shift」を見ました。人は欲しいものを呼び寄せるのではなく、自分であるところのものを引き寄せるのだと言っていました。いわゆる「引き寄せの法則」ですね。頭では理解できても実行するのは難しい。これと似た話を別のところでも聞きました。うろ覚えですが次のような話だったと思います。
「成功したい」と思っている若者が成功者の人々に会って、仲間に入れて欲しいという頼みます。「成功していない人間は仲間に入れることはできない」と成功者は言います。「それでは、どうやったら成功できますか」と若者。それに対する答えは「成功していないものに教えることはできない」でした。

なるほど。余裕のある穏やかな人間にまずなることができなければ余裕のある穏やかな人間にはなれないのかも知れません。
それで、先日の国会答弁で話題になった「漢字の読めない総理」の話でもしようと思ったのですがやめます。そんなことをあげつらうよりも、決して瞋らず、いつも静かに笑ってゐる、さうゐふもものに私はなりたい、です。日本のトップ二人が、漢字の読み書きができない、というのも愛嬌だと笑って済ます余裕もないようでは、人間まだまだです。ビデオで見ましたが、自信たっぷりに読み間違えるパフォーマンス(?)はなかなかのものです。一国の首相として恥ずかしい、と、目くじらを立てるより、ハハハ、と笑い飛ばす方がいいに決まっています。答弁にフリガナを振らなかった官僚が更迭された、とか、新しい漢字の読み方を強行採決で決定した、とか、お笑い拡大中。
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毒を持って制す

2017-01-24 | Weblog
最近、どういうわけか、サファリを使うと東京新聞の記事にアクセスできなくなりました。クロムだとできます。何か政府に都合の悪い情報をブロックするようなウイルスでも仕込まれたのかな、などと勘ぐっておりますが、理由をご存知の方がありましたら教えてください。

というわけで、顔を背けさせるような人間の醜さを放つ人間が、世界最強の軍隊のチーフコマンダーという権力を手に入れてしまったという悪夢が現実となってしまったわけです。この人の話題が出るたびに皆が不愉快になるので、雑談の時もなるべくその存在を忘れ、話題にしないようにしている日々です。ま、日本も似たような状況が続いているわけではありますが。
しかし、いくら人間としてクソであったとしても、人間性とその行為の影響というものは切り離して考えるべきであろうと思います。

予測不能ですが、ひょっとすれば、日本にとっては戦後70年余りの対米隷属から脱出するいい機会となるかもしれません。
沖縄と日本国民が声を揃えて、ヤンキー ゴー ホームを叫べば、あの単純なトランプですから、米軍を引き上げてくれるかも知れません。トランプという「毒」で、日本をアメリカの植民地として搾取してきた別の「毒」を制すことができるかも知れません。そのチャンスの時に日本の指導者がアベ氏ではダメです。アメリカのジャパン ハンドラーズの指示通りにしか動けないのですから。角栄のようなタイプ、行動力と総合的な判断力を持った人間が必要です。トランプはアジアの安全保障に興味がないと言っているのですから、日本は中国とロシアとの関係をもっと重視しアメリカの属国という立場から独立性を高めていくしかないと私は思うのですが。大体、日米安保など建前だけであり、それは日本の安全保障には何の役にも立っていないのですから。

トランプ就任の前日の東京新聞の記事。
トランプ政権でアーミテージ報告書路線は… 日米連携の設計図失う?
 、、、安倍政権は、米国の知日派がかつてまとめた「アーミテージ・ナイ報告書」に沿う形で多くの政策を進めてきたが、トランプ氏の就任で、こうした関係は成り立たなくなる。(木谷孝洋)
 安倍政権が行ってきた施策は、野党から「完全コピー」と批判されるほど報告書の内容と酷似している。
 一二年の報告書は、他国を武力で守る集団的自衛権行使の容認、国連平和維持活動(PKO)拡大などを日本に要求。安倍政権は世論の反対を押し切って集団的自衛権を行使できる安全保障関連法を成立させ、南スーダンPKOで陸上自衛隊部隊に「駆け付け警護」などの新任務を付与した。
 経済では、報告書が求めた環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に踏みきり、各国と合意。歴史認識問題にも報告書通り向き合い、韓国と旧日本軍慰安婦問題の解決に向けて合意した。、、、


つまり、自民党政権は、アーミテージ、ジョゼフ ナイらジャパンハンドラーズの「提言」という名の「命令」を受けて、アメリカの日本支配を忠実に実行してきたわけです。それによって、対米隷属で生じる数々の利権にぶら下がる官僚組織などからの支持を受けて政権を維持してきました。なにしろアベ政権の政策はアメリカの提言の「完全コピー」ですからね。

ところが、従来のアメリカ政界とは無縁のトランプが、一般アメリカ人に耳触りの良いことを適当に並べ立てて当選してしまい、トランプもちょっと簡単に後には引けないような状態になっているのではないでしょうか。それで、戦後、独立国の体裁を保ったままで、都合よく日本を植民地状態において利用してきたアメリカと霞が関ですが、その「大人の事情」をよく理解できないトランプが、「アメリカ第一」と言って、その馴れ合いをブチ壊そうとしているように見えます。

 外圧でしか動かない日本、これを利用して、うまく在日米軍の規模を縮小できるかも知れません。ロシアが北方領土を返さないのも、世界最大の国外米軍基地が日本にあるという事実があるからでしょう。アメリカの命令を完全コピーするような政権をどう間違えばプーチンが信用するのかという話です。アメリカが出て行けば、北方領土も返ってくるかもしれません。
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ヒューマニズムの退行

2017-01-20 | Weblog
難民の受け入れに寛容だったドイツのメルケル政権、先月のチュニジア人によるベルリンのテロ事件を受け、「テロを起こす危険があるとみなした人物の足首に衛星利用測位システム(GPS)付き「電子足輪」を装着するなどのテロ対策をまとめ、法改正に乗り出した」とのニュース。どうも、イスラム過激派を念頭に置いているようです。

「テロを起こす危険があるとみなす」とは、誰がどの基準で判断するのかという点が、最も危うい問題であり、先日のアベ政権の、罪の計画段階で処罰可能とする、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた、という動きを思い出させます。

いずれも、権力を持っている者次第によって、容易に暴走する可能性のある法案です。

確かに イデオロギーと現実とをうまくすり合わせられない人々は危険です。オウム事件やそれよりさらに前の日本赤軍とか活動家の内ゲバ事件とかを思い出すまでもなく、人並み以上の知能を持つ人間が、他人や自分自らから洗脳状態に入って、異常な視野狭窄を起こしているわけです。ま、一種の精神病と言ってもいいでしょう。こう言う人々は少数なわけで、世界最大の宗教であるイスラム教教徒のほとんどは、普通の人ですから、どうやって、危険な人間をより分けて、監視し、場合によっては権力で拘束するか、という点にambiguityが許されるのであれば、これは一挙に人権問題となり、ひいては現実的に民主主義を破壊することにつながるだろう、とは多くの人々の危惧するところでしょう。

イデオロギーに「狂った」人も危険ですが、イデオロギーがない人間も困りものです。トランプのことです。イデオロギーがないというのは正確ではないかもしれません。彼もイデオロギーらしいものは持っているかもしれませんが、それはおそらく、自分が一番で、儲かることは絶対的に良いことだ、というような幼稚極まりないものでしょう。

いずれにせよ、間も無く始まる彼の政権は、始まる前から大荒れです。マトモに国家の運営などできないことは遠からず明らかになり、彼に投票した人々を絶望させることになるであろうと予想されます。すでに40名近い議員が、大統領のinarguration ceremonyへの出席をボイコットすると表明しており、数多くの有名アーティストはセレモニーでのパフォーマンスの招待を拒否し、当日から、人権保護団体は、トランプのマイノリティーへの政策に反対するデモを行う予定にしており、数日前には、テレビ番組で以前に性的嫌がらせを受けた女性がトランプに対してクラス訴訟を起こしています。次のモニカ ルウィンスキーになる候補者には事欠かないようです。

これらのニュースはバラバラのように見えますが、共通項として、人が人を思いやり、他人の権利を尊重するという、戦争の世紀から痛い思いをして学んだ教訓から逆行していく傾向を示していると思います。「自分さえよければ良い」という考えがヨーロッパ、それからアメリカの帝国主義を生み、世界を陰惨なものしてきたのではなかったのですかね。殺し合いの20世紀から、人類は、多少賢くなって、ケンカをしないで憎しみ合わないで生きていく方がより効率的で人間的であることを学んだのではなかったのですかね。トランプ現象が、前人間時代の断末魔の悪あがきであってほしいと思います。
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訪れる終わり

2017-01-17 | Weblog
週末、ポスドク時代の知り合いが亡くなったという知らせを受けました。多分最後に会ったのは10年ぐらいは前の学会だったように思います。病気になってからウェッブサイトで病状報告をしていたようですが知りませんでした。地方大学で教鞭をとっていましたが、そのウェブサイトの記録によると、最初に腹痛で見つかってから、わずか5ヶ月ほど、亡くなる一月前まではまずまずだったようですが、化学療法を試してから急激に悪くなったようです。

その記録を読んでいると、彼の口調が蘇ってきて、なんとも言えない感情が湧きあがってきます。映画のシーンのように昔のことが思い浮かびます。そして、映画が終わった後、知らぬ間に観客が去って行って、ふと自分だけが取り残されていることに気づく、そんな感覚を覚えるのです。映画は終わったけど、みんなはもういない、一体、自分はこの後、どうすればいいのだろう、そんな途方にくれたような気分になります。
自然と「善き者は逝く」とつぶやいていました。

一緒に研究室で過ごした日々が昨日のことのようです。あれから十数年が経ったのだ、もう自分も含めて何があってもおかしくない時期に来ているのだとあらためて思いました。

忘れたころや予期しない時にこそ、物事の終わりはふと訪れるのかも知れません。私は死ぬ時は跡を残さずにすっと去りたいものだと思います。そのために、この数年来、そろそろ終わり方を考えよう(でもまだいいか)と、折に触れては思いついては先延ばしにしてきたことですが、今年のグラントが落ち着いたら、ジックリ取り組むか、と思いました。
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今日はいい日

2017-01-13 | Weblog
研究計画が行き詰まり、あれこれとまとまらずに、計画書が一行も書けないという日々が続いています。仕方がないので、周辺作業の図を描いたり、イントロの使う論文を漁ったり、そんなことをしている間に、1日が暮れてしまいます。そういう時に限って、他のところにも問題が出てきたり、雑用がやってきたりして、焦りに拍車がかかるものですが、やはり、気持ちに余裕がないのはダメですね。

それで、うまくいかないことがあった時には、「今日はいい日だ」と言うようにしております。そう言うと、その言葉を正当化しようとして脳が何かいいところを探し出そうとするのだそうです。いいことに注意を向けて、うまくいかなかったという事実からネガティブな感情を生み出すのを予防する効果があるということです。

斎藤一人さんは、いいことがある時には、「いやーな感じ」がするのだそうです。いやーな感じがあった時、「今日はいいことありそうだ」と言うのだそうです。そうするといいことが起こる。

物事には、アプリオリにいいことや悪いことが存在しているわけではなく、良い悪いを判断しているのは実は私たちです。望まないことが起きた時には、私たちはそれを悪いことだと単純に反応し「悪いこと」というラベルを貼ってしいまいがちです。その反射的な作業を意図的に止めて、望ましくないと見えることの中に、もしも良いことがあるとすれば、それは何だろうか、と考えてみることは有効だと思います。よく考えてみれば、一見悪く見えることの中にも一つや二つの良いことは発見できます。仮にその時に発見できなくても、十年経ってからその意味が理解出来るようなこともありますから、少なくとも、物事を「悪いこと」と即時に判断するのを保留するようにするのが良さそうです。

思うようにいかなかった出来事に悪いことが起こったと反応して、自分の機嫌を悪くすることは、少なくとも私にとっては大変有害です。

そんなことを、ますます酷くなるトランプの言動を聞いて思いました。この品性と良識と誠実さに欠ける傲慢で幼稚な俗物王が、民主主義国家を引っ張っていくリーダーに最もふさわしくない一人であるのは間違いありません。そんな人が世界最強の軍隊を持つ国家の元首ですから、これは良識を尊ぶ人々にとっては、間違いなく悪い事でしょう。

ただ、始まりがあれば終わりがあります。限界に達した近代資本主義が、核反応のような強烈な連鎖反応によって、暴力的に終わるしかないのであれば、その時にどんな大統領がふさわしいのだろうか、と考えてみました。そう思うと、この時期にトランプが大統領をやるのも必然の成り行きなのではないかとも思えます。

ゴルバチョフのペレストロイカの後、ソ連が崩壊しました。ソ連の崩壊は、ゴルバチョフが引き起こしたのではなく、それは必然であっただろうと今ではなんとなく思います。アメリカは国家として崩壊しないかも知れませんが、その金融システムは崩壊するするかも知れません。遅くともその時にトランプは退場することになるでしょう。中国も同様でしょう。中国政府が規制をし始めたようですが、それまで中国人がビットコインを大量に買い漁っているという話を聞きました。アメリカ経済の崩壊は、即、世界経済の崩壊につながります。中国富裕層はそれを見越しているのかもしれません。

それはともかく、
昨日は過ぎ、明日は来ず、今日しかない1日は、何があってもいい日です。
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言論弾圧

2017-01-10 | Weblog
アベ氏も属するという右翼カルト集団「日本会議」。ベストセラーの「日本会議の研究」の出版さして止めという異常な判決に、言論弾圧と批判。

東京新聞から。
ベストセラー「日本会議の研究」 異例の出版差し止め決定

 ベストセラーの新書「日本会議の研究」によって名誉を傷つけられたとして、書籍内に登場する千葉県の七十代男性が、出版元の扶桑社に出版差し止めを求めた仮処分で、東京地裁(関述之(のぶゆき)裁判長)は六日、「真実でない部分があり損害も著しい」と判断し、差し止めを命じる決定をした。
 扶桑社によると、昨年春からの発行部数は約十五万三千部。裁判所がベストセラーの出版を差し止めるのは異例だ
 書籍では、保守系団体の日本会議と宗教法人「生長の家」の関係を記載。生長の家幹部だった男性は、六カ所について真実ではないとして仮処分を申し立てていた。、、、、、
 書籍は日本会議の成り立ちを探った上で、安倍政権による改憲に向けた動きを批判する内容。各書店でベストセラーランキングの上位に入った。、、、
 「日本会議の研究」著者の菅野完さんは六日の東京地裁決定後、取材に「、、、本件は言論弾圧の一環と言わざるを得ない」とコメントした。
<日本会議> 保守系団体の「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」を統合し、1997年5月に設立された民間団体。「皇室崇敬」や「新憲法の創造」を掲げ、近年は夫婦別姓反対や外国人参政権反対などを訴える。、、、


日経新聞では、その詳細について次のように報じています。

決定によると、書籍では、宗教団体の活動の中で自殺者が出たと記載。宗教団体の幹部だった男性は自殺者が出たことについて「馬耳東風であった」と描かれていた。決定理由で関裁判長は、自殺者が出たことを裏付ける客観的な資料が存在せず、一部の取材対象者は伝聞を述べているにすぎないなどと指摘。著者が男性に対して直接の取材も行っていないことなどから「真実でないと言わざるを得ない」とした。


うーむ、微妙ですね。ベストセラーであるからその影響力を考えて、差しとめの判決になっただけかもしれませんが、昨今の強権的アベ政権と行政に牛耳られる司法を見ていると(先の沖縄県と国との裁判など)、言論弾圧の意図があった可能性は大きいと思います。出版差し止めというのは異例の判決のようですから。日本では、政権に有利な判決を出す、所謂「ヒラメ裁判官」が多いのは、日本の裁判官は最高裁総務局を頂点とする司法官僚に給与と昇進と転勤人事で管理されており、最高裁判事の人事権は時の内閣が握っているという(司法が現実的には行政の下に置かれている)事情があるからのようです。この判決が政権批判を含んだ本であったために、政権の意図を「忖度」したヒラメの判決だ、との批判が出るのでしょう。

だいたい、新聞でさえ世論誘導のためにウソを垂れ流して後で小さな訂正記事で終わらせたり、週刊誌が売らんがために信用度ゼロの記事を書き散らしたりしているわけで、今やPost-truth時代、ウソでもインチキでも売れれば勝ちというご時世なのに、「日本会議」と政権批判の本には厳しい判決ですな。

もう一つ。
政府は5日、犯罪の計画段階で処罰可能とする、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた、というニュース。
 犯罪も犯していないのに計画段階で処罰とは、怖い世の中になったものです。中世の魔女狩りを思い出させます。犯罪の事実もないのに「犯罪の準備段階である」ことを判断するのは誰か、権力を持っている連中でしょう。つまり、やりたい放題。これも言論弾圧の一環といえるでしょう。法案成立の際は、憲法を無視して独裁国家を作り戦争犯罪を計画している危険なアベ政権に、まず第一にこの法案を適用してもらいたいものです。
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世のため、人のため

2017-01-06 | Weblog
ちょっと前に再会した昔の友人と色々話をした中で、印象に残った話。

私の研究室は超零細で、人を公募したことはありません。私のところに来たいという人は、たいてい私の研究に興味があるというよりは別のところに本来の目的がある場合が多いので、こちらの要望とアチラのプランをすり合わせることができるかどうかという物理的レベルの交渉して、条件が合えば一緒にやるという感じです。しかし、彼の研究室は、若手研究者やポスドクから応募が多数あるようです。それで面接の時は、なぜ彼の研究室を選んだのか、という当然の質問をするそうです。

彼自身は基礎研究者なのですが、関連した珍しい難病を扱っており、彼自身がその病気のadvocateとして活躍しテレビにも出たりしたこともあるので、そんな活動を見て応募してくる人も多いようです。それで、インタビューでは、なぜ彼の研究室に来たいのか、という質問に対して、「苦しんでいる患者さんの役に立ちたい」というような趣旨の回答をする人が少なからずいるのだそうです。

興味深いことに、「患者さんのために」研究すると答えた人のただの一人も長続きした試しがないのだそうです。

誰かのために働くためには、そのことによって自分にも何らかのメリットがなければ長続きしないのだろう、と思いました。誰でも自分が一番です(人間だもの)。その本音のところを見つめずに、「誰かのために」と言う人は、その建前のところで思考が終わってしまうのではないでしょうか。誰かのために一生懸命やれば、(自然と)自分も報われるだろう、と根拠なく想像してしまい、具体的にどう報われたいのか、自分が目指すゴールはどこなのか、ということを突き詰めて考えないのではないでしょうか。

あるいは、「誰かのために」という大義を全面に出す人は、己の本音を言わなくて済むと思っているのかも知れません。

そういえば、「復興支援」で福島に赴任した人が給料を不当に下げられたことを理由に福島を去ったという話を聞きました。給料が理由で辞めるのなら、「復興支援」という大義を前に出さなくてもいいのにな、と思った記憶があります。

人のため(為)と書くと「偽」になる、と斎藤一人さんの言葉を思い出しました。

などと、エラそうなことを言いましたが、若いときの私は典型的な何も考えていない人間でした。とにかく一生懸命やれば、結果は(自然と)ついてきて、自分も含めてみんなハッピーになるだろうと根拠もなく思っておりました。当たり前ですが、具体的に目指すものがなければ、いくら必死で漕いでも目的地に到達しませんね。また、そのその目指すものに正直でなければ長続きしないのだろうと思います。まずは自分の自己実現、その手段として「誰かの役に立つ」ことをしたいと欲求もあるのだろうと想像します。誰かの役に立ったが、利用されて騙されたのでは、満足しないでしょう。人の役に立ちたいというのも、突き詰めれば、結局はエゴの表れ、トランプが大統領になりたいとかアベ氏が首相を続投したいとかいうのと大差なさそうです。(他者への貢献を考えているだけ、彼らよりはマシですが)

ま、最近は、もう大義も自己実現も目的地に到着するということもそんなに重要ではないと思うようになりましたので、私も人の役に立ちたいとか、意義のある貢献をしたいとかの欲求は随分なくなくなりました。

こだわりなく流れのまま、雨に打たれては冷たいと言い、風に吹かれては寒いと言い、みんなにデクノボーと言われるが、別に苦にもされない、そういう者に私はなれればいいな、と思います。
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今年もよろしくお願いします

2017-01-03 | Weblog
あけましておめでとうございます。

相田みつをさんの話で知りましたが、正月の「正」という漢字は「止」ヘンなのだそうです。「一」に「止」と書いて「正」。「一」すなわち「原点」に止まること、自分の原点に立ち返ること。正月は原点に立ち返る月ということなのだそうです。

研究者としての自分の原点とは何だろうかと考えてみました。それは新しいものを見つけ出すことの喜びだろうと思いました。多くの実験は意味のある結果を得ることなく終わりますが、それでも失敗の実験からも学ぶところがあり、知る喜びがあります。そんな小さな喜びがあるおかげでここまで何とか来ました。そんな地道な実験を繰り返して得た失敗や小さな成功が、研究者という畑を耕すと私は思います。よく耕された畑に種が蒔かれ、地道に世話をする苦労を経て、実は実るのだろう、そんなことを思いました。

とはいうものの、人間ですから、研究者の原点以前に、社会的動物としての原点、自分や家族の生存に必要な資源を確保し喰っていかねばならぬ、というものが付きまといます。残念ながら、研究の喜びは、社会動物としての原点とは直接リンクはしていません。

というわけで、この半年ほど、二ヶ月後に締め切りのグラントのことばかりを考えていました。グラントは生存のための原点であり、研究費を獲得するということが最終ゴールです。研究のゴールは、そうして得た研究費を使って、価値ある成果を出すことですから、グラントと研究のゴールは全く別です。グラントのゴールを達成するには、レビューアの興味と興奮を惹起して、敵ではなく味方になってもらうことが必要だと思います。それをロジックとレトリックで達成するゲームといえるでしょう。映画で言えば、インパクトのある予告編とその期待を裏切らず、読み進めるほどに期待が上昇していくようにうまく構成された本編が要求されます。何れにしても、研究の原点とはほどんど無関係な活動と言えるでしょう。

グラントのことばかりを考えすぎると、視野狭窄になって研究の原点に立ち返ることを忘れてしまいがちになります。それで、迫る締め切りのことはとにかく置いておいて、研究費がもらえたつもりになって、その準備に向けて、共同研究者を探し、できる範囲で実験をやっています。そうして出たデータをグラントに使うという目的もありますが、何より、実験をやって結果を見て、何らかのデータが出て、そのデータの解釈を色々と考えるというプロセスは、グラント書きのような作文とは全く別のTangibleな喜びを与えてくれます。そのデータや実験でどれぐらい自分は興奮できるのかを確かめたいのです。私の場合、自分が心から興奮できなければ良いグラントは書けないです。

日々ウジウジとやっている間にちょっとずつアイデアと現実が連動し出したような感覚が出てきました。これがもう少しはっきりしてくれば、グラントも書けると思います。

本年もよろしくお願いします。
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