早速、トランプはバカをやり始め、あちこちで抗議活動が起きています。おまけに相変わらずツイッターに気分が悪くなるような書き込みもしているようです。メキシコとの国境の壁の話では、そのアイデア自体が荒唐無稽なのに、加えてメキシコに建設代金を払わせる、とバカ丸出しを言い出して、メキシコとの首脳会談がキャンセル。先週のイスラム圏からの入国を大統領令でいきなり制限した行為には、憲法と法治を冒涜しているという批判が上がり、穏健派のイランのロハウニ師も非難、イランへのアメリカ人の入国を制限すると言いだしました。いらぬ敵を作って憎しみを煽り立て、これまでオバマ政権がイランの核兵器縮小を目的に辛抱強く交渉してきた苦労を台無しにしました。人々が苦労をして築きあげてきたものを己の自分勝手なエゴと独りよがりの考えでぶち壊す、そのくせ自分は何を勘違いしているの英雄気取り。ゲーテは活動的な馬鹿ほど恐ろしいものはないと言いましたが、まさにキチガイに刃物です。せめてバカにハサミであって欲しかった。
何れにしても、これまでの世界の秩序を揺さぶっているのは確かですが、問題は、彼には人に顔を背けさせる人間としての醜さがあります。汚いものや破壊することに刺激や欲求不満の捌け口を求める人間も確かに多く、トランプをヒーローのように勘違いする人もいるようですが、そんな刹那的な解決法が長期的に有意義なものを生み出した試しはありません。加えて、人をマニピュレートするために、その場その場で適当にウソを言い、他人を罵る。ウソも百回言えば本当だ、ましてオレが白といえば黒いものも白になる、そういう幼稚で傲慢なトランプの態度は、良識のある人々に危機感を抱かせます。
東京新聞のコラムによると、政府がウソで塗り固めて国民を管理する世界、「2 + 2 = 5」となるような世界を描いたジョージ オーウェルの「1984」が、突然、売れ出したのだそうです。このフィクションに現実味が感じられるほど、トランプはデタラメだということでしょう。真実が価値を持たない「Post-truth era」は、人は客観的事実に基づいて理性的に判断を下すのではなく、事実関係は二の次にして自分に都合のよい話だけを信じる時代です。考えるのではなく感覚で反応するだけです。ブルース リーではあるまいし。人間の心、感情というものは一瞬で変化する頼りないものです。人間は知性というものを授かり、真実を見極めることによって長期的により良い判断を下すことができるようになりました。考えることをせず、反応するだけなら動物と同じです。知は力であり、思考力はその武器です。ペテン師の口車に乗ってはいけません。
また、客観的な「真実」があるということを前提に世界の理解を進めようとする「科学」にとって、この傾向は好ましいものではありません。(e.g. Post-truth: a guide for the perplexed. Nature; )いまだに「STAP細胞は存在して、何らかの利権の犠牲になって、ないことにされているのだ」という陰謀論を振りかざすような一般人が結構いますからね。彼らにとって、自分に都合がよいものを信じるのに客観的事実の検討は必要ないのです。
そういえば、随分前にポストモダンという思想的流行がありましたが、どんな流行も廃れるもので、もはやポストモダンなどお好み焼屋のメニューでさえ見かけなくなりました。Post-truth という馬鹿げた時代もすぐ過ぎ去るとは信じてはおりますが。
話を戻します。トランプはその「オレが一番」というエゴのままに行動しているだけでしょうが、結果として、これまでの秩序を破壊しようとしているようです。確かに持てるものと持たざるもののディスパリティーがここまで大きくなった現代社会の歪みは正されないといけないと思います。しかし正すことと壊すことは別です。既得権益を享受する者に対する一般人の不公平感や妬みやあるいは憎しみというものは、正当なものではあるものの、それ自体は、エゴゆえに生まれる醜いものです。それがトランプの醜いエゴと共鳴していると私は感じます。敵を作って攻撃して勝てば幸せになるというものではありません。われわれは戦争から学びました。戦争の一番の被害者は戦勝国も敗戦国も一般人であり、勝っても負けても、戦争は地獄です。物事をビジネスディールのレベルでしか考えられない単純なトランプは、どうやればアメリカ国民と世界の人々が平和に長期繁栄できるのかという観点から考えることができないようです。アメリカ株式会社の利益を上げることが自分の使命だとでも勘違いしているようです。つまり、自分だけが得をすれば(同じ地球上に存在して資源を共有する)他の国はどうでも良い、という浅い考えで十分に事実を集めて深く考えることなく行動しているのだと思います。これらのキチガイじみた大統領令がその証拠でしょう。
結果、トランプ政権での、一番の被害者は、旧体制の既得権者ではなく、一般国民と世界の一般市民となるでしょう。結局は一般市民が大迷惑を受けた挙句により悪い社会体制に落ち着くことになると思われます。壊すのは作り出すよりもはるかに易しいですからね。
同じようなことが日本でも起こりました。公約は破るのが当然で、選挙前の話のほとんどは票をもらうためのデマカセでした。結果、史上最悪と言ってよいアベ政権を生み出すことになりました。アベ氏の口から出る言葉は多くの場合、日本語として意味をなさず、残りの半分はウソであり、さらに残りは逆ギレとヤジという中身のなさです。真実を元に誠実に訴えるのではなく、人々の耳に心地よく、インパクトがあればそれで良いと思っているような政治家が続きました。自民党をぶっ壊すとか、暴走老人だとか、扇動的な演説で一時的に人々の注意を引くことはできます。それで、壊したり暴走行為をしたりすることもできるでしょう。しかし、その後、何か良いものが生まれたとは思えません。国民の問題は何も解決せず、選挙の度に「改革」を叫んで、当選すると、結局はより悪い方向に変化しました。そして、すべての悪政のツケは結局、一般国民が払わされます。暴走老人はこれから吊し上げられるこのになるでしょうが、いずれにしても豊洲の巨額のツケは結局、都民が払うことになるし、オリンピックで残されるであろう巨大な負の遺産の処理も、都民と国民の税金で賄うしかありません。
ま、それはともかく、トランプに今のところは味方がいます。それは、これまでの体制に不満を持っていた人々です。アメリカの戦争産業と金融産業、この二つの巨大の力がアメリカの世界覇権を維持してきました。力と金で人々をコントロールする、というのは反吐の出る話ですが、しかし、その一方、そのおかげでアメリカは世界一豊かな国でいることができ、そのライフスタイルを求めて移民が集まる国となりました。旧体制に不満を持つ一般アメリカ人でさえ、アメリカが世界に仕掛けた物理的な戦争や金融戦争のお陰を被ってきたのは事実だと思います。
つまり、世の中、既得権を持つ側と一般国民、搾取する側とされる側、正義の味方とショッカー軍団が、敵対していて、相手の損失が自分の得につながるというような単純なものではないと思います。皆が一つの地球というリソースを共有しているのです。お互いのパーティーが満足できるような落とし所を辛抱強く探っていくしか解決はないと私は思います。
日本の支配者層(税金を集める側)と一般国民(税金を払う側)も同様の関係だと思います。国民が豊かであるからこそ税収も上がるわけで、ないところから消費税などを使って搾り取ろうとしても結局は税収の増加には繋がりません。では、単純に霞ヶ関をぶっ潰せば国民はハッピーになれるのか、そんなワケはないでしょう。包括的に物事を見れる有能な官吏や政治家は必要です。そういう人々が国が全体として(自分だけでなく)みんながある程度豊かに暮らしていくためにどうすべきかを考えるのがリーダーシップというものです。そういう人が見当たりません。
何れにしても、これまでの世界の秩序を揺さぶっているのは確かですが、問題は、彼には人に顔を背けさせる人間としての醜さがあります。汚いものや破壊することに刺激や欲求不満の捌け口を求める人間も確かに多く、トランプをヒーローのように勘違いする人もいるようですが、そんな刹那的な解決法が長期的に有意義なものを生み出した試しはありません。加えて、人をマニピュレートするために、その場その場で適当にウソを言い、他人を罵る。ウソも百回言えば本当だ、ましてオレが白といえば黒いものも白になる、そういう幼稚で傲慢なトランプの態度は、良識のある人々に危機感を抱かせます。
東京新聞のコラムによると、政府がウソで塗り固めて国民を管理する世界、「2 + 2 = 5」となるような世界を描いたジョージ オーウェルの「1984」が、突然、売れ出したのだそうです。このフィクションに現実味が感じられるほど、トランプはデタラメだということでしょう。真実が価値を持たない「Post-truth era」は、人は客観的事実に基づいて理性的に判断を下すのではなく、事実関係は二の次にして自分に都合のよい話だけを信じる時代です。考えるのではなく感覚で反応するだけです。ブルース リーではあるまいし。人間の心、感情というものは一瞬で変化する頼りないものです。人間は知性というものを授かり、真実を見極めることによって長期的により良い判断を下すことができるようになりました。考えることをせず、反応するだけなら動物と同じです。知は力であり、思考力はその武器です。ペテン師の口車に乗ってはいけません。
また、客観的な「真実」があるということを前提に世界の理解を進めようとする「科学」にとって、この傾向は好ましいものではありません。(e.g. Post-truth: a guide for the perplexed. Nature; )いまだに「STAP細胞は存在して、何らかの利権の犠牲になって、ないことにされているのだ」という陰謀論を振りかざすような一般人が結構いますからね。彼らにとって、自分に都合がよいものを信じるのに客観的事実の検討は必要ないのです。
そういえば、随分前にポストモダンという思想的流行がありましたが、どんな流行も廃れるもので、もはやポストモダンなどお好み焼屋のメニューでさえ見かけなくなりました。Post-truth という馬鹿げた時代もすぐ過ぎ去るとは信じてはおりますが。
話を戻します。トランプはその「オレが一番」というエゴのままに行動しているだけでしょうが、結果として、これまでの秩序を破壊しようとしているようです。確かに持てるものと持たざるもののディスパリティーがここまで大きくなった現代社会の歪みは正されないといけないと思います。しかし正すことと壊すことは別です。既得権益を享受する者に対する一般人の不公平感や妬みやあるいは憎しみというものは、正当なものではあるものの、それ自体は、エゴゆえに生まれる醜いものです。それがトランプの醜いエゴと共鳴していると私は感じます。敵を作って攻撃して勝てば幸せになるというものではありません。われわれは戦争から学びました。戦争の一番の被害者は戦勝国も敗戦国も一般人であり、勝っても負けても、戦争は地獄です。物事をビジネスディールのレベルでしか考えられない単純なトランプは、どうやればアメリカ国民と世界の人々が平和に長期繁栄できるのかという観点から考えることができないようです。アメリカ株式会社の利益を上げることが自分の使命だとでも勘違いしているようです。つまり、自分だけが得をすれば(同じ地球上に存在して資源を共有する)他の国はどうでも良い、という浅い考えで十分に事実を集めて深く考えることなく行動しているのだと思います。これらのキチガイじみた大統領令がその証拠でしょう。
結果、トランプ政権での、一番の被害者は、旧体制の既得権者ではなく、一般国民と世界の一般市民となるでしょう。結局は一般市民が大迷惑を受けた挙句により悪い社会体制に落ち着くことになると思われます。壊すのは作り出すよりもはるかに易しいですからね。
同じようなことが日本でも起こりました。公約は破るのが当然で、選挙前の話のほとんどは票をもらうためのデマカセでした。結果、史上最悪と言ってよいアベ政権を生み出すことになりました。アベ氏の口から出る言葉は多くの場合、日本語として意味をなさず、残りの半分はウソであり、さらに残りは逆ギレとヤジという中身のなさです。真実を元に誠実に訴えるのではなく、人々の耳に心地よく、インパクトがあればそれで良いと思っているような政治家が続きました。自民党をぶっ壊すとか、暴走老人だとか、扇動的な演説で一時的に人々の注意を引くことはできます。それで、壊したり暴走行為をしたりすることもできるでしょう。しかし、その後、何か良いものが生まれたとは思えません。国民の問題は何も解決せず、選挙の度に「改革」を叫んで、当選すると、結局はより悪い方向に変化しました。そして、すべての悪政のツケは結局、一般国民が払わされます。暴走老人はこれから吊し上げられるこのになるでしょうが、いずれにしても豊洲の巨額のツケは結局、都民が払うことになるし、オリンピックで残されるであろう巨大な負の遺産の処理も、都民と国民の税金で賄うしかありません。
ま、それはともかく、トランプに今のところは味方がいます。それは、これまでの体制に不満を持っていた人々です。アメリカの戦争産業と金融産業、この二つの巨大の力がアメリカの世界覇権を維持してきました。力と金で人々をコントロールする、というのは反吐の出る話ですが、しかし、その一方、そのおかげでアメリカは世界一豊かな国でいることができ、そのライフスタイルを求めて移民が集まる国となりました。旧体制に不満を持つ一般アメリカ人でさえ、アメリカが世界に仕掛けた物理的な戦争や金融戦争のお陰を被ってきたのは事実だと思います。
つまり、世の中、既得権を持つ側と一般国民、搾取する側とされる側、正義の味方とショッカー軍団が、敵対していて、相手の損失が自分の得につながるというような単純なものではないと思います。皆が一つの地球というリソースを共有しているのです。お互いのパーティーが満足できるような落とし所を辛抱強く探っていくしか解決はないと私は思います。
日本の支配者層(税金を集める側)と一般国民(税金を払う側)も同様の関係だと思います。国民が豊かであるからこそ税収も上がるわけで、ないところから消費税などを使って搾り取ろうとしても結局は税収の増加には繋がりません。では、単純に霞ヶ関をぶっ潰せば国民はハッピーになれるのか、そんなワケはないでしょう。包括的に物事を見れる有能な官吏や政治家は必要です。そういう人々が国が全体として(自分だけでなく)みんながある程度豊かに暮らしていくためにどうすべきかを考えるのがリーダーシップというものです。そういう人が見当たりません。