百醜千拙草

何とかやっています

人間の成熟

2017-11-28 | Weblog
内田樹の研究室、困難な成熟、文庫本のためのあとがき、を読みました。

ここ数年、常識が通じない人々と関わることがあり、特にこの一年は複数の人々とのトラブルに悩まされることになりました。それで、そもそも「常識」とは何なのか、みたいなこともいろいろ考えました。
私も長年、生きてきて、社会とのフィードバックの中で時には痛い目に合いながら、ある行動に対して、一定の幅の範囲内で予測される反応が返ってくるということを学んできたと思ってきました。こちらが社会に働きかけたり、社会からのインプットの反応したりすることを通じて、社会の構成員がなんとなく共有している行動様式や思考様式、つまり「常識」を知り、「矩を超えない」ようになることを学ぶこと、それが成熟することなのかな、と思っておりました。

しかし、優秀なはずの若い人々から、予想を裏切られるような反応が返ってくることが増えました。増えたと言っても絶対数は少ないので、まだ私の常識は大抵の場合、通用しています(と思います)。昔を振り返ると「常識」など、かなり流動的なものであるのは間違いないとも思うので、私の常識がそのうち皆の「非常識」になるのかも知れません。

社会的動物である人間が、お互いを思いやり、お互いが幸せに暮らせるような考え方や行動を身につけるということが人間としての「成熟」であるとすると、近年はその「成熟」することに価値を感じない人々が増えてきたのではないかと感じます。その典型例がアベやトランプですが、ま、その話はやめておきます。(というか、彼らやアベ婦人は、人間としての成熟とは何かということをマトモに考えたこともないのでしょうが)

思うに、即物的な資本主義の「金や権力を持っている奴が持たぬ者を支配する」思考が汎在化したために、人間としての成熟よりも、モノや金を沢山持つことの方が大事だというメッセージを社会が発している結果ではないだろうかと思います。いうまでもなく、この考え方は「非民主主義」です。

先のエントリーの中で、なるほどと思ったのは、

(引用)それはつまり「大人」を大人たらしめているのは、然るべき知識があったり、技能があったり、あれこれの算段が整ったりという実定的な資質のことではなくて、むしろおのれの狭さ、頑なさ、器の小ささ、おのれの幼児性を観察し、吟味し、記述することができる能力のことだということです。

という一節です。己を客観的に評価する能力、これは他人への思いやりを持つに不可欠な能力であると思います。自分を客観的に見れるということは、他人の立場に立って自分の行動を評価することができるということでしょう。ちなみに人格障害の人ができないのはコレらしいです。自分を客観的に評価することができない、自分の行動を他人がどう考えるか想像できない、心の発達の障害のためにそういうことを学ぶことができなかった人々です。何れにしても、他人の立場に立って己の行動を考える能力を欠いていることは、すなわち幼稚であるということでしょう。

さらに、別の一節では、社会の問題を挙げています。これは常識の通じない人々が増えているのは、社会の「常識」が変化しているからという私の仮説とほぼ合致します。つまり、私の常識は彼らにとっては非常識であり、「人間として成長し成熟していくこと」が生きていく上で最も重要な事であると思っている私の価値観とは異なる価値観を彼らが持っているのではないか、その理由は資本主義社会の「力の思想」ゆえではないか、という私の仮説です。

(引用)自分で自分の成熟を統御することはできません。自分が成熟するというのは「今の自分とは別の自分になること」ですから、「こういう人間になりたい」というふうに目標を設定して、それを達成するというかたちをとることがありえないのです(後に回顧すると、自分が設定した目標がいかに幼く、お門違いなものか思い知って赤面する・・・というのが「成熟した」ということなんですから)。
しかし、現代社会はそういうふうにオープンエンドな成熟への道を進むように若い人たちを促し、励ますような仕組みがありません。これはもうはっきり言い切ってしまいますけれど、「ありません」。今の社会の仕組みはどれも目標を数値的に設定して、そこに至る行程を細部まで予測し、最小限の時間、最少エネルギー消費で目標に到達する技術を競うというものです。

陰謀論的になりますが、思うに、これは人間家畜化計画の一環ではないかと思います。一部の「選ばれた人々」のために、残りの人間を労働し奉仕する家畜(ゴイム)にするということです。ちょうど封建社会での「生かさぬよう、殺さぬよう」管理される「百姓」のようなもので、生きるため、あるいは金銭的成功のために必死になっているような人間は、他人を思いやったり、哲学的思索にふけったり、文化的活動を発展させたり、つまり人間らし生活をする余裕はなく、限りなく利己的な動物的本能に従って行動するようになると思われます。支配者にとっては、大衆を動物化しておくことは管理しやすいワケで、ゆえに社会の支配者層の発するその意志、「大衆に人間的成熟をさせない」ことが社会の常識となって浸透しつつあるのではないか、というのがそのメカニズムに関する私の陰謀論的仮説であります。

ならば、どうすれば良いのか、と問われると困るのですが、私は楽観的に思っています。株式市場のようなもので、上がれば下がり、下がればあがります。そして長期的な平均を見ると株価は上がって行くものです。戦後の高度成長期が日本にとっていわば、ブル マーケットで、そのために一億総中流、文化的な発展を享受してきました。60-80年代の日本のポップカルチャーは今だに先鋭的に見えますし、その他の知的活動、例えば、構造主義に始まる哲学ブーム、日米安保に端を発すると思われる政治思想や活動、も盛んでした。そう思うと、現代日本は、当時に比べて、より知的、文化的に後退していると言わざるを得ません。(「今どきの若い者」に対する偏見かもしれませんが)ま、メシが食えて寝るところがあってはじめて、学問や社会の矛盾に注意を向ける余裕もあるというものです。そういう意味で、今の下降していく日本には余裕がなくなってきたのは間違いないと思います。人間的成熟を云々する余裕がない。しかし、下がればいつかはまた上がります、そう思ってそう思っております。
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森友 reprise

2017-11-24 | Weblog
謙虚に、丁寧に説明する、そう言ったくせに、何の説明もせず、野党が求めた臨時国会を3ヶ月も放置した挙句に、冒頭解散、野党の準備不足に加えて、緑のたぬきと前原氏の野党潰しも奏功し、選挙に勝った途端、例のごとく「信任を得た」と、ガースー直伝の「ご指摘には当たらない」のゴマカシ答弁で逃げまくるアベ。見苦しいことこの上なし。

立憲民主主義のためにも、アベとその一味は、正当に法律に沿って裁かれて、受けるべき罰は受けなければならないと私は思います。民主主義は守ろうとする多くの非権力者の努力なしには守れません。現在、野党、それから本来メディアがその役割を先端で担っていることになっていますが、野党の中にも裏切り者はおりますし、メディアの半分はすでに国家権力と癒着しています。そもそも読売はそういう目的で作られた新聞社ですしね。

それはともかく森友、再燃。とことん追求してもらいたい。アベやアベ夫人の保身のために籠池夫妻が長期に逮捕拘留されている一方、アベ友の加計学園は、明らかな工費の水増し請求、土地の無償供与、100億近い税金の優遇を受けて、疑惑だらけの中で認可。ま、志願者が少ないのか、韓国で留学生を募ったり、来るはずの教授が辞退しているようですから、先行きどうなるかわかりませんが、不公平であることには違いない。

東京新聞。

森友国有地、ずさん算定 「適正」政府主張揺らぐ。
会計検査院は二十二日、土地の売却額がずさんに算定され「慎重な調査検討を欠いた」とする検査結果報告を参議院に提出、公表した。、、、首相はこれまで、昭恵氏は関与していないと強調し、与党も国会での昭恵氏の証人喚問を拒み続けた。財務省の佐川宣寿前理財局長(現国税庁長官)は「適正な価格で売った」と繰り返す一方で、「交渉記録は破棄した」と根拠を示さなかった。、、、

佐川氏「適切に処分」答弁に矛盾 検査院、文書管理に対策求める
、、、内閣府の公文書管理委員会の委員を務める三宅弘弁護士は「公文書管理は民主主義の基盤で、財務省が交渉過程の文書を破棄したことは公文書管理法違反だ」と指摘する。
 佐川氏は国税庁長官に就任してから四カ月以上たったが、歴代の長官が行ってきた就任記者会見は今も開かれていない。

アベも佐川君も嘘つきですが、ネットではやはり彼らも「人格障害者」だという意見が多いです。私も最近まで、「おかしい」人を人格障害という観点から解釈することを知らなかったのですが、そういう立場から見ると、非常に腑に落ちます。彼らがなぜ、バレバレの嘘を国会などという発言記録の残る場で平気でできるのか、普通では理解できないですからね。

モリ、カケは、立憲民主主義の根幹に関わる問題です。氷山の一角にしか過ぎません。アベやアベ夫人にそういう自覚がないのはよく分かりますが、人格障害からくる幼稚性ゆえなのであれば、治る見込みは薄いです。とにかく、早く辞めさせないと本当にやばいと思います。

上丸洋一‏氏Tweets
あれほど「適正だ」「問題ない」と言っていたのに、会計検査院が「適正を欠いていた」「根拠不十分」と指摘した。国税庁長官は責任をとらないのだろうか。

「今後は丁寧な説明に努めたい」と言っていたのに、次に口を開いたら「これまでそのつど丁寧に説明してきました」
自分でおかしいと思わないのだろうか?

志位委員長Tweets
本会議で代表質問。私は、国政私物化疑惑、北朝鮮問題、社会保障と税制、沖縄基地問題、憲法改定問題について、論を立て根拠を示して質したが、首相は逃げと居直りの答弁に終始。論も根拠もなく「ご指摘は当たりません」を6回も繰り返した。噛み合わせて論争する能力がないことが露呈した答弁だった。

「丁寧に説明する」と言わなくていいから、「丁寧に説明する」姿勢を実際の答弁で示してほしいですね。

小池晃氏Tweet
「昭恵氏は、学校教育について発言を求められ、『今年は学校のことで、いろいろございました』と述べ、会場の笑いを誘った」 国民世論を愚弄するにもほどがある。そんな余裕があるなら国会で陳述を。

小沢一郎事務所Tweet
権力の私物化、忖度、隠蔽。無駄にされる税金。すべてが国を腐らせつつある。おぞましい国の完成に向けたカウントダウン。-- <森友>「破棄した」答弁の佐川長官 国税内部も批判(毎日新聞)
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大善は非情に似たり

2017-11-21 | Weblog
うーんと考えさせらた稲盛和夫さんの言葉。研究で若い人と仕事上のつながりを持つようになってから、稲盛和夫さんの京セラ誕生時の話を知り、随分と考えさせらると同時に勇気付けられました。偉人の言葉には、人を問わず感動させるものがあります。

大善は非情に似たり。

優しい情愛に満ちた人であると同時に、すさまじい厳しさを兼ね備えた人でなかったら、社長なんて器は務まりはしません。どんな小さい会社でもそうです。

つまり、同一人物が両極端の考え方をあわせもち、そしてそれが同時に正常に機能できる能力を持った人でなければ経営者は務まらないと思います。ただ優しいばかりの社長では、経営になりませんし、厳しい一方の人では誰もついてきやしません。その両方が綾織りのように出てくる人でなければ、経営者なんてできやしません。

私は、いつも善の大切さを説いています。
人間らしい優しい、いい生き方をしなきゃいけませんよと、いつも私が説く考え方に、みなさんは賛同しておられ、それを自ら実践されているはずです。

そのような優しい、すばらしい経営者の方が、この不況で会社が赤字に転落をしそうなとき、「経費を減らせ」と言って、もう鬼みたいになってやり出すことがあります。そうすると周りは、「いつもあの優しかった社長とは違うやないか。二重人格みたいなものやないか」と言い出す。でも、私はそれでいいと思います。

会社が厳しい状況になったら、鬼みたいな形相で、厳しいことを一直線になさねばならないのです。
逆に問題なのは、嫌われるのがいやで耐えられないから、お茶を濁し、妥協し出すことです。

善を説き、人の優しさを説き、それで人の喜びが自分の喜びに、人の悲しみが自分の悲しみに感じられるような人こそが、経営者にふさわしいということと、私が必要だと思う厳しさとは、考え方のベースが一緒なのです。

これは仏教の教えである、「小善は大悪に似たり」「大善は非情に似たり」ということから説明ができます。

「ええわ、ええわ」といって、猫なで声で従業員をかわいがるという小善は、みんなを甘やかし、経費は増大し、不況にひとたまりもないぐらいに脆弱な企業体質をつくってしまいます。そして実際に不況になり、会社をつぶして100人の従業員を路頭に迷わしてしまうのです。

次に大善。
大きな善というのは、非常に似て厳しいのです。獅子は我が子を千尋(せんじん)の谷に突き落とす。しかしじつはそれが、子どもの成長には大いに役立つ大善、大きな善なのです。「俺が今やっているこの厳しさは、大善をなす行為だ」と自信を持つようにする。「それは凡人から見たら非情に見えるかもしれないが、これは大きな善なのだ」と思えば、ひるまないわけです。
、、、
私はみなさんを救うために、あえて厳しいことを言います。それこそが大善というものです。


過去の数年間、私も、人間関係を壊さないために、スジを通さずに、妥協して、問題を見て見ぬふりをしていたことを実感しました。自分がフォローすれば済むことだと甘く考えていました。結局、それはプロジェクトの進行を妨げ、私にとっても、本人にとってもマイナスの結果をもたらしました。自覚して態度を改めてくれることを期待して、厳しく対峙することを避けたために、結局、本人は成長せず、プロジェクトは進まず、私はその後始末に苦労することになりました。

そのことは、実は、別の研究室の人からもアドバイスされていたのでした。言うべきことはきっちり言わねばならない、そして使いものにならないとわかったら、サッサと切らなければならない。そういう人を抱えたまま生きのこれるほど、甘くないのだと。本人の成長は自己責任であり、言われずとも努力を継続できないようでは見込みはない、と。頭ではわかっているつもりだったのですけど、身にしみて理解していたわけではなかったのでした。

現実を厳しく見て、甘い期待を抱かないことを徹底することを実践するのはなかなか容易ではないと実感しました。
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ヴィトンの財布

2017-11-17 | Weblog
今週は二日にわたるシンポジウムがありました。と言っても、職場の道路を隔てた向かいにあるホテルの会議場を使ってのものなので、仕事場から3分の距離。この分野のちょっとした有名人も来るので、近場だし出席することにしましたが、このようなイベントに高い参加料を払って遠方から来る人はいるのかな、と疑問に思いました。

プロの会議屋が金儲けのためにやっているイベント(たぶん)で、参加者は50名ほど、しかし講演者はかなりトップレベルの人を集めていて、内容的には大変良かったです。私はこの分野の中でもちょっと末端で、人々の興味とずれたことをやっているので、あいにく私にとっては直接役立つことは学べませんでしたが、話としては面白いものが多かったです。しかし、この規模では金儲けどころか、赤字になっているのでは、となんとなく疲れた風なオーガナイザーの人を見て思いました。

実は、その初日の発表の直前にうっかりemailを見てしまい、期待の論文がまたリジェクトを食らったことを知り、結局、その気分を引きずってしまって、せっかくのシンポジウムを楽しめませんでした。共著者の人の落胆ぶりにはちょっと罪悪感を感じます。

しかし、この商業雑誌の金儲け主義にはうんざりしますね。
バイオ系ではNature系の一人勝ちのトレンドは今後も続きそうで、雑誌も格差社会、ミドルクラスの雑誌がなくなりつつあります。結局、今回のリジェクションで、この分野の次の雑誌となると、インパクトファクターで言えば半分以下になってしまうのです。その間、中間層がありません。かつて、何十年と尊敬されていた老舗の有名一流雑誌でさえ、インパクトファクターは南下傾向、結局、数字的に追いつかれて、あの金儲け主義丸出しの雑誌、Nat Communと同じぐらいの扱いになりつつあります。かつての有名雑誌が「Nature」ブランドに負けて、落ち目になっていくのを見るのは切ないです。

そのNatureと言えば、所詮は商業誌、広告収入は大切です。広告は多くの読者に読んでもらってナンボですから、掲載する論文は流行と読者の興味が最優先するのでしょう、しばしば話題性はあるがクオリティーの怪しい論文が出て世間を惑わせます。あとはラボの名前と政治力ですかね。学会などで、一流ラボのプロフェッサーがまだ若いエディターにヘイコラと営業活動しているという話も聞きます。やっぱり金と力それからコネですか、論文の採択は、科学とは無縁なようです。加計学園認可のデタラメを思い出させます(Natureの方はさすがに加計学園ほどデタラメではないでしょうが)。

ま、研究者にとっても、Natureに論文が載ることが、キャリア上での成功やカネに結びついているのですから、お互いさまです。ルイ ヴィトンの財布のようなものですね。誰もが、財布の中身より、財布そのもののほうが価値があると思っている状態では、ブランド志向は続くでしょう。
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自己愛性人格障害について

2017-11-14 | Weblog
数年にわたって付き合いのあった人が、どうもいわゆる自己愛性人格障害 (NPD) らしいということにようやく気がつきました。幸い、ほぼ付き合いは切れたので、もう被害にあわないと思いますが、今から振り返れば、これまでも怪しい行動や言動を再三取っていたのに、どうして何年も気づかなかったのか、と愕然とするばかりです。

このことをきっかけに自己愛性人格障害のことを多少学びました。振り返れば、これに当てはまる人は結構周りにいたことがわかりました。100人に一人はコレらしいです。その他の人格障害を含めると、人格に問題のある人は相当な確率でいるということになります。

例えば、トランプはまず、間違いなく自己愛性人格障害であろうと言えます。どうも自己愛にも複数あって、トランプの場合は、もっともありがちで単純なタイプ。露骨にチヤホヤされることを喜ぶ、都合が悪ければ、バレるような嘘を平気でつく、他人を見下し、自分に反対する相手には常識では考えられないような攻撃をし、汚い言葉で罵倒する。批判されると感情を自制できなくなる。ちょっと調べてみたら、アメリカではすでに35人の精神科医の連名で、トランプは悪性の人格障害があるという意見書が出されているとのこと。 

米国精神医学会(APA)の「NPDの定義」によれば、次の9項目のうち5項目以上があてはまることが基準。1.自分の実績や才能を誇張する。 2.無限の成功、権力、才能などの空想にとらわれている。 3.自分は「特別」であると信じている。 4.過剰な賞賛を求める。 5.特権意識をもち、特別な取り計らいを期待する、 6.対人関係で相手を不当に利用する。 7.共感性の欠如。 8.よく他人を妬み、または他人が自分を嫉妬していると思い込む。 9.傲慢で横柄な行動や態度を示す。
トランプの場合、9項目すべてが当てはまります。

この障害のことを以前から知っていれば、多くのトラブルが避けれたかもしれません。ま、ようやく学べたので、これからこのタイプの人に悩まされることは少なくなるだろうとは思います。おかしいと思う人には近寄らないのがベストですが、最初はよくわからなかったり、職場で付き合うことが避けられなかったりする場合も多いわけで、ここで知識がちょっとあれば身を守ることができると思いますので、経験を書いておきます。

最近、気がついた人は、いわゆる過敏型が主となるタイプで、トランプとは一見、逆のタイプです。立場が強いわけではないので表に出さなかっただけで、NPDの定義には、やはりほとんどが当てはまります。時折見せる怪しい行動、嘘、無断欠勤、おどおどした態度、人との交流を避けるなども、「鬱と精神的ストレス」という言い訳を控えめに言うので、私は、ストレスが強くて気の毒だなあ、と同情していたのでした。相手はストレスを受けていて大変なのだ、という思いがあったので、無断欠勤が続いても急に家族や自分の都合で数ヶ月休んでも、無理をしてフォローしてきたのでした。
しかし、最後の年は、最終的に仕事が進まなくなり、程度のひどい遅刻や早退や無断欠勤をしないようにとやんわり注意した後も全く態度が改まらず、二度目に注意した時に、ありえないような理屈で感情的に反論をしてきて、逆にこちらを攻撃してきたので、ようやく、これはおかしい、人格に異常があるのではないかということに気がついたのでした。

その後も、何度かこれまで隠していたものが感情的な爆発を伴って現れるということがあり、異常性が露見したのです。それまでも、ちょっと傲慢なものの言い方をすることがあって、最初は若いので野心的なのだろう、消極的であるよりは良いことだ、と流していたのですが、ある時に、感情的に爆発し、周りの同僚がいかに劣っているかを並べ立てたことがありました。周りの人間の優劣は、全く話の主題と無関係だったので、あっけに取られました。それでもうちょっと注意して調べてみると、彼女はネット上では、架空の成功した自分を演じていて、SNSでは多数の人々と親しく交流していることになっており、架空のポジションで働いていくことになっていました。現実は、職場に友達らしい人は誰一人おらず、自分の能力を過大評価し、身の丈に合っていないものを望むので、資格試験は失敗し、応募したポジョションには選ばれずという状況にあります。

今から思えば、彼女の鬱もストレスも嘘ではないと思います。過大な自己評価に見合わない現実を突きつけられるので、実際、この障害の人は苦しいことの方が多いでしょう。ただ、それは自分の精神的未熟さからきたものであり、悪いことに、それが周囲を巻き込むのです。

この自己愛性人格障害は、端的に言えば、未熟な子供のまま大人になってしまい、現実と自己を客観的に見て判断して適切に行動することができないという障害です。それで、自分の能力を根拠なく過大評価し、他人を過小評価する一方で、人の気持ちになって考えるということができません。なので、普通の対等の人間関係を築くことができず、彼女の場合は、特に人より優れているというわけではないので、批判を過剰に恐れてますます交流を避けるという行動に出ます。そのうち私が何をどのように話しても、無反応になり、話に理解して共感しようとすることができないということが明らかになったので、これはもうダメだと思いました。振り返れば、典型的な症例でしたが、過敏型の要素が強かったので精神的ストレスを理由にうまく隠していたのだと思います。

若い時は誰でも自分は特別で、人よりも優れていると思っており、根拠もなく将来は大成功することを疑いません。私も昔を振り返れば、心あたりがあります。私も二十歳台の頃はこの傾向があり、当時はそのために人間関係がいびつになることもありました。(今、振り返ればよくわかります)この自己の過大評価は現実に直面して挫折を繰り返すことで、だんだん修正されて、等身大の自己を客観的に見ることができるようになり、現実の自分を受け入れてそれなりにやっていくことができるようになるものだと思います。そうした自己への過大な評価が修正されないまま社会人になってしまい、自分を客観的に見て反省する能力を発達させることができなかった人がこの障害を持つことになるようです。

この障害を深く追求しているサイトのほとんどで、この障害を持った人とはできるだけ早く縁を切って、近づかないことを勧めています。自己愛の本人も子供のまま社会人のルールの中で生活していかなければならないので、かなり辛い人生でしょうが、下手に同情しても、相手はこちらの気持ちを思いやる能力がなく、結局、こちらの善意を利用されるだけで疲れ果てるのが関の山ということらしいです。確かにその通りのことが起こりました。かわいそうな人なのですが、本人が自覚しない限りよくなる見込みはないのです。

ある人が「自己愛に情けは無用です。なぜなら、私も情けを出して利用された経験が何回もあります。」と書いているのを見て、目からウロコがおちました。また、別のサイトでは「人格障害者への同情、寛容、そのようなものは無用である。下手に関わると、その矛先が自分に向くことになるということが良くわかる。無用どころか、そういう優しさを与えたが故に被害を受けている。」とありました。

「思いやり」は人間らしさの中でもっとも尊いものだと私は思っていますが、「思いやり」というものの存在を知らない人々もいます。そういう人々をどう思いやれば良いのでしょう。下手に思いやる前に、ルールと論理で対峙する必要があったのだ、と今は反省しています。それが結局は彼らのためなのではないかと思います。自分もかつては彼らと似たような人間だったのです。自戒を込めて。
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トランプとアベの行動が教えてくれること

2017-11-10 | Weblog
現実と言うものが客観的に存在するとして、それを解釈するのは立場の異なる個人です。その解釈に二次的な感情が付随するので、悔しいとか悲しいとか腹が立つとか思うわけで、これは個人のエゴのなせるわざ。ただし、感情を抜きにして色々な立場から「現実」がどのように解釈されているのかを知ることは大切だと思います。

というわけで、アメリカの中枢部は、マッカーサーの時代から日本は植民地で、日本人は劣等民族であるという解釈をしているのは明らかですが、頭の悪さと俗物ぶりと下品さでは類を見ないトランプはそれを露骨に態度に表すのが面白い(これは私のトランプの解釈で、本人はそう思っていないと思いますが)。そのお下劣さを一歩下がってみれば、これは実写版風刺漫画で、笑いながら日米の現実も学べるというものです。

トランプ来日の足取りから見えた「とても残念な2つのこと」から。

、、、、トランプ来日にはあまり興味がなく、きちんとフォローしてなかったからだ。しかし、すぐにそれが訪日1日目の彼の移動経路の話だということがわかった。つまり、ハワイ→ 横田基地(東京都福生市)→ 霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)→ 六本木へリポート(東京都港区)という、移動経路のことだ。
このほとんどが、在日米軍の専用空域である「横田空域」に含まれている。そのためトランプは、いつのまにか日本に「入国」し、国内を動きまわり、都心部までやってきているのだが、この間、日本の法令によるコントロールはいっさい受けていない。

たしかにこのトランプの行動は、われわれ日本人にいろんなことを教えてくれる。そもそもまず、いったい彼はいつ日本に「入国」したのか。
、、、答えは「実は彼は入国などしていない」ということだ。

トランプが訪日直前に訪れたのは、ハワイにある米太平洋軍司令部だった。在日米軍と在韓米軍はこの司令部の指揮下にあり、日米韓3ヵ国のもつ特殊な歴史的事情(主に現在休戦中である朝鮮戦争)から、ハワイと日本・韓国の間には軍事的に何の切れ目も存在していない。
とくに日本の基地については、米軍はいつでもどこにでも着陸し、そこからまた飛び立って他国を攻撃する条約上の権利をもっている。そんな国は、ほかに世界のどこにも存在しないのである。
、、、、
CIAの資金を利用してつくった自民党ではあったが、その党是である世界最強国アメリカへの徹底した軍事的従属路線は、長期にわたる国内の政治的安定をもたらした。さらには国家社会主義者だった岸の導入した「最低賃金法」や「国民年金制度」など、いくつかの社会主義的政策が、直後に訪れる高度経済成長の時代に確固とした社会基盤をあたえたことも事実である。

戦後日本は、岸の確立したアメリカへの軍事的従属体制と引き換えに、大きな経済的繁栄を手にした。このことを否定する人は、おそらくどこにもいないだろう。それではその岸の孫、安倍晋三首相の時代を生きる私たちは、さらに「深化」する軍事的従属体制のもとで、一体なにを手にしようとしているのだろう。
米軍専用空域のなかを、アメリカ大統領をまねて、うれしそうに自分も軍用機(自衛隊機)でゴルフ場との間を行き来する首相のもと、私たちはこれからなにを手にすることになるのか。、、、、


是非、全文を(短いです)読んでみてください。
アメリカ大統領が訪日した最初はフォードですが、以来、来日する大統領は皆、羽田空港で正式に入国しているのです。それは少なくとも建前上は日本は独立した国家なので、その筋を通すためです。在日米軍基地に降り立つというような無礼なことを平気でしたのはトランプ一人です。心に思っていること、つまり日本はアメリカの植民地だということを、そのまま態度に表したわけで、ここにもこの男の愚かな傲慢さが丸見えです。

しかし、それを愛想笑いとおべんちゃらで迎えるアベ。表面は下僕のふりをしてでも日本の利益を守ろうとしているのならともかく、ご主人様に気に入られるためなら、国民の税金だろうが国富であろうがなんのその、言い値で武器を買い、金を貢いで、頭をポンポンしてもらって喜んでいるのだから、始末に終えません。どうせ飼い犬なのだったら、たまには飼い主の手を噛んでみるぐらいの芸の一つもしてみろ、と毒づきたくなりますな。

私は、実のところ、日本人がそこそこ幸せに平和に暮らせるのなら日本が別に属国でも植民地でも構わないと思います。見下すやつもいるでしょうが、そういうやつはどうせ生まれ変わったら見下される方になるのだから放っておけば良いと思っています。国家など概念に過ぎないし、そもそも今の政権は国民を守るためではなく、国民を搾取するために国家を運営しているだけだと思っていますし(アベの海外への税金のばらまき、モリ、カケでの権力と国有財産の私物化がそのことを典型的に示しています)。

しかし、属国、植民地は宗主国の利益のために利用されるためにあるわけです。属国の立場をひっくり返すのはもう一回、戦争をして勝つ必要があるわけで、それは誰も望みませんから、属国である以上、属国なりの戦い方をしないといけないと思います。つまり、日本の利益を引き出し憲法を盾に宗主国の搾取をうまくかわしていく戦略と技術です。トランプのような単純バカはむしろ扱いやすいはずで、昔の自民党ならニコニコしながら、逆に、気づかれないようにトランプを利用するような芸当もできたでしょう。

そうした知恵を全く持ち合わせず、ひたすら飼い主の歓心を買うために媚びて貢ぐだけしか能のない政権をまたまた選択してしまった日本、急速な高齢化、一般国民の貧困化が進む中で、政権には国民の生活を守ろうとする意思がないのですから、今後の日本の行く末がどうなるかは火を見るより明らかです。
ま、困ったことになるのは間違いないのですが、個人の立場では、ネガティブな感情を排し、淡々とその都度対処する以外にありませんね。
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面白くない局面での地道な努力

2017-11-07 | Weblog
先日、投稿した論文の結果が返ってきました。レビューに回り、かなり好意的なコメントでしたが、最終的にエディトリアル オフィスの判断でリジェクト。結局、editorial rejectionなのだったらレビューに回さずに最初から蹴って欲しかった、というのが偽らざる気持ちです。ま、出した時から、雑誌の志向とちょっとズレがある論文で、レビューに回ることさえ想定していなかったので、レビューアが高く評価してくれただけでもヨシとすべしです。この論文は筆頭著者の意志で、第一志望でない雑誌を三つ当たって、これで三連敗したわけですが、これでようやく第一志望の雑誌に投稿できることになったので、私的にはOKです。3ヶ月ほどの遠回りをしましたが。この論文から派生した別の論文はすでに同じ雑誌でレビュー中で、うまくいって二本まとめて載ればいいなあ、と思いますが、あまり期待せずに淡々と。

もう一本論文のリバイスも進まず。仕方がないので、長らく放置していた五年来のプロジェクトをまとめようとしています。これも今後の発展の見通しもないので、後退戦のような感じです。小さな論文にして出版したら一応のケジメがつく、それが唯一のモチベーションという感じ。ワクワク感ゼロ。
どんなプロジェクトでも徐々に現実が明らかになるにしたがって始めた時のワクワク感は消失して行って、論文にまとめる頃には、ひたすら苦しいだけのことが多いですが、その苦しい中をそれでもやらないと、何も形にならないので、ひたすら義務感みたいなものを頼りに進むわけです。

あいにく、この面白くない局面を地道に投げ出さずにやり通すというのは若い人は苦手なようで、彼らの自発的努力に任せておくと、8割以上の確率で頓挫するというのが過去に学んだことです。こういう地道な作業ができる優秀な人はそもそも私の研究室などに来ないので、8割というのはバイアスがかかっているとは思いますが。小さなつまらないことでも、最後までやり抜くというのは結構な意志の力が必要であり、これができるできないが将来的な成功を決めると私は思っております。当たり前ですが、長期的視野に立って戦略的に考え、正しい計画を立て、地道に日々努力する。それ以外に確実に成功する方法はないと思います。

僥倖というものは確かにありますが、そういうものは長続きしません。若い人の中には僥倖を人生の計画の中に当然のように組み入れている人が時々います。若さゆえに自己の過大評価なのでしょうが、それをうまく修正していくことができないと結構、辛い人生になるのではないでしょうか。研究業界に長年いて思うことは、人間は基本的に利己的で飽きっぽくて楽をしたがる動物だということです。その本来の動物的な性質を努力と意志の力で「人間らしく」変えていくことが人としての成長であろうと思います。練習もせずにプロのスポーツ選手になれないのと同じで、努力せずに人間は成長しないのだろうと思います。

研究業界に限りませんが、研究などという地道な継続的努力が要求される割に、その報酬がいつ、どのように与えられるかわからないような活動では、特に、本人の自発的なモチベーションと自己規律がなければ進まぬものです。でも自己規律もは習慣化によってなんとかなります。モチベーションがなくてもとにかくやるという習慣が身につけばしめたものだと思います。
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Paper skimming

2017-11-03 | Weblog
政治に呆れて、俗世を離れ詩歌に遊ぶ、ちゅーわけではないですが、趣味の研究の方で楽しみたいと思います。

今週の論文ナナメ読み。

ヒストン修飾に関連した論文を幾つか。
Nature Structural & Molecular Biology 2017, Thomas Cechの論文、Molecular analysis of PRC2 recruitement to DNA in chromatin and its inhibition by RNA。(PMID: 29058709
抑制性ヒストンメチル化 (H3K27me3)を触媒するPRC2がどのようなメカニズムでDNAのCpG領域にリクルートされるのかはよくわかっていない一方で、PRC2はいろいろな蛋白、RNAに結合することが知られています。この論文ではPRC2の結合蛋白AEPB2がメチル化DNAと相互作用することでPRC2を蛋白が結合していないCpG領域に呼び込むというモデルを提唱しています。かつ、RNAがPRC2のDNAへの結合を競合的に阻害することでPRC2の機能を抑制することを示しています。このことはなぜ転写活性の高いDNA領域では、PRC2機能が抑制されているかというメカニズムの説明になると考えられます。

この研究の結果は、かつてX染色体siliencingのモデルなどで示されたnon-coding RNAがPRC2を特定のゲノム領域にリクルートするというモデルとは合わないものですが、転写とPRC2の機能の関係を考えると、まず転写の変化が先にあってクロマチンサイレンシングが誘導されるのだろう、と想像します。

関連して、Nature論文。Polycomb-like proteins link the PRC2 complex to CpG islands.(PMID: 28869966 ) これは中国から。PRC2に結合するPCL蛋白がメチル化されていないCpG領域にPRC2をリクルートするという話。
同じく、PCLがらみで、これはドイツから。DNA binding by PHF1 prolongs PRC2 residence time on chromatin and thereby promotes H3K27 methylation. Nature Structural & Molecular Biology (PMID: 29058710)同じく、PCL蛋白であるPHF1がPRC2のDNA上での滞在時間を延長してその機能を増強するという話。

いずれもPRC2のDNAへの作用を変化させるco-factorの話で、生物学的な観点からは、PRC2の機能が細胞分化の過程で、どのように遺伝子特異的に制御されるのかというメカニズムに興味があります。

他に目に付いたもの。
JCI、 iPS研究所の新聞ネタになった論文。Activin-A enhances mTOR signaling to promote aberrant chondrogenesis in fibrodysplasia ossificance progressiva. (PMID: 28758906
異所性骨形成を起こす遺伝病、FOPの遺伝子異常が見つかって約10年あまり。アクチビンレセプターという名前のBMPレセプターであるACVR1の点突然変異が弱いBMPシグナル系の恒常的活性を引き起こすことによって、軟部組織に骨形成が誘導されます。ACVR1の変異がリガンド/シグナル系の特異性を変化させて、アクチビンで活性化されるようになるということがわかり、アクチビンの抑制が効果があることが示されています。この論文では患者さんからのiPSを使って低分子化合物のスクリーニングを行い、mTORの抑制が疾病抑制効果があることをマウスモデルで示しています。確かにマウスモデルでRapamycinは効いているようです。新聞ネタになったのは、iPSでスクリーンニングを行って見つけた薬(と言っても昔からあるものですが)が臨床試験に入ったという理由でした。この論文で、生物学的に面白い点は、ACVR1の変異で起こるBMPシグナル系とmTORの経路をつなぐものとしてENPP2を同定。ENPP2が実際のメカニズムとなっているのかはもうちょっと別のモデルで検討が必要なようです。

論文ではないですが、臨床の興味深い症例の提示。不安定血圧を示す女性が運動後に急性心原性心不全を起こした例。病理では軽度の心筋の炎症と繊維化、心エコーで心尖部の拡大と心機能の低下が認められた。心尖部の拡大を特徴とする心筋症をタコツボ心筋症と呼ぶ疾患概念ができたのは17-8年前のようですが、Takotsubo cardiomyopathyとして国際的な認知を得たのはここ十年といったところのようです。国際的な学術用語となっている日本語はたくさんありますが、偉い先生方が「タコツボ」と真面目な顔で連呼しているのが面白かったので。件の症例は褐色細胞腫によるカテコラミン過剰に伴う二次的タコツボ心筋症で、内分泌的治療とその後の手術で軽快したとのこと。
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