百醜千拙草

何とかやっています

美しいお話、美しい国

2015-08-21 | Weblog
某雑誌に投稿して二週間、Editorial rejectionのメールが来ました。この雑誌は過去4回挑戦しましたが、Editorial reviewをパスしたことが一度もありません。論文は遺伝子発現を広く調節するコンプレックスの役割を調べたもので、その作用は二つのシグナル伝達経路に収束するということをin vivo で示したのですけど、エディターはメカニズムで「遺伝子」を特定していないのが弱いというようなコメントでした。この雑誌に限りませんが、このレベルの雑誌のエディターの「遺伝子中心主義」とでもいうべき評価基準は根深いものがあると思います。幅広く遺伝子発現を調節するような分子の働きを包括的に調べるという研究では、限られた数の遺伝子でその生理的メカニズムを説明できることはまずありえません。だからこそ異なったレベルでのメカニズムの記述が必要だろうと私は思うわけですが、エディターの方ではそうは考えてはくれないです。「単純で美しいお話」を一流紙は好むので、書く方もそういうセンに沿っての選択圧がかかるのでしょう。それでますます、シンプルで美しいお話ばかりが一流紙に載り、メカニズムの部分が想定されるような形で提示されていないような論文は嫌われるということになるのでしょう。

ま、この単純で美しい話を好むというのは、もちろん、エディターに限ったことではなくレビューアもある程度、同じメンタリティを共有していると思いますから、仮にエディトリアル レビューをパスしたところで、レビューアから同じようなコメントが来てリジェクトされる可能性はあります。ただし、レビューアは必ずしもイデオロギーに沿ってではなく、サイエンスの中身を専門家として見てくれると思うので、エディトリアル レビューを通ればチャンスはまずまずあっただろうと考えていたので残念です。それに、同じ分子の研究を別の組織で行った研究がちょっと前にこの雑誌の姉妹紙でもっとインパクトファクターの高いジャーナルにでており、メカニズムという点では私の論文の方が良く詰めれていると思っていたので、レビューぐらには回ってもよかったのになあ、と思いました。ただ、その論文は超一流ラボから出ており、私のような無名の超零細ラボからのというわけではありませんから、エディターの心覚えももちろん違ったであろうとは思います。結局、同じフォーマットで出せるところに翌日、再投稿しました。

さて、世の中のニュースを二、三。

川内原発の再稼動に関して、Natureが「News in Focus」のコーナーでトップ記事にしています。
Japan ends nuclear hiatus」(プリント板とオンライン板でメインタイトルが違います)

この中で、ヨーロッパなどではかなりの率を占めるようになった風力発電などの代替エネルギーが日本でなかなか一般化していかないのを、地域電力会社の電力関係サービスの独占支配が原因の一つと指摘しています。これは日本でも、もちろんずっと指摘されてきたことで、発電事業と送電事業が分離していないので、小規模の代替エネルギーによる発電を広く分配、供給することができないというエネルギーの無駄が起きているということです。資本主義ではカネのために大量の無駄を作り出しますが、これもその一例です。いずれにせよ、原発のリスクと利益をはかりにかければ、原発は小学生でも割に合わないことがわかります。この記事の最後にコロラドのエネルギー関係のシンクタンクのアモリー ロヴィンス氏は、「福島事故以降、核安全に関して日本は進歩はしてはきているものの、いまだに問題のある不透明さが残っている」と言っています。不透明さというのはほとんど、日本文化ですが、安倍内閣のように、人を騙したり、誤魔化したりするのはいけません。福島の事故を見て、事故が一旦おこれば、国も電力会社も何の責任も大した補償もできないどころか、むしろ意図的にその責任所在をたらい回しにしてウヤムヤにしてしまおうとする組織だということがよくわかりました。自分の身は自分で守るしかないのですから、国や原発の運営での透明性をもっと求めて監視していく必要があります。

SEALDs、8/23に安保法案反対の全国規模でのデモ
安全保障関連法案に反対する大学生らのグループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」が呼び掛けた「全国若者一斉行動」が二十三日、各地で行われた。シールズによると、北海道から沖縄まで、全国六十カ所以上でデモや集会があったといい、若者による連帯の広がりを印象づけた。

本当に頼もしいです。内田樹さんが京都でのデモで連帯の挨拶。 おっしゃるとおり、運動は継続することが必要です。一過性のお祭り騒ぎではなく、持続して、生活の一部として社会に関わり、声を上げ続けていくことが大切だろうと思います。病気でも急性期よりもその後の回復期のケアの方がしばしば大変です。

それにしても、法案を提出した与党が、これだけ支離滅裂で、質疑にもマトモに答えられず、ごまかすか逃げるかしかできないような、中高校生がみても相当オカシイ法案なのに、簡単に廃案にできないのですね。少なくとも、政府がおかしいことは十分に知り渡ったのではないでしょうか。山本議員が国会で示したように、日本がいまだにアメリカの植民地で、アメリカと官僚が国の政策を決めており、与党政治家のほとんどはその利権組織を守るために国民を欺くための目くらましであることを国民の大多数が十分に認識すれば、変わるはずです。霞が関官僚も数では少数派ですから、国民全身が連帯すれば、いくら彼らが(ずる)賢くてもこれまでのようなやりたい放題はできなくなるはずです。

いまだにアメリカの植民地で官僚政治の日本。自分も官僚に使われる立場でありながら、史上最低の知能との人間性をもつ内閣と評される安倍政権、軍隊を持って歴史を修正すれば、戦前の「美しい国」にでもなれると本気で思っているのでしょうか。知性と人間性の問題に加えて不真面目。何十億円という税金を使って、国民の過半数が反対する安保法案を通さんがために、史上最長の国会会期延長をしたくせに、本人の国会の出席率は3割ちょっと、審議をサボってゴルフに行くというのは、普通だったら懲戒免職ものだと思うのですがね。

今週から、しばらく夏休みを取りますので、更新は不定期になる予定です。
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集団的自衛権拡大の真の目的?

2015-08-21 | Weblog
先日、国会で山本太郎さんが、「永田町ではみんなが知っているけど、公に口にしてはならないこと」をおおっぴらに示しました。すなわち、日本の政府の役割とは、日米地位協定にしたがい、アメリカのシンクタンクのいわゆる「Japan handlers」と呼ばれる連中が描いた青写真を忠実に実現することである、ということです。それに反対してアメリカから自立した民主主義国家を作ろうとした政治家や言論家はこれまで、ことごとく、汚い手口で失脚、言論封鎖されてきました。鳩山氏に対するマスコミのネガティブキャンペーン、小沢氏に対する政治資金規正法違反の言いがかりは記憶に新しいです。言論人に対する痴漢事件のでっち上げと人格破壊は余りに有名な手口です。

田中龍作ジャーナルから、「山本太郎議員、永田町最大のタブーを追及 シラを切る政府」

山本議員は「第3次アーミテージ・ナイリポート~日本への提言9項目(2012年8月)」を特大のフリップで掲示した。
 「原発再稼働」に始まり「TPP参加」「戦時の米軍と自衛隊の全面協力(今回の集団的自衛権)」「ホルムズ海峡の機雷掃海」「国家機密の保全(秘密保護法)」「PKOの法的警護の範囲拡大(今回の駆けつけ警護)」・・・
 日本の政策がすべて米国のリクエスト通りになっていることを山本議員は指摘したのである。

 安倍晋三首相が 何とかの一つ覚え のように「ホルムズ海峡」を連呼していた時期があった。アーミテージリポートに忠実だったのである。
 図星を突かれた政府側の答弁は見苦しい、いや聞き苦しかった。、、、 日本が米国の言いなりになっていることが、天下にさらされたのだ。、、、、
 「これだけ宗主国様に尽くし続けているのにもかかわらず、その一方でアメリカは同盟国であるはずの日本政府の各部署、大企業などを盗聴し・・・いつまで(米国にとって)都合のいい存在で居続けるんですかってお聞きしたいんですよ。いつ植民地をやめるんですか?」
 「中国の脅威というなら自衛隊を世界の裏側まで行けるような状態を作り出すことは、この国の護りが薄くなるっていう事です


集団的自衛権については、田中宇さんの記事で興味深い見方が書いてありました。
インド洋を隠然と制する中国

 今のところ、インド洋上の自国の貿易船を自国軍で守らねばならないのは中国だけだが、米軍がインド洋から出て行く傾向を強めると、日本や欧州も、インド洋上の自国船を自国軍で守らねばならなくなる。その際、各国がばらばらに防衛するのでは効率が悪い。当然、複数の国々で協調して守ろうということになる。その国際軍のモデルは、すでに20カ国が参加しているソマリア沖の海賊退治で示されている。日本は近年、対米従属を続けるための方策として、中国を嫌悪するプロパガンダがばらまかれている。しかしいずれ、日本が対米従属を続けても、米軍はグアム以東に引っ込み、インド洋での日本船の航行の安全を守ってくれなくなる。日本にとっての脅威は、中国が攻めてくることではない。尖閣諸島問題は、日本側が煽って対立を激化しているものだ。

 日本が米国に頼れず、インド洋での自国船の航路の安全を自衛隊が守らねばならなくなった場合、同じ航路を使っている中国や韓国とまったく組まず、完全に自前でやるのが良いとは思えない。対米従属の意味が低下して、対米従属維持のための中国・韓国敵視策もお門違いなものになっていくだろう。いずれ日本は、航路防衛で中国や韓国と協調せざるを得なくなる。

 日本では今年、集団的自衛権の拡大が行われている。これは、中国と戦うための軍事拡張だと言われている。だが、米国の覇権力が低下してインド洋の航路防衛を米国に頼れなくなることとあわせて考えると、米国がやってくれなくなる航路防衛を自前でやるために、日本の集団的自衛権の拡張が必要になってくる(日本国憲法は、米国の恒久覇権を前提にしている)。しかも、この場合の「集団」は、日本と米国の集団でなく、日本と中国、韓国などの集団だ。集団的自衛権の拡大は、米国の命令を受けて日本政府がやらされている観があるが、実のところ米国は、再びイラク侵攻のような覇権主義をやる時に日本を引っ張り込むためでなく、米国自身の覇権が低下した後、日本が中国や韓国と協調してインド洋の航路防衛などで自前の防衛をやれるよう、日本に集団的自衛権を拡大させているのでないか、とすら思える。


私も、アメリカからの要望は、アメリカが日本にアメリカの戦争の手伝いをさせるのが主目的と考えていましたが、実はアメリカのアジアからの撤退に向けての一段階であるのかもしれません。だとすると、日本政府とアメリカの温度差は興味深いです。日本政府は「アメリカが(中国などから)日本を守ってくれるためには、日本もアメリカに協力しないといけない」というセンで国民を説得しようとしており、多くの安保法案賛成派の人々はそのリクツをを真に受けてしまっているように見えます。「中国が攻めてくる」とか「日本は中国を侵略しようとしている」とかいう話がそもそも日中政府のお互いの国民に対するプロパガンダであること、安保法案が日本の安全保障とは無関係であること、まして日本の安全保障とは「日本国民」の安全を守るためのものでは全くない、という本当のところをすっ飛ばして、政府の言う荒唐無稽なたとえ話が正しいことを前提に話を進めるからおかしくなるのではないでしょうか。一方で、アメリカは、明らかにされた秘密文書からもわかるとおり、最初から日本の安全を守るという気持ちはサラサラないわけで、沖縄との軋轢もあるし、そろそろ撤退したいというのが本音のところでしょう。にもかかわらず、行かないでくれとすがりついているのが官僚組織で、それは、対米従属、日米地位協定というのが、政治家を操るのに都合が良いから、という理由。アメリカもいい加減、うんざりしているのかもしれません。オバマが安倍氏に冷たいのもそんな理由なのかもしれません。
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不戦の誓い、不信の談話

2015-08-18 | Weblog
気がつくと、人生の残りの日々が何となく想像できるような年になりました。今の職場には15年以上おりますが、若い人々は来てもすぐに出て行ってしまう一方、我々より上の世代は長い間いるので、15年もの時間が経ったという実感がありません。15年前は一発当てて研究キャリアを軌道に乗せよう、という気持ちでやっていましたが、ようやく出た論文も、思うようなレベルに達せず、もう一本、もう一本という感じで、やっているうちに時間が過ぎてしまいました。いまとなっては、一流雑誌に論文が載ったところで人生がよい方に変わったりすることはまず期待できないと思います。逆に論文が出ないと悪い方に人生は変わると思います。
人生の残りを考えることが折々に増え、個人的には、いろいろなものに対する欲が減ったように思います。毎朝、生きて目がさめるだけで十分ありがたいと思えるようになりました。いろいろ心配したところで、世の中、何とかなるということもだいたい理解することもできましたから、心配するのもほどほどにするようになりました。

私でさえそうなのだから、もっと年上の人々は、達観されておられるだろう、と考えるのが筋ですが、この数年、悠々自適で老後を楽しく過ごしているはずの人々が、安倍政権のデタラメと日本の行く末を案じて、声をあげています。本当の戦争の悲惨さを骨身に沁みて知る世代の人々です。戦争を知らずにお坊ちゃんとして育てられて、他人の痛みを感じ取るだけの想像力と思考力を持たない安倍氏の危うさを感じているのでしょう。

ソソ、ソクラテスかプラトンか、野坂昭如さん、私は小説もシャンソンも数々の破天荒な行動も大好きでした。最近は、野坂さんのような才能と魅力に溢れる日本人が少なくなったような気がします。「火垂るの墓」で自身の戦争体験を描きましたが、今回、戦後70年というタイトルで大阪日日新聞に寄稿された文章を読みました。

気がつけば、かつて大日本帝国が急速に軍国化の一途をたどった時と同じ、世間がぼんやりしているうち、安保法案が衆院を通過、国民に説明不足といいながら、破滅への道を突っ走っている。 、、、戦争に負けたからこそ頑張れたとも言える。〈不戦の誓い〉をもつ国だからこそ、豊かになった。憲法9条を変えてはいけない。憲法9条は日本を守る。
言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは、国家、国体である。かつて愚鈍なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。安保法制は、戦争に近づく。血を流すことになる。


森村誠一氏 「安倍総理は戦争文化から何も学んでいない」

戦争によって得られるものがあるとすれば、それは戦争文化です。勝っても負けても絶対に行うべきではないということを学べます。安倍晋三総理は、多大な犠牲を払って得た戦争文化から何も学んでいない。
そして、今は戦争を美化する若い世代が多い。その人たちに言いたいのは、『戦争が始まったら、あなたがいちばん最初に死ぬ』ということ。戦場行きを拒否すれば、非国民として人生を破壊される。今の日本は70年前と同じにおいがしています」


男はつらいよ、山田洋次監督、「戦わないのが、この国のあり方」

安倍晋三首相が発表した戦後七十年談話については、自らの経験を踏まえて「日本人が中国や韓国の人たちにどれだけひどいことをしてきたのかという思いが込められていない。なぜもっと素直に謝罪できないのかな」と感想を述べた。
安保関連法案の成立を推し進めようとしている政府・与党の姿勢には「なぜ米国の戦争をお手伝いするための法律を一生懸命作らなきゃならないのか」と疑問を呈し、「法案は『何かあったら戦う』となっているが、『いざとなっても戦わない』というのがこの国のあり方」と話した。


そもそも、安倍政権の安保法案とは、日本の国防には何の関係もないものです。単にアメリカが仕掛けた中東での戦争へ無料奉仕してアメリカといっしょに恨みを買うためのものですから。戦前の体制への復帰を望む「日本会議」の危ない人々の一人である安倍氏の個人的な趣味とアメリカの要望が妙なところで一致したので、無理を承知でやっているのです。そのために憲法解釈を無理に変えようとし、さらにそのための言論統制法である「秘密保護法」を通してきたのです。正直言って、バカです。怪しげな詭弁で國民を騙そうとするからボロがでるのです。人間、正直にまさるものはありません。

その安倍氏の談話、やはりお粗末でした。都合よくに解釈できるようなあいまいな表現をしています。そこに誠実さはありません。言質をとられないための逃げの作文ですから、説得力がなく、聞いている方を白けさせるのです。この原稿を書いた東大官僚もそれをプロンプターを見ながらたどたどしく読む安倍氏も恥ずかしくないのでしょうか。

琉球新聞 社説 終戦70年式典 歴史認識が問われている から

天皇陛下が「さきの大戦への深い反省」に初めて言及したのに対し、安倍首相は「戦争の惨禍を繰り返さない」と述べたものの、歴代首相が言及してきたアジアへの加害責任とその反省について3年連続で触れなかった。
 傍観者的に見える首相の姿勢と、主体的に負の歴史に向き合う天皇陛下のお言葉との隔たりは大きい。安倍首相の「戦後70年談話」とともに、日本の侵略を受けたアジア諸国など海外からも注目を集めていたが、日本の宰相の不戦の誓いがどれほどの決意を帯びているのか。疑念を持たざるを得ない
安倍首相は過去2年はなかった「戦争をしない決意」に言及した。安保法制の成立を目指す中、批判を避けたいとの狙いがあろう。だが「反省」を欠いたまま、「歴史を直視して、常に謙抑を忘れない」と述べても説得力に欠ける。


この敗戦の記念の日、談話は、敗戦国の日本が、戦勝国と世界に対して、反省の意を示すための儀式だと思います。本心はどうあれ、心から反省しているという態度を見せる必要があります。この怪しげな安倍談話を聞いて、外国人の半分は、安倍氏の本心を読み取り、安倍政権がアメリカ軍事戦略に加担して、中東侵略に加担しようとしていることと、この談話で上部ばかりに触れた「不戦の誓い」との矛盾にますます不信感を募らせたことでしょう。
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感謝の実践 - II

2015-08-14 | Weblog
最近、安倍内閣の失速が著しいような気がします。安保法案、強行採決までわずか、で川内原発の再稼動も始まります。しかし、安倍政権が安保法案の衆院での強行採決、子供だましのプロパガンダで高校生からもバカにされるようになり、急激に追い込まれているように見えます。安保法案を通して年末にもう一回、衆院解散選挙という筋書きさえ、危うくなってきてます。ひょっとしたら9回裏の逆転逆転劇もありうるかもしれません。心配なのは総裁選。自民党はここでアベおろしで顔を変えて支持率アップを狙っているかもしれません。アベをおろしただけではダメです。元から断たなきゃ。アベ氏が詭弁と嘘を弄するのは、アベ氏だけに責任があるのではなく、アベ氏を操る背後にそもそも邪な考えがあるからですから。

今回の安保法案、日米地位協定に基づく、アメリカの命令を受けた政府官僚が、法案が議会に提出される随分前から、既定路線として「通る」ことになっていました。つまり、国会は「議論しているフリ」だけの茶番(むかしからそうですが)であるということです。これまで、それでも日本は独立国家で民主主義国家だという「建前」で、国会プロレスショーを演じてきました。

しかし、最近、国民の中にも本当のことを知る人が増え、野党議員も無視できなくなってきました。この対米隷属により、国民の富と安全をアメリカに売り渡すことによって、おのが利益を追求する一部の官僚、政治家、大企業、マスコミおよびアメリカからなる「互助会」に刃向かう政治家、言論家は、これまで社会的、肉体的に抹殺されてきました。しかし、真実は強いのです。真実を口にする人間が増えれば、声の大きい数人の口を封じるぐらいでは抑えきれなくなります。そんな勢いを市民デモをする人々や最近の国会での野党議員からも感じます。

先日の国会の模様のツイート; 小池晃氏「ここに統合幕僚監部の資料がある。『地球規模で集団的自衛権を行使』という日米新ガイドラインの内容だ。国会に安保法案が提出される前にこんなこと勝手に米国に約束してきてる。日本の独立と主権をないがしろにしてる」 平和安全特別委員会 http://bit.ly/ijJ1AJ


政治家が議論する前から、すでに筋書きはアメリカと官僚とで決められています。

今や、国民が安倍政権に生理的な拒否反応を示し始めた。これが命取りとなる。(かっちの言い分)各機関の世論調査では、軒並み内閣支持率が10ポイント近く下がり、毎日新聞では35%であり、不支持が51%であった。国民も、安倍氏の欺瞞、嘘の性癖に辟易し始めた。それに本能的に反応したのは大学生であり、さらに高校生である。戦後70年で、高校生が呼びかけてデモをした事例は、未だかつてなかった。明らかに、安倍首相の人間性に疑念を抱き、不信の念から、いてもたっても居られなかったと思われる。


私が高校生のときは政治には全く興味ありませんでした。政府にいる人々はマトモな人が真面目にやっているのだろうと思っておりました。それが、いまや高校生にまで知能と人間性を疑われるような人間が首相をしています。高校生の意識が上がったのはもちろんでしょうが、それは、あまりに安倍政権がお粗末すぎるのがそもそもの原因でしょう。

国民が政府を批判的に見て、国や社会をより深く考えるようになり、成熟した判断力を持つようになって初めて真の民主主義は成立すると思います。そう思えば、高校生にまで「おかしい」と思わせるほどのアベ政権の稚拙さにも、それなりの意味があったとも言えるかもしれません。ひょっとしたらそこに感謝の余地があるかもしれません。
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感謝の実践

2015-08-11 | Weblog
この一年ほど、しばしば暗い気分で早朝に目が覚める、軽度の「うつ症状」があります。理性では原因もその対処もそれなりに分かってはいるのですが、無意識のうちにやっているような悪い癖を矯正するようなもので、感情を理性では制御するのはそう簡単ではありません。

ま、「うつ気分」そのものは大したことはないのですが、問題は早朝に目がさめるせいか、昼食後に眠くなってしまうことです。結構、眠気が強いので、困っておりました。それで、これは食事をするということが眠気を催すきっかけであることがはっきりしているのだから、食事をもっと軽くすればどうかと思い、この数週間ほど、朝と昼はコーヒーとパンぐらいにしています。

これは思ったよりも効果があって、食事を軽くすると食事時間を節約できるだけでなく、体も軽い状態を保てます。夕飯は普通に食べて栄養バランスをとるようにはしています。それでも、さすがに、ちょっと体重も減ったようでこれは困っています。意外に空腹感もあまり感じません。

忙しい人の中には、1日1食の人というのは結構いるようで、食事の消化にかかる体の負担と食事から得られるカロリーや栄養のバランスを考えると、1日1食というのは実は理にかなっているのだそうです。本当かどうか知りませんが、1日1食も満足に取らずにも健康に生きているという人がいるようで、不食という言葉もあるようです。
多分、人間の体はかなりフレキシブルなはずで、昔の狩猟時代の人々だと、食べれるときはたくさん食べるが食べれないときは全く食べれないような生活をしていただろうと想像できますから、現代のように1日3食しっかり食べる必要は本当はないのではないだろうかと思います。

週末は昼の眠気を抑える必要もないので、3食食べています。むしろ週末に食べないと調子がわるくなるようです。週末は朝も普段より長い目に寝ていますし、どうも睡眠とか休養とか栄養を週末に余分に補給するという感じになっています。一週間が7日で、うち一日が安息日というには非常に理にかなっていると思います。仕事もせず、遊びにもいかずにゆっくりと体を休める一日をとることは必要だと思います。

また、普段の食事の量を減らすというのは、心理的にも大変、有益な面があると私は思います。少量の食べ物をよく噛んで味わって食べるようになりましたし、夕食は、より美味しく感じるようになりました。つまり、食事できることの幸せを実感することが増え、感謝の気持ちを持つことが増えました。

さて、5年越しの論文をようやく投稿しました。レビューに回るといいのですが。別のネタもボチボチ形にするべくデータの整理と足りない実験をやり始めました。昔は誰も読まないような論文なら、出版するために時間と労力をかけるのは無駄だと思ったりしましたが、最近は、小さな論文でもコツコツと出していくのは大切だと思うようになりました。結局、それなりに苦労した自信作でも私の論文など大して誰も読んでくれないのだということがわかったせいかもしれません。それでも、毎日それなりに楽しくやっています。やっぱり、毎日を楽しく生きること以上に大切なことはありません。

実験がうまくいった、よいアイデアを思いついた、論文が評価された、そんな些細なことが折々に起こるので、いままでやってこれました。些細なことに喜びを感じることができなくなることを私は少し恐れています。それで、そんな小さな日々の成功やそれから失敗にも意識的に感謝することを実践しています。「感謝の実践」が癖になれば、おそらく「うつ気分」は消えるのだろうと思います。
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カネに頼らない力

2015-08-07 | Weblog
アベ政権が押し進める異常な政策により、国民の生活はますます逼迫し、日本はテロの標的となり、アジア諸国から敵視され、国民資産は外資に売り渡され、弱者は切り捨てられ、言論は統制され、若者は徴兵されるような世の中になろうとしています。

政府に都合の悪い情報は隠蔽され、毎日300トンの汚染水は海に垂れ流さ続け、その影響は誰もわからない。社会には閉塞感が漂い、未来に希望が持てない若者は、戦争でも始まった方がマシだとさえ考えはじめ、あるいは世の中から離れて狭い世界に引きこもって、挙げ句に自殺したりする、そんな中で、力のない普通の人々はどうすればよいのでしょう。

前回のリーマンショックから7年経ち、市場暴落7年の法則によれば、今年は株式市場大暴落の年です。事実、バブル化したアメリカと日本の市場の株価は怪しい動きをしており、加えて、FRBは金利を上げる(かも知れない)というような話をしだしました。先日は、先物取引指標はリーマンショック時を下回ったという話を聞きました。また市場暴落と火事場泥棒が起こりそうな感じです。

私は、早ければ100年以内に、現在の資本主義は崩壊し、人々は中央銀行のカネに頼らない生活スタイルを模索していくことになるのではないかと思っております。
例えば、大分のある温泉地では、温泉で働くかわりに宿泊と温泉入浴を提供するというようなレジャーと労働の物々交換をしている例があるという話を聞きました。これによって温泉旅館の方は余剰のリソースを人件費と相殺できます。同じようなアイデアで世界を旅行する人々は、コミュニティーメンバーをお互いを自宅に泊め合う(カウチサーフィン)というようなネットワークを作っています。昔、ラーメン屋でも皿洗いの労働とラーメンを交換するというサービスもありました。物々交換は面倒ですがその分、カネへの依存度を減らせるのです。カネで支配されることから多少自由になれます。人と人との交流も促進します。利用するコミュニティメンバーが、「善い人」ばかりなら、このような共産主義的スタイルは有効に成り立つとおもいます。

イスラエルのキブツなどでは、コミュニティーメンバーになるのに厳しい審査があるそうです。共産主義が国家的にはうまく働かなかったのは、構成メンバーの人間のレベルを一定水準に保つのが不可能であったからだろうと思います。ある本によると、一般人口の25人に1人ぐらいは利己的で他人への思いやりに欠ける人格異常をもった人間なのだそうですから。

しかし、インターネットと同じように、小さな共産主義的コミュニティーが、つながり合うような社会は可能だと思います。国家という単位がもっと小さくなって、分権しつつ、悪人集団に対しては、有機的に協力して防衛するというような「粘菌」のようなシステムはできないものでしょうかね。人間の欲望と悪意を甘く見積もりすぎですかね。

人間の動物的欲望を利用した資本主義というシステムの害については我々は良く知っています。餓えて死ぬ子どもたちが世界中に大勢いる中で、日本では輸入して生産した食料の半分近くが廃棄されているそうです。その捨てるコンビニ弁当などの余剰の食料は、カネもうけの道具であるので「無料」で飢えている人々に配るわけにはいかないのです。バカげた話です。カネに支配される資本主義の世界では、カネを儲けるために、必要もないモノをつくって売らないといけないのです。そのために地球環境をどんどん破壊し、山を切り崩し、海を埋め立て、放射能まみれにし、動植物を根絶やしにし、ゴミを大量につくりだし、人間も他の生物も住めなくなるような場所にしてしまおうとしています。いまや、世の中にある「仕事」の8割はすでに必要のないもの、「仕事」のための「仕事」になっているように思います。サービス産業というのは必要度の低いものです。必要だと思っているサービス、医療サービスや法律サービスとかでさえ、本当に必要な部分は限られていると思います。カネを稼ぐためだけに存在するような「意味のない仕事」に人生の大半を費やすことは私には虚しく感じられるようになりました。

資本主義での人間性の喪失というのは、1) 人間は一度に一回限りの尊い人生を生きる。2) が、生きるためにはカネがいる。3)資本のないものは、カネを稼ぐために働かなければならない。4) 働くために生きなければならない(2に戻る)という、ループに捕われてしまうところにあると思います。一番大切な1) がスキップされてしまい、人間は単なるカネに支配される労働マシンになってしまうということです。本末転倒ですね。

カネを儲けたり貯めたりする必要がないような世の中になれば、格差は縮小し人々の自由度は増します。カネを貯める必要がないので、必要以上に働く必要もないし、カネがなくても色々なことができるようになります。あいにく、人間の「力」や「支配力」に対する動物的欲望は大きく、愚かにも人間はカネを使って他人を支配しようとします。そうした動物的欲望に従うことは人間としての成長を妨げることは自明です。

しかし、カネの支配から抜け出すための物々交換、サービスとサービスの直接交換は、いまやインターネットを通じてより簡単にできる可能性があるのではないでしょうか。カネに頼らないで物々交換でお互いに欲しいものを手に入れるには、欲しいものを見つける力や他人との交渉力など、スキルが必要となります。そういう力はこれからの世の中、ますます必要になっていると思います。安易にカネを多く儲ける方法を目指すよりも、より応用性の広い「カネがなくても生きていける能力」を身につける方が、有益で地球にもやさしいと私は思うのですが。
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東大話法、屁理屈のレトリック

2015-08-01 | Weblog
原発事故がもたらした災害は大変なものです。阪神大震災の時を思えば、地震と津波だけなら今頃にはかなりの復興が見込めたはずです。然るに、放射能汚染のために周辺の地域は人が住めなくなり、いつ住めるようになるかもわからず、土地の人々は今も不十分な補償で終わりの見えない避難生活を余儀なくされています。現在も福島原発は、燃料プールに落下した20トンの大型機器を撤去するという極めて危険な作業の最中で、一歩間違えば再び大量の放射能が大放出されるという状況です。そんな状況にもかかわらずで九電、川内原発再稼動が予定されています。過去の過ちから学ばず、同じ失敗を繰り返す、本当にバカとしか言いようがありません。既に溜まり溜まった核廃棄物でさえどうしようもないというのに。加えて、先の国会でアベ内閣は、原発施設が攻撃を受けた場合の影響と避難計画について、全く何の想定もシミュレーションも行っていないということを明言しました。つまり、日本は身体中に爆薬を巻きつけた非常に脆弱な状態であるのに、アベ内閣は、アメリカの侵略戦争に参加して他国の恨みを買ったり、中国を挑発したりするようなことを平気でやろうとするぐらいの身のほど知らずだということです。

さて、福島原発においては、原発の杜撰な管理があったことは確かです。政府と東電は誰も責任を取らないまま、ウヤムヤにしたいのでしょうが、臭いものにフタをして、目先の利益のために将来に大きな危険を残し、本当に日本が「終了」するというような事態にさせてはいけません。そのためにも、事故の総括と責任者の処分は不可欠だと思います。検察審査会によって、東電元幹部を強制起訴されることになりました。残念ながら、検察も裁判所も官僚も大企業も同じ穴のムジナ、結果は最初から見えているようなものですが、それでも、国民の怒りを示すことは重要であろうと思います。団結すれば傲慢なアベ政権も霞が関も無視はできなくなります。ベルリンの壁が崩壊したのもたった千人のデモから始まりました。

たとえ、結果が分かっていても、行動しないといけない場合は多々あります。戦争法案に反対するデモや運動に高校生、大学生といった若者が参加しているのは心強い限りです。象牙の塔にこもるのを好むと思われている学者の人々も立ち上がりました。しかし、この戦争法案はアメリカと官僚が合意してアベ氏にやらせているのだから、国民が反対運動をしても結果は多分、変わりません。それでも、国民の意思は伝わります。日本では国民は舐められていますが、他の国では権力者はもっと国民の暴動を恐れるもので、もしも他の国でアベ内閣のようなデタラメを無理やり通そうとすると、とっくの昔に手榴弾が飛び交っているでしょう。だから、NHKや他の日本のマスメディアよりも、外国のメディアの方が、日本国民の怒りの声を取り上げ、アベ独裁政権の批判をします。そうして声を上げ続けることで、権力側もいずれは無視できなくなるのです。アベ内閣の終わりは近いです。

ライブドアで株式博打で調子に乗りすぎて、利用されたあげくに捨てられた人、「安保デモとかに参加してる奴らってアポロが月に行ってないとか本気で信じてるような奴らだよな」、「東電の刑事責任追及は再発防止には役立たない、本当害悪でしかない感情にに引きずられる人」などとツイートして顰蹙を浴びています。

人間は感情の動物であり、戦争を起こす人間は、その感情を操作して、扇動するのです。人間は理性では動かず、感情で動きます。原発廃止や安保法案を潰せるのは、最終的には人々の感情に基づく行動だろうと思います。 「アポロが月にいっていないと本気で信じている奴ら」の意図はよく理解できませんが、アボロが月に言っていないと信じたところで、アメリカがアポロは月に言ったと言っている以上、それに反論しても意味がない、という意味でしょうか。同じく、戦争法案は筋書きがあって通ることになっているから、デモをやっても意味がないという意味ですかね。そうなら、この人の理屈だと、どうせ人間もそのうち死ぬのだから、生きてきても仕方がないという理屈になりませんか。いずれにせよ、この人が行動する人々をバカにしているらしいということは分かりますが、人をバカにして何か得があるのでしょうか? そして、この人はデモで意思表明する若者たち以上にどんなに素晴らしい事をしているのでしょう?

そういえば、この人も元は東大だったな、と思い出して、山根治ブログを覗いてみました。そこで、「東大話法」という言葉を知りました。「霞が関文学」と同根のものでしょうか。
山根治ブログから引用。

安冨歩著『原発危機と東大話法』を読み直してみた。
 この著書の標題に用いられている「東大話法」は、安冨氏による造語であり、当ブログでたびたび言及してきたものである。黒を白と言いくるめるインチキ話法のことだ。東大関係者、あるいは東大関係者もどきが、人を煙(けむ)に巻いたり、騙したりするときに用いるレトリック、論法のことである。安冨氏は、『屁理屈のためのレトリックの体系』(前掲書.P.240)と言っている。
、、、
「東大話法規則一覧」

規則1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2.自分の立場の都合のよいように相手の話しを解釈する。
規則3.都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
規則4.都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
規則5.どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
規則6.自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
規則7.その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
規則8.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
規則9.「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
規則10.スケ-プゴ-トを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
規則11.相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
規則12.自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
規則13.自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
規則14.羊頭狗肉。
規則15.わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
規則16.わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
規則17.ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
規則18.ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
規則19.全体のバランスを常に考えて発言せよ。
規則20.「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
(前掲書.P.24~P.25)


なるほど、アベ氏の詭弁が説得力をもたないのは、東大話法を使いこなせないのに、東大話法で話の本質をごまかそうとするからなのでしょう。東大話法のプロの官僚答弁でさえ聞くに堪えないのに。

追記。私が個人的に知っている東大の人々の多くは、誠実で真面目な人々です。東大話法は東大出身官僚の答弁スタイルのステロタイプであり、決してblanketに東大の人々の言動を批判するものではありません。念のため。
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