百醜千拙草

何とかやっています

ガーシュイン賞

2013-05-31 | Weblog
政府が権力や既得権に不都合な情報を隠蔽するのはどの国でもそうですけど、インターネットのおかげて、いくら政府や原子力村が隠しても、ちょっとウェッブを散策すれば、本当のことが見えてくる時代になりました。情報を手に入れるのは容易ですが、それを総合的に解釈し、正しく判断することは必ずしも容易ではありません。

原発情報を知ろうとして、二、三のウェッブサイトに仕事場のコンピューターから行こうとするとブロックされるようになりました。「ヘイト スピーチ」が含まれるからブロックした、というメッセージがでます。たしかにそういうサイトに政府を批判する内容のものは少なからずあります。しかし、政府が悪いことをやっていて、それを悪いと批判すると「ヘイト スピーチ」でブロックというのは、どうも一方的すぎるのではないでしょうか。一方、国民洗脳のために偏向報道、捏造報道を繰り返し、都合のわるいニュースは深夜にこっそり報道するマスコミはお咎めなし。間違っていることを間違っている、というのが「ヘイト スピーチ」なら、論文のレビューのコメントの殆どは「ヘイト スピーチ」です。方法的懐疑や科学は「ヘイト 行為」とも言えましょう。権力は色んな手で言論封鎖してきます。しかし、「言論の自由」は民主主義法治国家の基礎ですから、間違ったことがあるなら、われわれ力を持たない市民は、間違っている、と言い続けるべきだと思います。

とはいうものの、いくら政府がデタラメで、日本の国民から税金を絞りとることしか考えず、税金を払えない人間は見殺しにしようとし、国を売り、目先のカネのために日本の将来を台無しにしようとしている、とは言っても、無能で非道な政府に、怒りを募らせるのは、実は、われわれの損でもあります。これまでのデタラメぶりを眺めるに、怒って、批判して、デモ行動して、裁判に訴えて、政府が何とかマシになるのか、と言われたら、残念ながら、その可能性は限りなくゼロに近いと言わざるをえません。都合のわるい国民の意見は官僚答弁で全部無視、選挙公約は3ヶ月で捨て去り、裁判所は最初から政府側についていて政府相手の集団訴訟は最高裁で必ず負けるようになっている国です。そして、日本は今後、(これまでの貨幣制資本主義の基準で言えば)貧困化が加速していくことになりますが、その元凶といえるフクシマ原発事故は、どうも人間の手に負えるような状況ではなくなっているようで、京大の小出さんによると、いくら政府や東電に圧力をかけても、誰にも根本期にどうにかできるレベルではないというのが実態なのだそうです。

そんな状況ですから、私も、いくら言っても仕方のないことは、もう言うのは止めようかと思います。実際問題として、フクシマは延々と放射能を出し続け、地球規模で汚染を拡げて行き、それを止める術がない、という現実があります。そのフクシマからの放射性物質は海と空と地を広く汚染し、その放射能汚染されている食材がこっそりと全国に広く流通してしまっているという話も聞きます。根本的治療法がない不治の病に取り憑かれてしまったようなものです。結局、なるべく放射能汚染から身を遠ざける工夫を個人レベルでしていくしかないようです。

話かわって、先日、ホワイトハウスでキャロルキングのコンサートがありました。これは今年度のガーシュイン議会図書館賞(?)という聞き慣れない賞の授賞によるもので、女性では初の授賞ということで、グロリアエステファン、ビリージョエル、ジェームステイラーらも参加しました。

おばあさんと言ってもよい年のキングが、舞台の上で踊りながら楽しそうに歌っているのををみると、見ている方も楽しい気分になります。何歳になっても、一瞬一瞬を楽しく生きて、人の目も自分の容姿も年も気にせず、自由に歌い踊る、そのように神様は人間を作ったのだ、と確信されますね。

出世作「Tapestry」が大ヒットしたのは子供ごころにおぼろげにおぼえています(曲そのものは、もっと後になって聞きました)。歌はヘタウマですけど、良い曲が多いですね。ホワイトハウス コンサート最後の曲は「You've got a friend」で、ジェームステイラーとのデュエット。この曲、私はロバータ フラックがカバーしたのを聞いていい曲だなあ、と思ったのですけど、ジェームステイラー版も甲乙つけ難い。テイラーのようなクルーナーにうってつけの曲ですね。

ネットでこんなのを見つけました。

キャロル キング、グロリア エステファン、セリーヌ ディオン、シャナイア トウェイン(ポップス、ラテン、カントリーですね、どいういう事情でこのミスマッチな取り合わせになったのでしょうか?)で集まって、この曲を歌っています。なかなか良いです。


ジェームステイラー版、若いときの方がシブいと思います。



ロバータ フラック版 (今は亡きダニー ハサウェイとのデュエット)ロバータフラックはキングより5歳ほど年上ですが、誕生日は一日違いの2月生まれです。


んー、昭和は遠くなりにけりですね。
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レンガの壁

2013-05-28 | Weblog
前回の話で思い出した「姥捨て山」、いろいろなバージョンがあるようですけど、どうも実話というよりは、寓話的要素の強い民話という感じですね。もっとも多いのは、老人嫌いで「姥捨て」の制度を作った領主が、隣の領主に難しい問題を出され、解決できなければ攻め込むと脅かされるというパターンです。ある親孝行な息子が姥捨ての掟を破ってこっそり老母(または、父)をかくまうのですが、親の知恵でその問題を解いて、領主の窮地を救います。そして窮地を救ってくれたのが実は老人の知恵であったことを知った領主が改心する、という筋です。お年寄りには経験と智恵があるので、お年寄りを敬い、大事にしよう、という話のようです。
 対して、楢山節考で示される話は、本来の寓話的要素を除き、生きることの過酷さやそれを通じて浮かび上がる情愛を描いています。実際、私たちは、それぞれの環境に生まれて、人生が始まり、いろいろ経験して、死んで行くわけですが、人生、何一つ、自分の思い通りには行きません。否応なく与えられる、生老病死、の四苦の中で、我々はもがき苦しむ一生を送ります。なんとか自分の意志でできることは、死ぬことぐらいでしょうが、自分で死ぬのもいろいろ大変なようです。その何一つ自由にならない不便な人生のなかで、いかに「生まれて、苦労して、結局、死んで行くこと」に「意味」を見いだすか、というのがこの人生という名のゲームの本質なのでしょう。

私も最近、先のことを考えることが多くなりました。先のことと言えば、若い時は、漠然とした明るい(?)将来のことでしたが、最近はそういうことは考えなくなりました。何となく残っている人生がどんなものか想像できるようになってきたということです。

朝、目が覚めると、ああ、今日も生きて目が覚めた、と思うことがあります。後、何回、生きて目が覚めるのかな、と勘定しようとしてみたりすることもあります。寝ている間に死んでしまったら、目が覚めても、死んだことに気がつかないかも知れません。私は死んでも人間の魂は生き続け、肉体の死が終わりではないと思っているのですが、死ぬときの心配はします。死んだ後の自分の死体の始末とかは自分ではできないので、誰かにやってもらわないといけないのです。やってもらう人に気の毒だなあなどと思います。

先週末に安売り屋で深く考えずに本を一冊買いました。それは、Randy Pauschの同僚に人が書いたものでした。名前に聞き覚えがあったのですけど、その時はよく思い出せず、パラパラと読み始めて、記憶が戻りました。このサイトにリンクにありますが、数年前のカーネギーメロン大学での最終講義のビデオが、当時、大反響を呼んで、私も見たことを思い出しました。
Randy Pausch Last Lecture: Achieving Your Childhood Dreams

Steve JobsのStanfordでのCommencement Speechも大反響がありましたが、共通点がありますね。どちらも、すい臓がんで亡くなりました。そしてその迫る死に際して、彼らの示したポジティブな姿勢は勇気づけられるものでした。

余命、数ヶ月の末期がんである、という事実に対して、Randyは最初にこう言います。「私は、その事実を否定しようとはしていない。現実は現実であり、それを自分が変えることはできない(現実には勝てないということですね)。自分がすることは、現実を直視して、それにどう反応するかを決めることだ」
 理屈ではその通りです。しかし、まだ小さい子供と伴侶がいて、家族のために郊外に家を買ったばかりの人間に与えられた数ヶ月の余命という現実は、素直に受入れるには、余りに残酷なものです。私だったら、どうするだろうか、と想像しました。少なくとも、口ではRandyと同じことを言うでしょう。しかし、そう理性的に考えるということと、理性が感情よりも優位に立って、感情をコントロールできるということは全くの別問題です。むしろ、理性が感情をコントロールすることなど、本当はできないだろうと私は思います。人生の様々な困難や苦しみに際して、どう心の平安を得るか、それこそが古今の宗教が追求してきたことで、簡単に理屈でどうにかなるものではありません。

Randyのようにクールにポジティブに尊厳をもって死んで行ければ素晴らしいです。でも、ジタバタと死にたくないと泣きながら死んで行ってもいいじゃないかとも思います。そもそも、私のような未熟者が、死ぬときのことを心配する方がおこがましい、と孔子に言われそうです。

ところで、Randy Pauschのスピーチの中での、「レンガの壁」、人生の困難にぶちあたり、挫折を経験することに対する解釈には勇気づけられます。人生の壁にぶちあたらない人はいません、ソクラテスもプラトンも、ニーチェもサルトルも、みんな悩んで大きくなりました。

「壁」はあなたの真剣度を試しているのです。「壁」はあなたを止めるためにあるのではなく、あなた以外の人を止めてくれているのです。

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研究者楢山節考

2013-05-24 | Weblog
日経バイオテクONLINEのしばらく前の記事から。

分子生物学会年会シンポ「ガチ議論」プレ企画第1弾で会合、
文科省から2人が会合に参加
https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20130517/168362/
 今回の会合は5月7日は午後から日本科学未来館、夜は大江戸温泉物語と東京国際交流館で議論し、5月8日は昼過ぎまで東京国際交流館で議論しました。大学院・教育・大学院生の待遇について、(若手)研究者の育成について、任期制と定年制の問題や大学のスタッフの問題について、大学のあり方や運営の問題について、政策の意思決定の仕組みについて、研究への寄付・アウトリーチについて、研究の公正や不正について、文科省の人事制度について、などについて議論しました。 若手研究者の待遇を改善するためには、定年制のシニアの教授のうちで、研究などの業績が十分でない場合には、退任してもらうような仕組みが必要という意見も当然のことながら出てきました。
 そこで研究者の業績をどのように客観的に評価するかが、重要になります。


「シニアの教授で業績が十分でない場合に退任してもらう」という意見が出たとのこと。どれぐらいの人がこの意見に賛成したのか、反対したのか詳細はわかりせんけど、私はこれを聞いて「姥捨て山」を思い出しました。シニアの教授で定年制なのだから、いずれ現場から去って行くことになる人です。若手を喰わせるために後数年に現場から去って行く人でも業績不振の人は辞めてもらって口減らしするということですね。これは市場原理主義、グローバル主義の延長ですね。つまり、目先の利益が最大化するようなシステムにするやり方で、管理者からすればEasyな解決法です。多分、十年、二十年、あるいは、百年というスパンで日本での研究、教育がどうあるべきかという議論は面倒くさい、ということでしょう。あるいは、本当に切羽詰まってきて若手が困っている、背に腹は変えられない、「姥捨て山」もやむを得ない、といういうのが実体なのかも知れません。

しかし、こういう時こそ、長期的視野に立って考えることが必要でしょう。私には、日本の研究環境の悪化は、明らかに「目先の利益や必要」に駆られて、拙速にシステムを変えようとしてきた過去の副作用に見えるからです。私が大学を終えるころは、医師過剰時代と呼ばれ、非常勤医師のポジションは減って行っていっていました。対して、国のやってきたことは、長期的視野に立って日本での医療をどうして行くべきかという議論があまりないまま、医師が増えすぎた、だから減らそう、そして、今度は減りすぎたから、もっと増やそう、単に目先の動きに反応しているだけに見えます。研究や教育というものも同様、長期的視野に立ってプランを立てるべきものでしょう。ひとつのプロジェクトが十年以上かかることも稀ではないのですから。私の知り合いの研究者の人も心配するぐらい寡作に人がおります。しかし、出した論文はよいクオリティーのものです。よい仕事をするには時間と労力がかかりますが、仕事を評価する側は、数と出版ジャーナルぐらいしか見ませんから、地味な主題で誠実に研究をする人はどうしても不利になります。業績を安易なメトリックスを使って、数年のスパンで評価するようなことをすると、イノベーティブな研究ほど削られ、誰もが簡単に価値がわかるような研究で見栄えのするものだけが残ることになるのではないでしょうか。

私自身、基本的にテニュアという制度そのものがない研究施設で、業績不振でグラントが取れなくなったら、店じまいして、別に喰って行く道を探さないといけないという自転車操業で日々をやり繰りしていますから、常にグラント競争の中でストレスにさらされる(ほとんどのビジネスオーナーはこの立場ですが)ことの有害さはよくわかります。業績至上主義は原発と同様、目先の利益のために長期的な安全性を犠牲にする可能性があります。例えば、高いランクのジャーナルに数多く論文を出すために、不正に手を染める研究者は増えるでしょう。そして、研究者は論文出版に有利なハデで見栄えのする研究主題に飛びつき、ブームが過ぎたら、次に乗り換える、という近視的行動をとるでしょう。そして、地味で持続性が必要な研究はなくなってしまうでしょう。

業績至上主義が働くのは、論文レビューが完全に公正であり、研究者が高い研究倫理を何があっても維持でき、実験の時間と労力のかかる研究(例えば、ほ乳類の老化研究)が研究スパンの比較的短い研究(発生生物や細胞生物、分子生物的研究)と、時間や労力を考慮して評価できる場合、でしょう。結論をいうと、そんなことは不可能です。結局、インパクトファクターとか論文数とかの数字を使うしかありません。そんなテストの点取り競争のような業績至上主義は、益よりも害の方が多いと私は思います。そもそも、研究というものが職業になったのは、この一世紀ぐらいのことで、これが将来も続く必要はないと私は個人的に思います。というか、私は日本の国としての将来にかなり不安を抱いているので、将来は研究活動は金持ちの道楽となってしまう可能性も高いと思っています。

それよりもハコモノを作っては税金を流す受け皿をつくり、結託した役人が税金を撮み食いする官僚独裁制の方を何とかしたらどうでしょうか(簡単ではないですけど)。例えば、国民背番号制が審議されていますが、これなど、典型的な税金撮み食いシステムでしょう。初期投資に2700億、運営コストが年に400億、というシステムを導入して、国民にとっては良い事は何一つといってありません。国家権力に管理されやすくなるだけです。この巨額のコストは、そのハコモノにつけるポストに天下りする官僚に喰われるだけのことです。官がより一般国民の管理をしやすくするためにシステムに国民の税金を使うというのですから、酷い話です。

話がずれました。業績不振のシニアを辞めさせる制度の話でした。雇用が保障された教授のテニュア職というものは、そもそも馬の目の前にぶら下げられたニンジンだと私は思います。テニュアを得るために若手は必死になって働き、業績を出す、そのご褒美としてニンジンが与えられる、そういうシステムだと思います。ならば、一旦、ニンジンが褒美として与えられたなら、それを取り上げるようなマネをしてはいけないのではないでしょうか。テニュアのおかげて、今度は、見栄えのする論文を出すことだけにとらわれずにじっくりやりたい研究ができる機会が与えられると考えられないでしょうか。

教育と研究がある程度リンクしたアカデミアで、業績至上主義で「ハデな論文を沢山出す競争」のコツに長けた者が支配する研究社会というものを、本当に人々は望むのでしょうか。研究格差社会ですね。大きなカネがあって見栄えのする研究室だけ残して、それ以外のところは潰すというやりかたでしょう。それが本当に研究の社会への貢献度を上げることにつながるとは思えません。

私は、シニアで業績不振の人を退任させるというシステムで若手にカネを回すのではなく、偏って多額の研究費を集中投下している「カネ持ち」から、富を再配分してやり繰りする社会主義的やり方が望ましいと思います。アメリカでもSequestrationとNIH budgetのカットで、研究環境は非常に厳しくなっていますが、それでも各NIH Institutionは一つあたりのグラント支給額を減額してでも、数を確保することを優先しようとしています。市場原理主義、格差社会の王者、アメリカでさえそうです。シニアを辞めさせてポジションやカネを若手に回すのではなく、全体として痛みを分散して引き受けるやりかたが長期的には望ましいと私は主ます。
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笑えない道化

2013-05-21 | Weblog
Elton Johnのイギリスでのデビューアルバム(「Your Song」が入っているやつです)の中に「King must die」という曲がありました。難解な歌詞ですが。自己流で翻訳すると、次のような感じです。

あなたがかつて冠った王冠の上でジャグラーの芸が踊られてはいるにしても、誰もあなたの玉座の間でシェークスピアを演じる道化ではない。
遅かれ早かれ、みんなの王国は終わらねばならない。あなたの廷臣たちは親友と呼べなくなるだろう。
シーザーもあなたと同じ悩みを持っていた。
未亡人は泣かなければならなかった、でも修道院の傭兵たちは歌う。王は死ななければならない。

ある男たちは船乗りでいてよかった。私の言葉を持って去るがよい。が、馬番には言ってやれ、その名前は彼らがつけた最初のものなのだと。
もしも私の手が永遠に血塗られたら、教会の祭壇が万が一私を拒んだなら、保護区をと叫べば、あなたは中に入れてくれますか?

王は死んだ、王は死んだ、王は永遠なり。


よくわかりませんね。多分、独裁王制が倒れて、民主主義社会へと変って行く歴史観を表したものなのでしょう。 この「道化」(Jester)は、王を笑わせるために宮廷に雇われている人です。サーカスなどでの一般人向けのピエロやclownとは違い、権力者に飼われ、その権力者の顔色を伺いつつ、権力者を笑わさねばならない、悲しい存在です。道化が演じるシェークスピアは可笑しいのです。道化がシリアスな劇を演じるから王が笑うのです。

民主主義国家である日本の主権は(建前上)国民にあり、強いて言えば国民は王のようなものです。その国民を笑わせるために、ズレた芸を披露する道化がいます。

続 壺 齋 閑 話から、「安倍首相の戦闘機姿

一枚の写真がまた大きな騒ぎを巻き起こしそうだ。この写真(AFPから)は、宮城県松島市にある航空自衛隊を視察中の安倍首相が、ブルー・インパルスの訓練機に試乗しているところを映したものだ。自衛隊の制服らしい物を着て、右手の親指を突き立て、得意そうな表情をしている。
この写真が早速韓国メディアの目に留まり、挑発的妄動だとする非難が一斉に巻き起こった。何が彼らをそんなにも刺激したのか。問題はこの航空機に書かれていた番号だ。韓国メディアは、この番号があの悪名高い731部隊と符合することから、安倍首相はそれをわかっていながらあえて挑発的な行動に及んだと非難するわけなのである。
 韓国メディアによれば、米国でもこの写真は問題視され、ワシントンの政治・外交情報誌の『ネルソン・リポート』は「ドイツの首相がふざけてナチス親衛隊の服を着用し姿を現したようなものだ」とコメントしたそうだ。
 日本の首相が戦闘機に乗って得意になっているかのような表情を見せるというのも思慮に欠けた行為といわねばなるまい。好戦的なイメージを自分から振りまくようなものだ。安倍首相自らの言動がもとで、いまや日本は好戦的な国だと見られかねない状況にある。そういう時に、そういう見方を強めるような言動をすることは、日本の首相として慎むべきだ。
 相手に自分の隙を易々と突かせるような行為をするというのは、無思慮というより、喜劇的というべきだろう。自分ではよかれと思いつつやった行為が、自分に不利な結果を生む。それはもう、道化のやる事以外の何物でもあるまい


「道化」は笑いを計算しますが、この人の場合は「天然」でしょう。笑えませんね。本人は真面目にシェークスピアを演じているつもりなのに喜劇にしか見えない、というのは、正直、悲劇です。

そして、計算しているつもりが、計算が足りなくて、墓穴を掘っているのが大阪市長。本人は真面目なのでしょうが、こちらも笑えません。

Jesterは宮廷では唯一、王に対して「無礼」な口を利くことが許されていたそうです。しかし、ものごとには限度があります。アベ氏らがなぜ限度をわきまえられないのかは、道化師であることに対する無自覚性ゆえでしょう。

さて、選挙前の北朝鮮パフォーマンスは、予定が狂い、コッソリと下工作しようとしたのがリークされて大騒ぎとなりましたが、それでも拉致被害者救済に断固望むアベ氏、という姿勢をアピールし、それなりに狙った効果はあったようです。野党がほぼ全滅したこの状況で、次の選挙で自民党が衆参を制覇することになると、厄介です。待っているのは、増税、インフレ、年金支給引き下げ、福祉の切り捨て、の一方で、被雇用者の収入は上がらない、という一般庶民の生活苦。それでも、国土が健全ならば、田舎へ脱出して、自給自足生活という手もあったのでしょうが、今や、フクシマ事故が収束する見通しもなく、放射能汚染が深刻化しており、国土という日本のかけがえのない財産を随分、失ってしまいました。こんな状況で「強い日本」、「美しい国」、「世界に勝つ」、「経済成長」とか、寝言をたれる無自覚な道化が、先頭に立って、日本を北朝鮮化しようとしています。本当に笑えません。フクシマの事故の深刻さがわかっていないようです。チェルノブイリ事故とその後のソ連がどうなったのかを理解した上で、あえて言っているのであれば、そうとう悪質です。もっとも、この人の天然のズレぐあいから想像すると、本気で言っているのかも知れません。それはわかってやっているよりもタチが悪いです。
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北朝鮮プロレス

2013-05-17 | Weblog
飯島勲内閣官房参与訪朝のニュース。マスメディアが大騒ぎするようなことかと思いましたが、地上げ屋さんのブログを読んで納得。
最福寺の朝鮮総連本部ビルの競売落札が資金難のため潰れたという話がちょっと前にありましたが、全部つながっていたとは知りませんでした。詳細は地上げ屋さんのブログで読んでいただくとして、この話が本当なら、とどのつまり、安易なバブル政策で株高を煽って国民の目をくらまし、そのまま安定政権を確立するために、選挙前に一発大技を決めたい、そう身勝手に考えているアベ氏と、そこまでされては困るアホウ氏の大局観のない小競り合いということですね。朝鮮総連本部ビルの競売が潰されたので、訪朝の交渉が難しくなり、次善策としてこの人がコイズミ時代のコネをたよりに北朝鮮におもむいてアベ氏訪朝のセットアップをしようとした、ということなのでしょう。アベ氏が国会でコメントできなかったのも宜なるかなです。地上げ屋さんの話が本当だとすると、きっとこのニュースもアホウ氏側がリークしたのでしょう。
ネットで面白いコメントを見つけました。

飯島が北朝鮮に行ったようだが、選挙前に北朝鮮ネタが起こることを馬鹿な国民はそろそろ覚えろって。北朝鮮プロレスだって。それが外交だ。仮に拉致被害者が帰ってきたからといっても自民に投票しちゃ駄目。


ようするに、コイズミ氏が人気とりのため北朝鮮をダシにつかったと同じことを、アベ氏もやろうとしているという芸のない話。北朝鮮外交というのは選挙前のパフォーマンスに利用するイベントに過ぎないということですね。

しかし、アベ氏も目先の欲に目がくらみ、常識と判断力に欠けていて、宗主国アメリカ様の意向がどうも目に入っていないように見えます。サンケイの記事、「なぜ飯島氏訪朝か」では、

 政府の一員とはいえ、直接の交渉担当者ではない飯島氏が単独で北朝鮮側と協議を進めることを不安視する向きは強い。
 また、核実験やミサイル発射など挑発を続ける北朝鮮に対して、これまで制裁に反対していた中国も大手銀行が、貿易決済銀行である朝鮮貿易銀行の口座閉鎖に踏み切るなかで、日本だけが独自行動をとることへの懸念もある。
 ソウルを訪問した米国のデービース北朝鮮担当特別代表は記者団に、日本側から事前に飯島氏の訪朝の連絡を受けていなかったことを示唆したうえで、16日からの日本訪問の際には「当然、日本側と(訪朝について)話すことになる」と述べた。


と書いてあります。この人、コイズミ秘書時代からいろいろなウワサを聞きます。小沢氏の一連の検察でっち上げ事件の黒幕だったいう話もどこかの週刊誌が書いていたのを覚えています。

このサンケイの記事の最後の一文が興味深いです。アメリカは「当然、日本側と(訪朝について)話すことになる」と述べたということですから、これが筋書きのある芝居でないとしたならば、「勝手な事をするな」と釘を刺しにくるということでしょう。日本に主権のないのが丸わかりですね。タダでさえ、アベ氏の中韓に対する対応を快く思っていないアメリカです。日本はアメリカの極東戦略のコマにしか過ぎないのに、己の選挙の都合だけで訪朝して余計なことをするな、アメリカを無視して訪中した田中角栄がどんな目にあったのか忘れたのか、とでも脅すのでしょうか。 

ひょっとしたら、さすがのアメリカもアベ氏の常識と判断力のなさにサジを投げ、首をすげ替えようとするのかも知れません。すげ替えるにしても適当な代わりが見当たらないのが悲しいところですが。

関連して、日刊ゲンダイの金子勝さんの記事、(日々坦々から)。
アメリカが安倍政権のはしごを外す  慶大教授 金子勝の天下の逆襲  (日刊ゲンダイ2013/5/14)

相変わらず日本国内では、安倍内閣の支持率は高い。しかし、それは恥ずかしいことだという自覚が国民にないことが怖い。

安倍首相の国際的な評価は、右翼民族主義者、石原慎太郎にいたっては極右扱いだが、日本の大手メディアは正しく伝えようとしない。おかげで日本人だけが気づいていない。まるで戦前のようだ。
閣僚の靖国参拝についての発言や、首相の歴史認識に対して、中国や韓国だけでなく、欧米各国も顔をしかめている。アメリカの議会事務局までが「安倍首相の歴史認識はアメリカの国益を害する恐れがある」という報告書をまとめたほどだ。
アメリカが尖閣諸島について、日米安保の対象に含まれると発言しているのも、アジア諸国と軋(あつ)轢(れき)を強める安倍首相の思想に共鳴しているからではない。在日米軍基地を正当化するためにすぎない。
安倍首相はそれをバックに、中国に対して勇ましい態度を取っているが、アメリカは、ただでさえイラク戦争で傷を負い、国を疲弊させてしまったのに、大国中国と全面対決することなど少しも考えていない。事実、米中両国で軍事演習したり、軍事対話を強めようとしているくらいである。だから安倍首相を諫(いさ)めるのだ。
安倍首相は、日米同盟を頼みにして、憲法「改正」や「国防軍」創設をもくろむが、もし本気で動きだしたら、アメリカはハシゴを外すのではないか。ちょうど、外国人投資家がアベノミクスを煽(あお)って株価を上げ、日本人投資家が高騰した株を買いはじめたら一斉に売ろうとしている構図に似ている。
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放射能と現実

2013-05-14 | Weblog
しばらく前、舞台出演中の40代の女優さんが「心筋梗塞」のため、降板するというニュースを聞きました。ありえない話ではないですけど、40代で心筋梗塞は普通ではありません。心筋梗塞や突然死が増えている、という話は原発事故後からanecdotalにはチラホラ聞こえてきます。「ずくなしの冷や水」というサイト(長野県の方でしょうか)での、おやじが次々死んでいく怖すぎる現実、というエントリ-では壮年-中年の人々の突然死のエピソードがまとめられています。また、高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟というサイトの開設者の人も関東の知人が心筋梗塞で若年で次々に亡くなって行く、郡山では火葬場が2週間待ちになっている、というような話を書かれています。
キチンとした疫学調査ではないので、実際に若年の突然死やがん死が、フクシマ事故前と比べてどれだけ有意に増えているのか知りたいところです。ただチェルノブイリ事故の後の健康被害を考えると、今回の女優さん、事故後に被災地にも行っておられたようですし、心筋梗塞の原因も放射能被爆が原因である可能性も十分考えられると思います。

関東の汚染はやはりかなり進んでいるようです。日刊ゲンダイの5/8の記事、
首都圏の川やダムは、やっぱり放射性物質で汚染されているんじゃないか――。環境省がGW前にこっそりと発表した「公共用水域における放射性物質モニタリングの測定結果」には、目を疑いたくなるような数値が並んでいる。
 今回発表されたのは、群馬、栃木、茨城の各県内約60カ所の放射性物質の濃度を測定したもの。たとえば、「栃木・鬼怒川水系志渡淵川筋違橋」の右岸の土壌から採取された放射性セシウム濃度は1万3300ベクレル! 昨年8月の測定結果は2900ベクレルで、4倍以上に増えている

昨年に比べて、放射能汚染は増えているのですね。
 数ヶ月前の夕刊フジの記事をネットで見つけました(あいにくオリジナル記事は既に削除されているようで、転載したサイトからのコピーですが)。事実、放射線は現在もどんどん放出されています。

【原発崩壊】“放射能汚染”の真実…福島、郡山市に人は住めない★(2)2012.03.14
 東京電力福島第1原発から外部に放出される放射性物質は、毎時7000万ベクレルを超えている。今年1月の話である。仮に3・11前にこの数値だったら、日本中が大騒ぎだろう。「信じられない。とてもではないが、人が生活できるような数値ではない」米ウォールストリート・ジャーナルのエリー・ウォーノック記者と、セーラ・ベルロー記者はあきれたようにこうつぶやいた。

武田邦彦さんの「放射性降下物と土壌汚染・・・情報が途絶した中で」という記事の中でも、東京の放射能汚染が増加している、とのこと。
東京)2012年平均月1平方メートルあたり12ベクレルだったのが、2013年2月は8.6ベクレル、3月は39ベクレル、4月は64ベクレルと急増している。このレベルは事故直後の5月148ベクレル、6月36ベクレルと同じレベルで何かが起こらないとこんなことはない


現実と向き合わないといけません。現実には勝てません。当たり前のことですが、いくら政府が現実を否定しようとしても、汚染データを誤摩化し、口先だけで「直ちに影響はない」と言ってみても、放射能が減るわけでも、汚染が止まるわけではありません。日々、放射性物質が放出され続け、風に乗って飛散し、海に流れて広まり、広域がれき焼却で全国にバラまかれ、各地で食品や土壌の検査で放射能が検出され、健康障害も顕在化しつつある、というのが「現実」であり、その現実は動かしようがありません。現実と向き合い、そこから始めるしか解決の方法はなく、現実逃避をやめるのは早ければ早いほどよいのは当たり前のことです。しかし、この間の民主党の「公開反省会」という名の「言い訳大会」での空きカンらの醜悪な言動を聞くと、この国を運営する責任者は「反省」という言葉の意味さえ知らないようです。まもなく消滅するであろうこの民主党のA級戦犯も、ずっと原発利権どっぷりの自民党も、政府官僚も自分さえよければよい、自分が死ぬまで保てばよい、としか考えてないようです。
 国民は、目の前にある悲しい現実、即ち、命を脅かす数々の危機に際しても、政府や政治家には何も任せられない、という現実と向き合い、その現実をふまえた上で、どのように自分や家族や共同体を守っていくかを考えないといけないということのようです。
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放射能汚染、ロシアの動き

2013-05-10 | Weblog
時間が過ぎ去るのが早いです。あっという間に週末に近づき、その週の成果を振り返ってガックリするということが続いています。人間の一生など下天の一日にしか相当しないのですから、時間が経つのが早いのもあたり前なのかも知れません。人生五十年として計算してみると、一週間は下天では約30秒にしか過ぎません。天界の中でも上から二番目の兜率天では一日の長さが人間界の約400年に相当するそうなので、また計算してみると、そこでは人間界の一週間は約4秒です。一週間がアッと言う間に経つのも無理ありません。きっと、こんなくだらない計算をしているせいでしょう。

さて、フクシマ事故から二年、復興宣言から二ヶ月、月日の経つのは早いです。ネットでは今年、間もなく、伊豆沖の地震と箱根山、富士山の噴火が起こるというウワサが流れていて、当たるか当たらないかわからない予言で盛り上がっています。確実なのは、地球規模の放射能汚染は日々進んでいるということでしょう。(それにしても、この現状で、原発技術をトルコに売り込んだと得意顔のアベ氏、世界中からあきれられています。これだけ放射能汚染で世界に迷惑をかけた上に、全然安全でない原発を売り込んで、カネ儲けしようとしているのですから、普通なら、得意顔をするのではなく、カネのために悪いことをしているという疚しさ感じるべきではないでしょうかね。その辺が常識と判断力が欠如している言われる所以でしょう)

「暗黒夜考」のエントリー、東電が福島第1原発地下の汚染水の”海洋投棄”を画策から。
東京電力は7日夕方、福島・いわき市に対し、福島第1原発の地下水を5月にも海へ放出する計画を説明した。午後4時すぎ、東京電力の新妻常務は、いわき市役所を訪れた。この中で、新妻常務は、5月13日に漁業関係者に説明を行ったうえで、5月中にも福島第1原発から地下水を海に放出する計画を説明した。東京電力の新妻常務は「水のデータを検査して、そして、それをしっかりと皆様方にご説明をさせていただいて、そういったものを実績として積み重ねて、それでご理解を得るように」と述べた。福島第1原発の汚染水は、1日あたり400トンの地下水が原因となって増え続けていて、東京電力は、地下水をくみ上げる井戸を稼働させ、汚染水を減らしたいとしている。

既にかなりの量が海へと流れこんでいますが、これで堂々と海洋投棄が加速されまもなく太平洋は南アメリカ沿岸に至るまで放射能にすっかり汚染されることになるようです。どうしようもないのはわからないではないですが、結局、「封じ込める」という放射線管理の大原則からどんどん逆の方向へ行っていますね。バラまいて放射能汚染を拡散して薄めてしまえば、当面は大丈夫、一年以上先のことは考えない、といういつもの「自分さえ良ければよい、今さえごまかせればよい」という発想ですね。これで全世界的に放射能汚染された閉鎖環境で人類も動植物もあらゆる生命が生きて行かねばなりません。これも神の愛の現われなのでしょうか。



訂正。上の図は転載元の記事の中の図を拝借したものですが、Izumiさんのご指摘で、図は津波の伝播状態示したもので、放射能汚染を示したものではないとのことです。誤解を生むとのご指摘の通りと思いますので、不注意をお詫びします。海洋放射線汚染のマップやシミュレーションは別にされており、一年前ほどの時点での汚染状況は下の図のようだそうです。

オリジナルのサイトはココです。


もう一つ、気になる中東情勢、ロシアのプーチン大統領が、シオニスト政権イスラエルのネタニヤフ首相に対し、シリアへの新たな攻撃について警告を発したというニュース

イスラエル戦争省に近い情報サイト・デブカによりますと、プーチン大統領は7日火曜夜、ネタニヤフ首相と電話会談を行い、「イスラエルがシリアを再度攻撃すれば、対抗措置に直面するだろう」と語りました。
デブカはまた、プーチン大統領はシリア領土への攻撃についてイスラエルに警告した上、シリアに対するイスラエルの今後の攻撃にロシアが対応する可能性があると強調したことを明らかにしました。


うーむ、まずいですね。予想された方向に向かっています。イスラエルが引いてくれればいいのですけど。プーチンもイスラエルの後ろのアメリカを睨んでいるでしょうから、こう言ってしまった以上はロシアは後には引けません。チキンレースのキューバ危機みたいになってきました。イスラエルは自国が第三次世界大戦のスイッチになっていることをわかっていないわけがないでしょう。これ以上のシリア、レバノン、イランへの軍事介入は、自爆テロに等しいと思うのですが。
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屈辱の憲法記念日

2013-05-07 | Weblog
各方面から常識と判断力に欠けると非難され続けられている首相が、9条改変のために、まず改憲には2/3以上の賛成の必要を定めた96条を変えるという方針を新ためて表明した憲法記念日。
 私も子供のとき、アラジンのランプの魔人に三つのお願いをかなえてもらえるなら、まずそのうちの一つを使って、三つのお願いではなく無制限のお願いができるようにお願いするだろう、とくだらないことを考えたことがありますが、アベ氏の憲法改変のためにその改変手続きを定めた条項をまず変えようとする発想はまさに子供レベルと言えましょう。96条が何のためにあるのか、本当にわかっていないのでしょう。96条でしばりを入れたのは、憲法がコロコロ簡単に変ったりすると、常識と判断力に欠ける人間が世襲でたまたま首相になって、好き勝手にやって日本の国を滅ぼしては困る、との先人の配慮でしょう。草案はGHQかも知れませんが、その憲法を日本国の精神として熟議して制定したのは当時の日本人であり、憲法を作った人々は、アベ氏よりは常識と判断力にはるかに富んでいたといえるでしょう。アベ氏のような首相の出現を予想して96条を作ったのですから。

憲法記念日というのは戦後日本を考えるよい機会かも知れません。しかし、先だっての「主権回復の日」とやらのアホらしさ加減には情けなくて鼻水ぐらいしかでません。放射能ダダ漏れのフクシマ原発の事故が収束したと勝手に宣言するような政府ですから、「主権は回復した」と勝手に宣言したのもいつもの寝言と笑い飛ばせばいいのでしょうが、その記念式典までするという無神経さ、特に沖縄の人々の傷口に塩を塗り込むようなことを平然とできる常識と判断力に欠ける政府にはさすがに怒りがわいてきますね。主権など回復していないのは普通の常識と判断力があればあきらかです。日米地位協定という奴隷契約があり、沖縄には米軍は大きな顔でのさばりつづけ、日本の飛行機は米軍の広大な管理区域のせいで日本の空さえ自由に飛べず、税金から思いやり予算とかいう年貢を納めさせられ続け、歴代自民党首相は横田幕府からの指令のもとに行動する、そのどこに「主権」などというものがあるのか、というのが普通の人の思うところでしょう。
 ちょっと関連して、「反戦な家づくり」の「屈辱の日に」というエントリーをリンクしておきたいと思います。

沖縄に基地を押しつけた日を 「主権回復の日」 としてめでたく祝う自民党と天皇。
「戦後レジームからの脱却」のために改憲だ と息巻いてみせる安倍晋三。
こいつらの脳内をのぞいてみよう。
ところで、単純な疑問を感じないだろうか?
主権回復の日? だったら何故「戦後レジーム」から脱却する必要がある? 主権回復してるなら脱却の必要はないんじゃないの?
実際のところ、安倍晋三が目指すのは「戦後レジームのバージョンアップ」であり「戦後レジームの完成」だ。
脱却というなら日米地位協定も日米原子力協定も破棄してみろ。できないくせに脱却とか言うな!


人の悪口をいくら言っても虚しいし、そもそもアベ氏が首相をやっているのは、むしろ常識と判断力が欠如しているがゆえではないか、とも思うので(なまじ考える頭のある人間は使いづらいですからね)もうやめます。政治家は小賢しいが、官僚の小賢しさとは比べものにならない、と誰かが言っていました。アベ氏や政府にいちいち腹を立てていること自体、彼らの思うツボなのかも知れません。しかし、長期的には小賢しさが正直に勝ったためしはありません。

最近、私は、この世の中は完全であり、思いやりと愛に満ちている、という考え方をだんだんと受け入れられるようになってきました。私からみて、つらいこと、嫌なこと、悲しいことなども、何らかの神の愛に基づく意志のもとにもたらされているのだ、という考え方に少しずつなじんできました。だから、二人足しても一人前に届かない首相と副首相を頭に戴く日本国の国民に生まれついたのも、何らかの神の愛の現れであると考えるようにしたいと思います。

しかし、それよりもっと心配なのは、イスラエルのシリア攻撃です。本当にやってしまったようです。第三次世界大戦はおこるとすれば、イスラエルが火種になって、ロシアの参戦で中東が壊滅するというシナリオが濃厚です。そしてこのままイスラエルと周辺アラブ諸国との諍いがエスカレートすると、ドミノ倒しのように急激に世界に広がって第三次世界大戦に発展する可能性があります。そしてロシアが反イスラエル側について参戦すれば、アメリカは反応せざるを得ません。最悪、米露の核戦争に発展するかも知れません。2014年にヨーロッパと北アメリカの1/3が荒廃する、というヒトラーの予言が不気味です。
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首相の与太話

2013-05-03 | Weblog
ちょっと実験のことで質問があって、同僚を訪ねたら、グラント書きの最中で、BGMにバッハのパルティータの二番がかかっていました。グレングールドだというので笑ってしまいました。私はその直前に書き物しながら、グレングールドのパルティータの六番を聞いていたところだったからです。バッハならグールドというのは、きっと、ネクタイはエルメス、バッグはヴィトンと同じノリでなのでしょう。そう思えば、グールドのバッハをたまたま聞いていたということに別に不思議はありませんけど、書き物にはバッハのピアノ曲のBGMというのは、結構、みんなやっているのだな、と思った次第です。

さて、悪口言うのはよくないことです。言う人間に報いが返ってきます。しかし、言わざるをえないと思う場合も多いです。それで、するいですが、私は自分ではなるべく言わず、他の人が言っているのを引用させてもらうことにするかな、と思ったりしてます。

中韓の反感を呼んだアベ氏の村山談話に関する批判、それからちょっと前の東京都知事のトルコ差別発言(これに関してはちょっと揚げ足を取られたようなところがあるとは思いますが)、などなど話題になっています。東京都知事はちょっとつけ込まれるスキがあったということなのかも知れませんけど、アベ氏に至っては、それ以前のレベルのダメさだと思います。

戦前のアジアへの日本の進出は「侵略」かどうか、見方によっては確かに微妙でしょう。満州国や朝鮮半島への進出は、略奪のためではなく、新しい国を作るためだ、と高邁な理想に燃えて入植した人もいたはずです。しかし、個人がそれをどう思うかということと、現在の国際情勢の中にで諸外国がどう捉えられているかというのは別問題です。一国の政治的リーダーとしての公の場の発言は、政治行動です。アベ氏や靖国参拝した閣僚は、どうもその辺のことの認識が甘いのではないのか、と私は思います。
だから先日の雁屋哲さんは、政治家としての発言と個人の感想を区別できず、みずからの行動の一手先さえも読まずに、軽々しく個人的見解を国会という公の場で発言したアベ氏を「正気か」と言い、発言を「与太話」と批判したのです。

与太話専門のアベ氏ですが、その後も共同通信の記事によると、次のように言ったそうです。

 【ジッダ共同】中東歴訪中の安倍晋三首相は1日、サウジアラビア西部ジッダで同行記者団と懇談し、自身が目指す憲法改正方針を中国や韓国に説明するかについて「わが国の憲法だから、いちいち説明していく課題ではない」と述べた。
 ロシアとの北方領土問題に関し「私とプーチン大統領が決断しないと解決しない」と強調。プーチン氏がモスクワでの日ロ首脳会談の際、面積等分方式に言及したとされる点をめぐっては「4島の帰属を解決し、平和条約を締結する方針に変わりはない」と語った。
 連立相手の公明党に憲法改正への慎重論があることについて「誠意を持って議論を進めていきたい」と指摘した。


わが国の憲法だから中韓には関係がない、というのは何とも考えの足りない発言と思います。「オレの人生だ、ほっといてくれ」ビリージョエルの反抗期のティーンエイジャーの歌を思い出しますね。憲法変えるのは日本の勝手でしょ、というなら、北朝鮮やイランの核開発を批判することもしない方がいいでしょう。憲法を改変したら、日本は正式な軍隊を持って戦前のようにアジア諸国に侵攻してくるかもしれない、と彼らは恐れているわけでしょう。アベ氏はアジアの平和を乱す危険思想の持ち主だ、とアジア諸国は警戒して来たのですから、少なくとも外国のそういう懸念を考慮した建前を言うべきであり、親に口答えするティーンエージャーのような物言いをしてはいけないと思います。

平川克美さんはより端的に下のようにツイートされています。

猪瀬発言も、麻生発言(CSISでの「衝撃と畏怖」発言)も、安倍の歴史認識発言も基本的な常識と判断力の欠如によるというのが、俺の見解です。常識や判断力を曇らせる強いバイアスの存在を感じますね。
安倍の歴史認識発言に対してのWP紙の批判に対して、菅は「真意と違う」といい、猪瀬も「真意は違う」ということを言っていた。米紙は、逆に、かれらの「真意」が表出されたのだと見たわけだ。どっちが「真意」なのかは、かれらのこれまでの発言を見ればすぐにわかる。

政治的言説は必ずしも真意である必要はない。しかし、真意はときに「言い間違い」とか、「言い過ぎ」という形で表面に浮かび上がるものだ。
国民国家の安定と人々の幸福に貢献すると言う建前を貫きとおせるなら、政治家の個人的な本音などどうでもよいことだ。しかし、凡庸な政治家は、凡庸な経営者が公私の区別がつかないように、本音と建前の区別がつかなくなる。

やはり、平川さんは表現がシャープですね。公人と私人がある以上、建前と本音があり、それは厳密に使い分けられなければなりません。アベ氏も東京都知事もそのあたりに不足があるように思います。それは政治家として必要な常識と判断力であり、「常識と判断力の欠如」という表現になったのでしょう。雁屋さんは、常識と判断力に加えて理性が欠如していると言っています。ものを理解する能力も足りないと考えられているようですが、その可能性は相当高いでしょう、判断力は理性の働きが必要ですし。

ついでに、北方領土に関しての話ですけど、いくらアベ氏が「私とプーチンが決断する」と言っても、どう考えても双方が望む形で解決するとは思えません。客観的に見て、落としどころは二島返還しかありません。でも、その現実的な落としどころから出発して交渉するということはできません。ロシアの立場からは、北方領土はロシアが実効支配しており、北方領土はシベリア開発に関しての交渉の切り札と思っているでしょうから、いくらアベ氏が力もうとも、出すものを出さない限り、前には進まないでしょう。一方、日本政府は出すものを出すメリットはないと思っており、今のところ交渉する気もないのが本音だと思います。沖縄基地問題や原発処理問題と同じ構造で、問題を延々と先送りすることが、政府にとっては得策なのでしょう。問題が無くなってもらっては彼らは逆に困るのです。それをネタに税金を回してそのおこぼれを貰うのが仕事ですから。
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