今回も随分、長くなってしまいました。同じ話を繰り返しているせいでもありますが、消費税に対する認識の歪みは深刻だと思っているからです。もうこの話題はこれで一旦、終わりたいと思います。長いので、これまでと今回の話の前半部を要約すると、1)消費税は社会保障の財源ではない、2)消費税は税の本来の目的に反する悪税である、3)消費税が今日の不況と社会格差を産んできた主原因となっている、ということなので、この話を聞き飽きたという人はとばしてください。
選挙戦が始まり、消費税は主な争点になりつつあります。れいわや共産党などの主張、消費税は社会保障の財源であるというのは建前に過ぎないこと、そもそもが消費税は法人税や所得税などの直接税の引き下げのために導入されたものであり、社会保障の財源であるというのは後付けの建前に過ぎず、実態は異なること、の認識が広まりつつあります。
「なぜ、政府は悪税である消費税を増税したがるのか」という話をしようとして、ついつい前置きが随分長くなってしまいました。結論から言うと、これは、日本に歴史的にある「島国根性」に由来する「陰険なみみっちさ」だろうと私は思っています。
その前に、もう一度、消費税の歴史的経緯を簡単にまとめたいと思います。
消費税の前にも間接税はありました。物品税とよばれていましたが、当時は贅沢品のみに税がかけられていました(現在、消費税率の高い諸外国でも、消費税は生活必需品は無課税もしくは低税率で、当時の日本と同様のシステムです)。が、80年代の終わりごろに、高い法人税を下げてくれ、という経団連からの要望が強まり、自民党政権は、間接税を上げて法人税減税の穴埋めをする目的で、消費税を広く生活必需品も含めてかけはじめました。当時、大蔵省は「直間比率の是正」というフレーズを編み出して、この言葉によって消費税導入を正当化しようとしました。つまり、税制的に問題があるから変えないといけない、という理屈で議論されました。
民主主義国家においては、富を再配分し、金はあるところから取って、ないところに回すことで、格差を是正し国家の安定を図るのが、政府の仕事です。富の再配分については、金持ちの中でも、アメリカで言えば「小さな政府」を望む共和党的小乗的金持ちと、積極的に自らの資産を広く投資することで共存共栄を図る大乗的金持ちや慈善家がおります。古代ギリシア時代から、いわゆる"noblesse oblige"という文化を受け継ぐ西洋では、富の再配分は富裕層の彼らの身分を安定化させるという利他利己両方の効果があることを知っており、多額の納税、寄付、社会への投資は彼らの義務でありかつ特権であると捉えていたと思います。しかし、経済成長に陰りが見え始めた80年代の日本においては、企業も金持ちも、高い法人税と所得税は彼ら自身の脅威となりはじめたのでしょう。経団連や富裕層の組織票で権力を維持してきた自民党政府は、貧乏は自己責任、と憲法に基づく政府の責任を放棄し、政府は国民のためではなく一部の支配者階級のために国民から年貢を取り立てるだけのヤクザ機関に成り下がりました。
結果、「直間比率の是正」という名目で導入された消費税ですが、いつのまにか社会保障財源という建前が全面におしだされ、野田政権の三党合意での消費税増税時には、財務省は「税と社会保障の一体改革」という意味不明の言葉を編み出し、消費税増税 = 社会保障財源 という実態とは異なる建前だけを主張しだして、今に至ります。
税金は社会保障にも使われるわけですから、(予算上は)企業や富裕層から集められ、再配分される富が一般国民の社会保障にあてられることになりますから、「消費税は社会保障に使われる」というのは100%ウソではありませんが、もちろん、これは建前です。そういう事情で、消費税は使用用途が制限されている「目的税」とされていないのです。消費税は、一般財源として国庫に入り他の一般税と一緒にされ、あらゆる用途に使われます。「れいわ」がデータで示してきた通り、消費税税収の7割以上の額が法人税の減税分に相当しますから、これは文字通り、「消費税によって法人税減税分が穴埋めされた」ということです。
ようやく本題。前回書いた通り、消費税は複数の悪い性質を持つ悪税です。実は悪税であること、それこそが、日本政府が消費税を増税したい理由の一つではないかと私は思っています。格差を広げ、雇用を不安定化し、国民がどれほど困窮しようと絶対に取り立てることができ、弱者がもっともその悪影響を被る、悪税であるからこそ、自民党は消費税を増税したいのだろうと思います。
つまり、意図的に国民を経済的に余裕のない状況に置いておくことが、自民党と経団連企業の互助利益にとって都合がよいのです。一般国民が選挙に行かず、企業従業員の組織票が与党を決める国、そして、「お上」の言うことに逆らわず、苦境を受け入れ、容易にプロパガンダに乗って付和雷同する国民性、それを利用して、意図的に一般国民を貧しくすることが、この国の支配者が権力を維持しつづけるために日本が江戸時代から採用してきたメカニズムであると思います。
カネは一般人にとっては力です。カネを操ることができるということは、人を操る権力を持つということです。人々が豊かな生活を送れるような社会ではカネの持つパワーは減弱するのです。権力者は、持てるものと持たざる者の間の格差に内在するポテンシャル エネルギーを利用して、カネと権力のパワーを維持しているのです。
国家で言えば、カネの配分をするのが財務省です。それゆえに彼らが全省庁の中で最大の権力を持っています。そして、彼らは、常に人々や(他の省庁)をカネ不足の状態に置くことによって、権力をより強固なものとしているわけです。そのために明らかにおかしい理屈をつけては、持たざる者により負担が大きい消費税を増税し、プライマリーバランスがどうとか政府の借金がどうとかという理由で緊縮財政を行っているのだろうと思います。
つまり、相手よりも優位に立つために自らを高めるのではなく、相手を下げるというみみっちい戦略の一つとして、権力(支配者)側が予算を絞り、消費税によって被支配者の力を抑え込むことを行っているのだと私は思います。
島国の小さな世界で完結し、鎖国がうまくいっている間は、その安易でみみっちい戦略が有効です。日本の支配者層に、このような島国根性、猿山のサル根性が脈々と受け継がれているのはその地形に応じた淘汰と選択の必然の結果ではないかと思います。
当然、そんな戦略では、より強大な力をもった外からの相手にはどうしようもありません。それが江戸末期の徳川幕府の崩壊であり、現在の日本だろうと思います。
端的に言えば、財務省と自民党が消費税を下げないのは、国民の困窮を望んでいるからに他なりません。国民が困窮すればするほど、カネを持つものの権力は増大し、持たざる国民をより安く使い捨てにできます。大企業にとっては困窮した国民は使いやすい。法人税引き下げを望んだ経団連は消費税増税によって二重の恩恵をうけることになり、国民は二重に苦しむことになりました。そして、自民党はその経団連の大企業から組織票を得ることで政権を維持しています。
つまり、日本が諸外国から「経済政策の失敗で貧しくなった初めての国」と評されているのは、実は失敗ではなく、この貧困は意図したことであったと私は思います。わざと貧しくなった。これは、他の大陸の諸国には理解できないことでしょう。どうして国をわざと貧しくし、人々が苦しむような政策を政府がするのか。普通の民主主義国家では、そんな政権はあっという間に倒されて、政権交代がおきます。だから、政治家は国民が喜ぶ施策をおこないます。日本のように消費税をどんどんあげ、年金はカット、財産はあれば株式市場にぶちこませて一文なしになっても自己責任、非正規雇用をどんどん増やし、国富を外国に売っぱらい、汚職腐敗が当たり前、のような政権が長期にわたって支持されるような異常事態は、ふつうの国なら起こりません。しかし、生活に余裕がなく、選挙に行かず、権力に牛耳られてマトモな報道がなされない国では、組織票さえあれば政治権力は維持できてしまうのです。
一般国民と「支配者層」の格差を保つことが支配者層のパワーを維持する戦略であるのですが、昔から日本においては、そのために自らのパワーをあげるのではなく、相手を下げるという陰険でみみっちいやり方をしてきたのです。
もちろん、多数の困窮の上に一部のものだけが得をする、そんな国が栄えるはずがありません。歴史の独裁国や江戸時代の鎖国下の日本と同じです。一部のものが権力を保持するためにわざと国を発展させず、人々を豊かにしなかった結果、外国との圧倒的な力の差が生まれて、力づくで開国させられ、300年に及んだ徳川レジームが崩壊しました。
そう考えると日本が再び多少マシな国になるためには、また外国によって屈服させられる経験が必要なのかも知れません。明治の開国も戦後の経済発展も外国の強大な力で屈服させられたあとに、西洋化、民主主義を受け入れ、体質を無理矢理変えさせられた結果として起こりました。結果、われわれは、下駄、着物に丁髷ではなく、体に合わない洋服を着て、蒸れる靴を履いて生活することになりました。屈辱ではありましたが、悪いことばかりではありません。
しかし、いい加減、日本も外国に叩かれてようやく変わるというような主体性のない国ではなく、一般国民の力で自ら変えていってもらいたいと私は望んでいます。それが、日本戦後史上、初めての国政市民政党である「れいわ」の躍進に期待する理由です。