百醜千拙草

何とかやっています

想像力が抑止力

2016-05-31 | Weblog
週末、オバマが広島を訪れ、被爆者と言葉を交わしました。確かに歴史的な出来事です。
一方で、これは、消費税増税延期と同様、アベ自民党が選挙用のネタの一つとして利用するためにセットアップしたものであり、オバマにしても、核軍縮がかつて演説したようにはうまく進んでいないので、その言い訳のためのパフォーマンスをしただけだ、という冷めた見方もあります。現実を見れば、核兵器廃絶という理想郷は遥か彼方、火星よりも遠くに見えます。

一般市民が大勢で生活する市街地への原爆を投下したという行いは、誰がどう言い訳しようと、これは悪魔の仕業です。アメリカ人の中には、戦争を終結させるためにやむを得ない行為であったと、原爆投下を正当化しようとする人々がいまだに大勢います。それは、今となっては、この悪魔の行いを正当化するための詭弁であることは、彼ら自身も薄々は分かっているのです。原爆の威力を示すだけならば、わざわざ市民が住む市街地へ落として、市民を大量殺人する必要などないわけですから。これは人体実験でもあったわけです。原爆でどれぐらいの人間を殺せるのか、原爆を落とした後はどうなるのか、人間を実験動物として使うために、戦争終結という大義名分を持って行った行為です。思うに、これはヨーロッパ帝国主義時代から連綿と受け継がれた残虐な「ヨーロッパの心」、すなわち、自分たちの人種以外の人間は、下等動物であり利用される存在であるというメンタリティーに根ざしたものだったでしょう。それが彼らの常識であり、戦争中の日本人は、彼らにとっては人間である以前に、危険な害獣だという認識だったのではないでしょうか。それは、逆に、日本が米英を「鬼畜」と呼び、自分の国が神の国であり、神風が吹くと信じていたのと同様であったのかもしれません。

それから70年余りが経ち、世界がインターネットで繋がっている今、当時の常識は現代の非常識となりました。人間は、人種、民族、国家、性といった属性を超えて等しく尊い存在です。いまでは、日本が世界のほかの国よりも優れた神の国だというような選民思想を持つのは、宗教集団といってもよいぐらいの日本会議の面々や、ほかに誇るものを持たない右翼活動家ぐらいでしょうか。現代では、世界は一つ、人類はみな兄弟で、一つの家の中に住むもの同士でお互いを殺し合い、お互いの場所を破壊しあうのは愚の骨頂であると大多数の世界の市民は考えているはずです。お互いを尊重して仲良く遊びましょう、世界中の幼稚園でそう教えているでしょう。

核を持ちたいという願いは、恐怖と欲望の表れだと思います。力によって支配されたくないという恐怖と力で支配したという欲望です。そのいわば動物的で本能的な自己保存欲を、個人から社会、国から世界というレベルへ昇華していくことが、人類としての進化ということだと思います。

オバマは政治的な縛りがありますから、原爆投下の悪魔性について自己批判することはできません。しかし、横に立っていたアベ氏はともかく、いくら第二次大戦を実際に知らないオバマと言っても、おそらく原爆投下のアンチヒューマニズムは十分理解していたであろうと思います。だからこそ、チョムスキーやオリバーストーンらが来日前にオバマに望んだ通り、オバマは被爆者と接し、言葉を交わすことをしたのだろうと思います。
核なき世界への道はまだまだ険しく遠いです。しかし、これを一つのきっかけとして核廃絶という最終目標へ続いていって欲しいと心から願います。

好奇心と探求心というのは人間を人間たるものにしているもので、物事の理屈を明らかにしたり技術を開発したりする行いそのものは止めようがありません。核分裂の連鎖反応でエネルギーを作り出すことを発見したり、ゲノムDNAを弄ったりする技術を見つけたりすることそのものは、その人間の人間らしい行いゆえだと思います。しかし、どんな理由があれ、それを利用して他人を傷つけようとすることは悪魔の行いです。

他人の痛みを理解し、他人の立場になって物事を考えることができる、「想像力」こそが最大の抑止力だと思います。

原爆投下当日の広島を体験させてくれる映像。
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JCBの新戦略

2016-05-27 | Weblog
月日の経つのは早いもので、日本の科学会を揺るがしたSTAPスキャンダルからすでに2年余り。久しぶりにKnoepflerのStem Cell blogを覗いたら、Oさん、「STAP HOPE PAGE」とかいうWebsiteを立ち上げたという話題がありました。そのWebsiteに示されているSTAPがあるという「証拠」のデータが余りに説得力がない、と切り捨てています。去年のNatureのSTAP否定論文で正式にケリがついて、もうまともな研究者は誰も相手にしないというのに、何のためにやっているのだろう、と不思議に思っておりましたが、どうやら、世間には彼女のファンらしい人々がいるのです。しばらく前に出たOさんの手記のアマゾンの書評を見てみました。評価が最高と最低に分かれており、中間がほとんどありません。最低評価を付けている人はどうも多くが研究と科学が理解できる業界関係の人々、一方、5つ星を付けている人は、多くが研究業界の内情を知らない一般の人のようですが、その一般の人の多くの人が、どうも「Oさんは、ステムセル利権争いに利用されて捨てられた被害者であり、本当の黒幕は別にいる」という陰謀論を信じており、すべての現象をそれによって説明したいという願望があるようです。ある人は「この本で真実がわかりました」というようなコメントを書いていて、思わずのけぞりました。嘘のかたまりのようなこの論文を書いた本人の手記でどうやって真実がわかるのでしょうか。昔のアステアの歌、「俺が生まれてこのかたずっと嘘つきだったことを知っているくせに、どうしてお前は、愛していると言った言葉は信じられたんだ?」を思い出しました。

また、彼らは科学的な内容を十分に判断はできないにもかかわらず、専門家は常に彼らを騙そうとしているので専門家の言うことは信用できないとも信じているようです。先日、ファンの恨みを買って刺されるという事件があったこともあり、私、ちょっと怖くなりました。これはもう「信仰」の問題であって、事実の解釈を科学的に議論しようとしても、信者の人とは会話は成り立ちません。なるほどファンというものは宗教の信者であって、信仰の前には膨大な客観的事実も取るに足らない瑣末事ものなのだ、と納得した次第です。触らぬ神に祟りなし、もうこの話題には近寄りません。

話変わって、JCBからの広告メール。かつての細胞生物の最高峰の一つ、JCBも南下傾向の昨今、最初の投稿分はJCBのフォーマットにしなくてもよい、とい新しいポリシーを発動させたようです。BioRxivと連動し、BioRxivに発表した論文をそのまま、JCBに投稿できるらしいです。
現在のところ、bioRxivに出ている論文は、あまりクオリティーのよくないものが多いような感じで、普通のレビュー付きのジャーナルに通すのは厳しいといういうよな仕事をとりあえず発表したいという人が利用しているという印象です。しかし、こうした有名雑誌と組むことで、質が上がっていく可能性がありますね。
JCBの思惑は、多分、他のジャーナルと同じでしょう。NatureやCellから系列雑誌を順番に落ちてきたぐらいの比較的高品質の論文をすくい取るという目的でしょうね。ジャーナルのトップ集団から脱落しつつあるとJCB自身が感じているような様子です。果たして、どうなるのでしょうか。かつての憧れの雑誌がその人気を失っていくのを見るには寂しいものですね。しかし、世に変わらぬものはありません。雑誌も研究者も常に世の中に沿って変化することによって、自分というものを保っていく必要があります。随処に主となれば立処皆真なり、変わることによって変わらぬ価値を維持していく努力をしないといけない、と新ためて感じた次第です。
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日米連合軍と戦う沖縄

2016-05-24 | Weblog
3ヶ月待たされた挙句に、リジェクトのお知らせ。
この雑誌の専門分野そのものが衰退しているのが大きな理由ですが、この雑誌、10年前のインパクタファクターは、いまやほぼ半減しつつあり、より幅広く投稿を募るため、雑誌中身との名前の変更を考えているような状態だという話は聞いています。この論文、筆頭著者の人は移動し、追加実験はできず、という状態で、止むを得ず、いまの形で投稿したものです。10年前だったら通らない論文でも、雑誌の評価が凋落傾向のいま、多少レビューも甘くなっていればいいな、などと期待した私の考えの方が甘かったです。例によって、この雑誌も下位にオープンアクセスのオンライン雑誌を数年前に作ったようです。複数の中堅クラスのジャーナルと組んで、落ちてくる論文を拾い上げようとしているようですが、どうですかね。現在のところのインパクトファクターは2.5ほど、将来性があるとは思えません。

さて、もうほとんど興味のなくなったアメリカ大統領選、予備選も終盤に近づいてきました。このまま行くと、嫌われ者二人が争う構図になりそうです。トランプは共和党主流派とリベラル、良識派から嫌われている一方、クリントンは一般市民から嫌われているような感じです。このまま本線になって、共和党が一枚岩となれば、トランプ大統領はかなりあり得る話です。共和党主流派も、いくらトランプが嫌いでも自党の政権を犠牲にする気はないし、勝てそうな馬なら好き嫌い抜きに賭けるでしょう。これは民主党でも同じことです。みんな自分が可愛いですから。

私が興味を持っているのは、サンダースの動向です。いくら巻き返してきたとはいえ、super-deligateの多数をクリントンが抑えてしまったような状況で、ここから民主党候補になる可能性はほぼ無いでしょう。クリントンが指名を確定した後で、サンダースがどう動くのか、という点に興味を持つ人は多いと思います。
これまでの政権がやってきた「金融と戦争で世界の一般市民を犠牲にしてアメリカ経済を回す」というやり方に大勢のアメリカ人はうんざりしており、クリントンであれば、現路線が続くであろうということを人々は予想しています。それがサンダースの支持やトランプの支持につながっている訳です。しかし、最終的にどちらが勝つかは経済状況に依存します。なんとなく生活が上向きと国民が感じておれば、現状維持を望むわけで、クリントン、逆であればトランプ(もしくはサンダース)に票が流れるということになります。

さて、民主党予備選でクリントンが予想通り、指名を獲得した場合、サンダースにクリントン支持を求める説得が始まり、最終的にサンダースはクリントン支持を表明することになるでしょう。
落としどころは、クリントンがサンダースの要求をかなり飲むことを約束し、サンダースにそれなりのポジションを用意する。そのかわりに、サンダースはクリントン政権下でも彼の政策を最大限に果たせるように努力すると支持者層を説得して民主党票を確保する、ということになるのでしょうね。

ま、ありえないですが、野次馬的には、サンダースが党を割ってしまえば面白いとは思います。最終的にクリントンでまとまった時に、クリントン支持を表明するサンダースの演説がどういうものになるのか、興味があります。

もう一つ、繰り返される沖縄の駐留軍による市民への暴行、何度、沖縄はこの屈辱と苦しみを味わわねばならないのか、と対米隷属主義で沖縄米軍基地を恒久化しようとしてきた日本政府に対する県民の怒りは、再び、沸騰しつつあります。この事件に関して、翁長知事は、わざわざ上京し、アベ氏と会談。

東京新聞から
沖縄県で米軍属の元米海兵隊員の男が女性の遺体を遺棄した事件を巡り、安倍晋三首相と翁長雄志(おながたけし)知事は二十三日午前、首相官邸で会談した。翁長氏は会談で「基地があるゆえの犯罪だ。許せない」と憤りを示した。二十六日からの主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて来日するオバマ米大統領と、自らが直接面談する機会を設けるよう首相に求めた。
 翁長氏は会談で「再発防止や綱紀粛正という言葉を何百回も聞かされてきたが、現状は何も変わらない。大きな憤りと悲しみを禁じ得ない」と強調した。
 同時に「安倍内閣はできることはすべてやるというが、できないことはすべてやらないという意味合いでしか聞こえない」と政権への不信に言及。「地位協定を改定しなければ日本の独立は神話と言われてしまう」と、在日米軍の法的地位などを定めた日米地位協定の見直しも求めた。
、、、、
 会談に同席した菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、翁長氏とオバマ氏の面談に関し「一般論として言えば外交は中央政府で協議するのが当然ではないか」と慎重な姿勢を示した。
 

その政府が何もしようとせず、沖縄を意図的に見殺しにするから、県知事みずから直接アメリカと対話をしてきているわけでしょう。テマエの無能を棚に上げ、弱いものイジメをしてきたくせに、何の反省もない、このアベ政権の言い草は何なのでしょうか。そもそも、リテラの記事によると、この事件は、政権を慮った上層部にあやうく握りつぶされるところだったそうです。

沖縄の米軍女性殺害事件で本土マスコミが安倍官邸に異常な忖度! 読売は「米軍属」の事実を一切報道せず
「沖縄県警はすでに、事情聴取段階で相当な証拠を固めていた。ところが、県警内部で、捜査に圧力がかかっていたようなんです。安倍官邸の意向を忖度した県警上層部が『オバマ大統領の訪日前でタイミングが悪すぎる』と、言いだしていた。それで、このままだと、捜査を潰されてしまう、と危惧した現場の捜査関係者が琉球新報にリークしたということらしい。つまり、新聞に報道をさせて、既成事実化して、一気に逮捕に持って行こう、と」(在沖縄メディア記者)


そして、アベ政権と言えば、案の定、「首相、地位協定改定に消極的」という報道。
安倍晋三首相は23日の参院決算委員会で、元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性遺棄事件を巡り、沖縄県の翁長雄志知事が求めた日米地位協定の見直しに関し「相手があることだ。実質的に改善を積み重ねてきたところだ」と述べ、消極的な姿勢を示した。26、27両日の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて行うオバマ米大統領との首脳会談で、再発防止など厳正な対処を求め、沖縄側の理解を得たい意向だ。政府は、翁長氏が求めるオバマ氏との面会も困難との認識だ。一方、県内の政党や企業でつくる「オール沖縄会議」は事件に抗議する「県民大会」を6月19日に開くと決めた。


上(アメリカ)には、あくまでも腰低く、下(日本国民)に対しては尊大、植民地の傀儡政府なのはわかっていたこととはいえ、それにしても腹立たしい。アベ政権の態度は不誠実極まりない。
私、何の力もありませんが、翁長知事の味方です。
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言って悪い冗談

2016-05-20 | Weblog
今日は、ステムセル関連研究の年に一度のリトリートに参加しています。その空き時間に書いています。私は別にステムセル研究者ではないのですが、ゲストスピーカーがそれなりに豪華で、別の分野の最新動向を知ったりできるので、このリトリートは数年前から楽しみに参加しています。食事つきで、しかもタダというのも大きいです。

ステムセル業界も、もともとの建前が細胞ベースの再生医療を開発するという所を目指していますから当たり前ですが、臨床応用、いかにビジネスに結びつけるか、という議論がこうした会でも大きな部分を占めるようになりました。基礎的研究をする方にとってみれば、技術開発よりもBiology的な発見をする方により興味があるので、こういった話はあまり面白くないです。ま、個人的な感情ですが。

好き嫌いに関わらず、トランスレーショナル的な部分を多くの基礎研究が含むようになってきているのは事実ですし、良い悪いではなく、それが世間の興味とニーズである以上、それに応えていかねばなりません。

それで、最近は、標的分子の阻害薬のin vivo deliveryなどのことをぼんやり考えています。こういった薬関係の分野には全く興味がなかったので、無知でしたが、多少調べてみると面白いです。膜透過性環状ペプチドを使って、核内分子の機能を細胞特異的にin vivoで阻害できないだろうか、などと夢想しています。今の所、ど素人の思いつきに過ぎないわけですが、こうした薬理学、化学、工学的な研究分野と、われわれがやっている分子遺伝学、細胞生物学的分野のクロスオーバーというのは必然的なもので、最近は、トップクラスのラボから出るハイインパクト論文の多くが、こうした複数分野の専門家を巻き込んだ共同研究である場合が多いです。実際、ひと昔前なら、核内ターゲットというだけでundruggableと一顧にもされませんでしたが、最近は、透過性ペプチドを使っての核内蛋白の阻害は少なくともin vitroでは可能です。この辺のdrug deliveryの最新の研究の一部のおこぼれを私も頂きたい、などと夢想しております。

というわけで、今日は大した話題はありませんが、二つだけ。

大学時代のとある教授は、質問に学生がトンチンカンな回答をすると「冗談には、言っていい冗談と言って悪い冗談がある、今のは悪い冗談だ」と笑いつつたしなめたものです。
しかし、アノ方の言う冗談は、笑えません。

先日、国会という「立法」の場で、内閣総理大臣という「行政」の代表のアノ方が次のように言って、人々を呆れさせました。

「山尾さん、議会の運営を勉強してくださいよ。議会では私は立法府の長ですよ」

以下、ネットの反応。
凄い、本当に言ってる。 このおぢさんは三権分立を知らんのか?それとも私が知らない間に国の仕組みが変わったのかしら??
中学で学ぶ三権分立も分からんバカ朕が総理大臣にまでなってしまう世襲政治を何とかしないと、日本に未来はない。
安倍総理が16日の予算委員会で「私は立法府の長であります」と発言した後に「山尾議員は議会の運営ということについて少し勉強した方がいいと思います」という自虐ギャグを披露する
安倍氏が「私が立法府の長だ」と言ったとか。この人、本当に頭がおかしいんじゃないかしら。あなたは行政府の長でしょ! それとも三権分立を認めてない?
人に「勉強しろ」と言った直後のこの発言の面白さ(笑)
すごいですねえ 日本の総理は行政府の長であるばかりか、立法府の長ですか。独裁者として君臨すると、こうも傲慢になるんですね。


もう一つ。
政官財と結託してメディアをコントロールする広告会社、世界の「電通」の不祥事。パナマ文書で税金のゴマカシが暴露されたと思いきや、こんどは東京オリンピック招致での買収、派手にやってます。それでも、おとがめなし? いや、キョーレツですな、アベ政権率いる現代日本。利権に優しく民には厳しく、、。国語、社会、経済算数、ついでに核科学は、落第点なのに、ゴーマン度だけは満点、、、というところですか。

いずれにせよ、東京オリンピックは中止にするのが筋だし、多数の都民、日本国民のためでしょう。インフラの関係上、もう一度ロンドンでオリンピックですかね。
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Natureのない世界

2016-05-17 | Weblog
遺伝子操作を使わず、低分子化合物だけを使ってiPSを作る技術がしばらく前に開発されていますが、そのprotocolを調べている間にNature Publishing Groupからでている「Cell Research」という細胞生物学雑誌があることを知りました。知らない雑誌だなあ、新しいNatureビジネスなのかな、と思って、そのホームページに行ってみると、そこの示されているインパクトファクターは12.4とあり驚きました。細胞生物学のリーダー的雑誌であるJCBを凌駕し、同じNPGが出しているNature Cell Biologyにも迫らんばかりの勢いです。

にもかかわらず、この雑誌の名前は私にとっては初耳です。いくら細胞生物が専門ではないとはいえ、ウチの分野でもインパクトのある仕事がJCBやNCBに出ることもあるので、それほどインパクトの高い雑誌なのであれば、名前を聞いていても良いはずです。

雑誌の中身をチラリと見てみました。9割以上が中国人著者です。調べてみると、これは中国の科学アカデミーの関連雑誌で、NPGが出版を請け負っているのだということが分かりました。成る程、と思うと同時に、コレってどうよ、と思いました。雑誌のインパクトファクターとその雑誌に載る論文の質はしばしば乖離がありますが、それでも投稿者は良い仕事はインパクトファクターの高い雑誌に載せたがるわけで、だからインパクトのある仕事は大抵インパクトファクターの高い雑誌に載って、我々の目に触れるということになります。しかし、この雑誌の名前は聞いたことがありません。ということは、少なくともウチの分野でインパクトのある論文がこの雑誌には載ったことは多分ない、ということ示していると思います。

想像するに、これは中国の国家レベルの科学振興策の一環としてのインパクトファクター操作でしょう。中国人研究者に対して、この中国科学アカデミー雑誌の論文をできるだけ多く引用するようにという指令がどこかから出ているか、何らかのインセンティブがあるのではないでしょうか。自身の仕事の引用を増やすために自己引用するとかはよくあることですけど、多分これは、中国の国際科学会への影響力を増大するための中国の学会レベルのマニピュレーションではないかと想像します。

そういえば、戦後の日本経済の発展は護送船団方式と呼ばれました。国家レベルで国内の産業の競争をコントロールすることで、日本全体としての産業の発展を達成しました。中国の研究界も、ひょっとしたらそういうことでしょうか。中国の研究レベルを全体として上げることを目的に、個々の研究者に細かい指導が入るのかも知れません。ま、気持ちは分かりますけど、雑誌のメトリックスは研究者にとっては無視できない数字であり、論文内容と掲載雑誌のインパクトファクターはある程度、相関性を保ってもらいたいと個人的には思います。

加えて、NPGにもちょっと問題があると思います。近年のNPGのビジネスのやり方は多くアカディミックでの研究を発表する場を提供する会社としていかがなものか、と思います。実際、少なからぬ著名研究者が、Nature、Cell、Sceineceの編集方針に異議を唱えて、これらの雑誌には投稿しないと明言しておりますし。

ま、商業雑誌ですからビジネスで、まずは健全な経営が優先するのは分かります。しかし、論文出版は、研究者にとって非常に大切な研究活動の一部です。カネになりそうな流行りのネタを優先していく編集方針が、結果としてアカデミックでの研究動向を左右します。出版は研究者にとって非常に大切であり、研究資金の獲得に大きな影響を及ぼします。研究者も流行に沿った研究をある程度やらざるを得ないのですが、その流行を簡単に作り出す力をこれらの雑誌は持っております。まるで焼畑農業で次々に耕作地をかえていのように研究分野そのものが流行り廃れするという傾向を助長しているのではないかと思います。

現在、Cellの姉妹紙やScienceの人気が低下傾向にある一方で、どうもNature系列は一人勝ちの様相を呈しつつあります。PLoS Oneの商業的成功に触発されてか、上位タイトルには届かないが比較的高品質の論文の受け皿となる関連雑誌を作って、論文を系列雑誌に取り込むというやり方を多くの雑誌がやり始め、この数年で雑誌の種類は急激に増えました。Nature系では、Nature Communications、その下にSceintific Reportsと二段構えです。Cell系はCell Reports、Cell Stem Cellの下位雑誌としてStem Cell Reports、JCIはその下にJCI Insightなどなど、有名雑誌出版社からの新興雑誌がどんどん増えて、その評価が追いついていません。そこに大量の中国などからの論文が流れ込むのですが、レビューシステムはそれに対応できませんから、このやり方はある程度のところで成り立たなくなるのではないかと思います。

そのうち、Peer Reviewで商業雑誌にカネを払って、研究成果を広めるというやり方そのものが崩壊するかも知れません。レビューが容易でない数学などの分野にならって、最近、コールドスプリングハーバーがやりだしたBioRxivのような、Publication firstの発表方式は、悪い試みではないと思います。

今や、オンラインの時代で出版コストは低くなり、情報の効率的な分配も極めて容易になりました。科学研究の発表に出版社が必要でなくなる時代は遠くないと感じます。
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抜け穴に嵌る

2016-05-13 | Weblog
税金を納めるのは国民の義務であり、税金をごまかすのは重罪だと我々は教わってきました。
社会に出て働き始めたころ、夏の休暇に過疎地の応援に行ってそこそこの臨時収入を得たことがありました。当時の部長から、必ず収入は申告するようにとお達しがあり、真面目に申告したら、かなりの額を源泉徴収されていたのにもかかわらず、さらに追加で徴収され、結局、臨時収入はほとんど税金に消えたことがありました。
そのときは税務署の人は、市民から公平に税金を集める助けをしているのだろう、とナイーブに考えていたのですが、後々、振り返って、どう見ても経費として計上できる部分も、認めてくれていなかったり、他の人の話を聞いたりして、ああ、税務署というのは、市民から金をで少しでも多く取ることを目標として動いている機関なのだと理解を改めました。

アメリカでは、(権力を持っている)国家をUncle Samと呼びますが、税金シーズンは明らかにUncle Samは個人の財産を狙う悪役として描かれることが多く、うまくUncle Samから合法的に逃れるためのコツなどを指南するサイトが多く見られるようになります。ここでは、納税者と徴税者は敵どうしです。

しかし、かといって、税金は国民生活の保護にも本来必要なもので、みんなが税金をごまかすようになれば、水も止まれば、下水も流れず、道路も通れなくなる、と様々な不便が出てきます。

税金をゴマかす人と、税金を不正に使う人、どちらもどちらですが、どちらに対しても私は寛容な気持ちになれません、というのは、そういった行いは正直で思いやりのある普通の人々をバカにする行為であると感じるからです。

いうまでもなく、理想の社会は善意のある人々がお互いを尊重し、思いやるような社会でしょう。その一方で、人間個人にとって、自分自身が一番大切であることは当然です。その個の尊重を社会のレベルに広げていく、個にとらわれている視点を他にも広げていく、すなわち他人を思い測れる想像力を育てていくことが、人間としての成長であり、それを社会的レベルで達成していくことが人類の目標であると私は思っております。

しかるに現在ではまだまだ、自分が一番大切だから他人を利用したり傷つけたりするのは仕方がない、という考えは世界の多くの所では常識でであり、むしろ自分のために他人を利用することは「かしこい」ことだとさえ考えるようなレベルの人々も大勢おります。和を尊ぶ日本ではそのような考え方は嫌われてきました。自分が大切だから他人も等しく大切である、と考えるのが、一段上の視点から見れば当然の考え方です。

税金をゴマかす企業、増税して、ハコモノを作って天下り税金を自分の資産に付け替える官僚組織、その手先になっているアベ政権、彼らがやっていることは、人々の不利益と引き換えに自分の利益を増大させることです。総じて精神レベルの高い日本人のことですから、「多く税金を納めるぐらい儲けさせていただいてありがとう、この税金を社会に役立ててください」という企業や、「税金納めていただいてありがとう、おかげてみんなが助かります」と考える役人も少なからず存在するとは思います。しかし、あいにく、中には「キレイごとばっかりでは生き残れっていけない、世の中、沈むヤツがいるから浮かぶヤツがいるのだ」と考えるような人々も多数おります。残念ながら、組織としては「悪貨は良貨を駆逐する」との例えの通り、結局、最も低いレベルが基準となっていってしまうのでしょう。

企業が生き残っていく上で、許される範囲で節税のテクニックを使うのは当然だと思います。しかし、明らかに日本で商売をしているのに資金を迂回して利益をゴマかし日本に払うべき税金を払わないというのは、正当なテクニックとは呼べないと思います。自らの利益のために社会に対する義務を積極的に回避しようとするようなセコい企業を私は応援したいとは思いません。自己の存続は何よりにも優先しますが、それはそのためには他人を犠牲にしたり社会に損を与える言い訳にはならないと思います。抜け穴に生きるものは抜け穴に嵌って死ぬことになるでしょう。

当分、私は、XXXXの服を買うこともないだろうしXXXXのビールも飲まないしXXXXの自動車を買うこともないと思います。
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恥ずかしい

2016-05-10 | Weblog
島国で同胞意識の強い日本人ですから、世界で活躍する日本人を見て、誇りに思うのは自然なことだと思います。「同じ日本人として」自分も頑張ろうと思えるのは素晴らしいことです。そんな日本人の一人、富田勲さんが死去とのニュース。

シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者で、音響作家としても世界的に知られた作曲家の冨田勲(とみた・いさお)さんが5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。、、、71年に渡米。米国で開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーを日本に紹介し、本格的な電子音楽の文化を広めた。74年、全パートの演奏と録音を一人で手がけたアルバム「月の光」を発表し、米音楽チャート誌のクラシック部門で1位に。その後も「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」といったクラシックの名曲を現代的な響きで「再創造」した。日本人では初めて米グラミー賞にノミネート。、、、


シンセサイザー音楽が日本で流行りだしたころは朧げに覚えております。随分昔、日本でシンセサイザーを売り出していたローランドが梅田にショールームを開き、まだコンピューター端末をコードでつないで操作するようなタイプのプリミティブなシンセサイザーなどを展示していて、そこは若者の溜まり場になっていました。それからYMOなどテクノと呼ばれる音楽が大流行しました。

一方、最近では、同じ日本人として、恥ずかしくて消えたい気持ちになることも多くなりました。いうまでもなく、あの方の話です。

安倍首相は独でなく日の超緊縮財政を是正すべし (知られざる真実)
ドイツのメルケル首相との会談では、ドイツによる財政出動の合意を得ることを目指していることを表明している。主要国による政策協調を安倍首相がリードするとの思い入れがあるのだとメディアは伝えている。ところが、安倍政権の足元にある日本経済は、とても他国に範を示すどころの状況ではない。、、、
つまり、安倍首相は日本の経済政策の現状さえ正確に把握することなく、他国に行って、他国の経済政策に注文をつけるという失態を演じているのである。、、、日本の経済政策が零点の状態にあるのに、他国の経済政策に注文をつけるのは100年早い。

小沢一郎事務所ツイートから。
安倍総理は先のロンドンでの記者会見で、「なすべきことは明確だ。アベノミクスの3本の矢をもう一度世界レベルで展開させることだ」と述べた。完全に意味不明であり、もはや何を言いたいか、何をしたいのか理解不能である。第一、このような会見が海外でどう受け止められただろう。とても心配である。


関して、EUに財政出動を説得する方法をノーベル賞経済学者に相談したことが明るみになったことに関する「東京新聞の先週の記事
、、、首相は、議長を務める伊勢志摩サミットで世界経済成長のために各国が財政出動で協調、との青写真を描く。難問は財政規律が厳格なドイツをいかに説得するか。それこそ首相の腕の見せどころのはずだがオフレコ部分は、そのドイツ説得のアイデアを請う場面だった。
 クルーグマン氏は「外交は私の専門ではないので…」とやんわりかわしたことも含め、会合の中身をツイッターで明かした。全体を公開したのは、氏が消費税増税に反対したことなど政府に都合良い部分だけを利用されたくないとの意思表示だろう。、、、


別にアベ氏の妄言に反応したわけではないでしょうが、今週、EU中央銀行は、あらためて財政出動の予定はない、と念押し。
ロンドン 9日 ロイター] - 欧州中央銀行(ECB)のコンスタンシオ副総裁は9日、ECBは包括的な景気刺激策を最近講じたばかりで、世界経済に大きな衝撃がない限りは追加緩和を検討することはない、との考えを示した。


ロシア訪問に関してのゲンダイの記事>
今回の欧州歴訪で安倍首相は、英独にも財政出動をめぐってテキトーにあしらわれた。「一生懸命やっている“演出”づくりに外務省もまいっている」(自民党関係者)というのが現実のようだ。


ま、これはゲンダイの記事で、例によって匿名の「関係者」の話ではありますが、私から見ても、独りよがりな空回りにしか見えないです。なのに、本人はなんとなく満足げなのが、恥ずかしいを通り越して気持ち悪い。

何と言えばいいのですかねコレ。官邸前のみならず訪問する世界各地で反対デモを起こされるほど嫌われて、世界のリーダーの誰からも相手にされていないのに、本人にどうもその自覚がないように見えます。多くの日本人が「同じ日本人として」恥ずかしいと思っている気持ち、どうやったら伝わるのでしょうね。
あるいは本人は全て承知の上でバカを装っているのでしょうかね。だと、タチが悪いですが。
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ラーメンかジンギスカンか

2016-05-06 | Weblog
先日投稿したところから、セミ アクセプトのお知らせ。エディターが一人のレビューアの無理筋の要求を上書きしてくれました。そのメールには、既に編集室の人が朱筆を入れた原稿が添付されていて、その手回しの良さに驚きました。流石に高い掲載料を取るだけのことはあります。

もう一本の論文は、投稿してから2ヶ月余り、放置の刑になっています。編集室に問い合わせたところ、一人のレビューアーがバックれたという話。よくある話です。レビューのような仕事は週末に回されるわけで、きっとこのレビューアも、最初は週末にやるつもりだったのでしょうが、気分が乗らないとか用事ができたとかの事情で一週間が経ち、二週間が経ち、三週間経ったところで多少の罪悪感に駆られはじめるも、どうしてもやる気にならず、もうこれはなかったことにしよう、編集室からの催促のメールも見なかったことにして、ひたすら貝になっていれば、相手もそのうち、あきらめるだろう、というパターンに陥ったに違いありません。気持ちはわからんではないですけどね。しかし、放置に生きるものは放置に死す、因果はめぐり、天網恢々、復讐するは我にあり、きっとアナタの論文も放置の刑に処されるであろう、と密かに思ったのでした。

論文のレビューと言えば、先月、引き受けた数本は、すべて某国の人が著者でした。一本はアメリカからで、それは余りストレスなく読めました。しかし、残りの本土からのは、一言でいうと、なってません。英語がおかしいのは目をつぶりましょう、科学的にどうよ、という点も議論はできます。味噌ラーメンと塩ラーメンを間違えるということもたまにはあるでしょう。しかし、ラーメン屋でラーメンを頼んだのにスパゲティーが出てきたりすると、流石にオイオイです。

こちらは提示されているデータから、その整合性をチェックした上で、論文に書かれているような結論を論理的に導き出せすことが可能かどうかを検討するだけのことですから、データそのものの適切性や誤りなどを評価することはまずできません。論文に書いてあることを信じるしかないわけですが、ラーメン鉢にあきらかにスパゲッティーが盛ってあったり、逆にラーメンがパスタ皿に乗せられていたり、ひどい場合は、出された物体の正体さえ定かでなかったりしたら、一体、何を信じていいのか、という気分になります。どうみてもスパゲッティーなのに太めのラーメンだと強弁するツワモノも稀におります。

時折見かける石のように融通の利かない西洋人も困りますが、ラーメンでもスパゲティーでも大した差はないじゃないの、とでも言わんばかりのこの国の研究者のテキトーさには、流石に真面目な日本人の私はムッとします。

人は人に優しくするために生きているのだ、とよく言われます。私も、厳しさよりも優しさ、狭量厳格であるより寛容であることの方が大切だと常々思っておりますが、私もメシの種にしている研究ですから、礼儀作法はそれなりに守ってもらいたい、と思うわけです。ま、しかし投稿してくる著者の方は、なんとも思っていないのでしょうね。そう思うと、勝手にムッとしている私がバカです。

そんな時に効くビデオ。この歌やその後の「モスクワ」が流行った大昔は、インターネットなどない時代で、曲はラジオでしか知りませんでした。最近、Youtubeで映像つきで再発見して、そのシュールさに感動しました。世界の色々な民族音楽を取り入れたディスコ調サウンドですね。どこの組織でも、しばしば、ろくに仕事もせずに踊っていたりするヤツがもっとも目立っていたりするものですね。

融通が利かない、真面目という印象の強いドイツですけど、これは強烈に効きます。楽しそうに歌って踊っているのがいいです。
敵がラーメンでくるなら、こちらはジンギスカンです。



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ピーマンかニンジンか

2016-05-03 | Weblog
ホワイトハウス記者クラブのディナー会で、オバマが共和党の大統領選予備選候に関して、トランプ、クルーズという候補者を念頭に、「肉も魚も嫌いだと言ったところで、それしか選択肢はない」と冗談を飛ばした、という話。続けて、来年のこの場には「彼女」が立つだろう、と暗にクリントンの時期大統領就任を示唆したそうです。
そういうことは言わぬが華、日本人ならそう思うでしょうね。

オマハの託宣、ウォーレン バフェットは「仮に、トランプが大統領になったとしても、うまくやっていけるだろう」と言ったそうです。ま、そりゃ、そうですね。実質的な大統領の権限など拒否権ぐらいのものでしょう。国のトップなど、所詮、祭りの神輿ですから。極東の某島国の首相に至っては、官僚組織に担がれて、振り付け通りに動いているだけですし。私もトランプが大統領になったところで、世界が劇的に変わることはないし、大きな目でみると、クリントンが大統領になって、これまでのようにアメリカ金融、軍需産業という (私から見れば)諸悪の根源を保護していくよりは、あるいはマシな結果になる可能性さえあります。

しかし、トランプを嫌悪する人々は多いでしょう。不動産投資といういわば"虚業"をもとに、ミスユニバースをやったり、テレビの司会をやったり、派手な成金ビルをマンハッタンに立ててみたりと、ポピュリズムを利用しつつ金持ちになった、俗物道を極めたような人物です(少なくとも私にはそう見えます)。札ビラで頬を叩くような真似も実際してきたわけです。そういう人物が、民主主義国家の大統領になりたい、と言えば、その動機は、まず間違いなくエゴセントリックな理由であって、民主主義とはそぐわないものだろうと、普通は思うでしょう。

そういう人が多く支持を集めるということは、ひょっとしたら、自暴自棄になった人々が、劇的な変化を求めて「絶望しつつある人々が戦争に最後の希望を見出す」というような状況になっているのではないか、と心配します。おそらく、実際は、どうしても選挙に勝ちたい共和党に、他にもっとマシでかつ人気の取れる人材がなかったということでしょうが。あるいは、冗談のつもりが真に受けられて、そのまま悪ノリして煽っていたら、勢いがつきすぎて、今更、引くに引けずという状況になったのかも知れません。

トランプとクリントンが本戦で戦う図を想像してみました。過去の大統領選でもっとも興のわかない大統領選になりそうです。嫌いな「肉と魚」の選択をするというよりは、メインコースがそもそも無いのに、つけ合わせをピーマンにするかニンジンにするかと、聞かれているかのようです。
クリントンだと先のことが、なんとなく読めるので多少、安心、という部分でクリントン有利でしょうが、究極の選択に近いですね。期待性の薄さという点では、16年前のアル ゴアとジョージ ブッシュを思い出させます。

どうせなら、ボルグ対マッケンローみたいなのを見たいものです。
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