百醜千拙草

何とかやっています

奴隷化政策としてのTPP  

2013-02-26 | Weblog
日米首脳会談と言えば聞こえは良いですが、実際は使用人の長がご主人様にご機嫌うかがいに出向くセレモニーです。ちょっと前は、プレスリーのモノマネまでしてご機嫌をとろうとした恥知らずもおりました。自民党政権になった時というか、ドジョウが官僚組織に丸め込まれたときから、TPP交渉参加は既定路線となりました。TPP交渉参加するということは、TPPに参加するということであり、TPPに参加するということは日本の保護産業は当然のこと、医療保健、法律サービスなどの社会の安定を保障するような部門まで、日本の法律を越えて、外資が介入してくるということです。アベ氏が総理になって、このことが半ば決定していたわけですが、今回のご機嫌うかがいで、それが正式に始まったということですね。まだ、実際の被害が目に見えるようになるまで、十年はかかると思いますけど、これで日本はますますアメリカ社会化が進み、貧富の差が広がって行き、社会の安定というものが失われ、人々はますます刹那的になっていくことになるでしょう。

首脳会談ではTPPについて「日米ともに2国間貿易上のセンシティビティー(慎重な検討を要する重要品目)が存在する」との認識で一致、米側から例外品目の可能性を引き出した。会談後には「交渉参加に際し、すべての関税撤廃をあらかじめ約束することを求められるものではない」とする共同声明も発表した。
 ただ、交渉参加には現参加国の承認が必要。米国は大統領が90日前までに議会に交渉開始を通知するルールがあり、3月に表明しても実際の交渉参加は6月以降となる。首相は農業支援策の策定や、短期交渉で例外品目を盛り込めるか手腕が問われることになる。


この記事書いた方もバカバカしいでしょうね。「例外品目の可能性を引き出した」とはどういう表現なのですかね。はあ?という感じですね。アメリカは自国に有利なように例外をもうけるのであって、日本が日本に有利になるような例外は認めません。そもそもTPPは日本の市場を食い荒らすのが目的ですから。だいたい「可能性」などいくらでも引き出せます。現に、私もたった今、グラント応募サイトに行って一億円のグラントが貰える可能性を引き出してきました。アホらしくて悲しくなります。

田中良紹さんの記事にもTPPの目的について端的に書いてあります。

そもそもTPPの目的はそうした品目の関税を撤廃する事にあるのではない。そうやってそちらに目を向けさせ、その問題解決にエネルギーをかけさせ、その隙に本来の目的を達成するのである。本来の目的とはアメリカ型資本主義に立ちふさがる国家資本主義を解体する事である。

国家に支えられた国営企業は公正な競争を阻害するとアメリカは考える。中国はWTO(世界貿易機関)に加入しながら国営企業を民営化せず、貿易競争を有利に進めている。その中国を真似て新興国までが国家資本主義を目指すようになった。共産主義に勝利したアメリカの次なる目標は国家資本主義を打ち負かすことになる。それがTPPの本来の目的であり、狙いは中国の国家資本主義の解体にある。


即ち、アメリカ型資本主義を世界に拡げて、階層の固定化を図り、支配者層の地位を安泰にしたいということでしょう。ついでにこの記事の中にある沖縄返還のアメリカの真の目的も興味深いです。返す返すも民主党政権の失敗は痛かったです。戦後最大のチャンスでしたが、志の低い連中のせいで自滅してしまいました。

TPPが中国の国家主義に対する政策であるという理屈はちょっとピンと来ませんけど、最終的には護送船団方式の中国経済を、日本のように解体して支配したいということではないかと思います。
 ま、少なくともアメリカがアジアで見ているのは日本ではなく中国であるのは間違いなく、全ての対アジアの外交政策は中国という国をアメリカがどう扱いたいのかというコンテクストにおいて解釈すべきであろうと思います。とすると、アベ氏のような反中体質でありながらアメリカ隷属主義のような人間と余り話はしたくないというのがアメリカの本音でしょう。だからこそ、ホワイトハウスの会議室で1時間ちょっと、出迎えも夕食会も何もない事務的な会談に終わったのだと思います。アメリカにはもっと重要な新しい相手がいるのです。日本が本当にやるべきことは、中国ともしっかりと連絡を取り合いながら、アメリカの機嫌を損ねないようにすることでしょう。アメリカはヘタをすると崩壊の危機にありますから、二股かけておくべきです。
 それにしても、アメリカが会いたくないと言っているのに、わざわざ押し掛けて行って、冷たくあしらわれて何がうれしいのか、理解に苦しみますね。それとも、中国と戦争になったときにアメリカが助けてくれるとでも本気で思っているのでしょうか。だとしたら第二次対戦のときのロシアが何をしたかを思い出してみればどうでしょうか。

それはともかく、アメリカ(というかその真の所有者)は、大多数の人間を奴隷化することを目的に資本主義を広めてきました。事実、アメリカ人の大多数は生きて行くために労働する労働マシンに過ぎなくなっています。日本でもそうなってきました。アメリカが前の戦争で、不必要な原爆を落として見せしめ、武器を取り上げて、二度と歯向かうことがないように徹底的に叩きのめして日本を奴隷化したように、現在は資本主義を極端に押し進めて、人々が奴隷階層から這い上がる気力も失せるまで、徹底的に格差を広げることを彼らは考えているのでしょう。

ただし、この方法でわれわれが奴隷化されるのは現在の通貨制度による奴隷制というシステムを無条件に受け入れる場合のみです。それに抵抗するには、カネへの依存度を減らすローカルな社会システムを作って行けばよいと私は思います。「共生の社会」ですね。現に、田舎では、昔から農作物などをじかに交換し合うような地域完結型の助け合いで、生活の通貨依存度を少なくしていますし、また地域だけで有効な限定通貨を作っているコミュニティーもあります(地域通貨全リスト)。地域通貨は素晴らしいアイデアであり、現在の通貨奴隷制を打破するための実際的方法だと思います。要は、カネは支配者が人をコントロールするための武器ですから、カネに依存しない部分を増やして行けばよいということです。そのためには「助け合う」小さな社会を作っていく必要があります。支配者の原則は分断支配です。通貨でモノをやりとりするというシステムは便利です。自分が助けてもらえるために人を助けたりする必要がありません。カネさえもっていれば欲しいモノは簡単に手に入ります。それが分断化、核家族化、孤立化を促進し、支配者側にますます有利に働きます。助け合い、支え合い、カネへの依存度を減らす、それが階層化された社会の奴隷階級から抜け出す道ではないか、と私は思います。日本人は高度成長期は、目に見えないカースト制の中で上のカーストに上がることを目指して、小さな時から塾にいってテスト勉強ばかりしてきました。バブル終焉以降、その階層が目に見えるようになってきて、下層にいる人間は階級を上がることを最初からあきらめるようになってきました。実際のところ、カースト制に参加している人間は、どの階級にあっても、皆、奴隷階級です。カネがないと生きていけない、カネがあれば何でもできる、そういうカネのアメとムチの両面を使って、人々はカネの奴隷とされてきました。そもそもカネには実態はありません。その束縛から離れることがこの戦争に勝つ道なのでしょう。

追加。
栃木で地震がありましたが、地震予測研究家の小林朝夫さんが数日前から、関東での地震を警告されています。26 - 28日の間に神奈川県西部で震度6-7の地震が起こるとのこと。日本は毎日どこかで小さな地震は起こっていますが、今回、栃木の地震があったので、念のため。
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原発解体産業

2013-02-22 | Weblog
ポータブルのパソコンをワイアレスにして以来、ウチの子供はすっかりテレビを見なくなりました。私も見るのは朝の天気予報ぐらいです。ニュースもインターネットでチェックするのでテレビや新聞のニュースは見出しぐらいしか見なくなりました。私は子供のころからテレビのある生活でテレビが主な情報源かつ娯楽であるのが当たりまえの社会に育ちましたが、テレビ放送は、はじまって実は60年ほどしか経っていません。それ以前はテレビがないのが普通の生活でした。テレビや新聞といったマスコミの時代は明らかに終焉に近づきつつあります。少なくともウチでテレビが点いている時間は激減し、世間にはテレビのない家も増えてきていると思います。それは、テレビ以上にインターネットを通じた情報や娯楽の方を人々が好むようになったという理由でしょう。私は若いとき、テレビのない生活を数年しましたが(ラジオは聞いていました)、たまにテレビを見る機会があると、視覚と聴覚を同時に刺激するように演出されたテレビは危険だと思ったものでした。テレビのない生活では、ラジオや音楽の音(聴覚)だけから刺激が入ってくるので、聞き流しながら色んなことを考えたり、本を読んだり、勉強したりするのが可能です。しかしテレビだとそうはいきません。視覚と聴覚の両方をコントロールされていますから。そして安易な刺激を求めてテレビを見る人々に、Subtleなメッセージを繰り返し流し込めば、容易に洗脳することもできるでしょう。事実、私はこの数年のマスコミ総出の嫌らしい小沢バッシングを見て、マスコミの本当の目的を知りました。同時に敵もなりふり構わず手の内を見せ始めたと思いました。多分、インターネットの発達でマスコミの洗脳が以前ほど容易でなくなったので、あせっているのでしょうが、逆効果ですね。手の内がバレてしまえば洗脳は効きません。これから、人々はますますマスコミ離れをおこすでしょう。
 インターネットで個人がいろいろなスタンスで発信する情報は大変貴重だと思います。数多くの人が、日本のマスコミが意図的に無視する海外のメディアの情報を翻訳して発信されています。ありがたいことです。今日は、しばらく前のフランスの媒体の記事の翻訳の記事をShigeko Hirakawaさんのブログで知りましたので、一部転載したいと思います。

フランス、競争に入った原発の廃炉・解体産業


フランスの大会社VEOLIA(ヴェオリア)が今日、原子力エネルギー委員会(Commissariat à l’énergie atomique/ CEA)と、CEA管轄下の発電所や研究所などの原子力設備の解体事業を受け持つことで合意し、調印した。…

VEOLIAグループ代表アントワンヌ・フレロ氏は「3、4年もすれば、年間3から4億ユーロの年収となる」と明言した。世界的規模で見ると、これから20年30年のあいだに、約300の原子力発電所を解体する計算となることから、フランス国内だけではなく世界市場へ必要不可欠、かつ、産業としても有望なものになると確信する。「フランスで役に立っていれば、世界市場でも必ず必要にされるようになる」とも。

VEOLIAはすでに福島第一原発事故で破壊された除染システムのかわりに、アレヴァ(ALEVA)と協力して汚染水の除染システムを導入した経験を持つ。(Les Echosの記事)


ということで、電力の大部分を原発に依存するフランスでさえ、原発は終わった技術であり、原発解体する方向に動くと考えているということではないでしょうか。原発利権の次は原発解体利権です。解体が安全に進むのであれば、原発利権より解体利権の方がマシですね。原発利権で甘い汁を吸ってきた連中が今度は解体利権で汁を吸い続けることになるのかも知れません。そうだとしたら、自分で点けた原発の火を自分で消す、これこそマッチポンプですね。近い将来、世界的な動きになるであろう原発解体事業にむけて、日本もバスに乗り遅れては利権を外国にもっていかれますよ。安易なバブルを誘うアベ氏の経済政策ではなく、原発推進ではなく解体事業を国家が主導し、解体技術を開発し外国に売る、経済成長うんぬんというのなら、これで経済成長を図りましょう。
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チェルノブイリ再び

2013-02-19 | Weblog
随分前にロイブキャナンというブルースギターを弾く人の「メシアが再び」という曲がヒットしました。メシア、キリストの再臨を信じることが基本的にキリスト教のコアになっていると思います。キリストの再臨によって世界は救われるが、それまでに、間もなくやってくるであろう第三次世界大戦やイスラエルでの最終戦争ハルマゲドンなどで世界は荒廃し、さまざまな苦難を人類が受けることになると考えられています。思うに、人類の苦難はすでに始まっています。ヒトラーの予言だと2014年にヨーロッパとアメリカの1/3が荒廃するとありますから、本当だとすると、これは中東、イスラエル周辺が火元となってロシアとアメリカの核戦争(第三次世界大戦)が来年にも起こるということを意味しているのかも知れません。

そして、メシアが再びやってくる前に、早くもチェルノブイリが再び危険な状態になってきているようです。
チェルノブイリ事故の後、放射性物質拡散防止のためにコンクリートで原子炉周辺を固める石棺と呼ばれる処置がなされました。確か数年前に、その石棺の老朽化で新しい石棺を作る必要があって工事をしていたが、巨額のプロジェクトで財政難で工事が中断していたという話を聞いた覚えがあります。ウクライナ政府はフランスなどの近隣国に資金援助を要請していたはずですが、資金繰りは思わしくなかった様子でした。
そのチェルノブイリの石棺が一部、崩壊したというニュースを下のブログで知りました。

フランスねこのNews Watching

チェルノブイリの石棺、雪で倒壊―80名が避難、放射性物質拡散の危機再び/ルモンド紙(2月15日)

1986年4月26日に起きた史上最悪の原子力事故、チェルノブイリ原発事故から27年が経った今日、ウクライナの首都キエフ市から140キロの距離にある同原発4号機に新たな危機が訪れた。2月12日(火)午後、チェルノブイリ原発の原子炉に隣接する石棺の屋根と壁の一部分が倒壊。1986年、緊急事態の中で急遽建設されたコンクリート製石棺の倒壊は、他の部分にも広がる懸念がある。石棺の老朽化を理由に始まった新たな石棺の建設に関わる関連企業関係者約80名はこの日、現場から避難を行った。

ウクライナ共和国の原子力規制当局から寄せられた情報と画像によると、石棺にはおよそ600平方メートルにわたり陥没。原子力規制当局は石棺が雪の重さに耐えられず倒壊したことによる「些細な事故」と述べている。今回倒壊したのはタービン建屋の関連部分で、内部に閉じ込められた放射性の塵が外部に漏れだす危険がフランス放射線防護原子力安全研究所からも指摘されている。又、倒壊がドミノ式に進めば、190トン近い使用済み燃料が残っているとされる原子炉の覆いまでが崩れる危険性がある。ウクライナの環境市民団体は同国政府が速やかな情報公開を行っていないことに対し懸念を指摘した。


事故収束から30年もたたないうちに、終わったはずの事故から、また危機が訪れました。核種によれば、何万年という半減期があるわけですから、これらの放射性物質を半永久的に管理しつづけないといけません。国に人もカネもあればそれでも良いでしょうけど、ウクライナのようにソ連時代に作られた「負の遺産」を小国に分裂した後も背負って行かねばならなくなった国は困るでしょう。ウクライナだけの話ではなく、チェルノブイリの問題はヨーロッパを広範囲に巻き込むことになりますから、ヨーロッパ諸国はいやでもチェルノブイリを放っておくことはできなくなります。原発のある所はどこでも同じですね。日本でも、フクシマ事故が仮に一定の収束を迎えた後も、何百年に渡って持続的な管理が必要になりますが、近い将来予想される少子化と経済危機の中で、事故後の原発が長期に管理できるのか誰も知りません。キリストの再臨を期待するしかないのかも知れません。
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変化の兆候?

2013-02-15 | Weblog
12日はオバマのState of the Union Addressがありました。直接、聞いていませんけど、興味があったのは3月に迫っている歳出強制削減についてどう言うかでした。アメリカの国防、研究、教育、さまざまな部門での歳出をほぼ一律に5%以上カットするという乱暴なやりかたで、財政赤字に対処するという共和党のアイデアです。私は、議会制民主主義は殆どただの芝居だと思っているので、共和党が前回に赤字上限を上げることに同意した際に出してきた歳出強制削減も、結局は形だけやったふりをするだけに終わるであろうと思います。ちょうど、数年前に日本の民主党がやった事業仕分けみたいなものですね。だいたい5%の歳出カットしたぐらいで、積もりにつもった赤字に対しては焼け石に水です。諸悪の根源は中央銀行です。そもそも無から作ったカネを貸し出して利息を取るという悪どいことをやって儲けている連中が悪いのです。
 そういえば、日本も次の総裁を巡って、日銀の独立性がどうとかいう話をしていました。日銀は建前上、単なる上場株式企業にしかすぎず、その大株主は外国の金融マフィアで日本政府が保有する株はごく一部です。日銀こそ完全に国民の監視下に置くべきです。アメリカでも同じことで、ナゾの民間銀行であるFRBから金などの裏付けのないただの紙切れに過ぎないドルなり円なりを政府がわざわざ買うという時点ですでに詐欺です。
 とにかく、オバマは歳出強制削減には慎重であらねばならないという消極的な見解を示し(当然ですが)、今後、3月の末、アメリカ政府の金が無くなるまで、議会で共和党とチャンバラごっこを繰り広げることになるのでしょう。
 こうして、国民の不安を誘い、市場を揺さぶって、焼け太りするのが連中のいつもの手です。3月1日に強制削減はたぶん一旦施行され、国民のパニックに乗じてカネもうけをするのでしょう。そして3月末までにまた新たな妥協案がするすると出てきて、強制削減は解除されるという筋書きになると思います。民主党と共和党のチキンレースみたいに見えますけど、落としどころは決まっているので、実は単なる条件闘争というのが本当なのでしょうね。

その後、バチカンのローマ法王が老齢を理由に辞任するというニュースを聞きました。11億人といわれるカトリックの総本山、バチカンについては数々の陰謀論が昔から渦巻いており、今回の辞任理由に関してもさまざまな憶測が飛び交っています。この辞任と次の法王に関して、浅川嘉富さんが書かれた興味深い記事を見つけましたので、一部転載します。これを読んで、ひょっとしたらアメリカの財政危機はただの芝居で終わらないかも知れないと思い出しました。

さらに近づいた「世の出直し」

私が法王退任のニュースで驚いたのは、終身制のローマ法王が自ら辞任したということだけでなく、「聖マラキの予言」が頭によぎったからである。マラキと呼ばれる人物は1094年にアイルランドに生まれ て若くして司教に登用され、その後大司教としてキリスト教伝道に大きな貢献のあったカトリック教の大司教 であるが、彼は12世紀のケレティヌス2世以後の112人のローマ法王の特徴を、ごく短いフレーズで言い当てている人物として有名である.
....

問題はこのマラキ大司教が残した「聖マラキの預言」と呼ばれる書では、112番目の法王がローマ教会の最後の法王となっていることである。つまり、現在の「オリーヴの栄光」と呼ばれるベネディクト16世の後を継ぐ新たな法王の在職中に、ローマ法王庁は終わりを告げることになるというわけである。

その点について聖マラキの預言では、次のように述べられている。

「ローマ聖庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが法王の座に就く。 「ローマ人ペテロ」は多くの艱難の最中、子羊を司牧する。この苦難が去ると7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される。おわり」

大司教マラキの残された預言が正しいものなら、これから登場する「ローマ人ペテロ」と名指しされた112代目の法王は、ローマ法王庁の最後の法王として、フリーメーソン系の人々に乗っ取られた法王庁の中で孤軍奮闘し、子羊たちに真のキリスト教の教えを広め、ローマを追われる法王となる運命を担っているようである。

最後の111、112代法王の時代には、反キリストのマイトレーヤが登場して裏で人々を惑わすという説もある。いずれにしろ、この最後の法王 「ローマ人ペテロ」は多くの艱難に遭遇することになるようであるが、その最後には7つの丘、つまりローマの町は崩壊し、人々にはかってない厳しい審判が下されることになるようである。

この審判の対象となるのは、イエスが説いた教えから大きく逸脱した教義を世に広めたローマ法王庁の人々だけなのか、それとも、その誤った教えを信じ続けてきた 多くのキリスト教徒もその対象となるのかは判然としないが、12億人を超す 信者を持つキリスト教会の混乱は、世の中を騒然とさせることは間違いなさそうである。

因みに、「7つの丘の町」とはローマではなくニューヨークを指す言葉であるという説もある。この考えに立てば、間もなくして、賭博場と化したニューヨークのウォール街で為替や株式を扱って世界の金融市場を動かしている人々に鉄槌(てっつい)が下ることになるのかもしれない。イエスがゴルゴタの丘で糾弾したのは、貨幣の兌換を商いとしていた人々であったからである。


7つの丘がニューヨークというのは興味深いです。カネをつかって人間を奴隷化している金融マフィアは無論、フリーメーソンの側です。「New World Order」を打ち立てるという彼らの野望が本当だとしたら、その計画に狂いが出てきたという兆候なのかも知れません。資本主義もほぼ行き着くところまでいきつこうとしています。最後のローマ法王の時代に中央銀行制度に基づく貨幣経済という一大搾取システムが崩壊するという意味なのかも知れません。もしそれが起これば、世界はとんでもない混乱に陥るでしょうが、それはより良い人間らしい世界を実現するために必要なことだと私は思います。
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将来の衝撃

2013-02-11 | Weblog
ちょっと物理的、精神的に忙しいです。まだ書き物が続いていて、なかなか実験に戻れず、ストレスが溜まります。

まっちゃんのブログの中の記事から、東北の医師を対象とした調査で2割近くの医師が体調不良を訴えており、福島県では震災前の3倍にのぼるというニュースがありました。どこまでが震災の影響で、どこまでが放射線被曝の影響かわかりませんが、いずれにしてもかなりの数値です。
福島沖でとれた魚から142000 Bq/Kgという高濃度セシウムが検出されたというニュースもあります。セシウムだけでこの数字ですから、有害な放射性物質の総量はかなりのものでしょう。もう放射能を避けて生きて行くことはできなくなったようです。体調の悪いのが正常な世の中になってくるのでしょう。今日も福島第一の二号機の温度は上がり続け、大量の放射性物質が放出され続けています。何万ベクレルの放射性物質が食品から検出されたという話が日常茶飯時となり、日常に茶を喫し飯を食むごとに放射性物質が体に蓄積されていくことが自然の状態になるのでしょう。
 将来的にはオイルや原子力に頼った発電はなくなり、振動や太陽光を使った発電に変換されるだろうという話を聞きました。あいにく、そこに達するまでの数十年の間に日本の人口は激減し、現人口の1 -2割ぐらいになっているだろうという予測もあります。人口が減って、エネルギーがタダ同然になれば、人はカネを得ることに価値を見いださなくなるだろうと考えられます。安い労働力(奴隷)を求めて世界に進出する資本主義はやがて終焉を迎えるでしょうが、これが歴史的必然として社会主義に向かうかどうかはわかりません。小さなローカルコミュニティーの自給自足的社会が数十年後の将来の姿になるだろうと私は想像しています。政府は必然的に小さくなり、経済規模も極端に縮小するでしょう。

産業革命以後のこの百年余りの間に、地球の人口はかつてないレベルへと極端な爆発的な増加をおこしました。結果、地球の環境は破壊され汚染され続けてきました。人口が減ることは問題の根本的な解決ではあり頭では理解できることですが、持続的な人類の繁栄を自明のことと思って組み立ててきた社会制度に生きる私たちは、ある時点で大きな衝撃を耐える必要がありそうです。
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原発情報、ゆるすということ

2013-02-08 | Weblog
グラントようやく終わりました。と思ったら、論文がリジェクトされて返ってきました。今度はレビューアまではいきましたが、リジェクトするためにこじつけたかのような余り建設的でないコメントしかもらえず、がっかりしました。5分ほど落ち込んでから、次の雑誌への投稿準備を始めました。前回は編集室で突き返されて10分落込みましたが、今回はレビューまで回り、落ち込みも5分でしたから、進歩しています。次は通るような気がしてきました。

ところで、気になる福島原発の情報をなかなか得ることができません。マスコミは多分、意図的に報道を避けていますし、官邸前デモの規模もかなり小さくなってしまったと聞いています。しかし、今の日本で、この原発事故以上に重大なことはあるのでしょうか。本来、国の政治力を動員して、被害者の救済と、原発事故の収束に全力を傾けないといけない状態なのに、この国の政治家は、まるでこの国家の滅亡のかかっている重大事があたかもなかったかのように見て見ぬふりをしているようにか思えません。心から思いますけど、今の日本はもう一度、アメリカに占領してもらって、GHQに政策を決めてもらう方がましだと私は思っています。福島の現場で命をかけて、事故の収束に向けて働いている人々の犠牲を、この国の政治家や東電の管理職の連中は理解しているのでしょうか。原発事故のせいで故郷の土地を追われて住処も職も失った人々のことを少しでも考えているのでしょうか。すくなくとも今の首相はことの深刻さを本当に理解しているとは思えません。

原発関連の情報は東京新聞とかを除くとマスコミは役立たずで、個人のウェッブサイトなどで断片的に知ることができる程度です。原発情報をとりあげているまっちゃんのブログでは、放射能汚染がかなり広範で、汚染食材や汚染がれきなどを通じて全国に汚染が広がって行っている様子が読み取れます。
最近のエントリーで知ったこのニュース、ちょっと驚きました。


法令では100Bq/kgを越えると放射性廃棄物として管理対象になるようですけど、この話だと、最大8000Bq/Kgという超高濃度放射能汚染物質を使って食料生産のための肥料を作るのだそうです。それでできた食料食べても大丈夫とは思えませんが。放射能汚染食料はすでに全国に流通しているようです。安いですから業者が買ってこっそり流すのだそうです。チェルノブイリでももっとも健康被害を受けたのは、放射線の影響を過小評価したり、あるいは放射性物質の健康被害について余り知識のない人々でした。あと数年もしないうちに健康被害が全国で顕在化してきてくるのではないかと心配しています。責任所在もはっきりしているのに誰も責任をとらないで被害者が泣き寝入りするいつもの日本のパターンがかつてなかった規模で起こるのではないでしょうか。

それから、先日の体罰と従軍慰安婦に関するエントリーに関してコメントをいただきました。これらの許し難い行為に対して、どう対処するか、水に流すのか、認識して許すのか、あるいは怒り続けるのか、現実には難しい問題ですけど理論的には答えは簡単です。その罪を認識し、それが繰り返されないように対処を講じた上で、許す、しかありません。ケネディーも「敵を赦せ、しかし、その名を忘れてはいけない」と言っています。そういえば、英語でも「水に流す」に近い表現はありますね。「Water under the bridge」イメージが似ています。しかしながら、人間は感情の動物ですから、理屈で感情を押さえることは困難です。怒りがおさまらないのなら理性でおさめようとするのではなく、怒りを惹起する考えを捨て(忘れる)しかありません。前にも触れましたが「怒り」は猛毒です。怒りはそれを感じる方に悪い影響があります。

先日、15年ほど前にあった少年殺害事件の犯人の出所願いに関して、殺された子供の父親が犯人に対していまだに激しい怒りを見せているのを見ました。その気持ちはよくわかります。この人は自分の子供が殺されて15年たった今も、深い心の傷を負って苦しみ、犯人を許せない気持ちで一杯です。子供を無惨な方法で失っただけでも辛いのに、その上、その犯人に対する怒りで15年も苦しみ続けているのです。この人が幸せになるには、二度とこういうことが起こらないように対処をした上で、犯人に対する怒りと恨みを忘れる決断をして、その辛い思い出を過去に流しさるしかありません。聖書でも「復讐するは我にあり」と言います。復讐は神がしてくれます。人は罪を認識した上で許してやらねばなりません。

また、聖書には次のような言葉もあり、私は、コンピューターに貼付けています。

祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」マルコ11:12~25


ひどいことをした人間を「許してやる」のは何よりも自分のためです。
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週末のニュースなど

2013-02-05 | Weblog
二月二日の土曜日はアメリカでは、Goundhog dayでした。アメリカ ペンシルバニアのそもそもドイツ系の人々の習慣が全国的に広まったようです。この巨大ネズミ状の動物が冬眠から一時的に目覚めて天気を伺いに出てくるという民話みたいなものに由来するようです。晴れていてGroundhogが自分の影を見れば冬眠に戻ってしまい、冬はあと6週間続きますが、曇っていて影を見なければ、そのまま冬眠を終えてその年は春が早くやってくる、ということらしいです。今年はペンシルバニアのGoundhogは影を見なかったようで、春の訪れは早いかも知れません。
日曜日のスーパーボールでした。野蛮なスポーツだなと思いますけど、実は戦略のゲームなので、好きになり出すとハマるのだそうです。停電のアクシデントもあり、史上最長のゲームとなりました。序盤でのかなりの大差を49nersは終盤に追いついたものの一歩及ばず。

岩下俊三おじさんのブログがしばらく前に復活したのに気がついたので見ました。この方の過激な毒舌は大した才能だと感心します。

最新のエントリーではオバマ政権のアメリカ戦争勢力からの決別をキャビネットの人事から読み取っています。興味深いです。オバマの路線がかつての「世界のならず者」としてのアメリカからの脱却を目指しているようなのは私も感じます。だから、シリア内戦からイラン侵攻の筋書きが、オバマ再選を機に狂って来たのだろうと想像しています。

一つ前のエントリーでは、従軍慰安婦の問題を大島渚さんの映画を引いて考察してあります。大島渚さんの映画、見たことがありません。阿部定事件の「愛のコリーダ」が話題になったときは、私は子供でした。プロデュースはフランスですね。同じフランス映画で同じころに、「エマニエル夫人」もヒットしましたが、もちろん見れませんでした。大島渚さんもシルビア クリステルさんも亡くなってしまい、なつかしい昭和の時代が少しずつ遠くなっていくのを実感します。
それはともかく、岩下おじさん、従軍慰安婦問題、体罰の問題が、昔からの日本社会の野蛮さに根を同じくしている、というような考察をされていて、私も同感しました。戦時中、戦地で現地の人に対して行った非道な行為を自慢話としてする老人に私も若いころ何人か会いました。戦争という一種のお祭り騒ぎの無礼講の中で酔いにまかせてやったことぐらいに思っていて、悪い事をしたという後悔の念とかに乏しいのです。体罰も同じでしょう。体罰を加える方が、その野蛮さや問題を自覚していないのではないでしょうか。世界の社会や歴史のコンテクストの中で、人を殺したり、体罰を加えたり、いじめたり、そういう行為がどのように捉えられ、考えられてきたか、そういったことを客観的に捉えて自ら考えることが必要なのだろうと思います。

最近亡くなった人と言えば、市川団十郎さん死去のニュースが週末にありました。私の唯一持っている歌舞伎のCDが、この方が1985年に12代目を襲名したときの京都歌舞伎座での襲名記念公演のライブ版です。歌舞伎十八番、「勧進帳」の弁慶を演じられていました。当時、勧進帳の長唄や山場の山伏問答が好きで、よく車の中で聞きました。
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体罰と怒り

2013-02-01 | Weblog
グラント〆切が迫ってきました。軽い気持ちでダメでもともとで書き始めたのに、それなりに入れ込んでしまい、バカにならない労力を費やしています。それで、私の貧乏性が出てしまい、ここまでやった以上はなんとか勝てるグラントにしたいと思い始めて、ますます自分の首を絞めることになっています。99%仕上がったものを、大幅に書き直すことになりました。字数制限があるので、これがまた辛いところです。一回書き直せば、五回は推敲が必要ですから、間に合うかどうか。サポートしてくれそうな人に手紙を頼んだり、必要経費の書類を書いたりと本文以外のところでも随分、労力が要ります。加えて、別の原稿の〆切も一緒にやってきました。別の人に下書きをお願いしていたのですが、その原稿を見てみると、ちょこちょこ直せばOKという感じではなく、これもかなり時間がかかりそうな雰囲気です。その間に当方の老化も進み、長時間コンピューター画面を見ていると、目がショボショボして焦点が合いにくくなってきます。

さて、明るい話題、と思って探してみましたが、余り見当たりません。しばらく前から体罰のことが話題になっていますね。「体罰はいけない」というのは当然ですけど、それは本質の表面しか見ていないのではないかと思います。本質とは、体罰を加える指導者の「怒り」です。怒っているから手が出るのだろうと思います。なぜ、怒るのか、それは、他人(生徒)を自分の思ったようにコントロールすることができないからです。自分が思うように、生徒が練習しない、上達しない、態度が悪い、それでその生徒が悪いと怒るのでしょう。これは裏返せば、指導者のエゴです。そもそも他人はコントロールできません。本当にコントロールできる可能性があるのは自分の心だけです。それでさえ、とてつもなく難しいことは誰でもわかるでしょう。指導者は「愛のムチ」とかいう言い訳をしながら、他人が自分の思ったようにならないことに対して自分でみずから「怒り」、そして、それを怒りのきっかけとなった対象にぶつけるのです。問題は「怒る」ことがどれほどToxicかということを多くの指導者が実感しておらず、日本の社会も「上」の人間が「怒る」ことに対して割合寛容であるということではないでしょうか。しかし、ちょっと考えればわかるように、怒りは怒る人を不幸にし、周囲の人間を不愉快にしていきます。実は怒っても何一ついいことはありません。意志を伝えたいのなら別のもっとよい方法でやるべきなのです。
 人間は感情の動物であり、感情豊かなことは悪い事ではないと肯定的にいう人もありますが、感情を十分制御できる能力を持つことが人間として成熟している(大人である)ということです。子供がかんしゃくを起こすのを見れば、感情は野放しにしておくものではないとわかるでしょう。仏教では十以上の種類の「怒り」があるとされ、それを克服することは最も難しい目標とされます。たとえ誰かに殺されようとしても、怒りを感じてはいけないと教えます。それほど「怒り」は怒りを感じるものにとって有害なのです。体罰は加えられる方よりも「怒り」にまかせて体罰を与えようとする方に本当はもっと大きな悪い影響があります。そんな話を、長老、スマナサーラさんの話で知りました。(怒らないこと- アルボムッレ・スマナサーラ)体罰の問題というのは、そもそもが指導者が指導者として必要なレベルに人間が成熟していないということではないでしょうか。それは、日本の社会や個人が「怒り」の毒性を十分に認識できていないという背景から来ていると思います。
コメント
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