百醜千拙草

何とかやっています

リメンバー 巣鴨プリズン

2014-02-28 | Weblog
いくら真実であっても、他人の悪口を言うのは良くないことです。良いことが言えないときは何も言うなとも言います。しかし、その人間が世に悪をなすならば、一殺多生の理でもって、批判することも必要でしょう。
先日の岩下おじさんのブログの記事は、悪口まじりではありますが、現在の日本が世界の中でどういう立場にあるのかを端的に示してあると思うので、一部(大部分)転載します。

低能内閣をささえている民族に未来はない!!

一時このブログを中断するまで僕はかかりつけの病院の近くに仮住まいしていた時期がある。そのあたりが現代の住所では東池袋、かっての巣鴨村、そのサンシャインビルの脇にあった公園は僕の絶好の散歩道になっていた。その場所に安倍晋三の祖父岸信介を含む東条英機らの戦犯が収監されていた「巣鴨プリズン」があったのだ。

いうまでもないが、岸はアメリカ進駐軍GHQとの「極秘」の取引をして釈放されたが、東条英機以下の多くが今のプリズン跡地(公園内に小さな石碑がある)で絞首刑になっている。

この戦後処理の基本姿勢は今でも変わっていない。日本の敗戦という厳然たる事実はその後の世界秩序の根幹をなしていることは小学校でも教わることである。

しかるに戦勝国アメリカが行った極東軍事裁判で死刑になった罪人に尊崇の念を持ち敗戦国の総理大臣が参拝することは「敗戦」への異議申し立てであると思われても仕方がないことなのだ。世界全体に保たれてきた戦後秩序の否定。
、、、
これは単なる歴史的事実で「世界の現状」なのだ。

だから、もしこれに異論があればもう一度戦って戦勝国になればいいだけの話である。そうすれば憧れの旭日旗を堂々と掲げ英霊すべてを奉り崇めてもなんの文句も言わない。できれば勝手にそうすればいいだろう、でも、そうする度胸もない癖にわんわん吠えるだけの犬はただの駄犬にすぎないといっているのだ。
、、、
かっての家庭教師・平沢勝栄ですら余りのぼんくらぶりにさじを投げたと言うし、学校の同級生や先輩に僕が直接きいた範囲でいえば彼はカラダも頭も「相当」弱かったらしい。、、、
それはともかく

晋三と晋三のお友達たちは現に巣鴨プリズンが存在していたことを忘れているのではないか?、、、

どうして巣鴨プリズンが池袋にあったのかその意味を思い起こせば一連の行動や暴言が国際社会の及ぼす影響の大きさが分かる筈である。それでもこうしたことが連続し、しかもアンネフランクの本が傷つけられると言うことは理由はどうあり経緯はどうあろうと「言い訳」の通用しない印象つまり、日本=悪 論に拍車をかけているのである。、、、

馬鹿は同じ失敗を繰り返さないと学習しない。
個人なら勝手にやってればいいけれど、国民の生命を預かってる立場の人間が失敗を繰り返すのを黙ってみているのはどう考えてもおかしい。国民全体が脳の病気になってしまったとしか「僕には」考えられない。


現在、国際政治的には、日本は敗戦国でアメリカや中国は戦勝国だと認識されているという事実を変えることはできません。戦後の高度成長期を担った年代の人には、その事実はもっと屈辱的だったでしょう。その屈辱の前に、臥薪嘗胆、名を捨て実を取って、(最終的に経済戦争という戦争でアメリカに勝利するために?)驚くべき経済成長を達成しました。いずれにせよ、まずは現実をしっかりと受けて止めた上で、最善の方法を考えるのが大人というものです。しかるに、現政権は何なのか。戦後の高度成長期に育った世代です。アベ氏とそのオトモダチ閣僚のやっていることは、現実が気に入らないから現実を受け入れたくない、とダダをこねる子供と同じです。中国や韓国が気に入らないから脅す、嫌いだから嫌いだと言う、ウチの中学生の子供でも、もっと分別があります。しかも、アベ氏にいたっては、他のA級戦犯が処刑された中、アメリカの手先となって日本統治に加担するのと引き換えに命を助けてもらった人を先祖に持っているくせに、アメリカが気に入らない行動を平気でとります。これまでの経過を考えると、多分、この人は日刊ゲンダイが言うように本当に単なる「盆暗」なのでしょう。
国民のみなさん、このような連中に、日本の国の操縦を任せておいて本当にいいのですか?まるで、赤信号を赤信号と理解できずに無視してしまうような連中ですよ。

もうやめておきます。手抜きの宿題みたいで悪いですが、ちょっと仕事関係が忙しいので、今日はこのへんで。
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死の商人

2014-02-25 | Weblog
もう一月ほどまえの話になりますが、アメリカ政府が日本に預けてあった300キロのプルトニウムの返還を要求したというニュースがありました。靖国参拝したのを見て、アメリカはアベは状況を理解する能力が弱いだけではなく、加えて「危ないヤツ」だと正式認定したのだな、とその時は思いました。「バカとハサミは使いよう」と思っていたのが、いまや「キチガイに刃物」ですから、すくなくとも刃物は取り上げなければならぬと考えたということです。

非核三原則といいますが、現実は、日本にはいつでも核兵器に使える高純度プルトニウムが大量に存在します。アメリカにしてもプルトニウムを高々300キロ、返してもらった所で、日本がすでに持っている大量のプルトニウムを考えると、実質的効果を期待している訳ではないでしょう。ただ、「いい加減にしろ」というメッセージを送ったということだと思います。しかし、アベ氏のxxxの弱さを過小評価してはいけません。Subleなメッセージを読み取る能力はありません。晩ご飯に食べるテンプラのことで頭がいっぱいのようですから。

これだけメッセージを送っているのに、それを平気で無視して神経を逆なでできるアベ氏の無神経さ(あるいは、本当に頭がxxxなのか)は、ここまでくると恐ろしいです。こういう正気を失った総理や政府が暴走しているのに、それを脅威と感じない国民も国民ではあります。もし日本がウクライナであれば、チェルノブイリ(福島)からは人はとっくに避難しているでしょうし、民を重んじない大統領(首相)であれば、引き摺り下ろされていたでしょう。今回、ウクライナのEU寄りの勢力とロシアよりの勢力の間の力バランスが拮抗していたために「革命(?)」に至りました。悲しいことに、日本では骨抜きにされた議会制民主主義というインチキによって、自由民主党という、国民に不自由を押しつけ、独裁主義、軍国主義を掲げる異常な政党の暴走を止めることができずにいます。

週末のニュースでは、
 小野寺五典防衛相は23日、岐阜市で講演し、事実上の禁輸政策となっている武器輸出三原則の見直し方針に理解を求めた上で、武器輸出に積極的に取り組むべきだとの認識を表明した。
 防衛装備品の国際共同開発が主流とされる現状を踏まえ「日本が共同開発に入らないと安全保障の問題に決定的に響く」と指摘。外国から日本に求められる防衛技術として航空機製造の分野を挙げ「しっかり役立ちたい」と述べた。

とかいうはなし。連中は救いがたいですね。(平和のために)武器輸出に積極的に取り組みたいらしいです。「核兵器を持つことが『抑止力』になる」という子供だましの理屈もタイガイですが、それに輪をかけたデタラメぶりですね。

本音のところは、武器開発に取り組んで、戦争殺人ビジネスに加担し、金儲けしつつ、軍国化に進みたい、という訳ですな。人殺しのための武器を作って金儲けをしておいて、平和のためだと平気でいえるところが何とも。そもそも平和のために武器輸出が禁止してあるのに、今度は武器輸出が平和のためだから「武器輸出に積極的に取り組みたい」、「しっかり(戦争ビジネス)に役立ちたい」、と詭弁をふるうのです。やろうとしていることは、平たく言えば、「死の商人」ですか。自分では直接手を下さないが、人殺しを助けてカネ儲けはしたいということですね。そのうち、間違いなく自分が開発した武器が自分自身に向けられることになるでしょう。
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結局は再現性次第

2014-02-21 | Weblog
私がわざわざコメントするような話ではなくて、もう研究者の人であれば、みな一家言ある話ではありますが、世紀の大発見の出版から三週間で急激に膨れ上がった理研のSTAP論文疑惑について、早速、Nature自身が結構詳しい記事にしているのを読みました。理研もハーバードも調査を開始したとの話。

私は、個人的に胎盤の写真を見た時に、これはアウトだろうと思ったのですが、写真はマウスクローニングのテル 若山さんが撮って、単に写真を張り間違えたのだというコメントを聞いて、うーん、と思いました。確かにそういうケースはよくあります。しかし、筆頭著者の人の過去の論文のゲルのバンドの小細工に関しては、これは、全くT大をやめたK先生の一連の論文と同じ手口です。このNatureの図でも一つのゲルの写真に細工がされているようです。しかし、この細工は全くする必要のないようなもので、もし本当に細工であれば、なぜこんなことをしたのか理解に苦しみます。

現時点では、これまでの経過を見ると、多少の問題はあるものの、理研が言う通り、論文の内容的には本当なのかな、と思います。

その一方で、人間の心情的に、一旦、「疑い」を抱いてしまって、過去の論文にも怪しいところがある、となってしまうと、疑惑が必要以上に大きくなってしまうのも仕方がない部分があります。本当に、単純ミスで悪意はないとしても、限られた出版論文の中で怪しい箇所が複数のある人が書いた論文の成果は、少なくとも、そのまま受け取れない、と思う人が増えているようです。

Do You Believe in STAP Stem Cells: Poll Week 3

現在、3割弱の人が、STAP細胞は、ほぼウソだと考えており、約2割5分の人がどちらかというと信用できない、つまり、半数以上が、この論文を疑っているという結果でした。捏造論文がNatureにポンポンでるご時世ですから、きっと怪しい点が一つ見つかると、雪だるま式に疑惑が広がるのでしょう。

これは論文だけの問題のせいではなく、もっとも大きいのは、まだ誰もちゃんと再現できていないということでしょう。酸性溶液につけるだけで細胞が初期化できる簡単な方法、というのがこの論文の一つのウリなのに、現時点では、10グループが色々な細胞でやってみて、9グループは細胞を作ることが出来なかったと報告。1 グループはOct4の発現がWesternで認められたが、GFPレポーターを使っての実験は、今のところペンディングという玉虫色。しかし、再現することが技術的に難しい実験というのはあります。かつて、この胎盤の写真を取った若山さんがマウスのクローニングに成功したとき、最初の成功率は約300回に1回だった言っていたように思います。もしそういう頻度でしか成功せず、追試しようとした人が、みんなが途中であきらめてしまっていたら、マウスクローニングも怪しい論文とラベルを貼られて終わってしまっていたかもしれません。実際は、その後、複数の研究室でマウスクローニングが可能であることが確認されました。今回の論文に関しては、簡単に初期化できる方法、という売り込みですから、iPSと同様に、複数の研究室が再現に成功すれば、問題は消えると思いますが、逆にできなかったら、ちょっとまずいことになるでしょうね。

また、普通の研究者であればこの論文のような、誰もが簡単に追試できるような成果を捏造するはずがない、だから多分、本当だろうと私は思うのですが、Nature論文が全くのフィクションだった、普通でないT大のRNA研究者の例もあります。そして、こうした悪質な捏造は、再現性の無さから疑いを抱かれて、大抵、図表などの些細な誤りから芋づる式に手繰っていって発見されています。T大RNA論文では、怪しいというウワサのあった中で、論文で扱った同名の別の遺伝子の遺伝子配列を混同していたことから捏造が発覚しました。(本当に実験をやったのならこういうことは起こりません)。韓国のステムセルの人は、内部告発ですが写真の使い回し(今回の胎盤写真と表面期には同じです)、Hendrick Schonのケースも図表の使い回し、最近のT大K研究室ではゲルバンド写真の使い回し(今回の筆頭著者の別論文で指摘されているのと同じ)でした。

この件に関する日経バイオテクの無料記事を読んで、なんだかなーと思ってしまいました。論調は、図表の間違いはNatureの編集にも問題がある(出版直前にいろいろ変更させたから)と言い、「科学界やマスメディアでは神聖視されているNatureの編集プロセスを検証することが必要だ、科学者が金科玉条とするピア・レビューシステムによる検証を経た出版というNature誌などのビジネスモデルは危機に瀕している」と書いてあります。業界の人間なら、誰もNatureの編集プロセスを神聖視などしていないし、それどころか、Natureなどの雑誌の若い編集者に学会などでゴマをすって出版枠を確保するのが大物研究者の仕事の一つであって、編集プロセスには小さからぬcorruptionがあるということは常識でしょう。ピア レビューは確かに危機に瀕していますし、よいシステムではないこと(ただし、他にそれ以上にマシなやりかたがないので仕方なしに継続している)も業界の人なら実感しており、誰も「金科玉条」とは思っておりません。そういうつもりで書いたのではないのかも知れませんが、責任を転嫁しつつ話題を本質から反らせているような感じで、いただけません。(責任所在をたらい回しにしつつ、議論の焦点をずらすというのは日本の政治家、官僚のお家芸ですが)

論文の結論については、まずは第三者による実験の再現を待ちましょう。一流雑誌に載っている論文の6割は再現性がないという数字があるそうですが、通常の生物学論文と違って、この論文のような技術、工学系の要素の強い論文では話は違いますから。

それよりも、1リットル当たり、2億3000万ベクレル の汚染水がが100トン漏れた、というニュースの方が私は心配です。その理由が、「発見の9時間半ほど前には、タンクの水位計がほぼ満水を知らせる警報を発していた。この時点ではタンク周辺に水漏れなどの異常は見つからなかったため、東電は現場で実際の水位を確認しないまま水位計の故障と判断し、特段の対策は取らなかったという。」という、いつもの、警報がなっているのに無視した、という東電体質。以前も原子炉の温度を測って低温であると言った時、三つの温度計のうちの二つは異常値を示していたが、「故障と判断」して無視した、という事件がありました。再現性のない科学論文と相通じるところがあります。


オマケ:ATGC論文チェッカー、本日の名言から。

「もし人生が二回あればお母さんの言う通りに高校へ行くけど、一回しかないんだから自分の自由にさせてください」
(船木誠勝)

(筆者、つけたし)
もし人生が二回あればおまえの言う通りに自由にさせてあげるけど、一回しかないんだから高校にいきなさい。(母)

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芸術家と職人

2014-02-18 | Weblog
音楽の話の続きですが、偽ベートーベンという呼ばれる人がゴーストライターに曲を作ってもらっていたという事件。音楽でメシを喰っている人の書いたこの事件の本質(?)というか、ゴーストライターの人の立場を解説した記事があったので、読みました。大変興味深いです。

偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

かつて、バークレーでジャズピアノを勉強した人と話をする機会がありました。バークレーは音楽のプロを養成するトレーニングをするのだそうです。音楽のプロとは、音楽の作曲、編曲、演奏、教育などで報酬を得ることができる人ということです。つまり、職人です。職人の技術を教えることは体系的にやればできるのだそうです。しかし、できないことは「芸術家」に育てることだそうで、訓練すれば、誰でも職人レベルにはなって音楽で多少の報酬を得る事ができるようになるが、その上の世界、芸術のレベルに上がれるかどうかは、才能次第で、努力では越えられない線があるのだそうです。これは教えようがないという話でした。

商業音楽では、ゴースト作曲家は沢山いるでしょう。シンガーソングライターの人などで、楽譜が読めない、書けない、当然編曲もできないという人は沢山います。そういう人は鼻歌を録音して、音楽の職人の人々に、採譜してもらって、立派な曲に編曲してもらって、演奏してもらって、それでも作曲者というクレジットで作品を発表し、9割以上の作品を作ったプロの人は、全く表に出ないことはよくあることです。今回の偽ベートーベンはまさに、こういうレベルの話だったと理解すれば、成る程と思います。

今回の偽ベートーベンのゴースト作曲家の人が、どうして何のクレジットも求めず、安い請負料でゴースト作家をしたのか、という理由がこの記事をよんで、理解できたような気がします。言ってみれば、芸術作品と工芸品の違い、芸術家と職人の違い、ということなのでしょう。作家の名前のない芸術作品はありません。一方、工芸品では、多くの場合が無名のままです。このゴースト作曲家の人にとっては、偽ベートーベンへの曲は、名前を冠するに値しない職人の「ふつうの仕事」にしか過ぎなかった、その上の世界、芸術の作品を作ろうとしたのではなかった、つまり、真剣勝負というよりはエキシビジョンだったということなのでしょう。

研究の世界でもちょっと似たところがありますが、自然が相手ですから、才能とかセンスとかが関与する部分は音楽よりも遥かに少ないでしょう。努力とひらめきと多少の運、ノーベル賞などそうですね。努力だけではとれませんし、才能やセンスもあまり関係なさそうです。ただ、職人としての研究者はやはり努力を積み重ねれば、音楽の職人と同様にプロとしてある割合でメシが喰っていけると思います。(そう思っているから頑張っているのですが、どうでしょうか)
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最後のロマン派、最初はバッハ

2014-02-14 | Weblog
昨年年末にストーリーぽいものが見えてきた小さなプロジェクトの詰めの実験がなかなか進まず、また引き受けた仕事の〆切が迫ってきたり、断れない仕事を頼まれたりで、少々、ストレス過剰ぎみです。論文のストーリーのレベルをもう一段階上げようと思ってこの二ヶ月ほどがんばりましたが、結局、仮説は否定され(ネガティブデータ)、この努力は補助データの小さな図の一部という結果になりました。ま、そう簡単に仮説が当たるのなら、誰も苦労はしません。詰めのデータのために、今やっているのは、ウイルスベクターを使った比較的簡単な実験ですが、それでも実験1クールが最低、一週間ぐらいはかかりますから、何らかのデータがでて、確認の実験を何度かやりなおすだけで一ヶ月があっと言う間に経って行きます。実際は、データが出るどころか、実験そのものが不調になって、ウイルスがうまく作れなかったり、細胞が取れなかったり、前進どころか後退していくこともしばしばあります。あせって、ゴリゴリやってもうまくいかないときはうまくいかないのは分かってはいるのですが、それでもやらないと結果は出ませんから、ゴリゴリ毎日やって、データを見て、またもう一回、というようなことを繰り返しております。毎日一生懸命やっているのに、進歩がなく、時間だけが過ぎ去っていくと感じることほどストレスなことはありません。

しかも、私は昔から多少、「うつ」傾向があって、ストレスに晒されては落ち込むということを何度も繰り返すことで、だんだんとストレスに対する耐性を獲得してたと思います。その一方で、気力や体力は衰えつつあり、自分自身を100%信用できなくなってきていますので、転ばぬ先の杖を心がけております。ちょっとした落ち込みが長引いて深刻な「うつ」に進展したりますから、自分の精神状態に注意を払うと同時に、小さなことでも、きっちりと日々対処してダメージを溜めないように用心しています。

それで、単純作業をしたりする時に、ちょっと気に入った音楽をかけたりして気分を落ち着かせるようにしているのですが、最近は、私には「Nun Komm, der Heiden Heiland」というバッハのコラールにつけられたオルガンのプレリュード をピアノ向けに編曲した小品 (BWV 659) が、気持ちを落ち着かせるのに効果があることが分かりました。
私の中学時代の音楽教師はストラビンスキーのペトルーシュカを聞くと元気がでると言い、私の歯医者はチャイコフスキーをかけると、興奮して根管治療がはかどると言いますから、音楽の好みは人それぞれです。大学院時代に指導してもらった人は、実験中に大音量でミュージカルをかけるので、これには閉口しました。

どうも私はバッハの短調の曲が性にあうようです。短調のすこし物悲しい曲の中で、バッハはとてもうまく長調の音や和音を使うのですね。日々の単調(短調)な研究活動の中でときおり訪れる希望の陽射しのようです。このト短調の曲でも、静かな短調の和音進行の中に非常に効果的に長調のフレーズが織り込まれていて、そして最後の最後でト長調の和音に転調して終わるのです。多分、この曲の構成が、私の研究生活とオーバーラップしているのかもしれません。終わりよければ全てよしで、私も最後は長調で終わりたいと思っています。

Youtubeで何人かのピアニストでこの曲の演奏を聞き比べてみました。最初に良いと思ったのは、David Frayというビジュアル系(?)の若手のフランス人ピアニストです。グールドが死ぬ一年前に生まれています。若いながら、いい味だしてます。もっとも気に入ったのは、ホロビッツの"Last Romantic"という1985年のドキュメンタリーでの演奏でした。この時のホロビッツは死去する4年前で、自宅の居間のスタインウェイにまるで静かに語りかけるかのように、この曲を弾くのがしみじみと良く、最近はこれを、朝、昼、晩、と聞いて、精神衛生の向上に役立てております。

思い返せば、このドキュメンタリー映画が作られた頃に、ホロビッツは初来日、S席5万円の公演をしたような記憶があります。(残念ながら演奏は不評だったようです、全盛期はとっくにすぎていますからね)前後してフランク シナトラも来日公演、こちらも全盛期はとっくに過ぎていましたが、ディナー付きで30万円ほどだったと思いますが、バブルも絶頂期の景気の良い話ですね。

1985年当時、ホロビッツは既に80歳を超えており、本格的な演奏活動からリタイアした後です。「Last Romantic」はロマン派の究極のピアニストという意味なのでしょう。このフィルムの中では、ロマン派ピアノの代表ともいえるショパンの4曲を含む10曲を弾いていますが、一番最初に弾いたのが、なぜか、このバッハの「Nun Komm, der Heiden Heiland」であるというのが興味深いです。最後のロマン派ピアニストの最初の曲が、バロックというのは妙ですが、それだけこの曲が美しく、ロマンティックな響きもっているということかも知れません。

演奏が終わったあとにちょっとカメラを向いてニッコリするのもいいです。

というわけで、ストレス過剰ぎみの人に、効果抜群のこの曲を貼付けておきます。
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増える甲状腺がん

2014-02-11 | Weblog
東京都知事選の結果は、複数の意味で残念な結果となりました。
 一番の問題は、低投票率です。「都知事を誰がしようと、何もかわらない、どうでもいい」そう考える都民の数が増えているような感じです。増加する政治不信、無力感、これは体制側の思うツボなのですが、残念なことにこの傾向は進行していると思わざるを得ません。「都民、国民が代表を選んで、大多数の幸福と安全を実現する」という建前の民主主義ではあっても、間接民主主義では、その国民が選んだ筈の代表が、体制側の利益のために大多数の国民を搾取するために働くのですから、それを見せつけられたら国民もバカバカしくてやってられないと思うのもやむを得ない部分もあります。

ネズミ男、自民党に見切りをつけて自ら離党したくせに、反アベ勢力を都知事にしたくない自民公民の支援を受け、三行半を叩き付けた相手の組織票で当選。そのくせに、勝因については「ひたすら政策を訴え、他のどの候補よりも全域を回り、もっともたくさんの有権者と対話した。それに尽きる」と語ったらしいです。そりゃ、三行半の相手の組織票の支援のおかげです、とは言えんでしょうな。選挙運動中の街頭演説では、万単位で人を集めた細川陣営と違って、多くて百人とかいう閑古鳥状態だったそうですから、集めた二百万票余りから約二百万票弱と見積もられる自民、公明の組織票を引いたらいくら残るのか知りたいものです。
 それにしても、ネズミ男もネズミ男なら、自民党も自民党、こういうデタラメが平気でまかり通るから、国民の政治不信に拍車がかかるのでしょう。
 不思議なのは、この人、高齢者に支持が高かったという話。過去、ネズミ男が、消費税増税に関して、テレビで高齢者を指して「ヤツらはカネを持っている、消費税を上げれば、ジジ、ババからも税金が取れるが、所得税なら取れない」と言った映像を見ましたが、この人にお年寄りはどうして投票したのですかね(組織票だから自分の意思は二の次ということでしょうか)。そして、高齢者を、「ヤツら、あいつら」と呼び、消費税を上げて所得のない高齢者からもカネを巻き上げようとするこの男に、有権者は「福祉と景気」を期待しているそうです。何の冗談でしょうか?

さて、国民、都民が、希望を失い、日々の生活に追われて、無気力になっていく間にも、フクシマからは一日300トンの汚染水が海に流され、着実に日本と地球を破壊していっています。つい数日前には、観測井戸から500万ベクレル/Lの過去最高の汚染水が、なんと去年の7月に見つかった、というニュース。なんで半年も前のすさまじい数字を今頃出すのか、記事を読んでみると、過去の計測に誤りがあって、計測しなおしたらこの数字だった、という噴飯ものの言い訳。そんな筈はないでしょう。この言い訳が本当だったら、放射線の計測などという単純な作業でさえ、東電は満足にできないということですかね。これでは、事故収束などあり得ないでしょう。

それから、福島の子供の甲状腺がん確定例が前回、昨年11月(たった2ヶ月前ですね)の26人から7人増えて、33人になったという先週末のニュース。

毎日新聞:「がん」もしくは「がんの疑い」のある子どもの割合は検査受診者の0.03%と一般的な発症率より高いが、症状のない人も対象にこれだけ大規模な調査をした例はない。検討委は原発事故との因果関係について「考えにくい」としている。

と、大規模に調べたせいで見つかる率が増えたのであり、原発事故は関係ない、と言いたいようです。

サンケイ新聞:「確定」と「疑い」に加え、手術の結果「良性」と判明した1人を含む計75人のうち24人について、原発事故が起きた平成23年3月11日から4カ月間の外部被曝(ひばく)線量も公表。1ミリシーベルト未満が15人、1ミリシーベルト以上2ミリシーベルト未満が9人だった。

上と同じく、被曝量が少ないのだから、原発事故が原因ではない、と言いたい様子。

検討委、星北斗(印象的な名前ですね)座長の会見を流した、テレビ朝日のニュースでは、

これまで子どもの甲状腺がんは、極めてまれな病気だとされてきた。今回の調査で、1万人に1人の割合で甲状腺がんが見つかっていることに対し、検討委員会は。
「県民健康管理調査」検討委・星北斗座長:「想定される範囲だというのは申し上げた通りですので、多いとも少ないともいうことにはならないと思います」

下の東京新聞では、子供の甲状腺癌は100万人に1-9人という率であると言っていますから、一万人に一人は、10倍- 100倍の頻度になります。「想定される範囲」をはるかに越えていると私には見えるのですが。

読売新聞:ニュースそのものをスルーした模様。(都知事選前ですからね)

東京新聞は、検討委の見解と事実を伝えた上で、

国立がん研究センターなどによると、十代の甲状腺がんは百万人に一~九人程度とされてきた。

という一文を付け加えています。こういう数字を書いてなければ、今回の調査での甲状腺癌の例が高いのか低いのか、心配すべきなのかどうなのかという判断ができません。他の原発推進メディアは意図的に読者が判断できないような記事にしているのでしょう。

あと、多くの新聞が、このニュースに関連して、「子供の甲状腺がん確定例が増えた」というニュースのかわりに、「福島医大が子供の甲状腺がんの(がん組織の)遺伝子解析をして原因を解明する」というどうでもよい記事をぶつけてきています。明らかに、子供の甲状腺癌確定例が急激に増えているという(原発推進派や政府にとって都合の悪い)ニュースに対する目くらましですね。読者をバカにするのもタイガイにしたらどうか、と毒づいてしまいました。がん細胞の遺伝子解析して、何がわかると考えているのでしょうか?(たぶん何も考えていないのでしょうね)腫瘍遺伝学をかじったことのある人なら、「がん」は遺伝子の異常でおこるというのは常識です。そりゃ、遺伝子解析すれば、どんな「がん」でも、色々な異常が複数、見つかるでしょう。それで何だというのでしょう?われわれが知りたいのは、どうしてその遺伝子異常が起きたのかという「原因」であって、遺伝子の異常そのものの話ではありません。また、仮にもし甲状腺がんになりやすいような遺伝性疾患を疑っているのであれば、がん組織ではなく、血縁者の正常な体細胞の遺伝子解析を比較する解析をするはずです。「がん」になってしまった細胞の遺伝子を解析しても「原因」はわかりません。わかるのはその「結果」としての異常ですから。
 ま、こういう小手先の情報操作で何とかなるのもこの一、二年でしょう。チェルノブイリの先例に学べば、来年には誤魔化せない数の小児甲状腺がん例とその他、様々な疾病が急増すると思われます。
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パレスティナ観光

2014-02-07 | Weblog
パレスチナへいらっしゃい/6日、東京で観光セミナー  というニュース。

 【エルサレム共同】日本から観光客を呼び込もうと、パレスチナ自治政府の観光担当者らが、旅行会社や一般市民を対象に、パレスチナの魅力を訴える初めてのセミナーを6日に東京都内のホテルで開く。国際協力機構(JICA)の支援事業の一環。観光振興でパレスチナ経済を活性化させることが狙いだ。

 パレスチナの失業率は20%超。観光は経済対策として期待される産業の一つ。自治政府によると、昨年の訪問者数は推定350万人で日本人は数千人程度。タハ観光・遺跡担当副大臣は「パレスチナには豊富な歴史と文化がある。遺跡や自然、食事などを楽しんでもらいたい」などと訪問を呼び掛けている。

確か、アメリカの属国である日本は、パレスティナを独立国と認めていないと思います。日本が、イスラエル側に立っているのは、単にアメリカの属国としての立場上の話でしょうから、日本人がパレスティナに行こうがイスラエルに行こうが、実際はどうでもいいのでしょうけど。
 パレスティナに行くにはイスラエルの観光ビザで行くそうです。あるウェッブサイトによると、パスポートにイスラエル入国のスタンプがあると、シリア、イラク、レバノンなどの周辺国に入国できないそうです。イスラエル、さすがにアラブ諸国には嫌われてますね。パレスティナに行くのに、イスラエルを通過する必要があるのですが、その時にパレスティナに行くとは言わない方がよいそうです。(ま、そうでしょうね)

パレスティナにとっても日本がアメリカ(即ちイスラエル側)と同じ立ち位置にいることは承知しているでしょう。その上で、なお、日本に観光誘致にくるというのが興味深いです。政治とカネは別ものということでしょうか。上の記事にはパレスティナの失業率は20%とあります。これは強烈な数字です。一方、イスラエルの失業率は7%ほどのようです。この差は何なのでしょう。
イスラエル建国の歴史を第三者的に見ると、やっぱり、パレスティナは軒を貸して母屋を取られたというように見えます。後ろにアメリカがついているし核兵器も持っている思っているのか、イスラエルの母屋の取り方も強引ですから、判官贔屓の日本人としては、パレスティナ側に同情してしまいます。(もちろん、イスラエルにしたら、数千年、歴史をたどれば、自分の土地だった(かも知れない)、軒を貸してやっていたのは自分たちの方だ、と強弁するのでしょうが)イスラエルの失業率が7%なのに、パレスティナは20%というのも、イスラエルが強引に入植地を拡げて、パレスティナ人から土地(農地)を奪っていった結果ではないのかと思ったりします。

しかし、こういう状況では、パレスティナも観光客を誘致したくても、難しいでしょう。いくら、平和、安全ボケしている傾向が強い日本人でも、シリア、イランに対して強硬外交を続け、長年にわたるパレスティナとの対立と、いつ戦争を始めてもイスラエルです。そのイスラエルを通って、パレスティナに観光に行くというのはちょっと二の足を踏むのではないでしょうか。

そして、今年から来年にかけて、四度もユダヤの祭りと皆既月食、日食が重なるそうです。ユダヤに祭日と月食、日食が重なる年には、過去、重大なことが起こっていて、最初は、キリストの磔、20世紀には、1948年はイスラエル建国、第一次中東戦争、1967年には第三次中東戦争でエルサレムの奪回がおこったそうです。第一次中東戦争では、80万人のパレスティナ人が土地を追われて難民となりました。第三次中東はイスラエルとエジプト間の軋轢で起こり、西側とソ連を巻き込んだ戦争となりました。今回は50年ぶりに今年の4月15日の祭日に皆既月食が重なるそうで、イスラエルが何かするのではないかと恐れられているというウワサです。

深読みすれば、だからこそ、パレスティナは他の外国を引き込みたいと思っているのかも知れません。イスラエルの何らかの行動を察知して、諸外国の注目を引いてイスラエルの行動に多少でも歯止めがかかるのを望んでいるのかも知れません。

私、鳩山氏が首相辞任後に、今後は外交問題、パレスティナ和平問題にも役立ちたいと言っていたと覚えています。この際、日本の首相経験者が、堂々と、パレスティナ観光、交流をして、ついでにガザで「世界平和」を謳って、宇宙人パフォーマンスをするというのはどうでしょうか。このところ、アベ氏のおかげで諸外国に危ない国と思われ出している日本のイメージアップにつながると思うのですけど。
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コミュニティー サービス

2014-02-04 | Weblog
先々週のNature (1/23)のCorrespondence(483, Vol 505, 2014)に興味深い話がありました。このUniversity of Houstonの人は、アカデミックエディターとしての経験から、「研究者の出版数と論文審査員を引き受ける割合は逆相関にある」ことに気がついたのだそうです。システマティックな調査の結果ではなく、あくまでanecdotalな例ですけど、私はちょっとショックを受けました。近年の投稿論文数の急増(とくに中国から)と出版ビジネスの増加に伴いピア レビューのシステムの負荷が大き過ぎるという話は前から聞いています。レビューア(審査員)不足は論文出版において深刻な問題です。論文のレビューは科学研究活動に必要不可欠な(基本的に無報酬の)活動で、それなしにはアカデミアの科学研究は成り立ちません。私もよほどのことが無い限り断りません。(私の場合はせいぜい月に数本ぐらいなので大した負担ではないからとも言えますが)それでも、忙しい時にはレビュー依頼のメールを見るとちょっとブルーになります。

この「出版数とレビュー受諾率の逆相関」現象が本当だとして、考えられるメカニズムは何通りかあると思います。一つは、ピアレビューなどという評価の対象にならない活動に時間をかけているヒマがあれば実験したり論文を書いたりする方が生産的だ、という利己的な考えの研究者がいて、そういう研究者ほどたくさん出版する可能性。コメントの人はどうもこういう研究者の利己的行動がこの逆相関を引き起こしていると考えているような感じです。二つ目の可能性は、生産性のよい研究者はより多くのレビューの依頼を受けやすく、したがって断る率も高くなる、という理由。いくら論文レビューなどのコミュニティーサービスに積極的に参加しようと思っていても、それなりに有名になって、毎日のように依頼がくれば、大多数を断らなければならないのは自明です。私は、そういう事情だと思いたいです。

普通、一本の論文に2-3人のレビューアがつくワケですから、このコメントでは、論文1本の出版に対して、最低2-3本の論文審査はするべきだ、というようなことを書いてあります。実際にはリジェクトされる論文がそこそこの雑誌では6-8割あるでしょうから、出版論文一本に対してレビューアはおそらく最低、5-10人ぐらい必要なのではないかと思います。ならば、論文一本出すごとに5-10本の他人の論文のレビューをして、収支はトントンというところではないでしょうか。このあたり実情はどうなのか数字を知りたいです。研究者一人当たりの、レビュー数/出版論文数の平均値はどれぐらいなのでしょうか。ピアレビューが危機的状況にあるのだから、この際、レビュー数でクレジットをつけて、投稿にクレジットが必要なシステムにする、もしくは小額でもレビューアに何らかのcompensationを出し(ごく一部の雑誌では出しています)投稿者には投稿料をかけるというのは悪くないかも知れません。投稿料が必要であれば、投稿者も投稿する論文のクオリティーに余分に注意を払うでしょうから、「ダメもと」でとりあえず投稿する出来の悪い論文のレビューでレビューアの時間をムダにする率が減るかも知れません。投稿料を取る代わりに門前払いをやめて、必ずレビューに回すようにすれば、仮にリジェクトされたとしても、投稿者にすれば何らかのフィードバックが得られるので全くのムダではありません。
 しかし、問題は二流雑誌です。投稿料をとるようなことをしたら誰も投稿しなくなって、雑誌がなりたたなくなるでしょうから、彼らはレビューアの負担を思いやるような余裕はないでしょう。現実的な解決としては、雑誌群を二部にわけて、ピアレビューをする従来の雑誌と、ピアレビューなしでとりあえず出版する雑誌に分ければどうか、と私は思うのですが。(現実的にはPLoS Oneをモデルとする雑誌群が、とりあえず出版する場をつくる役割を果たしてはいると思います)

レビューアの立場からすると、出来の悪い論文をレビューするほど、腹立たしいものはありません。出来の悪い論文を読まされると、その著者の論文が再び回ってきた場合には、マトモに読む気が失せますし、その研究者に対してネガティブな先入観を持ってしまいます。同様の理由でクオリティーの低い学会発表も逆効果だと思います(しない方がマシ)。

話がずれました。人の論文のレビューの他にも、研究者のコミュニティーサービス活動は多々あります。グラントのレビュー、学会や研究会の運営、教育活動など、それから教育的著作、総説や教科書、を書くのも重要なコミュニティーサービスだと思います。私の興味を持っている分野で、ある大物の研究者の人がいますが、その人は総説論文を一切、書かないのです。依頼が無いワケがないと思うので、きっと全部、断っているのでしょう。総説や教科書を書くことも、研究者としては余り評価されない活動ではありますが、総説とか教科書は、研究と教育に必要不可欠なものです。そもそもCellのimpact factorがあれほど高いのも総説でcitationを稼いでいるからでしょう。ならば、Cellクラスに論文を出版するような人々は、総説もちゃんと書くべきだと私は思います。総説や教科書を書いたり論文のレフリーをしたりするのはお世話になっている科学コミュミティーへの「恩返し」みたいなものではないでしょうか。原著論文の出版にしか興味がなく、こういったコミュニティー サービスをおろそかにするのは、人としていかがなものか、と私は思うのですが。
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