百醜千拙草

何とかやっています

尖閣問題で得をするのは?

2010-09-28 | Weblog
今回も予定を変更して、尖閣諸島での日本の巡視船と中国の漁船の衝突事故の問題について一言。この問題に対するカン内閣の対応の余りのヒドさに国民全員あきれかえっていることと思いますが、この内閣の無能ぶりには二つの解釈があるだろうと私は思ったので。一つは、内閣が掛け値無しに無能であって、どうしようもない素人集団である場合。この可能性を私は7割ぐらいと見積もっています。もう一つは、内閣にいる売国閣僚の一部がわざとやったサボタージュ、もしくは事件そのものが作られたものであった可能性。これが3割。後者の場合は、カンさんの無能さが利用されたわけですから、内閣が無能であることに違いはありません。仮に陰謀があった場合でもカンさん自身は陰謀の外でしょう。これがもし、小沢首相だったらどうだったか、と想像してしまいます。もし小沢氏(あるいは鳩山氏)が首相であったら、中国はこのような強硬な態度を取らなかっただろうし、ひょっとしたら事件そのものが起こっていなかったのではないかと思うのは私一人ではないでしょう。

事件の様子を聞くと、どうも中国漁船が故意に日本の巡視船に衝突したようです。漁船が自ら巡視船に体当たりしたその意図は何なのかということです。漁船の船長の自らだけの意志でやったとはとても思えません。誰かがやらせたに違いないのです。この事故後の中国側の高圧的な態度を見ると、中国政府がやらせた可能性もあると思います。 あるいはそうでなくとも、人口14億を抱えて統治に難問を抱える中国政府は領土問題で日本に甘い顔をするという選択はありませんし、中国国民の関心が外を向いてくれたらありがたいと、この事件を渡りに船と利用したのかも知れません。いずれにしても、この事件は単なる衝突事故ではありませんし、そのウラに陰謀の匂いがします。この3割の陰謀の可能性についてちょっと考えてみたいと思います。

クリントンはこの問題は日米安保にからむと言いました。アメリカにとっては、日米安保は対中のためにも必要だというデモンストレーションになったでしょう。この事件と時期を一致して、アメリカ側が在日米軍のための思いやり予算増額を要求して来たのは偶然ではないのではないかと思わされます。そう考えると、今回の事件、アメリカと中国(と内閣にいる日本の工作員)がつるんで描いた陰謀という説もありえるかなと思うのです。

今回の事件での内閣の無能ぶりは特筆すべきものがあります。危険な外交問題であるにもかかわらず、那覇地検が船長の釈放を決めたのだ、と知らんふりをする狸の官房長官、切腹ものです。(そもそも、那覇地検が政治的、外交的理由で釈放したという弁明を行っているのですから、内閣が知らないはずがないのです)日本国民の国益を守るのが政府だという建前論からすると、今回の政府の対応は余りにお粗末です。その余りのお粗末ぶりが、却って怪しいと思わせます。私は今のカン内閣を全く信用していないので言わせてもらうと、事件をめぐって、二、三の「腑に落ちない」ことがあります。例えば、玄葉某とかいう人は、今回の成り行きに不快感を表した上で「これで日米安保の重要性が再認識された」などと言ったそうです。不快感は多分、中国に押し切られて力で負けたという日本人なら誰でも思う悔しさから来ているのでしょうが、ここでどうして、日米安保の話をわざわざ出すのかとということです。

この問題は、最初から政府が政治主導で外交と指揮権を駆使して解決すべきものでした。それを、ずるずると問題が大きくなるまで、しかるべき処置を何も取らなかった中央政府に最も重い責任があると普通の人なら思うでしょう。政府は、「領海侵犯した中国漁船は戦争を仕掛けて来たわけではない(何といっても漁船ですから)」という建前で、あくまで事故として速やかに処理すべきであったのに、結局、問題をこじらせた挙げ句、「防衛問題」にすりかえるような発言をする閣僚まで出た、というのがおかしいと思うのです。また、マエハラ氏の対応の仕方を見ると、何もしていないくせに、妙に余裕を示していたことがひっかかります。コトの重大性がわかっていなかったとは思えないのです。こういうことを考えると、この漁船の体当たりは、実はアメリカが中国と一緒になってやった芝居で、マエハラ氏や官房狸の悪徳弁護士は首謀者の一部である可能性が高いのではないかと私には思えます。この問題を適当にこじらせて、防衛問題へとすり替え、日米安保を売り込み、その流れで沖縄在日米軍基地の恒常化 、思いやり予算(このふざけた名前をなんとかして欲しい)の増額、を国民に売りつける、という手ではないのかと勘ぐりたくなります。

アメリカにとっての日中関係は、つかず離れずでなければ困ります。日中が同盟関係となって共同防衛戦線を張れば、アメリカのアジア戦略にとってだけでなく、アメリカの国防にとっても、極めてまずい状況となるでしょう。適当にケンカはするが、戦争にならない程度のイザコザを日中が常時抱えているような状況があればこそ、アメリカ軍が東アジアにいる存在理由があるというものです。そういったイザコザを引き出すために押すツボが領海問題であったり、靖国神社参拝問題であったりするのではないでしょうか。今回の問題が誰の得になるのかという観点から考えたら、第一に「思いやり予算」の縮小を計画し沖縄基地問題がこじれている日本政府から在日米軍をネタに金を出させたいアメリカ、第ニには内閣内部にいるアメリカの日本人工作員、そして第三に国民の注意を反日のキーワードの下に政府の外に反らしたい中国政府だろう、と思います。彼らの利益のために、アメリカと日本政府の工作員が中国と組んで起こした陰謀である可能性はあると思います。そうでなければ、今回の政府の対応は余りに稚拙すぎると思うのです。

陰謀論はこれぐらいにしておきましょう。可能性は3割と思います。それに陰謀論を弄し過ぎると疑り深くなって性格が悪くなりますから。ただ、現内閣の無能ぶりは然るべく発揮されたと言っておきましょう。
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禊ぎはこれからだ

2010-09-24 | Weblog
ちょっと予定を変更して、村木さんの事件に関して、証拠を改ざんした検察官の逮捕についてニュースになっていますが、これはどういうことなのかな、と思ったので。

検察は裁判所とグルになって、政治的意図を持って、これまで散々、無実の人間を陥れてきました。検察というのは国家権力という後ろ盾をいいことに、無実の人間を陥れ、自己利益を追求する腐った連中が少なくともその一部でデカい顔をしている鼻持ちならない機関であり、明治時代から官による国民支配のシステムにまもられてきて、構造的腐敗をおこした組織という先入観が私にはあります。なので、ここで、検察内部に手を入れてこの検察官を逮捕した、というパフォーマンスは何のためなのか、と自然と考えてしまうのです。
 そもそも、村木さんの冤罪事件は、どうも石井一氏を狙ったものでした。これがウラからの指令によるものなのか、あるいは、この前田とかいう人の出世欲に根ざしたものなのかわかりません。私は、石井氏を狙ったという動機が、他からの指令によるものとは考えにくいと思うので、多分、この人が小沢一郎はムリでも石井一に泥をつけたら出世できるだろうと考えた暴走劇なのではないか、と言う解釈は当たらずとも遠からずだろうと思っています。多分、多くの人もそう思っているでしょう。もしそうなら、巻き添えをくった村木さんにとってはとんでもない迷惑です。このエース検事の43歳という年齢を考えてもあり得る話だろうと思います。年齢や外見から先入観でものを言ってはいけませんが、まだ独断で使える国家権力を手にするには若すぎると思うのです。孔子流に言えば40台というのはようやく惑いがとれた時期であって、それから天命をしって、耳従い、矩をこえなくなるのにまだ30年かかるのです。権力を手にした者が、矩をこえなくなるには経験と修行が必要なのだと思います。だから、出世欲にかられて暴走したというのは少なくとも一部は的を射ているだろうと思います。ただ、事件がこの「エース検事」の暴走でおきたというのは事実なのでしょうが、それが全てのはずがないわけで、それだけで終わらせてはいけないと強く思います。冤罪で実刑が決定した鈴木宗男氏の昨日のブログではこのように述べられていました。

郵便不正事件で無罪判決を受けた村木元局長の押収資料を、主任検事が改ざんしていたことが明らかになり、前田恒彦主任検事が昨夜逮捕された。
 「とんでもないことだ」と言う前に、「これが、検察組織がこれまでやってきた、組織ぐるみの犯罪だ」と言いたい。
 元々密室で、検察のでっち上げのシナリオ、ストーリーに添った捜査がなされ、調書が作られるやり方に問題がある。
 この前田検事は、小沢一郎先生の大久保秘書の取調べをしている。強圧的にやったことは想像に難くない。
 また、大阪のハンナン事件でも、自分達に都合の良い捜査のシナリオ・ストーリーに合った調書を、強引に認めさせたということである。
 検察は、前田検事が取調べた調書を、公正、公平の観点から、もう一度一から調べるべきである。今回の様な不祥事にならないためにも、チェックする必要があるのではないか。それが当然の手続きではないか。


私もそう思います。検察は、少なくとも一部では、こういうような冤罪事件をずっと作り上げては、無実の人間を陥れ、その人的、社会的権利を侵害してきたヤクザ組織なわけです。この事件が例外であって、この人だけの暴走で起こったものであるはずがありません。腐った土壌の上に腐った花が咲いたまでのことでしょう。

この事件に関しては、検察は、失態の挽回のためには、自浄作用を示す必要がある、と考えたのでしょう。検察という組織に属する多数の人間の利益のためには、検察不信をこれ以上あおり立ててはいけない、そんな保身の理屈があったのではないでしょうか。しかし、検察の冤罪の歴史には枚挙がありません。検察というのは、「腐敗しない権力はない」という原則に違わず、構造的な闇をずっと抱えて来たのです。今回、わざわざ、検察内部に手を突っ込んで、「検察の正義」をアピールして見せたのは、それによって、逆に、構造的な問題を世間の目から覆い隠す目的だったのではないかと思います。その目的のためにこの「エース検事」をスケープゴートにした、という筋が一つ考えられます。この検事も検察内部の腐敗を知らないわけではないでしょうから、スケープゴートとは言っても、検察とウラ取引きもあったかも知れません。スケープゴートとなる代わりに前田検事には見返りが約束されている可能性はむしろ高いと思います(口止め料ですね)。スネに傷持つ同士、魚心あれば水心、というものでしょうか。あるいは、裏金作りを内部告発しようとした三井さんを逮捕して、不正裁判で実刑にした検察ですから、もう一つの可能性は この前田とかいう人が知るべきでないような秘密を知ってしまったための口封じということもありえるかも知れません。(多分、この筋は正しくないでしょう)
 もう一つは、この事件が、別の事件の煙幕代わりに使われた可能性もないとはいえないと思います。権力側にとって都合の悪いニュースが出そうになると、突然、芸能人が逮捕されたりするアレです。その都合の悪いニュースを覆い隠すために一般人の気を引きそうな事件が作られます。この検察事件の陰で、沖縄米軍基地問題でまたまたキナ臭いことになっていました。ただでさえ危険な普天間基地にもっと危険な戦闘機の使用計画が持ち上がっていること、米軍に対する思いやり予算の増額を要求されたこと、など。今の政府は普天間や沖縄基地問題を表に出したくないし、岡田氏やマエハラ氏にしてもアメリカの利益、基地に絡む利権者の利益、のために沖縄を犠牲するのは厭わないという立場で一貫していますから、国民を刺激する在日米軍がらみのニュースはなるべく目立たないにこしたことはないと思っているだろう、と思いました。

今回の検察の事件で、私が強調したいのは、これによって、検察の自浄作用が示された、などというような甘い解釈をしたり、この事件が1人の暴走検事によって引き起こされた例外的な事件だと思い込まされてはいけないということです。検察は権力であり、その組織に腐敗構造が存在してきたことを忘れてはいけません。検察は権力をもった官僚組織の一部であり、その官僚を国民の代表である政治家がしっかり監視してこなかった(というか、官僚政治で政治家はただの飾りにしかすぎなかった)ということです。 小沢氏の一連の事件、鈴木宗男事件、佐藤栄佐久事件、佐藤優事件、などなどとりわけ政治家に対しての政治的意図に基づいた冤罪事件の数々は数え上げたらキリがありません。政治家の場合は権力を使って政敵に失脚を仕掛けるのも「手」のうちかも知れませんが、今回のように検察官の出世欲のダシに使われた(のかも知れない)村木さんの事件などを考えると、その卑怯きわまりない手口に、ハラワタが煮えくり返る思いがします。この場合はまだ裁判所がマトモな判断をしたので良かったですが、裁判官と検事はいったりきたりの仲で、日本では多くの裁判ではすでに検察相手の裁判に公正を求めることが困難な状況にあるようです。この腐敗の温床となっている権力の癒着構造は正されなければなりません。

とにかく、今回は、たった1人スケープゴートを差し出しただけで(たぶんあと数人のクビも飛ぶでしょうが)、検察の禊ぎがすんだというような論調になってはいけません。これを期に、取り調べの可視化、国家権力への国民の監視をもっともっと強めていかねばならないと思うべきです。そして鈴木宗男事件や三井環事件など多くの冤罪事件はもう一度、掘り起こして、徹底的に国民の目前に晒されるべきだと私は思います。小沢氏の西松献金事件も、この前田検事が直接かかわっていたそうですし、一事が万事です。今のカン政権は何もできないでしょうが、国民がこのことを忘れずに訴え続けたら、いつかもっとまともな政権が生まれた時には、検察組織の闇にメスが入ることになると思います。

また、マスコミが冤罪に果たした役割は大きいです。村木さんが逮捕された時も叩きまくり、偏向報道を繰り返したくせに、検察が非を認めたとたん、恥ずかし気もなく、立場を逆転させて、正義の味方面です。この事件で検察の次に反省して自浄作用を見せてもらわないといけないのは、偏向報道、捏造記事を書いたマスコミでしょう。マスコミは世論を作ります。世論というのは世間の人の意見であると捉えられているかも知れませんが、そもそも世論は「与論」の字が当てられていたそうで、権力者が一般人に押し付ける意見のことだそうです。その国民洗脳を担ってきたのがマスコミです。彼らはもはや公害と言っても良いでしょう。

(とここまで書いたところで、このフロッピーの改ざんが見つかったのは、朝日の記者の独自の調査の結果であるということを知りました。裁判後にどうやら無罪が出ると確信した検察は、どうもこの朝日の調査内容を知って、逆手に利用したということらしいです。前もってシナリオがなければ、(官僚主義の)検察が、前田検事の即日逮捕という行動をとれるワケがないです。この事件を、1人の検事の逮捕とうサル芝居でお茶を濁させて終わりにしてはいけません)
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ヒト胎児ステムセル研究受難

2010-09-21 | Weblog
アメリカは中間選挙に向けての予備選がすでに始まっていますが、オバマ民主党の支持率は下がる事はあっても上がりはしないだろうと思うので、きっと共和党が議席をどれだけ増やすか、という余り興味の持てない選挙になりそうです。オバマ政権への期待に対する失望というか反動がどの程度かを知ることになります。アメリカ経済が悪い間、政治に関して、国民ができることは、政権政党を変えること位でしょうから、二年後にアメリカ経済が良くなっていなければ(良くなるどころか、二年後には破滅するだろうと予測する人もいます)、共和党に政権は移り、緊縮財政処置で、経済の悪化は更に進行し、アメリカの基礎科学研究は今以上の打撃を受けるのではないか、と想像しています。そのジリ貧のアメリカ経済に対するアメリカの手は何か。短期的にはカネを他の国(特に日本)からむしり取って調達したりもするわけですが(これに関して、マエハラ氏が外務大臣になったことについて複数のブログで危惧が示されています。例えば「反戦なる家づくり」の考察の一読を乞いたいと思います:http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-944.html)、もっと根本的にアメリカの産業を振興させることが大切であることは論を待ちません。そのためのオバマの手は何かについて、次回は考えてみたいと思います。

今日は、アメリカのステムセル研究者に突然の激震を来した8月23日の判決についてまとめておきたいと思います。コロンビア地方裁判所において、Lamberth判事によって下された「ヒト胎児ステムセル(ES)を使った実験に政府の資金を使うことを禁止する」という判決が下されました。(この判断は9/9にオバマ政府の異議申し立てを受けて、現在、緊急処置としてとりあえず施行保留とはなっていますが、9/20以後、審議が継続される予定です)これは、Dickey-Wicker Amendmentという98年の法律、「ヒト胎児を犠牲にしたり、ヒトをクローン化しようとする研究への政府資金の使用を禁止する」を過剰解釈したものだと私は思います。ブッシュ政権時、ブッシュは政府資金を使って「新たな」ヒトES細胞を作ることを禁止する法律にサインをし、その議会の異議に対して二度の大統領拒否権を発動しました。アホウ氏とどっこいどっこいの国語力と論理思考能力をほこるブッシュが「クローン技術は悪魔の技だ!」と言ったのを覚えておられる人もおられるでしょう。オバマになってからその規制がようやく解かれ、アメリカのヒト胎児ステムセル研究者はブッシュ政権下での遅れを取り戻そうとしていた所でした。ブッシュ政権下においてでさえ、政府資金を使ったヒトES細胞実験そのものの禁止には至らず、既に樹立されたES細胞株に関しては政府資金を使用してよいという判断でした。今回の裁判官、Judge LamberthのDickey-Wicker Amendmentの解釈は、ヒトES細胞はすでに樹立されていようといまいと、ヒト胎児の犠牲を伴ったものである以上、ヒトES細胞を使った実験への政府資金の使用を全面的に禁止するとの判断で、ブッシュ政権下でのこの法律の解釈を更に過度に突き進めたものとなりました。この判断のおかげでヒトステムセル研究者は研究の中断、グラントの差し戻し、などなどの大きな混乱に巻き込まれまています。政府資金に研究から給料まで依存することの多い大学研究者は、一歩間違えれば、研究ができないどころか、キャリアーや職、ひいては生活そのものが危うくなるわけです。

そもそもの発端は、James Sherleyという成人ステムセル研究者ともう1人の研究者が原告の訴訟によるもののようです。Sherleyの名前を聞いて、私はオヤっと思いました。以前、一度、彼のことをこのブログでも取り上げましたが、彼が前回、世間をお騒がせしたのは、MITの教官であった時に、MITのtenureが認められずにMITをクビになったときでした。そのとき、この人は人種差別だと言って(Sherleyは黒人)ハンガーストライキをし、MITの言語学の巨人、ノーム チョムスキーまで巻き込んだ大騒ぎになったのでした。結局、彼はMITを去り、Boston郊外の研究所に移りました。最初、Judge Lamberthは、Sherleyらの訴訟に対し、「原告となるだけの資格がない、として訴訟を却下したのですが、その後、Sherleyらの「成人ステムセル研究者である自分たちは胎児ステムセル研究者と政府資金を競争する立場にある」という苦しい理屈を受けて、訴訟が成立したのでした。NIH ディレクターのフランシスコリンズは、この判決は、「科学の発見(の動力たる)エンジンに砂を投げ入れるようなものだ」と非難しています。

Sherleyらも本音では、訴訟の動機はやはり、ヒトステム細胞研究に対する倫理的(宗教的)反対のようです。私は、研究材料という意味でのヒトES細胞の有用性に疑義を挟むものではありませんが、ヒトES細胞の臨床応用という点においては懐疑的なので、倫理的な危うさがある以上、少なくとも、規制は十分されるべきだと思います。全面的に禁止というのはハッキリしていてよいですが、だからと言って、政府資金以外を使った研究は自由なわけですから、別に研究そのものが全面的に禁止されるわけではありません。ですので、数多くのステムセル研究者への影響を考慮して、ここは「常識的」な判断がなされるべきだと思います。つまり、十年も前の法律の文字的な解釈に拘泥するのではなく、現在の状況、過去十年間の実際を鑑んで、現在と将来の関係者とアメリカ国民の利益を十分考慮して判断してもらいたいと思うものです。

このJudge本人がたとえばヒトES細胞を使った治療が唯一の希望となるような疾患に侵されたとしても、同じ判断を下すことができるのか、そのあたり私は興味があります。常識(あるいは民意と言ってもよいかも知れませんが)が通用しない社会は、何かがおかしいのです。今回の判決は少なくとも私にとっては常識的とはいえないと思います。

(ちょっと話がずれるかも知れませんが、民主代表選で、最後の投票前に劣勢を聞いて寝返った新人議員の心理を考えると、人は己かわいさでいくらでも主義主張や判断を変えることができる動物のようです。ちなみに、今回の代表選で思い出したもう一つの歌は、中島みゆきの「世情」でした)
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Despicable Them

2010-09-17 | Weblog
このような個人的に書き散らしているブログでも、身内以外の人にも見ていただいているようです。最近、日本の政治について愚痴、悪口の類いをつい書いてしまうことが多かったのですけど、この悲しい民主代表選が終わり、改めて、わざわざ共感、はげましのコメントいただいた方にはお礼を申し上げたいと思います。

しばらく、日本の政治に関しては、余りアツくならずに静観で行きたいと思います。しかし、しばらく余震、揺れ戻しもあるでしょうし、何より、今やアホウ自民党以下の無能政党と成り下がってしまった民主党のカン内閣が順風満帆(マンポ?)に行くわけがないでしょうし、一兵卒を強調した小沢氏、これはカン内閣には協力しないという意思表示ですから、自由党再結成の可能性をも含んだ荒れ模様の政界が続きます。
小沢政権が誕生していたら、しばらく政治の話はやめるつもりだったのでしたが、思惑がはずれたので、最後にもうひとくさり放ってからにしたいと思います。

今回、カンさん支持派に対しては、負け犬の遠吠えのようですが、驕れるものは久しからずと言っておきましょう。保身第一のカンさんは代表選勝利の瞬間に、これからの多難を実感して顔がこわばっていました。しかし、周囲の状況に合わせてカメレオンなみに言う事、なすことが変わるこの人の変化の早さは驚きます。「自分の考え」というものがないのでしょう。人の批評をかわすために自民党の政策に抱きつき、代表選中の演説では、毎回、言う事がかわり、最後には小沢氏の政策に抱きつくという有様でした。意見がブレまくるという点でブレがないです。責任はとりたくないが、総理にはなりたい、という典型的小市民根性が体現されています。選挙前に調停に右往左往した鳩山氏はカンさんとの会談後、「だまされる悔しさをつくづく味わった」と言ったそうですが、思うに、カンさんは、だましたつもりはなくて、ウラの悪徳弁護士やマエハラ氏らに言われるままにいつものようにフラフラと日々対応しただけなのではないでしょうか。(中身がないのにあるように見せかけていた空きカンだからやはりだましてはいたことになるのでしょうか?因みに阿波狸と呼ばれているこの悪徳弁護士とは、不倫スキャンダルで弁護してもらったころからの付き合いだそうです)
 私、「アホウと悪人では悪人の方がましだ、なぜなら悪人は時に悪人でなくなることもあるがアホウは死ななきゃ治らない」という意見には基本的に賛成なのですが、この政権に関しては、やはり死ななきゃ治らないブレブレのカンさんよりも、ウラで絶対ぶれない悪徳弁護士やマエハラ氏の方が遥かに怖いですね。カンさんはただの飾りかも知れませんが、ウラの連中は人事権、カネを握っています。連中も権力を掴んだ以上、何をしだすか分かりません。多くの人は民主党も参院選で過半数を割ったくせに、(本気が病気かわかりませんが)、「野党とはよく話し合って法案を通していきたい」などと脳天気なことを言っているカン内閣は、よく保っても来年の頭には解散に追い込まれる、と読んでいるようですが(私もそう思います)、ひょっとしたら既に、悪徳弁護士は(官房機密費を使って?)政権を安定させる謀略を実行にうつしているのかも知れません。例えば、国会に向けてウラで自民党と手を組んでいるかも知れません。カゲの内閣ならぬカゲの大連立が実はもう仕組まれているかもしれません。そうなると、日本国民は計り知れない打撃をうけかねません。杞憂であればよいのですが。

今回の民主党代表選選挙では、34%のサポーター、党員票が行方不明になっている、議員投票の前にサポーター、地方党員票の結果がリークされて、投票前の議員に情報が流され、47人が寝返った、露骨な買収の電話が党員にあった、などなど、不正疑惑が多々ありますが、仮にこれらの不正が証明されたところで、結果が覆ることはないでしょうから、もう過去のことは言いますまい。ただ、私は、この結果は、少なくとも国民の大多数の意志とは逆の結果であり、昨年の総選挙での民主党が国民とかわした約束を裏切るものだと思います。土壇場で寝返った47人(多分一年生議員でしょうが)の議員は、そもそも誰のおかげで、誰の支持を得て当選できたと思っているのか、恥を知れ、と言いたいです。小沢氏が幹事長で党の選挙を指揮し、選挙区民の国民の人々の支持を得たから、はじめて議員という身分で偉そうにしていられるのではないのでしょうか。にもかかわらず、恩を仇で返し、国民との約束違反を堂々と公言する首相を支持したのですから、これは二重の裏切りです。その身勝手な判断がこの国を亡国に導き、国民に多大な苦しみを与えることになるのだ、ということを謙虚に反省してもらいたいと思います。(もっとも、それができるような人間なら最初から寝返らないですかね)

この代表選、四種類の人間が登場しました。理想を持って日本を良くしたいと願った人々、国民の味方のふりをして実は体制側に寝返っていた悪人、悪人に担がれて利用されるカラ神輿、最後の最後で己かわいさに恩人を売る小市民。私個人的には、最後の二つに我慢できません。「Despicable」という英単語を思い出させます。

最後の最後の悪口で気が引けますが、ちょっと、カンさんに関して、心に引っかかっていることがあるので書き足しておきたいと思います。
検察裏金づくりの告発をしようとして口封じ逮捕された三井さんを国会招致するはずだった議員はカンさんでした。三井さんはなぜかそ告発予定の当日に逮捕され、結局カンさんはその不当逮捕の後も何もしませんでした。政府の暗部に触れようとした石井紘基議員が暗殺されたときも、石井氏とカンさんは前日会っていて、その事件後、資料箱の前で石井氏の遺志を引き継ぐとか言って体の良いパフォーマンスをマスコミの前でやったくせに、結局、何もしませんでした。タイミングを考えると、この人は単に無能な空きカンというだけではないのではないかと思い始めています。そんなことをつらつら考えていると、中国人は「カン」という音を聞くと「奸」という漢字をまず思い浮かべるという話を思い出しました。

追記。
幹事長は岡田氏だそうです。まあ、一兵卒の小沢氏ですから、この人事が仮に小沢派に回って来たとしても断ったでしょうから、驚きはしませんが、民主党は本当に人材がいないのですね。またまた最後の悪口で悪いですが、岡田氏は悪徳弁護士やマエハラ氏ほどの黒さはないと思うのですけど、頭の中身の出来に問題があると思います。安倍内閣がママゴト内閣と揶揄されましたが、今度の組閣と党人事はママゴト以下ではないでしょうか。悲しいかな、自民党の方がマシに見えてきました。
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民の声を聞け-Everything must change-

2010-09-15 | Weblog
駅のホームの片隅で、前から時々、弾き語りをしている中年のおじさんが、Otis Reading(訂正、Reddingでした)の「Dock of the bay」を歌っていました。26歳で飛行機事故で死んだOtis Readingの死後、発表されて大ヒットした曲です。私がこの曲をラジオで初めて聞いたのは高校生ぐらいだったような気がします。歌詞もよく分からず、最後の口笛の部分だけをマネしたものでした。電車を待っている間、弾き語りのおじさんの歌を聞いていて、初めて歌詞の内容に注意がいきました。--ジョージアの田舎から成功を求めてサンフランシスコに出て来たが、今、波止場に腰掛けて、ぼんやり波が行ったり来たりするのをみている。結局何も変わらない、大勢の人がやればよいと言うようなことは自分にはできない、きっと、自分も変わらないのだろう。--
It looks like nothing is going to change. Everything still remains the same... So, I guess I will remain the same...

そんな、静かなあきらめの気持ちの入った物悲しい気分の歌が、民主党代表選でのまさかの小沢氏の敗北の翌日に通勤の駅のホームで、歌われていました。
選挙の神様、自分の選挙で負けた事がない小沢氏のまさかの敗北に、私も含めてうち沈んでいる国民は大勢いるでしょう。

官僚支配、国民搾取の構図は、「民主党」という看板に架け替えられても、変わりませんでした。どう考えても政権担当能力も党管理能力もなく、国民の生活のことを考えているとは思えないカン内閣を支持した民主党議員は、結局、官僚任せで国民にしわ寄せが来ようとも自分のバッジさえ当面守れればよい、という考えだったのでしょうか。誰よりも自分がかわいいと思う人の性質は、バッジをつけたからと言って、変わりません。むしろバッジをつけたからこそより強くなるのかも知れません。
彼らは、この沈没しつつある日本の危機においても、じたばたして自分の身を危険に曝すぐらいなら、沈没するまでは安穏としていたい、そう思っているのでしょうか。日本を良い国に変えたいと思うより、自分の議員の身分を変えたくないと思っているのでしょうか。

それにしても、この選挙での(不正がなかったと仮定して)民主党員の不明には落胆せざるを得ません。民の声が聞こえなかったのでしょう。己かわいさで謙虚に天の声を聞くことができなかったのでしょうか。
そして、この選挙におけるこの人たちの判断のために、民主党は自民党以上に操りやすい政権政党となってしまいました。今後、消費税の増税、普天間問題の膠着、円高株安、官僚天下りの横行、格差の拡大、雇用のますますの低下、がおこるであろうことが考えられます。カンさん緊縮財政で福祉を削って官僚の利益を守ろうとするでしょうから、国民の生活はますます苦しくなるでしょう。

そんな暗い気分で電車に乗っていましたが、電車を降りると、頭の中に残っていた「Dock of the bay」のメロディーは、いつしか、Randy Crawfordの 「Everything must change」に変わっていました。

Everything must change. Nothing stays the same....

今回はダメでも、いつの日か、日本に国民主権がもたらされることを信じたいと思います。(とは言っても失望は深いです。自信のあった論文をヘンなレビューアに当たって落とされたような気分です)
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9-11の週末

2010-09-14 | Weblog
先週末は、9-11 のテロから9年目でした。
9-11のテロに関しては、未だにあの犯行がイスラム系テロリストによって行われたのかどうかを疑う人々も多く、陰謀説が後を絶ちません。例えば、WTCで働く4000人のユダヤ人のうち犠牲になったのはただ一人だったとか、飛行機が突っ込んだはずの穴から笑顔で手を振っている人の映像があるとか、飛行機が衝突した瞬間を撮ったビデオは殆ど全て修正の後があるとか、衝突の瞬間をほぼ同じアングルで撮った複数のビデオでは、飛行機が映っていないものがあるとか、ペンタゴンに落ちた飛行機は米軍機によって撃ち落とされたのだとか、そういう証拠を列挙してあるサイトを見ると、たしかにこの飛行機のテロには怪しい部分が多いと思わされます。結果として、その後ブッシュは「テロとの戦争」を宣言し、ありもしない大量殺人兵器を隠している言いがかりをつけてイラクに侵攻し、フセインを殺したわけです。9-11は中東のオイル利権をにらんで戦争の口実をつくるための自作自演だったという説も結構説得力があります。本当にイスラム系テロリストがやったのか、あるいはイスラムとは無関係の利権に絡む連中が中東での戦争を目的にやったのか、私はわかりません。ただ、この事件のために、イスラム - テロ - 反アメリカという単純な一本線が引かれ、多くの一般アメリカ人は「イスラムはアメリカの敵」という「政治とカネ」みたいな条件反射的反応を獲得しました。中止になったものの、フロリダのキリスト教牧師はイスラムの聖典であるコラーンを梵書するというバカげた行動にでようとしました。この行動には論理的思考というものが欠如しています。そしてその結果は根拠のない憎しみを増大させるだけです。それが牧師の仕事であるとはとても思えません。

こういうアメリカ人の行動を見ると、小沢氏の「アメリカ人は単細胞」と発言しましたが、そう言いたい気持ちは私は十分わかります(単細胞なのはアメリカ人に限りません)。この発言を失言ととる人がいますが、囲碁の名手で常に先を読んでいる小沢氏、アホウさんやアホウ内閣の閣僚ではないのですから、意味のない失言はしないでしょう。これは、意図的な挑発であって、その発言に対するアメリカの反応を見たかったのだと私は思っています。この発言は代表選立候補前に行われており、対米自立を公言している自分が総理になった時のアメリカの態度を知るためにワザと挑発的発言をしたのだろうと思います。
 11日付けの2ページにわたるNY timesの小沢氏に関する記事(http://www.nytimes.com/2010/09/12/world/asia/12ozawa.html?_r=1&partner=rss&emc=rss)では、小沢氏をWashingtonに「No」と言える男と紹介しています。アメリカは小沢氏が総理になった場合とカンさんが総理を続けた場合の損得を勘定しています。アメリカもどうも小沢氏の方が、たとえ対米自立路線であっても、交渉ができると思っているようです。

いよいよ本日、民主党代表選の結果が出ます。選挙や勝負は蓋を開けてみないとわかりませんから、小沢氏が勝つのは間違いないとは思いますが、多少不安もあります。マスコミは相変わらず、サポーター、地方議員票でカンさん有利で接戦とか言っていますし、例の怪しい世論調査の結果をずっと垂れ流し、有権者の誘導を図っていますが、今回の有権者は自分の将来がかかっている当事者ですから、みすみす、そんな誘導に乗ることはないでしょう。後の心配はサポーター票の不正操作ですね。あのカンさんのウラにいる悪徳弁護士ならとんでもないことでもやりかねないと心配しています。「ラターシュに魅せられて」では、小沢氏の票読みの正確さを上げています。小沢氏が出ると言った時点で、勝負の行方は9割方読まれてしまっているということです。議員票に限れば、おそらくダブルスコアに近い差で小沢氏が取るでしょうし、サポーター票、地方議員票に関しても、不正がなければ小沢氏が過半数をとることになると思います。
 もしそういう結果となったら、これまでのたれ流してきた「大ウソ」の調査結果について、マスコミはどう言い訳するのでしょうか?いつものように、昨日のことは記憶にございません、とでもいう態度で、「開いた口をふさがらなく」してくれるのでしょうか?とにかく、マスコミは大ウソつきですから、ウソつきの話を真に受けてはいけません。小沢総理誕生後も、まだまだ検察とマスコミの攻撃はヒドくなるでしょうが、今回の村木さん冤罪事件での余りにひどい検察のやり口も広がったでしょうし、小沢氏の「政治とカネ」の問題など、最初から存在していない虚構であることも知られるようになるでしょう(週間朝日の山口編集長、テレビの生中継でも「小沢氏の政治とカネの問題は虚構である」と断言して、それに対しで誰も反論できなかったそうです)。

街頭演説の声援を見てもインターネットでの様々な調査をみても人々は小沢氏を支持しています。民の声は天の声、今回は「ヘンな天の声」が出ないことを願います。
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脅しに屈してはならない

2010-09-10 | Weblog
今年もあっと言う間にもう第三コーナーが目前に迫っています。USオープンが終われば、間もなく長く暗い冬も間近です。去年まではグラントで苦しみ、今年は論文で苦しみ、休みらしい休みも取れないままでした。一つ終わったと思ったら、次から次へ雑用が舞い込み、忙しい割には、本業は余り進んでいません。少年老いやすく学なり難し、ここ十年間、私のテーマソングのように、何かにつけこの言葉が頭をよぎる此の頃です。

先月末には、学会の長老級の人が85歳で死去との知らせ。3年前、一緒に食事させていただいたことがあります。研究者としての最盛期を私は余り知りませんけど、人間的に親しみやすい暖かさを感じさせるチャーミングな人でした。3年前も自分の研究グループを持ち、外来患者も診察して、臨床、研究ともに現役でした。寂しく思う人は大勢いるでしょう。

その後、学会誌の編集委員の任期が今年末で満了となるという知らせ。編集委員といってもヒラなので単なる常任レビューアとしての雑用係です。最近、学会も二回に一回は行かなくなりましたし、行っても学問的な意味でインスパイアされることが少なくなりました。そろそろ潮時かなという気持ちもあります。初めてこの学会に参加したときは、とても刺激的で面白いと思いましたし、その後も参加の度に気分が高揚するようなこともあったのですけど、この5年ぐらいはそう面白いと思うことがありません。昔の知り合いと近況交換するのが唯一の目的という感じでした。私の方が変わったのでしょう。研究もいつまで面白いと思えるかな、と思います。若いときは野心的でしたが、研究の現実に慣らされるに従って、その限界がますます実感されて、気分が沈むことも多くなりました。破滅的になるのが怖いので若いときほど科学の限界を直視しないようにはしています。

またまた、政治の話ですが、私、日本は今、崖っぷちに片足一本で立っているようにと感じます。一気に奈落へ落ちるのか踏みとどまるのか、この民主党代表選が今後の二十年を決める要の戦いになるのではないかいうような気がします。それで、毎日やきもきしながら成り行きを見ています。

「代表になったら命を賭けてやる」と小沢氏、腹を括った決意を見せました。私、これは喩え話ではなく、本人は暗殺の可能性も考えているのだろうと思いました。猛暑の中の街頭演説、カンさんはノータイ、シャツ一枚の気楽な格好でしたが、小沢氏スーツをびっちり着ていました。どうもあの感じからは防弾チョッキを下に着ていた様子です。

一方、どちらの支持も表明していない、おそらく勝ち馬に乗りたい民主党議員、この保身第一の連中が、小沢氏の決意をブチ壊しにするのではないか、と私は心配しています。未だに支持を表明できないのは、彼らの第一の関心事が、選挙区民のことでも日本の社会のことでもなく、自分の議員バッジを守りたいということだからでしょう。衆議院議員は解散総選挙となって、また選挙をやりなおしはイヤだと思っているでしょう。カンさんは、そういう新人議員の歓心を買うために、3年は解散しないと出来ない事を言ってみたり、突然、新人議員との面談を組んでみたりという手を弄しました。一方、マスコミは、小沢氏が「壊し屋」で、政界再編成を企んでいるのだと報道し 、小沢氏が代表になったら党が割れて解散総選挙になる、みんなの党はもう選挙の用意をし始めた、というような話を流して、風見鶏議員の誘導を試みています。

そこへ鈴木宗男氏の上告棄却で実刑決定のニュース。双方が贈収賄を100%否定してきました。様々な証言からは、例によって、検察は自分の描いた絵に合うように調書をでっちあげたようです。佐藤優氏と鈴木氏の数多の著書に詳述されているように、この事件は「国策捜査」であり、冤罪である可能性が極めて高いものです。しかし、裁判所も例のごとく調書主義で、公判での証言も採用せず、検察の言うがままの判決を出した上に、あくまで無罪を主張する被告に対して「反省がない」とかいう判決文だったらしいです。裁判官は何様のつもりなのか、これまで散々、検察主導の冤罪事件に手を貸してきて、本当に反省しないといけないのはどっちの方でしょうか。

民主党代表選前のこのタイミングで、小沢氏支持を打ち出している鈴木氏の上告棄却を出してくるというのは、松山千春さんも仄めかしているように、これは国家権力を使った脅しだと思います。「小沢氏を支持するならば、いつでも捕まえて社会から抹殺してやるぞ」というヤクザそのままの脅しですね。検察裏金告発で口封じ逮捕、実刑判決を受けた三井さんも言うように、検察と裁判所はすでにグルになっているようです。この一年でもあってはならぬはずの冤罪事件がいったい何件あったでしょうか。そして検察とナアナアとなった裁判所の裁判はすでに形骸化してきています。この国は法治国家でもないようです。こういう既得権者と組んだ国家暴力は断固として排除されなければならないと改めて思います。鈴木氏、会見では力強くに見えましたがその心中はどのようだったのでしょう。鈴木氏の発したメッセージを国民が真剣に考えてもらいたいと思います。日本は国家権力とマスコミを操って国民をコントロールする側とされる側にはっきりと分かれています。この鈴木氏や厚生省の村木さんや小沢氏やその周囲の人に起こっていることは、人ごとではなく、誰にでも起こりうることです。捏造記事を垂れ流して、真実を折り曲げ、弱者を叩くマスコミも同罪です。不正に力を利用して人を貶める者は同じ報いを受けるでしょう。天網恢々粗にして漏らさず、悪が栄えた試しはありません。

ムネオ日記: http://www.muneo.gr.jp/html/diary201009.html

追記。
以前のムネオ日記に下の話があったことを、知りました。私はまた怒りがこみ上げてきました。まず周りの人間を痛めつける検察の卑劣極まりないやりかたは、今年始めに、特捜が石川議員の秘書を、書類の返却だと騙して出頭させ、十時間にわたって不法拘束し、密室で追いつめたのと同じ手口です。

平成14年7月23日、私の事務所の政治資金担当者である女性秘書が逮捕された。その女性秘書はその年の4月に子宮ガンの手術をし、その後放射線治療を受けていた。それにも関わらず、検察は彼女を逮捕した。20日間勾留されている間、治療は受けられない。
検察の意図が私に不利な調書を取ることにあったのは目に見えていた。それでも私は「命が大事だ」と言い、早く20日間で出ることを優先する様にと弁護士に話した。案の定、その女性秘書の調書は検察の思い通りのものであった。
公判でその女性秘書は「検察に言わされました」と証言してくれたが、日本の裁判は調書主義で、裁判長は法廷での真実の発言、叫びは採用してくれなかった。残念なことに、その女性秘書はガンが転移、進行し、翌15年9月、亡くなってしまった。
亡くなる直前に私は保釈されたが、その女性秘書との面会は禁止という検察側の条件が付いており、お墓での対面となってしまった。
その女性秘書を検察は起訴できなかった。最初から起訴できないことを承知で女性を拘束し、私に不利な調書をつくり、自分達の都合の良いシナリオ、ストーリーを描いていくのが検察のやり方である。

鈴木宗男氏、会見では、検察批判とともに、仙谷氏を批判していましたが、私も仙谷氏の言動を見ていると、この人は政治家としてだけでなく、人間としても許せないと思います。カンさんは不倫現場を見つかった時、「一夜を共にしたが、ナニはしてない」と言い訳して、不倫相手に「あれほど薄汚い男だとは思わなかった」と吐き捨てらましたが、ひょっとしたら仙谷氏は薄汚いと言うレベルではないのではないかと思います。この人の顔を見ると悪徳弁護士という言葉が自然に思い浮かびます。余り、生産的ではないので、こういう悪口は止めておきます。

とにかく、民主党代表選、くれぐれも、民主党党員とサポーターの方々は、脅しに屈せず、「正しい判断」をしてもらいたいと念ずるばかりです。
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金のない世界

2010-09-07 | Weblog
民主党代表選出馬の時の会見で、日本経済を建て直す方法について、カンさんは、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」だと言って、福祉や社会保障の分野での職を増やしたい、というようなことを言っていました。これについては、既に、少なからずの人があきれて批判されていますが、経済はド素人の私でも、さすがに、それはおかしいだろう、と思いました。

私たちが生きていく上で何が大切かを考えたら、まずは衣食住でしょう。衣食住を供給する仕事、これは間違いなく実業であり、そういう仕事で生み出される「価値」を例えば外国に売れば、日本の富を増大させるであろうことは容易にわかります。そして、その富を社会に配分して、国民の生活を向上させることは可能でしょう。しかるに、必ずしも絶対的な価値を生み出さない、例えばサービス業のようなものの場合はどうでしょう。それでも金は回るようになりますから、税収は上がります。しかしそれは、サービスを受ける側からサービスを与える側に対して金が移動が行われるだけで、サービスそのものが「外国にも売れる」ようなよりユニバーサルな価値を生み出さない限り、日本全体としては別に黒字になるわけではありません。サービス業に頼った経済は、とりあえず金が回るので一見、豊かになったような気をするものの、国内の富は全体としては増えない一方、金が回る度に税金を取られますからむしろ、国民自身にとっては実質的にはマイナスです。そのままでは、いずれその回転がスローダウンし破綻します。前にも言った喩えですけど、国内の福祉やサービス業で雇用を拡大するというのは、「芸者と花札」をするようなもので、お座敷の中で金が右に行ったり、左に行ったりするだけです。たとえ、芸者相手に花札で勝った所で、そもそもお座敷代は自分が出しているわけですから、どれほど勝とうとも儲けているのは、お茶屋の方です。

カンさんの言うような「福祉で雇用を生み出して、経済の建て直しをする」というアイデアは、昔どこかで聞いた「一気にGDPを増加させる方法」という笑い話(?)を思い出させます。この話は、つまりは、国の経済規模を上げるために、全ての国民の活動に金銭のやりとりをリンクさせればよいというアイデアです。

例えば、法律で、あらゆる家事労働に報酬を払わなければならない、というように決める訳です。夫婦で妻が専業主婦だった場合を考えてみましょう。ここで、妻の家事労働に対して、夫が報酬を払うことを義務づけると、その世帯の見かけの総収入は妻の家事労働分、上昇します。勿論総収入が上がれば、政府は税収増加になるので政府はうれしいでしょう。しかし、その世帯での総合収入がいくら上がったところで、妻の給料の出所は夫が外からもらってくる給料なわけで、世帯全体での実質の収入はふえないどころか、税金を取られてむしろマイナスになります。もちろん、国民はこんなバカなことはしませんが、GDPは労せず増加します。本来「絶対的な価値」を生み出さないようなサービス業で雇用を創り出して、経済を成長させるというアイデアは、つまるところ数字さえ上がればよいという発想です。GDPの増加が経済成長だとでも思っているのなら、こういうイカサマで数字ぐらいいくらでもいじれます。そうではなく、「実質経済」の話をしてもらわないといけません。そのためには、「価値」をまず産み出さないといけません。その「価値」を外国に売ることで金に替える。その金があってはじめてサービス業というものが成り立つわけです。一次、二次産業による価値の創出がない状態で、サービス業が増えるということはあり得ませんし、政府が無理にサービス業を増やして、一時的に雇用を上げて経済をよくしたところで、そのソースになっている金がないのですから、すぐ行き詰まるでしょう。

こういう実のある価値を生み出さない産業(典型的なのは金融産業ですが)で、マネーゲームのやりすぎで経済低迷に陥ったのがアメリカという国ではないのでしょうか。例えば、株式投資という博打では、株で儲かったということは、誰かが同じだけ損をしたというだけのことに過ぎないです。

カンさんの「福祉というサービス業で雇用拡大して経済を好転させる」という話のおかしさは二点あると思います。一点は、いくらサービス業をやったところで、福祉のような国内での金とサービスのやりとりに限られる場合、実質的な国全体としての富は上昇せず、その経済活動には「実」がないということ、そしてもう一点は、そもそも、雇用というものは、雇用の需要がまず最初になければ成り立たないもので、雇用は、経済好転の結果上昇するものであり、雇用があるから経済が好転するのではないということでしょう。週末の街頭演説で、小沢氏は、「雇用拡大のためには、景気を良くしないといけない」といって景気対策の具体例を述べました。一方、カンさんの理屈は、雇用を何とかすれば景気が良くなると言っているようです。これは本末転倒というものです。政府の資金投入による雇用拡大、ニューディール政策はあくまで一時しのぎであり、アメリカの場合、大恐慌から抜け出せたのはその後の戦争のおかげでした。(引き換えに多くの人が死にました)

確かに高齢化社会を迎えて、福祉のニーズは沢山あります。雇用に繋がらないのは、そのサービスに使うための金が乏しいからではないでしょうか。経済成長を目指すのであれば、まず外国に売れる「価値」を産み出し、金は外から取ってこないといけません。自分の足を自分でいくら喰ったところで、タコは成長しません。

外国から金を取って来れないのなら、経済成長なしでやっていける方法を考えるべきだと思います。それこそ、私は日本が目指すべき道だと思います。金がないと生きて行けない社会にしてしまったのは経済大国を目指した当然の結果です。経済大国になって、外国にモノを沢山売って、国民生活を上昇させる、この方式はもう昔と同じようには働きません。福祉で雇用をあげて見せかけの経済成長を演出するような小手先のゴマカシをするよりも、むしろ経済成長を捨て、金や仕事が乏しくてもいきて行けるように、衣食住のコストを下げ、意図的に経済縮小を考える方が一般国民にとっては望ましいと思います。そのためには何より自給自足ができるように食料自給率から上げていくことが不可欠と思います。

衣食住が技術の進歩などで安価になれば、多くの人が金を稼ぐために仕事をしなくても生きて行けるようになるはずです。(実際はそうはなっていませんが)そうするとサービス業もみんな基本的に無料でおこなうことができるようになるわけです。そんな理想郷では経済という概念なしで人々は生活することができるようになり、経済苦で自殺する人はいなくなります。(もっとも、人間は強欲な生き物ですから、これは実現されることのない理想です。共産主義が成功しなかったように、金がなくても皆が幸せに生きていける社会というのは実現不可能でしょう。しかし、私は国民の生活を良くするために経済成長を目指すというやり方は既に行き詰まっていると思いますし、資本主義の原理を突き進めることが人間を不幸にして来たと思っています)

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低品質政治家の害

2010-09-03 | Weblog
私、政局、陰謀、そういうのは嫌いなのですけど、やはり政治家は、選挙で勝って多数をとってやりたい政策を実現しようとするわけで、結局、戦争、闘争というようなものが根本にあるわけですね。なかなか小学校の学級会のように、みんな仲良く、世の中を良くするという目標に向かって頑張りましょう、とは行きません。ただスポーツトーナメントと違うのは、優勝することがゴールではないことです。選挙や闘争に勝つことは、それ自体が目的ではなく、本来、その先の目標を達成するための手段にしか過ぎません。先の民主党代表選出馬会見では、権力の座に着くことが第一の目標の人と、日本に民主主義を根付かせ本当の独立国にして国民の生活を守ろうとするために代表選で先頭に立つ覚悟を決めた人、その違いがはっきりと見えたのではないでしょうか。

今、国民が政治に関心を持つのは、権力闘争のドラマを見たいからではありません。自らの生活と日本の将来がかかっているからです。日本の社会や将来を誰よりも心配しているのは一般国民であると思います。残念ながら多く政治家は自分の権力欲や金銭欲といった「小市民的」願望で動いているだけで、真剣に日本の社会のことを考えているように思えません。私は、本当に日本のことを考えて、一生懸命やろうとしている人を応援したいです。

昨日のNHKのニュースの、臨時国会開催を求める自民党国対委員長の発言。

自民党の川崎国会対策委員長は、野党5党の国会対策委員長会談で、「政府・民主党は代表選挙をめぐる権力闘争に終始していて、円高・株安など緊急の課題に対応できていない」という認識で一致した。


これは本音なのでしょうか。過去数年、茶番の代表選を繰り返して税金を使って自分の党の宣伝を繰り返していたのはどこの党でしたっけ。今回の民主党の代表選が本当に権力闘争としか見れないとしたら、それは55年体制の一党独裁だった自民党根性が抜けきらず、国民の気持ちも読めないアンポンタンということではないでしょうか。国民はこの代表選を「権力闘争」などという下世話なレベルでは見ていません。そんな余裕はありません。しかるに、プロであるはずの野党政治家がこの見識なのですから、朝日新聞の社説ではありませんが、開いた口がふさがりません。顎関節症になってしまいそうです。

どうして代表選でカンさんを下ろさないといけなのか、国民はよくわかっています。それはカンさんと党執行部が、国民との約束である昨年のマニフェストの内容を反故にした上、円高株安などの緊急の課題に全く対応できる能力を欠き、かつ本来の目的であった参院選を大失敗で終えてしまったにもかかわらず、ねじれを乗り切るためのの能力も作戦もあるように見えないからです。このまま行っても、カンさんでは早晩、政権運営が行き詰まり、結局、何一つ法案も通らないまま、ジリ貧で解散総選挙に追い込まれて、与党の座から惨めに転落することが目に見えいます。それで、以前から決まっていた代表選という手続きを踏んでもっと仕事のできる内閣をつくるために、やむなく小沢氏は立候補したのではないのでしょうか。小沢氏も何もこんな局面で出たくはなかったでしょう。だいたい、カンさん本人も「参院選で国民への信任を問う」と大見得を切ったのですから、参院選で惨敗し、国民がカンではあカンと言った時点で代表選辞退と執行部の更迭が筋でした。

小沢氏の民主党代表選への立候補で、小沢政権がまもなく樹立されることになるでしょうが、衆参ねじれがあり、かつ党内にも問題児の多い民主党を率いての船出は、厳しいものがあります。是非とも今回は粘り強く豪腕を発揮してもらいたいと思います。何と言っても、衆参ねじれを乗り切れるかどうかが焦点とおもいます。乗り切れれば、与党ですから党内の問題児もブククサ言いながらもついてくるでしょう。乗り切れないようなら、解散、総選挙。そうなれば、多分、小沢氏は民主党の問題児を嫌って、袂を分ち、政界再編を試みるのではないでしょうか。(すると、マスコミはまた「壊し屋」といって非難するのでしょうね)

国民にとってのベストは小沢政権が、とにかくねじれを乗り切って、脱官僚政策をバシバシと通してもらうことでしょう。そのためには、参院選で議席を減らしてしまった今、野党との連合は不可欠でしょう。大連立が長期的には日本の政治に取ってよくないのはその通りですが、既に野党ではないのですから、与党ならではの最大の責任、政策法案を通すこと、が何より最優先であると思います。政策法案が通らなければ、政権与党の存在価値はありません。衆院で2/3に届かない状態で参院も過半数を割った党は単独では何もできないという日本ならではの問題があります。

昨年の衆院選での勝利の後、小沢氏は参院選の勝利のみを目指してきました。衆参を両方おさえて初めて与党としての力が発揮できます。参院選必勝を期し、内閣運営には一切口出しせず、党幹事長として選挙で勝つことだけに集中してきました。その間、鳩山氏の普天間の不手際と検察とマスコミの小沢氏への攻撃で支持率が低下。その参院選への影響を除くべく、ダブル辞任し、カンさんに後を託しました。ダブル辞任は選挙のため、カンさんを首相にしたのも党が選挙に勝つためでした。カン内閣は、先の自民党アホウ氏と同様、選挙管理内閣のはずでした。ところが、カンさんは、蓋を開けてみたらとんでもないトンチンカンで、首相の椅子に座った瞬間から、選挙管理内閣の使命である参院選必勝という至上命題を忘れ、棚ぼた首相という僥倖に舞い上がり、首相の椅子に一秒でも長く居座ることしか考えていないことが露呈しました。代表選立候補での声明で、カンさん、これからカン内閣が始動する、とか言っていましたが、私、噴き出してしまいました。選挙管理内閣として既に始動したのに、全く役に立たず、参院選惨敗となって、カン内閣はそこで失敗に終わったという現実を受入れたくないのでしょう。これから始動ではなく、参院選とともに終わっているのですけど。このトンチンカンぶりでは、小沢氏でなくとも、堪忍袋の緒が切れます。自分の党がかわいい鳩山氏、人の良さもあるのでしょう、あっちにうろうろ、こっちにうろうろ仲を取り持とうとしましたが、やはり、ダメなものはダメでした。

しかし、野党連中の発言、民主党内の問題児の発言を聞いていると、特に今だに「政治とカネ」という言葉を念仏のように唱えている思考停止した議員も少なからずいます。根本の問題は民意を託されているはずの日本の政治家のレベルが低いことが何より問題ではないのか、と思わされます。
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