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百醜千拙草

何とかやっています

見えないものを見る力

2011-01-28 | Weblog
先週末、家でぼんやりしていると、キリスト教系宗教団体の勧誘員の人がやってきました。モルモン教はこれまでも何度か訪問がありましたが、この団体は初めてでした。宗教をどう思うかと最初に聞いて来たので、宗教は人間をコントロールするために利用されてきた、と言ってみました。すると、それは本来の宗教の目的ではない、われわれが望むのは人類の平和的繁栄だ、というようなことを言いました。ま、その通りです。私は、人間の理解や限界を越えた「神さま」みたいなものは信じておく方が人は幸せになれると思っております。私も「神さま」みたいなものは信じております。しかし、それと、宗教団体に属して活動するというのは別ものです。私の「神さま」は、ごく個人的なもので、アイドルスターではないし、同好の志と集って神さまの話で盛り上がりたいという気持ちもありませんので、宗教団体に入って活動したいとか思ったことはありません。
 その勧誘の人は、聖書には良い事が書いてあるからそれを広めたい、とか言うような話をして、例えば、イザヤ書のここには、武器を壊して農具に変える、というような記載がある、とその部分を開けて見せて、「われわれは世界の平和を強く願い、このように平和が実現することを信じており、その実現に向けてこうして活動をしている」というようなことを言ったのでした。その趣旨にはケチのつけようはありません。私も、この人々と同じように、人々が信頼しあって平和に暮らせる社会が実現すれば素晴らしいと思っております。ただ、歴史を振り返って、そして現在でも周囲を見渡してみると、そうやって目的を真っ直ぐに目指してやって、平和を達成することは難しいだろうと思わざるを得ません。というより、私は実はこの世の中はわざと住みにくくできていて、障害物競走のフィールドのように設定してあるのだろうと私は思っております。人間は、それぞれのやりかたでこの障害を乗り越えていくようにできているのだろうと思います。宗教を通じて人々の意識を向上させたい、というのも一法でであると思います。一方、もしもわざわざ障害物競走のフィールドのように世の中が設定されているのなら、いわば、障害物競走のフィールドをならしてトラック競技場に変えること良いことなのかとも思います。また、私は、悪がなければ善もないと思っていますし、戦争がなければ平和もないと思います。平和を実現しようとする努力は大切だと思いますが、それによって本当に平和が実現されることはないと思ってます。理想を目指して努力することは尊く、そういう活動から人は様々な事柄を学んで成長します。結局は社会的動物であっても、人間は個人としての成長のために、社会生活を営むのであろうと私は思います。人類全体の平和を願うことは自然なことですが、自分一人のことですらマトモに面倒をみることもしばしば難しいというのが現実でしょう。「汝の隣人を愛することは人類全体を愛するよりもしばしば困難である」とも言いますからね。

社会は人間同士の信頼によって成り立つものだと思います。隣人が自分に対していつ夜襲をかけてくるかもわからないという状況では、自分の身を守ることに多くのエネルギーを費やさざるを得ず、協同的で生産的な活動ができません。人間の善良性を信じることができることは大切なことだと思います。私も、基本的には信じております。しかし、武器を壊して農具に変えるためには、人類全員がその善良な志を共有しなければできません。残念ながら、世の中には、他人の信頼を逆手にとって利用しようとする人が少なからずおります。オバマがいくら北朝鮮やイランやインド、中国に核軍縮を呼びかけても、アメリカがまず相手を信頼して核を捨てなければ、核はなくなりません。しかし、お互いに信頼できるという状況のの中にいないわけですから、核軍縮は当面、むりでしょう。
 信頼が社会の基本であっても、国同士の関係においては、各国の自己利益の追求が第一であって、そのためには他国を利用することもあるでしょう。外交とは、お互いの利益の最大化のための交渉に他ならないわけです。もし、他国をサポートすることが国益に寄与するとなればサポートするでしょうし、侵略して植民地にするのが国益だと思えばそうするでしょう。
 アメリカが戦勝国にもかかわらず、戦後、露骨な植民地政策をとらず、日本を独立国のように扱って保護してきたのは、もちろんアメリカの国益にかなったからでしょう。当時は冷戦時代でしたし。そのためにアメリカは日本の政治家、官僚組織、マスコミを管理し、日本とアメリカは重要な同盟国であるというプロパガンダを国民に流し続けてきました。そのアメリカは、先のオバマのState of Union Speachでも見られるように、アジアとの外交に関して、中国、インド、韓国に触れましたが、日本に関しては全く触れもせず、日本がアメリカの国益にとってもはや語るに足らない国であるという認識を明らかにしました。

喩えるなら、平和な牧場で草を食む平和な牧牛がいるとします。生まれてからずっと育って来たこの牧場で、エサを与えてくれて、冬の寒い時に納屋を与えてくれ、病気の時には看病してくれたのは、牧場主です。これまでの牧牛の生活は、懐かしいこの牧場での牧場主への信頼の上に成り立っていました。そして、この平和な牧場での生活が死ぬまで続くものと思っていたら、ある日突然、牧場主が場へ引いて行って、何が起こるのか分からないままに殺されて食肉に変えられてしまうわけです。
 人間の善良性を思い込みで信じるところの危うさはここにあると思います。過去を振り返れば、人間の歴史は信頼するものを裏切り続けて来た記録に他なりません。日本が「平和ボケ」と言われるのはこのことでしょう。牧牛のように、アメリカの善意を信じて来た日本人は、アメリカの搾取を裏切りと思うかも知れませんが、いつかは殺して喰うために育てている牧牛同様、アメリカにとっては日本の肉を喰らうのは戦勝国の当然の権利であると思っているでしょう。立場をちょっと変えてみて見ればすぐわかることです。ここで、日本が他国の善良性を一方的に信じて、殺されてしまった場合、誰が悪いのでしょうか。私は、善良性を一方的に信じた方に問題があると思います。
 私は、人間同士の信頼の上に成り立つ社会の中で他人の善意を信じて生きる方が、騙されるまいと疑心暗鬼になって日々の平穏をぶちこわすよりはましだと思っております。それで、ある日突然、牧場主が場へ引き立てて行っても、それは神さまの思し召しだと思う方を私は選びたいと思います。耐え難きを耐える「忍辱」こそが仏徒の選ぶべき道だそうですし。しかし、自分ではなく、もし自分の子供達が、利用されて殺されようとするならば、それは、絶対阻止しなければならない、と私は思うでしょう。
 牧場主アメリカの庇護のもと、産業を発展させて、高度経済成長を成し遂げた日本ですが、アメリカは高度成長が止まって沈み行く日本をこれ以上保護してやっても得はないと判断したのでしょう、後は殺して喰うだけだと、官僚、マスコミ、空きカン一味を使って、場へ送ろうとしています。刈り取りの時だと思っているのでしょう。これは阻止しないといけません。なぜなら、それはわれわれ自身だけのためでなく将来の日本の子供たちのためだと私は思うからです。

これを陰謀論だから信じないとか、枯れススキを幽霊に見間違えているのだとか、確たる証拠がないのに疑ってはいけないとか、いう人もいることでしょう。それではやはり思考停止だと私は思います。私が、25歳の研究初心者よりも実験がうまいのは、経験によるものです。失敗の可能性を予期して、それをあらかじめ排除することができるので、失敗が少ないのです。まだ起こっていない失敗を過去の経験からあらかじめシミュレートすることで危険をさけるのは、人間の経験による知恵で、役立つものです。だから、そんな目に見えにくい知恵を、目に見えないからと理由で軽んじるような、例えば「原理主義者」のような人は、失敗を繰り返すことになるのです。
 科学は、「方法的懐疑」という方法を手に入れて初めて成立しました。目に見えない真実や危険を知るために、目前ものの存在を方法的に疑うことの実際的な有用性は疑うべくもありません。マスコミ、官僚や空きカンどもが一方的に流してくるメッセージの目に見えない意味を、日本が、アメリカの敗戦国であり、世界最大の国外米軍基地を持ち、世界第二のアメリカ国債保持国であるというコンテクストにおいて考えれば、アメリカの日本に対する戦略は極めて明快であると私は思います。証拠がないからといって、マスコミやアメリカや空きカンの善意を信じ、こういう話を陰謀論として退けることは、頭を使わなくてよいのでラクですが、一方、ワザと危険察知能力を封じているわけで、より自滅を早めることになります。先を見通す力とは見えないものを察知できる能力です。だから、「神さまは見えないから信じない」と言うような人間の知性を私は高く評価しません。そういう人は見える人の見ているものが何なのか一生わからないでしょう。
 私は、これまでアメリカがしてきたこと、空きカン内閣の異常な豹変ぶり、WikiLeaksの文書、異常なマスコミの論調、などなど、ちょっと調べてみれば、アメリカとその手下の空きカン一味、官僚、マスコミの謀略は、目に見えないとか証拠がないとかいうレベルでは既になく、はっきりと目に見えていると思います。アメリカや官僚や空きカンの善意を盲目的に信じている人もわずかにいるかもしれませんが、思考停止して、連中を信じて身ぐるみ剥がされる危険を冒すよりも、この連中が日本を搾取しようとする危険を考えて行動するする方が益が多い、私の実験研究者としての経験はそう教えています。方法的懐疑による科学研究では、一方的に信頼して裏切られるのは信頼する方に責任があります。昔の友人が「信じるものは騙される」のだ、と教えてくれました。

さて、先日のオバマのState of Unionの演説では、共和党員と民主党員が左右に分かれずに入り交じって座るという席の配置に変え、党間の対立を乗り越えての団結を意図したようです。しかし、相変わらず、共和党の「小さな政府」、「緊縮財政」への要望はオバマのプランに不満なようで、オバマのヘルスケア改革をひっくり返すと言っています。オバマも下院で共和党に半数を握られたねじれ議会の中で、精一杯の妥協をしようとはしているようです。この演説の中で、印象的だったのは、「民主主義」を必要以上にオバマが讃え、それを世界に広げることがアメリカの仕事だ、というような話をしたことでした。イラク戦争の時も、最初、ブッシュは大量破壊兵器があると言いがかりをつけて、侵攻し、そんなものは無かったと明らかになったとたん、(西松事件の大久保被告のように)訴因変更して、今度はイラクの独裁者フセインを倒して「イラクに民主主義を確立」しなければならないと戦争を正当化しました。「民主主義」というのはアメリカにとって、これまでも他国の内政干渉や軍事侵攻のための口実であったわけで、オバマがこの演説で「民主主義」を口にしたことのウラを勘ぐってしまいました。多分、オバマはねじれ議会を乗り切るために、党派を越えて民主主義にのっとって建設的な議会運営をすることを訴えたかったのでしょう、後ろに座っていたバイデンと、新しい下院の議長、共和党のベーナーにも媚びを売っていました。しかし、一方で、再び、「民主主義」を錦旗に、戦争を画策しているのではないか、そんな気にもさせられました。アメリカ経済の復活ために戦争はいつも有効でした。中国がいるので北朝鮮という線はないかも知れませんが、チュニジアの市民革命で火がついたアラブ世界での反政府運動などを利用して「民主主義」をダシに戦争をしたい、と思っているかも知れません。
 「宗教」と同様、「民主主義」も、人をコントロールするために利用されてきました。私は「民主主義」はとりあえずは、最善の政治形態であると思っていますが、宗教同様、この言葉やシステムを悪用しようとする人間は後を断ちません。
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金と不正とケモノ道

2011-01-25 | Weblog
最近のCellで、各国の生命科学研究資金の状況がレポートされていました。年間、約$40 billionをNIHとNSFを主体に計上するアメリカは生命科学の政府資金としてはダントツ世界最大で、EU全体の2-3倍に当たります。しかし、クリントン時代に倍増したNIH資金はブッシュ時代に増加は最小限に抑えられ、オバマの経済刺激政策の一貫として一時的に資金が投下されたものの、今回の中間選挙で下院の過半数を握った共和党は緊縮財政を明言しており、この生命科学研究資金の増加抑制はしばらく続きそうです。ヨーロッパのスペインやイタリアでは、予算の増加抑制どころか、一割以上の予算のカットが行われたようで、かなり悲惨な状況です。ヨーロッパで比較的よいのはドイツで約11%の予算増加、その他の国々、カナダ、オーストラリアなどは、そもそも資金規模はアメリカの30分の1ぐらいしかないですが、予算は横ばい、年間$4 billionを科学研究費として計上する日本もはかばかしくありません。小国の割には$1.8 billionという予算を組むシンガポール、2000年から科学立国を目指して大量資金を投入してきましたが、政府はその投資回収に乗り出し、今後は予算の30%は産業と組んだ応用目的のものに振り分けるという方針を打ち出し、基礎研究者が逃げ出しているという話はしばらく前に紹介しました。一方、中国、韓国、インドでは20%の予算増という景気。しかし、人口比などで見た場合、総予算はこれらの国々ではまだ少ないので、増加率だけで研究経済環境の評価はできません。驚くのは、ロイター経由のウワサでは、中国は、これから5年で、$1.5 trillionという巨額の金をハイテク科学研究(非生命科学系を含む)にふり当てようとしているという話です。中国からの科学論文の出版数はここ数年、驚くべきスピードで増加してきています。以前の日本の様です。しかも、内容的にもかなりのレベルのものもチラホラ見るようになりました。おそらく、アメリカなどで研究していた中国人が、自国の経済の向上とポジションの増加に伴って、帰国し、中国の科学レベルを押し上げているのではないでしょうか。
 経済低迷下での研究環境は厳しくなる一方ですが、こんな状況で、研究者はどのように生きていけば良いのでしょうか。研究者だけに限りません。景気が悪くなれば、大抵の職でそのしわ寄せを受けます。研究に関して言えば、資金とポジションに関する「競争」はやはり激しくなっていくだろうと思わざるを得ません。限りある資金やポジションですから、誰かが資金を取れば、誰かが取れないのは仕方のないことで、建前上、優秀で実績のある人から資金やポジションが分けられていくことになります。ならば、長期に研究者として生き残るためには、優れた研究を行い、実績を積むことしかないと私は思います。もちろん、コネを頼ったりインチキしたりという方法もありますが、そういうケモノ道を通ると長続きしません。インチキと言えば、残念ながら研究者の研究不正は後を絶ちません。最近のNature Onlineでは、デンマークの若手神経科学者のスキャンダルが紹介されています。この37歳女性教授はデンマーク研究界のスターと持ち上げられてきましたが、大学院生が研究不正を内部告発して、辞職。自身の学位研究論文では、数ヶ月で1700匹のラットを使って実験をしたことになっていて、学位審査委員会が学位申請を却下した(その後、別の委員会を通じて学位取得)という事件もあったようです。この15年で論文数も100本近く量産しているようです。私など自分がメインの論文はこの十年で5本位です。共同研究の人ががんばって下さったので、何とか数はそこそそ出ていますが(どうもありがとうございます)マトモなレベルの論文なら一本に数年かかるのが普通だと思います。また、Duke大学でしばらく前にあった事件がもう一度取り上げられていて、研究不正ででっち上げた論文に基いて計画された臨床治験が、その不正が明らかになって中止になったという事件。とんでもない話です。臨床試験がどのレベルにあったのか知りませんが、もし治療法のない疾患に罹患した患者さんがワラにもすがる気持ちで治験に参加していて、その基礎となるデータが捏造だったので、試験を終了しますと言われたら、どう思うだろうかと想像してしまいました。この捏造研究者、自分さえ良ければよい、そのために世間に迷惑をかけてもバレなければかまわない、という気持ちだったのでしょう。
 ところで、日本の今の首相、まさに、これらの不正研究者と同じ精神構造のようです。しかも、「バレなければ」という部分は既にすっ飛んでしまっていて、不正がバレても、国民からいくら辞めろと言われても、支持率0%になっても、首相の座にしがみつきたい、とガイキチの閾に入っていますから、本当に始末におえません。普通の神経の人なら、バレたら辞めますけどね。この人、まもなく、首相を引きずり降ろされ、次の選挙で落とされてタダの人未満になるでしょうが、もしその時に生きていたら、残りの余生をこの大恥の中でどうやって過ごすつもりなのでしょうか。恥知らずだから平気なのですかね。
 WikiLeaksでのアメリカ-韓国の外交文書がリークされて、去年の二月ごろ、鳩山民主党が対米隷属からの離脱を意図していることにアメリカが危機感を抱いていた、という内容が最近流出しました。振り返れば、そのころから空きカンは副総理にもかかわらず、姿を消し、鳩山批判が降り掛らないように身を細めて、次の首相就任に備えていたようです。鳩山氏が普天間移設で、結局、辺野古に戻って自滅した経緯は不明ですが(私は、辺野古の核兵器庫のことや核密約のことを与党になって初めて知って、辺野古に基地を作ることの意味を知ったこと、加えて、首相在任時にアメリカの意図に背いて暗殺されたとされる小渕首相や橋本龍太郎元首相のこともあって、おそらく相当、アメリカさんに脅されたのではないかと想像しています。ちなみに、脅すのは横田基地のMPにやらせるという話です)、このWikiLeaksの文書は、アメリカが首相の座というアメを持って空きカン一味に接近し、参院選前に鳩山氏を追い込んで、選挙前に辞めるように仕向け、このクーデーターを成功させたという話に整合性を与えるものだと思います。空きカンも実のところは、ヘタにアメリカさんに楯突いたら、(T元首相がやられたとウワサされるように)東京湾にヘリコプターから逆さ吊りにされて殺されると怯えているのかも知れません。辞めたくても辞めさせてもらえないのが実情なのかも知れません。
ともあれ、人間、真っ当に生きなければなりません。 空きカンのこれからを見届けたいと思います。ケモノ道に踏み出した場合の末路を身をもって見せてくれるでしょう。
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Jobs氏のこと、胡氏のこと

2011-01-21 | Weblog
アップルのSteve Jobs氏、病気療養のために仕事を離れるというニュースで、アップルの株価がいきなり10%近く落ちたという話。Jobs氏のカリスマですね。確か、膵臓がんで手術を受けたと覚えているのですが、ならばJobs氏はまた戻ってこれるのだろうかと思ったりします。私もずっとアップルですが、私より上の年代の実験生物研究者はきっと皆、そうでしょう。当時はパソコンといえばアップルしかありませんでした。私が自分のclassicを初めて手に入れたころは、DOSマシンではWindows 3.1がありました。私も一台手に入れて、アップルと平行して使っていました。Windows 3.1は、機能的にはなかなか良かったと思いますが、何と言ってもアップルに比べると、洗練されていませんでした。アップルの物まねですからやむを得ません。未だに私はアップルに比べるとWindowsのGUI環境は劣っていると思います。そしてDOSを内蔵したWindows OS, Windows 95になって、見た目はちょっとましになりましたが、3.1よりも重く、実用的でなくなって、私は以来、Windowsマシンを見切ってしまい、Windowsマシンを自分のメインのパソコンとして使ったことはありません。パソコンはワープロ、エクセル、プレゼンテーションと画像処理ができて、インターネットに繋がればよい、というレベルの私のようなユーザーにとっては、多少、処理能力が遅くても実用で困る事はありませんし、多少値段が高くても半年おきに買い替えるようなものでもないので、アップルで十分満足しています。
 フォーレスト ガンプの中で、アップルの株で大もうけしたが、ガンプ自身はコンピューター会社だとは知らず、フルーツ会社に投資していたと思っていた、というような話があったと思います。素人が使える「パソコン」というものを作り上げたアップルの初期の大躍進はそれほど画期的でした。その後、Windowsの台頭とインターネットのためにWindowsに苦戦を強いられた時期がありました。アップルはどうなるのだろう、とアップルユーザーが心配していたころ、iPodで大ブレークして、今日のアップルの繁栄を取り戻しました。聖書のヨブ記では、サタンと取引する神がJobの信仰を試すために様々な理不尽な試練を与えますが、揺るがない信仰によってJobは最後には祝福されることになっています。アップルのJobsも自分の会社の社長を解任されたり、Windowsとinternetの台頭で苦境に立たされたりしましたが、それを耐えて、元祖パソコンメーカーとしてのアップルの現在の繁栄をもたらしました。アップルにとってJobsのカリスマは企業戦略上も極めて重要でした。ここでJobsが病気療養に入り、そのままアップルから去って行くことになった場合、アップルはどうするのでしょうか。第二のJobsを探そうとするのでしょうか、興味深いです。

中国、胡主席、昨夜はホワイトハウスでのディナーで歓待を受けました。ディナーにはジャッキーチェンやミッシェルクワン、ヨーヨーマなど中国系有名人も招かれましたが、中国の経済政策と人権問題を批判する共和党議員は出席を拒否したそうです。オバマは、飛行機や自動車、ソフトウェアなどを(中国に)売りたい、(それで二万以上の職が増える)と対中輸出の増加をアピール。一方、中国には中国の事情があり、その膨大な人口を養っていくために、日本の様にホイホイと何の戦略もないままアメリカの要求を丸呑みするようなことはしません。中国はアメリカのドル安政策に対抗して人民元切り上げに抵抗してきていますが、昔の日本同様、輸出で稼がねばならない中国にとっては当然のことで、アメリカ共和党が批判できるようなことではないでしょう。世界の文字通り二大大国の関係は極めて複雑であり、切羽詰まっているアメリカは利用できるものは何でも利用しようとするでしょう。日本が対中国対策に利用されることになって中国と対立するようになることは避けなければなりません。

ワシントンポストなどのインタビューで、胡主席は、ドルを基軸とした国際通貨体制は見直されるべきだとの見解を改めて表明。中露間の貿易にはドルを使わないという協定は既にしばらく前に発効されたと思います。フランスもドル基軸からの転換を主張、日本同様、アメリカ国債を大量に抱える中国がドル基軸の見直しを公言するということは、中国は今後はアメリカ国債を放出していくつもりなのでしょうか。もしもそうなら、アメリカの属国の日本は、塩漬けになっていて売る事ができないアメリカ国債が紙くずとなっていくのをなす術もなく眺めながら、アメリカと一緒に沈んでいくことになるのでしょう。
 空きカン一味が国民に背を向けて、アメリカと官僚組織の機嫌取りをして、TPPだの増税だの日米同盟だのを無条件で進めて、日本国民を地獄へ叩き落とそうとしています。止めなければなりません。
ところで、TPPについての最近の解説、「TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる」(http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/tpp_5.html)が秀逸と思いましたので一読をおすすめします。TPPに関して思うのは、慎重論、反対論者の理屈は論理的で筋が通っているのに、空きカン一味を始めとする賛成論者の理屈は、論理がなく、感情的で説得力が無いということです。空きカンは、TPPは「平成の開国だ」(開国だからよいことだ)という思考停止状態。そもそも明治の開国も、貿易の不平等な押しつけであって、それが是正されるまでどれほどの年月と努力が必要であったか知っているのでしょうか。新聞、マスコミに至っては、TPPに「乗り遅れるな」というレベルの論調。TPPはバスですか?乗り遅れたら何か悪い事でも起こると思っているなら、その理由を論理的に説明するのが筋であって、感情的に国民を愚民と見なして煽動しようとするのは剣呑です。この辺は、小泉氏が、「改革を止めるな」「郵政民営化は改革だ」「改革は善だ」と叫んで、郵政民営化の危険も内容も十分説明もしないまま、このふざけた三段論法で、改悪を行って、日本の社会をズタズタにしたのと同じ手です。空きカン一味とバックのアメリカ-官僚組織は、同じ手がまた通用するとでも思っているのか、バカの一つ覚えのように、ワンフレーズでの国民煽動を行っていて、鼻白みます。「平成の開国」、このキャッチフレーズのバカバカしさと気持ち悪さに鳥肌が立ちます。今度は、国民は同じ手では騙されてはいけません。Fool me once, shame on you; fool me twice, shame on me. 今度も、このドアホの空きカンに小泉と同じ手で騙されるようなことがあれば、今度は、騙された方の責任の方が大きいと思います。
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お天道様が見ている

2011-01-18 | Weblog
日本では、昔からトップダウンで、官僚主導で決められたワクに国民は押し込まれてきました。ワクをはみ出そうとしたり、ワクそのものを壊そうとする人間を、この国の官僚組織は、警察や検察を使って犯罪をでっち上げたり、マスコミを使って虚偽報道を繰り返し社会的に抹殺しようとしてきました。あるいはウラの非合法の力を使って物理的にも消してきました。そうして国(あるいはこの国の官僚組織を操るアメリカ)に都合の悪い人間を排除することで、ガチガチの搾取システムを構築してきました。官僚組織の闇を暴こうとした人、官僚組織の都合の悪い情報を知りすぎた人々、アメリカにとって都合の悪い人間は、あの手この手で嵌められ、殺されてきました。田中角栄、鈴木宗男、田中眞紀子、石井紘基、政治家だけはありません。自殺で処理されている中の多くの人も本当は消されたのだろうと思います。
 現在、政治主導のないこの日本で、無法極まりない官僚支配をやめさせて、民主主義を日本に根付かせる唯一の手段が、国民一人一人の意識の向上と行動だろうと思います。それが数人ならば、石井議員のように暗殺されたり、三井環氏や植草一秀氏のように犯罪をでっち上げられて逮捕拘留されたり、田中角栄や眞紀子氏のように政権からはずされることになります。しかし、国民が万単位で動けば、そういうことはできません。
 現在の市民デモの規模は東京でも千人から二千人というレベルで、地方都市だと数百人という数です。もしこれが万単位に膨らめば、世の中は変って行くと思います。事実、マスコミでは比較的マトモな東京新聞では1-10の市民デモの様子が報道されましたし、記事にはならなかったものの大手マスコミも取材に来たそうです。心強いことに、この市民デモ、去年に続いてまた各地で計画されています。こういう市民の活動が、現在、本当に社会を変えることができる唯一の手段だと思います。本来なら国民に選ばれた政治家が国民のために社会を良くしていくのが筋ですが、この国では政治家よりも官僚とその親玉のアメリカの方がはるかに強く、都合の悪い政治家、即ち官僚組織とアメリカの国民搾取を阻止して、国民の税金を国民のために使おうとする政治家は、ことごとくマスコミと国家権力の総攻撃にあって葬り去られきたわけで、政治家を通じて民主主義社会を実現することが困難なシステムになってきます。政治家だけにまかすのではなく、市民が声をあげ、官僚、マスコミの不法行為に常に厳しい監視の眼を向け続けることが、もっとも有効な手段であろうと私は思います。
1-10の検察とマスコミの横暴に対する市民デモに続き、各地で市民デモが計画されています。(http://nicoasia.wordpress.com/2011/01/15/再び全国に民衆デモが飛び火!%E3%80%80全国デモ情報!/)

 「和をもって尊しとする」日本人の美意識、君子の教えですが、私が、この年になって漸く学んだことは、世の中には、そういう他人の美徳を逆手にとって利用しようとする卑怯で狡猾な悪人は思いのほか多いということでした。そういう根っからの悪人でなくとも、普通の一般人で「義を見てせざるは勇なきなり」と思える人は多分十パーセントもいないのではないかと思います。また、普通の人なら自分が喰うに困ったら、心ならずも己の利益のために他人を利用することを選ぶ人は少なくないのではないでしょうか。実際のところ、自分の目前の利益にしか興味がなく、世界市民あるいは社会の一員という目で自分自身を見る事をしない人間がこの世の中大多数を占めていると思います。彼らは扇動に乗りやすく、自分の利益次第でどっちにでも転びます。そんないわば無責任な人々が多数を占めていて付和雷同して多数決で政治が決まってしまう場合を衆愚政治と呼ぶわけで、残念ながら戦前も戦後も日本の政治システムはそのレベルでした。理想の民主主義は社会の構成人員の個々人が十分成熟した判断能力を持ち、彼ら自身が責任をもって発言する意見の総和が社会のシステムを作りあげるような場合ですが、国民の成熟度は民主主義の先進国のイギリスであっても、そこまで達することはありません。
 若い時は、目の前のことで精一杯で、政治や社会のことを考えるヒマも興味もありませんでした。実は、それこそが、この国が国民に望んでいることです。国民を生かさぬよう殺さぬように絞り上げ、目の前のことを処理するだけ、生きて行くだけで精一杯という状況に追い込み、社会への興味を失わせ、政治不信を植え付けること、それが官僚システムの利益(即ち、一般国民の不利益)に繋がるからです。知らぬ間に、所得税、消費税、介護税、ナントカ税と、国民の財布からカネを吸い上げて、そのカネを国民のためでなく、官僚とその付随組織の利益のためにこっそり使ってきた、そのイカサマ商法に国民が気づかないように、マスコミや学校教育を通じて国民を洗脳してきたわけです。テレビはお笑いとスポーツ中継で国民一億総白痴化を促進し、ニュースでは権力にとって都合の悪い政治家のスキャンダルや一方的な捏造情報を垂れ流し、権力にとって都合の悪いニュースは芸能ネタをぶつけて覆い隠す、権力とべったりのマスコミが国民に自分の住む社会や国を、国民主権にのっとって変えて行こうとする気持ちの芽がでないように、国民を洗脳してきました。今、成長しない経済下で沈み行く日本で、国民一人一人の危機意識は高まっています。これまでの官僚支配による搾取構造を改め、本当に国民の利益を考えた政治を望んでいます。アメリカの属国となるという高度成長期の選択は今はもう国民のためにはなりません。

武者小路実篤の「仲良き事は美しき哉」という言葉は、年をとってからより共感できるようになりました。しかし、一方でわかったことは、戦うべき時は人は戦わねばならないということです。しかも、ルール無用に攻撃を加えてくる敵に対しても、その戦いは雄々しくルールに則って正々堂々と戦われなければなりません。そうでなければ一時的には勝ててもまた負けます。現在、アメリカ-官僚組織の手下に成り下がったカン一味が、己の私利私欲のために、日本の民主主義、国民主権を破壊しようとなりふり構わぬ攻撃を仕掛けています。無駄の見直しも一般会計より遥かに大きい特別会計の見直しも何もしないで、首相になった瞬間からいきなり増税路線を明確にし、今度の内閣改悪では、与謝野氏という増税論者を大臣にしたという露骨な人事。そもそも、この与謝野氏、確か先の総選挙で落選したのに自民党の比例枠で復活したゾンビです。自民のお陰で議員に残れたくせに、自民党から離党して立ち枯れポンを立ち上げて、そのまま議員に居座った無法者です。比例ゾンピなのだから自民を離党した時点で議員辞職が筋です。しかも、今回、大臣の椅子をちらつかされたら、ホイホイと仲間を裏切って、自分が立ち上げた立ち枯れポンを離党し、あれほど本まで書いて批判してきた民主党の閣僚に収まったのですから、恥知らずも極まっています。ま、空きカンがそもそももっと大恥知らずのクズですから、類は友を呼ぶですかね。いずれにしても、この空きカンは、ルールを無視した薄汚いやり方で、政権の椅子に座りました。昨年の新年会では小沢氏の新年会にやってきてにこやかに乾杯の音頭までとった空きカンが首相になった瞬間から、汚い手を使って露骨な小沢切りを断行してきました。去年の小沢邸での新年会で小沢氏の横で写真に移っている空きカンは最後の晩餐のユダそのものです。ユダの末路をこの空きカンは知っているのでしょうか。ユダがキリストを慕う人々への裏切りであったように、「国民の生活が第一。」と言って、国民の支持を受けた小沢-鳩山民主党を、クーデターによって乗っ取った空きカンとその一味は、国民にとって倒すべき敵です。小沢氏は、それでも、今のタイミングで空きカン一味というコソドロを始末しようとすれば、民主党の分裂を来して、政党政治そのものが立ち行かなくなる、それよりは、とにかくここはガマンして二大政党制という制度を根付かせる方が大切だと考えているのでしょう。しかし、追いつめられた国民はそう悠長なことは言っておれません。日本の政治の成熟のために国民の生活が犠牲になるのなら、それは、やなり本末転倒であると私は思います。

先のテレビインタビューで小沢氏は「絶対正義は勝つ、お天道様が見ている」と信念を表明しました。私もそう思います。そして己の利益のために、不正を働き、人を裏切り、騙す者は自分がやったと同じような卑怯な手で陥れられ、その座を追われることでしょう。天網恢々粗にして漏らさず、誰も見ていなくてもお天道様が見ています。
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情けない、みっともない

2011-01-14 | Weblog
アメリカでは、先の中間選挙で民主党が議席を減らして下院の過半数を失い、今月から下院のハウススピーカーが民主党のペローシから共和党のベイナーに代わりました。オバマ民主党の経済刺激やヘルスケア改革への巨額の出費を批判してきた共和党は、緊縮財政を敷くことになり、それに伴い、連邦資金に多くを依存するアメリカの科学技術分野への打撃が懸念されています。今年最初のNatureでは、とりわけNASAのビッグプロジェクトが打撃を被るだろうと予想しています。生命科学分野でも、NIHのバジェットはおそらくフラットのまま、経済刺激の一環(American recovery and reinbestment act; ARRA)として多額の金がここ二年の間、科学研究分野に投下されましたが、それが終了を迎え、これによって増えた研究分野での一時雇用やプロジェクトが急激に低下すると考えられ、研究界も深刻な不況がまた訪れそうです。
 アメリカの経済低迷は深刻で、そのツケを代わりに払わされ続けて来た日本も既に深刻な社会情勢となっており、今年中に八十年前の大恐慌に匹敵するぐらいの世界的不況に陥る可能性があると考える人もいます。現在のアメリカの株価の上昇などは中身のない作られたものに過ぎないと思います。事実、10%弱の失業率は余り改善の様子がありませんし、不動産取引も増えて来た様子はありません。金利はずっと低いままです。経済が上向きになっていっているという実感が全くありません。そんな状態で株価は不安定ながらジリジリと上げている様子です。ということはどこかでドカンと落ちるだろうということです。前回はリーマンショックでした。今回、どういう形で恐慌の引き金が引かれるかよく分かりませんが、何が起きてもおかしくないように思います。それはひょっとしたら、大手金融機関の破産という形で起こるかもしれませんし、極端な場合、国債デフォルトのような劇的な形で起こるかもしれません。

日本はどうすべきか。今、この世界で一番危険な国はアメリカだと思います。アメリカからできるだけ距離を置くことを考えるべきでしょうが、残念ながら、空きカン内閣はその逆を推進しようとしています。
 その民主党党大会はやはり大荒れだったようですが、小沢氏は動かず、空きカンを葬るタイミングを測っている様子。
空きカンは、悪徳弁護士を更迭して、その代わりにエダマメを据える意向とのこと、やはり、この空きカンはとことんドアホですワ。そんなもので野党が誤摩化される訳がないでしょう。その上まだ悪徳弁護士を閣内あるいは党執行部に残すつもりにしているらしいようで、つける薬がありません。悪徳弁護士は、更迭を受けて、「憲法論から無理筋だ」と言ったそうです。どの口でそんな白々しいことを言うのでしょう。完全無理筋の小沢氏への検察冤罪事件、違憲の検察審議会による起訴をどう考えているのか。しかも法務大臣兼務でありながら、その不正を正すどころか、逆にウラで煽って来たのは他ならぬ自分自身ではないか。開いた口が塞がりません。空きカンは、「通常国会に向けて最強の体制にするため改造を行いたい。(仙谷長官と馬淵澄夫国土交通相に)問責が出されたからではない」と言ったらしいです。国会に向けての体制というのは野党対策のことであり、参議院で野党らから問責を受けた人間を辞めさせるのが最強の体制をつくるということに他ならないわけで、こういう自己矛盾にも空きカンの空虚ぶりがあらわれています。
しかも立ち枯れポンから与謝野氏を入閣させようという大儀なき人事を、党のコンセンサスもなく空きカンの独断で決めたそうです。当然ながら連立を組む国民新党、亀井大臣は、この無理筋の人事に反発、「市場原理主義と決別し、元気な日本を作ろうとともに戦った。あの時の約束が間違っているならば政権の座を去らなければならない。今の民主党はみっともない。みっともない…」と言ったとか。この空きカン、とことん無能でありながら、権力維持のためになら何でもする、そして反小沢路線を貫くこと、だけは一貫しています。マトモな精神状態ではありないプアな判断力。空きカンはまず自分自身を更迭すべきでしょう。このどうしようもない人事案に対して、マスコミは何の批判もなし。これが小沢氏ならマスコミはヒステリックにわめきたてているところでしょう。コイツらにも付ける薬がありません。こういう精神のやられた連中というのはどうしたらよいのでしょうかね。

失業問題、食料価格上昇に対する民衆の抗議行動が激しさを増しているチュニジアで、フランス人が殺されるという事件も起きています。首都では厳戒令、大臣は更迭。日本でも、東京での先日のデモを皮切りに全国で再び市民デモが計画されています。さすがに日本では怒り狂った民衆がアメリカ人を殺すという具合には発展しないでしょうが、とにかく一般の人の社会に対する意識の高まりなしに、国も社会も生活も向上はないと思います。アメリカ、官僚支配から国民主権を確立するために、唯一の手段が国民の声だろうと、私は思います。

レバノンでは、首相の父で元首相の暗殺に絡んで、首相と対立関係にあった閣僚11人が辞職して、内閣総辞職となった由。憲法で閣僚30名のうちの1/3が辞職すれば、内閣が自動的に総辞職するシステムだそうです。宗教的対立を抱えたレバノンが挙国一致で政治を行ってわけですが、対立の溝は理性では乗り越えられませんでした。日本の民主党を見るようです。違いはレバノンでは宗教対立という人間としての原理原則の不一致という妥協不可能な対立によるものですが、日本民主党はアメリカ、官僚システムに巻かれて国民を犠牲に自己利益を求める欲深い者が、国民第一の小沢氏を排除しようとしているという、下世話な話。ああ、情けない、みっともない。
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ツーソン銃撃と扇動者

2011-01-11 | Weblog
先週末、アリゾナ州ツーソンで、アメリカ民主党議員ギフォーズ氏を狙っての銃撃で6人が死亡した事件がありました。犯人は22歳の白人男性。犯人は捜査に協力的ではないので詳細は不明ですが、犯行声明のような書類があって、意図的にギフォーズ氏を狙ったのは間違いないようです。その動機に政治的なものがどれだけあるかはちょっと不明の感じです。
 若者ですから、オクラホマの爆弾テロのように一人よがりの正義感に自己中毒をおこしたのかも知れません。若者は失敗を繰り返して成長するわけですが、こういう取り返しのつかない失敗はしないように気を配るのは社会の大人の責任でもあると思います。いずれにしても、この人自身が取り返しのつかない犯罪をおこし、多数の人々を障害し、9歳の女の子を含む6人を死亡させた、というこの人が負うべき罪の重さは変りません。
 メキシコと国境を接するアリゾナは不法移民に悩まされてきました。その不法移民への対応を独自に強化する法律をアリゾナ州は作り、全米でその賛否について大きな議論が巻き起こったことは記憶に新しいです。ヒスパニックをその大きな支持基盤に持つアメリカ民主党は、概してこのアリゾナ州の不法移民取り締まり法について人権的な観点(もちろん本音は政治的)から支持しないという見解を示してきました。一方で、オバマ民主党がニューディールもどきの経済刺激政策を断行し、民主党が50年以上にもわたって導入を求めて来たヘルスケア改革(先進国では当たり前の国民皆保険制度)を導入して、財政赤字を増やしたことに対して、小さな政府を主張する共和党系の動きも活発化し、各地でティーパーティー運動も盛んになりました。こういう共和党を支持する昔ながらのキリスト教系白人は、政府が大型化し、白人以外の人種の人権や公民権を尊重しようとする傾向を、自分たちの既得権を侵害する脅威として感じているのでしょう。多くは田舎に住む彼らの意識としては、おそらく、自分の身は自分で守るアメリカ開拓時代の精神が残っているのでしょう。自分たちの意志と離れたところで決められる連邦政府の方針によって彼らの既得権が損なわれているという被害意識が、とりわけ民主党政権や民主党議員にたいする憎悪として現れるのではないかと思います。ティーパーティー運動がなぜ起こったか、それはカネです。ボストンのティーパーティー事件は宗主国イギリスの重税に対する不満の爆発として起きて、独立戦争へと発展しました。自分たちのカネを搾取されることに我慢ができなくなったアメリカ農民が戦士となりました。アメリカ経済が悪くなり、庶民の暮らしが苦しくなる一方、連邦政府は景気刺激のために更に赤字を積み重ね、金融機関をbailoutしている、そのことがそもそも目減りする既得権に危機感を抱く田舎の中流白人の不満を大きくしました。景気が良くなればティーパーティー運動というものは消滅します。しかし、それまでは、持てるものと持たざるものとのdisparityは、対立と憎悪を生み、今回のような事件に繋がって行くことは止められないと思います。日本でもそうです。経済が低迷し、人々の暮らしが苦しくなってきた日本は、これ以上宗主国、アメリカの言うがままにカネを差し出し続けることはできません。国民の生活の困窮が、どうも、国民搾取システムである官僚、アメリカ、マスコミと癒着した自民党の55年体制にあるということに人々は気づき、一昨年の政権交代が実現されました。残念ながら、これらの既存の搾取システムのなりふり構わぬ攻撃と迫害によって、鳩山-小沢政権は退陣させられ、獅子身中の虫、テロリスト、空きカンに政権が乗っ取られました。マスコミに洗脳され続けられてきた国民の意識が十分に成熟していなかったこと、それが、このテロを成功させてしまったと思います。自分の国の将来を自らの手でつかみ取るという覚悟の差、これが、イギリスから独立できたアメリカと、アメリカから独立できない日本の差ではないかと思います。

ところで、このアリゾナの事件について、先の副大統領候補、頭の中身がマエハラ氏なみの危険人物、サラ ペイリンの影響を多くの人が指摘しています。ヘルスケアリフォームの推進者としてペイリンが自身のFaceBookページで、名指しで攻撃目標としているうちの一人がギフォーズ氏でした。しかも、このページ、ペイリンらしく銃の標的マークを地図に示すという悪趣味ぶり(http://www.facebook.com/note.php?note_id=373854973434)(http://www.huffingtonpost.com/2011/01/08/sarah-palin-statement-shooting_n_806224.html)。ギフォーズ氏の銃撃が、ペイリンの悪趣味極まりない扇動に乗せられたナイーブな若者によってなされた可能性を人々が想像するのも無理はありません。ギフォーズ氏は、事務所の被害を受けたとき、テレビのインタビューに答えて、「私たちはサラ ペイリンの標的リストに載せられている。実際、私たちの選挙区に狙撃銃の照準が合わせて(地図に)示してある。こういうことをすると悪い影響があるということを、人は理解しなければならない」とペイリンを非難しています(http://news.yahoo.com/s/dailybeast/11746_gabriellegiffordsshootingdontblamesarahpalin)。そして、彼女は銃撃されて、現在、生死の間にあります。
 一方、この標的地図は一年前に作られたものであり、今回の銃撃とは直接関係はない、という意見もあります。ペイリンの悪趣味な扇動が主原因であるとは私も思いませんが、影響がないとはとても言えないと思います。火そのものではなかったにせよ、油を注いだには違いないのではないかと思います。
 言論の自由が保証されている国であるからこそ、自分の言葉や行動には責任を持たねばならない、私はそう考えています。あいにく、ペイリンやマエハラ氏には、そういう自らを律する責任感というものがありません。彼らは口先だけで人々を扇動するアジテーターに過ぎず、人々を導くリーダーとしてのもっとも重要な資質、誠実さと責任感が欠如していると私は思います。彼らは煽動によって我が身の人気を得たらそれでよいと思っているようです。その煽動が起こすであろう影響を想像できるほどの知能がなく、そして、口にする言葉の重さを知りません。責任という言葉を知りません。
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恥ずかしい

2011-01-06 | Weblog
新年から、空きカンの悪口は控えたいところですが、早々、平成の開国だの、不条理を正す政治だの、最小不幸社会だの、謀略みえみえ、低能丸出しの発言をした挙げ句、自分らしさを出したいだの、やりたいことを実現するために権力を掌握するだの、アホ全開にしているので、耐えきれず。
 これほど程度が低く、浅ましい根性が丸見えの首相の年頭会見は聞いた事がありません。このドアホを一刻も早く葬り去らねば次の世代に申し訳が立たない、そんな気持ちにさせられます。それで、年頭から書きたくもない悪口を書いて、この害虫が駆除されるようと祈っている次第です。
 平成の開国とは全く利のないTPPにアメリカの言うままに参加して、日本の企業を荒らされ、ただでさえ弱い農業を根絶やしにして、セイフティネットを破壊し、金持ちだけが利用しやすい国にしよう、という売国方針。不条理を正す政治というのなら、不正代表選選挙で首相に居座って、選挙は連戦連敗で国民が辞めろと言ってもやめず、マニフェストを片っ端から反故にし、違憲の検察審議会を盾に法治国家の原則を無視して小沢氏の議員辞職を強いようとする、この人間のクズたる自分自身の不条理をまず正すのが先でしょう。そして、センスのカケラもない「最小不幸社会」というこの文句を聞くたびに私は鳥肌が立ちます。自分の権力欲のために社会の不幸を最大化しようとしているとしか思えない空きカン、自分と自分の飼い主の最大幸福を優先するので、国民の幸福を最大化することはできないが、代わりに不幸を小さくする(つもり)との詭弁、「国民の生活が第一」などと考えたこともないのでしょう。この鳥肌の立つような偽善一杯のみみっちい文句をよく何度も口にできるものです。聞いている方が恥ずかしい。空きカンの言う最小不幸社会の実現は、即、「消費税増税」のことであり、大企業を減税して消費税で穴埋めし、そのカネの少しばかりを福祉に回して形をつけようというふざけた政策のことでしょう。そもそも経済音痴で世の中のことを何もわかっていない空きカンは官僚に言われるままに官僚の書いたカンニングペーパーを棒読みするだけ、空きカンは昔の自民党より扱いやすいと天下り官僚に笑われる始末 (詳しくは地上げ屋さんのブログを参照ください:http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-378.html)。
 極端に言えば、この円高デフレの時勢、どう財源を工夫してもカネが出ないのなら、とりあえずはカネは刷ればよろしい。だいたいアメリカがどんどんドルを刷って量的緩和をやった挙げ句の円高でしょうが。アメリカが円を刷るのを許さないので頭も心も空っぽの空きカンは、緊縮財政、消費税増税という官僚の言うがままのことをオウムのように繰り返しているだけでしょう。仕分けのなんのと大茶番をやって、ウラでこっそり無駄遣い事業はどんどん復活させ、肝心の国民に回す金は消費税増税で国民から巻き上げるという立派な詐欺師。金の動かし方を変えれば、10兆ぐらいの財源は捻出できると小沢氏は言うのだから、消費税増税の何だのと言う前に、本当に国民のことを考えているのなら小沢氏にやらしてみれば良いのです。無論、この空きカンは国民からカネをいかにして巻き上げるかに腐心する連中に操られているパペットですから、国民のためにカネを作るなどということはもちろんしないでしょうが。

国民も大多数の議員もこのクズには愛想を尽かしているのが分からないのでしょうか?自分の地元の選挙で民主党が惨敗し、200人分用意した新年会には、たった45人しか集まらず、皆が「一刻も早く辞めてくれ」と言っている声が聞こえないのでしょうか?自分らしさを出したいなどと言うのは止めてもらいたい。そもそも操り人形で権力欲しかない空きカンに「自分」などというものはないでしょう。あえていうなら、空きカンの自分らしさとは、欲しいものを手に入れるためにはズルをして人を陥れることも躊躇わず、口先でその場しのぎを繰り返し、責任は人に転嫁して自分は一切とらない、という見下げ果てた卑怯な性格ですかね。そんなモノを出されてはたまりません。「やりたいことをするために権力を掌握する」には笑ってしまいました。この人間のクズのやりたいことは、ひたすら権力にしがみつくこと、ただそれだけではないのか。しかも、その権力を掌握しているつもりの空きカンは、そもそもただのペラペラの神輿の飾り、本当の権力はアメリカと官僚、その手先のマスコミでしょう。この空きカン、嫉妬と欲とカン降ろしの恐怖感で見がくらみ、自分の首に飼い主の紐がついているのも見えないほど追いつめられているのでしょうかね。どっちにしても、遠からず、飼い主からも国民からも見放されて、ゴミ箱に捨てられるのは間違いないことですが。

空きカンの新年会にいなかった単純バカのマエハラ氏と昼行灯のオカダ氏、次の首相の座が回ってくるのを待って、空きカン内閣から距離を置こうとしているのでしょうか。鳩山内閣時代に、副総理であったくせに、何にもせずひたすら目立たないようにして批判をかわした空きカンと同じ手ですね。空きカンの飼い主は空きカンを見捨てて、そろそろ単純バカに首相の座を回すことを考えているのでしょうが、そうはいきません。13日の党大会で巻き起こるであろう「カンおろし」で、空きカンや悪徳弁護士と一緒に消え去ってもらいたいものだと思います。

過去数代の首相を振り返って、自民党最後の無能トリオにも随分、腹が立ちました。とりわけ、最後のアホウ氏には私の中では史上最低の首相という評価であったわけですが、空きカンはそれを更新、ダントツの最低男といってよいでしょう。本人が無能でセコいだけに、余計、害が多い。最近のネットのアンケートを見ても(http://www.genron-npo.net/politics/genre/generaltheory/100-34.html)、過去5人の首相の中で、総合評価は、空きカンはアホウ氏と並んで、堂々の最下位。指導力、実績、説明能力、に至ってはアホウ氏を抜いてビリ。当然ながら人柄もアホウ氏と並ぶ最下位。

ネットでの声を拾ってみると、空きカンがこの国の首相に居座っていることに対して多くの人が述べているのは、「恥ずかしい」という意見でした。日本は「恥」の文化と言われてきました。ズルく不誠実であることは最も忌み嫌われてきました。その最も日本人として忌み恥じるべき人間の性質をそのまま体現している空きカンを日本国の首相に持たざるをえない国民の今の思い、それが、こんなロクでなしが首相で「恥ずかしい」という思いです。優秀なはずに日本人の日本国、その頂点にいる人間を多くの国民が「恥ずかしい」と思っているのです。空きカンのような者が日本人で恥ずかしい、そして独立国家としての体をなしていないアメリカ奴隷の日本が恥ずかしい、その負け犬根性が恥ずかしい、私もそう思います。


ところで、1/10に、東京青山公園で、「国民の生活が第一デモ」が予定されています。http://kyousei-jp.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-07d8.html
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新年、あけましておめでとうございます

2011-01-04 | Weblog
新年、あけましておめでとうございます。

年賀状を出していた昔は、この言葉を機械的に書いていました。新年にはそのように挨拶するものだからと思って、別にめでたいとも思わなかったですがそう書いていました。それに、「新年は冥土の旅への一里塚」みたいなことを正直に年賀状に書いて、人々の不興を買って嫌われるのも困る、とりあえず無難に行こう、そんな感じだったのではないかな、と昔の自分を振り返って思います。
 年をとって良かったことは、「新年があけてめでたい」ということに、多少、実感が持てるようになったことではないかな、と思います。少なくとも、反抗期の時のように、「正月も別に昨日と変わらぬ、何がめでたいものか」などとは考えなくなりました。「昨日と同じような日が正月にやってきて、ああ、よかった」と思うようになりました。
 一方で、年賀状は出すのは基本的にやめてしまいましたし、いくら習わしであってもやりたくないことは「納得しない限りしない」ことに抵抗はなくなりました。何かをしたり、しなかったりして人に嫌われたり、社会から抹殺されたとしても、それは自分の決断が招いた事なので自分以外の誰のせいでもない、そう思っているので、自由になりました。だから、もし「新年などめでたくはない」と私が本当に思っていて、「めでたくない」という意見を周囲の人々に周知させたいと私が思うなら、私はためらいなく、「新年など、いくら明けてもめでたくはない、その理由はひみつ」と年賀状に書くでしょう。幸い、私は新年が明けてめでたいと思っているので、心のままに、おめでとうございます、と挨拶させて戴いておる次第です。

 そんな感じで、今年も、(自分自身と周囲の人々に対して)誠実にやっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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