百醜千拙草

何とかやっています

バカリャウ ア ブラス

2018-10-30 | Weblog


新潟市長選挙は残念でした。しかし、自民党の強い地方でも、市民のための政策を訴えれば、無党派層は支持するということはわかったと思います。弱点といえば、小柳候補はちょっと若すぎると思われたことではないかな、と思います。やはり、年齢と経験を経ないとわからないこともありますし、その辺を不安視されたのかもしれません。しかし、これまでの地方選挙の結果を総じてみれば、アベ政権の終わりの近いことを告げていると思います。沖縄での自公の3連敗、本州の川西市、君津市の市長選挙での与党候補の敗退は、不誠実な与党に対する人々の怒りの表れでしょう。
 間も無く終わるアベ政権が残すであろうものは、縁故主義とアメリカ製兵器の大量購入や海外へのバラマキの無駄使いでの巨額の借金、アベノミクスの大失敗による日本経済の破綻、無能を見透されてカモにされたあげくの、日米FTA、北方領土のロシア領恒久化、拉致被害者救済ゼロ、といった数々の外交の失敗、そして何より政府に対する国民の拭いがたい不信感。それぞれが途方もなく大きなマイナス点であるのに、何一つプラスのものを思い浮かべることができません。日本の対外政策を、明治維新を第一の敗戦、第二次世界大戦を第二の敗戦と呼ぶならば、アベ政権は第三の敗戦と言えるでしょう。明治維新は力の差が歴然としていましたから止むをなかったし、歴史の流れもあったので敗戦と捉える以外の解釈もあるでしょう。しかし、第二次世界大戦は日本の幼稚さを利用され、アメリカ、ロシア、イギリスから徹底的にやられてしまいました。そうした歴史の失敗から日本は学んだはずでした。地球をグルグル回って途上国には金をばら撒いては裏でバカにされ、アメリカとロシアにはなす術もなく見るも無残に金を毟り取られるアベは学校で何を習ってきたのでしょう。

さて話題転換。週末、タラの干物の塩漬をスーパーで見つけたので買ってきました。ポルトガルでBacalhau、スペインでBaclao、イタリアではBaccalaと呼ばれているそうで、冷蔵庫のなかった大航海時代に日持ちのする食料として広まったそうです。

例によってそのままでは食べられないので、塩抜きが必要です。ネットでレシピを探し、Bacalahu a Brasというポルトガルでは有名な料理を試すことにしました。

玉ねぎとニンニクをオリーブオイルで炒め、茹でてほぐしたタラを加え、極細のフライドポテトを加えて、卵でとじたものです。極細フライドポテトを作るのが面倒だったので、代わりに一口ジャガイモを二つに切り、油で炒めたものを使いました。ご飯にもあいます。



知り合いのブラジル人に話したところ、カトリックでは獣肉を食べない日というのがあり、そういった時によく食べられるということです。もう一つの有名なバカリャウ料理、Pasteis de Bacalhauはタラとポテトのコロッケですけど、Bacalhau a Brasを沢山作って、翌日に余ったものをマッシュしてフライにするのが、正式な作りかたなのだそうで。



干しダラで思い出したのが、京都は円山公園の平野家の「いもぼう」。大昔に一度この店に行きました。里芋と棒鱈の干物を炊いたもので、珍しい料理といえばそうですが、素朴な食べ物です。海老芋は高級食材のようですが。Wikiによると、「厚く面取りした海老芋と、1週間 - 10日程かけて柔らかく戻した棒鱈を、1日以上かけて炊き上げる。煮崩れしやすい芋と煮えにくい棒鱈を普通は一緒に煮ないが、棒鱈から出る成分が海老芋を包み込み煮崩れを防ぎ、海老芋から出る灰汁が棒鱈を柔らかくする」とのことで、科学的も興味深い組み合わせです。

ポルトガルではジャガイモのフライとの組み合わせですから、洋の東西を問わず、イモとタラは相性がいいのでしょう。

探してみると、平野家のウェッブサイトがあって、こうあります。

300年に亘り代々受け継がれてきた京の名物料理「いもぼう」(登録商標)の伝統のほんまもんの味を守る「いもぼう平野家本家」では、その独自の技と味を一子相伝(いっしそうでん)で継承者にのみ伝承いたしております。、、、
本来の京名物「いもぼう」は全国でも当家でのみお召し上がり頂ける「京の味」です。京都へお越しの折には「いもぼう」を食する事が昔から不文律の様に言われております。

一子相伝とか不問律とか言われると恐れ入りますが、こだわりがありそうです。



つくったバカリャウ ア ブラスはお腹が減っていたので、ご飯と一緒にガシガシと食べました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究技術員

2018-10-26 | Weblog
研究技術補助員を雇う必要あり、告知を出したところ20名ほど応募がありました。条件に合わない半数の人を除き、残りの半数弱の人にコンタクトして仕事の内容を説明したところ、五人が興味があるということで面接することになりました。

私の世代と違う若者ですから、アレっと思うこともありますが、感じたことは、履歴書での学業のパフォーマンスと面接での印象はだいたい相関するということでした。大学をランクで判断するのはどうかと思いますが、ま、パッとしない大学行った人は面接でもパッとしない人でした。メールでのやりとりでの印象ともよく合致します。
世の中、わかりやすくできているなあ、と思った次第です。

だだ、過去の経験から、よい大学に行っているから優秀とは限らないというのは事実です。でも、パッとしない大学にいっていた人が優秀だったことは残念ながらあまりありません。コレ、何かの商品を買うときもそうですね。高いものがダメなことは結構ありますけど、安物なのに品位が良いというのは稀です。

私自身は一流とはいえない地方大の出身で、その大学を選んだのは自宅に一番ちかいからという理由でしたが、やはり、そういう理由で大学を選ぶような人はそういうレベルの人なのです。向学心に燃えて勉強したいと思ったのではなく、みんなが大学に行く中、とりあえず大学に入って数年のモラトリアムを楽しもうと思っただけだったのが、われながら情けない。振り返れば、学費を出してくれた親に申し訳ない気持ちでいっぱいです。それがたたっていまだに鳴かず飛ばず、親不孝の業を深めている次第です。

ま、すでによい大学に行ってよい企業に就職して定年まで安定して勤める、という人生プランは破綻していますから、これからは優秀な人は大学に行かない時代になるかもしれません。しかし、研究とかの分野では、長年に渡る教育と経験が必要ですから、良い大学をよい成績ででているというのは重要です。そういう人は遊びたい盛りに勉強を真面目にやって目的を達成するという自己訓練ができる人ですから、研究のような地道でコツコツとした活動をやり遂げられる可能性が高いと思われます。

この数年、一緒に働いてくれた数人を思い起こしてつくづく実感したのは、他人は変えることはできない、ということです。優秀な人は自分で自分に教えて勝手にやってくれますし、ダメな人はいくら懇切丁寧に指導してもダメです。

それで、私のポスドク時代の指導者のやり方が多少理解できました。彼は基本的に放置するのです。それで生き残る人には「よかったね」といい、ダメだった人には「残念だったね」と言っておしまいです。個人の実力と才覚で生き延びるのがこの世の中の現実で、ヘタによかれと思っていろいろやっても本人のためにも自分のためにもならないのだ、と私も最近思うことが増えました。

あいにく、私にはダメな人を雇うような余裕はありません。一緒に働く人がダメだった場合のダメージはかなりのものがあることをこの数年で身をもって知り、いまだにそのダメージから巻き返せていません。幸い、優秀そうな人が来てくれることになりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jovano Jovanke

2018-10-23 | Weblog
世界の民謡ブログ。

内部のポスドク向けのフェローシップの審査員の依頼。数年前に一度やった時は分野外の興味深い研究をいろいろ知る事ができて面白い経験をさせてもらったので(ギャラもちょっと出ますしね)引き受けることにしました。

研究計画そのものは4ページですが、この小さな限られたスペースに応募者は持てるものを詰め込もうとしますから、密度が高く読むのは大変です。しかし、レビューアの立場から言わせてもらうと、あれこれ詰め込むのは逆効果だと思います。できるだけスペースをとってシンプルに話の筋がストレートに伝わるように書いて欲しいと思います。レビューする方は素人に近いわけですから。強い魅力があれば、小さな欠点はアバタもエクボ、小さな欠点の穴埋めにスペースを使うぐらいなら、魅力をアピールしてもらう方が効果的かと思います。

二十本ほどを読んで、ランクづけしないといけません。身分の不安定なポスドクですから、資金が切れたら転職しないといけない人もいるでしょう。しかし、これらのうちの9割の人には「残念ですが」と言わねばなりません。ま、私も不安定な立場という点では彼らと似たり寄ったりですけど。研究計画は、みんな一生書いているのはわかります。研究計画を書くだけではなく、サポートの手紙を集めたり、予備データを揃えたりとかなりの時間と手間がかけられています。サイエンスのレベルも高いのも多く、良い論文になるだろうな、と思わせる計画もあります。

しかし、これは論文の審査ではなく、各応募者がこのサポートを得ることで研究者としてのキャリアを開花させていけることができるか、もっと下世話に言えば、このサポートで使った金が将来に倍になって返ってくるかどうか、を見極めるという作業です。ですから、思うに、最も重要なのはインパクトと将来性。心の中で、頑張れと応援しながら読むのですが、そうそう突出したものはなく、ランクをつけるのは厄介です。前回は数点パッとしたものがあったので比較的簡単だったのですが。しかも、ほとんどは自分の分野と全く関係のない研究なので、そうした研究計画を読むのは骨が折れます。中に、ニューラルネットワークの理論的研究を計画したものがありました。その科学的内容を私は評価することはできませんが、応募者に関しては、微分方程式を見た瞬間にバイオロジーのレビューアはアレルギー反応を起こすということにこの応募者は考えが及ばなかったと評価せざるを得ません。

それで、毎日、ちょっとずつやることにして、そのお供のBGMを漁っているうちに聞き覚えのある曲に当たりました。
音楽と料理を見ると、ヨーロッパと西アジアの文化的境界はバルカン半島を境に比較的明瞭なような感じがします。アドリア海を挟めばすぐイタリアですけど、例えばイタリアの音楽や料理はバルカン以東と随分違うように思います。
今回の曲は、バルカン半島ではギリシャの北にあるマセドニアで主に歌われてきた「Jovano, Jovanke」です。楽譜をみると7拍子の変則リズムです。この変則的なリズムのズレ感がなかなかいいです。和音進行は西洋音楽的ですけど中東風の音階とあたるので、西洋音楽のスケールで解釈するとディミニッシュコードのようなどっちつかず感が醸し出されていていいです。このリズムのせいで演奏するのもちょっとむずかしいと思うのでけど、これが民謡でずっと歌い継がれてきたのはすごいと思います。

セルビアのオーケストラのアレンジのものがよかったです。


日本人トリオの演奏も素晴らしいです。

JOVANO JOVANKE from Moku Teraoka on Vimeo.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義を守る努力

2018-10-19 | Weblog
ドイツでは長年続いたメルケル政権が終わりをむかえつつある兆し。移民政策で不満の募った人々が右翼を支持したのかと思いましたが、必ずしもそうではなさそうです。躍進したのは緑の党、環境保護、サステイナブルの社会を目指す党らしいです。どんな政権でも長期になると問題が出てくるもので、変化することこそが不変の法則です。一方で、右傾化を強めてきたフランスなどの他のヨーロッパ諸国のリーダーは敵の敵は味方と、とりあえずはメルケル政権の弱体化は歓迎している様子。世知辛くなると、わが身を守ろうと排他的になっていくのはしかたのないことですが、アベや日本会議の連中のように、国民の不満そらすために、北朝鮮や中国の脅威を意図的に拡大して煽り、のせられやすい若者のナショナリズムを刺激して、己の保身に利用するというのは根性が卑しすぎます。

関連して共感した記事を見つけました。
枝野氏も内閣不信任決議の時の演説で指摘した通り、アベ政権は「保守」では断じてない。革新というのでもないと私は思いますが、あえて言えば、日本会議の時代錯誤な妄想の信者による「カルト犯罪集団」であると思います。

なぜ若者は保守化したか」論 考

なぜ若者が保守化したか、という議論がある。だが、果たして若者は保守化したのだろうか。「保守化した」という根拠は安倍自公政権に対する支持率が若い層ほど高いからだという。
 何を言っているのか、と呆れ返る。安倍自公政権は「保守」ではないからだ。むしろ日本を徹底破壊している「革新」だ。
 その証拠は幾らでもある。まず終身雇用制度を徹底的に破壊して「高度経済成長」を実現した労使関係を破壊した。そして派遣業法を骨抜きにして、労働者を不安定な派遣労働へと追いやり、若者たちが安定的な自身の未来像を描き難くさせて少子化を固定化させた。、、、、、、
 若者たちの多くは本を読まない。新聞も取らない。固いテレビ番組も敬遠する。つまり情報番組のMCやコメンテータたちの井戸端会議に「波動周期同調」しているに過ぎない。、、、、
 現代日本のみならず欧米諸国は「グローバル化」対「国民の生活が第一」が対立軸となっている。それを理解できないマスメディアがいまだに「保守」対「革新」というカテゴリーで政治意識を包括的に表現しようとしている。それでは現実を正しく認識できないのではないだろうか。
 安倍自公政権は決して「保守」政権ではない。とんでもない日本亡国の反日「革新」政権だ。安倍自公政権はグローバル化や自由貿易を標榜しつつ、日本を丸ごと米国の1%の餌食にしようとしている。ただ、マスメディアがそうした実態を何も伝えないから、若者たちの訓練不足の分析能力ではテレビMCやコメンテータたちの雑談に丸乗りして「波動周期同調」しているだけだ。それは同調であって、主体的な主動ではない。まさしく付和雷同で一夜にして覆るタチのものだ。、、、、


若者を中心にその支持率が高いのは、指摘にあるように若者は自分の意見を様々な情報から学んで主張するという手間のかかる作業を厭い、多数の流れやメディアの論調に同調しておくことがラクだと考えているからでしょう。そういう自分の確固とした意見を持たない人こそ、まとも議論ができる知識と能力の欠如ゆえに、正論を主張する人をけむたがり、馬鹿にしたがるもので、それがアベや「ネトウヨ」と呼ばれる連中の態度に現れていると思います。

日本では主義主張の強い人は嫌われますが、民主主義で国民一人一人の権利を守っていくには、ことなかれ主義はいけません。まして、自分の頭で考えることを放棄して多勢になんとなく同調するようでは、気づいたときには消費税をむしりとられ、ブラック企業に搾取され、奴隷か家畜にされているでしょう。子供や孫の世代はこのままでは未曾有の高齢化社会に加えて貧困化が急激に進むのが目に見えています。未来にためにも、目を吊り上げ、声をあげ、民主主義を破壊するアベ政権を厳しく批判していくことが必要だと思います。そういう人を「はしたない」と軽蔑したりバカにしたりする態度こそ、アベが狙っているところです。

思うに、これはドブさらいやトイレ掃除をする人を見下す人の心理に通じると思います。この国の政治はドブが詰まって腐臭を発しています。トイレが詰まって汚物があふれ出している。多くの人は詰まったドブやトイレは見なかったことにしてやりすごしたがりますが、それを放置すれば将来もっとやばいことになります。そこであえてつらい汚い仕事をやる人がいるからこそ、なんとか社会が保っている。トイレを掃除している人のおかげで自分たちの生活が回っているということを理解しない人々が、政権の不正と犯罪を批判する人々の行為の意味を理解できず、理解できないから無視し軽蔑までしたりするのではないでしょうか。誰かが言ったように、アベ政権のようなものを存続させている責任の多くは、それを支持する国民の無知と無見識にあります。

ついでに、さっき聞いた、「沖縄県が辺野古の埋立て承認を撤回したことに対して、政府は行政不服審査法に基づく不服審査請求を行った」というニュース。例によって、アベ政権らしいクズの卑怯で汚いやり方。

鳩山氏:この法律は国民が行政に対して不服を申し立てる国民の権利救済が目的なのに、政府が国民の権利を奪うために使うとは許せない。政府の身内の国交相が審査するのだから、まさに茶番ではないか。

小池晃氏:民意をなんと心得るか。行政不服申請は国民の権利を守るための制度。それを逆手にとって防衛省沖縄防衛局が国土交通大臣に不服審査をするなど自作自演の茶番劇。国民の権利を守る制度の乱用、党利党略の最低のやり方だ。

東京新聞も怒りの社説。
辺野古基地問題 民意再び無視するのか
 知事選で示された沖縄の民意を再び無視するのか。名護市辺野古への米軍新基地建設を巡り、県が行った沿岸埋め立て承認撤回への対抗措置。政府は対立を解く責任は自らにあると考え直すべきだ。
 辺野古埋め立て承認の撤回は、翁長雄志前知事が亡くなる直前に最後の力を振り絞って方針を表明。県が八月末に実行した。
 九月末の知事選の結果、翁長氏の後継を掲げた玉城デニー氏が、政府与党支援候補を相手に過去最多得票で大勝し、県民は翁長氏の判断を支持した形となった。安倍晋三首相は十二日、知事就任から八日という異例の早さで玉城氏と会談し、沖縄側の要望を聞いた。
 玉城氏はこの場で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対することが沖縄の民意だと明言。首相は新基地建設の立場は不変としつつも、冒頭では満面の笑みで知事就任に祝意を伝え、沖縄に在日米軍施設の七割が集中する現状を「到底是認できない。県民の気持ちに寄り添いながら、負担軽減に向け成果を出す」と述べたという。
 しかし、きのう防衛省は国土交通相に撤回の効力停止などを申し立てた。一方的な対話打ち切りだ。政府内で不服申し立てから審査まで行うやり方も批判を呼ぼう。 、、、、
 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は、知事選直後「沖縄の米軍駐留を減らすために」と題した社説を掲載し「日米両政府は妥協案を探るときだ」と訴えた。
 きのうを境に、政府と沖縄県は辺野古移設問題で再び法廷闘争に突入するとみられる。、、、
 選挙を経て、ボールは政府側にある。必要なのは誠意ある姿勢と決断だ。、、、、、

あのウソつきで卑怯者の最低のクズ野郎に誠意を求めるのは、無いものねだりもいいところ。玉城知事との会見や翁長氏の葬儀で「県民の気持ちに寄り添う」と言った舌の根も乾かぬうちに、この始末。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Appreciation of life

2018-10-16 | Weblog
なかなか思うように仕事も進まず、仕事以外の悩みもあってスカッとしない日々で、気分転換で、週末はいつもとちょっと違った道を通って買い物に出ました。週末の穏やかな天気の中で買い物に行く途中、久しぶりの風景を見ながら、ふと、この20年ほどのことを思い出していました。仕事は20年前からあまり進歩しているような気がしませんけど、その間、子供が生まれて、いろいろあって、無事に大きくなって、いい若者に育ちました。

思い出の小さな断片を思い浮かべている間に、強い感謝の気持ちのようなものが湧き上がってきました。感謝の気持ちというと分かりにくいですけど、これまでの人生で、いろいろ様々な経験をさせてもらったという事実に対する実感とでもいうような感じです。余計わかりにくですね。

過去を振り返ってみれば、それがどんな過去であれ、今現在があるのはその過去ゆえで、今とりあえず生きていて、そして穏やかな天気が嬉しいと思えるという事実があるのは、自分の生まれてから今までの人生が無事に続いたためなのだ、その間、飢えることもなく、住む場所を失くすこともなく、大病もせず、家族に恵まれ、と幸運の連続が途切れることなく続いたからである、ということを急に実感したのでした。その「感謝の念」は、両親、親戚、友人、仕事関係の人、すべての関わった人々、先祖、はるかアフリカの原人、現在とそれ以前の地球が与えてくれる恵み、その地球を含有する宇宙とそのすべての歴史、まで一瞬にして広がりました。

今日も当たるかどうかわからぬグラントを書き、成功するかどうかわからない実験をするのですけど、この週末の一瞬のおかげで、今日も当たるかどうかわからないグラントを書き、成功するか失敗するかわからないような実験をすることができるという事実に感謝することができました。その、妙な多幸感はその日いっぱい続きました。

実験やあるいはキャリアや私生活で、自分の思いが現実化することを「成功」と呼ぶならば、成功することは重要ではなく、成功のために誠実な努力をして、その過程から何らかを学ぶことそのものが重要なのだと感じました。結局は、人生は死ぬ時までの暇つぶし(山本夏彦)、いろいろ経験することそのものに意義があるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究者は全員仲間

2018-10-12 | Weblog
下のようなツイートを見つけましたので、ちょっと一言。

Ken(犬)exコン@テニュアトラック予定 Retweeted umedam
留学時、「比較的時間にゆとりがあるように見える欧州ラボが競争でなぜ勝てるのか」と質問したことがあるが、あっちの教授から「そもそも研究が競争だという認識が間違ってる。世界中の研究者は全員仲間なんだから」と言われて、いつの間にか日本の競争に曝されて本質を見失っていたことに気付かされた。

このコメントは、コップ半分の水をまだ半分と見るかもう半分と見るか、と多少似たものだと思います。研究が競争だというのは本質ではないのは確かです。研究は何らかの未知の疑問に答えていくために行う活動ですから。
 しかし、研究を支え、研究者を支えるためには、資金を工面していく必要があり、そのためには人よりも早く、新しい発見を世に出してクレジットを得る必要があります。フルタイムの研究者が資金を得るためのほぼ唯一の手段は金を出してくれるところに申し込むことですが、使える資金の額よりも圧倒的に資金を欲しい人の方が多いわけですから、ここは激しい競争となります。だから、研究に競争はつきものです。

欧米がなぜ勝てるのか、はヘンな例えですが、なぜアベが首相ができるのか、と多少、似た理由と思います。アベが長期政権にいるのは、自民党だからであり、世襲議員だからであり、担ぎたい連中がいるからです。つまりそうしたシステムの内部にいて守られているからです。

科学は18世紀に西洋で生まれ、最初はヨーロッパ、それからアメリカが先導してきました。そもそも分野を切り開いてきた研究室、研究機関は欧米のPIであり、その分野を継いでいくのは彼らの弟子なわけです。そうした分野の中心にいる人々が論文や研究資金の配分の審査に直接的、間接的に関わることが多いので、自然と彼らの身内は優遇され、そうでないものは苦労するということになると思います。そして、優秀な人はそうした力のあるところに集まりますから、自然と欧米の有力研究室に金とリソースと人材が集まるわけで、そういうアドバンテージのないところは、必死に働いてその差を埋めるしかないと思います。欧米の研究室にゆとりがあるというのはそういう理由もあるのではないでしょうか。

何度か某ノーベル賞受賞者のラボや同じフロアの別の有名ラボに用事で訪れたことがありますが、平日の昼間でも閑散としていることが多かったです。働いている大学院生も他の施設の人と比べてそう違っては見えませんでした。そうした研究室にはユニークな研究システムやリソースがあり、それを活用することによってアドバンテージを維持できているように思います。

世界中の研究者は仲間であるというのは、その通りだと思います。人類はみな兄弟です。しかし、仲間であり兄弟であることと、競争や殺し合いをすることは別の話でしょう。研究論文の出版と研究費の獲得は限られた雑誌のスペースと金を奪い合う競争です。しかし、それは研究の本質ではない、この教授はそう言いたいのでしょう。研究者は仲間であり人類はみな兄弟であるということを根本の認識とした上で、研究活動の継続のためには競争がついてまわるという事実を受け入れねばならない、ということだと思います。それはそれ、これはこれ。ビーフステーキを食べながら、動物愛護について語っても、別に矛盾しているわけではないと思います。

しかし、競争で負けた立場の人間からすれば、競争で勝った側に「研究者はみな仲間」と言わてもなあ、と思うでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ああ、またやった

2018-10-09 | Weblog
数日前のニュース。何を言われても「ワン」と尻尾をふるだけのあの底なしのXXがまた国益を損じたという話。例によって無能をゴマかすためにウソを言う。本当に悪口言いたくないですけど、クズの中のクズ、という言葉しか思い浮かびません。

東京新聞。
、、、、ペンス米副大統領は四日の演説で「日本と歴史的なFTAに関する交渉を間もなく始める」と明言した。日本は米国と交渉する協定は「物品貿易協定(TAG)であって包括的なFTAとは異なる」と主張し、食い違いが表面化した。、、、日本はこれまで、国同士の力関係が反映される日米FTA交渉は劣勢が見込まれるため、応じない方針だった。米国との過去の協議も「FTAの予備協議ではない」と説明してきた。しかし米国が輸入車への追加関税をちらつかせる中で方針を転換し、二国間交渉を受け入れた。、、、

赤旗はもっと直接的に批判。
「TAGは捏造の疑い」日本政府の訳にのみ記載。首相答弁との矛盾隠す。
 先月開かれた日米首脳会談で発表した共同声明で日本市場のいっそうの開放に反対する世論を欺くため、日本政府が日本語訳を捏造(ねつぞう)した疑いが出てきました。 安倍晋三首相は、これまでのトランプ政権との交渉を「日米FTA(自由貿易協定)交渉と位置づけられるものではなく、その予備協議でもない」(5月8日、衆院本会議)としてきました。日本語の仮訳は、この安倍首相の発言との整合性を取るためのものとみられます。、、、ハガティ駐日米国大使は新聞のインタビューに答え「われわれはTAGという用語を使っていない」「共同声明には物品と同様にサービスを含む主要領域となっている」(「産経」3日付)と発言しています。、、、日本共産党の志位和夫委員長は、ツイッターで「(首相の発言との)矛盾を糊塗(こと)するために、翻訳まで改ざんしウソで国民を欺く。こんな卑怯(ひきょう)、卑劣なやり方はないではないか」と指摘しました。
 東京大学教授・鈴木宣弘さんのコメント。、、、日米はTAGなるものを合意していません。今まで日米FTA(自由貿易協定)交渉をやらないと説明してきたのに、やることにしてしまったから、日米FTAではないとうそをつくために、無理やり編み出した造語です。非常に悪質です

無能につけこまれ、プーチンに続いてトランプにも、しっかりカタに嵌められました。これで日本の農業が壊滅し、アベノリスクで日銀に擦り散らかさせた日銀券のおかげで近い将来に起こるであろう「円」の暴落が起きたら、食料の4割を輸入している日本人はどうやって喰っていくつもりでしょう? 

かつてソ連崩壊前後の強烈なインフレと物資不足のロシアを思い出しました。それでもロシアが生き延びて今日があるのは、ソ連時代の政策で広まったダーチャのおかげだと私は思います。個人が郊外に菜園を持ち週末に野菜などを栽培し、食料の一部を自給する習慣です。残念ながら日本の特に都会に住む人は食料は買うしかありません。円の暴落で食料輸入が困難になり、自給するしかない状況に追い込まれた時、日本の農業はすでに壊滅しており田畑は荒廃しているとなれば、日本人は難民化するしかなくなるのではないでしょうか。

間も無く大学受験を迎える子供を持つ親戚に、ウチの子供は将来どういう職業がいいでしょうね、と聞かれて、つい農業を兼業するのが良いのでは、と答えていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しいニュース

2018-10-05 | Weblog
学会から帰ってきました。ま、特に面白い話はありませんでしたが、昔の知り合いと色々話しができてよかったです。4人の知り合い別々に、今のところを出て移ったほうがいいと言われてしまいました。岡目八目なのでしょうかね。そして、その後10年ぶりに会った人からも、子供が大学に行ったのを機会に大学を移ったという話をされました。研究のスタイルや方向性を変えようとしているので、ちょっと真面目に考えてみようかなと思った次第です。

さて、学会中に色々、嬉しいニュースがありました。
本庶先生のノーベル賞。これで、Tさんとのバランスが取れてよかったという気がします。私、免疫は素人で、本庶先生の話を生で聴いたのは、随分前に一度だけです。その時、先生は、確か、B cellのsomatic hypermutationのメカニズムの話をされ、当時、AIDと呼ばれていたcytosine deaminaseがDNAのCからTへのtransitional mutationを誘導するのに、RNAが介在しているという話をされていたように覚えています。AIDが直接DNAのcytosine deaminationをおこすという学説が主流な中、RNAの関与を示すデータを示されていました。その後、私はこの論争をフォローしていないので、どう決着がついたのか知りません。この話が印象に残っているのは、このdeaminaseをAIDと名付けるときに自分の名前(たすく)を忍び込ませたとのエピソードを知ったからです。deaminaseによる遺伝子変化メカニズムの発見は、現在のCRISPR/nCas9を使った"base editor"やlineage tracingの技術にもつながっていると思います。
 今回のノーベル賞はクラススイッチやAIDに関してではなく、免疫寛容分子の発見に対してですが、この分子の同定は野心的な大学院生の努力の成果だと聞いています。優秀な弟子が育つのも優秀な指導者ゆえでしょう。ノーベル賞になったのは、この免疫チェックポイントのメカニズムを共同受賞者のJim Allisonががん治療に応用した研究が実用化されたからでしょう。Allisonのラスカー賞が2015年ですから、ノーベル賞は想定内。Jim Allisonは去年に生で聴く機会がありました。見た目は冴えないおじさんです。しかし、免疫のチェックポイントを外すことによってがんを治療するというideaの非凡さとそれが著効を示したという驚くべき結果は印象的でした。がん細胞そのものをターゲットにしてきた従来のがん治療には、細胞が耐性を獲得するという問題があります。免疫療法は以前からありましたがその効果は疑問符がつくようなレベル、抗PD1抗体や抗CTLA4抗体の出現により、そのがん細胞には一切直接タッチせず、がん免疫のブレーキを意図的に外すことによってがんを治療するというがん治療のパラダイムを変えました。
Jim Allisonはハーモニカ演奏者でもあり、他の免疫学研究者とバンドを組んで学会の余興で演奏している様子がYoutubeにあります。そのブルースロックのバンドは、その名も「The Checkpoint」。

関連して、前回にも取り上げた今年のラスカー賞は9/20のCellのフロントページで取り上げられていました。賞の選考委員であったJoe Goldsteinが、「科学と芸術作品をマスターピースとするものは何か」というタイトルでコメンタリーを書いています。Goldsteinはコレステロール合成経路の解明で随分前にノーベル賞をもらっていて、一、二度、話を聞いた覚えがあります。その南部訛りの英語もあってか、ちょっと何を考えているのかよくわかりにくい人だなと思っていました。今回のCellのコメントでもなかなか本題に入らず、3ページにわたって数人の画家やイラストレーターの作品の解説を写真付きでやった後、本題の賞についてはチョロチョロと付け足したというような感じで、結局のところ、この芸術解説とラスカー賞の関連はさっぱりわかりませんでした。ヘンなおじ(い)さんです。それにしてもCellのフロントページで漫画と絵の解説を読んだのは初めてです。

さてもう一つ、嬉しいニュースはなんといっても沖縄知事選での玉城さんの勝利です。公明党の1/4が玉城氏に投票したというデータもあり、中央と沖縄、もっといえば公明党と創価学会との乖離が現れているように思います。風向きは完全に変わりつつあります。カツカレーの乱といい、この創価学会の乱といい、アベが消える日も遠くはなさそうです。

鮫島浩さん@SamejimaH
民主政治を破壊している安倍政権に唯一真正面から異議を唱えブレーキをかけているのが沖縄の民意であるという事実を、与党も野党も司法も霞が関もマスコミも直視すべきだ。私たちは沖縄に負担を押し付けているばかりか沖縄にギリギリのところで救われているかもしれないのだ。

志位委員長@shiikazuo
玉城デニー候補の勝利は、首相官邸が主導し、国家権力を総動員して沖縄県民の民意を押しつぶそうとした安倍政権に対する痛烈な審判ともなりました。、、

きっこさん@kikko_no_blog
今回の沖縄県知事選で当選した玉城デニー氏が獲得した「39万6632票」という得票数は、沖縄県知事選での「過去最高の得票数」を記録した。つまり、過去最高の民意が「辺野古に新基地はいらない」と訴えたのだ。アメリカの顔色ばかりうかがっている安倍政権は、この選挙結果を真摯に受け止めるべきだ。

民意を踏みにじられ、最初は日本政府に戦争の捨て石にされ、それからアメリカに土地を取り上げられ、占領され、以降、ずっと基地の負担を押し付けられ、日本の法律では裁けない米兵の犯罪と米軍の危険にさらされてきた沖縄は、その不条理と政府の無法を一番知っています。もし、これで選挙が自民の知事になっていたら、と思うとつくづく、ぞっとします。日本が民主主義国家でいられるかファシズムの独裁国家となるかの分水嶺の選挙であったと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする