百醜千拙草

何とかやっています

核輸送

2021-01-29 | Weblog
この一年ほど、ちょっと大きめのDNAコンストラクトをマウスのゲノムにノックインしたいと思っていて、ずっと自前のシステムで挑戦しているのですけど、うまく行きません。トランスジェニック コアを使ってmicroinjectionすれば、できるのはわかっているのですけど、自前でやる場合の10倍以上のコストと手間がかかるので躊躇っていました。しかし、これまで重ねた失敗の労力を計算に入れれば、もうすでにそれぐらいをはるかに超えるコストはかかっていると思いますけど、将来的にも複数のこの手も実験をやりたいと思っているので、もう少し、足掻いてみようと思っているところです。こうした一見、些細にみえる実質上のブロックというのは、プロジェクトの方向性にも大きく影響します。一回、50万円の実験を「ちょっと」思いついたから、やってみよう、という気分にはなりませんけど、一回、数万円なら話は違います。その「ちょっとやってみるか」という気軽さが思考の幅も広げると思います。

自前のシステムというのは東海大の大塚先生たちが開発した方法で、DNAとCRISPR分子を、電気穿孔法で母マウス体内の受精卵に導入して遺伝子改変するやり方です。DNA切断後に一本鎖オリゴDNAを使って小さな変異を導入するのは非常に簡単なのに、大きなDNAコンストラクトは一本鎖、二本鎖にかかわらず、私の手ではうまく行きません。やり始めたころは余りに簡単に小さなノックインならできるので、大きなコンストラクトを入れるのも多少の条件をかえれば、同様に行くのではないかと楽観視していました。しかし、簡単と思ったときこそ落とし穴があるものです。小田嶋さんの「ア ピース オブ 警句(cake)」というコラムの題名を思い出しました。

MicroinjectionならOKで電気穿孔ならダメというなら、理由は核内への高分子DNAの輸送効率の差ではないか、ということで、大昔の文献などを漁ってみました。まず、核膜は細胞膜とは異なった構造をとっているというあたりから勉強し直さなければなりません。受動的な拡散で核内に移行できない高分子のDNAを核内のゲノムに到達させるためには、核膜が消失する細胞分裂期を狙う、物理的に核に穴を開ける、核輸送メカニズムを利用する、の三つの手段のうちどれかをつかうことになりそうです。マウスの体内で行うというシステム上、受精卵が2または4細胞へ分裂する時の細胞周期の分裂期を意図的に狙って操作を行うのは難しいことと、それからDNAの相同組み替えは主に分裂前のG2期に起こるということもあって、この方法だと仮にコンストラクトをゲノムに接触させることができても、DNA相同組み替えのタイミングが合わない、ということで、これは選択肢から除外。あとの二つの方法を適用する余地があるかを検討し始めました。

ウイルスベクターに頼らないDNA deliveryの研究は古い歴史がありますけど、遺伝子治療を念頭にいまでもコツコツと研究している人々がいるというのは興味深い発見でした。世の中広いですね。こうした地味な研究によって蓄積された知識の基礎があって、はじめてインパクトのある研究というものが起こりうるのだと実感します。

核膜に物理的に穴を開ける方法には三つありそうです。microinjectionで針を直接突き刺す方法、電気穿孔法、それから薬をつかって核膜の穴を広げる方法。このうち最初のは自前でできませんし、三つ目は細胞毒性が高過ぎて無理です。電気穿孔は、われわれの使っているパルスジェネレーターのセッティングを変えればなんとかなるのではないかと思い、論文を漁って、バルト三国の工科大学の研究者にたどり着きました。彼らは自前で電気穿孔機を自作し、市販の機器ではできないセッティングで実験をおこなっています。話を聞いてみると、多分、核膜にそれなりの穴をあけるには、高電圧にしないといけないが、それだと細胞にダメージが大きいので、通電時間をマイクロ秒単位に縮小する必要がある、しかしそれでは穴があいてもDNAが電流によって核内へ移行するだけの十分な泳動時間が得られない、という問題があるようです。それを解決するには高電圧ナノパルスのあとに低電圧のミリパルスを加えたらイケるのではないか、という話で、機械を一時的に提供してもいいとのありがたい話。でしたが、マウスの一〜二細胞期の胎児を使う実験ですので、条件の検討だけでも時間と手間がかなりかかるので現実には試行は難しく、とりあえず電気穿孔法による核内DNAデリバリーは第一選択からはずしました。

それで、最後の選択肢、核輸送システムを利用する方法を検討しだしたのですが、長くなりそうなので続きはまた次の機会に。うまくいったら報告します。
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音楽的股関節脱臼

2021-01-26 | Weblog
ある怠惰な日曜の朝、、、と音楽的な出だしですが、週末はいつものようにコーヒーを飲みながらメールをチェック、いつもは読まないNEJMの雑誌コンテンツのメールを何気に開け、ページに飛んで、パラパラしていたら興味深い症例 が報告されていました。

症例:65歳男性、過去に両側の股関節形成術の既往。今回、転倒による右股関節脱臼にのため入院。その他に外傷などはなし。脈拍測定のためにドップラー血流測定器を左右いずれかの足背に接触させたところ、脈拍音に加えて、音楽が聞こえた(ビデオ)。患者の足背動脈にドップラー器を当てると音楽が聞こえるが、同じ測定器機を病院スタッフの足背動脈に当てても音楽は聞こえなかった。
ラジオ電波が患者の人工股関節を通じて受信されたものと考えられたが、他の受信可能性のある病院什器(ベッドなど)にドップラー測定器を接触させても音楽は聞こえなかった。病院のエンジニアが原因解明のために調査中である。

感心したのは、病院スタッフの科学的アプローチです。二つのコントロール実験を行い、これがこの症例に特異的に起こっていることを示しています。

ちなみに患者さんは8ヶ月後の時点で、転倒もなく元気に生活されているようです。

そういえば、以前にも歯の治療後にラジオを受信するようになった患者さんの話がありました。この場合はドップラー器がなくても歯で受信したラジオの音楽などが骨伝導で聞きたくなくても聞こえてくるわけですから本人にとっては迷惑な話でしょう。ヘビメタのチャンネルなどと同期していたら気が狂いそうです。

Kiki Deeで、"I've got the music in me"


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Wiki review

2021-01-22 | Weblog
人づてに聞いた話。
アメリカなどではSARS-CoV2に対するワクチン接種が大規模に開始されました。これらのRNAワクチンが広く一般に使用されるのはワクチンの歴史で初めてのことであり、期待とともに少なからぬ不安を感じる人もいるようです。論理的には、RNAは細胞質内で働き、一時的に蛋白を作るだけと考えられるので、DNAワクチンや遺伝子治療のように核内で作用して、ゲノムに変異を誘導することはなく安全と考えられます。

ところが、最近、とある研究室での実験で、RNAのトランスフェクションでも逆転写酵素をもつレトロウイルスの感染などの特殊な場合に、RNAが逆転写されてゲノムに入り込む可能性があるというデータがでたそうです。

確かにそういうこともありうるかもしれませんけど、現実的にはまず無視できるような現象だろうとは思います。まずワクチン接種時にアクティブなレトロウイルス感染がワクチン接種部位の細胞で起きている状態というのが極めて稀でしょうし、仮にそういう状況があったとしても、ワクチンRNAが逆転写されるということはまず起こらないと思われます。仮になんらかの理由で酵素反応によって逆転写が起きても、それが核内で起こるか、あるいは細胞質でおきたものが核へと移行する必要があります。そこにもう一つのバリアがあり、さらに、逆転写されたDNAが核内で二重鎖DNAとなった場合でも、ウイルス配列をもたなければそれがゲノムに挿入される確率は非常に低いと思われます。そして万が一、そのDNAが挿入された場合にそれがランダムであれば生理的な異常を引き起こす確率は非常に少ないと思われます。こうしたリスクは全くのゼロではないですけど、毎日大量のワクチンを打ちまくるという状況でない限りは無視できるものだろうと思います。

とはいうものの、こういうタイムリーで常識に反するようなデータというのをビッグ ジャーナルは好むもので、原稿はN紙に投稿されたようです。多分、N紙も話題性十分なこの手の論文に食指が動いたのでしょうが、インパクトが大きければ、問題も大きくなるわけで、こういう話は迂闊にN紙のような影響力のある雑誌が取り上げると、話が一般人に広まって、例によって針小棒大にツイートされて、さらに陰謀論者がウソを交えて拡散し、ワクチン接種に偏見を持つ人々の反感をさらに掻き立てて、ワクチンによる集団免疫でウイルスを抑え込むという社会的努力に水を差しかねません。

N紙もインパクトが大きい怪しい論文を載せると面倒なことになるのは、7年ほどまえのSTAP論文のゴタゴタで実感しているでしょう。まして、今回の話のインパクトはSTAP論文の比ではありません。

結果、N紙としてはインパクトの高い常識はずれの論文をバーンと出したいのはやまやまでしょうが、その影響の大きさに腰がひけたのか、興味深いことに、編集室は著者に対して、まずBioRivに出すようにと要求したそうです。天下のN紙の編集室といってもその筋の専門家からすれば、素人の集まりであり、研究の内容の詳細を正しく判断できるわけではありません。レビューアにしても専門家の数人が見るだけのことですから、でっち上げデータがSTAPのときのようにスルッと通ってしまうことも多いわけです。STAPのときは、発表されたあと、多くの研究室が追試して、再現できないという話が広まり、さらに独自に論文に含まれてたseqデータを解析して整合しない事実が指摘され、発表から数週間以内に論文が怪しいという情報が、コミュニティーで共有されました。つまり、世界中の多くの人の集合的な努力によってほぼ一瞬にして論文の不当性が明らかにされたわけで、大勢の人々の集合的努力はN紙編集室や数名の専門家のレビューアの判断よりもはるかに正確で迅速であるということを示していると思います。

N紙にしてみれば、こういうインパクトが大きい論文を独自の判断で採択する危険を避け、BioRxivに流して、集合知を借りて、その正当性とインパクトのほどを見極めようと思ったのでしょう。私は、正しいやり方だとは思いますけど、いわば、インパクトの大きい仕事を読者の一部にあらかじめレビューさせるようなものですから、こういう論文評価システムがうまく機能するならば、そもそもN紙のようなマスコミ形態は要らないのではないかとも思いました。これからは生物系の論文はBioRxivに発表して、レジスターした読者が一人一票で点数をつけて、それを論文のメトリックスに使えばいいでしょう。ウィキ レビューとでもいいますかね。(中国からの組織票がすごいことになりそうですが、組織的な雑誌のインパクトファクターの操作はすでに行われていることなので新たな問題ではありません)

テレビが遠からず消えて、テレビコンテンツはユーチューバーやフリーのジャーナリストや各機関広報のツイートなどに置き換えられる時代がやってくるだろうと想像しますが、ならば、科学雑誌もBioRxivとツイッターで置き換えられてもいいでしょう。この業界の出版ビジネスはすでにかなり歪つなものだと思いますし。
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ウンチの話

2021-01-19 | Weblog
結局、週末の貴重な半日を潰してアップルストアまで故障したMacBook Airを持って行きましたが、ストアの技術者も原因解明できず、修理センターへ送ることになり、約一週間の入院ということでした。この故障のおかげで、月曜締め切りの書類をゼロからやり直さざるを得なくなったのですが、そのおかげで、その書類は施設の担当を通して提出しないといけないことがわかり、金曜日に何とか仕上げて担当へと送ることができました。故障しなかったらうっかり直接提出してまずいことになっていたかも知れません。故障してよかったと思うようにします。

さて、ちょっと前、トイレの話題をとりあげました。ちなみに、Toilet、Toilette(s)は英語でもフランス語でもトイレットと発音されるようです。最初のトに強勢があるので、フランス人はトワレットと発音しているのかも知れませんけど、普通にトイレットと聞こえます。最後のトはeがついているので英語よりも強く発音されるようです。なので、Eau de Toilletteはフランス語では、オードトイレット(最初のトに強勢)と発音されます。ところが、このフランス語は英語では、レに強勢をつけて発音されるので、最後の音が弱くなって、オードトワレーと聞こえます。それが更に日本語化して再びトに強勢が戻り、オードトワレとなったのではないかと推測しています。(知っている人がいたら教えてください)

トイレの話はこれぐらいにして、今日はウンチの話。
ウンチの話と言っても、アベとかスガとかトランプの話ではありません。何の役にも立たないクソの話ではなく、ウンチは有用だという話。

家畜やヒトのウンチは昔から、肥料にしたり、干して燃料にしたりといろいろ人間の生活にも役立ってきました。近年では、ウンチ移植で腸内細菌を改善して、メタボリックシンドロームの治療に使われたりもしています。数年前の日本の生化学グループの牛のウンチからバニラ様芳香物質、バニリンを単離した発見が、イグ ノーベル賞受賞に至ったのも記憶に新しいです。ウンチにはすばらしい化合物がいろいろと含まれているようです。

今回は、アメリカ科学アカデミーの雑誌PNASに発表された中国のグループの発見です。中国らしくパンダの習性の研究です。馬を使った交通の発達によって、パンダは馬のウンチと接触する機会が増えたそうですが、ある条件下において、パンダは馬のウンチの上をごろごろするのを好むのだそうです。その条件というのが、秋から冬にかけての寒冷時で、馬のウンチが10日以内のフレッシュ ウンチの場合。この妙な習性の観察事実から、何か揮発性の物質が馬のウンチに含まれていて、それをパンダが好むのではないかという仮説を立てた研究者が解析したところ、beta caryophylleneneとcaryophyllene oxideという物質に行き着いたそうです。マウスを使った実験だと、どうもこれらの物質は寒冷を感じる受容体をブロックするようで、寒さに対する耐性が上昇するらしいです。ということで、パンダは馬のフレッシュ ウンチで寒い季節を凌ぐようです。暇な方は論文チェックしてみてください。パンダが馬のウンチの上をゴロゴロする様子やウンチで顔を洗っているようなビデオがみれます。(https://www.pnas.org/content/117/51/32493 )
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水曜の朝、レチナ死す

2021-01-15 | Weblog
水曜の朝、去年買ったMacBook Airが静かに死んでいました。前日までふつうで、いつものようにスリープさせて、翌朝、立ち上げようとしたら反応がありません。一通りの蘇生を試みた後、アップルサポートに電話して、一緒にトラブルシュートを試しましたが、結局、店頭での検査と修理が必要という結果になりました。月曜日に締め切りのある書類を8割方完成させたあとで、今週中に仕上げる予定でしたが、その書類やデータをクラウドに保存していませんでした。

最近、多くのものがサブスクリプション ベースとなり、端末に情報やソフトを保存することが少なくなりました。端末が身軽になり、場所を選ばずに情報にアクセスできるという利点は十分わかるのですけど、逆に言えばネットにつなげることができなければ、利点は欠点になります。また、ネットだとセキュリティーの問題で、煩雑なパスワードや認証過程が面倒だったりすることもあって、私は普段はローカルに保存して、適当なところでバックアップをするという昔ながらのやり方で管理しています。

お金に関しても似たところがあって、私もいまでこそ、長らく現金で買い物をしたことがありませんけど、昔はカードがもしも使えなかったらと不安でいつも現金を持ち歩いていました。コンピューターに関しても、慣れの問題であろうとは思いますけど、サブスクリプションでソフトを使い、情報をクラウドに保存するライフスタイルは、ローンで生活必需品を揃えるような危うさを感じます。うっかりしていたら、ある日、突然、ガスや水道が止まってしまったみたいなことがおこるのは嫌です。とはいうものの、いまやハードは廉価となりましたから、ソフトの保護を優先したコンピュータの使い方に慣れていくべきなのだろうとは思います。

それで、半日を費やして、三度、アップルサポートに電話して、もっとも早く修理の予約ができる店を探したのですけど、それでも結局、土曜日までまたないといけなくなりました。そうなると、仮に土曜日の当日に直ったとしても、締め切りギリギリになりそうなので、あきらめて書類を最初から作ることにしました。画像の切り貼りと構成に一日、文章を書いて、推敲するのに半日、しかしもっとも大きなロスは、初日のアップルサポートや修理店とのやりとりで費やした時間のように感じます。

というわけで5年前のバージョンのMacBook Airの再登場となりました。このマシンは一度も壊れたことはなく、Big Surに入れ替えてからも快調なので、なんとかなりそうです。一応、念の為、サーバーにデータを送っておくことにします。



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トイレの話

2021-01-12 | Weblog
平穏な日々です。週末は、ちょっとだけ論文を読んで実験をし、いつもの5分間フランス語、15分のピアノの練習、掃除洗濯、買い物と料理とルーチンをこなし、あとはダラダラとネット。最近、物事へのモチベーションが下がってきているので、フランス語の練習とかピアノの練習とか、やっていてもそれほど楽しいと思わないですけど、ルーチンをこなしたという小さな達成感のためにやってます。

ピアノはこの間久しぶりに聴いたバッハのフランス組曲が心に沁みたので、ちょっとやってみるかと二番の一曲目のアルマンドを練習しはじめました。技術的にはたぶん初級だろうと思うのですけど、ピアノのない時代に書かれたものでペダルを使わずに長い音を弾く必要があるせいか、非常に不自然な指使いをしないといけない部分があり、忠実に弾くのは結構(私には)難しいです。

アルマンドがドイツを指すというのもフランス語を学び初めて知りました。一生をドイツ国内で過ごしたバッハですが、フランス組曲の他にイギリス組曲やイタリアン コンチェルトも書いています。フランス組曲のアルマンド、アングレーズ、サラバンドはそれぞれ、フランス風のドイツ、イギリス、スペイン風舞曲ということでしょうか。

フランス語は、英語以外では一番易しいという理由で始めたので、モチベーションが低く、五分だけの毎日の習慣だから続いているようなものですが、ときおりは面白いことを知ることもあります。例えば、トイレは英語だとbath roomとかrest roomですけど、フランス語ではbath room (salle de bain)は文字通り浴室であり、トイレは les toilettesで、日本と近いです。興味深いのは、これは常に、複数形で使われるということで、単数のla toiletteだと清拭という意味になるようです。なぜトイレが複数形なのかという理由はよくわかりませんけど、フランスのトイレは非常に汚いので(これは事実)、まともなトイレを見つけるのに複数のトイレをチェックする必要があるから複数なのだという冗談があります。ただし、フランス語も一部で話されているベルギーではトイレは単数形なのだそうです。ベルギーのトイレはフランスのトイレより綺麗なのかもしれません。あるいはベルギー人は汚いトイレで用を足すのを何とも思わないということかもしれません。

どうでもいい話でした。平穏な日常です。

フランス組曲二番、アルマンド

La Toilette (Henri de Toulouse作)


Les Toilettes (anonymous)


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ツイッターから

2021-01-08 | Weblog
先日のZoomでのセミナーは楽しかったです。研究そのものは個人的な活動だと思いますけど、興味のオーバーラップする人々と対話をするというのは、精神衛生上、ポジティブな作用があるものだとあらためて思いました。
来週に提出する書類の準備を始めました。それ以外は特に変わりありません。
ここ数日のツイッターでのニュースをピックアップ。

6日のトランプ支持者の議会への乱入で死亡者が出た事件、さすがに前代未聞の異常なできごとで共和党も民主党も激しく非難をおこないました。トランプが選挙結果を受け入れず、選挙による分断をさらに煽り、今回の恥知らずな事件に発展したと考えられるわけで、ツイッターもフェイスブックもトランプのアカウントを凍結、新聞の社説では、非常に強い口調でトランプと事件を非難し、議会は、内閣に即時、トランプを任務執行不能を根拠に大統領職から追放するように要請、副大統領のマイクペンスは共和党とキャビネットと、トランプ追放について協議を始めました。前代未聞の恥かしい事件で、もし、これでトランプ追放となると、1/20まではペンスが第46代大統領を勤めることになります。因果応報と思いますけど、トランプはもっと早くに罷免されるべきでした。それにしてもトランプ支持者というのは、自分たちがトランプという利己的なナルシシストに利用されただけだということがどうして理解できないのでしょう。

話かわって、サイエンスのネタ。
BroadのDavid Liuが開発したBase-Editorを使った早老症マウスモデルの遺伝子治療の成功例がN紙に発表された様子。Base-Editorを使ったTranslational Researchはこれが初めてではなく、数年前、すでに眼科的疾患モデルに応用されています。今回は、NIH ディレクターでヒトゲノムプロジェクトのアカデミックセクターのリーダーを勤めたフランシスコリンズとの共同研究。コリンズは早老症研究が専門で、いまだに自分の研究グループを維持していますが、N紙が論文を採択したのは、コリンズとLiuという有名人同士の組み合わせの話題性もあったのではないかなと思います。ただ一回のAAV投与で非常に優れた治療効果があり、広範な組織で高効率な遺伝子改変が得られたそうですが、正直驚きました。ひょっとしたら遺伝子改変できた細胞はそうでない細胞よりも増殖や組織での生存が優利なために正の選択をうけたのかも知れません。私もBase-Editorは二、三年前にマウスの胎児で試した事がありますけど、mRNAの形で使ったせいかうまく行きませんでした。合成蛋白の形でどこかの会社が売り出してくれないかなと思っているのですが。Base-editorは作用メカニズム上、C - T かA - Gのtransitional mutationにしか使えませんし、作用ウインドウに変異部分が特異的にポジションイングできるような位置にPAMが存在していないと使えません。そういう制限は実はかなり大きいのですけど、二重鎖DNA切断をしないというのは非常に大きなメリットです。Base-editorが適応にならない、C-AまたはT-Gのtransversionなmutation、その他の比較的小さな変異なら、よりフレキシブルなPrime Editorを使うことになると思います。おそらくPrime Editorを使った遺伝子治療も現在どこかで誰かがやっているでしょうから、まもなくその成果を目にすることになると思います。CRISPRは思ったより早く遺伝子治療に変革をもたらしつつあります。

マイアミ大、臍帯血ステム細胞を使ったCOVID19の治療の治験で有効性を確認。おそらく幹細胞のもつ免疫調節作用によると思われますが、期待されていた抗サイトカイン療法がパッとしなかったことを思うと興味深いです。細胞療法は重症例に対する最後の希望かも知れません。

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仕事はじめ

2021-01-05 | Weblog
今年は他の家族が用事や仕事やコロナの隔離などでバラバラだったので、独身時代以来、一人ですごした正月休みでした。今後のことをゆっくり考えようと思っていましたけど、最近は愉快なことを考えることもだんだん面倒くさくなってきました。昔は一人の時間があると開放感でウキウキしたものでしたが、今は未来に向けての期待に胸を膨らませることもなくなり、逆に昔を思い出して後悔したり反省したりすることが増えました。終わった昔のことを悔やんでもどうしようもないのですけど、未来を思い描くより昔を思い出す方がラクだからと思います。そんな年になってしまったのだなあと感じます。家で一人でじっとしていたせいか、三日の休みでも随分長く休んだような気がします。外を歩くと足の筋肉が弱っていました。

月曜から仕事はじめで、職場に出ると調子が戻ってきました。うちで一人でじっとしていると老け込むのがわかります。火曜日の午後は久しぶりに発表があるのでその準備をし、論文査読を終わらせ、実験もスタートすると気分は上向きになってきました。このセミナーの聴衆は多くが分子生物の人と考えられ、私の話はほとんどマウス遺伝学なので、最後のパートは分子生物的疑問にマウス遺伝学で答える一例みたいな話にしようと思います。ウケればいいのですけど。


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明けましておめでとうございます

2021-01-01 | Weblog
明けましておめでとうございます。

2020年の困難と数々の個人的な厄災を思えば、正直に「めでたい」という気持ちです。昨年は、本当に大変な年でした。年が変わったからといって急激に物事が変化するわけではないですけど、この年の区切りは精神的には多少の効果がありそうです。

2020の後半は、ここ数年のスランプの加えて次々に悪い事が縦続けに起こりました。幸いなのは、同時多発ではなく、一つ一つは独立しておきたので、なんとか対処できたことでした。とはいうものの、肉体的にも精神的にも半永久的なダメージが残りました。

昨年の初め、コロナ災害が本格化する前の小さな学会で、若手の研究者の人と雑談していたとき、「私はもう坂道を降り始めましたので」という言葉がふと口から出て、それに自分は大変驚きました。会話中の謙遜するべきところだったので、そういう言葉をが思いがけず出たのですけど、これは私の無意識の中にある本音だと感じました。無意識の中で、そろそろ次に移る時期が近づいているということを感じていたのだろうと思います。

自分では、いまだに研究にそれなりに情熱をもっていて、まだまだ面白いことを追求したいという欲もあり、気持ちはポスドク時代と変わっていないと思うのですけど、若い時の欲(それが少なからず研究へのモチベーションに繋がっていたと思うのですけど)、大発見して認められたいとか、よいポジションにつきたいとか、発見をもとにビジネスに進出したいとか、そんなことに対する興味がほぼないことに気がつきました。「坂道を降り始めた」というのは、そうした研究者なら思い描くような物質的目的に興味が無くなったということなのだと思いました。大発見したらうれしいには違いないでしょうけど、若い時のようにそこから将来につながる可能性というものが限られている今、私の研究のモチベーションはもっと個人的な内向的なものになっています。となると、私の心の喜びを満たすものは研究でなくてもいいかも知れないという気持ちも芽生え始めました。

客観的に見れば、私はとっくの昔に若手ではなくなり、あと数年したら老後を心配し出す年に差し掛かっています。事実、昨年、大学院時代にお世話になった先生方が定年前後で急逝されたことを思うと、私も残された時間はそう長くないかも知れないと考えざるを得ません。

残された時間でやることの優先順位を考えて積極的に残りの人生の計画を練るべきか、それとも成り行きと直感にまかせてプッツリと突然に命の糸が切れるまで、日々の充実だけを考えて生きるべきか、などと悩みながら時間を無駄にしております。とりあえず、子供が一人前になり、私の親の世代の問題が落ち着くという優先項目があるので、それからの話ではあるのですけど。
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