先日の「内田樹の研究室」でユニクロ、日産、楽天が社内の公用語を英語にしているという話を知りました。 社内の公用語ということは、日常口語言語にも当てはまるのでしょうか?もしそうなら、日本人社員同士の日本国内の社内でも、「ハワユー」「ファイン、サンキュー、アンド ユー?」とかやっているのでしょうか?社員食堂とかで、お昼を注文するとき、食堂のおばちゃんに、「ヤキニク テーショク プリーズ」とか言うのでしょうか? ちょっとワイルドな想像をかき立てられます。発音悪いよ、とか食堂のおばちゃんに直されたりして。
多分、公用語は直接業務に関連しない口語言語は関係なくて、主に文書を英語にするということなのではないかと思うのですけど、興味があるので事情を知っておられる方がおられましたら教えてください。確かに、社内の文書を英語にするというのなら、わからないでもないな、と思います。海外との取引でピジン英語のメールを書くわけにはいきませんし。海外と取引するのに、英語の文章力が必須だ、と思うのは当然と思います。また、英語で文書を書くようにすれば、海外の日本語ができない人々とも共通の文書を共有できるわけですし、もちろん社員の英語力も上がると予想されます。だからと言って、日本の国内の会社で殆どの社員が日本人なのだったら、たとえ文書だけであったとしても、英語を公用語にすることを考えると、私は気持ち悪さの方が先に立ちます。会社が利益を出すという目的のみに沿って運営されていて、社員はその道具であり、その会社利益の最大化のために言語を英語にすることが有効なのでそうする、という理屈なら分かります。これは昔、WindowsとNECのOSが日本のパソコンに搭載されていた時代、結局、マイクロソフトのソフトを動かすのに不便だからということでNECが独自のOSから撤退した時のことを思い出させます。そして、NECのOSの技術は失われました。結局、グローバル市場で生き残るために自らのアイデンティティーを捨てざるを得なかったということです。私は、会社が会社利潤追求を究極の目的として、その目的に沿って、システム化されるべきだ、という考えが嫌いです。これは、会社は株主のものだ、という傲慢さと同じです。ここに欠如しているのは、会社というものは人間が作っている組織であり、他の人々にサービスや品物を提供するためにある、という意識ではないでしょうか。会社はサービスや品物を提供することによって社会に奉仕し、それに対して金を受け取るわけです。金をもうけるためにサービスや品物を売ると考えるのは、順番が逆転していると思います。だから順番として、会社は一に社会に奉仕するためにあり、二に社員のためにあり、そして三としてその出資者のためにある、そういう順番になっているのが理想だと思います。ならば、社内の公用語を英語にするという発想は、私には、一、二、を飛ばして三を優先しているように見えるのです。そして、これはグローバル市場で生き残るために自らのアイデンティティーを捨てる、健康のためなら死んでも良い、そういう考えが基本にあるのだろうと思うのです。
とここまで書いたところで、ユニクロの社内公用語英語化は、日本国内での非日本人社員の雇用増加と日本人社員雇用の減少に伴ったものであるという事情を知りました。日本国内で日本人雇用を減らして、外国人を雇う理由は海外でのビジネスに有利になるようにということらしいです。 海外のビジネスで収益を上げるために、日本企業が日本人の雇用を相対的に減少し、公用語を英語にし、自ら日本の企業でなくなろうとしている、そういうことのようです。
今はもう、日本が護送船団方式で、政府と大企業が一体となって、海外に物を売っていた時代(自民党政治がうまく働いていた時代)ではなくなりました。以前は、日本をもっと豊かにするには、外国に物を売らないといけないというのは事実でした。大正期の総合商社の鈴木商店の金子直吉は、「芸者と花札をやっている場合ではない」というのが口癖でした(お座敷を国内市場と見立てた場合の比喩です)。それは日本の企業を大きくして、日本での職を創出し、海外から富を流入させることで、一般国民にもプラスでした。現在では背景が違います。高度成長期は30年前に終わったにもかかわらず、同様の成長を演出しようとしたバブル経済がはじけて、事態は更に悪くなりました。その後の20年以上も日本は沈んだまま、右肩下がりです。大企業も苦しいのはわかりますが、それでも彼らは極端に不公平な税制優遇を受けています。大企業優遇政策は企業のオーナーを優遇する一方、その他の一般国民や社員、弱者に犠牲を強いているように思います。私は、下の「非国民通信」さんの消費税の仕組みの解説を読んで、消費税のしくみがいかに不公平なものかを知らされました。
去年、消費税は封印すると約束して政権をえた党で、しかも前内閣の副総理でありながら、タナボタで首相になるや否や速攻で消費税10%を口にした今度の首相は九月には消えてもらわないとダメだ、と確信しました。多分財務大臣のときに官僚のサボタージュで、質問の意味さえわからず、国会で立ち往生して赤っ恥をかいた時に、すっかり官僚に丸め込まれたのでしょう。この人も自分の頭で国民のために考えるということを止めてしまったようです。
私、前にも書いたのですけど、年間3万人以上が経済苦で自殺する国である日本の企業は、グローバル化ではなく、国内、地域へ目を向けて、社会に奉仕し、共存共栄することを考えて欲しいと思います。日本は縮小期に入っています。そういう時こそ友愛と思いやりを持ち、小スケールの共同体の中で小さく暮らす知恵を身につけていかねばなりません。日本の今後は大企業を優遇して、ものを外国に売って食料や原料を買うというスタイルから、外国とのビジネスに頼らずとも自給自足でやっていける自立性を獲得することに力を注ぐべきであろうと思うのです。
消費税を含む税制の不公平な大企業優遇処置については、「非国民通信」の解説を是非、読んでいただきたいと思います。
非国民通信:
しわ寄せはいつも末端に:
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/6fc42010b507fb53887f5cb036d36c97
ニラ茶でわかる消費税のからくり: http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/b1262d6748d72903da7ef6e356318f24
追記。
これをアップした直後、池田香代子ブログで、非国民通信さんの解釈に誤りがあるというという記事とそれに対するコメントが紹介されておりましたので追加します。
池田香代子ブログ:
【訂正】消費税のカラクリ、私にはお手上げです:http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51431784.html
多分、公用語は直接業務に関連しない口語言語は関係なくて、主に文書を英語にするということなのではないかと思うのですけど、興味があるので事情を知っておられる方がおられましたら教えてください。確かに、社内の文書を英語にするというのなら、わからないでもないな、と思います。海外との取引でピジン英語のメールを書くわけにはいきませんし。海外と取引するのに、英語の文章力が必須だ、と思うのは当然と思います。また、英語で文書を書くようにすれば、海外の日本語ができない人々とも共通の文書を共有できるわけですし、もちろん社員の英語力も上がると予想されます。だからと言って、日本の国内の会社で殆どの社員が日本人なのだったら、たとえ文書だけであったとしても、英語を公用語にすることを考えると、私は気持ち悪さの方が先に立ちます。会社が利益を出すという目的のみに沿って運営されていて、社員はその道具であり、その会社利益の最大化のために言語を英語にすることが有効なのでそうする、という理屈なら分かります。これは昔、WindowsとNECのOSが日本のパソコンに搭載されていた時代、結局、マイクロソフトのソフトを動かすのに不便だからということでNECが独自のOSから撤退した時のことを思い出させます。そして、NECのOSの技術は失われました。結局、グローバル市場で生き残るために自らのアイデンティティーを捨てざるを得なかったということです。私は、会社が会社利潤追求を究極の目的として、その目的に沿って、システム化されるべきだ、という考えが嫌いです。これは、会社は株主のものだ、という傲慢さと同じです。ここに欠如しているのは、会社というものは人間が作っている組織であり、他の人々にサービスや品物を提供するためにある、という意識ではないでしょうか。会社はサービスや品物を提供することによって社会に奉仕し、それに対して金を受け取るわけです。金をもうけるためにサービスや品物を売ると考えるのは、順番が逆転していると思います。だから順番として、会社は一に社会に奉仕するためにあり、二に社員のためにあり、そして三としてその出資者のためにある、そういう順番になっているのが理想だと思います。ならば、社内の公用語を英語にするという発想は、私には、一、二、を飛ばして三を優先しているように見えるのです。そして、これはグローバル市場で生き残るために自らのアイデンティティーを捨てる、健康のためなら死んでも良い、そういう考えが基本にあるのだろうと思うのです。
とここまで書いたところで、ユニクロの社内公用語英語化は、日本国内での非日本人社員の雇用増加と日本人社員雇用の減少に伴ったものであるという事情を知りました。日本国内で日本人雇用を減らして、外国人を雇う理由は海外でのビジネスに有利になるようにということらしいです。 海外のビジネスで収益を上げるために、日本企業が日本人の雇用を相対的に減少し、公用語を英語にし、自ら日本の企業でなくなろうとしている、そういうことのようです。
今はもう、日本が護送船団方式で、政府と大企業が一体となって、海外に物を売っていた時代(自民党政治がうまく働いていた時代)ではなくなりました。以前は、日本をもっと豊かにするには、外国に物を売らないといけないというのは事実でした。大正期の総合商社の鈴木商店の金子直吉は、「芸者と花札をやっている場合ではない」というのが口癖でした(お座敷を国内市場と見立てた場合の比喩です)。それは日本の企業を大きくして、日本での職を創出し、海外から富を流入させることで、一般国民にもプラスでした。現在では背景が違います。高度成長期は30年前に終わったにもかかわらず、同様の成長を演出しようとしたバブル経済がはじけて、事態は更に悪くなりました。その後の20年以上も日本は沈んだまま、右肩下がりです。大企業も苦しいのはわかりますが、それでも彼らは極端に不公平な税制優遇を受けています。大企業優遇政策は企業のオーナーを優遇する一方、その他の一般国民や社員、弱者に犠牲を強いているように思います。私は、下の「非国民通信」さんの消費税の仕組みの解説を読んで、消費税のしくみがいかに不公平なものかを知らされました。
去年、消費税は封印すると約束して政権をえた党で、しかも前内閣の副総理でありながら、タナボタで首相になるや否や速攻で消費税10%を口にした今度の首相は九月には消えてもらわないとダメだ、と確信しました。多分財務大臣のときに官僚のサボタージュで、質問の意味さえわからず、国会で立ち往生して赤っ恥をかいた時に、すっかり官僚に丸め込まれたのでしょう。この人も自分の頭で国民のために考えるということを止めてしまったようです。
私、前にも書いたのですけど、年間3万人以上が経済苦で自殺する国である日本の企業は、グローバル化ではなく、国内、地域へ目を向けて、社会に奉仕し、共存共栄することを考えて欲しいと思います。日本は縮小期に入っています。そういう時こそ友愛と思いやりを持ち、小スケールの共同体の中で小さく暮らす知恵を身につけていかねばなりません。日本の今後は大企業を優遇して、ものを外国に売って食料や原料を買うというスタイルから、外国とのビジネスに頼らずとも自給自足でやっていける自立性を獲得することに力を注ぐべきであろうと思うのです。
消費税を含む税制の不公平な大企業優遇処置については、「非国民通信」の解説を是非、読んでいただきたいと思います。
非国民通信:
しわ寄せはいつも末端に:
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/6fc42010b507fb53887f5cb036d36c97
ニラ茶でわかる消費税のからくり: http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/b1262d6748d72903da7ef6e356318f24
追記。
これをアップした直後、池田香代子ブログで、非国民通信さんの解釈に誤りがあるというという記事とそれに対するコメントが紹介されておりましたので追加します。
池田香代子ブログ:
【訂正】消費税のカラクリ、私にはお手上げです:http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51431784.html