百醜千拙草

何とかやっています

Music in Me

2017-06-30 | Weblog
血管の健康のために、ジムで週に二回、走っています。正直こういうゲーム性のない運動は好きではないです。風呂に入るついでと思ってやってます。最近は、トレッドミルについているインターネットで二年前に亡くなったWayne Dyerの話を聞きながら30分あまりこなしています。ニュースを見ているよりは、気分が良くなります。

これまで、好きなことを研究してメシを食ってきました。社会に自由な研究を許すような余裕がなくなってきたこと、自分の興味が移ってきたこと、実際に研究をする上でのインフラやリソースの制限、いろいろな因子が積み重なった結果、ちょっと行き詰まってきたという感覚があります。新しいことを始めないといけないのは、はっきりしていますが、そこに自分の気持ちが高揚するようなものがなければ、失敗することは見えています。

自分は本当は何をしたいのか、研究という活動に対する愛着感以上の情熱を本当に持っているのか、そんなことを今になって考えないといけないというのは、正直情けないことです。情熱は大切です。それがなければ成功はありえない。

しかし、情熱は持てといて持てるものではなく、心の奥底からの何かに対する欲求と、それを実現しようとする日々の努力、そしてその努力が何らかの形で報われるという経験の相乗作用がなければ、その火は消えてしまうでしょう。

Dyerは比喩や言葉遣いが上手いなと思います。先日、新たな研究について悩みながら、ジムで走っていた時、「Don't die with your music still inside of you」という原則 についてしゃべっていました。Musicが何の比喩なのか私はよく知りませんが、何となく「情熱が残っているのならそれを諦めてはいけない」という意味なのだろうと思って聞いていました。あるいは、自分の内なる声に従え、ということでしょうか。

研究をしている時、私の音楽は鳴っているのだろうか、などと考えながら、大昔のヒット曲、「I've got the music in me」を連想しました。確か歌詞と曲はKiki Dee bandのキーボードの人が作ったのだろうと思いますが、なかなか深いです。

私の人生に困ったことは起こらない。馬鹿げた夢で泣いたりしない。私は恐れたり心配したりしない。いつもなんとかなることを知っている。
怒ったり、冷静になったり。何かが私の道をふさいだら、避けて通るだけのこと。人生に私は降参することはない。、、


本当は、人間、生きているだけで立派なものです。それを苦痛なくこなせるのは素晴らしいです。実際のところ、イヤイヤでも毎日、人生に「出席」しているうちに、何かに対する「情熱」も湧いてくるものでしょう。生きて行く目的や情熱を失った時、何もしたくないほど辛い目にあった時、それでも「毎日、とりあえず出席する」だけで大きな意義があると、自分に言い聞かせています。

KIKI DEE I've got the music in me (1974)

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Can't get started (with a new project)

2017-06-27 | Weblog
研究ネタに苦しんでいます。
かつては、自然と興味の湧く研究テーマが浮かんできて、それをやっているうちに何かが見つかり、グラントや論文につながってきたものですが、現在、研究資金獲得の激しい競争の中で、やりたいことよりも研究費が取れる可能性の強い研究を優先せざるを得ないような状況となってきました。今や、いかに、カネ(研究費)を獲得するかという問題を抜きに、研究のアイデアを純粋に考えるということが難しくなりました。かつては良い研究をやっていればカネは後からついてきたものですが。つまり、研究を楽しむという余裕がなくなってきているのですね。そうなると、判断も間違えがちになります。

カネを出す方も、メリットベースで評価すると言うよりも、どちらかと言うと減点法で評価しているような感じです。結局、分野は細分化されてきており、各分野に詳しい人は利益相反のために、もっとも専門に近いグラントを評価することはできません。となると、各グラントは、それなりの知識はあっても十分に内容を審査できるような人にはレビューされないということになります。そうすると真にその研究の価値や実現性を評価する代わりに、むしろ、欠点に注目して欠点の大きいものから落としていくというような評価法をとるのではないでしょうか。大多数のグラントを切り捨てないといけない現状では、効率的にグラントレビューを捌くのに減点法は都合が良いでしょう。

論文をリジェクトする時に、よく使う決まり文句に、(メカニズムが弱く)「記述的」であるという表現があります。最近は、グラントのリジェクションによく使われるのが、「漸進的 (incremental)」で「イノベーティブでない」というような表現です。科学研究というものは、そもそも漸進的なものす。過去の知識を元に仮説を立てて実験をし、一つ一つ積み重ねていく間に、なんらかのブレークスルーが生まれるワケで、最初からそのブレークスルーを狙って研究計画を組んで、それが実現できるような簡単なものなら、誰も苦労はしないです。しかるに、やはり研究資金の相対的な欠乏のために、こうした科学の王道である「下から地道に一歩一歩と積み上げる」ような研究はグラントにおいてはそれだけでマイナス評価を受けるということになっているようです。この傾向は、何十年と同じデーマを深く掘り下げているような専門家にマイナス評価を与え、流行を追った浮き足立ったような研究を奨励することにつながると思います。

とは言っても、われわれも現実を無視して理想を追いかけるわけにはいきません。お客様の要望を満たさないような製品は、いくら品質がよくても買ってもらえません。そんなこんなで、自分の研究上の興味と、何が売れるのか(それがわかれば苦労しないのですが)というマーケットの動向をいかにすり合わせていくか、ということで毎日ストレスを感じています。一つはっきりしているのは、私が従来やってきたようなタイプの仕事は、お客様には飽きられてきているという事実です。それは私の分野の専門雑誌のインパクトファクターの低下傾向を見ていればわかります。新しい商品を開発する必要があり、そのために許される時間は二年です。
焦っても良いアイデアが生まれるワケではないし、過去の経験から必ず何かを思いつくことには自信はあるのですが、こなさないといけない日々の仕事の中で、五里霧中で灯台の光も見えない中で、どちらに足を踏み出せば良いのか決めかねて、モヤモヤとしているというのは、精神にきますね。

若い時は、恐れも知らずに挑戦して、ダメだったらすぐに次に行けたものです。下手に長い間、それなりにやってきたので、失敗が怖くなっているのでしょうか、一歩を踏み出すことに多少の恐怖を感じます。

関係ないですが、好きな娘に告白する一歩をためらう男の歌。Can't get started with you (Frank Sinatra)
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ダビデの石

2017-06-23 | Weblog
朝日新聞の記事。

学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題で、学園の籠池泰典前理事長(64)が21日夜、安倍晋三首相の妻昭恵氏が開いた東京都千代田区の飲食店を訪れた。訪問後、記者団に対し「昭恵氏から寄付を受けた100万円を返却しに来たが、受け取ってもらえなかった」と話した。
学園は3月、国有地で予定していた小学校の開設を断念している。籠池氏は店を出た後に記者団の取材に応じ、店内に昭恵氏はおらず、従業員に取り次ぎも断られたと明かした。100万円が入ったとする封筒を示しながら、「小学校の建設ができなくなり、国策捜査を受けたので、頂いた寄付を返そうと思った。返しに来ることは5日ほど前、昭恵氏にメールで伝えたが、返事はない」と話した。


そして、籠池氏は、「寄付を受けた100万円を返す」として、東京都内の安倍首相の私邸を訪れた。安倍首相や夫人の昭恵さんには会えず、100万円あるという現金の束を、警備の警察官に手渡そうとしたところ、受け取りを拒まれた。森友学園の籠池前理事長は「(寄付金100万円を)じかにいただいたんだから、じかにお返しするのが筋でしょ」と話した。とのこと。

痛烈な皮肉ですな。

加えて、「国策捜査」と受けたとの発言。アベ側は、悪いのは小学校の認可をした大阪府でも不当に低い価格で土地を払い下げようとした財務省でもなく、「詐欺」を働いた籠池側だとの「印象操作」をしようとしているようです。嘘つき、ごまかし、国策捜査、どう見ても、巨悪はアベでしょうに。

アベに札束で立ち向かう籠池氏、ゴライアスに石つぶてで挑むダビデを思い起こさせますな。私も判官贔屓の日本人、このニュースに思わず、喝采してしまいました。

昭恵氏は、やっぱり祈っているのでしょうかね。

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祈ります

2017-06-20 | Weblog
ちょっと何かと色々とあって、心に余裕がありません。
一年ぐらい前から、何かとストレスフルなことが重なり現在まで続いています。
人間、同時に二カ所を攻撃されると動けなくなると言いますが、その通りですね。ダメージが二倍ではすみません。一つ一つ片付けていくしかありません。しかし、それに感情が絡むので本当に厄介です。
ホ オポノポノとかやってます。それで、しばらく、世間のことに注意を向けている余裕がありません。すみません。許してください。ありがとう。、、、

運気が転換するときは、こういうようなことが起こるのだそうです。人間関係が一新されたりどん底の経験をしたり、そしてなぜか眠くなるらしいです。確かに眠いですがそれは夜中に目が覚めるせいのような気がします。

それにしても、ここ数ヶ月の研究展開上の行き詰まり感はかなり強く、何の打開策も見当たらない一方、やりかけている実験や論文はフォローする必要がある一方、資金は苦しく、新しい人もまだまだ一人では何もできず、という八方塞がりに近い状態ですが、なかなか、開き直れませんな。とりあえず「祈ります」(今年の流行語?)。
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生物学の行方 (2)

2017-06-16 | Weblog
前回の続きを書く前に、
共謀罪の強行採決、与党の傲慢さには呆れかえりますな。牛歩の果てに、山本太郎氏壇上で、「恥を知れ!」と叫んだそうですが、気持ちはよくわかります。与党のやり方は「卑劣」の一言です。国民ではなく、自分の短期的利益にしか興味がないようです。真摯に国のことを考えて議論するというつもりが全く最初からなく、数にものを言わせて、自分の利益になるような法案を強行採決するするのですから、国会は連中のアリバイ作りみたいなものです。

ま、できれば、しばらく政治の話はしないようにしたいと思っています。こんなデタラメをやっていれば、アベもトランプも遠からず、自滅するでしょう。国民も一方的にバカにされてばかりではいません。上がれば下がり、下がれば上がる。戦後の政治において、現在はまちがいなくドン底です。あとは上がるはずです。残された短い人生、アベ政権のような嫌悪感と怒りしか湧いてこないような汚いものよりも、もっと注意を向けるべきものがあるのではないのかと思うようになりました。汚いものは世の中にはあって、それがどれぐらい汚いかを知っておくことは身を守る上で大事でしょうが、必要以上にそういうものに注意を向けて、怒りを募らせるのは、時間と健康のムダというものではないだろうか、そんな風にも思うようになりました。

さて、前回の話の続きですが、生物学研究は基本的に博物学的な活動であったと私は思っているのですが、それが十年ほど前から急に変わってきたように思います。特に税金を分配する側において、「知識の集積」だけを目的とする研究はほどほどにしておいて、今は、その集積された知識を応用する時期だという意見が増えてきました。

一つの大きな理由は、数年前にアメリカNIHのディレクターとなったフランシス コリンズのTranslational researchへのこだわりだと思います。コリンズはMDであり、早老症の研究者でもあり、ヒト ゲノムプロジェクトを主導したアカデミアセクターのトップです。患者さんに役に立つ研究をしたいというのは、多くの医師/医学研究者にとってのモチベーションであり、その基礎研究を臨床へと結びつけたいという熱意が、かつてあったNIHの機関を閉鎖して資金を回して作った、新しいNIHセンター、National Center for Advancing Translational Sciences (NCATS) の設立に繋がっています。(もう何年も前の話ですが)そのNIH ディレクターの意図をソンタクしたのか、NIHの最高レベルが言っているという文書がNIH各insitutionに回ったのか知りませんが(冗談です)、この「知識の集積の時代は終わった、これからは応用だ」という雰囲気は、各NIH機関ののリーダーシップに共有され、そしてグラント レビューセクションの研究者メンバーにも徐々にその意識が広まり、加えて、これまでの生物学研究の技術的な行き詰まりも加わって、研究の「博物学」しての生物学を支えるために生物工学を利用というスタンス(発見)から、逆に、応用のために生物学知識を利用して、自然界にないものを生物工学技術を使って作り出す(発明)を行うという研究が広がってきた、そのように思います。

それで、この一年の間にサポートが始まった研究がどういうものか、その傾向を見てみました。やはりというか恐るべしというか、純粋な基礎研究のプロジェクトの割合は激減しており、過半数がバイオエンジニアリングやtranslational研究で、生命現象を理解するという目的のものではなく、応用研究です。そのうちいくつかの抄録を読んでみましたが、悲しくなりました。いくつか読んでみたもののうちほとんどは、臨床応用など及びもつかないだろうと思わせるようなものです。良い例えが浮かびませんが、プロペラ飛行機を改良して宇宙船を作ろうとするようなプロジェクトばかりです。どちらも飛ぶものには変わりませんけど、プロペラ飛行機をいくら改良しても月に到達することはできないでしょう。宇宙船の開発には宇宙空間を飛ぶことがどういうことかという根本的理解が必要なのは論を待ちません。しかるに多くのプロジェクトで応用ばかりに注意が向けられるために、それに不可欠な基礎知識を緻密に積み上げるという部分がおろそかにされているような感じがします。もちろん、プロペラ飛行機をちょっといじって宇宙船ができるのなら凄いことですが、たいていの人は荒唐無稽な計画と一笑に付すでしょう。ところが科学研究に関しては、荒唐無稽な計画とイノベーティブで実現可能なアイデアとの違いは必ずしも明確ではないわけで、予備データでちょっとそれらしいデータをつけると、信じてしまうレビューアもいるのだろうと思います。(何せ、数年前には、ほんの数週間でウソがバレるようなSTAP細胞やヒ素細菌みたいなものが一流紙に出たぐらいですからね)皮肉が過ぎますね。

この傾向は焼畑農業を思いおこさせます。そして多分、人々が思っていることは、もはや焼きつくしたので新しく畑を作る場所はもうないのだから違うことをやるしかないということではないでしょうか。一方で焼く尽くして捨てられた畑から、さらに何かを得ようとする努力する人々もおります。何れにしても、従来の知的好奇心に導かれた知識集積のための研究は当面、苦しい目にあうのは間違いなさそうです。



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生物学の行方 (1)

2017-06-13 | Weblog
最近いろいろな事情から、研究活動の目的や意義について考えることが増えました。

自分がやってきたようなスタイルの研究は急激に飽きられて、評価を得ることが難しくなってきました。評価する方はしばしばサイエンスの中身ではなく、そのスタイルやメソッドの斬新さにより注目するものです。そうしたものの方が簡単に評価できるからでしょう。

そんな事情もあって、自分の興味と人々の興味がシンクロしていないと感じることが増え、しても意味のない心配に時間を無駄にするような日々です。新しい分野やシステムにとび込むとしても、私のような微小ラボでは、しくじった時には夜逃げしないといけなくなるようなリスクを負うことになりかねず、、、、。

かつては前世紀の終わりぐらいまでは、生物学はいわば博物学の時代でした。知られていない「モノ」が分子のレベルでは数多くあり、それを記述していくという作業はそれだけで意義がありました。ボトムアップで主に行われていたそうした活動に、コンピューター技術などの進歩も相まって、トップダウン式のプロジェクト(例えば、ゲノムプロジェクトやENCODEなど)が加わり、モノとしての生物(細胞)の記述はかなり詳細になりました。その分子博物学は、生物のゲノム操作技術の発達により、過去20年ばかりは、いわば分子遺伝博物学となり、数多くの遺伝子改変生物が作られてその形質が記述されました。

生物学の根本は「博物学」であり、その部分は、記述のレベルは違えども、今も昔とあまり変わっていないと私は思います。そんな感じでつい最近まできたと私は感じます。そういう性質上、生物学研究というものは、新しいモノや現象を「発見」して記述していくことが主目的であったと言えるのではないかと思います。従って、アカデミアでの研究は、「まだ、知られていないものを知りたい」という欲求に沿って行われてきました。そして、この知識の集積はいずれは応用に繋がって国民に還元されるだろうという前提が、研究費を税金で賄うことの根拠となっていると思います。少なくとも私の現在いる場所ではいまでもほとんどの研究者がこういうスタンスで研究しています。

ところが、ゲノムプロジェクトが一段落し、ほとんどの主要な遺伝子についてノックアウトが作られて、博物学としては現行の技術でできることはとりあえず終わったという感覚が少なからぬ人々に共有され始めました。(次回に続く)
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東京新聞の社説

2017-06-09 | Weblog
東京新聞が、加計学園問題で、かなり強い調子で政府を批判しています。一般国民の怒りの程度を反映していると思います。これでもまだアベは粘るのか。

7日社説、加計学園問題 再調査を拒む不誠実 から。

 獣医学部新設をめぐり、安倍晋三首相の意向が働いていたのか否か。国会が真相解明に努めるのは当然にもかかわらず、政府は理由にもならない理由を付けて再調査を拒んでいる。不誠実に過ぎる。
 、、、
 文部科学省が作成したとされる文書には「官邸の最高レベルが言っていること」「総理の意向だと聞いている」などと、内閣府が早期の学部新設を働き掛けたと、うかがえる記述があった。
 政府側は文書について内部調査を行ったものの「確認できなかった」と早々に結論づけ、内容を全面的に否定。野党側が同省内で共有したとみられる電子メールの写しが見つかったとして再調査を要求しても拒否し続けている
 五日の衆院決算行政監視委員会では、民進党委員がメールの送受信者十人の名前を読み上げた。同省高等教育局長は「同姓同名の職員は実際いる」と答えながらも、出所や入手経路が明かされていないとして、確認は拒んだ
 あきれるばかりの答弁である。行政府が全国民の代表である国会を愚弄(ぐろう)しているとしか思えない。国民の疑問に真摯(しんし)に答えようという公務員として当然の姿勢すら感じられない。このような人たちに私たちの子孫の未来や国の行く末を大きく左右する教育行政を任せ続けていいのだろうか。
 こうした姿勢は、安倍首相自身が真相解明に消極的であることの反映でもあろう。
 首相は学部新設計画への関与を尋ねられると「私の意向は入りようがない」と重ねて否定し、野党側の指摘には「印象操作」だと反論する。このまま追及をかわし続け、時間切れを狙うのなら、国民の知る権利の蹂躙(じゅうりん)にも等しい。
 首相は、かつて学園の監事を務め、報酬を受け取っていたことを認めている。首相のミャンマー訪問に学園の理事長が同行して、政府専用機に同乗していたことも明らかになった。
 首相と学園との親密な関係が学部新設に影響しなかったのか、国会が追及するのは当然だ。野党側は首相に「印象操作」などと言われてもひるむことなく、国政の調査という国会の責務を国民の代表として誠実に果たしてほしい。


と、ほとんど全文を載せてしまいましたが、国民を愚弄する、不誠実が過ぎるあきれるばかりの答弁で、真相解明を頑なに拒む。これだけ証拠を積み上げられてもシラを切り通す厚顔ぶり、キチガイ沙汰としか言いようがないですな。
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黒すぎる

2017-06-06 | Weblog
東京新聞の記事から。

「共謀罪」崩れる政府根拠 「条約はテロ防止目的でない」 

国際組織犯罪防止条約(TOC条約)締結のため、政府が必要であるとしている「共謀罪」法案をめぐり、各国が立法作業をする際の指針とする国連の「立法ガイド」を執筆した刑事司法学者のニコス・パッサス氏(58)が本紙の取材に、「条約はテロ防止を目的としたものではない」と明言した。、、、さらに「新たな法案などの導入を正当化するために条約を利用してはならない」と警鐘を鳴らした。


TOC条約に必要であることを根拠に、野党と多数の国民の反対を押し切って、衆院で「共謀罪」を強行採決したアベ政権、当の立法ガイドの著者から、その「根拠」そのものがそもそも誤りであると指摘されたわけです。しかし、このデタラメ政権は、専門家が何を言おうと文部省のトップが証言しようと、反省せずにゴマカすことばかり。こういう言葉も論理も通じない連中が、国会で議論するフリをして意味不明の答弁で時間をつぶした上で、独裁政権に都合の良い法案を強行採決するのだから、これは国会の機能を喪失させるために、政権与党が、悪意を持って集団で打ち合わせて行ったテロ行為とっても良いでしょう。

加計学園事件も、前川前文科省事務次官の官邸の圧力を示す文書の証言に、アベの広報誌、読売新聞が週刊誌顔負けの下半身ネタを使って前川氏人格破壊攻撃をし、官房長官がそれを煽るというヘドが出るような汚らしい行動に出ましたが、官邸も必死なのでしょうな。

郷原弁護士の記事、読売新聞は死んだに等しいから

その読売新聞が、5月22日に、「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題し、前川喜平前文部科学省事務次官(以下、「前川氏」)が、新宿の「出会い系バー」に頻繁に出入りし、代金交渉までして売春の客となっていたかのように報じる記事を大々的に報じた(以下、「読売記事」)ことに対して、各方面から激しい批判が行われている。、、、読売記事の掲載は、動機・目的が、時の政権を擁護する政治的目的としか考えられないこと、記事の内容が客観的事実に反していること、そのような不当な内容の記事の掲載が組織的に決定されたと考えられること、という3点から、過去に例のない「新聞史上最悪の不祥事」と言わざるを得ない。


以前から、「ゴミ売り」と揶揄されてはいましたが、今やタダのゴミではなく社会の有害物質を偽って売る、悪質な詐欺新聞社と成り果てました。

「前川潰し第2弾」の醜聞スキャンダルを安倍政権が極秘準備か!? というTocanaの記事によると、週刊文春とFlashに、前川氏の出会い系バー通いが貧困調査であったことを裏付ける記事を書いた記者、曰く、「現在、官邸が前川潰しの第2弾で準備しているのが、くだんの出会い系バーの摘発。売春斡旋を助長したということらしいです。摘発されれば、常連の前川氏のイメージダウンに繋がりますからね。もう1つは、前川氏と“関係”を持った女性のデッチ上げ。その告白記事をどこかに出させるつもりのようです」 読売の記者の中にも「官邸からの圧力があってマスコミが歪められた」と告発する勇気にある人は出てこないでしょうかね。

菅野完さんのツイート:諸君ら、この二十年ほど、「都合の悪い官僚グループ」を消す手段は全部、下ネタだってことを忘れてる。ノーパンしゃぶしゃぶ、接待タクシー、愛人バンクetc。

日本人の精神年齢は12歳、今のアベ政権を見ていたら、そう言われても仕方がないような気もしますな。ま、この件、そういう醜聞が出れば出るほど、官邸のド汚さが露呈する機会が増えるというもので、もう普通なら火消しにはアベ退陣しかないという局面なのですけどね。

また、知らなかったのですが、加計学園、理事長の息子が鹿児島大学出の獣医師なのだそうで、なるほど、あまりに露骨な話。アベが友人の息子のために、自らが議長を務める特区を使って便宜を計り、加計理事長の同級生の愛媛県知事に今治の土地と多額の建設費も出させて、獣医学部をつくらせてやろうとした、ったちゅー、まさに越後屋と悪代官の構図。

アベ政権、黒すぎます。野党は、これらのアベの腐敗の解明、共謀罪の国連関係者による批判を根拠に、審議拒否で国会を止めるつもりで腐敗した政権を追い込まないといけません。
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立ち上がる人々

2017-06-02 | Weblog
ニュースを見ると、アベ政権がらみの汚い話が多すぎて嫌になりますな。
次から次へと繰り出されるアベ一味と加計学園のズブズブの関係を示すニュース、副官房長官は浪人時代に加計学園系列大学で教員をして報酬を受け取っており、元内閣官房参与が学園の理事。野党はこの理事と前川氏の国会での証人喚問を要求。以前、アベは「ズブズブ」という言葉遣いが悪いと野党の追及に逆ギレしましたが、これがズブズブでなければ何なのか。

加えて、先のアベの太鼓持ち記者のレイプ揉み消し事件、ヘドが出ます。被害者の方がどういう思いで事件後を過ごし、そして逮捕当日に警視庁が逮捕を中止させ事件を揉みしたのを見せつけられてどんな気持ちになったのか、察するに余りあります。経緯が被害者の人の言う通りなら、人権と人間の尊厳を蹂躙する事件であり、私はこういう卑劣な行為を許せません。それに対して、この容疑者の男、反論はフェイスブック。なんと言ってもアベ御用ジャーナリスト、田崎史郎に次ぐ堂々の二位)のお墨付きの男です。官邸の最高レベルからのお達しが警視庁にあったのか、アベの太鼓持ちを警視庁が忖度したのかわかりませんが、逮捕を止めたのが官房長官の秘書官だった中村格刑事部長らしいという話を聞くと、誰でも明朗でない薄汚い官邸付近の力が動いたのだろうと勘ぐってしまいますわな。犯罪容疑で逮捕直前までいったのに、権力に寄り添って権力に守ってもらった上で、反論はフェイスブックですか。アベ一味は行動パターンが同じです。

この人権の軽視、人の痛みを感じることのできない想像力の乏しさ、嘘とゴマカシと強弁で己の保身しか考えない意地汚さ、政治家やジャーナリストという以前に「人間として」失格なのは、アベ一味の共通項なのですかね。

しかし、無理が通れば道理が引っ込むのは一時のこと、最後には正義が通る、そうでなければ、人類は成長しないと私は信じております。成長度の低いアベ一味が国民の前でデタラメを晒し続けるおかげで、人々はさすがに彼らの異常性に気がついてきたと思います。

そして、前川氏のように「あるものを、ないとは言えない」と身を張って立ち上がる人がおります。アベの太鼓持ちの犯罪を逮捕直前でもみ消して不起訴にしたことに抗議して、大勢の人々の前で身を張って訴えた人が出てきました。彼らは自分一人のために立ち上がったのではなく、日本の社会に住む人々みんなのために、身を賭して行動したのだと思います。

義を見てせざるは勇なきなりです。アベ一味のデタラメを見てデタラメだと判断できないのは怠慢です。
アベ一味のデタラメは、小学生でも呆れるレベルですから、この際、アベ一味は悪役として反面教師を務め、日本の民主主義の成熟を助けてくれているのだ、とでも思わねばやっておれません。ならば、アベ一味を悪役として往生させてやるのは国民の勤めです。(熱海殺人事件風に言えば)アベ政権を戦後最悪の悪政を行ったと歴史に残るような立派な悪者に仕立てあげ、そしてそれにトドメをさすこと、が国民の仕事であります。
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