百醜千拙草

何とかやっています

研究売り込み

2019-05-31 | Weblog
東東大とスタンフォードの日本人研究者のグループの「液体のりで造血幹細胞の増幅に成功」というニュースでヤマトのりとは無関係のヤマト株式会社の株取引が急激に増えたという笑い話ですが、私もこの幹細胞のex vivo expansionには多少興味を持っていたので、早速、論文を読んでみました。

正直、期待が大きかった分、がっかり感もあります。

これまで臍帯血幹細胞は臨床で使われていますが、臍帯血幹細胞は骨髄の血液幹細胞(HSC)に比べて量が取れないので、ex vivoで増殖させる研究が何年も続けられており、1- 2週間で数百倍まで増幅させる方法も報告されています。しかし、移植後の生着率は、増幅した臍帯血幹細胞ではあまりよくなかったはずです。今回は、マウスではありますが、1)血液幹細胞がex vivoでかなりの増幅ができたこと、2)移植後の生着率が非常によいこと、この二つが驚くべき成果だと思います。増幅のメカニズムについてはdiscussionがあまりありません。有効成分はKit-LとTPOで、あとはいろいろと細かい培養条件をoptimizeした結果のようです。これらの条件でどうしてsymmetric cell divisionが促進されるのか、私には理解できません。

十年ぐらい前に、Adult stem cellとembryonic stem cellの増殖の違いについてのレビューで、ほとんど増殖しないadult stem cellも休む間もなく増殖し続けるembryonic stem cellも、細胞分化を防ぐという共通の目的で細胞増殖が制御されているのだという仮説を興味深く読んだ覚えがあります。stem cellは普段は分化しない状態を保つ必要があり、必要に応じて分化を起こすと考えられています。細胞の分化は細胞周期の早期G1期におこります。S期に入って細胞周期を回すためにはサイクリンEの発現増強が後期G1期に起こる必要があり、それは通常サイクリンD依存的キナーゼによって引き起こされるとされています。サイクリンDの発現はG1期に主にMAPKを通じた増殖刺激シグナルによって引き起こされるのですが、MAPKは通常細胞分化を促進することになります。ですので、普通の細胞であれば、増殖刺激は同時に分化も促進することになります。Adult stem cellではそれを防ぐために、G1期の進行が阻害されているという仮説です。一方、embryonic stem cellでは、そもそもサイクリンEの発現が高いのでMAPK/サイクリンDのシグナルを必要とせず、G1期は極端に短縮されており、それによって分化を起こす機会を最小化しているという理屈です。従来、embryonic stem cellの培養にMAPK阻害剤とGSK3阻害剤を使いますが、GSK3阻害剤はMAPK非依存的にG1期を短縮させて、MAPKによる分化を防ぐので、この理屈にあっています。

これらのことを考えると、adult stem cellであるHSCをこの論文の条件で培養した場合に、細胞分化を防ぎつつ、しかも細胞周期を回すメカニズムは、いったい何なのか、私はちょっと理解できません。「のり成分」がその秘密であるとはとても思えません。論文でものりの成分はアルブミンの代用として使っただけのようで、リコンビナント アルブミンに混在する不純物を培養から除外するのが目的のようですし。HSCのex vivo expansion過去に多くの人々が挑戦してきたはずですし。そもそも生着が高いHSCはG0にある増殖しない細胞といわれています。これらの従来の知見や理論に反するような結果に関する考察がありません。
がっかりしたのはこれらの点です。この論文には驚くべき結果が報告はされていますが、メカニズムについては不明であること、それから「のり成分」はおそらく生物学的に重要な意味は乏しいこと、です。

またこの報道で感じたことですが、「液体のりで造血幹細胞の増幅に成功」というのは東大のプレスリリースのタイトルですが、アカデミアの東大がこのようなミスリーディングなタイトルで注目を集めようとするのは、いかがなものか、と正直、思いました。霞が関文学、官僚答弁を思い出しました。ただし、新聞やメディアに取り上げられると研究費獲得率が上がるそうで、東大の研究室では、そこそこの研究成果が出た場合には積極的に新聞社などにFAXなどを流して売り込むのだという話を聞きました。やっぱり金と名誉ですかね。「液体のりで幹細胞」というようなスピンをかけるのも、そういう理由のようです。

うがった見方をする自分自身にもちょっと嫌悪感を抱いてしまった今回のニュースでした。
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できない男のやってるフリ

2019-05-28 | Weblog

トランプが大統領選に勝った時、多くの良識ある人々は驚きと失望を隠しませんでした。しかしこれは、口先だけのペテンと半分わかってはいても、現状を変えてくれそうな方に投票せざるを得なかったというアメリカの一般国民の窮状、それから選挙に勝つためなら、俗物でウソつきで悪趣味の自己愛性性格異常のクソ男でも担ぐという共和党の党利優先主義を示しています。

そのアメリカのクソに媚を売りまくる売国奴の日本のクズ、全く胸糞悪くなる光景です。トランプ、何をしに来るのかと思えば、ゴルフと相撲、単なる遊びと観光旅行。なぜかというと、仕事の話はなしにしてほしいとアベがトランプに頼み込んだからでしょう。トランプの日本への要望は丸呑みして、日本の農家を潰し、日本の輸出産業を境地に追い込む、そのかわりに今回はその話はしないで欲しい、なぜなら、選挙前だから。それで、今回の来日は遊びで埋め尽くして友好ムードだけを演出することに終始しているのです。そう思っていたら、自己顕示欲のかたまりで、自己顕示と保身のために就任以来1万回のウソをついたトランプ、またペラペラと内情を話したそうです。

トランプ米大統領は26日朝、日本との貿易交渉について「参院選が終わるまで妥結を迫らずに待つ」と米メディアの記者に電話で語った。保守系FOXニュースのジョン・ロバーツ記者がツイッターで明らかにしたもので、参院選への影響を避けたい安倍晋三首相に配慮し、貿易交渉の合意を急がない意向を示した格好だ。(日経

その後の日経の記事では、アベへの配慮もなんのその、8月にはアメリカに都合の良い貿易条件が決定すると述べたとの由。今回も選挙後まで待ってやったのだから飼い犬のアベにノーという権利はないとでも言わぬがばかりの傲慢さ。いつものクソっぷりですが、世界が軽蔑するこの男に、これだけ踏みつけられてばかにされても卑屈にヘラヘラするしか能がないアベ。恥ずかしくないのですかね。

その裏で、

日米両政府は二十五日夜、閣僚級の貿易交渉を東京都内で開いた。来日したトランプ米大統領が日本との貿易協定の早期合意に強い意欲を示す中、双方の主張が食い違う日本の農産品や米国の自動車に課された関税の扱いについて意見調整を図ったが、隔たりは埋まらなかった。、、、米国は日本などから輸出される自動車を「安全保障上の脅威」と認定し、圧力を強めている。、、、(東京新聞

参院選が終わって、アベが居座ることになれば、またアベはトランプの要求を丸呑みして、日本の破壊をますます進めることになるでしょう。この人間のクズは自分のことしか考えていない。かつての自民党には、リーマンショック時、自分の首をかけて、アメリカの100兆円の要求を跳ね除けたとされる福田康夫みたいな人もいたのですがね。

外国の雑誌は、このアベの卑屈なケツ舐め外交の異常さを指摘しています。アベの異常さは外から見るよよくわかる。日本以外の国の首脳はちゃんと外交しています。自国民の利益を守り増大するために、外国と友好的に交渉するというのが外交です。アベはなんでもトランプの要求を丸呑みするだけ、自国民の利益は無視、トランプだけではありません。強い国には卑屈にゴマをすって媚びるだけ、本来、もっと連帯を強めなければならないアジア諸国に対しては偉そうに敵対的に振るまうくせに、そこにある問題は何一つ解決できない。あれだけ拉致被害者の問題を解決する、と言っていたくせに、6年やって成果はゼロ。被害者の会を自分の売名行為に利用しただけ。アベのクズさ加減を上げるとキリがないですが、トランプやプーチンに卑屈にヘコヘコするのは、彼らの機嫌を損ねずに「友達のフリ」をしてもらい、「外交をやってるフリ」を国民に見せたいたいからでしょう。単なるアベの利己的なポーズにすぎないわけで、事実は、アベは外交が得意どころか全くの無能。「できない」癖に、できるフリはしたい困った奴です。その「やっているフリ」をしたいのを見透かされ、プーチンにはおちょくられ、トランプには傲岸不遜に要求を突きつけられ、結局、国民にツケを回す恥知らず。

ところで、今回、前回のトランプの来日時と一つ、違ったことがあります。事情は色々、勘ぐることができますが、おそらく、外務省が頼み込んだのでしょう。あるいは数少ない良識あるトランプの側近がアドバイスしたのかも知れません。

つまり、今回、トランプは羽田空港に着いたということです。ということは、トランプは日本に正式に入国したことになります。前回は、横田基地に乗りつけました。横田は日本にありながら日本ではないアメリカ軍事基地です。アメリカ大統領はアメリカ軍の最高司令官でもありますから、前回の行動は、アメリカ軍が占領する植民地、日本へアメリカ軍の最高司令官としてやってきて、植民地の番頭のアベにあってやった、という立場を露骨に示したということです。

今回は、さすがに、これはまずいと思ったのでしょうな(トランプ本人は理解していないかもしれませんが)。トランプのアロガンスを感じた多くの日本人はいたはずだし、アメリカ人でも良識のある人々はこのトランプの行動を恥ずべきことだと思った人はいたはずです。とりあえず、トランプは、恥を晒さずに済みました、今回、大恥を晒しているのは、トランプのケツ舐めに勤しむばかりに、天皇を政治利用し、日本の大相撲の伝統を汚すアベです。その異常な「おもてなし」が、参院選で与党が不利にならないようにという事情であることをトランプがペラペラと喋ったせいで、そのクズぶりをまた晒してしまいました。

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Giveth, and thou shalt receive

2019-05-24 | Weblog
とくに変わりのない毎日です。
最近、所属している学会や施設などからの寄付のお願いのメールが増えてきました。これまでお世話になってきているので、本当に些少ですが、できる範囲でやっています。ま、自己満足ですけど、何かを与えるということは単純に気分のよいものです。喜捨ともいいます。与えることは喜びであり、与えることができるという状況は幸せです。ときおり、数億の単位で寄付してくれる人があらわれます。そういうことができる状況にあるというのは極めて恵まれているということでもあります。もちろん、寄付をもらう立場の人間としては大変ありがたいわけで、この与えるという行動は、与える人、受け取る人の双方を幸せにします。

好きでやっている研究ではありますが、私も、自分の満足のためだけでなく、研究を通じて、分野や大げさに言えば世間に、多少なりとも貢献したいという気持ちはあります。なので頼まれた仕事は基本的に断らないようにしています。誰でもそうでしょうけど、誰かの役に立つことが人間の生きがいであろうと思います。ま、露骨に利用してやろうという態度の相手に対しては、ちょっと違う対応をしますけど。

一方、奪うという行為は逆です。欲があるということは満ち足りていない不満な状況を現し、奪うことによって、奪った方はごく一時的な欲望の満足を得るだけで、結果、全ての人を不幸にします。仏教的には「夢がある」という状態も、現状に満足していないと解釈するのだそうです。夢も欲も一続きのもののようです。人間なら、夢や欲があるのは普通ですけど、それを満たしたいがために人から奪って我が物にする、他人を不幸にするというのではよくない結果がついてまわるでしょう。

国家レベルでもそうだと言えます。領土を手に入れるのに力ずくで戦争で奪うのはどうか、という発想は貧しすぎです。世界を見回してみればいいです。イスラエルとパレスティナから学ぶことは多いでしょう。
奪うのではなく寄付してもらうのがベストですね。人間が本当に成長していけばそうなるはずです。近代の帝国主義以降の歴史を見ても、人類は成長しています。領土や国というものがない世界になれば領土問題は完全解決です。ジョンレノンも歌っていましたね、そんな未来を想像してみましょうと。

ソースは明らかではありませんが、複数のところから同じようなことを聞きました。
人生が終わった時、人は二つのことを聞かれるのだそうです。人生を楽しんだかどうか、人に優しくしたり、役に立ったりしたかどうか、です。
一方、その人生で、どのようなことを達成したかとか、出世したかとか、成功したか、というようなことは聞かれないのだそうです。この話をときどき思い出して、死んだ時に、この二つの問いに「はい」と答えられるようにしたいと思っています。

死んだ時のことを考えて、人生を設計するというのはいいアイデアです。死ぬ間際に人は走馬灯をみるように人生を振り返ると言います。人間だれでも、思い出すと布団を頭から被って叫びたくなるような恥ずかしい経験をもっているもので、そうでない人とは語るに足らぬ、とかつて狐狸庵先生も言っていました。死んだ時に振り返って、羞恥のあまり叫びたくなるようなことが少しでも少なくなるようにしたいなあ、と思っています。

そんな満足のために一番よいのは、やはり与えることだと思います。人に喜んでもらうこと、感謝されることほど人間に満足感を与えるものはありません。与えることはそうした満足感を一瞬にして受け取ることにつながります。ゆえに、与える人は豊かです。よく言われることですが、私も確信していることがあります。豊かだから与えるのではなく、与えるから豊かになる。

「魅は、与によって生じ、求によって滅する」(無能唱元) という言葉もありました。

最近、歳のせいか、懐メロシリーズが多いですが、バカラック/ワーウィックの50年前のヒット曲、Alfieを:

What's it all about Alfie Is it just for the moment we live
What's it all about When you sort it out, Alfie,
Are we meant to take more than we give, or are we meant to be kind?

希望に満ちた若いころを思い出します。もう遠い昔です。



バカラック本人の弾き語りで


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山本太郎の戦い

2019-05-21 | Weblog
山本太郎さん、自由党を離れて再び一人で政治団体を立ち上げ、次の選挙で仲間を増やすべく各地で市民との交流活動して来られました。選挙にはカネがかかり、カネなしには勝てないのは残念ながら事実です。後ろに大きなスポンサーがいれば、広告を打ち、新聞やテレビ枠を買い取って党に都合の良いニュースを流し、都合の悪いライバル政治家はお笑い芸人に貶させ、世論誘導することも簡単にできます。カネがあれば、いろんな合法的な手も(アベとヤクザと火炎瓶)のような汚い手も使えます。加えて、選挙に出るだけで数百万円の供託金が必要です。カネがなければ勝つどころか選挙にさえ出れません。おかしな話ですけど、世の中、既得権を持つものに都合よくルールが設定されていますから、テロや戦争という手を使わないのなら、まずは相手の土壌で相手のルールに従って、それでも勝つしかありません。

その山本氏、辻説法で、消費税廃止を中心に現政府のでたらめを訴え、次の選挙で現政権に対抗する勢力を作ろうと寄付を募っていますが、その寄付が1億円を超えたというニュース。支持組織を持たない山本氏を支持しているのは一般国民です。仮に一人が一万円の寄付をしたのだとしたら1万人の人が支持したということです。
各地での演説と質疑の様子はYoutubeにあげられていますが、大変、民主主義国家であれば当然の主張をストレートにしています。国の借金に関する考え方(国債は国内で消化しているから、借金を増やしてニューディール政策を取るべきだという主張)に関しては、完全に賛同できませんけど、多分、この方は、現役の政治家の中でも非常によく勉強しているし、主張は原理原則にまっすぐ沿っているし、問題点と解決法も理解していれば、政策もよく練られていると思います。その政策を実現するために真剣勝負をしようとしているように思えます。この点が与党はもとより、多くの野党議員との違いではないかと思います。

消費税廃止を主張するのは、すべての点において正しいと私も思います。過去の消費税の経済への影響や現状をよく勉強すれば、(財務相と政権与党以外の)誰でもが達する結論です。

異邦人さんのツイート。

関連して、お笑い芸人を山本氏のネガティブキャンペーンに使ったゲスさ加減いついて、




いまのところ、一人の勢力ですから、お笑い芸人にネガキャンをさせる程度ですけど、勢力がこれから大きくなるようなことがあれば、小沢一郎の陸山会事件のように、事件をでっち上げて国策捜査を加え、前川氏の時のように読売に卑劣きわまりない人格攻撃をさせ、森友の時のように法的根拠のない罪状で半年も長期勾留し、下関市長選の時のようにヤクザを使って嫌がらせをする、場合によっては石井さんの時のように暗殺、とことん邪悪な自民アベ政権は手段を選びませんから、いろいろな汚い手を使って妨害してくるでしょう。だからこそ、今、急激に支持を拡大し、複数の「山本太郎」を育てる必要があると私は思います。

自民党政治を変えようとした小沢一郎は、自民党のレベルで戦おうとして、結局、失敗しました。選挙は勝たなければ意味がない、それには数とカネがいる、だからカネを持っている国民民主と合併する、これでは本末転倒です。カネと数の力を知っているから、人を集め、金を持つところと合流しようとしますが、カネも人もしっかりとした土台があって初めて安定して集まってくるもので、単なる数集めでは、民主党が崩壊したように長くはもたないでしょう。やはり、地道に人々の信頼を得る努力をしていって上で勢力を拡大していかねば、砂上の楼閣というものです。

その点で、山本太郎氏がしていることは、その基本に忠実であると思います。よく勉強し、市井の人々と直接対話し、最もマトモなことをストレート言い、人々の信頼を築いていこうとしているようです。そして、正道を歩んで、日本の一般国民のために政治を変えようと本気で思っているようです。その情熱や使命感は素晴らしいと思います。彼のように、正直に真正面から腐敗した政治に挑む人を応援したいと思います。
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幼稚化する大人

2019-05-17 | Weblog
維新の議員が、北方領土のビザなし交流に参加して、酔っ払った挙句に穏やかでないことを口走り、除名処分になったという数日前の事件で、叩かれています。

確かに、一般の人が酒の席でこれぐらいの話をするのはあり得るでしょう。小津映画の「秋刀魚の味」で、加東大介が飲み屋で軍歌を歌いながら、「もし戦争に勝っていたら、いまごろ目玉の青いやつが丸髷を結って三味線ひいてますよ」というシーンを思い出します。


確かにこの議員は、まだ若いですけど、若いと言っても、公人ですから、物事の分別はわきまえていなければなりません。しかるに、近年、邪悪な初老の小学生アベを筆頭に、大人の幼稚化が看過できないほど著しくなっていると感じざるをえません。
ビザなし交流というイベントで、公人でありながら、酔っ払い、「戦争して島を取り戻すのはどうか」というような話をするのは最低です。戦争放棄を憲法に歌っている国の憲法を遵守する立場の議員が、戦争して島を取り戻すとかロシアが混乱している間に火事場泥棒する、などというようなことを示唆するようでは、議員失格と言われてもしかたないでしょう。

だいたい、この人は、戦争して勝てるとでも思っているのでしょうか?この貧困化が急激に進んでいる日本で若者が疲弊しきっており、身体中に原子力爆弾をまきつけたような国が、どうやって協力な軍隊と核兵器を持つロシアに勝つつもりなのですかね?仮に、ロシアの方が別の事情で極東に構っていられないような状態になって、日露戦争のときのような僥倖でマグレ勝ちしたとして、その後も取り返した島を維持できると思っているのでしょうか。ロシアはいつでも取り返した島を取り返すことができるでしょう。戦争で得たものは戦争で失われる、戦争そのもので多くのものを失う、ということを70年前に日本は骨の髄まで思い知らされました。にも関わらず、ビザなし交流という場で、議員という立場で、このようなことを口にするということから想像できることは、アベにしてもこの若者議員にしても、過去の歴史や過ちから謙虚に学ぶということをしない未熟な人間が大手を振っている国が今の日本だということです。

思うに、もっと悪いのは邪悪で無能なアベでしょう。この議員は、ある意味、アベの失敗から学んのだといえなくないかもしれません。アベが対露外交でしてきたこと、プーチンのケツ舐め外交ですが、三十回近くも足繁く、国民の税金を浪費してプーチンに媚びを売りましたが、媚びを売れば領土を返してくれるかもとでも思っているアベのバカさ加減にウンザリして、プーチンは「前提なしの平和条約はどうだ」とおちょくった上に3000億円を貢がせた挙句、3000億ポッチで領土が引き渡せなどとは厚かましい、というようなことを雑誌に言わせました。その上でラブロフ外相には「日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、領土についてはポーツマス条約の通りであり、領土問題は存在しない」とトドメをさされ、北方領土問題は前進どころか、再起不能な状態まで後退しました。アベの無能と「やっているフリ」外交が起こした災害です。結果、政府は「北方領土は日本の固有の領土である」という従来の主張をするのをコッソリとやめました。情けない。

この若者議員は国会議員ですからこのアベの無能ぶりを見てきたわけです。媚びてもカネを出してもロシアは領土問題は存在しないという立場なのだから、北方領土を日本に返す気は全くない。それを察せぬアベのバカっぶりに嫌気がさして、ロシアもはっきりとそう明言してアベにトドメをさしたのだから、国会議員であれば、北方領土を日本の領土とすることは外交では不可能だと思ったのは当然でしょう。

ロシアは、第二次大戦の戦争の後の講和で、北方領土は正式に連合戦勝国であるロシアのものとなっている、という主張をしたわけですが、これは日露不可侵条約を無視して第二次大戦末期に突如、連合軍側として戦争に参加し、火事場泥棒的に北方領土を我が物とし、戦後にそれを確定したものだという歴史を考えれば、この若者議員が、ラブロフの主張を聞いて、北方領土を取り返すには「戦争しかない」と考えたのであろうことも想像できます。北方領土を取り返すということを真剣に考えたら、それしかないのです。アベはその気もないのに、やってるフリをしていたわけですから(あるいは、アベはその小学生なみの頭で、本気でプーチンに媚びを売れば何とかなるとでも思っていたかもしれませんけど)、この議員の方がアベよりは真剣に考えているとは言えなくもありません。

しかし、大人なら、戦争の勝算、その後の影響、憲法との兼ね合い、などなどを計算できるわけですから、戦争という選択はあり得ないのは自明です。領土は戦争で勝つ以外には取り返せないのだから、戦争でとりかえそう(と思いつくのはともかく)、それを酒を飲んで、元島民の人の取材に横から乱入して口に出すというのは、国会議員としても大人の人間としても、あまりに短慮、短絡です。戦争で勝つ以外に領土を取り返すことができないという現実があり、一方で戦争放棄をしているという国の憲法を遵守しなければならない国会議員であるという立場がある場合に、いかに解決していくのかを一つ上のレベルで考えることができるのが大人というものです。本当に「取り返す」以外の解決法がないのか、取り返すことなしでも国や元島民の人々の利益になるような方法はないのか、ロシア側の譲歩を引き出す交渉の余地はないのか、様々なルートでベストを模索するのが大人でしょう。「戦争で取り返すしかない、から戦争だ」では子供です。ボコボコにされて今度は北海道ごとロシア領にされるのが関の山でしょう。かといって、アベのように何の交渉策も知恵もなく、力の強いものには媚び、弱いものには脅すだけ、というのも幼稚すぎます。

「領土を取り返す」のが解決であるという立場の上を考えられるのが真の大人です。戦争も領土も、勝ったり取ったりすればそれで終わりというわけにはいきません。そこからもっと大きな問題が始まるのですから。

そう考えると、成熟した大人であるべき政治家の幼稚な振る舞いは脅威です。彼らは国民の代表としての力を与えられているのですから。小学生のアベは論外としても、せめて社会人一年生なみの常識と判断力を備えてほしいと思うのですが。
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Commencement

2019-05-14 | Weblog
近年、ど忘れ、もの忘れが激しくなり、年々、頭が悪くなっていっているのを実感するようになりました。体力も落ち、週に二回、数キロを走ってはいますが、大して足しになっているような気がしません。頭も悪くなっていって体力も落ちていって、若い世代の人々に勝る点があるとすれば経験だけですが、それもいつまで通用するか。昔ながらの分子生物や遺伝学的研究なら、まだ数年は、若い人に負けないぐらいのスキルは保てると思うのですけど、例えば近年流行のビッグデータのマイニングというような研究となるとちょっとムリだろうと思います。

私、どうもデジタルものと相性が悪いようです。去年、一通りコースをやってみた初心者のRでしたが、学んでなんとかできるようないなった事は仕事上ではほとんど役に立たないレベルです。他のもっと簡単なソフトで代用したほうがキレイに解析、 視覚化できます。そして、苦労して覚えたことでさえどんどん忘れていくような状態ですから、仕事上で役立たせようと思ったら、毎日、Rを使って何かをするということを続けていかないとムリだろうし、あいにく今のところその手のプロジェクトに割いている時間もちょっとありません。当時は、マシンラーニングのコースもちょっとだけ始めてはみたのですけど、こちらはパイソンで、やはりできたことはアナコンダのインストールぐらいで、コーディングに入ったらすっかりボケ老人状態で全く進まず、結局、三日坊主で、投げ出してしまいました。

人間は徐々に衰えて死んでいくさだめなわけですけど、それを実感するというのはちょっと辛いものがあります。どんな一流の人間でも、いずれ、イチローやカズやマッケンローみたいに、若い世代に歯が立たなくなり、一線ではつかいものにならなくなって引退せざるを得ない日が必ずやってくるわけす。まして一流でもない私はそういう日は明日かもしれません。
もちろん若い世代が古い世代を踏み台にしてより優れたものを生み出していかないと、人類としては困るし、若い世代が優秀なのは喜ばしいことですけど、私としてはまだまだ現場でやりたいと思っているのです。しかし、使い物にならないのにダラダラいるのは迷惑だし、かといってすぐ引退して盆栽いじりするような余裕も興味もなく、その時に、どのようにしてこの世界の片隅で邪魔にならぬように生きていけばいいのか、ということを折々に考える日々です。

先日は、上の子供が半年早く大学を卒業することにしたので、繰上げ卒業式でした。実際にはまだ数ヶ月分残っているので、実際の卒業は半年ほど先ですが。多分、これ以上、大学にいても成績が上がりそうにないと思ったのでしょう。卒業式にはカノジョ連れでやってきました。カノジョも別の大学をあと半年で卒業して地元に帰って仲間と一緒にビジネスを始めるという予定のようで、どうもそのこともあって繰り上げて卒業することにしたようです。一応、教員の免許をとるために数年後に大学院にいくという計画なのだそうで、口うるさく将来の計画を真面目に考えるように言ってきた親としてはちょっと安心しています。

アメリカなどでの大学の卒業式はCommencement ceremonyが主で、有名人などを招き、訓話などをし、例の四角い帽子のタッセルを回すセレモニーをして学位の授与を象徴します。2005年のSteve JobsのStanford大でのCommencement Speechは話題になりました。テニスの松岡修造は引退発表の時に、引退ではなく「Commencement」だ、と言いました。私も使い物にならなくなったら、引退ではなく、新しい世界への始まりと捉えて、前向きに生きたいと思っています。

先のJobsのスピーチのタイトルは「How to live before you die」でした。すでにすい臓がんと診断された後です。一生、死ぬまで現役で若い世代と戦い続けるという生き方もカッコいいと思いますけど、引くべき時には引くべきであろうとも思います。そのために、これまで好き勝手させてもらって生きてきた私が、この世界で使い物にならなくなった時に、社会や人々に対してできることは何だろう、と自問自答しています。
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変わりばえのない日々

2019-05-10 | Weblog
かわりばえのしない毎日ですけど、めずらしく、昔の知り合い数人からメールが届きました。メール遠方より来る、また楽しからずや、という感じの日でした。

一人からは、5年前ぐらいのネタを出版したいというメール。昔その人の大学院生がやった仕事で、事情はちょっと忘れましたけど、私も共同研究という形で関わりました。もともと別の施設のがん研究の研究室で、新しい動物モデルを作ろうとしたら癌にならずに骨格異常が出たので、それを追求したという経緯です。論文は大学院終了時に投稿したもののリジェクトされ、本人は子供の出産、その後に医学部にいくことになったので、放置されたままになっていました。久々に原稿みましたけど、ちょっと難しいなあ、という印象。とりあえずBioRxivに載せるとのこと。また塩漬けになるかもしれません。

もう一人、10数年前に企業に行って、いまや研究所のある研究部門のディレクターとなっている昔の知り合い。数年前にその会社も別の大きな会社に買い上げられたものの、研究所のオートノミーは比較的保たれているらしく、業界ではそれなりにうまくやっている様子。セミナーの依頼でした。嬉しいのですけど、企業の人々に喋るようなネタには乏しいし、どうしたものかと思案。

とある大学で9月に学位論文の審査があって、その学外審査員をやってほしいという昔の知り合いからのメール。この施設には何人か知り合いもいるので楽しみです。飛行機代とホテル代、謝礼もでる、二、三日、観光もしていけ、とのありがたいお話。その街には行ったことはありません。そこでも少し話をしないといけないようですけど、最近、パッとしたネタがないので、ちょっとどうしたものかとこちらも思案。それまでに実験がんばろうと思う私。

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遅すぎた産経

2019-05-07 | Weblog

数日前は憲法記念日。アベのような邪悪で危険な人間を野放しにしないために存在する憲法を、その危険な人間が己に都合のいいように変えようとしているという事実に対して、多くの国民は危機感を持ち、各地で憲法集会が開かれました。民主主義国家ですから、憲法が国民の大多数にとって不都合であるなら、国民の総意のもとに変更を加えるというのは当然だと思います。しかし、それを国民の総意も何もないのに、法律も民主主義も倫理も論理も何も理解できない出来損ないの人間のクズが手前に都合の良いように変えようとしているのは、XXガイに刃物にお墨付きを与えよとそのXXガイが言っているようなものです。当然のように、改憲反対の集会は「アベ辞めろ」とセットのシュプレヒコール。

ところで、読売、産経、ついでにNHKといえば、アベ政権擁護の提灯記事ばかりを書く偏向プロパガンダ メディアですが、記者のみんながみんなカネのために魂を売ってしまったわけではないとは思います。しかし、名前を聞くたびにのび太くんを思い出す、阿比留瑠比が政治部編集委員長をつとめる産経は、その異常な政権擁護の記事がたたってか、部数を大きく減らし、経営不振となって新規採用も見送りに近いような落ち目ぶり。

どういう風の吹き回しか、その産経がアベの改憲姿勢を批判する元NHK記者の人のスピーチを載せています。政権与党にすり寄る経団連も憲法を変えられるのはまずいと思っているのでしょうか。

産経新聞、元NHK・永田浩三氏「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」から。

 憲法記念日の3日、東京都内で開かれた護憲派集会で、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三氏がマイクを握った。安倍晋三首相と同じ1954年生まれであることを明かした上で、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」などと強調した。、、、、
 「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。、、、今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません」、、、
 「私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした」、、、
 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう
 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」

、、、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」、、、
 「同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!」
 「歴史から学ぶことが嫌いで、不得意の安倍君、戦争の道を断じて進んではなりません。30年前にベルリンの壁が壊れたとき、私は東欧各地の取材をしていました。そのとき、人々が何より大事だと考えたのは、言論の自由と連帯、そして多様性です。憲法21条に明記された言論・表現の自由、一方、放送法第1条には『放送は健全な民主主義に資すること』とあります。、、、、
 「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」、、、、今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」

産経がこれを記事にしたのはガス抜きなのか、経団連の意向なのかわかりませんけど、すでに偏向政治記事を書く信用できない新聞という評判をとってしまった落ち目の今では、遅すぎました。ももっと早くに、この前代未聞の邪悪で無能の人間のクズを、公平な立場で鋭く批判しておけば、今の経営不振はなかったかもしれません。

最後にもう一つ、小ネタ。「原稿のアベ」と呼ばれるほど、原稿を読むことしかできないアベですが、その原稿もフリガナがないと漢字が読めずに、醜態を晒す。天皇陛下の前で「願って已みません」が読めず、「願っていません」と真逆のことを言ってしまい、全国に恥を晒しましたが、その映像を官邸のホームページからコッソリ削除、というのもアベらしい。今更、取り繕って何の意味があると思っているのですかね。すでに誰もが、アベがウソつきで低脳なのは知っているのだから、もう堂々とバカを晒し続けて、歴史上、最も愚かで邪悪な首相というレガシーを残してさっさと去っていって欲しいです。


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ズルズル

2019-05-03 | Weblog
人生、折り返し地点を過ぎ、そろそろ整理や大掃除をしてスッキリしたいと折々に感じるようになりました。誰でもそうでしょうけど、ある程度の歳になると、自然に囲まれた田舎で晴耕雨読のシンプルな生活に憧れるもので、どこかの温かい土地の農園の横の小さな家に一人暮らしして、ミカンとブドウと野菜を育て、時々、近所のお寺に言って説教を聞くような生活を送ってみたいと思ったりします。しかし、この年まで生きていると、仮にそういう生活を手に入れても、多分、いろいろな面で、二年ぐらいで限界になるだろうということも予測がつくわけで、そのあとの希望と計画がない状態では、踏み切るには難しく、結局、今日もズルズルの毎日です。

その過去のそのズルズルが続いた結果が、今現在なのです。二十年ズルズルです。ズルズルだけれども向上心がなくてだらけているわけではないと思っております。頑張っているつもりですけど、ちょうど滑りやすい急な斜面のようなズルズル感です。這い上がっているつもりでも同時にズルズル下がってくるのでいつまでたっても上に行き着けず、同じ場所です。

今の場所に随分、長くいますが、若い人は来てもある程度経つと、別の職場に去っていくので、いつまでたってもずっと下っ端です。これがズルズルの正体です。これから10年以内に多分講座の半数上は引退することになり、そのころにおそらく講座の再編は不可避の事態になるのではないかなと思います。ま、私はもっぱら講座外の研究者の人と共同研究することの方が多いので、あまり関係ないのですけど、その前に、私も下っ端のままズルズルと引退する可能性もあるわけですが。

私、研究そのものは好きですし、アイデアを考えるのも好きです。手を動かすのも好きです。また、何らかの形で社会や研究の分野に貢献したいと望んでおり、一応、その努力もしているつもりです。でも、自分は研究を通じて一体何をしたいのか、実はいまだによくわかっていません。この間、新しい総合分野のチーフになった人向けに5分で自分の研究を説明する会がありましたが、困ってしまいました。いろいろランダムにやってますよ、と話しました。きっと「こいつは何がしたいのだ」と思ったでしょう。いろいろなことに興味は湧くのですが、一つのことを深く掘り下げるというのが、あまり得意ではないのです。堀さげているうちに何となく先行きが見えてきたような気持ちになって興味が薄れていきます。

ずっと掘り下げていける人には、二種類あるような気がします。その分野にどっぷりはまって出られないので、仕方なしに重箱の隅的研究を続けている人と、その分野に強い興味と使命感と情熱を持ち続け、次のレベルを目指し続ける求道者の人、私、身近に両方のタイプの研究者がいるので顔が浮かびます。どちらも結構、つらいと思います。私はどちらでもないのですが、とりあえず掘ることそのものは好きなので、あちこち掘ってます。周囲には何をやっているのかわからんが、その辺で何かやっている人と認識されているようです。ま、軽いのですね。

私の身近にいる尊敬する研究者の人は、若い時に衝撃的な論文を出し(そもそも、私はその論文を大学院時代に読んだのがきっかけで研究を続けたいと思ったのですが)、その出世作以来、一貫して転写因子と細胞分化を追求されていてます。寡作な方ですが、出す論文は必ずいぶし銀の味わいを持つハイレベルの仕事です。そういう論文を読む度に、わが身と比べて(比べる方がおこがましいですが)多少、落ち込んだりします。

私にはそういう一貫したものがありません。何か特定の疑問に答えたいという強い欲求がなく、何でも面白いものは追求してみたいと思う方です。しかし、これではなかなかお金を出すほうも仕事をくれる方も納得してくれません。彼らは私が、何の疑問を解決したいのか、それにどのように取り組んでいくのか、そして、どのように長期的に世の中に貢献していくつもりなのか、を具体的に知りたがります。ま、当然のことで、自分のやりたいことをはっきりと言えないような人間に、普通、金を出すような奇特な人はおりません。
ま、しかし、「もはや今更」ですので、ゲリラ的に資金を集め、いろんな人のリソースを拝借しつつ、この世界の片隅で雑草のようにやっていきたい、と考えております。

そんな私が今だに研究を続けているきっかけになった論文を書いた研究者の人ですが、不思議な縁で、研究施設も違うし、専門分野も元々違うのに、向こうの方が研究システムを変えて、私の方の分野に近いことをやりだしたので直接交流させてもらう幸運に恵まれました。私にとっては雲の上の人なので、今でも会うと多少、緊張します。また、もう一人、いろいろ世話になっている人もそうで、その人がウチの分野に大きなインパクトを残す発見をした時に、学会帰りの空港へのバスに乗り合わせて無駄話をしたのが最初の出会いで、当時は研究の興味も違えば、施設も遠く離れており、特に何の接点もなかったのに、その後なぜか近所の施設に移ってきて、今のように親しくしてもらって、共著の論文を書くことにもなりました。

振り返れば、これらの私にとっては「雲の上」のような人々にいろいろと助けてもらうという僥倖があったからこそ、自分でも何がしたいのかよくわかっていないような私もへらへらとやってこれたのだと思います。客観的に振り返って、「非常に運が良かった」としか言いようがありません。そして、不思議なことに、ずっとその辺でウロウロしているというだけで、なぜか仲間扱いしてもらっています。やはり、運がいいからだ、としか説明がつきません。

そう思うと、ま、耐えれなくなってズリ落ちてしまうまでは、もうちょっとズルズルしていようかな、と思ったりする次第です。
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