正直、期待が大きかった分、がっかり感もあります。
これまで臍帯血幹細胞は臨床で使われていますが、臍帯血幹細胞は骨髄の血液幹細胞(HSC)に比べて量が取れないので、ex vivoで増殖させる研究が何年も続けられており、1- 2週間で数百倍まで増幅させる方法も報告されています。しかし、移植後の生着率は、増幅した臍帯血幹細胞ではあまりよくなかったはずです。今回は、マウスではありますが、1)血液幹細胞がex vivoでかなりの増幅ができたこと、2)移植後の生着率が非常によいこと、この二つが驚くべき成果だと思います。増幅のメカニズムについてはdiscussionがあまりありません。有効成分はKit-LとTPOで、あとはいろいろと細かい培養条件をoptimizeした結果のようです。これらの条件でどうしてsymmetric cell divisionが促進されるのか、私には理解できません。
十年ぐらい前に、Adult stem cellとembryonic stem cellの増殖の違いについてのレビューで、ほとんど増殖しないadult stem cellも休む間もなく増殖し続けるembryonic stem cellも、細胞分化を防ぐという共通の目的で細胞増殖が制御されているのだという仮説を興味深く読んだ覚えがあります。stem cellは普段は分化しない状態を保つ必要があり、必要に応じて分化を起こすと考えられています。細胞の分化は細胞周期の早期G1期におこります。S期に入って細胞周期を回すためにはサイクリンEの発現増強が後期G1期に起こる必要があり、それは通常サイクリンD依存的キナーゼによって引き起こされるとされています。サイクリンDの発現はG1期に主にMAPKを通じた増殖刺激シグナルによって引き起こされるのですが、MAPKは通常細胞分化を促進することになります。ですので、普通の細胞であれば、増殖刺激は同時に分化も促進することになります。Adult stem cellではそれを防ぐために、G1期の進行が阻害されているという仮説です。一方、embryonic stem cellでは、そもそもサイクリンEの発現が高いのでMAPK/サイクリンDのシグナルを必要とせず、G1期は極端に短縮されており、それによって分化を起こす機会を最小化しているという理屈です。従来、embryonic stem cellの培養にMAPK阻害剤とGSK3阻害剤を使いますが、GSK3阻害剤はMAPK非依存的にG1期を短縮させて、MAPKによる分化を防ぐので、この理屈にあっています。
これらのことを考えると、adult stem cellであるHSCをこの論文の条件で培養した場合に、細胞分化を防ぎつつ、しかも細胞周期を回すメカニズムは、いったい何なのか、私はちょっと理解できません。「のり成分」がその秘密であるとはとても思えません。論文でものりの成分はアルブミンの代用として使っただけのようで、リコンビナント アルブミンに混在する不純物を培養から除外するのが目的のようですし。HSCのex vivo expansion過去に多くの人々が挑戦してきたはずですし。そもそも生着が高いHSCはG0にある増殖しない細胞といわれています。これらの従来の知見や理論に反するような結果に関する考察がありません。
がっかりしたのはこれらの点です。この論文には驚くべき結果が報告はされていますが、メカニズムについては不明であること、それから「のり成分」はおそらく生物学的に重要な意味は乏しいこと、です。
またこの報道で感じたことですが、「液体のりで造血幹細胞の増幅に成功」というのは東大のプレスリリースのタイトルですが、アカデミアの東大がこのようなミスリーディングなタイトルで注目を集めようとするのは、いかがなものか、と正直、思いました。霞が関文学、官僚答弁を思い出しました。ただし、新聞やメディアに取り上げられると研究費獲得率が上がるそうで、東大の研究室では、そこそこの研究成果が出た場合には積極的に新聞社などにFAXなどを流して売り込むのだという話を聞きました。やっぱり金と名誉ですかね。「液体のりで幹細胞」というようなスピンをかけるのも、そういう理由のようです。
うがった見方をする自分自身にもちょっと嫌悪感を抱いてしまった今回のニュースでした。