百醜千拙草

何とかやっています

あたり前のことができない

2015-05-29 | Weblog
実験データは面白いものが出てきているのですが、研究費の先行きが不透明なために足踏み状態です。仕方がないのでデスクワークしています。動物実験の書類を丸々一日かけて書きました。これほど非生産的な行為はありません。3年先の実験マウスの数などわかるわけがありません。それをあたかも全てお見通しで、実験はことごとく成功し、動物は死ぬまで健康で、データは完璧にとれて全てのデータが解釈可能であるかのように書くわけです。何匹生まれてくるかさえわからない動物の数を一の位まで計算して、計算間違いがないかを綿密にチェックします。これを机にじっと座って何時間もをやっていると、人はなんのために生まれてきたのか、という哲学的命題に思いをはせずにはいれません。動物実験に規制が必要なのはわかりますが、もうちょっと別のやり方はないのでしょうか。

さて、原発がらみのニュースが重なったので。

ツバメの巣にセシウム 福島事故影響、13都県からという東京新聞の記事。

どうして今頃に3年前の調査の結果がニュースになるのかな、と思いましたが、改めて見ると強烈な数字ですね。西は石川県まで飛んでいるというのが驚きです。

東京電力福島第一原発事故後の二〇一一年十一月から翌年三月までに採取した十三都県のツバメの巣から放射性物質が検出されたことが、山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)の調査で分かった。ツバメの繁殖行動に変化がないかなど調べる。 
 同研究所は、野鳥愛好家らに一一年中に繁殖が確認されたツバメの巣の収集を呼び掛け、北海道から九州にわたる二十一都道府県から計百九十七個を集めた。
 巣に含まれる放射性セシウムの濃度を測定すると、福島第一の約三百七十キロ圏内に位置する十三都県の百五十個から事故で放出されたセシウムが検出された。
 福島県内では、集めた九十二個すべてから放射性セシウムを検出。セシウムの平均濃度は一キログラム当たり七五〇二ベクレルと十三都県の中で最も高く、最大で九万ベクレルだった。次いで高かったのは千葉県で平均三二一〇ベクレル、最大で一万二九〇〇ベクレルだった。平均で最も低かったのは山形県の三六ベクレル。、、、


残水 タンク底に1万トン 「溶接型」にも18万トン
東京電力は二十七日、福島第一原発のタンク群にため続けてきた高濃度放射性ストロンチウムを含む汚染水の処理が、全て終わったと発表した。ただし、タンクの底にはポンプで吸いきれない水が残る。今後、暑さが増す中で作業員が手作業で水を抜き、タンクを解体し、耐久性のあるタンクに置き換える膨大な作業が控える。
 福島第一で主に使われてきたのは、鋼板をボルト締めでつなぎ合わせるタンクで、耐久性が低く何度も水漏れ事故を起こしてきた。、、、
 溶接型タンクにも、処理が中途半端な汚染水が計十八万トンほどあり、これらも新型の除染装置で処理し直す必要がある。
 さらには日々、原子炉に注水した後に出てくる新規発生分の汚染水への対応も続く。タンク増設と除染装置の維持のため、現場の苦労は絶えない。


終わりなく、勝つ見込みのない戦いですね。根本的な解決策がないので、とりあえず目先の問題だけに泥縄式に対処するぐらいしかできることがない。しかし長期的に見れば、こういう時間稼ぎがいつまでももつわけはないです。現実には多分汚染水の大部分はそのまま海へ流れていて、全くコントロールできていないというのが実情でしょう。東電はオリンピックが終わったぐらいに完全撤退を表明するのではないでしょうか。

関連して、東京新聞の記事。
核のごみ これ以上増やせない
原発再稼働への地ならしか。政府は原発から出る核のごみの処分について、自ら適地を選んで、受け入れを働き掛ける新方針に改めた。、、、
 誰が、何を、どうやって処分するかは、十五年も前から決まっていた。、、、ガラスで固め、分厚い金属容器に密封して、地下三百メートル以上の安定地層に埋める。
 ただ、どこに埋めるかが、今も決まらない。
 事業主体の原子力発電環境整備機構(NUMO)は、二〇〇二年に、受け入れてくれる自治体の公募を開始した。
 地震歴などの文献調査に応じるだけで最大二十億円の交付金を受けられる。
 にもかかわらず、これまでに手を挙げたのは、高知県東洋町だけだ。交付金目当てに応募した町長は辞職を余儀なくされた。
 いま国内には、一万七千トンの使用済み核燃料がたまっており、原発施設内などにある保管場所の七割がすでに埋まっている。
 核のごみ処分の転換点に立ち、もう一度確かめておきたいことがある。
 原発を使い続ければ、必ず核のごみは出る。発生抑制こそ、最善のごみ対策だということだ。


子供でもわかるあたり前のことです。それが自我と欲にまみれた大人はできないのです。
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霞ヶ関折伏

2015-05-26 | Weblog
先日、とある研究機関の年に一度の一日シンポジウムがありました。去年に参加した時に比べ、規模が3割ぐらいは縮小したような感じです。去年は顔を見た有名研究者の人々も半数位は欠席していたような感じで、景気の悪さを感じました。研究費を貰った関係で一分でスライド一枚で研究内容を発表するようにと言われました。一分で分野外の人にバックグランドと目的と結果を説明するのは無理です。それでも何とか一分の発表スライドを作りました。理解してもらうためには早口でしゃべるわけにはいきませんから、時間を節約するにはムダを省いてシンプルにするしかありません。加えて、言い間違いしたり、つまったりすれば、時間超過していまうのは確実です。「あー」とか「えー」とか言っている余裕もありません。間違いをする余裕がないというのはかなりのプレッシャーです。お陰で、しゃべる技術が多少あがったような気がします。

人の発表を聞いていると、「あー」、「えー」とかのムダな言葉がどれ位少ないかで、発表者の優秀さがだいたい予測できます。「あー」、「えー」は、無意識につい出てしまう言葉なので、それが少ない人というのは、自分の発表を客観的に見ることができて、その構成やプレゼンテーションに十分、気を配っているということです。随分前、テニスは強いが、頭の方は疑問視されていた世界ランク一位だったこともあるアメリカ人女子テニスプレーヤーがいましたが、彼女が記者会見中に「You know」とか「I mean」とかの意味のない間投句をどれぐらい使うかということが話題になったことがあり、確か最高で一分間に40回以上口にしたという話を聞いた覚えがあります。確かにそれでは内容のある話はできないでしょう。

内容のある話ができないのは、政治家や官僚の答弁でよくあります。答弁が「言語明瞭、意味不明瞭」と言われた首相もおりました。あの手の答弁を聞いているとそうとうイライラしますが、現首相に至っては、更に滑舌悪く、言語も意味も不明瞭であるのに加え、しばしば無知と無教養をさらけ出して、自爆することでも有名になりました。

最近の自爆は、国会質疑での「ポツダム宣言はマトモに読んだことがない発言」で、ご存知の通り、ネットや新聞で、散々、叩かれまくられています。もしこれをアメリカ議会の演説で言っていたらそのバカぶりを笑われるだけでなく、中国は本気で怒っていたでしょう。本人が目指す「戦後レジームからの脱却」の「戦後レジーム」とやらが、アメリカ流民主主義を看板にした間接支配のことを指すのであれば、米英中の戦勝国が出したポツダム宣言こそが、その始まりです。それをマトモに読んでさえもいないのに、戦後レジームから脱却すると息巻くというのは、笑えないギャグです。

それはともかく、無条件降伏を要求するこの宣言、改めて読めば、屈辱的です。その屈辱が今も続いているという点においてはその通りです。「日米地位協定」というのがいまだにあるわけですから。力でねじ伏せられた悔しさというのは私もわかります。ならば、戦後レジームからの脱却とは、もう一度戦争してアメリカに勝つ、もしくは日本からアメリカを追い出し、間接支配をやめさせることであるとしか考えられません。つまり、「戦後レジーム」の脱却とやらは、どう考えても、戦争で米英中にコテンパンに負けたことに対する「恨み」を晴らすという「感情的なもの」があってこその言葉です。思うに、アベ氏が「戦後レジーム」の脱却とやらにこだわるのは、屈辱的に巣鴨プリズンで命を助けられて、それこそ「戦後レジーム」の確立のために使われた自分の祖父の屈折した思いを個人的に受け継いでいるからではないのでしょうか。

しかし、一般国民の誰が「戦後レジーム」とやらからの脱却を望んでいるのでしょう?アベ氏と異なり、そんな昔の「恨み」にいつまでも拘泥して国益を損ねることも辞さずと思うほど、国民は幼稚ではないのです。戦後の日本は、その耐え難き屈辱を忍んで、名を捨てて身をとってきたのです。そもそも、日本は明治維新で、力ずくで開国させられ、不平等な貿易協定をむすばされ、最初の敗戦を喰らっているのです。欧米による支配の屈辱を晴らすための「戦後レジームの脱却」云々というならば、少なくとも江戸時代まで戻ってからやり直すのがスジであろう、と私は思います。

アベ氏の支離滅裂な言動と行動を考えると、これは祖父から聞かされたであろうアメリカに対する屈折した恨みに対米従属主義のの官僚方針という反する性質のものが混じり合っているのではないかと想像されます。日米同盟にしてもTPPにしても、アメリカの利益のために日本を売り飛ばすことは平気でやるのに、その一方で、靖国参拝してみたり、改憲しようとしたり、中韓を挑発してみたりとアメリカの嫌がることをする。この分裂病的行動は、国益増大を意図した一国のリーダーの理性的な動機から生じているはずだという点から理解しようとしても難しいですが、個人的な恨みと官僚政治という背景を加えると実は、レベルの低い単純な話ではないのかと思われます。

いずれにしても、不幸なのは国民です。アベ氏の支離滅裂が、官僚の振り付けと、先祖からの個人的な恨みが混ざったために起こっているのであれば、国民も沖縄県民もそこには全く不在です。そして、おそらくこの人は、自分が何者なのか、何をしているのか、その意味も善悪も理性的には判断することができないのです。

しかし、アベ氏をいくら叩いても本当のところは何もかわりません。アベ氏の代わりに使い捨てにできる人間はいくらでもいます。使えなくなれば取り替えれば済むだけの話です。むしろ使う方は使えなくなるなるぐらいまで使ってから取り替えた方が国民は騙されるとでも思っているでしょう。

先日、創価学会の人とちょっと雑談する機会がありました。建前上、公明党は、野党では何の力もないので、与党になることで内部から自民党の暴走を止めて、平和を実現するという理屈で自民と連立していることになっています。しかし、かりにそれが本音であったとしても、結局は政治に参加して与党に入ったところで、官僚が仕切っている日本の世の中は根本的には変わらないだろうと私は思います。政権交代後の民主党がいい例です。

その雑談中に、今の官僚政治を変える一つの方法は、官僚組織の内部に入って内側からそれを変えていくことではないかという話になりました。三権分立というものが事実上存在しないのですから、政治を通じて外から官僚組織をどうにかするのは不可能です。官僚組織に入っても、組織に染められずに、内部から官僚組織を改革できる者がいるとしたら、それは強い絶対的な行動基準をもつ人々です。ならば創価学学会員は、ひょっとしたら適任ではないかと思いました。創価学会が学業優秀な若い学会員を支援して、東大法学部に進ませて、官僚組織に送り込み、日蓮の教えによって霞ヶ関の闇に潜む悪を折伏するのです。どうでしょうか?

(この作戦がうまくいくと、長期的には日本がイスラム革命後のイランのような宗教国家になってしまう可能性もあるのですが、それでも、現状に比べればマシではないでしょうか)
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戦争という解決策

2015-05-22 | Weblog
都会では自殺する若者が増えていても、今の問題は雨の日に傘がないことであったりします。ロンドン大空襲の翌朝に朝の紅茶に入れるミルクを買おうとミルク売りを探す婦人の話を聞いたこともあります。個人の問題は社会の問題よりもはるかに優先度が高いです。まして、明日は何を食べてどこで眠ればよいのかということを心配している人々に社会の問題に気を向けている余裕はないでしょう。

アベ政権が狙うのはそこではないでしょうか。人々を追い込んだ上で操作し、支配者層に都合のよい仕組みを作る、ということです。破綻することが分かっている異次元金融緩和、無からつくりだした金で国債を買うというペテン(ネズミ講みたいなものですね)、そしてそのツケは国民へ回すのです。そうして金の価値を下げ、物価高を招く一方で、収入は増えず、消費税は上がる。将来に希望を持てない者はもう戦争しかないという結論へと誘導されるのでしょう。

東京新聞、論説室から よみがえる国家総動員
 
先の大戦でたいへんな思いをしたのは「外地の兵隊さん」だけではなかった。国家総動員法のもと、国民とその持ち物が政府により徴用され、やがて空襲が始まった。
 安倍晋三内閣が国会提出した安全保障法制にも「国家総動員体制」が明記されている。、、、
 武力攻撃事態法、特定公共施設利用法は、日本が武力攻撃を受けた際の対処策のはずである。これを「他国の防衛」にまで広げるのだから「銃後の国民」も無関係ではいられない。 (半田滋)


同、社説、財政健全化計画 ゆでガエルになるのか

甘すぎる成長予測に相変わらずの異次元緩和頼み。これでは信頼される財政健全化計画など不可能だ。 こんな「ぬるま湯」のような計画づくりでは、気づいた時には取り返しの付かない「ゆでガエル」になっているのではないか。、、、成長至上主義の安倍政権は財政を膨張させるばかりで歳出削減の努力は皆無である。、、、 墜落事故が続くオスプレイを自衛隊に十七機購入するより、徹底した歳出削減が先決のはずだ。


政府は、本気で財政健全化などできるとは思っていないし、する気もないのでしょう。官僚組織では、戦争を最終解決策として計画を進めているという話ですからね。彼ら自身が「もう戦争しかない」と思っていて、自分たちだけはうまくその修羅場から逃げ出すことを考えているという話が本当なら、あれだけ見え見えのウソと詭弁を弄してまでも、アベ政権が戦争ができる体制を作ろうと、ごり押ししている理由がわかります。

個人の問題は最も重要ですが、ジワジワと茹でガエルにされないためにも、官僚政治、アベ政権の横暴さとデタラメにに対して声を上げ続けていくことは必要だと思います。
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杜撰さで損われる信用

2015-05-19 | Weblog
また某国からの論文がらみですが、最近、レビューがらみで面白いことが起こります。
とある雑誌から某国からの論文のレビューの依頼を受けました。内心、某国からの論文はイヤだなと思ってはいていも、誰かがやらねばならない仕事です。私は今は研究費の関係で研究を拡げることもできずに鬱屈した日々を送っており、レビューするぐらいの時間はあるので、せめてこういう雑用で社会に貢献しよう、と引き受けることにしました。その雑誌の投稿システムにログインして、レビューアーエリアに行こうとすると、この雑誌に論文を投稿した覚えはないのに、なぜか最近投稿された論文が著者エリアにあります。不審に思ってみて見ると、なんと5年以上も前に別の施設の人との共同研究ということでちょっとだけ係った論文が一週間前に投稿されていました。一年以上前に別件で連絡した際に、「共同研究はしばらく中断していたが、そのうち論文にして投稿するよ」と言っていたようなことを朧げに思い出しました。偶然、引き受けたレビューで自分の名前の入った論文が同じ雑誌で審査中であったことを知り、驚きました。この雑誌は別に専門紙というわけではないのですが。

さて、そのレビューを引き受けた某国からの論文ですが、最初に大筋だけをざっと見たところでは、なかなか面白いストーリーになっています。英語も校正サービスを使ったようで、この国からの論文にしてはストレスなく読めます。データもきれいです。これで、細部をチェックして大きな問題がなければアクセプトになるコースだなあ、と思って、細部のチェックを始めました。しかし、この国からの論文は細部をチェックすることが、しばしば大変なのです。データや実験方法を十分に理解できる情報が多くの場合で不完全で、体裁だけは立派ということが結構あり、論文の「解読」に手間がかかります。

その論文でも、結論の一つの重要な証拠になっている実験の詳細がよくわからないので、書かれているシークエンスデータを元に、実験の詳細を推測して見ることにしました。実験は昔ながらのルシフェラーゼを使ったとある遺伝子の発現解析実験です。論文では、この遺伝子の発現調節領域の一部にある転写因子が結合するというデータを示しています。私は、このデータをヒトのENCODE プロジェクトのデータベースと照らし合わせてみようと思い付き、この転写因子の結合部位とされてる領域をシークエンスデータをもとにGonome Browser上に表示させてみました。すると、驚いたことに、この実験で解析されている遺伝子発現制御領域は、論文で書かれている遺伝子のものではなく、非常によく似た名前の別の遺伝子のものであることがわかりました。

これでは話になりません。

以前T大で、同名の別遺伝子のシークエンスを間違えて書いてしまったことから、論文を捏造していたことがばれて、研究室とり潰しとなった研究不正事件がありましたが、ふとそのことを思い出しました。 今回は、多分、そのようなでっち上げではなく、研究そのものが信じられないレベルの杜撰さで行われたということなのであろうと想像しています。中心となっている遺伝子でさえ間違えるのだから、ほかのデータの信頼性も推して知るべし言ったところです。

前回の同時投稿の件や今回の杜撰なケースから想像するに、この国では、研究作法や研究倫理の国際基準を満たすことが難しいような何らかの事情があるのだろうと想像せざるを得ません。しかし、問題は、そうした大量のクオリティーの良くない論文がこの国から量産され、それが国際雑誌に流れ込み、レビューシステムの負担を増加させ、分野全体のレベルを引き下げていると人々が感じるようになってきているということでしょう。どうすればいいのでしょうか。

さて、話かわって、先ほどのニュース。未亡人製造機、オスプレイ、またハワイで着地失敗で22人の死傷者を出すという事件がありました。あまりに使い物にならないので、アメリカ陸軍もイスラエル軍もオスプレイの導入を取りやめたようなシロモノです。にもかかわらず、つい先日、社会保障費を削って工面した3600億円で、この欠陥飛行機を大量に買うと決めた日本はホントにバカの極みです。しかし、オスプレイが役立たずの新興宗教の「壷」みたいなものであることは、官僚組織は分かっていて、それでも教祖様の歓心を買いたいがためにやっているのです。官僚とアベ内閣は、オスプレイの代金を払うのも事故や戦争で死ぬのも、自分たちではないから知ったことかとでも思っているので、このような売国行為が平気でできるのでしょう。官邸に落ちたのがドローンではなくオスプレイであれば、彼らももうちょっと真面目に考えたかも知れませんが。
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過去と他人は変えられない

2015-05-15 | Weblog
「小さなグラントをもう1人の人と共同で書いていて、ようやく出せました。すごく大変でした。一ヶ月前から何回かミーティングをし、方針を決めて役割分担を決めてやっているつもりでしたが、なかなかタイムリーに分担の分が出てこない上に書式や話し合いの合意にあわないことがしばしばあり、結局、こちらが、その都度チェックして一々指示して、メールで進抄をチェックして、催促をするということを繰り返しました。これだと一人で全部やった方がもっと少ない労力ですんだだろうと思いました。この方は、私よりも経験はあるはずなので、私は今回はむしろラクできるだろうと踏んでおりましたが甘かったようです。これまでの人生経験から、他人は口で言ったことから期待できることの5割のパフォーマンスが出せれば、上出来だとは思ってはいるのですが、今回は、きっとこの人に対する私の期待が高過ぎたのでしょう。グラント秘書の人や施設の担当者からは突つかれるし、私自身も、別の仕事に集中できないしで、正直、かなりイライラがつのりました。

そこで私は「他人と過去は変えられない」という呪文を取り出して、このことは成り行きに任せるしかないと考えないことにしました。すると、不思議なことにその日の夕方から突然、エンジンが入ったかのように、サクサクと原稿が送られてくるようになりました。それで、最終的には帳尻があうかと期待したのですが、また〆切の三日前になって急激にスローダウンし、結局、〆切の前日にようやく返ってきた不完全な原稿をなんとか体裁を整え、グラント秘書の人と施設の申請書認可部署の人と交渉し、〆切日の朝に図表と予算を作り直しせざるを得なくなりました。そして、締め切りまであと3時間となってから、予算の計算がおかしいというトラブルが起こり、計算のどこがおかしいかを突き止めるのに一時間、その間、グラント秘書と施設の人との三者間を行ったり来たり。認可が出たのが〆切30分前、申請書をそれからPDFに作り直し、欠けていた図表をまた別の人からムリヤリ出させて申請書に入れて、オンラインで申請書をアップロードし必要情報を打ち込んで、チェックして「応募」のボタンを押せたのが〆切時間の1分33秒前というヒヤヒヤものの一日でした。最初から1人で書いていれば二週間前にはとっくに終わっていて、十分に推敲する時間もとれたのになあ、と溜め息が出ました。

そんな中で、とある知り合いの人が立ち寄ってくれました。主に仕事を通じて知っていた人で、かつて一度だけ会ったことがある人です。それにしても、私の知り合いの人はみんな偉くなってしまいました。現在は、とある大学の教授で、別の二カ所の施設にも研究プログラムを持っていて、多彩な分野で活躍されています。一緒に昼を食べていろいろ雑談。実は、知らないところで、私のためにいろいろ苦労してくれていたことを知り、感激しました。
 雑談中、某国からの研究論文については、やはり私同様にちょっと問題を感じていたようで、その話になりました。結局、論文やグラントのピアレビューシステムや実際の研究というものは、誠実、公平におこない、大多数の研究者が科学倫理、ルールというものを守るということを前提にして成り立っています。とうぜん、インチキする人間はいつでもいるし、ルールの遵守に甘い人もいます。しかしそういう人々が少数であれば、まだシステムとしては大きな問題にはなりません。しかしルールに甘い人々が急激に分野に増えると、正直者がバカをみる事態になります。そうなれば当然、研究分野の全体の質も信頼性も落ちていいき、正直ではやっていけない世界になります。この傾向をどう止めればよいのか、よく分かりません。いっそのこと、他の分野のようにピアレビューというものを一切なくして、とりあえず共通の出版サイトに研究成果を公開して、歴史の判断に任せるのがいいかも知れません。あるいは、評価するということそのものを一切やめてしまうのも手かも知れません。

さて、対米従属官僚とそれに操られる政治家、国民不在で、彼らの利益のためだけにやりたい放題、傍若無人の暴走アベ内閣が安保法制を閣議決定しました。官邸前では、戦争反対のデモ。「戦争への法」ノー 官邸前抗議 出勤前の会社員も アベ氏はあいかわらず、「日本はアメリカの戦争に絶対に巻き込まれることはない」と、あきれはてる発言。オリンピック招致の際に、世界に向かって「福島は完全にコントロールされている」と大ウソを言って、国民みんなを凍り付かせた時のことを思い出しました。

国際社会の歴史観に反して歴史を修正し、国民の意見は全く無視して軍装し武力で他国を脅してコントロールしてやろうとするアベ政権とそれを操る官僚組織、彼らにこそ、「過去と他人は変えられない」という言葉を噛み締めてもらいたいともいます。
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対米従属の理由

2015-05-12 | Weblog
沖縄米軍基地問題に関する最近のニュース。

宮崎駿氏、辺野古基金の共同代表に就任
米軍普天間(ふてんま)飛行場の沖縄県名護市辺野古(へのこ)への移設阻止を目的に設立された「辺野古基金」の共同代表に、映画監督の宮崎駿氏が就任する意向であることが分かった。宮崎氏は八日、共同代表への就任について、スタジオジブリを通じ「沖縄の人たちがそういう覚悟をするなら、支援するしかないと思いました」とのコメントを発表した。宮崎氏は昨年、反対運動をする人たちに向け「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とした直筆の文章を寄せている。


沖縄知事、辺野古移設反対で訪米 27日から、直接伝達へ
沖縄県は11日、翁長雄志知事が今月27日~6月5日の日程で米国のワシントンとハワイを訪問すると発表した。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する意向を米政府に直接伝えたい考えだ。翁長氏の訪米は昨年12月の知事就任後、初めて。


一方で、平和を望み在日米軍の負担を減らしたいと願う一般国民とは逆の方向に突っ走る日本政府。日本の本当の支配者がいるとされ、「横田幕府」とも呼ばれる在日米軍横田基地に、オスプレイを配置するというニュース。「もうきたぞ、安倍首相による売国外交のつけが」というブログ記事では、この未亡人製造機ともよばれる欠陥飛行機の購入価格は、日本が削った社会保障費に匹敵するということです。社会保障費の足しにするという名目で消費税増税した一方で、社会保障を削ってまでも何の役にもたたないアメリカ商品を買うというのだから、呆れ果てるばかりです。

 
「オスプレイを買え。言い値で買え。横田基地には米軍のオスプレイを配備する。あんじょうはからえ」と、アメリカさまからのお達し。安倍首相らは、「ははーっ、御意。謹んでうけたまわりますでございます」と、言い値の3600億円で17機購入させて頂くそうです。
 3600億円と言えば17で割り算すれば、1機当たり211億円。アメリカ本国では、1機100億円相当だそうだから、ざっと倍以上の吹っかけられです。防衛省は、エンジンなどの交換部品のほか、訓練費も含んでいるから妥当な購入と強弁していますが、なんとまあ、大盤振る舞い。
 今年度は社会保障費を削減しましたが、その額に匹敵する額です。つまり、日本の社会保障費を削って、アメリカさまのおっしゃる通りの高値でオスプレイを買わされる。これが安倍外交の勝利と喧伝するアメリカ議会で演説させて頂くための交換条件だったといえます。


もう一つ、「米国追随なら日本に未来ない」 中国軍幹部、高村氏に発言という東京新聞の記事。
【北京共同】中国人民解放軍系のシンクタンク「中国国際戦略学会」の軍幹部が今月5日、自民党の高村正彦副総裁ら超党派訪中団との会談で「米中の新たな形の大国関係の中で、米国の後だけについていくのなら日本に未来はない」と述べていたことが10日、日中関係筋の話で明らかになった。


その通りでしょう。日本の外から今の東アジアの状況をみれば、アメリカから距離をおきつつ東アジア諸国と良好な関係を構築していくのは当然でしょう。それが出来ないのは複数の理由があると思います。アメリカは中国の台頭を恐れています。日本が中国と仲良くしてもらっては困るのです。日中国交正常化をアメリカ抜きでやったためにロッキードで嵌められた田中角栄の記憶はアベ氏にもあるはずです。アジア外交はまずアメリカの許可がないとできません。アメリカが日中、日韓が適度に仲が悪いことを望むので、わざわざ日本も中韓国を挑発するようなマネをさせられているのでしょう。
 アベ氏の訪米の際の記者会見での質疑を見ても良くわかりますが、アメリカは日本を対中戦略の中で使う道具として見ていないことが露骨でした。一方で、つい先日のロシアの軍事パレードには中国だけが参加。ロシアは欧米がウクライナで仕掛けた露骨なやり方に反感を示し、これまでの欧米に対するソフト路線を転換してイランと中国に武器の提供を再開しました。BRICSの結びつきも強化しつつあり、アジアからアメリカの影響力を少なくするための準備を着々と進めています。中国を恐れるアメリカにとって日本はその防波堤であり戦争となれば前線です。そんな中での、日本の改憲、軍備強化、日米同盟の強化というのは、中国側からとれば、第二次世界大戦以来の脅威と映っているでしょう。日本は、本来であれば、アジアでほ中立、平和主義を強く主張して、アメリカの手先として対アジア軍事戦略のコマとして利用されることはないのだという態度を見せておくのが賢いやりかただったでしょう。それどころか、尖閣諸島や今回のアベ氏の訪米などで、わざわざ反中、親米という態度を明らかにして、中国のシンクタンクには、アメリカの道具としていいように使われるバカだと判断されてしまいまいした。
 このBRICSの台頭、アメリカの衰退という世界の動きを見ていると、忠犬ハチ公のように対米従属を貫き続ける日本は気違い沙汰です。それが、私がずっと不思議に思っていたことです。どうして日本の官僚は対米従属を貫こうとするのか、ということです。私は、戦後のアメリカによる日本間接支配が構造化して官僚組織が視野狭窄しているのかな、と思っていましたが、田中宇さんの一言で納得しました。即ち、「日本の官僚機構は、誰が首相になっても官僚のいうことを聞かざるを得ないという独裁的な権力を維持するため、対米従属を必要としている」ということです。なるほど。つまり、建前上は政治家が決めた法案の下で動くということになっているわけですが、実質的に権力を握っているのは行政官僚です。その立場上関係を超えて独裁的権力を握るためには、司法と立法をうまく操る必要があり、そのためには日本がアメリカの植民地であることが望ましいということなのですね。何とも、情けない理由です。
「アメリカ様のご機嫌を損ねると大変なことになります。角栄さんがどうなったか覚えておられるでしょう。われわれ官僚組織は長年のつき合いでノウハウ(密約)を知っております。われわれにお任せ下さい。魚心あれば何とやら、ひっひっひ」という感じですかね。実際、与党になるまで政治家は一部の官僚だけが知っている「密約」を知りません。密約とは、アメリカは公にしたい条項であるが、官僚組織がその優位性を保ちたいために伏せられているもののことです。鳩山氏の米軍基地移設の迷走で最後に沖縄に戻ってきたのもこの「密約」を知った上で絶望したからではないのでしょうか。そうと思うとその後の辞任も含めて納得できます。
所詮、アベ氏も官僚が担ぐ神輿の飾り、鳩山氏や小沢氏との違いはアベ氏の方がもっと官僚に従順だったということでしょうな。
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同時投稿する人

2015-05-07 | Weblog
一週間ほど前に某ジャーナルからレビューの依頼がありました。最近、論文出版数が劇的に増加している某国からのものです。論文を一通り読んでからこれはアクセプトはできないなと思いながらも、なるべる建設的なコメントを書こうと考えていました。今朝、メールを見ると別のよく知らないジャーナルからレビューの依頼がきていて、余り考えずに「引き受ける」のリンクを押そうとして、タイトルを見てアレレと思いました。よく見ると、それはすでにレビューをしている一週間前に別のジャーナルに投稿されたものと全く同じ原稿だったのです。よく見るとアブストラクトも全く同じです。

とたんに多少の怒りが湧いてきました。そもそも複数雑誌に同時投稿するというのは多分殆どの雑誌で禁止されていることで非倫理的な行為だと思います。科学論文はピアレビューであり、レビューアは大概、自分の研究の時間を割いて無料奉仕で他人の論文の評価をしていると思います。「お互いさま」という意識があるのでこういう出版行為に参加していると思います。原稿を扱う編集者の人も大抵がアカデミアの人が無償でやっていることが多いと思います。学術論文の出版は、こういうボランティア活動の上に成り立っており、お互いさまだからお互いに敬意をもって誠実にやりましょう、というコミュニティー意識がその根底にあります。

しかるに、この著者らは、その原稿のプロセスやレビューに費やされる労力はあたかも自分の論文の出版のために無料で無制限に利用できるとでも思っているかのようです。それで、この二つめの依頼には、同時投稿であるのを理由にレビューは断りました。一つ目のジャーナルの投稿に関しては建設的なリジェクトになるようなコメントを書くつもりでしたがその気も失せてしまいました。

研究や出版活動での倫理や道徳は、コミュニティーレベルでの長期的繁栄を目指しています。しかるに、昨今、激化するグラント獲得競争、出世競争で、研究者が己の業績をあげるために、倫理や道徳、正直さ、奉仕の精神を省みない「利己的」行動の事例が多く目立つ様になりました。ハイインパクト論文では研究不正ゼロの論文の方がひょっとしたら少ないぐらいかも知れません。

そういう利己的な人々が増えると、規制を厳しくせざるを得ません。世間には、法に抵触しなければ何をやってもよいと思っているような人が少なからずいますが、それらの人々は「法律」というものは最低レベルの行動基準であるということに余り意識的でないのだろうと思います。人々の行動基準が正規分布を示すとすると法とかルールはおそらく-2 S.D.ぐらいに設定されているのではないでしょうか。即ちコミュニティーの中で下から2.5%ぐらいです。それ位の人数が法律ギリギリ行為をするのであれば、コミュニティー全体としては許容できます。しかしもっと低い基準値を使う人が増えるとコミュニティーのレベルを保つためには規制を強めるしかなくなると思います。それは、正直に普通にやっている人々の負担を増やすことになります。悪貨は良貨を駆逐するとのたとえがありますが、利己的な人々が増えるとそうでない人々が迷惑を被ることになります。

それで思い出しましたが、最近、Natureで4ページを割いて"Collateral damage"と題された神戸の理研解体を取り上げた記事を読みました。一研究不正事件が組織そのものを変えてしまい、巻き添えになった人々の人生に大きな影響を及ぼした事件でした。
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憲法と戦争

2015-05-05 | Weblog
戦後、70年、最大の危機に面する「日本国憲法」。
国家権力とは、極論すれば一般国民の自由を奪い、国民の財産を売り渡し、己の利益に付け替えるための「支配者層」のためのシステムです。民主主義の建前上の主権者である国民を保護するためにあるのではありません。民主主義は、国民が主権をもち、権力を委託されたものが権力を濫用しないようにするための政治形態であり、そのために、独立した権力である立法と司法と行政がお互いを牽制しその暴走を抑止するという「建前」であるはずです。そしてその権力を縛るよりどころとなるものが憲法です。
しかるに、日本では霞が関という支配者が、立法、司法を従えて、権力は分立する代わりに連立し、結託して己の利益のために、国民を奴隷化しようとしています。いま、アベ内閣は露骨にも、その権力暴走のブレーキである民主主義、人道主義、国民主権の拠り所となっている憲法を、権力側の都合のよいように骨抜きにしようと企んでいます。一方で、増税、福祉の切り捨て、無謀な金融緩和でのインフレで国民を経済的に追い詰めた上で、軍隊という受け皿に若者を誘導し、積極的平和主義というブッシュ ドクトリンの二番煎じの詭弁を弄して、日本の軍国化をおし進め、なし崩し的に海外への侵略戦争に加担しようとしています。これは国家が国民に対して行なうテロであり、気づいた時にはもう流れに流されて手遅れになってしまうのです。

憲法記念日に際して、東京新聞の社説から。

昨年は集団的自衛権の行使容認、今年は安全保障法制…。政権の次の狙いは憲法改正でしょう。戦後七十年の今こそ、しっかり憲法を考えたいものです。
昨年暮れに「石見(いわみ)タイムズ」という新聞の復刻版が京都の出版社から出されました。---
故・小島清文氏が主筆兼編集長を務めました。小島氏が筆をふるったのは約十一年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました。---
小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。八八年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で講演活動を始めたのです。ひたすら「不戦」を説きました。---
九二年に出した冊子ではこう記します。
 <戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である>
戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。---
 しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。
 権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考え方です。権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。
 小島氏は二〇〇一年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。
 <権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>---
 権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観していられません。
◆戦争は近づいてくる
 小島氏は〇二年に八十二歳で亡くなります。戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。
 <戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている


日本国憲法は、GHQに押し付けられたようなものですが、しかしそれはアメリカが民主主義を世界に売って歩くために作られた、いわば理想を詰め込んだ商品サンプルであったとも言えるのではないでしょうか。モーターショーで展示されるピカピカの高性能新型車のように、フォード製でもトヨタ製でも良いものならば人々は欲しがるものです。アベ氏は日本製でないから日本国憲法は日本人の手で書き変えないといけないとか言ったりするわけですが、ならば、まず洋服を着るのをやめてチョンマゲ着物に草履履きにしてから、そういうことを言ってもらいたいものです。
 国民はいろいろな方法でマスコミに洗脳され、権力に追いつめられていって、「戦争しかない」という結論に飛びつくように誘導されていくのです。反中、反韓をあおる様々な報道、ネットの工作の一方で、日々、苦しくなる生活、恐怖と不安を操作して、権力者は国民を操ります。戦後70年、日本が戦争犠牲者を出さずにすんだのは間違いなく9条のおかげです。日米安保の抑止力とかいうイカサマゆえではありません。
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日米の力関係

2015-05-01 | Weblog
アベ氏、アメリカ訪問。月曜日にボストンでの講演。あたりさわりのない話をして、質疑応答なしの予定だったようですが、同日、会場ではハーバードの韓国系学生らと87歳の従軍慰安婦の人を中心にデモ。講演では韓国系の聴衆から「慰安婦問題について日本は謝罪をしないのか」という質問が飛んだ様子。多分、想定内だったのでしょう、論点をずらして、一般論を語って日本の立場を曖昧にするという官僚答弁をしたらしいです。外国でこういう詭弁を弄するとますます印象が悪くなります。

その後DCへ移動。

両首脳は途中、通訳なしで2人きりで歩きながら約20分間、巨大なリンカーン像などを見学した。首相はその後、市郊外にある戦没者を追悼するアーリントン国立墓地で献花、第2次大戦中のユダヤ人虐殺を伝える市内のホロコースト博物館を視察した。(ワシントン=村山祐介、奥寺淳)


ということですが、日本の首相がアーリントン墓地で献花をするというのはちょっと違和感を覚えます。ここには、当然第二次世界大戦で日本兵と戦った米兵も眠っており、敷地内には硫黄島で日本兵と戦った兵士がアメリカ国旗を掲げる記念像もあるのです。日本の首相がアーリントン墓地で献花するというのは、逆に言えばオバマが靖国神社に玉串を捧げるのと近いと思います。オバマは日本のの戦没者の慰霊はしても、「戦争責任者」が奉られてる靖国に参拝するということまずないでしょう。日本の首相がアーリントン墓地で献花するということは、戦争の犠牲者を慰霊するのではなく、戦争の当事者、即ち日本を打ち負かした敵を讃えるという意味にとれます。外国にとっては日米の力関係を示すメッセージとなったかも知れません。

日本は敗戦とサンフランシスコ条約、現在の日米地位協定によって、アメリカの属国になるという地位を受け入れざるを得なかったのです。しかも4/28という日は、サンフランシスコ条約によって沖縄が占領下に引き続き置かれることになった屈辱の日なのです。戦後、当時の人々は、その耐え難き屈辱をバネにして、経済戦争という第二の戦争でアメリカに勝利しました。そして、現在、アメリカは日本を再び経済的に打ち負かそうとTPPという手を出してきているわけです。(にもかかわらず、ホイホイとカモにされにわざわざ首相みずからやってきているというのはどういう病理でしょうか)

さて、アベ氏との会談の後での記者会見では、アベ氏を横に立たせたまま、オバマは、日本よりも中国について多くを語りました。日本は中国とアメリカの関係の上でのみ意味があるかのような口調。露骨ですな。その後、アベは従軍慰安婦問題についてしゃべりだし、例によって一般論に論点をすり替え、官僚答弁、多分、ボストンでのデモへの対応でしょう。NHKの記者が安全保障についてオバマに質問、何故かアベ氏が答えて延々と演説(そういう筋書きになっているのでしょうね)、それに対し、オバマは、日本は平和な国であり攻撃的ではなかったと言いながら、ISISを例に上げテロなどに対して協力して当たっていくべであり、その為に日米安全保障条約をアップグレードするのだと、またまた露骨に日本に中東に派兵を求める発言。アメリカにすれば、アメリカの代わりに日本がわざわざ金と人を出して中東で戦争してアメリカ軍需産業をもうけさせてくれる、と言っているのだから、「いやー、どうもありがとう」という感じなのでしょう。
 その後、アメリカ人の報道記者から、同日おきたポルティモアでの警官による黒人殺傷事件についてと中国をどう牽制するのか、という日本とは全く無関係の質問。オバマは延々とアメリカの警察の問題と人種問題についてコメントし、その間、アベはぼーとオバマの横に立たされていて、さすがにオバマも「無関係の話を延々としてすまないが重要な話なので」とアベ氏に断って演説を継続。半黒人のオバマとしては熱も入るのでしょうが、アメリカまでわざわざ来たのに、オバマの横に立たされて、まったく無関係の演説を延々と聞かされるのは、いくらアベ氏でも流石に屈辱ではなかったでしょうかね。ひょっとしたらオバマと記者はわざとやったのかも知れません。オバマがこの記者を指名して質問させていましたしね。
 この人種問題の長いオバマの演説が終わったと思ったら、アベ氏、唐突にTPP礼賛を始めました。そして、共同の記者がアベ氏とオバマにTPPに絡めてAIIBについて質問。予想通りの反応。まったく中身のない会見で、わかっていたとはいうものの、アベ氏はわざわざコケにされにいったようなものです。

CNNでの今回のアベ訪米のニュースタイトルを見てみました。
アべはTPPで議会を揺さぶることができるのか?(オピニオン) - 今の所、アベ氏の訪米は先月のネタニエフの時よりもはるかに注目されていない。最近の調査で3/4以上の人が「アベ シンゾー」という名前を聞いたことさえないと答えたことからしても驚くには値しない。--- TPPは世界経済の40%の及ぶ規模の自由貿易協定であり、アメリカのアジアに対する影響力を増大させるものである。---中国や韓国の前で、日本は第二次世界大戦の戦争犯罪についていまだに十分に謝罪していない一方で、アメリカはアベ氏の靖国参拝に遺憾を表明した。

アベが正式に謝罪する時。(オピニオン議会での演説でアベは従軍慰安婦問題について正式に謝罪をするチャンスが与えられた。---2006年、第一期アベ内閣の時、アベ氏は、従軍慰安婦は日本が強制的に行ったとする証拠はない、と発現して世界的な批判にさらされたが、第二次内閣においても、歴史検閲の動きを続けている---

アベ首相の晩餐会ホワイトハウスで開かれる。一年前にオバマが日本を訪問した時、寿司が好きなオバマであったが、20個の寿司コースを残した。今回は2011年以降、初めての室内での晩餐となり、招待客は200、これは昨年のフランス大統領オランドの時の400の半数である。ーー日本は、従軍慰安婦問題でのアベ氏の歴史修正の動きを非難する韓国と、険悪な状態にある。韓国系アメリカ人の反アベデモが予定されている。---日本と韓国はアメリカの対中国政策において重要な同盟国であり、日韓関係の緊張はアメリカにとっても問題である。ーーー

演説そのものは形式的なもので意味は乏しいですが、メディアが問題視したのは、やはり、官僚作文でお茶をのごそうとした従軍慰安婦をはじめとする現政府の戦争責任への態度です。演説中もCapitol Hillを囲んで、韓国系アメリカ人を中心に反アベデモがあった模様です。国内でも外国でも嫌われ、オバマにはバカにされ、チヤホヤしてくれるのは金をばらまいた所だけ、それでも自民党政権型が続く不思議の国、ニッポン。

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