大滝詠一さんの突然の死去というニュース。解離性大動脈瘤の破裂だそうで、おそらく一瞬のことだったのでしょう。
私はファンというわけではありませんが、80年代の「A long vacation」の大ヒットはよく覚えています。気持ちのいい音楽ですね。静かな夏休みを思い出します。
そのころ、対談かなにかの記事で、大滝さんが自分の曲は「パクリ」なのだ、と言っていたような記憶があって、その対談相手が、どの曲のどの部分が誰からのパクリで、、、などとと当てて、どうだと自慢したら、大滝さんはアルバムには指摘した以上の30箇所ぐらいのパクリがあるが、とてもすべてはわかるまい、と言った、というようなのを思い出しました。(曖昧な記憶ですが)
当時、音楽はオリジナルであるべきだ、と思っていて、自分の曲は「パクリ」だと言った大滝さんの言葉に正直びっくりしたものです。しかし、今、研究職をしていると、私の研究の9割り以上はパクリではないか、とも思います。というより、音楽も研究も、ずっと連綿たる先人の努力の成果の積み重ねがあってこそ、今の自分の「オリジナル」なものがあるのだ、ということが理解できるようになったということです。
つまり、30箇所をパクって、それをオリジナルにできるということは、その何百倍もの努力を、先人の仕事に対する研究と解析に積み重ねなければできないことです。当時は、単に耳障りのよいポップスにしか聞こえませんでしたが、今わかるのは、耳障りのよいポップスという作品を作り上げるためには、そこには、おそらく凄い量の基礎的研究があったに違いないということです。もし、私が研究を続けてこなかったら、大滝さんの音楽の凄さも本当はよくわからなかったであろう、と思う今日です。むしろ、自分の音楽は「パクリ」だと言った言葉に、軽蔑さえ抱いたかも知れません。
急逝された今、別にファンであったわけでもないのに、なぜか親しみを禁じ得ません。
今、「カナリア諸島にて」を聞いています。
私はファンというわけではありませんが、80年代の「A long vacation」の大ヒットはよく覚えています。気持ちのいい音楽ですね。静かな夏休みを思い出します。
そのころ、対談かなにかの記事で、大滝さんが自分の曲は「パクリ」なのだ、と言っていたような記憶があって、その対談相手が、どの曲のどの部分が誰からのパクリで、、、などとと当てて、どうだと自慢したら、大滝さんはアルバムには指摘した以上の30箇所ぐらいのパクリがあるが、とてもすべてはわかるまい、と言った、というようなのを思い出しました。(曖昧な記憶ですが)
当時、音楽はオリジナルであるべきだ、と思っていて、自分の曲は「パクリ」だと言った大滝さんの言葉に正直びっくりしたものです。しかし、今、研究職をしていると、私の研究の9割り以上はパクリではないか、とも思います。というより、音楽も研究も、ずっと連綿たる先人の努力の成果の積み重ねがあってこそ、今の自分の「オリジナル」なものがあるのだ、ということが理解できるようになったということです。
つまり、30箇所をパクって、それをオリジナルにできるということは、その何百倍もの努力を、先人の仕事に対する研究と解析に積み重ねなければできないことです。当時は、単に耳障りのよいポップスにしか聞こえませんでしたが、今わかるのは、耳障りのよいポップスという作品を作り上げるためには、そこには、おそらく凄い量の基礎的研究があったに違いないということです。もし、私が研究を続けてこなかったら、大滝さんの音楽の凄さも本当はよくわからなかったであろう、と思う今日です。むしろ、自分の音楽は「パクリ」だと言った言葉に、軽蔑さえ抱いたかも知れません。
急逝された今、別にファンであったわけでもないのに、なぜか親しみを禁じ得ません。
今、「カナリア諸島にて」を聞いています。