百醜千拙草

何とかやっています

正直にブチまけてほしい (+追記)

2010-05-29 | Weblog
本日は休みですけど、先週の日米共同声明とその後の社民党党首福島氏の閣僚罷免という心の塞ぐニュースがあり、少し、書いておきたくなりました。結果的には鳩山氏の一連の普天間問題の扱いは「迷走」と言われても仕方が無い、と思います。やはり政治は(政治に限りませんけど)結果が全てですから、自分が口にした約束の結果を出せなかった、というのは大きなダメージです。私は、鳩山氏が保身のために平気でウソをついたり、主義を曲げたりするような人間には見えないし、これまでの自民党総裁のように国民を愚かな羊であるかのようにバカにしたarroganceというようなものを感じません。少なくとも小泉とかアホウ氏とかに比べたら百倍は誠実でマトモな人間だと思えます。しかし、この一連の鳩山氏の行動、とくに5月のはじめの訪沖以降の態度の豹変ぶりは感心しません。それも、芝居のうちだろうと、28日になるまで良いように解釈していましたが、紆余曲折の末、原案に逆戻りという結末になってしまい、それに対して納得のいく説明がありません。それがとてもマズいと思います。

結局、日米共同声明には「辺野古」「徳之島」が明記されてしまいました。地元の了解もなく、頭越しに実行不可能な計画の声明を出すということは、「合意」を確認することだけが目的であったということです。しかし、首相としては、声明を出すために、合意したふりをしているだけだと、国民に向かって言うわけにはいきません(アメリカも見ていますからね)。社民党とも仲違いし、正直、最悪の結果になってしまいました。期待のウルトラCもちゃぶ台返しもなし。唯一のプラスは社民党と沖縄の強い反対が、宣伝されたことぐらいでしょう。この件では鳩山氏は墓穴を自ら掘ったといわれても仕方ありません。参院選の結果次第ですけど、この調子では、民主党と鳩山内閣はこのままジリ貧となりかねません。

思うに、肉を断たせて骨を切る最後の起死回生の一手は、「正直にありのままをブチまける」ことしかないと思います。なぜ日本は未だにアメリカの植民地なのか、「密約」の中身とは何を含んでいるのか、なぜ辺野古に基地が必要なのか、正直に言うのです。もちろん、危険な話です。正直にブチまけようとすれば、鳩山氏の政治生命どころか本当の命もかなり危なくなるでしょう。これは過去の経世会系の政治家がどういう末路をたどったか思い出すだけでも十分予想されることです。しかし、自分で薮をつついてしまったのですから、本当に責任を取るつもりなら、命をかけて、国民の正直に全てを話す、それしかない、と私は思います。

フィリピンや韓国で、米軍基地が撤退、縮小してきたのは、民意の力です。鳩山氏一人の失脚や暗殺を画策することは易しいですが、国民の民意を押さえつけることはできません。なによりアメリカの(戦争の)大義名分は民主主義を守ることなのですから。日本国民全員がアメリカに出て行けという民意を示すなら、アメリカは出て行かざるを得ません。国民一人一人がアメリカからの独立を叫ぶことが、最も有効なのです。

政権交代し、アメリカからの独立を目指している鳩山氏(ともちろん小沢氏)が普天間問題に手をつけようとしました。この基地の問題が、これほどに根が深く、アメリカの日本支配とアメリカの極東軍事戦略の根本に直結する大問題であるということが、与党になって沖縄返還のウラにあった密約の中身を知るようになるまで、鳩山氏や社民党にはっきりと掌握できていなかったのではないか、という推測はある程度当たっているだろうと思います。福島党首は最後まで突っ張りました。もちろん、それが社民党のすべきことです。鳩山氏も罷免するのはやむを得ない選択でしょう。だから、この社民党の抵抗と福島氏の罷免は、鳩山氏が、「辺野古」と選択した時に決定していました。

福島氏の罷免を受けても、社民党は自ら連立離脱を選択するべきではありません。連立の中で、基地問題に反対の声を上げ、波風を立てていくことは、野党席からヤジるよりももっと効果的なこの問題の宣伝になると思うのです。国民全員が、基地問題を自分自身の問題として考えるようにならない限り、日本は永久に植民地です。

もう一度言いますが、今回、雨降って地を固める、普天間騒動の逆転の最後の一手は、鳩山氏、命を賭して「正直にありのままをブチまける」ことしかないと私は思うのです。それが国民を動かします。しかし、今の民主党のメンバーを見ていると、援護射撃も出そうになく、孤軍奮闘の感のある鳩山氏、自爆覚悟で正直にありのまま言ったところで、反対勢力にもみ消されて、犬死にとなりかねないような気もします。

小沢氏はどう考えているのでしょう。ここで逆転の一手を出せる可能性があるのは小沢氏しかいないのではないでしょうか。何か、すごい一手を出して、唸らせてもらいたい、そう思うのですけど。

このまま、事件が収束し、鳩山内閣はジリ貧となって終われば、政権交代は結局、ただの宣伝倒れ、アメリカの日本支配は当分続くことになるでしょう。国民の生活はより不安定になり、自殺者は増え、食い詰めた人は犯罪に走り、貧困層は難民化するかもしれません。そうなってから国民みんなの尻に火がついて、日本独立戦争が起きたところで、犠牲が大きくなるだけで効果は薄いと思います。

追記。
先ほど、社民党が連立離脱とのニュース。がっくり力が抜けました。これでは敵の思うつぼです。普天間問題で筋を通すのは必要です。しかし、普天間だけが連立の目的ではないのですから、ここで自らちゃぶ台をひっくり返しては、台無しです。社民党は参院選厳しくなりました。民主も同じ事です。
どの新聞の論調を読んでもわかることですけど、敵は連立与党の力を削ぎ、参院選で勝って連立与党の政治力を確立しようとする小沢氏を狙っているのですから、ここはじっとガマンして参院選にマイナスになるような戦略をとらないようにすべきであったのです。連立離脱して、社民党にプラスは殆どないでしょう。連立の離脱と、普天間問題で反対の立場を貫くというのは、別の問題である、と宣言すべきでした。参院選が厳しくなりました。恐れていた衆参ねじれも現実化してきました。小沢氏の時間は限られています。今回のチャンスをものにできなければ、日本がアメリカ独立を果たすことは当分できないでしょう。
もう遅いですけど、連立離脱のデメリットは社民が多少得るかもしれないメリットに比べて、余りに大きいと思わざるを得ません。
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敵を間違えるな

2010-05-28 | Weblog
普天間基地問題、まだくすぶっています。ネットの識者の間では、今回の「辺野古」という結論はやむを得なかった、交渉はこれからだ、とする意見がまだ多く見られます。つまり、ここで前から決まっていた計画をひっくり返そうとしては、14年のグアム移転へのロードマップの妨げとなる、グアム移転を確実にするためには、今、日米の合意をしておく必要があり、辺野古以外の選択肢を議論している時間はないのだ、という手続き上の優先順位でやむを得ないということです。また、米軍は有事に際して嘉手納基地が攻撃された場合のバックアップとして沖縄本土にもう一つ飛行場が必要だという理由から、普天間を閉鎖するなら別の飛行場が沖縄に造るように主張しています。これがすなわち、鳩山氏の言う「抑止力」ということのようです。抑止力となりうるのは嘉手納基地の空軍であって、普天間ではなく、その嘉手納の空軍の退路を絶たれるような攻撃に対処できるようにするために普天間(あるいは別の沖縄県内の空港)が必要だ、という理屈らしいです。
 しかし、いくらやむを得ない事情があったにせよ、今回、鳩山氏の「腹案」に大きな期待を寄せていた人は、肩すかしを喰わされたような気持ちになったのは間違いないでしょう。この一連の出来事を振り返れば、鳩山氏のやったことは、「愚か」であったかも知れません。マスコミにはさんざん叩かれた挙げ句に、「それみたことか」というような記事を書かれるし、民主党支持票も随分、失ったことでしょう。それでも、沖縄の当事者の人々にとってみれば、鳩山氏は旧自民党よりは「まし」だと思っているわけで、沖縄の声をずっと無視し続けた前政権に戻るぐらいなら、鳩山民主党になんとか踏ん張ってほしいと思っているようです。沖縄民主党県連代表、チャンプルーズのハイサイおじさん、喜納昌吉さんも26日の鳩山氏との会見の後、「総理はまだ、国外、県外を模索している」とTwitterで伝えています(http://www.miraisha.co.jp/okinawa-kina-shoukichi/)。
 とにかく、一番悪いのはマスコミです。連中は、沖縄の人の苦しみも何も理解しようとせず、それを単なる政権与党の攻撃のネタに使って、沖縄の基地問題を何とかしようと(少なくとも試みた)鳩山政権の脚を引っぱっています。鳩山氏を希望どおり退陣させたら、どう沖縄の基地問題、日米安保の問題を解決していけばよいのか、これまで自民党政権で、誰一人、基地問題に真面目に取り組んでこなかったのに、一体、誰が沖縄基地問題の解決に適任と考えているのか、教えてもらいたいものです。何一つ建設的なことはしないくせに、出る釘を打つことだけは得意で、日本を良くしようとしている人の足を引っぱることしかできないマスコミは本当に社会の害です。マスコミが本当に報道しなければならないことは、戦後65年を経た今日に、今なお、巨額の税金を使って外国の軍事基地を日本の国内に置いているという、極めて異常な事態についてです。長年の自民党政権で、日米安保が正当化されてきて、この異常な事態が異常に思えないという異常心理の日本人に、日米安保のウソと本音を知らしめることです。
 先の全国知事会で、鳩山氏は米軍基地受け入れの要請をしました。前向きな発現は大阪府知事のみとのこと。つまり、殆どの県が米軍には来てほしくないと思っているわけです。クサいものには蓋というか、見たくないものは見ないという態度です。多くの本土の国民が、日米安保の問題など考えたくもないと思っているのでしょう。知事にしても同じことで、この異常な事態を正すことよりも自らの県にとばっちりがこないことばかりを気にしているわけです。沖縄や一部の地域に米軍基地があるだけならば、自分たちにとっては、日米安保はないのと同じ、どうでもよいことだと思っているのかも知れません。しかし、巨額の税金が不必要に費やされ、戦後ずっと植民地状態に置かれているわけですから、本当の所は人ごとではありません。とりわけ経済成長が止まって30年、高齢化してく日本で、これまでのようにアメリカに気前よくショバ代か思いやりか知りませんけど、払っていく余裕はありません。私、この問題を解決していくためには、国民全員が日米安保、沖縄基地問題を自分の問題として捉えることしかないと思います。米軍基地を嫌でも目にするような場所で生活すれば、考えざるをえないと思うのです。「戦後65年経っても、日本はアメリカの植民地なのだ、ということを思い知らされること」から始める、そのために米軍基地を本土がもっと受け入れることは、マイナスよりもプラスの方がはるかに多いと思います。

ところで、田中良昭さんの「普天間問題は終わらない」(http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/05/post_220.html)という記事の中で次のような一節がありました。

誰から見ても「バカ」と思える行動を取るのは「本物のバカ」か、或いは「何か裏がある」かのどちらかである。「忠臣蔵」の大石内蔵助は周囲を呆れさせる「バカ」になって「討ち入り」を果たしたが、見抜かれないためには「本物のバカ」になりきらなければならない。政治家が信じられない行動をとる時は、「裏」を疑ってみる必要がある。

果たして、鳩山氏は、アメリカあるいは霞ヶ関に屈服させられたのか、14年のロードマップでのグアム移転を確実にするために、この場は、とりあえず負けたふりをしているのか、あるいは、最後に、ちゃぶ台をもう一度ひっくり返そうとするのか、その辺の「真意」がどこにあるのか、私にはまだちょっとわかりません。ただ鳩山氏が「本物のバカ」でないことは明らかだと思います。しかし、いつまでもバカになりきっていては、民主主義で国民に選ばれた総理としての役割は果たせません。とにかく、鳩山氏、誠実に、もっとよく説明しないといけません。なぜ辺野古なのか、抑止力とは何を意味しているのか、よくわかりません。民主主義国家を目指しているなら、国民に隠し立てしてはいけません。それは、国民を衆愚と見下しているのと同じことで、民主主義の精神に反すると私は思います。

最後に、私の心情と大変近いことを、「美味しんぼ」の作者の雁屋哲さんが、檄文(?)にしてブログで発表されています。日本の将来を憂う方に、是非ともご一読を乞いたいと思います。
「敵を間違えるな」
http://kariyatetsu.com/nikki/1240.php
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展望なき回帰に大逆転を望む

2010-05-25 | Weblog
先週末、クリントンと岡田外相との会見がありました。クリントンは例の韓国船撃沈事件で緊張を高める朝鮮半島の問題で中国と対話する必要があったためのアジア訪問ですが日本にも数時間立ち寄りました。その後、普天間移設を辺野古沿岸部にするという従来案に近い案で、日米実務者協議で日米が合意した、というニュースが一斉に流れました。マスコミは鳩山氏の非難の記事で埋め尽くされています。たとえば、日経では「首相、展望なき「回帰」 普天間、継続使用の懸念」というタイトルです。これはあたかも実務者協議の結論イコール首相の「腹案」とと見做しての記事です。それは違うのではないか、と私を含めネットでは多くの人が思ってきたのです。アメリカは、移設には地元の理解が必要であることをよく知っています。であるのに、日米実務者協議で「辺野古で合意」とはどういうことか、と不思議に思わずにおられません。自民党政権時代に辺野古と決めてから十年以上も一歩も計画が進まなかったのですから、またやっぱり「辺野古」と言ったところで同じことで、計画は進まないでしょう。ということは、いずれにせよ、普天間をすぐにでもどこかに移すか閉鎖しない限り、普天間の危険は当分除去されないということです。
 沖縄には首相が何度、足を運んだところで、地元の意見は覆らないでしょう。その地元の強い反対の反応を得る目的での沖縄行きとしか、私には思えません。首相の話に「何も具体的なことがない」のが、県内移設を真剣には考えていない証拠だと私は思ってきました。そして23日の沖縄訪問で、鳩山氏は「辺野古周辺」と移転先を口にしてしまいました。予想された通りの極めて強い知事と地元民の人々の反対を受けました。その知事との会談要旨を読んでも、鳩山氏の言葉がウソっぽく感じます。会見時の鳩山氏の表情は暗く目は宙を泳いでいました。また、次のような言葉は一体、何を意味しているのでしょうか。

首相 厳しいことは十分に理解している。県民の理解が少しでも深まるように最善を尽くしたい。「県外」という思い、できる限り訓練など(の移転)も県外に負担を求めるように積極的に行動してまいりたい。
知事 そうすると、「県外」というのは終わったのではなく、続けているのか。
首相 今、訓練の話などを中心に話したが、普天間に集中している負担が軽減されるよう最善の努力をしてまいりたい。米国との交渉ごとでこれから求めていく部分も多々出てくるが、努力してまいりたい。
知事 まだ全部終わりではないということか。
首相 これが終わりとは思っていない。

これは基地移設は辺野古で決定したが、訓練は県外で行うという交渉をする、と言っているのでしょうか。あるいは、基地移設も含めて、県外での交渉を継続すると言っているのでしょうか。

一説によると、辺野古は沖縄返還前に核兵器を収容していた兵器庫があり、それが、アメリカと自民党の間での強い辺野古移設の根拠になっていたのだそうです。佐藤栄作、口では「非核三原則」などと言っていましたが、ウラでは沖縄返還のための「密約」での取引、昨年は沖縄に核が持ち込まれていたことが判明しました。政治家は国民にウソをついてはいけません。その密約のおかげで、辺野古の核兵器庫のことを知らなかったであろう鳩山氏が、「よく勉強したら、抑止力の点で沖縄県外に基地を移設するのは問題がある」と言ったのは、多分、与党になってから初めて、辺野古の核兵器庫の事を知り、将来の日本の核武装化を考えて、辺野古に自衛隊と米軍が共用できる基地を作るのは悪くない、と思い返したからかも知れません。
 ところで、私、鳩山政権が進めている原子力開発に不穏なものを感じています。エネルギー問題に対処するためと言っていますが、あの危険な「もんじゅ」を十五年ぶりに再稼働させた真の目的は、高速増殖技術で核兵器用のプルトニウムを作ることなのではないのか、と勘ぐっています。「もんじゅ」の技術が原子力発電で実用化されるようになるのに四十年かかるといわれていますが、核兵器用の純度のプルトニウムの産出が目的ならすぐに可能なのです。鳩山氏が日本の国防に核を組み入れたいと考えていて、もしも、日本の将来の核武装のことを考えて「辺野古」と言ったのであれば、これは極めて愚かな自殺行為であると私は思います。この勘ぐりが当たっていないことを望むばかりです。

この辺野古案の表明に、連立を組む社民党は強く反発。「実現不可能」な計画を実行しようとすることは愚かだ、との当然の意見。私、だからこそ、ウラにまだ何かあると信じたいのです。鳩山氏の具体性がなく実現不可能な案、ウソっぽい理由付け、曖昧な言葉、これらを良い方にとれば、28日ぎりぎりまで、芝居を続けて、最後の最後に大逆転ウルトラCを出すという可能性はゼロではないのではないか、と私はまだ一縷の希望を繋いでいるのですけど。残念ながら、多くの鳩山民主政権を支持していた人々もこの普天間問題での首相の対応と経過を見て愛想を尽かしだしてます。ただ、池田香代子さん(http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/)や反戦な家づくりさん(http://sensouhantai.blog25.fc2.com/)のように、沖縄基地問題を心から心配している本土の人は、他に選択肢がないという理由でしょうか、鳩山政権をまだ見限っていないようで、私も心から鳩山氏が基地問題、ひいては日米同盟(安保)の問題を「密約無し」で解決していって貰いたいと願っています。

もし、28日に鳩山氏自身が結局「辺野古」という結論で、その根拠と計画推進の見通しをはっきり述べないようであれば、現政権のダメージと国民の政治不信は相当なものになるでしょう。鳩山氏、「腹案」についても説明すべきだし、なぜ辺野古という結論になったのかも正直に説明しないといけません。もし、勘ぐりどおり、将来の日本の核武装化を考えていて、そのために沖縄をまた利用してやろうと考えているのなら、私は許せません。
 もし、鳩山氏、自民党政権時の計画に戻り、沖縄を利用し続けようとすることが明らかになれば、私、日本の独立国としの未来はないと思います。そして、私は当分床屋政談は止めることにします。民主党の話は、結局ただのリップサービスで中身は自民党と同じ、と国民に思われるようなら、政権交代はマイナス効果しかなかったことになります。
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日々是好日

2010-05-21 | Weblog
結局、数週間前に投稿した論文は一人のレビューアが妙に厳しい態度で、よもやのrejectを喰らってしまい、予想外の展開となりました。その後、別の二つのJournalのEditorにも意見を聞いてみたのですけど、「内容には興味はあるが、はっきりしたメカニズムがないと、レビューアがうんと言わないだろう」と言われ、(ま、予想していましたが)結局、仕切り直しとなりました。 その間、同じマウスを作った競合者からの論文はオンラインで出版されました。悪口言うのもナンですけど、その論文、ちょっと感心しません。初歩的な解析ミスでのデータの誤りもありますし、また、いわゆる「メカニズム」のところは、とても怪しいです(同じマウスの同じような実験データを私も持っているので)。それにしても、こういう一流紙の「メカニズム」重視主義が、怪しいデータや無理な解釈の温床になっているのだと私は思います。 現在の解析技術には限界が多く、なかなか「本当の」メカニズムがわかることはありません。それで良心的で注意深い研究者ほど論文が出ず、Sloppyな研究者ほど(ストーリーにあうようにデータを都合良く解釈するので)簡単に「ウソ」のメカニズムに行き着いて、一流紙に論文が載るというおかしなことになるのです。この辺のメカニズム中心主義は益よりも害の方が多いのではないかと私は思います。負け惜しみに聞こえそうですけど、私は、この論文に関してはメカニズムのネガティブデータを積み重ねるというストラテジーで投稿を目指すつもりにしています。
それで、論文のrejectionなど日常茶飯事ではあるのですけど、こういう仕事が増える上に多少プライドも傷つき、レビューアーの心ないコメントに憤る、という事件は、余りうれしくありません。しかし、結果を変えることはできません。過ぎ去った過去と未だ来らぬ未来のことを悔やんだり心配しないように、一生懸命楽しくやることにします。

十世紀の雲門は、弟子に問いました。
「十五日という今日以前については問わない。十五日という今日以後について言ってみよ」
一月が三十日として、十五日はその真ん中です。十五日とは、時間というものを一ヶ月という限定した長さに見立てた場合に、過去と未来を分つ分水嶺であるという喩えです。即ち十五日という今日は、過去でもなく未来でもない時間無き絶対線であるということです。十五日以前の過去は過ぎ去ったものの抽象として記憶の中に存在するだけですが、十五日以後、即ち、現在以降は「絶対的現在」の継続があるだけです。(未来というものが現実にやってくることはありえません)
雲門のこの問いは、その絶対的現在をいうものを、お前たちは、どう理解しているのか示してみよ、ということです。

誰も答える者がいなかったので、雲門自身は自ら答えて言いました。
「日々是好日」

私も、そういう気持ちで、今日も一日、やりたいと思います。

さて、キナ臭い日本の政治の話。今週の進展は、なんと言っても、テレビ「ニュースの深層」での平野貞夫元参議院議員の爆弾発言。昨年の西松事件での小沢氏事務所の強制捜査と秘書の逮捕は、当時の自民党政権の森英介法相の指示による「指揮権発動」であった、と暴露。大手マスコミは、この重大な暴露にも関わらず、例によって「知らないふり」を決め込んでいます。当時、衆院選前を狙っての秘書逮捕劇に、誰もが政治的意図を感じたものですが、これでそれが裏付けられました。汚いぞ、自民党!検察の裏金作りの告発直前に、口封じ目的で逮捕、「不動産の登記を新住所で行った」という罪(?)で実刑判決を受けた元大阪地検三井さんが言うように、検察が裏金の隠蔽と人事問題で当時の小泉内閣に「借り」を作ってしまい、検察が自民党に使われた結果の暴走劇なのでしょう。本当に、この国の権力は腐っていたのですね。
 一方、検察は小沢氏不起訴の方針。さて、あの「怪しい」検察審査会は再び開かれるのか、開かれて再び「起訴相当」となって、小沢氏強制起訴となり、検察のデタラメが白日のもとに晒されるのでしょうか。

追記。
ちょっともう一つ、言いたいことを付け足します。以前に誰か前にも言っていたと思うのですけど、大手新聞やテレビが「不起訴処分」という言葉を平気で使うのが、私も許せません。不起訴は「処分」ではないのです。この言葉遣いに、私はマスコミの世論誘導の「悪意」を強く感じます。「有罪の証拠がないので不起訴処分にする」と言われたら、うっかり聞くとまるで「本当はクロなのだけど見逃すことにした」みたいに聞こえます。身にやましいことがないと思っている一般の人で、この言葉を面と向かって言われて、腹の立たない人はいないのでは無いでしょうか。現代社会では、「有罪といえない」ことを「無罪」と呼ぶのだ、ということが一般に十分理解されているようには私は思えません。「不起訴処分」という言葉を平気で使う国語力と倫理と法律知識に問題のあるマスコミは、自分たちこそが有罪で「処分」に価することを自覚すべきでしょう。今回、私は、マスコミに対しては、とりあえず「放置処分」に処しますが、強く反省を求めたいと思います。
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追いつめられた検察

2010-05-18 | Weblog
小沢氏、秘書の政治資金規正法違反で共謀の疑いの問題、検察が不起訴にした後、正体不明のナゾの市民団体の告発をうけて、(またまた構成人員が匿名化されている「一般市民」からなる)検察審査会が開かれ、驚異の全員一致で「起訴相当」の決定が出、それを受け検察が再捜査を開始、先日、事情聴取を受けたとのこと。
 思い出せば、思い出すほど、ムナクソの悪い話ですけど、今後、この件がどうなるのか、「一番、困っているのは検察だろう」という識者の読みはその通りでしょう。
 そもそもの罪状は、小沢氏の秘書が小沢氏の政治団体の取得した土地の代金の支払日と土地に取得日が2ヶ月ずれて報告したという「罪?」です。土地登記のプロによると、この場合は、土地は農地を宅地として登記する必要があり、その手続きなどで、代金支払い日と登記日がずれることは当たり前のことで、これは罪でさえないそうです。また、何らかの意図をもって、報告書の数字を2ヶ月ずらしたという「犯意」がないのであれば、刑法では「処罰」の対象になりません。検察は、この秘書が「何らかの意図をもって、わざと2ヶ月分、報告書をずらしたのだ」と強弁し、それが小沢氏との共謀であって、小沢氏も犯意を共有しているという、まずあり得ないおとぎ話を語ることで、自らの失敗を隠そうとしたわけです。そのために秘書を起訴せざるを得なかったのです。検察の失敗とは、去年から複数回行われた別件の強制捜査で、不法献金あるいは脱税の証拠を見つけようとしてできなかった(そもそも野党であった小沢氏に不法献金をするという前提に無理があります)ということです。昨年の衆議院選、今年の参院選の時期に合わせて、捜査を入れたというところには、政治的意図があったのは間違いないでしょう。メディアもさんざんその無理筋の捜査を正当化しようと煽りました。思うに「小沢氏ぐらいの政治家であれば、汚いことをやっていないはずがない、叩いてホコリが出ないはずがない」という思い込みがあったのでしょう。とにかく、微罪でも何でもよいから、別件で強制捜査を入れて、叩いてホコリを出して、証拠を押さえれば、全てが正当化できるはずだ、と甘い読みで突っ走ったのだと思います。結果、大山鳴動して鼠一匹という結果となり、本来なら、この大失態で検察特捜は自己批判して責任者は辞職するのが筋です。にもかかわらず、これだけの大捜査をして「見込み捜査で、間違えました、すみません」と言えない連中は、なんとか、秘書を起訴して失敗を隠して体面を保とうとしたわけです。スケープゴートにされた秘書の人は気の毒としかいいようがありません。秘書の起訴でさえ、体面を保つための無理筋で、検察もさすがに有罪になるわけがないことも知っていますけど、とりあえず体面さえ保てたら、人の噂も七十五日で、その内、人も忘れてくれるだろうとタカをくくっていたのでしょうが、ナゾの市民団体(暴力団系右翼団体といわれています)が告発して、検察審査会が開かれ、刀のおさめどころを失いました。検察審査会が起訴相当を出した以上、検察は再捜査をする義務があります。しかし、一年以上にもわたって、隅から隅まで探した挙げ句に何も見つからなかったわけで、いまさら再捜査しても何が見つかる訳でもありません。仕方が無いので、小沢氏を再聴取して形だけでも捜査したことにしよう、というのが先日の聴取でした。
 今後検察はどうするのか、追いつめられています。二つのシナリオがあると思います。一つは、ここで小沢氏を起訴することです。もしも、ここで不起訴という(当然の)決断をした場合、おそらく、検察審査会が再び開かれることになるでしょう。前回は全員一致で起訴相当でした。もしも二回目も検察審査会が起訴相当を出した場合、小沢氏は強制起訴されることになります。ここで強制起訴となった場合に、困るのは検察だと思います。というのは、強制起訴の場合、捜査資料を弁護士に渡して、弁護士が検察の代わりに裁判を行うことになるからです。検察は手の内に何も持っていないのです。報告書の記載をわざとずらして書いたこと(そもそも秘書も犯意は否定しており、犯罪でさえないのです)に対する小沢氏の関与を示唆する証拠は何もありません。捜査資料を弁護士が見た瞬間、ただの言いがかりで、検察の体面をたてるために、秘書をむりやり起訴したことが、ばれてしまい、公判維持不可能となります(検察がその弁護士を抱き込まない限り)。検察はだから強制起訴は避けたいと思っているはずで、その危険をさけるには、検察が自ら起訴するしかない、と思っているでしょう。もちろん起訴しても常識で考えれば小沢氏が有罪になるわけがありません。しかし、なんとか言いがかりで公判を少しでも維持できれば、 誤摩化せるのではないか、と判断する可能性があります。一方、この筋書きは彼らにとって危険でもあります。裁判官が検察の起訴内容を聞いて、即日、「ナンセンス!」と起訴を棄却してしまえば、検察のダメージは大きいでしょう。裁判官を抱き込む勝算がどれだけあるか、その辺を画策しているのかも知れません。この自爆劇を少しでも引き延ばすために、不起訴にするというのが、二つ目のシナリオで、一年延々と捜査をやってシロという結論を出した以上、検察もここで「起訴」としたのでは、かえって不信を招く(とっくの昔に招いていますけど)と、最低限のプライドを持って、不起訴を貫く可能性があります。それを受けて、もし仮に二度目の検察審査会が開かれた場合でも、必ずしも、起訴相当を出してくるとは限らないわけです。審査会では(検察の息のかかった?)弁護士が補助することになっていますから、二度目は、審査員の素人衆の意見を今度はうまく逆の方向に誘導できると思っているかも知れません。とすると、不起訴にして、検察審査会で強制起訴の結論が出ないようになんとか操作を試みるというのが彼らの希望なのではないでしょうか。
 私の予想では、検察は二つ目のシナリオをとるだろうと思います。今回も不起訴を決め、何とか、検察審査会の意見を誘導して、不起訴のままで事件の幕引きを図りたいと思っているだろうと想像します。

ところで、16日には8年前に放送される筈だった検察の裏金作りの告発番組が、 捜査で口封じ逮捕された元大阪地検三井環氏の刑期満了を受けて、放送された由。年間5億以上の税金を調査費という名目で、私的に流用してきた大阪地検を実名での内部告発を決断した三井氏が、告発のテレビ番組収録の当日の3時間前に、同僚の大阪地検特捜によって逮捕、でっちあげ裁判で不当に重い実刑判決となり収監されたのが8年前でした。マスコミは例によって三井氏をあたかも極悪人かのように報道し、巨悪を告発しようとした告発者の方を潰しました。この事件以後、大阪地検の調査費は、一挙に1/5以下に激減。しかし、偽造領収書などの物的証拠は残っています。以前にも、検察のけもの道で三井氏の話に触れましたけど、どうも検察は検察人事のことで、小泉政権に借りを作ってしまい、以後、自民党(というか小泉とその秘書)に政治的に利用されてきたらしいです。結局、そうした自らの罪を自分で断罪して自浄していくという機能が欠如しているためにに、検察は悪事に悪事を積み重ね、どうにもならない所まで来てしまったとうことのようです。彼らもマスコミも自浄作用というものがありません。過ちは小さなうちに正しておかないと、後で大きなツケを払うことになります。検察はおそらく、構造改革、特捜部の廃止の方向に向かうでしょう。マスコミは新聞が売れなくなって倒産していくことになるでしょう。
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読めぬ真意(2)

2010-05-14 | Weblog

鳩山氏の腹案は、必ずしも海外ではないという話を小耳に挟みました。グアム、テニアンを考慮に入れてアメリカと交渉するのだろうと思っていたのですけど、その沖縄県外、国内の腹案とは、「自衛隊基地を米軍に解放する」という手なのだということでした。この案だと、基本的に基地の新設はなし、普天間の米軍も日本に留まることになって、とりあえずメンツは立つ(オバマは中間選挙前で、日本に対して弱腰をみせたくないらしいです)ということです。普天間の米軍は抵抗するでしょうけど、これは最も経済的で妥当な落としどころのような気がします。

本来、米軍にとって絶対的に必要でもない普天間が存在している理由は、米軍内部の縄張り争いなのだそうです。当初、岡田外相らが言っていた嘉手納基地への併合案というのは、合理的な案ではあるのですけど、嘉手納と普天間の間での米軍内の争いのために困難とのこと。ですので、その観点からは普天間の米軍を国内のどこかに移すというだけで、彼らの感情的な抵抗にあうことは予想されます。ならば、テニアンに新しく快適な基地を作るというのは、彼らにとってはおそらくベストに見えると思います。多分、既存の自衛隊基地に居候する形は彼らは喜ばないでしょう。

一方、ホワイトハウスはテニアンを含む北マリアナ州の知事を今月16日に招聘した様子。在日米軍のグアム移転への向けて、第一段階となるかも知れない普天間のテニアン移転の実現性について議論する予定のようです。アメリカ国防省の官僚組織の頭越しに、ホワイトハウスが、直接在日米軍と極東軍事戦略の問題へと乗り出したということでしょう。松田光世氏のツイッター情報のまた聞きでは、今月の日米実務者会議で、オバマ政権が日本に要求したいことは、グアム移転への費用の日本の負担増と緊急派遣部隊(米国人救出のため)の日本駐留なのだそうです。そのアメリカ側の要求をふまえての鳩山氏の驚きの「腹案」は、日本の自衛隊基地の米軍への解放というウルトラCなのだ、という筋です。週刊ポストは、より限定的に九州の自衛隊基地(宮崎の新田原基地、鹿児島県の鹿屋基地があげられています)に海兵隊を分散させ、ローテーションで沖縄に駐留させるという「総理試案の概要」という文書を手に入れたと報じています。果たして、その真偽のほどはどうでしょうか。

テニアンへの移行は沖縄住人側からベストでしょうけど、日本の立場からは、金がかかること、加えて、抑止力がどうとか、安全保障がどうとか、反鳩山派に攻撃の口実を与えることになります。テニアン移行は、アメリカ側からは、中間選挙を控えたオバマが「日本の基地を手放す」というニュースを嫌う可能性があり、加えて、金の問題を含む複数の問題をクリアしないといけないという障害が予想されます。一方、自衛隊基地の米軍への開放は、もっとも経済的で、沖縄県外という約束も守られますし、移動もおそらく簡単、アメリカ側にしてもメンツが保たれる、というワケです。この話が進めばサックリ五月末の普天間決着はとりあえず図られます。アメリカ側、日本側、沖縄側の三者にとって、ベストではなくても妥協できる線だと思います。もちろん、基地利権に関わっている日米の連中は気に入らないでしょう。もう一つ難があるとしたら普天間にいる米軍のエゴでしょうか。

しかし、これが本当の「腹案」だとすると、どうしてこの案がもっと早くに人の知るところにならなかったのか、と不思議に思います。あるいは、現実にはこの案には無理があるのかも知れません。ただし、交渉のカードにはなるでしょう。これが実現性のある話なら「腹案」と見栄を切っただけのことはあります。ただ、先日、マリアナ州知事とグアムの知事が鳩山氏に面会を求めたのにも関わらず、官邸側が拒否したとのニュースもあり、その辺のことが何を意味しているのか、ちょっと不安が残ります。鳩山氏は面会を希望していたらしいですけど、この面会が行われなかったのはどういう理由なのでしょうか。16日のマリアナ州知事のホワイトハウス訪問より前に、日本の首相が会うというのは確かにtrickyではありますから、控えたということなのでしょうか。

いずれにせよ、ホワイトハウスが直接動き出したということは、少なくともオバマ政権は、政権交代によって普天間問題に代表される日米安保が重要な外交上の問題になったと認識していることが伺えますし、彼らも真剣に落としどころを探るつもりになっていると想像されます。そうなら、沖縄基地問題とそれに続く日米安保、軍事同盟の問題は意外に急速に解決に向かって進む可能性もあると思います。

五月もあと二週間あまりとなりました。鳩山氏には最高の見せ場を演出してもらって、マスコミどもがアタフタするところを見たいものです。そう願ってはいるのですけど、本当のところ、鳩山氏は何を考えているのでしょうか。宇宙人の心は推し難いです。

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NO NUKES!

2010-05-11 | Weblog

高速増殖という極めて危険といわれている技術を使う原子力発電所のもんじゅが前回の放射線漏れ事故から運転停止15年を経て運転再開が決まった矢先に、早くも放射線検出器が作動して警報がなった、というニュース。日本経済新聞の記事を読む限り、警報は6日深夜から7日正午ごろまでにかけて(半日以上も断続的に)鳴り続けたことを報じています。経済産業省の原子力安全保安員も「まだ詳細は分からないが、検出器の故障」と推定したとのこと。原子力機構からの福井県への連絡は、なんと警報が鳴りだしてから12時間も経ってからとのこと。先が思いやられます。詳細は分からないのに検出器の故障と推定した、というところで、もうすでに危険度満載です。つまり、検出器がどうも3台あって、2台は異常がなかった、だから、(鳴っていた警報と繋がっていた)検出器を止めたのだそうです。この話は、車を運転していたら異音が聞こえてきたので、ラジオのボリュームを上げたという笑い話を思い出させます。事情がこれ以上書いていないので、分からないのですけど、この書き方だと、検出器は同じ場所に3台並べてつけてないと、こういう理屈にはならないと思うのです。(普通そんなことはしないでしょうけど)仮に、検出器が三つ並べてつけてあって、一台だけで警報が鳴っていたという状況だとして、この一台が故障しているという結論にはどういう理屈で至ったのでしょうか。警報の鳴った検出器が故障していて、鳴らなかった方が故障していない、ということがなぜ分かるでしょう。多数決ですかね。鳴らないことをもって故障していないと結論するのなら、最初から警報をつけている意味がないのではないのではないでしょうか。15年前のもんじゅの事故の際も、あまりに警報がうるさいので止めたところ、別の事故の発見が遅れて事故が拡大したのだそうです。警報は狼少年だとでも思っているのでしょうか。また、放射線漏れがない、という結論は、どういう証拠に基づいているのでしょう。だいたいそもそも運転開始直後から検出器が故障しているという時点でもうダメでしょう。一事が万事です。きっと、既に放射能も漏れていると覚悟しておいた方がよいと思います。

どうして、こんな危険なものを扱っている癖に、「検出器が故障していると推定詳細はわからないけど、運転は継続する」というような、都合の良い解釈と判断をするのでしょうか。こういう事故は推定有罪で臨まねばならないと思います。事故が起こってしまってからでは遅いのです。そのために警報があるのではないですか。一体、施設の安全規定はどういう条項になっているのでしょうか。検出器は3台あるから、警報がなったら多数決で決めればよい、とでも書いてあるのですか。

結局、15年も休止状態にあって老朽化しつつある上に、活断層の上に建っているような原子炉で、しかも極めて危険な技術を使い、原爆に使える純度のプルトニウムを年間、数十キログラムも産生するようなものの運転再開をするということは、純粋に発電目的とは思えません。(現在は試験段階で、実用化にあと40年かかるという話で、その間、年間100億という維持費がかかるそうです。事業仕分けで不必要と判断されたという話もききました。それだけで、「エネルギー資源に乏しい我が国で、原発の開発は重要、云々、、」という文科省大臣の言葉は詭弁に過ぎないと思います。使い物になるのに後40年かかるのなら、その間に日本の人口はどんどん減って、それほどエネルギーも要らなくなるのではないでしょうか。40年なくて済ませれるなら、あと数百年ぐらい、あるいは永久に無しですませられるのではないかと思います)

もんじゅでは、近いうちに大事故がおきる、おきない筈がないと思います。そうなってから、失われたものは金では買えないことをまた思い知らされることになるのです。

また、今に始まったことではないですけど、この新聞の報道の仕方をみても、マスコミの劣化は目を覆うばかりです。極めて危険な原子炉で、過去に放射線漏れ事故をおこし、そして事故情報を隠蔽しようとし、その事件を、動燃の総務部長の自殺(に見せかけた殺人らしいです)で幕引きしようとした、という前科があるもんじゅです。それが15年ぶりに運転再開した矢先に警報が鳴ったのに、報告は警報が鳴ってから半日以上も経ってからで、しかも、検出器の故障だろうと推定して、子炉ではなく検出器の方を止めた、ということです。これを聞いて「危ない」と思わない人はいるのでしょうか。関係者にはセツメイセキニンを果たしてもらわなければなりません。

更に翌日8日には、冷却ナトリウムの温度が制御領域を超えて250度以上に達し、警報が鳴ったとのこと。これも「一時的」だから大丈夫と判断したらしいです。一時的なら大丈夫と判断してよいと作業規定に明記してあるのですかね。核の連鎖反応は一時的に臨界閾値を越えたら後は自動的に反応が進行してしまって止めようが無い類のものではないのでしょうか。この調子だと、毎日毎日、何か不都合が起き続けて、その都度、適当な言い訳でごまかしているうちに、取り返しのつかない事故が起こりそうな気がします。

そう言っていたら、9日には別の検出器で異常(本当に事故ではなく、検出器の故障なのでしょうね!)が見つかり、更に、排水処理設備の警報と冷却系タンクから出るガスの温度低下を示す警報が鳴ったとのこと。マスコミと原子力機構は相変わらず、「安全性に問題はない」と言い続けています。その結論は何に基づいているのか。説明してもらえないと、彼らは平気でウソついて反省することがないという連中ですから、国民は信じられません。

この際、新聞には、「もんじゅ、今日の警報」の欄を設けてもらって、天気予報の隣にでも載せたらどうでしょうかね。毎日毎日、警報が鳴って、それでも「安全性には問題はありません」という文句を聞かされていたら、さすがに興味のない人でも「おかしい」と思うようになるでしょう。

追記。翌10日には、制御棒挿入操作の人為的ミスが起こったとのこと。また、ニュースのよると、

6日に約14年ぶりに試験運転を再開して以来、運転管理情報に分類すべき軽微な警報でも随時公表してきたが(注、これはウソ、随時ではない)、かえって重大な警報との区別が付きにくくなるため、今後、直ちに公表するのは故障やトラブルに限定すると発表した。

本来、軽微か軽微でないかも含めて情報公開すべきものなのに、今後は、公表する情報にセンサーを入れると言っているわけです。これは極めて危険な思想であると思います。マスコミはこれについても、全く何の突っ込みも入れずに放置。警報がビービー毎日鳴っていても、これは軽微だから問題ない、と言われて信じていたら、取り返しのつかない大事故だった、というシナリオが目に見えます。その時になってからでは遅いと思います。

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読めぬ真意

2010-05-07 | Weblog
5月4日に鳩山氏、沖縄訪問。そのぶら下がりの記事での発言を読む限り、私には真意がまだ良くわかりません。三味線を弾いているのか、あるいは本音なのか。本音とすると沖縄と徳之島に普天間を分散するというしばらく前から言われている政府案を推すということでしょうが、それはどう考えてもあり得ない、というか、それでは一歩も先に進まないだろうと思うのです。「前政権は十年前にキャンプシュワブ埋め立てで合意しておきながら、辺野古の海に杭一本打てなかったではないか」と先の党首会談で逆襲した鳩山氏です、辺野古と徳之島という二つの地域に分ければ、計画が進むと思っているとはとても思えません。
私も含めネットの人々の多くは、これは、沖縄に出向いていって、「政府案」を提案しておおっぴらに反対されるというセレモニーを行うためにやるのだと思っていました。そのために五月のぎりぎりまで政府案を明らかにせず、沖縄訪問をわざと遅らせたのだ、という読みです。しかし、この会見の首相の言葉を聞くと、ひょっとして、徳之島、辺野古の併用案という「あり得ない選択」を本気で考えているのではないのかという不安を抱かずにはいられませんでした。本当はどうなのでしょうか。 鳩山氏、育ちが良くて、よくも悪くも善良そうなところがつい出てしまうようなところがあって、政治家として虚実使い分けての駆け引きが苦手なのではないかという私の偏見が、より不安をかきたてます。沖縄での言葉はどこまで本気なのか、芝居だとすると余りに真に迫りすぎているように思います。しかし、清濁相交わる政治の世界で長年暮らして来て、首相になった人ですから、敵のマスコミが言質を引き出してネガティブキャンペーンに利用するための会見で、本音をサラサラさらけ出すことはあり得ないでしょうし、育ちが良くて善良そうなのも、きっと芝居の内なのだろうと考えたいです。 
ニュースでは、 
首相はまず、沖縄県庁で仲井真知事と会談。「県外移設の実現を期待する声が高まっている。普天間飛行場の危険性の除去と、沖縄県の基地負担の軽減に取り組んでいただきたい」との知事の要請に対し、「現実に日米の同盟関係、近隣諸国との関係を考えた時に、抑止力という観点から(国外移設は)難しいという思いになった」と説明。  さらに「(普天間の機能の)すべてを県外にというのは現実問題として難しい。沖縄のみなさんにもまた、負担をお願いしないとならない」と県内移設に理解を求めた。そして、 「徳之島の皆様にも、普天間の移設に関してご協力願えないかという思いだ」と述べ、沖縄県内とともに徳之島を移設先として検討していることを初めて公に認めた。 しかし、 仲井真知事は首相との会談後、「私は(県内移設を)打診されたとは思っていない」との認識を記者団に表明。
 とあります。
この知事の認識はどういうことなのでしょうか。「普天間の機能のすべてを県外に移すのが難しく、沖縄の皆さんにまた、負担をお願いしないとならない」という言葉が県内移設を指すのではないとしたら、何を指しているのでしょうか 。あるいは、知事は、隠された鳩山氏の「腹案」に気づいたのでしょうか。また、日刊スポーツの記事での沖縄県民との対話の様子は次のように書かれています。 
だが、その一方で「最終的な政府の決定はされていない」と、あいまいな言葉もあり、女子高生の喜屋武誉(きゃん・ほまれ)さん(16)に「首相の姿 勢に具体的なものは何もない」と突き放された。終了後、国政(くにまさ)美恵さん(55)が首相に歩み寄り、SPに阻止される場面もあったが、メモ用紙に 「県内移設は認めない」という趣旨の手紙を書き渡し「信じていいか」と聞くと、首相はなぜかうなずいたという。  県外移設からの180度転換。7日には、一部移設を目指す鹿児島県徳之島の3町長と会談するが、こちらも拒否の見通し。1人迷走する鳩山首相だ が、「5月末までの決着を目指す考えに変わりない」と明言した。意地か、開き直りか。窮地に陥ってもまた1つ、自分でハードルを上げた。 
「県内移設は認めない」という言葉に首相はうなずいたのなら、やはり「腹案」は国外ということなのではないか、と私は思いたいです。もしも、言葉通り、県内県外の分散移転が「腹案」だったのなら、鳩山氏には大失望です。そんなものを大層に「腹案」とは呼ばないでしょう。「最終的な政府の決定はまだされていない」という言葉が、おそらく、沖縄、徳之島での住民の大反対を根拠にして、一気に国外の線で政府案をまとめようという作戦なのではないか、と希望を持たせてくれるのですけど、どうでしょうか。
 一方、共産党の市田書記局長は、先の憲法集会で正論をどうどうと述べています(赤旗:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-04/2010050404_01_1.html)。この辺が野党の強みとも言えます。 普天間問題は日米安保(日米同盟)の問題であり、基地が危険であるとか危険でないとかいうようなレベルの話ではないという(大手マスコミが報道しない)正論です。しかも、日米安保は自民党時代にコッソリ日米(軍事)同盟という、明らかに憲法違反の条約へと変化させられていたのです。即ち、日本に米軍基地があるのは、日本の安全保障のためであるという大義名分でさえ、既に書き換えられており、今や、「日本の米軍基地はアメリカの世界軍事戦略のためであり、日本はそれに協力する」という多くの国民がおそらくよく知らないような内容に変化しています。つまり、日本の米軍基地は、日本や日本人のためにあるのではなく、アメリカ国外にいるアメリカ人の安全を保証し、アメリカ軍の任務遂行のために存在しているということです。それに日本国民の巨額の税金が費やされ、沖縄県民が多大な犠牲を強いられているという理不尽な話です。
鳩山さん、おそらく、徳之島の町長たちとの会見のあとに、本音を出してくるのだろうと期待しているのですけど、どうでしょうか。この問題の核心は、アメリカのグアム移転にどれだけ日本が金を出せるか、ということです。金を積めばアメリカはサクサクとグアムに行くのは間違いありません。問題は如何にその60億ドルといわれる金に上積みすることなく、普天間ごと、グアムに引き取ってもらえるかということです。普天間は日本に数多くある米軍基地の一つにしか過ぎません。この基地がなくなったところで、米軍の機能にはほとんど何の支障もないというのが現実です。にも関わらず、自民党が基地移転を画策してきたのは、基地利権による一部の人間の利益のためです。辺野古に新しい基地を作るという話は、日本の方からそういってくれるのなら、アメリカとしても乗らない手はない、という調子だったのでしょう。そのツケを沖縄に人々がずっと被って来たのを見て、鳩山氏は、長年、官僚の言うままに自民党が沖縄に押し付けて来た理不尽な問題をひっくり返そうとしたわけです。アメリカは、折角のおいしい話を反故にしようとする鳩山氏からどれだけの「違約金」が取れるかという算盤をはじいているでしょう。もし、国外で交渉(即ち、普天間の閉鎖とその後の米軍基地の撤去)をやる気なのであれば、これは相当に困難であることは予想されます。鳩山氏がそこまで覚悟を決めて、汚れ役をやっているのだとしたら、鳩山氏のとれる手段は、思うに、「土下座作戦」しかないのではないかと想像するのです。無い袖は振れないわけですし。沖縄での反対、徳之島の大反対を誘導して、「基地の移転先は見つかりません、お金もありません、申し訳ありませんけど、とりあえず普天間は閉鎖してもらって、ついでに違約金はなしで、グアムに行って戴けませんか」とひたすら低姿勢で交渉し、脅しには、ひたすら頭を下げて聞こえないふりをする、そういう屈辱的な交渉法しか残っていないのではないか、そんな気がします。 しかし、今回の鳩山氏の抑止力がどうとかというナンセンスな言い訳を聞いていると、芝居ではなく、あるいは、本当に脅されて心変わりしたのかという疑いも残ります。 成り行きを見守るしかないのですけど、沖縄で述べたことが本当に鳩山氏の本音で「腹案」なのだとしたら、私にとっては、政権交代はとんだ茶番だったということという結論になりかねません。きっと民主党を支持している人々もこの普天間問題で、鳩山氏が国外を主張できないということになれば、鳩山政権はアメリカに懐柔された、つまり、自民党に成り下がったと解釈するでしょう。となると、自民党が壊滅状態の現在、一気に国民の政治不信が進むでしょう。そう流れれば、日本が独立した民主主義国家になることは当分起こりません。そして、アメリカの国力が落ちれば、今度は日本は中国の属国にでもされることでしょう。そんなことがわからぬ鳩山氏でも小沢氏でもないはずです。沖縄米軍が抑止力になっているなどというようなマヌケた言い訳を鳩山氏が口にしたということの解釈は二つあると思います。彼らがアメリカ側に寝返ったか、あるいは、アメリカとの交渉にむけて三文芝居を続けているか、です。
今は、徳之島訪問後に大逆転劇があることを信じたいと思います。
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民主化を阻むもの、エネルギー問題

2010-05-04 | Weblog
Time紙の世界で最も影響力のある人々に鳩山氏が選ばれたという話。一般投票も同時に行われていたようで、一般投票での鳩山氏の紹介は、---ニックネームが宇宙人、未だに(地上での)居場所を発見できていない様子である。長年続いた自民党政権を倒した日本民主党党首で、スタンフォード出のエンジニアで、大金持ち。しかし、政権交代後半年での政府の支持率は急降下している---と表面的。この紹介を書いたTime紙の記者は、なぜ鳩山氏が最も影響力のある人々の一人に選ばれたのかについても本文同様に書いてほしいと思いました。(一方、リーダー部門での正式な紹介では、長年続いた自民党一党政治に終止符を打った、と書いてあります)残念なことに、多くの日本人も、なぜ鳩山氏が選ばれたのかということ、即ち、政権交代の歴史的意義を理解している人はそう多くないのだろうと思います。それは、日本の異常なマスコミの捏造、偏向報道にもよるでしょうし、長年の官僚政治で政治に対する無関心にもよるでしょう。派閥間権力争いでしょっちゅう首相がコロコロ変わっても、別段、何も目に見えた影響を感じたことがなかった人々にとっては、鳩山氏に 変わっても生活が目に見えて改善しないなら、また別のに変えれば良いぐらいに思っているのかも知れません。政権交代で小沢氏がやろうとしていることは日本の民主主義の確立とアメリカからの独立であると思います。自民党政権中はアメリカの日本支配体制を保って来た官僚システムとその官僚に良いように使われる政治家によって、国民もよく知らない間に裏金作りで私腹を肥やしたり、アメリカに上納してキックバックを貰ったりという、官僚を中心とする特権者によって国民が搾取されてきたわけです。その主権を国民に取り戻す唯一の平和的(?)手段は、政権交代を通じて、複数の大政党制を確立し、定期的に政権交代を繰り返すことによって、政官財(プラス米)の癒着を防ぐということだと私も思います。ならば、ごく一時期を除いて過去50年間、55年体制を維持して来た自民党政権がついに倒されて、交代した与党代表の鳩山氏が首相になったということが、いかに歴史的に意義のあることであり、この政権交代によって、官僚政治、アメリカ支配の終焉を成し遂げることが如何に今後の日本と日本国民にとって重要かということが、本当なら、もっと一般に喧伝されるべきなのです。それを潰そうと必死になってマスコミや国家権力を利用して、現政権を攻撃してくる卑怯な連中に負けるわけにはいきません。なぜなら、これは日本の独立戦争だからです。安易に与党政権を「市民感覚」で批判する人々は、その辺のことを理解しているのでしょうか。
 最近、野中氏が、自民党政権の官房長官時代に、官房機密費を政治評論家などに付け届けしていたという話を暴露しました。本来、公平な立場で、情報を提供すべきマスコミの政治評論家が「毒まんじゅう」を喰っていて、 しかも本来国民の税金から出ている官房機密費をワイロに貰って、 政権与党に都合の良い情報操作を行っていた可能性が高いわけです。また、なぜマスコミが民主党潰しに必死になっているかという理由として、電波利権を上げる人もあるようです。電波を使用する会社の増加に伴い、電波使用をより公平に行うことを民主党は考えているようで、そうなると、これまでタダ同然で電波を使って来た大手テレビ局とその関連会社が痛手を被るということらしいです。こういう話を総合すると、55年体制の間に、不公平においしい思いをしてきたマスコミを含む複数のパーティーがよってたかって、我が身の利益のために、日本の民主化を阻もうとしている醜い構図が見えてくるようです。
 因みに、このTime紙の一般投票での、芸能人、スポーツ選手、実業家など、すべてを含んだランキングでは、鳩山氏は193位、その他の日本人として、トヨタアキオ氏(トヨタ) 、カトウ トモアキ氏(多分、阪大医学部出身の移植外科医、現コロンビア大)、あと日系アメリカ人のスケート選手、アポロ オーノ氏らの名前が見られます。最も得票率が多かったダントツの一位は、もとイラン首相(首相というポジションがなくなる前の最後の首相)で2009年のイラン大統領選の候補であったMir-Hossein Mousavi氏でした。

話かわってエネルギー問題。アメリカ、マサチューセッツ州で、州の南東部のケープコッドの沖合い(ナンタケット島との間の海域でナンタケットサウンドと呼ばれています)に風力発電用のウインドミルを建てるという十年越しの計画が承認されました。これについて、賛否両論の議論が戦わされています。火力、原子力に頼る現在のエネルギー供給法に替え、より環境にやさしいと考えられる代替エネルギーを開発しようとする動きは、とりわけここ十年ほど大きく盛り上がってきました。オバマ政権での経済刺激政策で投入された巨額の研究資金は、何よりもエネルギー問題を重視しているようで、エネルギー省の予算は二倍となりました。私も自然のエネルギーである太陽エネルギー、風力、地熱といったものをより有効に利用することを考えることは大切だと思います。日本では原発をクリーンエネルギーとか言っているようですが、その原子力の燃料の調達、処理にかかるエネルギーを考えるととてもクリーンとは言えません。加えて、放射線という極めて危険で基本的に減衰を待つしか処理方法のないものを扱わねばなりません。その危険度はいくら強調してもしすぎることはありません。そんな中で政府は非常に危険なため世界中が見捨てた原子力技術を使う「もんじゅ」の15年ぶりの運転再開を決めたという憂うべきニュースがありました。そして、その運転前の点検で早速、不備が見つかっています。放射線漏れ、あるいはもっと重篤な事故が再び起こる可能性は高いと思います。そしてその放射線漏れを必ず発電所側は隠蔽しようとするでしょう。知らない間に付近の住民と日本海は放射線に汚染されるというとんでもないことが起こる確率は 高いと思います。
 それで、その風力発電のためのウインドミルをケープコッド沖にうち立てるという計画に対して、アメリカ原住民の人々は、海は神聖な場所であり、そこに風車を並べるなどということは神への冒涜だ、と反対していますし、ケープに住む人々も、折角の景観を損なうと反対しています。その反対派の重鎮が昨年死去したテッドケネディーでした。ケープコッドの真ん中にあるハイアニスにハイアニスコンプレックスと呼ばれるケネディー家の邸宅があり、JFKのころからケネディー家の人々はヨットを駆ってナンタケットサウンドに遊ぶという趣味を持っていました。そこに風車をぶち立てるとはなんと無粋な計画かとケネディー家の人々は憤慨していたということだそうです。
私は、エネルギーを原子力や火力発電に頼るぐらいなら、風力発電の方がはるかに良いと思います。ただし、ナンタケットサウンドに建てるのは反対です。州知事のデヴォール パトリックは、アメリカの他州に先駆けて、マサチューセッツが風力発電というクリーンエネルギーへの転換の先鞭をつけるのだと、誇らしげでしたが、もし、自分の住む家の周りにウインドミルが何基もぶっ立つという計画でも、この人は賛成するのだろうか、と私は思いました。多大な送電ロスがあるにも関わらず、原子力発電所が田舎の海岸沿いに建てられるように、都会に住む人間は、電気がどこでどのように発電されようとも自分たちには関係のないことだと思っているのだと思います。ケープの沖に見苦しいウインドミルをぶっ建ててもボストン周辺に住んでいる人間には何が見えるわけでも聞こえるわけでもない、風力発電でクリーンなエネルギーが取れるなら結構なことだ、とでも思っている人が多いのではないでしょうか。私、そのような自分さえ良ければよい、という態度が、何よりの環境破壊の元凶であると思っています。一年中、快適なエアコンの効いたビルでTシャツ一枚で過ごすために、多大なエネルギーが消費され、それが少なからず環境を破壊してきたのです。人間の自己中心的な欲望が、エネルギーを渇望するのです。私はエネルギー問題の真の解決は、この自らの欲望を自覚することからしか始まらないと思います。欲望にはキリがないのですから。そのためには、原子力発電推進派は、原子力発電所のそばに住む、ウインドミルを建てたいなら、自宅の庭に建てる、その辺から始めたらどうかと思うのです。醜い発電所なりウインドミルを朝夕、眺めて、自らの欲望を戒めるというのは悪くないアイデアだと思うのですけど。
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