百醜千拙草

何とかやっています

公共サービスの貧弱

2023-02-28 | Weblog
実家のある田舎町は、バブルの末期あたりから市のサービス関係を集約させるプロジェクトを始めました。かつて城下町であったため、城と城下町をイメージした派手なガラス張りの市役所ビルを城跡のある丘の上に建てて、文化ホール、図書館、体育館やフィールド、プールのある総合運動公園などを配置しています。実家での休暇の間、本を読んだり勉強したりする必要があって、図書館にはちょくちょく行きました。

このちょっと奇抜で眼を引く建造物が丘の上に並んでいるので、かつての城のように町から眺める分にはいいのですけど、丘の上にあるため、自転車で行くのはちょっと大変です。公共交通機関もバスがたまにくるぐらい。最寄りの電車の駅からは15分は坂道を登ることになり、アクセスは車がなければ不便なところで、図書館を利用する学生や車を運転しない高齢者にとっては使いづらいです。

図書館の規模は小さく、テーブル席も50席ぐらいしかありません。自習したりする学生の人々は、別館にある別の自習部屋で勉強しています。それも100席あまりしかなく、すぐ埋まってしまうようです。これでは学生の人や社会人がちょっと寄って勉強しようとか、読書をしながらゆっくりしようという気になりません。

もう少し大きい神戸市の中央図書館も同じような感じです。交通のアクセスは悪くはないですが、規模が小さく、書架のある部屋には基本的に自習するためのスペースはなく、読書用のテーブルも非常に限られています。自習用の閲覧室があるのですが、利用者数に比べて明らかに不足していて、時間制限もあります。

この日本の図書館設備の貧弱さは、悲しい限りです。図書館だけに限らず、公共設備は日本はどこでも総じて貧弱です。外に出たら、市や区のサービスは限られていて、ちょっと休んだりのんびりする場所というものがあまりありません。中国同様、平坦で人が生活しやすい土地に乏しい日本で、土地が貴重なのはわかりますが、だからこそ政府や地方自治体がそスペースを公共の目的に確保、保護する必要があると思います。

外国と比較するとその貧弱さが際立ちます。例えば、神戸市の約半分の人口のボストンの市立図書館は、規模は、蔵書量とスペースで、神戸市中央図書館の10倍はあるでしょう。図書館は石造りの立派なもので壁画や彫刻で装飾されており、内にはカフェや催し物会場もあるので、本を読まない人でも立ち寄って一休みするスペースはふんだんにありますし、自習しようとして席がないなどということはまずないです。もちろん、こうした公共サービスにはかなりの維持費や運営費がかかっているでしょうが、勉強したり本を楽しむ市民の活動をサポートしようとする姿勢が日本とは段違いに思えます。ヨーロッパでも同様で、市民の文化的活動の支援は充実しています。音楽会ひとつをとっても、日本の文化ホールや会館は、大抵、ただの箱と椅子で殺風景なものですが、西洋の音楽堂は一種の芸術的建造物である場合が多く、生の音楽をそのような環境で鑑賞するという総合的体験が得られます。元々は西洋の文化ですから仕方がないと言えばそうですけど、かつての神戸の繁華街の新開地にまだ僅かに残る100年前の劇場(すでに映画館などになってますが)などの佇まいなどはなかなか風情のあるもので、高い天井に瓦屋根や装飾が施され、かつては、観劇という「体験」を盛り上げていたであろうことが想像されます。そうした立派な建物を市や区などが買い上げて公共施設として活用すればいいと思うのですが、日本の行政は市民の文化的活動に金を使うことを無駄だとでも思っているようで、せっかくの歴史ある建造物が壊されてチープな商業施設に建て替えられてしまったりして失われてしまうのは残念なことです。

図書館の話に戻ると、日本では、家庭の事情などで、集中して勉強したいが、そのための場所がないという学生も多いでしょう。私も受験生の頃は主に図書館を利用していて、休みの日は朝早くから席取りに行ったように思います。なぜ、日本では勉強したい学生や市民をもっと応援しようとしないのでしょう。図書館の規模は10倍とは言わずとも少なくとも2倍以上にして、席数は3 - 4倍に増やすべきだと思います。地方自治体の主な収入は市税、区税、県税でしょうから、これには限りがあり、サービスの優先順位がありますから仕方ないですが、金を作り出すことができる政府が、日本の最大の資源である優秀な頭脳を持つ意欲の高い人材、に投資しようとする姿勢が見られないのは悲しいことです。

自民党政権にとっては国民がバカな方がいいのでしょうが、そんな一党独裁の国の国力がどんどん衰えていくのは当然の成り行きだなと思った次第です。

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口にしてはならないことをなぜ言うのか

2023-02-23 | Weblog
ある中年女性のエッセイをネットで目にしました。
50歳ぐらいになって、自分は社会から目に見えない存在になった、という実感が綴られています。若い時は魅力的な容姿でモテた方だった。でも今は、男性のみならず、誰も他人が自分に注意を向けなくなった、お客として店に行っても店員が気づかないことがある、などなど。

昔、バブルの頃、「私がおばさんになっても」という歌がありましたけど、若い女性は男性にとってより高い価値がある、というような「下品」な内容の歌詞が堂々と歌われました。今では流石にダメでしょう。

人は他人への態度を自分の利益に結びつくか結びつかないかで決めますから、中年になった女性に若い男性が興味を示すことは少なくなるのは分かります。逆に、見た目の良い人、金持ちそうな人、地位の高い人に人は寄っていきます。誰でも自分の得を考えない人はいませんから、それは仕方がない。しかし、それが態度に出てしまう、口に出てしまうのは、人間として賎ましい。

他人の身になって考える想像力と謙虚さを持っていれば、心で思っても口に出してはいけないことは数多くあるということは分かります。口にすれば、普通、直ちに我が身に報いが返ってきます。ところが自民党の世襲政治家のように、そういうことをしばしばしてしまうのは、人の身になって考える能力が低いのに加えて、それが許されると思う特権意識があるからでしょう。

ここ数週間、ネットを賑わせてきて、外国メディアにも強く批判されたT大出の経済学者?の「日本の老年化問題の解決法は老人の集団自殺」という発言ですが、まさにこれは、人の身になって考える想像力の欠如、これがナチスと同じ選民思想であることの認識の不足、口にしてはならないことを言っても許されるとでも思っている傲慢な特権意識、が露骨に現れています。ネットで数え切れぬ人々がこれらを指摘し批判していますから、私があらためて言うべき話ではないのですが、この「特権意識」が、今の日本の凋落の根本原因であると思ったので、一言触れておきたいと思いました。

一応、日本には憲法というものがあって、国の理念に加え、国と国民の権利や義務といった根本的なルールが明記されております。憲法を持たない国ももちろんありますけど、憲法は法治国家における原則であります。アメリカ独立宣言の最初に述べられている「すべての人は平等に作られて、生命、自由、幸福を追求する権利が与えられている」の精神を組み込んだアメリカ合衆国憲法に準じて、日本国憲法14条「法の下の平等」は定められており、「老人の集団自決」が直ちに日本国憲法の精神、アメリカを含む近代国の価値観に著しく背くことは自明です。

憲法の話をしなくても、これが忌むべき発言であることは多くの人が直ちに感じ取り批判を展開しました。私が問題だと思うのは、この外国メディアでも大々的に批判された憲法の精神に反する「差別発言」を日本のTVやメディアはほとんど報道しないことです。同様に自民党の世襲議員のタロウ’sとかの傲慢発言も批判せずにスルーする、これは世襲議員の彼らのみならずメディア自身が特権意識を持っているからでしょう。今朝のTVのニュースの内容も浅薄でした。詐欺事件などの三面記事かスポーツニュース。国会ではすでに予算委員会が終盤戦に入っており、もっと国民個人にとって生活と将来に直結する重大な議題が議論されております。岸田が例によって木で鼻を括ったような答弁をして、少子化、脱原発、食料を含めた安全保障、統一教会問題などに対処を求める野党に「検討する」というだけの不誠実な答弁を繰り返し、ネットでは「検討使」と呼ばれていますけど、メディアは批判どころか報道もなし。新聞もTVも滅びゆく媒体である理由が分かります。

どんな不誠実な答弁をしても、どうせ野党も国民は何もできないと思う与党の傲慢な特権意識、報道は視聴者や新聞購読者の国民の知りたいことではなくて政府やスポンサーが流したい情報を流せばいいと思うメディアの特権意識が漂っているように思います。
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Bacharach

2023-02-17 | Weblog
カーラジオを聴いていたら、懐かしいカーペンターズの"Close to you" が流れてきました。このリズムとメロディーがBurt Bacharachらしいなあと思って聴いていると、続くナレーションで、彼が1週間前に逝去したことが伝えられました。1928年生まれの94 歳だったそうです。そして、その後にVenessa Williamsのカバーで"Alfie"がかかりました。

アメリカの偉大なポップス作曲家といえば、ミュージカル全盛時代のCole PorterやRichard Rogersとかが浮かびますけど、60年代以降に活躍した最も偉大なる作曲家といえば、多分Bacharachの名前がトップに上がるのではないでしょうか。今の若い日本人でも、彼のメロディーを耳にしたことをない人はいないのではないかと思います。

私が大学生ぐらいの頃、試験勉強のお供によく聴いていたのが60-70年代のソウル音楽で、Gladys Knights & Pipsが歌った「Seconds」という地味な曲が気に入ったのが私がBacarachの曲をよく聞くようになったきっかけでした。ちょっと聞けば、Bacarachの曲とわかるリズムとメロディー、偉大なるワンパターンとでも言えばいいのか、それが魅力でもありました。

Bacarachと言えば、Dionne Warwick, Warwickと言えばBacarach、この歌手と作曲家の組み合わせは強力で、試験勉強中のWarwickのベスト盤は私のCDの中で最も再生回数の多かったものだっただろうと思います。

Bacharachの名曲は数多く、ファンによる様々なベストソング ランキングが作られていますが、Warwickの"Walk on by"をベストに推す人が多いようです。私があえて選ぶとしたら、ミュージカル、"Promises Promises"で歌われた"A house is not a home"のLuther Vandrossのカバーでしょうか。Dionne Warwickももちろん歌っていますけど、Lutherのバージョンはあまりにも有名なので。

BacharachとWarwickのライブ演奏で、What the World Needs Now Is Love と メドレーで、Walk on By/ Do You Know the Way to San Jose/ I Say a Little Prayer/ I'll Never Fall in Love Again/ Don't Make Me Over/ Alfie


それから年月を経て、もう一度二人で演奏。


80年代の大ヒット、ディオンヌ ワーウィック、スティービー ワンダー、エルトン ジョン、グラディス ナイトの豪華メンバーによる、”That's What Friends are for"


意外な人にも曲を提供。映画音楽のテーマ曲として大ヒットしたChristopher Cross, "Arthur's Theme"


映画音楽といえば、ロバートレッドフォードとポール ニューマンの「明日に向かって撃て」のテーマ、"Rain Drops Keep Falling on My Head".


もう一つ、ジェームス ボンド映画のテーマ曲、"The look of love"


カーペンターズのBachrach メドレー:


Austin Powers映画にゲスト出演

そしてLuther Vandross版、"A house is not a home".  Warwickの前で歌っています。

振り返れば、バカラックがヒットを飛ばしていた60年代から80年代は、日本経済も成長から成熟期に入りつつある時期で、TVでも歌謡番組も複数あって、アイドル歌手のバックにビッグバンドやストリングス オーケストラのゴージャスな伴奏がつくような時代でした。Bacharachの曲というはその頃のキラキラした時代の雰囲気を纏っていて、今、聞き返すととても懐かしい気持ちになります。
ま、キリがないのでこの辺で。

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無常小唄

2023-02-14 | Weblog
先日、法事があって久しぶりに冬の京都に来ました。前回、京都を訪れたのは多分7-8年は前で、その時は、京都出身の人への手土産に「満月」の阿闍梨餅を買うのと、高校以来行ったことがなかった清水寺を訪れたいと思ったのが理由でした。

そんなわけで商店が開き出す前の朝、河原町から四条通りを円山公園裏にある寺院に向けて歩きました。気候もよく、爽やかな青空が広がり、鴨川の水の流れも昔のまま。空も川も変わらぬのに、人は長い人生をあっという間に過ごして土に帰るのだな、と法事のことを思いながら鴨川の西の川べりに並ぶ店々を裏から眺めなていたら、「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も」というお馴染みの歌の一節を口ずさんでいました。この後に続く歌詞が「雪に変わりがないじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ」であることを思い出し、この小唄の出だしの歌詞の意味深さに打たれたのでした。どんな人間でも、死んで焼かれて白い灰になってしまうが、魂は形を変えて続いていくのです。この男女の掛け合いで歌われる歌の内容は芸者と客との恋愛という俗な話ではあるのですけど、それもまた意味深い気がします。西田幾多郎も「志を高くして、俗に還るべし」と言っていたように思いますし。

晴天に恵まれたとはいえ、寺院の中は冷え切っています。観光地でもあるので、観光客と説法を聞きにくる客、法事でくる人々がいり混っています。法要は数組が一緒に本堂で大勢の僧による法要に出席した後、小さな別棟に移って今度は個別に別の僧による読経という二段階ベルトコンベア方式。法要が終わり会食が済んだ午後には流石に人通りが増え、昔と同じように、四条通りの歩道は人で溢れかえり、道路は車で大渋滞し、鴨川べりはカップルが並びして、この風景は何年経っても変わらないものだなと思いました。

移動のタクシーの運転手が言うには、コロナの後、京都を歩く人の姿は一変したそうです。国内の年配の観光客がいなくなり、中国からの団体客が姿を消し、今、街を歩いているのは主に日本の若者なのだと言う話。彼らの多くは外からの流入組で観光客というわけではないのだと。つまり、京都は学校が多いので、各地からやってきた若い人が、大学を出た後もそのまま就職するケースが少なくなく、若者の単身世帯が増えたのだそうです。休みに街を歩いている人はほとんどが余所者だということです。大学街がリベラルで若者が多いというのは世界中同じですね。
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貧しさの罪

2023-02-08 | Weblog
前の続きのようなものですけど、定年退官後に私設の研究室を作りライフワークを追求されてきた先生は、その数年で研究に一億円ぐらいの私財を使ったという話をされました。生物系の研究というのはお金がかかりますから、そこに公的補助がなければ、最小限の研究室でも普通、個人では運営できません。先々月にお会いしたK大を辞めて小さなベンチャーを立ち上げた人も年間の運営コストは数千万はかかっていると思われます。機材の費用を加えずとも、最低限の規模の研究室のランニングコストは、研究室の家賃、光熱費、研究員一人の人件費、実験のための消耗品や試薬類で、月に最低、100-200万円ぐらいはかかるでしょう。加えて、中古で揃えるにしても機材の初期投資と維持に一千万以上は通常かかるでしょうから、普通の人が個人で生物学研究をするのは無理です。まして、最近の論文などで多く必要とされる高価な実験については、大きな施設の共同研究や商業サービスへのアウトソースなどが必要で、物理的にできないということもあるでしょう。加えて大きいのは環境で、大学などで専門家や必要なスキルを持った人材や論文アクセスなど、知的インプットや研究への補助が容易に得られないという状況では、なかなか十分な研究はできません。

もちろん歴史を遡れば、インスタント ラーメンが自宅の研究室で一人の人によって生み出されたように、多くの革命的な研究が個人の地道な活動によって始まっています。しかし、現在は、食品の研究は企業の研究室で高度技術を用いてなされているのと同様、生物学研究においても高度な実験技術や設備を必要とされており、個人のアイデアと努力に加え、環境や金というものが第一線の研究には必要です。

大学を離れて定年後にも実験的研究を続けようとすると、この先生のように財力とやる気と時間がなければ、実質、不可能です。しかし逆に言えば、金さえあれば可能です。アメリカのBroad Instituteは約二十年前、2年前に亡くなった事業家Eli Broadの資金によって設立されましたが、今やこの研究所は、二人の中国系CRISPR研究者の成功もあって、アメリカトップのバイオ技術研究所として君臨しています。優秀な人材と環境に加え、Broadの資金は不可欠でした。Broadの資金がなければ、これらの科学の成果もCRISPR遺伝子治療もなかったかもしれません。

金は価値あるものと交換することができます。研究や知的活動に必要な「価値あるもの」を(人材も含め)集め、組み合わせて、さらにより大きな価値をもつものを作り出すために、金というツールは現代社会では不可欠です。

金は「価値ある実体」との交換を通じて、価値を組み合わせてさらにおおきな価値を創造していくための触媒ですから、「金のない」こと、すなわち「貧乏」は、価値を作り出す能力が低いことに直結しています。この点において、金のあることは良いことであり、貧乏は悪いことです。

貧乏、それが今の日本です。日本は、自国通貨を持ち、無から金を生み出して政策を通じて金を社会に回す能力を持ちながら、まともな経済政策を行ってきませんでした。不況で金が回らず国民が困窮し、社会にばら撒きが必要なときに「ばらまき」という言葉を絶対悪かのように批判し、さらに景気を悪くし失業者とワーキングプアを増やしました。ようやく金融緩和をしたと思ったら、その金を一部の利権企業や政権自身に還流させることばかりを優先し、一般社会の金不足は放置、そのあげくにその分を一般国民から消費税増税によって埋め合わせるという悪行ぶり。結果、不況はますます深刻化し、最大の日本の資源と言える優秀な人材は見合った報酬を求めて海外流出が止まらないという状況を生んできます。金のないところに優秀な人は集まらず、価値を生み出す能力は更に制限され、ますます貧乏が加速するという状況です。それでもなお、財務省と自民党政府というカルト集団は緊縮財政をやめず、プライマリーバランス教を流布し、無理やり献金させて国民生活庭崩壊し、財政が健康なら国民が飢えて死んでも構わないとでも言わぬばかりに増税に邁進。これが今の日本です。

そんな政策の失敗によって貧乏になった日本が30年間ずっと衰退がとまらないのは、結局はこんな政権を放置してきた国民の責任でありますが、もう一つの原因は、「貧乏」に対する警戒心が日本人に足りないせいではないかとも想像します。

戦後八十年経ってそれなりに豊かな時代を過ごしてきた日本は、かつて、貧乏のために、老人を山に捨てに行ったり、生まれた子供を間引きをしたり、娘を売ったりした時代があったことは、物語や映画の中だけの話だと思っている人が大半ではないでしょうか。しかし、そんなお話の中の貧乏が現実になりつつあります。

加えて、「ワビ、サビ」とか「清貧の思想」とか「一杯のかけそば」とか、貧乏くさいことに意味を見出そうとする日本人の性向があると思います。これは、貧しさの中で心を軽くするための方便であったのではないかと私は解釈しています。一杯のかけそばを三人で分け合うよりも、一人ずつ、デザート付きの天ぷらそばを味わう方が普通はいいに決まっています。思いやりや分け合う心を学ぶのに実際に貧乏である必要はないです。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとも言いますから。

貧乏は物語や歌の中だけで十分です。ユーミンが四畳半フォークと名付けたジャンルの音楽がかつてありました。そこでは、寒い冬に風呂がないので銭湯に行ったら待たされて湯冷めしてしまったり、電車が通ると裸電球が揺れたりするアパートに住んでいたり、という貧乏自慢が繰り広げられるわけですが、それらの歌の主人公たちも、無論、死ぬまでそういう環境で生活したいと思っているわけではなく、むしろ、近い将来に豊かな生活を送れる日がきて、貧乏は過去の思い出になっていくという希望が意図されているからこそ、歌として成り立っているのだろうと思います。

ともかく、こうした日本人の「貧しさ」への心情的な親和性が、今日、日本が貧しい理由の根本原因の一つとしてあるのではないだろうかとも思ったりしています。これによって、貧乏なのだから、みんなで我慢しよう、欲しがりません勝つまでは、というような言葉が真面目に語られるような状況につながったのかもしれません。

貧しさを警戒し、克服すべき対象と考え、それを無くすために、権利を主張し連帯して社会を変えようとするのではなく、逆に、貧しいなら「我慢」して、それが辛ければ「いっそ、きれい」に死んでしまう、こういう心理は他の民主主義国家に住む人々には理解できないでしょう。

世界が経済的につながっている中で、日本以外の国は豊かさを求めて成長を続けてきています。そんな中では、いやでも諸外国と同様の価値観を共有していく必要があり、日本だけ「清貧」がどうとか「ワビサビ」とか言っているわけにはいかないし、コロナで諸外国が財政赤字を積み重ねても不況を克服しようとしている時に、日本だけ国民経済を支えるどころか、「財源が」と言っては逆に増税するようなバカなことをやっていては未来がないです。

貧乏は「がん」のように徐々に体を蝕み、気づいた時には脳に転移していて心さえも破壊するような病であるというぐらいに考えておくべきではないかと思います。

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尊敬を新たにした日

2023-02-02 | Weblog
引っ越しや手続きや何やらで忙しくあっという間に時間が経ってしまいました。
とりあえず何とかなっています。
昨日は同門の先輩先生、お二方とお目にかかりました。お一人の先生が、自然に囲まれた美しい土地の病院を建てられ、そこにもうお一人の先生が後から参加されたという形になっています。

お二方とも大学を離れた後も研究活動を継続されていて、その病院には研究設備もあります。それは後から参加された先生の私設研究所を移転したものです。その先生はもう70歳半ばのはずですが、週5日フルタイムで働いていて、最近、ライフワークであるとある自己免疫疾患の治療につながる分子の同定の論文をC紙系列の雑誌に出版されたところです。元々は出身大学の教授をされていましたが、学内の政治的ゴタゴタに嫌気がさして他大学に移り、任期後は私設の研究所を作って実験されていたとのこと。かなりの私財も注ぎ込んで、この論文は産み出されており、ご本人がトップで責任著者です。その情熱と行動力にはすっかり敬服しました。

もう一人の病院理事長の方は整形外科医で、70近いはずですが、現役で手術室に入り、研究室の方も研究員を雇って続行中。研究には金がかかりますし、公的研究費の取得は年々難しくなり、年齢差別などもあります。そんな困難にも関わらず、私財を注ぎ込んで研究を追求する姿勢というのは眩しいばかりです。

人間、生きている以上は何かして日々の暇を潰さないといけませんから、昼間からビールを飲んでダラダラ過ごすよりも、研究したり患者さんを診たりする方が好きというなら、それは素晴らしいことです。ビールを飲んでダラダラするのはビール屋に多少儲けてもらうぐらいの社会的効果しかありませんけど、研究して論文を出し知の蓄積に貢献し、患者さんを診て地域医療に貢献するというのは、ビール ダラダラに比べてはるかに社会と人々の役に立っています。

その話の時に、先々代の教授が最近亡くなったと聞きました。90歳は超えていたはずですが、現役時代はなかなか強烈な人でした。しかし、研究という点に関しては純粋で猪突猛進的なところがあって、この方も退官後、私立の病院に臨床研究する部門を作って、データを集め自分で国際学会に演題を出しては発表するということをされていました。学会というものは基本的に社交会場であり、いわば温泉旅行みたいなものです。発表するのは通常、学生や若手で大教授はそれを見てアレコレ言うだけの立場。80歳になっても国際学会にやってきてずっとポスター会場にいるこの大先生を見て、現役時代を知っている多くの人は勉強熱心だなあと感心していたものです。しかし、ポスター会場にいる理由が実は自分自身の研究を演者として発表するためだったとは、さすがに誰も思わなかったようです。

私よりもさらに大先輩たちが、とうに引退年齢を越えてからも、純粋に研究や地域医療を追求し続ける姿は尊いというほかありません。このような一途さがかつての高度成長を支えた日本の底力なのではないか、と思ったりします。

私も昼ビール ダラダラ計画を見直す必要があると思わされた日でした。
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