百醜千拙草

何とかやっています

コロナのあと(3)

2020-04-27 | Weblog
コロナによる行動の制限のせいで、単調な生活が続いていますが、それなりに楽しんでいます。どうも私は、単調な生活の方が向いているようで、今回はまとまった時間が取れるのを幸い、いろいろオンラインの教育コースを試しています。 主に利用しているのは、200コースほどあるHarvard Xのオンラインコースで、内容も充実しており、ほとんど無料ということもあって、興味のある分野のレクチャービデオを毎日、数本ずつみるようにしています。システマティックにトピックがカバーされており、構成がよく、それぞれ10分ほどの短いビデオなので、集中力も途切れません。簡単な演習問題が折々に挟まれており、要点を簡単に復習できるのが素晴らしいです。この自宅待機の中の短い時間で、かなり多くのことを学びました。自分で教科書を読むよりも少ない努力で要点が理解できます。他にはUdemyも以前に3つほど安くなった時に取りましたが、これもよかったです。こうした教育の機会が無料またはわずかな料金で提供されているのは素晴らしいとしかいいようがないです。しかも、それぞれのビデオは結構な手間をかけて効果的な教育成果をえられるように考えられて作成されているようです。

私が学生のころは、オンライン講義などありませんでした。大学での私の向学心は最初の授業で延々と各臓器の名称をラテン語と日本語でひたすら読み上げ続けるという講義を受けた時に打ち砕かれました。大学教官の使命は研究と教育でありますが、どうしても研究優先になるわけで、教育に熱意をもつ教官は少ないだろうと思います。アメリカなどでは、研究教官と教育教官を分けて役割を分担させるというシステムをとっている大学も多いと思います。というのは、研究教官が研究に専念し成果を出して研究資金獲得していかないと、大学としての機能が維持できないからです。一方教育教官は授業料を払う学生に満足してもらえる教育の提供に集中します。

今回のコロナを機に大学の教育はオンライン中心に見直されてもよいのではないかと思いました。とくに一定の質の内容を多くの学生にユニフォームに学習させる必要がある医学教育のような実学教育では、教育の専門家がコンソーシウムをつくって同じ内容のビデオ講義によって一律に医学生の教育をすれば、教育のコストと無駄を省き、教育の質を上げることが可能だと思います。また、ビデオ講義は医師の生涯教育にも役立つでしょう。独自の専門的知識は大学院などで学ぶなすればよいのではないでしょうか。

大学では教官は基本的に研究と大学院生の指導に集中すればよいと思います。教育は実習以外はオンラインの方がよいのではないでしょうか。理想的には大学はオリジナルな研究をすることによって人類の知の蓄積に貢献することを第一の使命とすべきだと思うからです。

学生時代にあまり勉強熱心でなかった私が言うセリフではないかも知れませんが、学生の半分が欠席して、出席した半分は居眠りしているような講義がすくなくない大学教育に問題があるのは誰もが思うところでしょう。これは日本だけの話ではなく、知り合いの大学の語学教官に聞くと、高い授業料を払っているのに彼らが欲しいのは知識ではなく、卒業証書だけだとこぼしていましたから、若者が大学に求めているのは教育そのものではなさそうです。実際、大学教育は、学生にとってはモラトリアムの数年を楽しむ方便であったり、親にとっては、子供をそれなりの職につかせるための投資であったり、大学にとってはビジネスの一つであったり、企業にとってはまじめに試験勉強をがんばれる忍耐力を持つ人間を選別するための手段であったりする、というのが現実でしょう。たしかに、大学に行くことは、研究と教育とは別の側面があるのは間違いないですけど、研究と教育の場であるという大学の本来の機能に立ち返れば、何も毎日物理的に体を講義室まで運んで居眠りして高い授業料を払う必要はないです。質の高いオンライン教育ビデオが無料で見れる時代なのですから。 

図らずも今回のコロナによって、教育のありかた、働き方のありかた、そして何より社会のシステムのありかたが、根本的に変わる可能性があるのではないかと、不謹慎ながら、私は不安よりワクワク感も感じております。
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コロナのあと(2)

2020-04-24 | Weblog
今回のウイルスで、街は静かになりました。社会活動が制限され、キャッシュフローが止まったたことで、あらためて、大切なのはフローであって通帳の数字の多寡ではないと感じました。

現在の金融システムにおいて、カネは無から作り出されます。その作り出されたカネは貸し出されて利息がつくという仕組みになっています。逆に言うと、貸し出すこと(だれかの借金)によってカネが作られ(信用創造)、その借金を返済することによりカネが消えるということになっています。国がする借金も同じことで、国が借金をすることにより、カネが作り出され、そのカネは公共事業などによって民間に流れます。ということで、国の借金は国民にとっては資産ともいえます。借金には利息がつくので、このやり方だとカネと借金はどんどん増えていくのですけど、それは数字の上だけの話なので、流通している現金そのものの量は変わりません。だから、リンカーンがやったように政府通貨を発行(これも数字だけの話です)して、借金を返せば、一瞬で国の借金は消えます。しかし、世の中には、そうしてもらっては困るという勢力があって、それでリンカーンもケネディーも暗殺されたと考えられていますが、それはちょっと別の話。

さて、資本主義、市場原理というのは、持てるものの理屈です。その理屈を持たざるものに押しつけるために、学校や体育会やさまざまな機会で、それを常識として受け入れるようにある意味洗脳されてきたのではないかと思います。現在の資本主義社会では命を含めてすべてのものに値札がついています。カネを出せば「いいもの」が手に入り、カネがなければ必要なものでさえ手に入らない社会です。高度成長期のように金持ちも一般人も右肩上がりに豊かになっている時はそれでもいいでしょうが、現在のように貧富の差が開いてきた社会においても、いまだに、みんながそれを常識だと思ってる。こういう社会が、正しいとか間違っているとかではなく、時代のコンテクストが変わっているのだから、それにあった別の社会のありかたがあってよいと私は思います。

若いころに南国の田舎で一週間ほど過ごしたことがありますが、土地の人はカネという点では貧しくても、私から見れば、豊かな暮らしをしていました。カネがなくてもモノを融通しあって生活していました。そんな「楽園」にやや近い生活を壊すのは、人間の欲望とエゴでしょう。欲望とエゴが向上心の原動力だと肯定的に見る人もおりますけど、私は賛成できません。言葉の響きはマシかも知れませんけど、向上心が必ずしも良い結果を産むわけではありません。結局はそれに欲とエゴがついてくるわけですから。

話を戻して、地上が楽園であったころ、インターネットもビデオゲームもなく、職業も身分も羞恥心でさえなかったころと、カネさえ出せば、いろいろと暇を潰すエンタテイメントがありラクをできるものがあるが、カネがなければ生きていくことができず、カネを得るために毎日終電まで働き、休日出勤をしないといけない現代と、どちらが幸せか、難しいところです。個人の好みもあるでしょうけど、たぶん、ベストはその間ぐらいにあるのではないかな、と思います。

さて、多くの人がすでに議論していますが、このコロナによって、サービス産業が主体の都市の経済は大きくダメージを受けました。多くの国で少なくとも一時的に社会主義的施策をとって、その住民を救済しようとしています。いくら自由主義、資本主義者でも、お客がいてこその商売、住民の多数が経済的困窮に見舞われている状態では売れるものも売れません。しかし、政府の救済措置は、住民の生活を支える目的であって、経済刺激政策ではありません。日本政府はこの辺を根本的に勘違いしている、というよりむしろ、国民の命でさえカネでしか計れないぐらい資本家の論理に洗脳されているのではないかと思います。(ま、彼らはグルですけどね) この支援は当面継続する必要がでてくるでしょう。となると、実際的なベーシックインカムを国レベルで試行するという非常に壮大な試みを期せずして行うことになるかも知れません。そのカネはこれまでどおり、信用創造で作ればいいです。なんなら、この際、法整備して、日銀券と交換できる政府通貨を作ればよい。国が形上、借金をすることでカネを作り出す。その借金は法律をチョイとかえれば簡単に消すことができるし、そもそも数字だけの借金ですから、永遠に返さないという手段も取れます。だから国が国民にカネを一律にバラまき続けることは可能だと思います。その上で必要な産業、食糧、衣料、インフラといったものが十分に供給されるようなシステムを考えればよいです。これまで、カネのために不必要に作られては廃棄されてきた食品を含む数々の製品の無駄を考えれば、かりに労働の金銭的インセンティブが減っても、無駄を省き経済的にダウンサイズすることで、住民の生活や社会活動に必要なものを供給していくことは可能であろうと思います。

国家レベルのベーシックインカムはプラスとマイナスでどちらかというと、私はプラスの方がはるかに大きいと思います。働きたい人は働く必要がなくても働くでしょう。ない方がよい仕事、詐欺的な商売や、人間の尊厳を売るような商売、は減るだろうし、経済的困窮が少なくなれば、うつや自殺も大幅に減ると思います。社会はスローダウンし、経済規模はもちろん縮小しますが、現在、世界3位の経済大国だといっているもの数字だけの話で、同じ量のカネをもとに借金をくりかえして数字上のカネを無から作り出しただけの幻にすぎないので、別に国民の経済状況が大国だというわけではないわけですから、経済規模が縮小しても、国民生活には大して影響はないだろうし、不必要な労働が減ってむしろ豊かになるのではないかと思います。

物やサービスの交換はカネによって触媒されるので、カネは人間の体に例えれば、体の細胞に栄養と酸素を運ぶ血液のようなものです。一定量の血液が途切れずに循環することが大切なので、カネも一定量が細部までグルグル回っているのが健康な状態であり、循環がおかしくなって貧乏人には回らず金持ちにたまるというようになれば、病気です(現在の日本)。やるべきことはカネを回すことであって、カネを増やすことではないです。困っている人は手元にカネが巡ってこないわけですから、カネを回そうとしてもできない、一方、カネ持ちは一人で使えるカネの量など知れていますから、回ってくるカネが鬱血状態で溜まっている。循環を促進するにはそういう人たちがカネの循環に寄与できるように、まずはカネ(現金 - 使えるカネ)を配ることでしょう。そうすることで溜め込んでいる金持ちもカネを出しやすくなる。お客が増えてカネの循環がよくなれば、不況にそなえてため込む必要もないので、鬱血も解消されると思います。

現在の詐欺的金融システムが世界的に存続している一つの理由の一つは、一般の人々の考え方にもあると思います。いまでも、世界の田舎にいけば、カネがなくても生きていける村はあります。日本人は勤勉であり、それは勤勉は美徳であるという価値観に支えられていると思います。「閑居して不善を為す」よりは勤勉な方がいいですけど、人間らしい価値を生み出す力は生活の余裕から生まれると私は思います。くわえて、「勤勉でないのはよくない」と自分が思うのはともかく、他人にその価値観を押し付け、非難するような行為が日本では容認されているようなのも問題だと思います。これは多分、日本に多いイジメ問題とも関連しているでしょう。

最初の一歩は、「働かざるもの食うべからず」というような考え方をちょっとあらためてみることではないかと思います。社会にはいろいろな事情で働きたくても働けない人もいるし、逆に休みも削られて過剰に働かされている人もいます。いろいろな人々がいろいろに生きることができる社会のほうがギスギスしなくていいです。働きたくなれば働き、働きたくなければ働かない、それでも暮らしていける社会がいいと思うし、その実現は可能だと思います。必要な産業、とくに農業などは、人々の生活が保証され自由な時間が増えれば、無料で働きたいという人は大勢いるでしょうから、社会は回っていくと思います。 最大の障害は人間の欲とエゴでしょうね。

思わず、長くなってしまいました。日本の国土で、自然を破壊せず、その住人を幸せに食わせていくことは可能だと私は思います。それには社会システムをちょっと変える必要があり、それは政治にしかできません。今の日本の政治、それが最大の障害であることは間違いありません。
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コロナのあと

2020-04-21 | Weblog
自宅待機が続くと曜日の感覚がなくなってきますね。動物の世話とかを交代でしているので、週に 2-3回は通っていますが、行ったところで、街中も施設もガランとしているので、ずっと週末状態。すると、その2-3回が、まるで週末に働いているかのように感じて、大変、疲れます。普段なら月、火曜日に頑張って、水曜は中だるみして、週末にむけてまた頑張り、金曜の夜に運動して、ビールを飲むというリズムがあるのですけど、今はそのリズムが保てず、メリハリがありません。
Rのコーディングのコースもなかなか進みません。コードを読むのは多少読めるようになってきましたけど、読めるのと書けるのとの間には、深くて暗い河がある、てな感じで、これは本当にやる価値があるのだろうかと絶望感の混じった無気力感を覚える日々です。

この疫病を期に、ちょっとふりかえることが増えました。 物事には始めがあり終わりがありますから、このコロナ騒動もいずれは終わると思います。その後の世界はどうなっているのだろうと思わずにおれません。

多くの人を死亡させ、失業させ、世界的な恐慌をもたらすであろう今回のコロナ騒動が終わったあと、おそらく、高い確率で、人々はコロナ前の世界に回帰しようとするでしょう。過去の戦争や災害の例を思うと、実際、高い確率でコロナ前の世界に戻っていくとは思いますが、今回のはこれまでと異なり、世界的な影響を残します。はやくに収束させて都市封鎖を解いた中国が一人勝ちするとは思えません。その商売相手はアメリカでありロシアでありその他の世界で、そういったところではまだまだ長く都市封鎖が続くと思われるからです。その間にでる大量の失業者の世話をするのは政府しかいません。働きたくても動けないのですから。となると、ひょっとすると資本主義社会、自由主義社会そのものが変化するかも知れません。人の移動が減り、焼け畑農業のようなグローバルビジネスが衰え、世界は再びコミュニティー単位で完結できるように再編されていくかも知れません。今回のような世界的パンデミックに対するリスクヘッジとしては理にかなっていると思います。この状態が続けば、都市は解体されることになるかも知れません。そのうち温暖化で東京もニューヨークも海底に沈むことになるかも知れませんから、社会構造と都市構造のリストラクチャーの機会になるかも知れません。  

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居室六畳

2020-04-17 | Weblog
引きこもりは精神に悪いですね。いつまで続くのでしょう。ウイルス対策に成功したドイツではlockdown解除が検討されているそうですけど、一方、アメリカなど流行ど真ん中の国では来年の春まで閉鎖することを検討している大学もあります。これからは大学教育はオンライン化していくのではないでしょうか。実習とか研究とか訓練とかはやっているところにアウトソースすればいいです。Harvardは無料で様々なオンラインコースを提供していますし(私も今回、Rのコースを一つここでとりました)、小額を払えば、Certificationを発行してくれます。学生にとって、いわゆる"大学生活experience"の部分はオンラインではムリですけど、その部分は多くの場合クラブ活動とか集団生活とか飲み会とかバイトでしょうから、別に大学に通わなくても代わりは見つけられるでしょう。

というわけで、バーチャル セミナーやミーティングができるので、この部分の機能に関してはおどろくほど影響がないのを実感しているのですけど、ふだん生身の人間と顔を見て雑談するという機会がなくなりました。そういうどうでもよいような日々の「あそび」みたいな部分が、どうも精神衛生を保つのに必要なようです。 

それから、画面を見ているだけだと動かないのでお腹が減りません。日常が単調になってきて書きたいことがなくなってきました。寝たきりになる人の気持ちが多少わかる気がして怖いです。正岡子規風にいうなら、「居室六畳、机とMac、これが我が世界である。しかもこの小さな居間が余には広過ぎるのである」という感じです。

Rはデータの視覚化に特化した三つ目のコースをやり始めました。まず統計の概念などの基礎的な講義が延々と続き、すでにヘコたれてきました。もっと学生時代に勉強しておくのだった、と後悔しています。同じことは、最近、生化学の基礎を学び直した時にも感じました。学生の時には本当に勉強していなかったのだなあ、とつくづく実感しています。この調子だと、当初の目的である大規模データセットの解析と視覚化の講義にたどり着くには、毎日やってもまだ一月ぐらいかかりそうです。続くでしょうか。

あとは、インターネットのウェッブブラウザーをBraveに変えました。広告をシャットアウトしてくれるので、気が散らないのとYoutubeを見るときはいいです。それ以外はこれまで主に使ってきたSafariとあまり差はなさそうです。

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ビルゲイツの予言

2020-04-13 | Weblog
というわけで、引きこもりの日々は続いております。その間、昨年にちょっと一つコースをとって始めたRですが、普段のデータ解析と表示に使えるぐらいにはなっておいた方がいいのではないかと思い、中断していた二つ目のコースの続きをやり始めました。ようやくData visualizationまでたどり着き、tidyverseをインストールしようとすると、できません。どうもMacOSをCatalinaに変えてから、いろいろと使いづらくなり、不都合が増えたので、きっとOS問題だろうと思い、Rをやっている知り合いに聞いてみようとメールをしてみました。数日間、返事がなく、その間、いろいろやってみて、Xcodeの一部を入れ直すと、なぜかとりあえず必要なggplot2だけはインストールできたのでメールのことは忘れていました。今日になってようやく返事が来たのですが、それは同姓同名の別人でした。職場で使っているメールシステムでは、名前を入れると職場のドメインを持っている人のメールアドレスを自動で入力するようになっていて、どうも私がそもそもそれに気づかずに違う人にメールを送ってしまったようです。幸いなことに、その同姓同名の別人は実は、大学院生で大学時代から7年、Rを使ってきたという達人で、ついでに質問したら、いろいろと丁寧に教えてくれました。

こういうのは、何と言うのでしょう。最初の出だしが間違っているのに偶然、正しい相手に到達するケース。二ヶ月ぐらい前にも同じようなことがありました。使いたい測定装置が隣の建物の研究室にあることがわかって、使用の交渉をしていたときに、全くの別人と気づかずにメールを送って話を進めていたら、その別人が偶然関係者だったということが途中でわかったことがあります。どうも相手もヘンだなと思いつつも対応したそうです。
二度あることは三度あるで、次の間違いメールが楽しみです。

興味深い五年前のビルゲイツの映像をTwitterで知ったので。見える人には未来が見えるのでしょうね。 私には明日のことさえわかりませんが。
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シンプルライフ

2020-04-10 | Weblog
研究室にもジムにも行かずに家でコンピューターの画面を見ていると運動不足になるので、天気のよかった数日前の朝、近所の公園から丘と小さな森を抜けて2時間ほどの散歩に行きました。街中は人が少なく、公園も犬の散歩や小さい子供をつれた数人がいるだけです。平日の朝から晴天の下をのんびり散歩していると、この何十年、毎日オフィスや実験室の中で何千時間も過ごしてきたのがすごく無駄だったように思えてきました。ま、そのおかげで今まで飢えもせず、生きてこれたわけですし、そもそも私はそうした活動が好きだったわけではあるのですが、死ぬまでの限られた時間を、これまでのように過ごしてよいのだろうか、という疑問を感じずにはおれませんでした。
田舎に移住して自給自足に近い生活ををしている人々の話をネットで読んでいると、うらやましい気持ちになります。私も子供のころから田舎で一人暮らしのシンプルライフを送るのが夢でしたが、仕事や家族や子供の教育などなどで、忘れかけていました。しかし、平日の昼間の散歩の途中で、やさしい陽を浴びて、春の香りの風に吹かれながら、森の中の小川の流れを見ていると、その子供の頃の思いが懐かしく蘇ってきて、ひょっとしたらできないことはないのではないか、自分をしばっているのは自分自身だけではないだろうかと思いだしました。

"Give me the simple life"
アカペラグループの好演を見つけました。

ご存知、Ella Fitzgeraldのライブ版で、"Give me the simple life"

ついでに、同じステージでの珍しい演奏を見つけたのでリンク。Ella Fitzgeraldがなんと"Sunshine of your love"を熱唱。Pianoはたぶん、トミフラ。 これを聞くと、この人がいなければ、アレサ フランクリンもジャニス ジョップリンも存在していなかったのではないかと思わされます。

蛇足- Creamのオリジナル
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カネから社会、社会から人へ

2020-04-07 | Weblog
今回のコロナ パンデミックが世界に与える影響は測り知れません。
日本も今はもちろんそうですが、アメリカは資本主義の国であり、全てのことをカネの単位で考える傾向があります。例えば、研究資金の申請書の最初には、「この病気が社会に与える経済的損失はxxx億ドルと見積もられており、研究は重要だ」みたいな、文句が並べられます。何でもカネに換算されて、その損得勘定が判断の重要な基準となっています。結果、一部の金持ちは資金をレバレッジにどんどん金持ちとなり、持たざるものは貧乏社会に釘付けにされる二極化が極端に進み、ミドルクラスが消失するという現象が起こっています。

この行き過ぎた資本主義の結果起こっている人間性の喪失が人類全体にとって大きなマイナスであることは論を待ちません。現代社会では人々は生きていく上でカネは必要なものです。そうであるがゆえに、また蓄積が可能であるがゆえに、カネは力でもあります。資本主義は、カネが力であるが故に、その増大を指向し、その結果、望ましくないことが数々と起こってきました。人間のレベルだけでなく、地球全体に大きな害を与えつづけ、急激に動物や人間が住めない環境にしてきました。地球温暖化、原発事故、数々の公害などなどはカネ儲け主義、資本主義活動の結果といえると思います。

疾病で大勢の死亡者も出ている中で、あえて不謹慎を承知で言わせてもらうならば、今回のコロナは、これが長引けば長引くほど、この行き過ぎた資本主義を考え直す重要な機会になるのではないかと思います。

欧米のロックダウンでおきたことは、急激な人々の活動の低下、そのほとんどはカネに結びついているわけですから、経済活動の低下、です。その結果、生活に必要なカネが人々に入らないために、欧米諸国が取ったのは、休業補償です。カネは都市生活者が生活必需品を揃えるのに必要なものですから、一律にカネをばらまいて、働けない人々の生活を支えることになったわけですが、その結果、大勢の人は働くことなく喰っていくことができるという状態が一時的に作り出されました。(もちろん、生活必需品を生産するところは稼働している必要があるわけですが。)

そのカネはどこから出ているのかを、とことん突き詰めて考えれば、カネとは中央銀行が作り出した幻にすぎないということになるわけで、これを機に政府が通貨発行権を握り、一定量のカネを国民に給付すれば(ベーシックインカム)大きな経済活動なしに、(すなわち地球の環境破壊をせずに)現代社会が成り立つ可能性の証拠を図らずも示したことになっているように思います。

現在の日本では、増税と貧しい生活を強いられる一般国民の一方で、大企業は歴史的な内部留保を積み上げていますが、それは消費活動、経済活動の低下を引き金にした負のスパイラルに落ち込んでいる証左でしょう。つまり、当の資本家が資本主義が破滅寸前になっていると実感しているがためにカネを溜め込むという行動にでているのだと思います。

今後、多くの仕事がAIなどの発達で消えていきます。このことは、本来なら人間がこれまでのように働かなくても、社会の機能は保たれるということを意味しています。生活必需品や食糧の生産を考えても、数々の効率化、機械化によって昔は100人必要だった仕事が今は一人でできるようになったものも沢山あるわけで、本来なら、その99人は遊んで暮らせるはずです。が、そうはなっていません。それはカネが蓄積可能な力であるがゆえでしょう。つまり、富が分散されずに一部の人がその力を独占しているからです。その富は本来、政府が再分配する役割を負うわけですけど、現在の日本を見れば分かる通り、政府と資本家はグルになっていますから、消費税で一般国民からカネを巻き上げる一方で、そのカネを企業の減税に使うという全くアベコベのことをやっています。

話をもとに戻しますと、この緊急事態によって、政府は(少なくとも欧米では)大きく介入せざるえなくなった結果、一般国民にカネを分配することによって、働かないと喰っていけない、カネを稼がないと生きていけない、借金苦のために生命保険をかけて首を吊らなくてよい世の中が(一時的に)出現しているともいえるでしょう。社会を守るために、個人の自由な経済活動にまかせていた資本主義国家が、社会主義国家として振舞わざるをえなくなったということです。

この状況が続けば、ベーシックインカムがあれば、人々はあくせくと働かなくても生きていけるのではないか、と思い始めるでしょう。そのためには、働きたい人が好きなように働く世の中で、生活必需品や食糧やインフラの供給をどう維持していけばよいか、その方法を考えはじめるでしょう。それが大多数になれば、カネの力で人々をコントロールしてきた一部の資本家による支配構造が崩れるかも知れません。ならば、原発もやめれるようになるかも知れませんし、戦争もやらなくてすむようになるかも知れませんし、米軍も沖縄からでていき、無能な世襲議員の大臣が国民を搾取することもなくなるかも知れません。

資本主義のパラダイムの中で生まれてからずっと育ってきた我々に、社会の別のありかたを想像するのは困難かもしれません。(共産党の支持率が低いのもそういうことでしょう)。二宮金次郎の像が大抵の小学校にあって、働かざるもの食うべからず、という言葉を聞かされて育ち、「労働の尊さ」を口実にブラック企業に搾取されてきたわれわれが、「働いて稼がなければ喰っていけない」という強迫観念から自由になって新しい社会の形を考えるためには、ショック療法が必要なのかも知れません。

今回のコロナによるロックダウンがそのショック療法になるかも知れません。イデオロギーに先導された社会改革ではなく、ボトムアップで人々の意識が変化し共有されて社会が変わるのであれば、やはりマルクスの予測に沿って、資本主義社会は、共同体や人を第一に考える社会へと進化していくのではないでしょうか。
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他に配るものがあるだろう

2020-04-03 | Weblog
施設の閉鎖は二週間延長となりました。閉鎖が解除されたあと、多分、復旧にはあと数ヶ月はかかるでしょう。その遅れのダメージがどれぐらいになるか読めません。読めたところで、家にいてできることは非常に限られていますし。ま、思考停止状態に近いです。

思考停止といえば、停止する以前に「思考力」そのものが存在しないとしか思えないアベ政権。それにしても「お肉券」とか言い出した時のアベ政権の無能ぶりには呆気にとられましたが、今回の一家庭に布製マスク二枚配布、しかも再来週から、というバカ丸出しのニュースには、殺意を覚えました。これだけ邪悪な上に無能なら、焼却処分でいいでしょう。


 

この政府の無能さ加減は、「アベ、ソーシャルメディアに嘲笑される」という書き出しでロイターを通じて世界に配信されました。コロナよりも何よりも日本にとっての一番の危機はアベ政権でしょう。原発事故の時にも思いましたけど、自分では手に負えない状況に置かれて、唯一助けの手を差し伸べてくれるはずの政府が、徹底的に無能であり、無責任であるという国は絶望的です。
かつて、日本は政治は三流だが官僚は一流だと言われましたけど、少なくとも今のアベ政権下の官僚は、佐川くんやその他財務官僚の例を出すまでもなく、その無責任さ、事なかれ主義、もっと言えば、自分さえ出世できれば国民はどうなってもよい主義、をみると一流どころか、できない人の集まりにしか見えないです。小手先の受験技術に長けたものを選抜して国のトップに据えるからこうなるのでしょう。過酷な現実を小手先の霞ヶ関話法と三百代言で乗り切ろうとしてもムリです。

マスク二枚の配給で、世界的なパンデミックとなっているコロナ危機を、各自でなんとかしろ、というのは、想像するに先の大戦末期の雰囲気に近いのではないかと想像します。
松の根から油を取ってを戦闘機の燃料にするとか、竹槍でB29を撃ち落とすとか、家庭の鍋や釜を集めて武器を作るとか、もう荒唐無稽な話を真面目な顔してせざるを得ない状態なのかも知れません。単にアベ一味が極端に無能なだけであってほしいですが。

どうせ家庭に配るなら、マスク二枚よりも金をかけずに状況をよくできるものがあります。内閣府信任への国民投票権。
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