百醜千拙草

何とかやっています

独立国ニッポン

2014-09-30 | Weblog
知らぬ間に国連総会からアベは帰国していたようです。ネットでの様子を伺う限り、全くのムダどころか、恥の上塗り、と不評。宮沢喜一や福田赳夫と比べて批判している記事もありました。しかし、そもそも最初から出来が全然違うのだから、歴代自民党総裁の中でもとりわけ秀才であった彼らと比べても虚しいだけです。

国連総会前、外交関連でのニュース。
安倍政権はロシアのプーチン大統領の秋の来日を断念せざるを得ないとの判断を固めた。ウクライナ情勢でロシアと対立する米国の理解を得られなかったため。複数の日本政府関係者が、明らかにした。

「独立国」ニッポンは、アメリカ様のご意向には逆らえません。プーチンにしても、アベと話したところで何の得る所も無いので、時間をムダにせずに済んだ、と思っていることでしょうな。

安倍晋三首相は、北京で11月に開かれる国際会議に合わせての習近平国家主席との首脳会談実現に重ねて意欲を示した。米ニューヨークでコロンビア大学の学生らの質問に答え「日中関係を改善したい。ちょうど(訪中が外国訪問)50カ国目になる。ぜひ習氏と会談したい」と述べた。

是非とも、止めて欲しいですね。中国はアベと話をしても何の意味もないと良くわかっているでしょうし、関係改善どころか、余計悪くしかねません。アベが辞めることが何よりの関係改善につながると思います。この男は、国連の演説でもそうでしたが、日本国民が貧困化していくのには全く無頓着なクセに、外国にはカネをバラまいて良い格好をしたがるのです。外国にはカネをバラまくだけで、その他には何もできないとバカにされているのに。

国連総会前のニュースでは、
安倍晋三首相は22日午前(日本時間同日深夜)、国連総会に出席するため政府専用機で米ニューヨークのケネディ国際空港に到着した。25日の一般討論演説で国連改革への意気込みに加え、国際社会の平和と安定に貢献する姿勢をアピール。各国首脳とも個別に会談し、過激派「イスラム国」への対応やウクライナ情勢をめぐり協議する。

国連改革について演説したらしいです。この男は、なぜ国連運営費をアメリカに次いで二番目に多く出しているにもかかわらず、日本は国連常任理事国になれないのか分かっているのですかね。これではまるで、アルバイトが会社経営に口を出すようなものでしょう。偉そうなことを言う前にまずは正社員として認めてもらえるように態度を改めるのが先ではないですかね。ましてイスラム国への対応やウクライナ情勢をめぐって協議してアベは何かの役に立てるとでも思っているのでしょうか。アメリカの手先になって、カネと自衛隊を出して、ウクライナ詐欺、イスラム詐欺に加担しますよ、とでも言いたいのでしょうか。ロシアは戦勝国で国連の常任理事国、日本はアメリカの属国、何の協議ですかね。あるいは、単なる仕事してるフリをしてカッコつけたいだけですか。しかし、それにしても本人は「バカ殿」扱いされて、平気なのでしょうか。その辺、オボッちゃんの鷹揚さなのか、あるいは単に自覚がないなのか。

もうやめます。アベの悪口をいくら言っても詮無いことです。この男は政府官僚組織に使われているだけの飾りものですし。それにしても、日本官僚、頭の出来はアベよりもはるかに良いはずなのに、組織に入って組織と自己の利益にとらわれると、なぜ、賢い選択をすることができなくなるのでしょう。私は本当に不思議です。
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電力、余っています

2014-09-26 | Weblog
九州電力、ついで東北電力が太陽光発電などによる電力の買い取りを中止するというニュース。太陽光発電や風力発電は九州ではかなり普及している様子で九電の供給電力に対して、かなりの割合の発電力があるようです。買い取りの割合が増えすぎると電力の供給の安定性が損なわれる、ということですけど、本音はどうでしょうか。電気が余りすぎて商売にならないということでしょうかね。それでも九電、川内原発を再稼働しようとしているのですから、原発再稼働は発電が目的ではないのでしょう。

四千キロワットのメガソーラー建設を目指している鹿児島市の男性(50)は会社を設立しことし三月、九電に新規契約を申請した。既に土地代などに約一億円を投資。男性は、再稼働へ手続きが進む川内原発を引き合いに「原発への投資ではなく、送電網に投資するべきだ。多くの企業が反発するだろう」と語気を強めた。(東京新聞)

ともっともな話。送電網を整備して、電力のやりとりを効率化すれば、原発どころか発電所そのものも必要なくなる可能性もあるのではないでしょうか。そうしないのは、それではカネにならないというなのでしょう。

話題転換。
Pubmed alertを見ていたら、T先生がNatureに論文を出しているのを見つけました。患者由来のiPSを使って、スクリーニングして治療効果のある薬剤を同定した。という話です。T先生、昔は私と同じように細々とやっていたのに、iPS研究者になってK大に移ってから大活躍しています。随分前に学会で何回か会って以来、会っていないので、ふと思いついてウェッブサイトに行ってみました。髪の毛の量が有意に少なくなった以外は昔の先生の姿でした。

このNature論文は、私的にはちょっとインパクトに欠けるように思いました。スタチンでFGF受容体変異による先天性軟骨異常が良くなるという話です。この骨格異常はRas/ERKシグナル系の過剰活性が主原因であることは随分前から分かっており、スタチンがRasの脂肪修飾を阻害して細胞膜への局在を抑制し、Ras系のシグナルを抑えるとことも前から分かっていたことです。Ras系シグナルが亢進する別の骨格異常の病気のモデルがスタチンで改善したという研究も数年前にも出されています。その点から言うと、Ras活性亢進が原因の病気にスタチンが効いたという話にはあまり目新しさを感じません。患者由来のiPSを使った研究、というあたりがNatureに受けたのでしょうか。しかし、Scientificな興味はともかく、効果ははっきり証明されたようですから、translational researchという点では成功です。

この病気は先天性骨格異常の中ではもっとも頻度が高く、複数の製薬会社も最近は興味を示しています。同じK大の別のグループが10年前に発見したCNPという大変不安定な整理活性ペプチドがこの病気を改善させることを示してから、複数のベンチャーがCNPの安定化化合物を作っています。またさらに上流の受容体レベルでシグナルを抑制する合成ペプチドが開発されて、大手企業が製品化しようとしています。

製薬会社が低分子化合物でなく、Biologicsと呼ばれる主に生体の蛋白を主体にした薬剤や抗体に力を注いでいるのは、パテントの問題があります。蛋白や抗体がベースになっている薬は、作るのにそれなりの技術が必要なので、合成が簡単な低分子化合物と異なりパテントが切れてもジェネリックを作りにくく、優位を保てます。スタチンはもちろん日本が誇る発見で、コレステロール合成経路の発見がノーベル賞を取っていなければ、ノーベル賞になってもよかったと私は個人的に思っていますが(たしかラスカー賞は授賞したと覚えていますが)、スタチンは低分子化合物。しかもコレステロール代謝への影響があるので軟骨に効く用量を子供の患者に投与するというのは実際には難しいのではないかと私は思います。その点でより特異性の高いペプチドや抗体による治療が将来的には実用化されるのではないだろうか、と想像します。とはいうものの、いずれにしてもNatureに論文が載るのは素晴らしいことです。T先生の今後のご活躍が楽しみです。

その後、この話が大隅先生のブログでフォローされているのを知りました。一緒に記事になっていたのが、iPSの初めての臨床応用。リンク先の記者会見の写真をふと見ると、手術をした眼科部長、見覚えがあると思ったら、昔のご近所さんでした。一緒の電車で通勤していたので雑談したり、一緒に飲んだりしたこともあります。皆、偉くなっていますね。この方は実は他にもすばらしい才能をお持ちで、プロ級のピアニストなのです。ご近所さんだったときにも、世界的なコンクールに出場したりしておられました。昔についたピアノの先生が良くなかったのでブロになるほど伸びなかったと言われていましたが、プロのピアニストになりそこなっても天下のK大医学部から一流病院の眼科部長です。加えて、この人には育ちの良い人が持つ気品があります。天は二物を与えずというのはウソです。
ま、私は凡人でOKです。凡人なりに幸せに日々を送りたいと思っております。
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愛は勝つ

2014-09-23 | Weblog
久しぶりに実験らしい実験をしました。以前なら自然と頭に一手先の手順が浮かんでムダなくサクサクと行くはずのところが、ぎこちなくつまずきながらでしたが、はやり手を動かして作業をするというのは楽しいです。小さな実験でもコツコツと手順を積み重ねて、結果を見るときは、それなりにドキドキします。うまく行くと嬉しいです。うまくいかないと余り嬉しくはないですが、それでも何度か悪い所を考えながら実験を繰り返して成功した時はやはり嬉しいです。そんなささやかなことを日々、繰り返しながら、発見の物語を紡いで行くのが研究の楽しみだと思います。

しかし、職業研究者となると、そのようなささやかなオタク的な喜びを楽しんでいるだけでは生きて行けません。世間の役に立たないといけません。世間の(そのスジの)人々の一定数が、その発見の意味や価値を理解できるような研究成果を出して、論文として発表しないといけません。論文にならなければ、仕事をしていないのと同じであり、仕事をしていないと見なされれば、研究費もポジションも給料も貰えないというのが、現在のシステムですから、論文をよいジャーナルに通すためには、手段を選ばぬという人がいても不思議ではありません。

しばらく前のT大一連の研究不正事件を思い出しました。調査結果では、「研究室の教員や学生に対し、技術レベルを超える実験結果を過度に要求し、強圧的な態度で不適切な指示や指導を日常的に行ったため、教員らが『研究室の主幹者が捏造や改ざんを容認、教唆している』と認識したことが問題の主因となった」とあります。
そういうウワサは以前からチラホラとは聞いていました。ウチの分野でも似たようなタイプの人がいます。一流雑誌に論文はどんどん載るのですが再現性がないというのがもっぱらの評判。今回の学会でも同じマウスなのにウチの別の研究室が出したデータと全く合わないデータを発表していました。かつて、そこには「魔法の手」を持つポスドクが一人いて、他のポスドクが一月かかっても出せないデータも二日で出せたというウワサでした。こういう研究室では、アメとムチによるポスドク操作が行われており、欲しいデータを出せないポスドクに対して、指導という名のある種の脅迫が行われているらしいです。研究室のリーダーもポスドクも良い論文が欲しいのは同じです。そのために苦しい努力をした上で本当のストーリーを発見して形にしてこそ、真の喜びもあるわけですが、論文が出ない恐怖、職や研究費を失う恐怖、そういった恐怖に捕われてしまう人々は少なくないのでしょう。

人の行動の原動力は、恐怖に支配された行動か、愛による自発的な行動かのいずれかなのだそうです。恐怖に打ち勝つには愛しかありません。
研究に対する愛、あるいは研究活動に感じる喜び、それを失ってしまうと、職業研究者は、容易に恐怖に捕われてしまいます。私、それが、最近の一連の研究不正の根源にあるメカニズムではないかと思います。
特に、机の上だけで妄想しているようなPIは、研究の喜びを忘れて、論文を通すことばかりに注意を奪われ、そして論文を出せない恐怖に捕われてしまうのではないでしょうか。それでは本末転倒です。研究の喜びを取り戻すことが、私は健全な研究室の運営に不可欠だと思います。

研究の喜びをどのようにして再び手に入れたらよいのでしょうか、私が思うに、それは自分で手を動かして、実験することが一番、手っ取り早いと思います。直に手で触れて、自分で出したデータなら、そんな簡単に捨てたり、否定したり、でっち上げたりできないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

恐怖に勝てるのは愛しかありません。(恐怖に恐怖をもって対する「抑止力」というヘリクツが全く説得力をもたないのは当然でしょう)
研究者であるならば、日々のストレスの中で、失いがちな研究の喜びを取り戻すことによって、恐怖を克服していかねばなりません。

昔のRighteous Brothersの大ヒット曲を思い出しますね。

プレスリーのカバーで。


いやー、Cheesyですな。しかし、そのクサいところがいいのですね、たぶん。
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学会のあと

2014-09-19 | Weblog
学会終わりました。ちょっと疲れました。学会の規模も二、三年前から目に見えて小さくなりました。学会運営の収支報告を見ましたが、やはり大きいのが製薬会社からの協賛の低下と学会員数の低下で、ピーク時から2-3割は落ちている様子です。景気の良かった頃に貯めた十億円ほどが唯一の学会の資産ですが、そこから年に合計一億円ほどの小さなグラントを出して苦しむ研究者の一部を助けるという活動を続けるとのことなので、これは、はやければ十年で尽きます。支出を抑えるため、プログラムを凝縮して日程を短縮しているのも、学会で疲れる原因だと思います。
それでも、旧友に会ったり、色んな人と話をする良い機会で、楽しかったです。わがグループの二人も大変よい発表で好評でした。

帰りの空港で、来年の学会会長を見つけたので雑談。どうもこの人は日本人同士がお辞儀をしあう風習が興味深いようで、以前にも日本人に対する正しいお辞儀の仕方を聞かれたことがあり、今回も挨拶しようとしたらいきなりお辞儀をされて面食らいました。学会長の補佐は私のよく知っている二人です。この十年で、彼らも偉くなりました。昔は私と同じ名も無いポスドクだったなあと、我が身を振りかえってしばし嘆息。しかし、人にはそれぞれ特有の社会への貢献の仕方があります。彼らはリーダーシップのポジションについて学会や研究フィールドを引っぱって行く役目。私の役目は自分の身の回りから小さな貢献を続けていくことです。

それで、今日から学会中に休んでいたことを再開することになりました。〆切が迫ったグラントは最後の追い込みで何よりこれが最優先事項です。論文のリバイスが一件、なんとかなりそうです。多少の実験。書かないといけない論文が二件、これはグラントの後に回します。

学会中、数ヶ月前にとある一流紙にリジェクトされた論文がその姉妹紙に回り、そのレビューの依頼が来ました。この論文、複数の新しい遺伝子変異マウスを作り、それに別のマウスモデルを掛け合わせて、数年にわたって腫瘍の発生を追うという、カネと時間と労力のかかった研究で、私のような零細では絶対できないようなことをやっています。確かにDescriptiveではありますが、アクセプトでもよいレベルではないかとポジティブな回答をしましたが結果はリジェクト。こういう雑誌の論文のレビューはやはり疲れます。ちょっと迷いましたが引き受けることにして、早速、原稿を印刷することにしました。サプリメンタルデータも沢山あって論文をダウンロードして保存するだけで10分はかかりました。これを読まないといけないのかと思って、さらに暗い気分になりました。こっちは、この雑誌より3段階は低いレベルの雑誌に論文を通してもらうのに必死になっているのになあ、などとどうでもいいことを思いました。ま、違う世界の研究室の話ですワ。

学会中に共同研究者の人から原稿を読んでくれとの依頼があり、早速、チラッと目を通しました。前途多難な予感。しかもこの人は既に研究室を去ってしまって今は医者になるべく医学校に行っているので、どうしたものか、という感じです。その時、偶然、この研究室(癌の研究室です)の出した昔の論文に田谷洋一さんの名前を見つけました。柳田先生の田谷洋一さんの追悼文を読んだちょうど後でした。そういえば、私が研究を始めた頃はp53やRbなどの癌抑制遺伝子の研究は花盛りで、そもそもこの共同研究の論文も癌遺伝子と抑制遺伝子を操作して新たな癌モデルを作ろうとしたことが最初でした。田谷洋一さん編集の実験医学などの総説本をよく見かけたのを思い出しました。
 故人と言えば、学会中に別の講座の教授が死亡したというニュース。まだまだ若い年齢でしたが癌だったようです。専門が違うので直接知りませんけど、そこに以前いた研究者の人と個人的に知り合って、売り出し前の研究材料などを都合してもらったことがあります。命ははかないものです。人はあっけなく去って行き、そして忘れられていきます。
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不安を見つめる

2014-09-12 | Weblog
この一年あまり、公私ともに様々なことが起こりました。私は自分が受け止めれる許容量をどうもいつも過大評価してしまう傾向があるようで、ずっと意識的に「無理をしないこと」を心がけては来たのですが、そもそも、問題の方は私の都合と関係なくやってくるこの方が多いわけで、無理したくなくてもせざるを得ないような状況に置かれてしまうこともしばしばです。現在進行形で解決の見通しがはっきりしない問題を複数抱えていると、平常心を保つのはなかなか大変です。自分にできることをして、あとは、流れに任せるしかないのですけど、同じ流れに任せるにしても、注意一秒ケガ一生、で重要なポイントには注意を払っておく必要があります。

私の場合は「大丈夫の法則」に基づき、必要なものは必ず「ユニバース」によって与えられることになっているので、ま、何があっても大丈夫なのですけど、私に必要なものは必ずしも私が欲しいものであるとは限らないし、それにいくら大丈夫であることはわかってはいても、人間ですからつい起こる前から起こった時のことをあれこれ心配するというのはなかなか避けられないわけで、それで「不安」感じることになります。この不安という感情は放っておくと雪だるま式に大きくなりますから、不安に気づいた段階で、その不安の根拠をしっかりと確認し、対処をした上で、意識的に「不安に思うのを止める」という決断をする必要があります。不安が自分に知らせようとしているメッセージをしっかりと受け取れば不安の方も役目は終わるはずですから。

しかし、「不安に感じている自分」を理性的に確認するというのは、言うは簡単ですけど実際には難しいものです。ピアノで両手で違う拍子のメロディーを引くような感じですね。まだまだ満足ではないですが、この数年、不安を意識する努力は多少してきたので、最近は、立ち止まるべき時には立ち止まって不安の声を聞くということができるようにはなってきたような気がします。それで問題も大事には余りならずに済んでいるように感じます。それでも人間ですから不安はしばしばコントロールできなくなります。その都度、その不安を客観的に見極める練習を積んで耐性をつけていくしかありません。

来週の学会で発表のある二人が、不安症状を発症しています。一人は、演題が授賞演題に選ばれた時は喜んでいたのに、発表練習で色々言われた後、いまや、まるで裁判所に引きずり出される被告人であるかのように感じているようです。この不安は自信のなさの現われであり、もうちょっと準備をした方がよい、というメッセージにすぎないのですが、彼女は、それを通りこして、今回の発表によって自分は断罪され、有罪になれば研究者人生が終わるのだ、とでも言わんばかりの様子で、演題を出したことを後悔しているとまで言うので、ちょっと重症です。私も何かとフォローはしましたが、結局、本人の不安というのは、自分自身で気づいて見極めて対処しないと消えないもので、私には何もできないのです。それで、結果、論文のリバイス実験の相談とか、学会などよりももっと重要な話ができなくて困っております。感情の問題というのは難しいものです。

というわけで、来週中頃までおりませんので、次回、更新はしない予定です。
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なぜか練炭

2014-09-09 | Weblog
悲しくイヤな話です。日本に限りませんが、人間の闇というのは現実に存在しており、人の命や権利は力によって容易に奪われるのです。

しばらくネットで話題になっている原発番組に力を入れていた岩路ディレクターの「自殺」に関してのツイート。

ジャーナリスト田中龍作さんのツイート

権力から横ヤリが入るほど原発問題を厳しく追及していたテレビ番組のディレクターが、不自然死した。直接彼を知っているが、正義漢が人一倍強かった。クリカラモンモンとモロにぶつかる除染の取材が続くなかでの死だった。警察は自殺として処理している。
2014年9月1日 23:13
警察が自殺処理にしている報道ステーションの岩路ディレクターはもともと記者だった。権力犯罪の兆しをつかむと「田中さん、あの事件おかしいでからね」と目をギラつかせていた。会社の圧力に屈する後輩記者には、「お前ら(権力の)犬かっ」と叱咤していた。自殺するかなあ?


世に噛む日々のツイート

いろんな「殺され方」があるもんだ。ネットで全世界に公開されて殺される人。闇の世界で自殺に見せかけられて謀殺される人。
09-03 23:20


ジャーナリスト、今西憲之さんのブログ

原発報道、テレビでは、岩路記者の右に出る記者はおらんかった。、、、

今年3月の福島の甲状腺ガン問題を報道ステーション
でやったのも岩路記者。

ワシと原子力ムラの陰謀もやった。
福島のデタラメ除染も、いっしょに報じた。

いまも、信じられんです。
なんでやのん?
しかも、自殺とは。


どうして、この手の「自殺」は「練炭自殺」なのか、という件について、再び、世に噛む日々のツイート

「これは他殺かもしれない」と、ある程度思わせることが重要なんだろうな、練炭自殺偽装は。でなければ、「見せしめ」にはならないんだもの。
  

@s_hiroki24
どなたかが亡くなられた際の警察の対応で、原因や動機や現状に疑問がある場合に『不審死』とされるようで、その場合には一定の調査や捜査がなされる。しかし『自殺=自死』と判断され書類上の手続き(処置)が済んでしまうとたとえ情況に不審があっても調べられることは無い。
2014年9月2日 03:54


こういうニュースに対して、われわれはどう対応するべきなのでしょうか。別の世界のことだと見ないふりをして「自殺」だったことにして、自分の幸せだけを考えているべきなのでしょうか。そうして自分の幸せは守れるのでしょうか。よく、わからんです。知ること、見ること、現実から目を背けないこと、その辺りのできることをするしかありません。

かわって、明るい話題、錦織選手のUSオープン決勝進出。ジョコビッチに勝つと思わなかったし、相手のドローでフェデラーが負けるとも思わなかったので、これはひょっとすると、本当に史上初で日本人のグランドスラム大会優勝があり得るかも知れません。あと数時間すれば、わかります。やはり武器は正確なストロークと足ですね。コーチが俊足のマイケル チャンということで、多分相性も良いのでしょう。相手の人はチラッとフェデラーとの試合の様子を見た所だと、大型のストローカーのようです。リーチが長く、ミスの少ないプレーで両手バックハンドでショットにそこそこ威力があります。サービスも長身の割にはしっかりスピンの利かせて着実に入れてくる感じで、かつてのコーチのイワニセビッチのようにスピンの少ない速いサーブでエースを狙うようなタイプではなさそうです。こういう相手はイヤですね。勝てるとしても持久戦になりそうです。
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ブタに口紅

2014-09-05 | Weblog
しばらく前の話題ですが、ウクライナでのマレーシア機追撃事件、この事件そのものが陰謀であったのか、どうみても余り賢くなさそうな西側ウクライナの短慮の結果であったのか、わかりませんが、機に乗じて、(多分、アメリカ戦争ビジネスマンの差し金なのでしょうが)東側ウクライナを支援するロシアに矛先を向けて、対露経済制裁を始めたアメリカとEU。私も話の展開から、西側ウクライナが、マレーシア機をプーチン専用機と誤ったか、もしくはわかっていて意図的に撃墜した可能性が強いと考えていましたが、先日の、田中宇さんの国際ニュースに、より詳細な状況が解説してありました。ロシアが制裁返しを発表したのがつい数週間前、どうもすでにEUと西側ウクライナではロシアの制裁返しでかなりの被害がでてきてるようです。これから冬に近づいて、ロシアが制裁を天然ガス輸出まで拡げたら、ヨーロッパは本当にパニックになるだろうと私は想像します。BRICS諸国での協力体制が整いつつある中、ロシアは既にアメリカやヨーロッパ諸国なしでもやって行けると考えているのではないかな、と思います。実際にこの危機でEUからの食品輸入を一部、停止したためにBRICS諸国間でも貿易は増え、よりBRICSの結びつきを強めている結果になっているようです。欧米の戦争ビジネスマンよりもプーチンの方が一枚上手のような感じですね。この展開を見ると、マレーシア機が追撃されたのは、ちょうど、プーチンがBRICS銀行設立の会議とワールドカップに出席してブラジルから帰国の途にあった時でしたから、「誰か」がBRICSの要となるプーチンを暗殺しようとして、間違えて、同時間にプーチンを乗せて飛んでいたロシア大統領専用機とよく似たマレーシア機をうっかり撃ち落としてしまったというスジがもっとも腑におちます。殺された一般人乗客は気の毒です。

これまでは比較的冷静にやっているように見えるプーチン、つい先日、欧米に対して「ロシアは核大国であることを忘れないように」と、ドスの利いた声で上目遣いに言ったそうです。オバマ政権の間は大丈夫と思いますけど、次の大統領次第でアメリカはまた無茶をやってプーチンを本気で怒らせることになるかも知れません。

それはともあれ、飛行機乗客にしても、その後の制裁合戦にしても、関係ない一般人が迷惑しています。とりわけロシアとの貿易で商売していたヨーロッパの人々は苦しそうです。ロシアとの貿易による経済活動が大きかった国々はもちろん、EUでトップのドイツでさえ、この経済制裁返しのおかげで、今年はマイナス成長となる危機だそうです。この分では、戦争ビジネスマンのかわりに、金融マフィアが活躍しそうです。

話が変りますが、厳しいと言えば、研究環境です。つまりカネのことですが、現在の厳しいグラント環境では、よい商品(研究、研究計画)であっても中々、買ってもらえません。アメリカNIHはつい数ヶ月前、グラントの応募回数制限のワクを取り除きました。これまでだと、同じ計画は二回までしか応募が認められず、そのせいでよいアイデアであってもオクラ入りしてしまうものを防ぐためだと言っています。理屈はわからないではないですが、ただでさえ、採択率一割という状況で、カネは増えないのに応募基準は緩めるのですから、このポリシーが発効する次回のグラントサイクルでの競争率は激烈なものになる可能性があります。採択率5%というのもあり得なくはないでしょう。つい先日、NSFが特別に発表したNeuroscience グラントの応募は当初の12本というワクに600の応募があったそうです。採択率2%となるところでしたが、流石にNSFが驚いてワクを3倍に上げて対応したそうです。それでも採択率は6%。もちろん、数や競争率だけでは何とはいえません。この状況では無理とわかっていてもダメでもともとで応募してくるDesparateな人も多いでしょう。それでも、ここまで競争が激しいと研究を志す若い人はますます少なくなるでしょうね。

私も研究費の獲得がこの数年の第一目標となっています。研究することよりもいかに良いグラントを書くかということに今年はずっと時間を費やしており、自分でも「何をやっているのだろう」と落ち汲んでしまう日もあります。本末転倒もいいところです。
グラントをレビューアに「買ってもらうには」、商品がよくないといけないのは当然ですが、加えて、購買意欲をそそる売り方をしないといけません。このあたり、科学とは全く無縁のセールス活動で、やっているうちに心の底から嫌気がさしてくることがあります。セールスも最初はゲーム感覚で楽しくもできるのですけど、やはりゲームはゲームです。競馬で買って嬉しいというのと大差ありません。だいたいセールスゲームがやりたくて研究者を志したのではありませんし。やはり、何らかのTangibleな実際の研究成果に勝る感動はありません。

先日、インターネットで、誰かがNIHに応募したグラントとその評価を見つけました。肝心の研究内容がいまいちインパクトに欠けますが、セールストークはうまいです。このグラントは大学院生レベルの人が応募したフェローシップのようでしたが、文章は、大学院生レベルで書けるようなものではありません。グラント応募経験の豊富な指導教官か誰かがかなり手助けしたのでしょう。思わず、笑ってしまったのは、レビューアの一人が、グラントのセールストーク (grantsmanship) が鬱陶しい、とコメントしたことです。このレビューアは、余程、虫の居所が悪かったのか、私と同じくグラントのセールストークそのものにウンザリしていたのかいずれかでしょう。レビューアをその気にさせて、スムーズにグラントの価値を認識してもらうための話術は、必要なものですが、商品がパッとしないと、宣伝倒れで逆効果になりかねないと納得した次第です。中身あってのパッケージということですね。6年前の大統領選で、「口紅を塗った闘犬」サラ ペイリンとオバマとの討論会の時に有名になった比喩、「口紅を、ブタに塗っても、ブタはブタ」を思い出しました。
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出版ビジネスとOpen peer review

2014-09-02 | Weblog
BMCオンライン雑誌から論文レビューの依頼がありました。BMCの雑誌からの依頼は多分、初めてです。
オンライン雑誌はビジネスになるらしく、ますます百花繚乱の様相を呈してきていますが、BMCはオンライン雑誌としては老舗で、以前から多くのタイトルで(失礼ながら)二流論文を専門に載せてきた雑誌社です。大量に出版し、かつ印刷はしないので、コストは低いし、ピア レビューは研究者の奉仕活動で、勿論無料ですから、かなりビジネスとして儲かっているようです。
私、論文レビューの依頼はせいぜい月に数本ぐらいなので基本的に断らないことにしていますが、今回の依頼のメールを見て、結局、断ることにしました。

この雑誌は"Open peer review" systemというのを採用しているそうです。つまり、ふつうはブラインドでするレビューをオープンにして、出版された暁には、レビューアのコメントもレビューアが誰であるかも、著者にも読者にもわかるようにしているということです。実際に出版されている論文をみると、確かにレビューアの名前とレビューの内容が晒されています。レビューアのコメントと著者のやりとりを晒すこと、これが何の意味があるのか私には全く不明です。すくなくともレビューアにとってのメリットは何一つ思いつきません。レビューは基本的に研究者による無償の奉仕活動です。これがないとピアレビューによる論文出版という科学活動が成り立ちません。みんなお互いさまだと思ってやっています。しかるに、無償のレビューアの奉仕活動を利用してビジネスしているこの二流論文専門オンラインジャーナルは、そのレビューアの名前と仕事内容をさらすと言っているのです。レビューアの仕事にクレジットを与えるためだと言い訳してありますけど、誰もそんなクレジットは研究者の評価に採用しません。

私のレベルでは、レビューに回ってくる論文の8割は、正直言って、読んで時間を損したと思うようなものです。でも稀に、面白くて読んで得した気分にしてくれる論文が回ってくることもあります。そういうこともたまにあるのでレビューは引き受けています。それが私がレビューする上でのほぼ唯一の楽しみです。残りの8割のパッとしない論文は、読んでコメントを書いていると、忙しい時は特にそうですが、腹さえ立ってきます。それでも、表面上は冷静に論理的にダメなところを指摘しておわりです。

著者側はしばしばそんなレビューアの事情など気にしません。批判的コメントを読めば、いくら論理的に書いてあったところで、人間ですからしばしば腹を立てて、「このレビューアはわかっていない!」とレビューアの悪口を言ったりするものです。本来、読者やレビューアが読みやすいように分かりやすいように書くのは著者側の責任です。レビューアが理解できないのであれば、それは理解できるように書かなかった著者の方が悪いですが、人間は身勝手ですから、つい、自分を責めるよりも他人を責める方を取るのです。

著者側にとって論文の審査をされるというのは、それだけの感情的問題の絡むプロセスです。それは、レビューアと著者とのパワーバランスの差にあると思います。著者側は、お願いして審査してもらう方です。立場が弱いです。しかし審査が通れば、業績になるというご褒美があります。レビューアは審査をする側、しかし、それなりの時間を費やし論文を読みコメントを書いても、審査が通ろうと通るまいとレビューアには別に何の報酬があるわけではありません。この最初から対等ではないバランスの悪い関係でありながら、レビュープロセスを晒すというのは、レビューアにとって余りに不公平であろう、と私は感じる次第です。研究者仲間は、仲間であると同時に競合者です。狭い世界ほど仲が悪いことが多いです。とりわけレビューアが的はずれな批判をして、そのために論文の出版に苦労したりすると(よくあります)、著者としてはそのレビューアに心から感謝することは難しいでしょう。むしろ、逆です。立場が何かの拍子に逆転したら、仕返しをしてやろう、と感じる人もいるでしょう。(人間ですからね)

研究者の無償のレビューという奉仕活動を利用してビジネスしているこの二流雑誌に、そういうリスクを犯してまでも協力する必要はないだろうと私は判断しました。このシステムを考えた人は、単に人間の感情の問題に疎いのか、科学の議論は感情を介さないものだとでも誤解してるのか、あるいは、余りにエラいので誰に憎まれても平気、のどれかなのではないかな、と想像した次第です。レビュープロセスをオープンにするのなら、レビューアにそれなりのcompensationをすべきであろうと思います。あるいは、「Open peer review system」にするよりも、他の数学などの論文のように、まず、レビュー無しで発表し、それから批判を乞うという形にするのがフェアでしょう。もちろん、生物系論文でそのようなシステムは機能しないだろうと思います。とにかく論文の数の方が読者の数より多いぐらいですからね。
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