百醜千拙草

何とかやっています

ニュースを聞いて

2007-07-31 | Weblog
アメリカは先の中間選挙で、ブッシュの政策に愛想をつかした国民は、民主党議員に票を集め、民主党議会が成立しました。今回、日本でも同様に前首相と現首相の路線に愛想をつかした国民が参院選でその意思を表明しました。この歴史的な自民党大敗をうけてなお、首相を続投するのが自分の責任だというトンチンカンなコメントを出した現首相の理解力はおそらくブッシュ並みなのでしょう。それでは、小沢一郎がやってくれるのかというと、これもちょっと疑問ですが、とにかく小泉/安倍路線が潰れないと先に行けませんから、一歩前進です。

今朝のニュースで、映画監督のイングマールベルイマンの死亡を報告していました。この間、数十年ぶりにベルイマンの映画をDVDで見たところでした。ベルイマンは英語読みだとバーグマンで、イングリッドバーグマンと同じ名字です。カサブランカでハンフリーボガードの相手役だったイングリッドバーグマンを見た時には、絵に描いたような美人だなあと感心したのですが、その後中年になってからの映画をみたときには、ただの図体の大きい北欧のおばさんという感じになっていて、年月の無情を思い知らされたものでした。北欧はアジア人の私にとってはもっともエキゾティックな国という先入観があります。スウェーデン家具のIKEAに行くと、スウェーデンの食品なんかも売っていて、私はリンゴンベリーのジャムが好物です。スウェーデン風のミートボールにこの甘酸っぱいジャムをつけて食べると、春の北欧の草原(もちろん見た事はありませんが)が思い浮びます。こうした訃報を聞くにつけ、自分の青春時代が少しずつちぎれて消えていくような気がします。それでも余り悲しい気にならないのは何故でしょう?
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希望と不安

2007-07-27 | Weblog
昨日の夜中、不安を感じて目が覚めて一時間ほど眠れませんでした。将来に対する様々な不安が突然湧いてきたのでした。不安や心配が役にたったためしはないし、ある人の言う通り、行き着けるかどうかもわからない将来を心配して夜もゆっくり眠れないなどというのは愚かなことです。そうわかっていても不安を感じざるを得ないのが人間というものでしょう。
 私に限らず現代人は皆なんらかのプレッシャーと将来に対する不安になやまされていると思います。将来ずっと食べていけるのか、家族を養っていけるのか、自問自答したら、自信を持って肯定できる人はいないでしょう。皆なんとかなるだろうと思って毎日送っているわけですが、病気や事故やリストラなどなど、数えきれないほどの不幸な出来事が世の中にはあって、いずれも一回おこるだけで、何とかなるだろうと思っているその不安定な気持ちを一瞬で吹き飛ばしてしまいます。しかし本来、「安定」というのは幻想であって、どこにもないものです。安定な職とか安定な家族とか安定な社会とか、どこにもないのです。万物流転、諸行無常、花に嵐、さよならだけが人生だ、なのでしょう。確実なのは過去とも未来とも繋がらない現在の一瞬だけということに目覚めようというのが、古今東西多くの賢人たちの提言であるように思います。(そもそも過去から未来への時間軸がなければ安定とか不安定とかいった概念そのものが成り立ちませんが)過去に比べて現在、昨日の将来への見通しに比べて今日の見通し、世界をそうした一連の時間軸の中で考えることができるのが人間の特権でしょう。だからこそ不安を感じるわけですが、実は、未来に不安を感じるか、希望を感じるかは、只今のちょっとした心の持ちようとも言えます。
 映画、アンネの日記の中で、二年に渡る隠れ家での辛い生活の挙げ句にいよいよ隠れ家がゲシュタポに見つかってアンネフランクの一家が連行されようとするとき、父のオットーが静かに語ります。

We have been living in a fear, but now we can live in a hope.

いい言葉だなと思ってそのシーンといっしょに覚えています。二年間の辛い隠れ家生活に耐えてきたのは、いつか連合軍がユダヤ人を解放していれるという希望ゆえでした。その希望がまさに潰えようとする時になお、希望を捨ててしまうことを拒んだのでした。避けられない困難に見舞われた時に、それをじっと受け止める力をもつ者が本当に強いのでしょう。同じモティーフの映画、Life is beautiful (La Vista e Bella) でも、最後まで困難に自ら負けてしまうことを許さなかった主人公の強さと戦争の無情さを描いています。
 希望を無くしたら人は死んでしまいます。不安は希望が実現しない可能性への怖れであり、希望があるからこそ存在するとも言えます。しかし有害なものですから、無いにこしたことはありません。
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天は自ら助くるものを助く

2007-07-23 | Weblog
しばらく書き物をしていて、あらためてパソコンとワープロの便利さを実感しています。パソコンでの書き物にMicrosoft Word は欠かせません。その他のワープロソフトを余り使った事が無いので比較はできませんが、昔、パソコンでの英作文を始めたころから、皆アップルのコンピュータにマック版のワードという組み合わせでやってました。それだけワードの使い勝手がよかったのか、たまたまそこにソフトがあったから皆で使っていたのかよくわかりませんが、私は未だにマックにワードです。現にこの日本語もワードを使っています。そのワードを作った初期チームのメンバーの一人、 Richard Brodieがマイクロソフトを去ってから出した本が、「Getting past OK」でした。この本の発行は今から約15年程前になりますが、私が読んだのは5-6年前です。結構感銘を受けて、これを学生時代に読んでいたら私の人生は随分違っていただろうと思った覚えがあります。最近は皆が「成功」しようとする意識が高いようなので、この本に書いてあることはとりわけ目新しいことはないかも知れません。この本を読んだ当時は私はそれまでビジネス書や「成功本」は余り読んだ事がなかったし、私の学生時代のころは、自分の成功ばかりを追求することは浅ましいみたいな雰囲気もありましたから、その本に書いてあった事は結構新鮮でした。もっと広い意味で、生きている理由や目的を知り、より充実した人生を送るために重要な事というのは、世間が言う成功するために重要な事と同じなのです。私が中でも特に重要だと感じて、以来折りにつけ自分に言い聞かせていることは、「自分の人生に起きるすべての事に責任をもつ」ということでした。しばらく前、誰かのブログで、大阪の雑踏を歩いていた小さな女の子とそのお母さんの話を読みました。火のついた煙草を無造作に持って人ごみを歩くマナーの悪い人が大阪(に限りませんが)には沢山います。その煙草がその女の子の着ていた洋服にあたったらしく焦げあとができてしまったのです。小さな女の子はお気に入りの洋服の焦げあとを見て泣き出しましたが、その女の子に向かってお母さんは、「この人ごみでマナーの悪い人がいっぱいいるのだから、注意して歩かないと自分が損をする」と諭したというのでした。これを見ていた著者の人(非大阪人)は、いわば被害者のしかもまだ幼い自分の娘に対して、加害者の非を責めたり被害を慰めたりする以前に、自分が損をするしないということをまだ幼い女の子に言っているのを聞いて、大阪の人に感銘(余りポジティブな方向ではない)を受けたのでした。しかし私はこの話を読んで、このお母さんは「できる」と思ったのでした。自分の人生に責任を持つということは、不可抗力と思えるようなことに対しても、自分の行動が寄与した部分をはっきりさせ、それによってより「得な」人生を送る秘訣なのです。このお母さんがもし、「くわえ煙草で歩く人が悪い、人ごみが悪い、大阪の警察の取り締まりが悪い、、、」と自分ではなく外の要因ばかりに注意を向けたら、自分自身の過失を看過してしまいます。勿論、人の迷惑や危険を理解しないマナーの悪い人が、悪いに決まっています。要は、良い悪い、正しい間違っているというレベルでとどまっていては向上は望めないということです。いくら正論を身にまとっても、正論は我が身を悪い人から守ってはくれません。そういう危険があるのに十分注意しなかった自分が悪いのです。そう考えられれば、次から同じ事がおこる可能性は低くなります。相手が悪いと思って自分を改めなければ、また同じ事がおこるでしょう。この被害者意識というか、自分の不幸を常に誰かのせいにしていまう性向というのは、非常に有害です。そのうち本当は自分が悪くても他の誰かや社会や何か自分以外のもののせいにし出します。
 江戸時代の禅師、盤珪のエピソードで、短気を相談する僧の話があります。

僧: それがしは生まれ付いて平生短気でござりまして、師匠もひたものいけんを致されますれども、直りませず、私も是れはあしき事じゃと存じまして、直そうといたしますれども、これが生まれ付きでござりまして、直りませぬが、是れは何と致しましたならば、直りましょうぞ。お示しにあずかりとう存じまする。
盤珪: そなたはおもしろいものを生まれ付かれたの。今もここに短気がござるか?あらば只今ここへお出しゃれ。直してしんじょうわいの。
僧: ただ今はござりませぬ。なにとぞ致しました時には、ひょっと短気が出まする。
盤珪: 然らば短気は生まれつきではござらぬ。何とぞしたときの縁によって、ひょっとそなたが出かすわいの。そなたの短気が出まするは、向こうの者がそなたの気にさかうた時、我が思惑のようになきに、思惑を立てたがって、向こうのものに取りあうて、我でに短気を出かしておいて、短気が生まれつきでならぬというは、親の生みつけもせぬ難題を、親にいいかぶする大不孝なんでござるわいの。人々みな親の生み付けてたもったは、仏心ひとつで余のものはひとつも生み附けはしませぬわいの。我でかさぬに短気がどこにあらうぞいの。

短気を「生まれつき」と片付けてしまえば、短気は直りません。短気であるのは自分自身に責任があると考えることが、短気を直す最初の第一歩というわけです。
 研究や人生では、運とか不運とかしかいいようのないことが沢山おこります。そうしたものがあることは皆が理解していると思います。もし自分が億万長者の家に生まれていたらとか、もうちょっとハンサムだったらとか、そんなことを思わない人はいないでしょう。世の中不公平だなあとため息をついたことの無い人もいないと思います。しかしそこで、着実によい人生を実現していける人は、金持ちや二枚目に変に嫉妬したり、金持ちでもハンサムでもない親を恨んでみたり、結局世の中は運次第だと開き直ってみたりはしません。不公平な世の中を受入れ、不運な自分を受入れて、その中でベストを探して努力しています。私のまわりにも人生期待したようにいかずに不平をこぼす人がいますが、必ずといっていいほど、うまくいかないことを何か自分以外の人やもの、それが見つからない時は運とか天とかのせいにしています。そういう人に成功の秘訣は「ハードワーク」だよと教えて上げても受入れようとはなかなかしないのです。幸せな人生を送っている人は間違いなく自分自身でその幸せをつかんでいるようです。(少なくとも私はそう考えて励みにしています)
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シンクロニシティ

2007-07-20 | Weblog
ユングのシンクロニシティ(意味のある共時性)を知って興味をもってから、現在おこっていることを自分の意識と関連づけ、意味性を汲み取る練習をすることで、多少の未来が私は見えるようになりました。実は、Laura Day の書いた「practical intuition」という本を偶然買って読んでから、ちょっと自己流で練習してみたのです。しかしその予測の精度は使い物になるほどのレベルに達せず、結局練習をやめてしまいました。今回、シンクロニシティを思い出したのは、アリゾナでの巨大なダストストームがあったとのニュースを見た事と、その前日にスタインベックの「怒りの葡萄」の映画を見たということからでした。 この映画はHenry Fordが主演した1940年のモノクロ映画です。怒りの葡萄は1939年に発表され、翌年スタインベックがピュリッツア賞を受賞することになった小説ですが、土地を追われたオクラホマの小作農の一家がカリフォルニアへ向かい、更なる試練にみまわれるという話です。このオクラホマ農民のカリフォルニアへの大量移動は、1930年代の無謀な農耕計画によって中南部の大平原の土地の荒廃を来した事がきっかけとなっています。草原の過剰な開拓によって、土地は乾燥しそれが東へと吹き飛ばされて巨大なダストストーム(ダストボウル)が起こりました。それは更に肥沃な土の喪失となり、結局、大平原の農民たちは土地を捨てざる得なくなり、数十万人レベルの難民の西への大移動となったという事件が小説のもとになっています。持たざるものを搾取するカリフォルニアの大農園主、それに対して労働組合を組織しようとする労働者への弾圧などの社会問題を取り上げ、そんな中で貧しくも力強く生きる一家を描いています。小説は聖書のエジプト脱出のエピソードに掛けているとも言われています。生まれ育った土地を捨てて脱出するというモティーフを持つ話には当然ながら似かよった雰囲気があります。「怒りの葡萄」を見て、なんとなく思い出したのが「屋根の上のバイオリン弾き」でした。帝政ロシアのユダヤ人弾圧によって、土地を追われてアメリカへ脱出するところで話が終わるのですが、そうした苦境にあるからこそ、弱い人々はよりお互いを支え合い心を通わせ苦難に耐える力を見つけるのでしょう。そうした人間の根本的な力強さみたいなものをこれらの映画は描き出しています。「屋根の上のバイオリン弾き」での名曲、「Sunrise, sunset」は主人公の意に反して、仕立て屋の男と結婚してしまった長女の結婚式の場面で流れます。その結婚式を見守る主人公の、子供の幸せを願う気持ちがにじみ出ているいいシーンだと思います。結局5人の子供たちは誰一人、自分が望んだような選択をしてくれなかったのですが、それを親として認めていくその過程がコミカルに描かれています。屋根の上のバイオリン弾きの中での私の好きなもう一つの曲は、「If I were a rich man」で、あの妙なスキャットは何ともいえませんね。一人で実験室にいるときなどにふと頭に浮かんできてつい口ずさんでしまったりすることがあります。
屋根の上のバイオリン弾きとは、不安定なユダヤ人の生活を表す比喩なのですが、不安定といえば研究者もそうです。まあ安定なものなど何一つありませんから研究者に限りません。Cliff Hangerでないだけましですか。

 と、ここまで書いていたら、もう一つ悲しいシンクロニシティがありました。日本のユング派の先駆けである河合隼雄さんが亡くなったとのことでした。河合さんの話を生で聞いたのはもう十年以上も前の学会の特別講演でした。唯物的近代科学の手法を用いて研究を行う科学系の聴衆には、河合さんの話はかなりうけが悪かったように見えましたが、(唯物論を完全に肯定しないという立場での)神秘主義であった私には、なかなか面白い話でした。また、精神科の授業で唯一未だに覚えているのが箱庭療法で、ポリクリのときにみた箱庭の印象が残っているのですが、箱庭療法を日本に紹介したのも河合さんでした。鈴木大拙と河合隼雄はスタイルや研究の内容は違っても、近代日本のスピリチュアルリーダーでありました。その仕事はこれからも多くの若い人々によって更に受け継がれていくことと思います。
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怪しいアメリカの正義

2007-07-17 | Weblog
国防省長官がテロの危険が9-11前のレベルにまで高まってきていると感じているとの発言が、イラク戦争にいい加減うんざりしているアメリカ国民の反ブッシュ感情をさらに煽り立てています。あれだけ大量の犠牲者を出しながら、大した成果も得られず、その見込みもないイラク戦争のそもそもの最初の建前は、イラクの保有すると思われる大量殺人兵器を根絶し、テロリストの温床を叩くということでした。イラクとアルカイダの関係をみると、すでにこの論理自体が国民の支持を得るための方便ででしかないことは明らかです。更に、数年にわたる戦争の結果が、イラクの政情は安定の兆しもなく、バグダッドやロンドンでは毎日のようにテロによる破壊活動がおこり、国防省長官までがアメリカでのテロの危険はむしろ高まっている(ように感じる)と発言した、というのですから、国民の堪忍袋の緒が切れそうになるのもやむを得ません。
始める前から結果の見えていたイラク戦争、アメリカのオイル利権確保のための言いがかり戦争によって多大な人的物的損害を出し続け、第二のベトナムと言われ、国民からも愛想をつかされた共和党政府ですが、戦争の勝利が全く見えず、ロスカットするしかない状況にありながら、現在多数派となった民主党や国民、一部の共和党員からのイラク撤退要請に対して何とかの一つ覚えのようにVetoを連発するしか能のない大統領、Lame duckの最後の悪あがきなのでしょうか。いまイラクから撤退すれば、すべてが無駄になるというのは間違いないです。しかしこのままずるずると負けが込んでいくのを意固地になって指をくわえて見ているわけにはいきません。すでに2,500人近くのアメリカ人が死んでいるのです。しかもブッシュは勝たねばならないと言いながら、勝算もなければ作戦も計画もないのです。勝負はトータルで勝たなければ意味がありません。そのためにもっとも重要なのは負けを最小に食い止めるためにロスカットできる能力ではないでしょうか。マッケーンのようにイラクからの撤退に反対している人は、すべてが無になるだけでなく、逆にアルカイダなどのテロ活動の活性化を呼ぶことを懸念しているわけです。しかし、そもそもイラク侵攻はテロへの予防的攻撃だというのはオイル利権確保という本音を隠すための単なる建前であり、実際フセインとアルカイダは直接関係はないようですし、事実イラクには大量殺人兵器は見つからなかったわけです。正直な人間であれば、そこで過ちをみとめて謝罪すべきところなのでしょうが、そもそも戦争の建前には何の本音もないのですからアメリカがそこで引くはずはありません。いつもの通り、アメリカの国益のために理由をでっち上げて戦争を始めたあとは、無理を通して道理をひっこめさせるいつもの手口でいけるだろうとの甘い読みだったのでしょうが、やるにしてももっとイスラム系のメンタリティーとか十分研究してからやるべきでした。アメリカ流民主主義が常に善であるという思い上がり、善いものは皆が受入れるべきだとの勝手な価値観の押しつけ、数え始めたらきりがありませんが、アメリカ政府の言い訳を聞いていると反吐がでそうになります。その身勝手ないじめっ子みたいなアメリカ政府のご機嫌とりばかりに終始している日本政府も情けないです。泥沼のイラク戦争でアメリカ国内にも様々な弊害が出て生きています。アメリカはご機嫌取りの日本にそのツケを回してくるのは間違いないです。実際、日本はこれまでも自衛隊の派遣など明らかに違憲でありながら、建前もプライドも捨ててアメリカの飼い犬となって奉仕してきているのです。アメリカには絶対服従という点だけは一貫しています。民主主義を謳いながら、これほど国民を騙し国民から搾取することばかり考えている政府は見た事がありません。国民はどうなっても自分たちさえよければよいという態度が政治家官僚に染み付いているのでしょう。
以前にもちょっと触れましたが、民主主義というものは本当の意味でこの世の中に実在しているものでしょうか?戦後生まれの私は民主主義は正しく、人類は皆兄弟、国民は平等であると教えられてきました。アイデアとしては何の異論もないのですが、それは本当にあるのかと問われるとうーむと唸ってしまいます。十年程前、下河辺美知子さんが、トーマスジェファソンの書いたアメリカ独立宣言の出だしについて考察しているのを読んだ覚えがあります。第三代のアメリカ大統領のジェファソンは、バージニアの出ですが、バージニアは産業的には南部で、当時はアフリカ人奴隷を使ったプランテーションが盛んに行われていました。当然ジェファソンも黒人奴隷を所有しており、奴隷の一人との間に私生児をもうけたことは有名な話です。そのジェファソンが書いた独立宣言は、こう始まります。
「われわれは以下の原理を自明のことと考える。まず、人間はすべて平等に創造され、創造主から他にゆずることのできない諸権利をあたえられており、それらの中には生命、自由、幸福の追求の権利がある。次に、これらの権利を保障するためにこそ、政府が組織されるのであり、政府は、おさめられる者の同意によってのみなりたつ。さらに、いかなる政府であれ、この目的をそこなう場合は、政府を改変、廃止して、国民の安全と幸福とを最大限に達成できるような原理や仕組みにもとづいて新しい政府を樹立するのが、国民の権利である。」
奴隷主のジェファソンが、人間はすべて平等に創造され、云々と述べているわけですから、奴隷は人間ではないと思っていたのでしょう。一番の論点はそうした言行不一致ではなく、「われわれは以下の原理を自明と考える」という出だしの文句です。これが科学論文であれば、一発で突っ込まれてアウトですね。自明のことを言うのにわざわざ「自明であると考える」と言っているのですから、実は、全然自明でないことを証明しているようなものです。つまりそれを自明でないと考えている人が他に(イギリス国王とか)いっぱいいるから、アメリカ植民地にいる者は自明と思っていると(自分は)考えたいという願望を述べたわけです。自明であったらいいなあという希望ですね。よって独立宣言で宣言されている、民主主義政府というのは根拠のない願望に基づいているといってもよい。それでも、そもそも正しい正しくないという判断に絶対的な根拠などないのですから、独立宣言の三段論法(人間は平等で幸福追求の権利がある、それを保障するために政府がある。よって、そうでない政府は改変、廃止されるべきである)を、アメリカ独立のための論理として使う分には特に問題もないと思います。しかしジェファソンが自明であると考えたかった民主主義の正義性が世界中どこでも成り立つのだと安易に信じているアメリカ国民、そしてその根拠の無い正義を建前に世論を操作し、国益(むしろ政治家自身の利益)のために不条理な弱いものいじめを繰り返すアメリカ政府をみていると、人類というものは成長しないものだなあと思います。
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歴史との邂逅

2007-07-13 | 研究
昔、はじめてノザンブロットを習った時、ハイブリジュースも当然ながら手作りでした。デンハルト液というブロッキングのための液やサーモンスパームのストックなども手作りした記憶があり、私のとってはこの技術は大昔からあるものという印象があります。しかし冷静に考えてみれば、利根川博士がノーベル賞受賞となった仕事をしたころにはサザンブロットでさえなかったのですから、科学の歴史から見るとこうした技術はそう大昔に生まれたものではないのです。ただ自分が実験を始めた頃にすでに教科書に載っていたということで、ずっと前からある古いものという印象を持ってしまったのでしょう。デンハルト液は手作りしたので、それは3種類程の薬品を混ぜてつくったもので、そのうちの一つはポリビニルピロリドンであったことをいまだに覚えています。こんなことを書いているのは実はこの間、デンハルト博士に会って話をする機会があったからなのでした。デンハルトという名前を聞いて、当然のように私はデンハルト液を思い出したのですが、まさかその人がデンハルト液を発明した本人であるとは思わず、デンハルトというのは意外によくある名前なのだなあと勘違いしたのでした。というのも私の頭の中では、デンハルト液は大昔に考えられたもので、それを創った人はとっくの昔に引退したか死んでしまったに違いないという無根拠な先入観があったからでした。だからその本人であると知った時は、お富みさんではないですが、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のなんとやらと思うほどびっくりしたのでした。生身のデンハルト博士はごくふつうの研究者で最近の仕事ではオステオポンチンのノックアウトを作ったことで知られているらしいです。(私は実際に会う直前まで知りませんでした)ですから、私のやっている骨格研究と多少のつながりもあったのでした。せっかくなので、本人からオステオポンチンがステムセルの維持や骨格系でどういう分子機能をもっているのか聞いてみたのですが、「よくわからない、細胞の生存を促進するようだが特異的な機能はない」みたいなことをつぶやくのみで、なんだかもう余り興味がないようでした。とにかく、私にとっては思いがけない歴史との邂逅であって、本人が現在どんな研究をやっているかということよりも、この人があのデンハルト液を作った人かあという妙な感激の方が強く心に残ったのでした。科学界のいろいろな有名人を講演やセミナーで間近にみたことは何度もあるのですが、いわばそのようなスターとは言えないデンハルト博士に会ったことの方が強い印象に残りました。大げさに言えば、それはおそらく、昔、実験室で一人でデンハルト液を作っていた若いころの自分の個人的な経験と科学の生の歴史とが繋がった瞬間だったからなのだろうと思います。一方、現在トップクラスの研究者はその仕事をまずリアルタイムで知っていることが多いので、生で見ても、芸能人を道ばたで見かける程度の感動しかないのだと思うのです。昔ひまだったころ、司馬遼太郎の時代小説を読んで主人公が渡ったという橋を探しに釜風呂で有名な京都八瀬の里を一人訪れたことがあります。小説からのイメージを頼りに人気の少ない八瀬の川沿いを散策していたら目立たない小さな橋の欄干にその名前を発見したのでした。何だかその時の感動を思い出します。現役の研究者に向かってこの喩えはちょっと失礼ですね。
あたりまえなのですが、現在からみた過去の中に時間的に連続した意味性、または因果性、を見つけることが歴史というものなわけで、改めて過去は現在と切れ目無くつながっているのだということを実感したのでした。
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自然科学での感情の問題

2007-07-10 | 研究
ちょっと前にどこか(どこだったか思い出せません)で知ったこと。
論文がアクセプトされない二つの理由。
1、誰かが既に同じ事をやっていた。
2、誰もやったことがなかった。

全く新しいものや概念を人々が受入れることは容易ではないと思いますが、誰にも理解されないというのは私にとってはなかなか快感を呼ぶものです。そんな機会はまずありませんが。Natureに載るような論文ではノーベル賞はもらえないというのは通説ですが、私のとってはノーベル賞は勿論のことNatureも一生縁がないかも知れませんから、負け犬の遠吠えに聞こえるのもむべなるかなですが。誰もやったことのない新しいことを評価する、その発見の価値を比較するものがない状態で自信をもって評価でするというのは勇気がいると思います。一方で法律のように判例にばかり頼って判断するようになると、前例のないイノベーティブな仕事は、理解できないから自分はわからない、自分がわからないものはよくないという思考停止型の安易な評価をつい行ってしまうのも世の人の常です。また同様に昔から受入れられている常識を覆すような発見というのも人々の感情的抵抗に会います。古くはコペルニクス、ガリレオ、最近ではフォルクマンやバリー・マーシャル。人は多かれ少なかれ変化を嫌うものですから、新しい発見にわくわくするよりも、それによって自分の価値観の変更をせまられる可能性に対する恐怖の方が大きいのでしょう。しかし、新しい発見が抵抗する古いパラダイムをひっくり返す場面は、ちょっと古いですが安芸乃島が横綱を寄り切るのを見るような爽快感があります。
とにかく、そうした人間の感情的抵抗というものは自然科学研究において実は最も大きい実際的問題(特に論文やグラントというレベルで)ではないかと最近つくづく思うことが多いのです。人間誰でも自分自身や自分の仕事を批判されると不愉快に思うものです。科学論文は懐疑的にレビューするというのは建前ですが、レビューアによっては罵詈雑言といってよいような感情的な言葉使いをする人もいて、論理的な議論にもっていきようのない人もいます。欲求不満を匿名で他人を攻撃することで晴らしているとしか思えないような人もしばしば見受けられます。そんなレビューをみると、客観的観察と論理で結論を支持していくという科学研究であっても、人間は感情の動物で論理も客観も感情と主観の上に成り立っているのだと思い知らされます。逆のパターンもありました。レビューアは筋の通ったコメントをしているのに、どういうわけか著者の方は必要以上にディフェンシブになっていて自分の意見を通そうとするのです。勿論レビューアへの返答にレビューアを批判するわけにはいきませんから、レビューアの意見を尊重するとはしつこく書いておきながら、一切意見は取り入れないというような反応だったのです。レビューアへの返答だけで20ページぐらいあって、そんな大した論文でもないのに意固地になっているのを見て、なんというエネルギーの無駄遣いだろう、人間、感情的になってはいかんなとつくづく思いました。
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Politically incorrect

2007-07-06 | Weblog
擁護しようとする意図はないのですが、前防衛大臣が「アメリカの原爆投下はしょうがなかった」と小さな集会で発言したことで辞任した件には、ため息が出ます。冷静に状況を見てみれば、選挙前のネガティブキャンペーンみたいなもので、いわば「揚げ足とり」なわけです。もちろんすべては政治ゲームであることを知り、大臣として発言には注意しないといけないことを承知しているはずの者が揚げ足をとられるようなことをした、つまりpolitically incorrectであった大臣の方が悪いことに間違いはありません。防衛大臣でありながら、誤解を生むような発言をしたことにいいわけの余地はありません。そうはいうものの、発言があったのは参加80名の「比較文明文化研究センター」のセミナーだったらしいので、コンテクストによっては、別段日本の防衛省の見解ではなく、個人的な意見または、単にアメリカ側の原爆への見方を紹介しただけであったのかも知れません。ため息がでそうになるのは、防衛大臣のきわどい発言を意図的に誇張して、これを無責任に煽り立てるマスコミとそれを政治的に利用しようとする者の醜悪さです。またマスコミの報道に安易に乗せられてしまう一般国民というのもどうにかならぬものかと思います。
「しょうがない」発言の理由を理解するために、少し日本の外から原爆の経緯を見てみると、戦争も末期に入ってからソ連が火事場泥棒的に戦争へ介入しようする動きを封じるためにアメリカが戦争を早期に集結させる必要があり、原爆が落とされたというのは、多分そうなのだろうと思います。もしそこで戦争が終わっていなければ、ソ連の介入によって日本(そして世界)はもっと悲惨なことになった可能性もあると思います。アメリカにとってはソ連を食い止めるために戦争に勝って日本を占領下におくことは絶対であったはずです。そんなソ連に戦争終結への仲介を期待していた日本も余りにナイーブですが、過去を歴史の必然という点から振り返ってみると、戦争があそこまでこじれた以上、最後の手段として、原爆投下というのはやはり必然的におこるべくしておこったものであると感じざるを得ません。もちろん、原爆を被爆者や一般日本人の立場から見れば許されないものであることに異論はありません。「はだしのゲン」を子供の時に読んだ時の強い印象はいまでも覚えています。原爆についてのその他の本も小学校の時に夏休みの課題図書として読んだ記憶があります。子供が読んで楽しい本ではありません。しかし戦争の悲惨さを子孫の骨身に刻んで二度と戦争をおこさないようにするための戦後日本の(あるいはアメリカがそれを主導したのかもしれませんが)努力の一環だったのだと思います。私は当然ながら戦争を知らない子供たちの一人なわけですが、子供の頃のこうした教育のせいか、戦争が絶対悪であることは信じています。
原爆投下を正当化しようとしているのは、戦争を政治のレベルでしか議論できない立場の人、または戦争によって殺し合うということが人間のレベルでどういうことであるかを理解できない想像力の欠如した人(つまり前者にのせられた一般人)なのだと思います。そういう歴史から何も学べないような未熟者がアメリカだけでなく日本にもいかに多くいることでしょうか。日本の防衛大臣がたとえどういったコンテクストであったにせよ、市民との対話というの中で人間レベルでの原爆の影響や被爆者やその家族親類の人々の痛みといったことよりも、政治的なレベルを優先させたような発言はまずかったと思います。これではこの大臣のリーダーシップでは日本の平和は危ないと国民が思うのも無理ないでしょう。おまけに非難に対して「誤解したほうが悪い」という発言したらしいですから、自分の立場や行動に対する理解力はかなり低いと言わざるを得ません。まあそれにしてもマスコミと政治家の茶番劇はなんとかならぬものでしょうか。
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勝負は勝ち負けではない

2007-07-03 | Weblog
私が子供の時は、1ドル360円の固定相場制の時代で、まだまだアメリカは日本よりも経済的、国力、文化的に優れた国であるというような幻想が根強く残っていました。とにかく日本は頑張ってアメリカみたいにならなければならないというような風潮がありました。いわばアメリカまたはヨーロッパ系人種に対する劣等感とでもいうべきような感情が漂っていたのでした。子供の頃みていたプロレスでは、悪役は必ず外人かそれにへつらう日本人で、それをジャイアント馬場が16文キックでやっつけるという図式でした。明らかに外人に対する劣等感への代償行為に見えたものです。プロレスはそれ以後、悪役外人をやっつけるお茶の間時代劇流のシナリオから進化して、人種や勝ち負けよりももっと技を見せて楽しませるなりましたが、むしろ時代劇的勧善懲悪劇といったわかりやすさが無くなってきたせいかだんだん人気が無くなってしまいました。
強い子供時代の刷り込みのせいか、実際に外人を知るようになってから、多くの場合で彼らが日本人より優れているのは筋肉の量ぐらいであることがわかってきて、実は随分失望したものでした。私にとって、日本が最も優れていたのではちょっと困るのでした。私は中高でしばしば劣等感に悩まされました。自分はバカではないと信じていたのでしたが、絶対に超えられない壁みたいなものはずっと感じていました。自分より明らかにすごい奴がいっぱいいて、自分はどうがんばっても彼らに勝てないという感情は若いころは余り愉快ではないものです。今、年をとってみると、自分より賢い人が世の中に何千万人いるということは全く当たり前のことだと思いますし、ちょっと勉強ができるのできないなどといったことは全くささいなことだもと思っています。とにかく当時は、日本では自分は優秀なグループには入れないが、外国にいけばもっと優秀な人々がいて、自分もその他の優秀グループの日本人もそういう人たちから見れば同類に違いないという気持ちがありました。つまり外国からみたら自分も自分より明らかに優れている日本人も同じレベルだろうし、ひょっとしたら違う土俵に立てば自分は優秀グループに入れるかもしれないというような考えがあったようです。しかし実際には とりわけ私の知る一般アメリカ人に関しては、私の知っていた一般日本人よりも、いろんな面ではるかにできが悪いように思えます。英語と英語で自己主張することだけは例外無く日本人より上でしょうが。時折それでもとんでもない天才を見ることがあります。人間どうしても他人は過小評価する傾向がありますから、すごい奴だと感じたら本当はとんでもなく凄いはずです。何人かは凄いなあというレベルでしたが、時折とんでもなく凄いと思う人にも会いました。とんでもなく凄いと感じたのですから、本当はそれは自分の頭の理解の限界を超えるほどの大天才なのだろうと思います。世界にはそんな人がごろごろしているわけで、そんな人との競争に勝ってエゴを満たそうとするのでは、やる前から帰趨が見えています。年をとって多少良かったと思えることは、エゴの充足に対する欲求が小さくなってきてもっと人間にとって大切なものをそのために犠牲にしないようにしようとする知恵がついてきたことではないかと思います。市場原理と金で動く世の中は競争が原則であり、よってそれは善です。今の世の中の悪い事は競争そのものではなく、その結果に善悪の判断がつくことだと思います。勝つことがよい事で負けることが悪い事なのです。強いものが正しく弱いものが間違っているのです。これは長年日本人が培ってきた価値観と相反するものだと思います。日本人は昔から判官贔屓で、弱きを助け強きを挫く庶民の味方をヒーローとしてきたのですから。日本人が比較的限られた土地で長期に渡って繁栄していくための知恵としてそうした価値観が生まれてきたのではないかと私は思うのです。限りある天然そして人的資源の中で、強いものが弱いものをそうした建前もなくどんどん搾取していけばどうなるでしょう。最後は強い者同士の潰し合いになります。戦国時代みたいなものです。そうした中でいったいどのような文化が発達していけるでしょう。弱きを助けることは社会の多様性の維持に役立ちます。多様性は変化への緩衝剤であり社会の底力だと思います。市場原理の跋扈とそれに対する危機感の欠如は、まさに悪貨が良貨を駆追するの喩えのように、とどまることなく私たちの価値観を不毛なものに変えていきつつあります。競争に勝つ事が善であるという短絡的な価値観は子供のものです。サックス奏者の坂田明は昔、将棋に負けて「勝負は勝ち負けではない」と言ったそうですが、そう言える余裕(?)、国破れて山河ありと思える心、そういう勝ち負けや競争というものを一段上のレベルから見れる能力は、教育と人生経験を経て獲得されるもので、それなしに競争に入って勝ち負けにこだわるのは大変危険だと思います。
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浴衣と縁側

2007-07-01 | Weblog
図書館から昔のDVDを借りてきました。小津安二郎の浮き草とイングマール ベルイマンのサラバンドです。最初にアメリカ映画のシカゴを手に取ってから、浮き草があるのに気が着き、この週末にこれを見ようと決めたのですが、小津安二郎とシカゴではなんだか食い合わせになりそうな気がして、シカゴをやめて小津安二郎につりあいそうなものというわけですぐそばにあったベルイマンを借りることにしました。そうはいってもベルイマンの映画は生まれてから一回しか見たことはありません。二十年以上も前にファニーとアレクサンデルを見たただ一回で、やたらに長い映画で途中休憩があったのをのを覚えています。冬だったので、映画館にはお昼前に入ったのに出てきたときには外は真っ暗でした。しかも面白かったかどうかも覚えていません。だからきっと名作だったに違いないと思うのです。今回のサラバンドは最近の作でしかも2時間弱なので、私がぼんやりと覚えている、名作の映画ををつくるらしい人という印象がここでも通じるかどうかは分かりません。(まだ見ていないので)。小津安二郎の浮き草は早速見ました。ストーリーはあるような、ないような感じできっと最近のアメリカ映画しか見たことのない人には受けないだろうなと思いましたが、私は思いのほか楽しめました。絵がきれいです。そこにある風景をそのまま切り取ってきて画面にのせたといった感じで、素材の新鮮な持ち味が直に伝わってきます。映画は私が生まれる前のものですが、そこにあらわれる細かなものの様子に懐かしさみたいなものを感じたのでした。私が子供の頃、浴衣姿のきれいなお姉さんが横すわりに蚊取り線香の宣伝をする看板が学校の登下校の通り道にありましたが、それは京マチ子だったような気がします。浮き草での京マチ子はちょっと中年でしたが、日本的美女だと思いますし、一緒に出ていた若尾文子も若々しくて美しく着物姿がなかなか奥ゆかしい日本の情緒を感じさせるのでした。杉村春子はなぜか最近と余り変わって見えませんでした。そこに出ている人々は夏は浴衣姿の下駄履きで、暑い日には蚊取り線香を焚いて縁側でうちわ片手に夕涼みをするのですが、私の子供の時もそうして夏は過ごしたことを思い出します。夏祭りには浴衣を着て夜店に行ったりしたものでした。いつから縁側が家から無くなり、打ち水のかわりにエアコンのスイッチを入れるようになり、浴衣の代わりにTシャツとショーツになったのかよく覚えていません。おそらく浴衣、縁側といった夏の風情は、エアコンと集合住宅の普及によって、急速に失われたような気がします。ともあれ、この映画は私に子供時代の懐かしい生活を思い出させてくれたのでした。できればあの頃に戻ってみたいと思います。大学院の頃の夏の週末は、浴衣を着てビールを飲むのが楽しみでした。浴衣を着て街中を歩くと目立つので、部屋のなかでくつろぐときに気分を盛り上げるためにそうしていたのでした。浴衣は直線で作られた一続きの布というシンプルな着物ですが、襟をぴっしりと合わせて角帯を丹田の下に結ぶと、爽やかな気持ちになるのでした。人目のない夜などは、下駄を履いて近所を散歩したりしたものですが、風を含んでくずれそうにそんなる裾をすねで捌きながら歩くのがまた楽しかったりしたものでした。最後に浴衣を着たのは十年も前ですが、もっと年をとって余裕ができたらまた仕立てたいと思っています。
コメント (2)
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