百醜千拙草

何とかやっています

令和の時代の閉塞感

2019-10-26 | Weblog
とちょっと前の話ですけど、先日の天皇即位の模様を見ました。
陛下のおことばは、日本国憲法にのっとり、国民統合の象徴としての務めを果たすと誓うもので、昭和から平成になった時のおことばと同じ内容。象徴天皇としてのポジションが日本国憲法に定められているということに加え、日本国憲法は日本の国の最上位にあり、天皇も権力者も憲法を遵守しなければならない、というメッセージであると、私は勝手に解釈しました。
その前で戦中を思い起こさせるかのような万歳の三唱をしたアベに対する皮肉も込められているのではないだろうか、と思いましたが、アベに皮肉も説教も通じるワケもなく。
しかし、象徴であるからこそ上辺だけではなく、言葉どおり「国民に寄り添って」ほしいと私は思います。つまり、権力者に政治利用されて国民を苦しめることのないように、真に国民の目線に立って職務を全うしていただきたいと望んでおります。

一方で、社会面では異常な事件がおきています。学校の教師が同僚教師を激辛カレーを無理に食べさせて数人でいじめるという情けない事件。それを受けて給食のカレーをやめるとした学校。なんとも幼稚としかいいようがないです。
出勤前のテレビは朝から芸能ニュースにグルメと星占い、じゃんけんにワンコ。幼稚園児向けですかね。五木寛之さんが、なぜ日本にソープランドがあるのか、という考察されている文章を読んだのをおもいだしました。あれは大人の男が母親にお風呂に入れてもらう幼児期を追体験しているのだという話でした。日本人の(男性の)大人は幼児プレーを望んでいるのかもしれません。なるほど、朝から、じゃんけん、ごはんにワンコの番組が存続するはずです。
興味深かったのは、SNSについて街頭インタビューをしていた番組でした。唯一、大学生ぐらいの滞日アメリカ人がSNSを利用して香港のニュースをフォローしていると答えました。アメリカを含む外国の若者は、香港で起こっている反政府デモを自治と民主主義に対する挑戦であると受け止め、中国政府のやり方を危機感を持って見ています。日本のTV番組を見て、日本人の若者のどれぐらいが、この香港の危機を興味をもってフォローしているだろうかと思わざるを得ませんでした。ま、自国の完全に腐敗し切った政権の悪事の数々でさえ、その真相を知らない人が多いのですから、まして香港の事件は単に対岸の花火線香ぐらいの認識なのかも知れません。

毎度毎度、腹がたつ報道もありました。「責任は私にある」と身内の不祥事に言うくせに、決して責任をとったことのない無責任ホラ吹き男、今回も大臣だけ辞任させて、ほとぼりが冷めるのを待つといういつものパターン。誰も責任をとらない。国会での説明もしない。贈賄罪で起訴もされない。下のツイートの通り、アベ内閣、まさにならず者の巣窟です。
 

その一方で、執拗に芸能人の税金の申告漏れを叩くメディア。それより、国民の税金を100億を友人に横流し、国有地を9億ダンピングさせ、地元の支持者をもてなすために過去の四倍以上の5千万円あまりを花見に使い、海外に60兆ばら撒いて何の国益ももたらさない、邪悪で無能な犯罪者をもっと叩けばどうか。申告漏れなのだったら罰金をそえて納税すれば済むことです。それよりも、税金を我がもののように浪費するロクデナシの方がはるかに罪は重いでしょう。

それから、気の滅入る話。いきなり車の前に飛び出してフロントガラスを破るという事件がありました。こういった事件が例外的な「異常者」によっておきているとは私は思えません。無論、他人に恐怖を与え器物損壊した行為は正当化できませんけど、なぜ、こんなことをしたのかと考えざるをえませんでした。犯人は若い無職の男性。おそらく、三十年前の景気のよかった時代なら正規の仕事について、家庭ももち、社会活動に参加し、幸せな生活を営んでいたかもしれない人です。20台後半になっても職も財産もなく、将来への希望も持てない、そういう閉塞感の中にいたのだろう、と想像してしまいました。こういう境遇にいる人は大勢いるはずで、紙一重でかろうじて踏みとどまっている人も多いと想像します。日本の自殺率は群を抜いています。若者が将来に希望が持てない社会になってきていると思います。
この閉塞感のある社会を利用して、若者の鬱屈したエネルギーが全体主義へ、それから戦争へと向かわせるようなことを考えている邪悪な連中もいるでしょう。それはおそろしいことです。

アメリカでは窮した一般国民が、トランプのような欠陥人間を支持したのです。追い詰められると人間は判断を誤るのです。
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白痴製造機

2019-10-20 | Weblog
随分とお休みしてしまいました。
この休暇中に普段、考えないようなことをじっくり考える機会にしようと思っていたのですが、なかなか、人間、歳をとると何かと面倒になるもので、目の前の些末事につい注意を惹かれてしまい、集中して深く考えるということが難しくなるものです。加えて、今や情報はすぐインターネットで得られるので、自分で考えるより誰か自分より頭の良い人の意見を探す方が手っ取り早いという事情もあり、じっくり考える習慣をもつことは困難になっていると思います。
幸い、この休暇中はインターネットに接続するのは1日に一回という環境に置かれているので、多少、頭を使うようになりました。時間を決めて、ある主題について深く考えるということをやろうとしています。それなりに成果はありました(と思います)。
一方、テレビを久しぶりに見ましたが、日本の番組、呆れるばかりの異常さです。
グルメとお笑いしかやっていません。ニュースは台風の話か芸能人の話。さすがは「白痴製造機」です。今回の台風被害で、福島原発のエリアも水害にあっており、放射能汚染物を詰めたバッグが水に流された映像をネットで配信しているのを見ましたが、テレビのニュースで福島原発に触れたものは皆無です。
それから、中年のごく普通の人々、二、三人とも話をする機会がありました。アベ政権を支持している、外交が得意というので、数字を見てください、と言いました。アベ政権は経済政策においては戦後史上最低のパフォーマンス、アベの外交というのは一方的に60兆円という巨額を金(税金)を外国にばらまいたあげく、何一つ、日本の利益とすることができず、プーチンにはコケにされ、トランプには犬扱いされ、その他の諸外国にはカモにされているだけだと言うと、結局、そうした数字や実態は知らなかった目から鱗といわれました。確かに情報をテレビと新聞に頼り、受動的にニュースを見ていれば、そうなるのかもしれませんが、深刻だと思います。戦中に日本が神国と思い込まされ、大戦では連戦連勝というウソの大本営発表を無邪気に信じ、騙されてお国のためにと死んでいった多くの日本人を思い出します。インターネットの情報化時代となった今でも、戦中の時代から、日本人はあまり変わっていないのかもしれません。消費税一つにしても、ちょっとしたニューサンスとぐらいにしか認識しておらず、それが、日本経済をどん底に叩き込み、雇用率を下げ、給料を下げ、社会不安と犯罪が増大し、自身の子供や孫の時代に大変な苦難を残すことになる重大事であるとは考えていないようです。
アベが演出するウソは真実ではないが故にいずれ現実は明らかになります。その時に騙されていたと言ったところでもう遅いです。世界は日本の行く先を日本人よりもはるかに悲観的に見ているようです。


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人の運

2019-10-11 | Weblog
過去三年の大殺界は確かに何かと辛いことが多かったです。最近、実験は今一つですが、人に関しては、だんだんと運が向いてきたような気がします。

数週間前は、初めて高校生の人からメールを貰いました。どういう経緯で私にメールをくれたのかよくわからないのですけど、生物学と遺伝子調節メカニズムに興味があって、是非、実際の研究室に立ち入ってみたいとのことでした。もっと有名な研究室がこの辺にはあるのに、なぜ私?と訝しむ気持ちもありましたが、高校の時から研究に興味があるなどという奇特な人を観察するチャンスなので、来てもらいました。本人は学校の後と休日に来たいとのことでしたが、それなら、これる時に来て見学でもして、来年の夏休みにでも本格的にいらっしゃいという話をし、事務手続きを始めることにしました。
メールには学校の成績も添付してありましたが、非常に優秀なようです。ウチの実験補助の人も、高校生なのに研究に興味があるというのはきっと何かおかしいに違いないと疑心暗鬼でしたが、話した感じは感じのよいごく普通の良い子でした。両親がコンピューター関係の仕事をしており、自身もすでにPythonのコーディングならある程度できるというので、RNA-seqの解析などやってもらえたらいいな、と思った次第。(前に触れた通り、私はコーディングはRを齧って脱落、Pythonはアナコンダをインストールしただけで終わりました)

ヘラヘラしていた自分の高校生のころを思い出すと、このような優秀な若者は眩しく見えます。若いやる気のある人からいろいろ学ぶこともできるだろうと楽しみにしています。

またしばらく留守にしますので、更新は不定期になります。
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面接の話

2019-10-08 | Weblog
日が短くなり、朝が少しひんやりしてきました。秋は昔はとても好きな季節でしたが、最近は、これから寒い冬も間近だなあ、今年もすぐに終ってまた年をとってそのうち死んでいくのね、というような「最後の一葉」的な気分を感じることが増えました。あと、三年は子供の学費と買い換えたばかりの車のローン、十年は家のローンを払わねばならないのですけど。

先週は、新しい実験補助員を雇うべく、応募者の中から最終的に二人を選んで面接しました。二人とも研究スキル的には同じような感じ。一人は明るくハキハキしたタイプ。もう一人は多少控えめな感じでしたが真面目そうなタイプ。

他のメンバーとも話しして最初の一人にまず、オファーを出すことにしたのですけど、私の決め手は、将来のプランを聞いた時に、この人は将来、アカデミアで研究職について教授になりたい、と答えた点です。二人目の人は同じ質問で将来も研究職について人の役に立つような発見、開発をしたい、とは答えたのですが、まだ企業にするかアカデミアにするか大学院に進学するかどうか、決めかねていると答えました。ま、短い時間の面接で本当のところはわかりませんけど、面接する側としては、本音はともかく、聞きたい答えを聞きたいわけで、私もより聞きたい答えをくれた方を優先したということです。

ちょうど一年前も一人採用したのですけど、その時は4人面接しました。かなりレベルの高い大学に途中から編入して卒業した人がいて、面接で、勉強は大変だったでしょう、と聞くと「大変でした」と。それは良かったのですが、続けて、「大学は大変だったので、ちょっとここらで一休みしたいです」と言ったので、お断りしました。(それだけが理由ではありませんけど)きっとそれは本音ではあったのでしょうが、私の聞きたい答えではなかったからです。

素直で正直であるのは美徳であり、研究において、正直さは不可欠な資質ではあるのですが、一方で、面接は、応募者のポジションでの能力と将来の同僚としての人間性を知るためにしています。質問するのは、応募者の意見を知るという目的もありますが、それ以上に、応募者が私がどういう答えを聞きたいかを察して適切に答える能力があるかどうかを見るためでもあります。

相手が何を聞きたいかを察し、適切に返答する能力は研究に限らず、すべての社会的活動において重要だと思います。このお断りした人は、その後メールをくれて「採用されなかったのは何が悪かったのか教えてくれませんか」と質問されました。学ぼうとする態度は評価できます。不採用の理由を正直に言っても良かったのですけど、それは本人が自分で気づくべきことだと思ったので、単に「より条件にマッチする人がオファーをとってくれたから」と答えるにとどめました。

今回の最初の人は、私が聞きたい答えを答える能力があり、加えて、逆に、私に「研究の何が楽しいと感じるか」「研究で成功するには何が大切と思うか」などの質問をしてきました。意図的かどうかは別にして、こういう質問をしてくる若い人は、やる気を感じるし、当然、親近感を覚えます。面接という機会を利用して学ぼうとする姿勢も素晴らしく、 明るく、ハキハキしているところも好感が持てました。
オファーをアクセプトしてくれると嬉しいのですが。
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底が抜けてしまった

2019-10-04 | Weblog
日本はこれからどうなるのか、暗澹たる気持ちでいっぱいです。
私は、日本が右肩上がりの時代に子供時代を過ごしました。日本の貧しかった頃の小説などを読むと日本は戦後民主主義で豊かになってよかったと思ったものでした。しかし、日本国内で喰っていけなくて、ブラジルやハワイに移民が始まったのは100年ほど前に過ぎず、70年代ぐらいまで移民船はあったとのこと。日本が貧しかったころは遠い昔ではありません。むしろ日本の戦後からバブル終了ぐらいまでの物質的に豊かであった時代の方が例外なのでしょう。この時代は人々の生活はどんどんと豊かになり、戦争は過去のものとなって、平和な時代がずっと続くものだと思っていました。現実は、戦争はその間もずっと行われ、人々は殺され、日々の食料に事欠く国々では子供が疾病と飢餓で死んでいっていたのでした。私の子供時代が世界的に見ても例外的に恵まれていたのだと振り返ると思います。

そして、今、また再び日本の貧困化が急激に進んでいます。その主たる原因は政治の腐敗と無能でしょう。とくにこの六-七年でアベ政権が破壊してきた日本のシステムと倫理、アベ政権の無能と保身のために失われた膨大な日本の資産を考えると、めまいがします。この邪悪なウソつきが、日本の転落に加速をつけたと言っても過言ではないでしょう。そして、今回の消費税増税で、おそらく日本の経済はどん底に叩き込まれるでしょう。加えて、収束の目処もたたない原発事故、アベ政権の棄民政策によって、日本国民の生活の質は急激に落ちていきます。そうなると、貧すれば鈍するのは人の常、犯罪と自殺者は増加、それにかかるコストでますます社会福祉は後退し、もうフリーフォール状態となり、十年後は目も当てられない状況になるでしょう。

最近、ツイートで、「日本の底が抜けた」という表現をよく聞きますが、連日、報道される不祥事や犯罪、その多くがアベ政権と関わっています。アベ政権そのものが諸悪の根源となっているのです。
  

アベ政権のデタラメと犯罪の隠蔽のためのさらなる犯罪、ニュースを見るたびに、日本はもうマトモな立憲民主主義国家として成り立っていないことを実感せざるをえません。
底が抜け、日本は壊れてしまったのですが、自然と壊れたわけではありません。守るべき立場にある人間が己の欲のために意図的に壊したのが現在の日本です。
なんとも下品で情けない国になってしまいました。魚は頭から腐り、その腐った頭がいつまでものさばっているために、日々、毒素が末端にも広がって言っています。

アメリカの独立、フランス革命によって、立憲民主主義は世界へと広がりました。日本では戦後、GHQの主導で憲法の理想を盛り込んだ日本国憲法が制定されました。残念ながら、日本では憲法と民主主義がなかなか内在化しないようです。日本が立憲民主主義を血肉化するには、アメリカやフランスで起こったようなことが必要なのかも知れません。つまり、国民を押さえつけ搾取するアベ政権を国民自らの力で倒すことです。アベが広場に引きずりだされて、衆目の前で断罪される時、国民も自らの手で憲法を書こうと思うかも知れません。
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通常営業

2019-10-01 | Weblog
ようやく通常営業に戻りつつありますが、実験の調子は相変わらず。新しいアイデアを思いついたので、来年後半の研究費申請を目標にツール作りを始めました。これを作るのは少々厄介で、自前ではできそうにないので、アウトソースしなければなさそうです。来年はストレスの多い年になりそうです。現在、資金は二年分しか確保できていないので、来年にはもう一つ申請を出さないといけませんが、今の所、パッとした予備データは出ず。パッとしたデータが出たものは、つい最近中国からスクープされ、今回の学会でも別のグループがフォロー。彼らは、はるかに先行しているので、これを追求してカネにするのは無理でしょう。我々の分野では新顔のこの分子、誰も興味はないだろうと思って、のんびりやっている間にすっかりやられてしまいました。去年も、始めたばかりのプロジェクトが中国のグループに先を越されてしまい、撤退の憂き目に会いました。みんな考えることは同じということなのでしょうね。彼らと同じような思考をしていたら勝ち目はないと改めて実感した次第です。実験システム的に簡単に手が出せるようなもの、conditional ノックアウトとかsingle cell 解析とかで押していけるものは、もう零細研究室ではダメですね。一応、従来のシステムではアプローチできない問題にユニークな方法を適用して解決するというような形の研究を目指していはいるのですが、何か思いつくたびに、己の凡才ぶりを思い知らされるばかりです。

最近、自分に天から与えられた使命があるとしたらそれは何だろうと折々に考えます。研究は好きでやっていますけど、今のところ研究を通じて分野に貢献できたという思いはありません。そう思うので、せめて雑用はなるべく引き受けるようにしています。10年ぐらい前は、レベルの違う研究に遭遇する度に、自分が若い頃に目指していたものと現実の乖離に打ちのめされるような気持ちになったものです。現在でも、自分の凡人ぶりを実感すると多少落ち込みますが、年のせいか落ち込みからの回復は早くなりました。

あまり落ち込まなくなった一つの理由は、研究業界も人間の社会も一見、然るべく形に構築されているように見えますが、内実は違うとことがわかってきたからだと思います。結局、人間の全ての社会的活動は、多かれ少なかれ"hokey-pokey business"だという感じが年々、強くなってきました。
喩えば、野球に対する選手の心構えに関して「たかが野球、されど野球」という言葉がありますけど、これは研究、人生や社会に拡大できると私は思います。一人の人生は一幕の劇に過ぎない、されども、それは一生懸命やるに値するものだ、と思うようになりました。感覚的には「人生は半荘のマージャンである」と喩える方がしっくりします。より端的に、「人生は人生ゲームである」と言っても良いでしょう。真剣にやるにはバカらしいが真剣にやらないと面白くないのが人生ゲーム、つまり人生そのもの、だと思うようになりました。
そんな感じで、小さなことに一喜一憂している自分を励ましたりバカにしたりしながら日々やっております。






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