去年からときどき、夏目漱石の作品を読んでいるのですが、余り良いと思えず、困惑しています。中学生時代に「我が輩は猫である」とか「門」とか読んで、面白いと思って以来、漱石の作品は面白いものだという思い込みがあったので、週末の楽しみにと思って、「こころ」、「草枕」と「虞美人草」を読んだのですが、さっぱり面白くありません。漱石の他にも子供のころ好きだった森鴎外や中島敦も読んでみたのですが、面白くないのです。どれも妙に薄っぺらく感じてしまいます。しばらく文学書から離れていたせいもあるのかも知れませんが、最近ますます、面白い本を見つけるのに苦労するようになりました。生来、ケチになせいか、面白くない本をお金を出して買うと、時間とお金をダブルで損した気になって、非常に腹が立ちます。昔は週末に本屋によって、その足でジャズ喫茶に行って、コーヒーを飲みながら本を読むのが楽しみでした。それだけで、豊かな気持ちになったものですが、最近、本を読むと「損した」と思うことの方が多くなったような気がします。年のせいでしょうか。今週、ちょっと夏休みをとって、のんびりしようと思っています。その時に本を持っていきたいと思ったのですが、持っていきたい本が見当たりません。こうなったら面白い本は自分で書くしかないかとさえ思い始めました。
ところで、そもそも、このブログは筆無精の私が、遠くにいる知り合いや家族へ「元気にしてますよ」という「バイタルサイン」を示すために始めたもので、思いついたことやニュースや覚え書きを、とりとめなく書き付けています。しばらく前から決まった日に書くというようにしています。(そうしないとだらだらと書かなくなってしまいますので)今週はコンピューターのそばから離れ、自然を楽しんできたいと思っていますので、ブログの更新はしない予定です。
最近、有名物理学者の戸塚洋二さん(http://fewmonths.exblog.jp/)が亡くなって、書いていたブログが更新されなくなったということがありました。また膵臓癌で余命数ヶ月と宣告されたコンピューター科学者のRandy Pauschさんが自分の死を前にして行った「最後の授業」がインターネットで大きな反響を呼びました(例えば、http://www.glumbert.com/media/lastadvice や http://www.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo でその講義が聞けます。数日前に亡くなられました)インターネットの世の中になって、人の死というものが昔に比べてより身近な日常の出来事であることが、より実感されるようになりました。昔、人々の目から隠れたところで密かに忌まわれて扱われていた死は、誕生と同じく、私たちみんながいつかは迎える大きな最後のイベントです。それに向けて人々が生というものをどう捉え、やがて来る死にどう向かい合うかということを知ることができるということは、極めて貴重であると思います。私自身、自分がフルタイムの医師であったときに、少なからぬ数の患者さんを主治医として見送りました。私がその今は亡き患者さんたちから、死へと歩んでいく間に、教えてもらったこと、学んだことは、若かった私のナイーブで薄っぺらな「生」への考え方をずいぶん豊かなものにしてくれました。今では、人はインターネットを通じて、そうした経験を得ることもできるようになりました。私は素晴らしいことだと思います。
私のブログは自分の独り言なのですが、聞いてくれる人には、それをもって私がまだ生きていることを知ってもらえます。ブログが途切れたら何かあったのではと思うでしょう。それで、今日はブログを書く日ではないのですが、夏休み中のしばらく、ブログを更新しないと死んだのではと心配する人もあると困るので、アップしておくことにしました。夏休みです。元気にしています。
ところで、そもそも、このブログは筆無精の私が、遠くにいる知り合いや家族へ「元気にしてますよ」という「バイタルサイン」を示すために始めたもので、思いついたことやニュースや覚え書きを、とりとめなく書き付けています。しばらく前から決まった日に書くというようにしています。(そうしないとだらだらと書かなくなってしまいますので)今週はコンピューターのそばから離れ、自然を楽しんできたいと思っていますので、ブログの更新はしない予定です。
最近、有名物理学者の戸塚洋二さん(http://fewmonths.exblog.jp/)が亡くなって、書いていたブログが更新されなくなったということがありました。また膵臓癌で余命数ヶ月と宣告されたコンピューター科学者のRandy Pauschさんが自分の死を前にして行った「最後の授業」がインターネットで大きな反響を呼びました(例えば、http://www.glumbert.com/media/lastadvice や http://www.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo でその講義が聞けます。数日前に亡くなられました)インターネットの世の中になって、人の死というものが昔に比べてより身近な日常の出来事であることが、より実感されるようになりました。昔、人々の目から隠れたところで密かに忌まわれて扱われていた死は、誕生と同じく、私たちみんながいつかは迎える大きな最後のイベントです。それに向けて人々が生というものをどう捉え、やがて来る死にどう向かい合うかということを知ることができるということは、極めて貴重であると思います。私自身、自分がフルタイムの医師であったときに、少なからぬ数の患者さんを主治医として見送りました。私がその今は亡き患者さんたちから、死へと歩んでいく間に、教えてもらったこと、学んだことは、若かった私のナイーブで薄っぺらな「生」への考え方をずいぶん豊かなものにしてくれました。今では、人はインターネットを通じて、そうした経験を得ることもできるようになりました。私は素晴らしいことだと思います。
私のブログは自分の独り言なのですが、聞いてくれる人には、それをもって私がまだ生きていることを知ってもらえます。ブログが途切れたら何かあったのではと思うでしょう。それで、今日はブログを書く日ではないのですが、夏休み中のしばらく、ブログを更新しないと死んだのではと心配する人もあると困るので、アップしておくことにしました。夏休みです。元気にしています。