百醜千拙草

何とかやっています

考えることを止めていはいけない

2013-10-29 | Weblog
仮説が次々に外れては振り出しに戻るを繰り返す日々です。誤った仮説が一つ一つ消えて行っているので進歩はしているといえばそうですが、なかなかゴールが見えてきません。それでも、時折、心が浮き立つようなデータが出て、そして、いつものように妄想モードに突入し、また新しい仮説を思いつく、という毎日です。

人の面白い研究の話を聞くのは、コーヒーの香りを楽しむようなものですが、自分の研究で、面白いデータが出るのは、空腹時に出てくるご飯を食べるようなものです。美味しく栄養になるそんなデータが出たときは、本当に嬉しいです。先週は、ウチの女の子たちが興味深いデータを出してくれました。おかげて楽しい気分で週末を過ごせました。 英語で簡単にできる仕事のことを「a piece of cake」と言い、ケーキのように美味しいものなら簡単にぺろりと食べてしまう、という喩えに由来していますが、先週のデータは、本当にケーキのように美味しかったです。その甘みの余韻を今も楽しんでいます。

この間、長野県に住む医学研究者の人と久しぶりに話しました。本人は原発事故について大変深刻に考えているのですが、周りの人々はノンキで困るという話。どうもノンキなのは、現状の恐ろしさを認識していないからのようです。情報が抑制されていて、汚染水の問題や原発作業員の問題など、普通に受動的にテレビや新聞を見ているだけでは、その深刻さが伝わって来ないのです。自分から積極的に情報を集めないと、本当のことがわからない、これは、ウソにまみれた大本営発表をラジオで聞かされいた戦時中と似た状況です。本当のことが一般国民にわかると政府や原発ムラの連中は困ります。そして、政府公報や電力会社や原発ムラの広告費で生きているマスコミは彼らの都合の悪い報道はできません。本当のことを伝えようとする人間は口封じされるのが現代日本という悲しい国です。最近では原発批判した瞬間に息子が逮捕されて番組降板となった人がおりました。空きカンが自分のブログで、(番組降板は)原発ムラの陰謀だろう、と書いてますね(さすがによくご存知のようで)。以前も、原発批判特集を発行した瞬間、痴漢で捕まった経済雑誌の編集長もおりました。朝日系の雑誌の反原発の編集長は親会社の意向で左遷されました。
 そして、xxxの弱い首相は、福島産のおにぎりを食べてみせ、フクシマの放射能汚染の本当の情報を口にする人間は、風評被害を広める非国民だ(だって、放射能は完全にブロックされているのだから)、とでも言わんばかりです。国民ばかりか世界の前で「フクシマの放射能は完全にコントロールされている」という大ウソの大本営発表を行い、客観的に見れば「勝ち目のない戦争」であるフクシマの放射線事故に、あたかも勝利しつつあるかのような印象操作を行い、そしてそのウソをウソだと当たり前のことを言う人間を「非国民」あつかいするのがこの国の政府です。一体、今はいつの時代なのか、と思います。
 コンテクストは違いますが、鳩山氏は、政府がウラでコソコソと情報を操作し国民を欺くということについて、次のようにツイート

首相時代に普天間の移設をめぐって、当事の官僚を含む政府関係者が、私の指示に反し、米側と通じあい、その構想をなきものにしようとしたことがウィキリークスを通じ明らかになってきている。従来の追従型日米関係を絶対に損ないたくない力が情報の撹乱を含め働いたことがわかってきた。
情報の公開と国益は矛盾はしない。隠し通して国民に正しい判断材料を与えないことそのものが、国民を愚弄していることではないか。


岩下おじさんのブログ記事、「まずそれを正しく認識することである。考えることを止めてはいけない」から。

最近、この男はいったい何を考えているのかとよくひとに問われることがある。そのときの僕の答えは極めてシンプルで驚かれることがある。
僕が「なにも考えていないのではないでしょうか」と即答するからである。だって安倍くんの言動を見ているとそうとしか思えないのだから。

考えるということは少なくとも思考する能力が必要だが、彼にはそれがもともとないのだから考えることもないのである。ゆえに側近(官僚・財界)の言うことを聞きそれを実行すればいいだけで連日「総理」という業務がこなされてく。
、、、
安倍くんはだから側近の助言やアメリカの国益の言うとおりやる「おりこうさん」であるが、じつは「何も考えないから」それができるのだ。また国民も何にも考えないでいたいだろうし、マスコミがそれを助長している
、、、
何も考え「たくない」国民は何も考えない「られない?」安倍くんを総理にして高い支持率を保っているということができる。

せめて嘘だと分かっても「放射能は完全にコントロール」されていると思いたいし、2020年に東京でお祭り騒ぎをしたいという願望を持っているのは無理からぬことだ。しかしそれまで日本があればの話だが「それはだけは言わないで」、、ってことだろう。


「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった、、、」という歌の文句を思い出しますね。ウソだと分かってはいても、都合の悪い真実なら、知りたくない、考えたくない、ウソを信じたい、という人が意外に大勢いることは私は知っています。「車の運転中に異音がしたら、カーラジオの音を大きくする」という冗談がありますが、東京オリンピックなどまさにこの冗談を地でいくような話です。

しかし、いくら大本営発表でウソを吹き込まれたからと言っても、知らないことで最終的に苦しむのは、知らない国民自身であり、その子供たちです。チェルノブイリの事故を考えれば、その何十倍もの規模の被害が日本でこれから起こることは自明でしょう。放射能汚染された食材、海産物は産地偽装されて、既に日本国中に流通しているようです。その長野県の医学研究者の人はもう長いこと寿司は食べていないし、食品の産地には気を配っていると言っていました。しかし、将来的に半減期が何十年、何万年とある放射線物質の汚染をブロックするのは不可能だろうと思います。地球は一つで全てがつながっているのですから。
 先日、ブルガリア産のジャムから高濃度の放射能が検出されたというニュースがありました。おそらく、チェルノブイリ事故でブルガリアにバラまかれた放射性物質が、30年後に放射能ジャムとなって現在の日本人の食卓の上に上っているということでしょう。チェルノブイリの何十倍(このままだと何百倍)の被害を起こしそうなフクシマの災禍はわれわれの年代だけですみません。子孫に半永久的に悪い影響を与え続けることになります。政府は、現実をゴマカして問題を隠蔽しつづけることで、被害をどんどん拡大させています。そのツケは何百倍にもなって返ってくるでしょうが、残念ながらそのツケを払うのは将来の世代です。
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没落するアメリカ

2013-10-25 | Weblog
出さねばならない論文の詰めに近いところで、ちょっと証明が難しい仮説をどうテストするか行き詰まり、このところずっとそのことを考えております。私はこの研究に個人的に大変興味を持っているのですが、来年の研究費申請のことを考えると、いつまでもこの話に係わっていられないという事情もあり、ストレスが溜まりつつあります。しかも、この仮説に関連している遺伝子は、私の専門外の分野では有名で膨大な研究がなされており、その過去の基礎的な知見を学ぶだけでも大変です。とはいうものの、やりだすとそれなりに興味深いものなので、ついつい深みにはまり込みそうになり困っております。という具合で、フクシマのこと、汚染食品の流通、関東の子供の好中球が落ちているとか、気になることは一杯あるのですが、自分の身の回りで精一杯で、今日も大した話はありません。

先週ようやく政府機能が一時的に(?)回復したアメリカですが、この政府機能閉鎖で研究にも随分大きな影響がでています。この閉鎖のため、10月のサイクルの政府の研究費申請の審査が行えず、次のサイクルの申請期日まで延期されたという話も聞きました。〆切前に必死になって書いて出したのに、審査はまた4ヶ月先です、といわれるとガックリするでしょうね。多くの研究者の人々の給料や生活が政府の研究費によって賄われているのですから、この遅延が死活問題となっている人々も少なくないと思います。

あいにく日本と同様で、アメリカの経済が上向く様子はありません。そうなると、世界も冷たいもので、アメリカ抜きでやっていけるように工夫をし始めます。腕力だけが自慢のいじめっ子の腕力が衰えてきたのですから、それまでイヤイヤ機嫌をとってきた国も見限るのにためらいはありません。いまだにヘーコラしているのは日本位のものでしょう。そして、ますます、アメリカの影響力は小さくなっていきます。

しかし、アメリカにとっては、没落は悪い事ではないと、私は思います。ヨーロッパ諸国が100年前に辿った道です。そうやってより成熟した落ち着いた社会に変っていけるのです。それでは、アメリカ帝国主義が終焉を迎えた後、世界はどうなるのでしょうか。人間の数で言えば、中国が最大の国ということですが、これだけの人数をうまく統治できるシステムがそうそうあるわけもありませんから、最終的に中国が次のアメリカとなるかどうかは微妙です。多分、ならないだろうと私は思います。アメリカの没落とともに帝国主義そのものが終焉を迎えることになると私は思います。そして、世界はこれまでのアメリカ帝国主義の弊害から学んで、多極化していくと見る方が自然ではないかと思います。テレビの時代からインターネットの時代にかわっていくようなものです。好ましいことだと私は思います。そんなことを下の田中宇さんの記事を読みながら思いました。
 話はちょっとずれますが、「帝国主義」について。現在のアメリカは帝国主義でないようなふりをした帝国主義を続けていると思っています。アフガニスタンやイラクで、アメリカ軍が無人爆撃機で殺傷した一般人は500人近くに昇ります。それ以外の方法で殺した一般人はそのさらに百倍です。にもかかわらず、これがテロと戦い「民主主義」を導入するためのコストだと開き直る傲慢さは鼻持ちなりません。その「帝国主義」という言葉でさえ、そもそも一部の金持ちの非人道的な金儲けの活動をカムフラージュするための飾り言葉ではないかと私は思っています。
 古人は、「帝国主義は、いわゆる愛国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるの政策」と言ったそうですが、これはあるいは、xxxの弱いどこかの首相がやろうとしている時代遅れの政策のことではないのかな、とふと思って溜め息がでました。そのどこかの首相も、単に金持ちの金儲けの道具に自分から利用されてラッパを吹いているいるだけのようです。

田中宇さんの国際ニュース、中国主導となる世界の原子力産業から

英政府は最近まで、チベットのダライラマと公然と仲良くし、中国政府を意図的に怒らせる包囲網戦略を採っていた。しかし、米国の自滅的な財政破綻騒動などで米国の覇権衰退が如実になったため、英国は転換を余儀なくされ、自国を中国原発産業のショーケースにしたり、英中の原子力産業の一体化を模索したりして、中国との戦略提携に熱心になった。英国は、これまで中国を敵視してきただけに、仲良くしてもらうために大胆な策をやっている。英国の動きに接するたびに(ときに茶番で喜劇的な)国際政治のダイナミズムを感じる。
 米国の財政危機は、議会共和党がオバマに譲歩して政府閉鎖が終わったことで一段落したかに見える。しかし、米政府が再開されても、財政赤字が拡大しているのに政府支出が縮小し、米国の経済状況が悪化して社会崩壊が加速している事態は変わらない。米政府の生活保護策(フードスタンプ)は11月1日から縮小され、その後はさらなる事業縮小(支出削減)が予定されている。11月からの縮小は、米政府が閉鎖している間に発表されたので、私はてっきり政府が再開されたらフードスタンプの縮小も取り消されるかと思ったが、実はそうでなかった。縮小は、リーマン危機後の景気対策としてのフードスタンプ拡大の時限政策が終わることによるもので、財政難の中、時限的拡大の終了はやむを得ないと考えられている。失業増の中、フードスタンプの縮小は、餓死や貧困を増やし、米国の社会危機を拡大する。
 米国で財政騒動が始まると同時に、BRICSが相互の結束を強め始めた。中国とインドは、来週インドのシン首相が訪中するのに合わせ、国境紛争を終
わらせる協約を結ぼうとしている。ロシアとインドは首脳会談を行い、ロシアの石油をパイプラインでインドまで送る計画を開始することや、一緒に原子力開発すること、インドがロシア版GPS(GLONASS)を使うこと、シリア和平策でインドがロシアに協力することなどを決めた。
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日本の味

2013-10-22 | Weblog
見過ごせない世間の動きもありましたが、週末は、やらねばならない用事や家族活動などの他の時間は、次の論文と研究費申請の戦略について考えておりました。ウジウジと考え事をして、脳内仮説を立てて脳内実験して脳内結果を脳内解釈して脳内論文のタイトルを考えたりするのは楽しいのですが、最近は流石に根気がなくなってきて、細部までじっくりと考える集中力が減ってきました。結局は脳内研究は現実の結果とマッチしないと意味がないので、手を動かしてデータを出すのが先なのですが、脳内研究によって実際の研究へのアイデアが出るので、いろいろ妄想するのも必要な事だと思っております。というわけで、あまり書くことがないので、今日は、藤永茂さんのブログの記事を読んで思った日常茶飯の話をちょっと。

偏頭痛の発作の予防にいいような気がして、私は数年前から肉食は止めております。そのせいか、体も軽く、頭痛もひどいものはおこらなくなりました。宮沢賢治ではないですが、もう成長期ではないので、玄米と味噌と少しの野菜で、日々の活動と健康は維持していけるように思います。私は、数年前からアルコール飲料もやめました。若い頃は好きで、ビールやワインのない生活など想像もできませんでしたが、意外に簡単にやめれました。アルコールを飲まないことは個人的には多くの良い点があります。「酩酊は一時的な自殺である」というバードランド ラッセルの言葉は、酒をやめてから、よく理解できるようになりました。そもそもアルコールやその代謝産物は毒ですから、飲まないのが体に良いのはあたり前です。しかし、煙草やある種の薬と同様、一時的に快感を与える作用があるし、昔から社会で社交や儀式などの目的で広く利用されてきたものですから、必要であれば、毒の影響が出ない程度に利用するのがよいのでしょう。
 昔ながらの日本の食事は、マクロバイオティックスとかいう名前で今は世界に広まっているようですが、年をとるほど、米、味噌、野菜の味がしみじみとおいしく感じます。あとは、お漬物ですね。あいにく、私の周辺では、おいしい漬物を手軽に手に入れにくいので、あまりふだんは食べませんが、時々、柴漬けや、なぜか若い頃に凝った「すぐき漬け」の酸っぱさが恋しく思うことがあります。下の藤永先生同様、日本という国を好きかと訊かれたら、言葉に詰まります。原発事故以後の日本政府と東電とマスコミの対応を見ていて、日本人であることに罪悪感さえ感じることさえ増えました。でも、日本の食べ物は好きです。愛国心というより具体的な日々のものへの愛着ですね。

私の闇の奥シムカップ(占冠)の森から。

 私はカナダ国籍を取って40年間カナダに住んでいましたから、私が日本に帰ると言い出した時には、多くの人が驚いたようでした。何度もその理由を質されて「日本のお漬け物(pickles)が食べたくなったから」と答えるのが常になりましたが、私の答えを聞いたカナダ人で、ピクルスという英語から日本のお漬け物の素晴らしい豊かさを想像しえた人はなかったと思います。いま考えてみると、私がその場逃れに思いついた方便の答えには自分の内心の真実が含まれていたようです。私は私を育んでくれた日本の山野、日本の食べ物、日本の暮しぶりが好きなのであり、40年間外国に住んでみてもその気持は変わらなかったという、それだけの事であったのだと思います。私は、この日頃また耳につきだした“愛国者”ではありません。日本人であることを特別誇りに思っているわけでもありません。自分の国が、自分たちが、他の国、他の国民より優れていて誇るべきものであると考えるのは決してよいことではないと思っています。害があるばかりです。米国をご覧なさい。ここで、湯木 貞一さんの美しい言葉に戻りましょう。「日本の国で育った自然のものを、その味を生かしておいしくたべる」のが「日本料理を味わう幸福」というものであって、それを「日本の国ってありがたいな」と思うだけで十分です。日本人らしからぬ昨今の美食文化の過度の喧噪の中に日本のこころを失うことがないようにしたいものです。


食事を生命の維持に必要な栄養を取る行為と捉えると、不思議なことに、その食事を食べれることのありがさ、食べ物の美味しさをしみじみと感じることができるようです。逆に食事を「食べる喜び」を満たすための手段と考えると、どんな高級な料理でも不満を感じやすくなるのではないでしょうか。美味しく炊けたお米を噛みしめると「ありがたい」という気持ちがしてきます。そんな昔からの日本の良いものに対する愛着は、誰かが悪い頭で考えたイデオロジックな「愛国心」とは正反対の場所にあるものでしょう。
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深刻な作業員と専門家の不足

2013-10-18 | Weblog
幸せは心の持ちようです。Basharも「Circumstances don't matter; only the state of being matters」と言っています。どんなに身の回りで悲惨なことがあっても、それでも人は心に幸せを見つけることができます。そのためにはトレーニングが必要ですが。
見たくない現実を見ないふりをすることは幸せにつながりません。現実を知り、それを受け止めた上でそれにどう対処するかを考え、そして、その現実に対する心の反応の仕方を学んで行くことが大切だろうと思います。世の中は私の一日を真っ暗にするぐらい、気分の重い出来事に満ちあふれています。それをしっかりと見つめた上で、かつそれに安易に反応して心の平安を失わないように努めなければならないのだろうと思います。そうでなければ、私は十分に機能できません。現実を踏まえた上で心を平静に保ち、その現実に冷静に対処するからこそ良いことが起こるのだと私は思います。というワケで、今日もフクシマの現実に目を向けています。

日経から。

東電、人繰りに苦心 福島第1原発の汚染水対応
 東京電力は15日、福島第1原子力発電所で相次ぐ汚染水漏れ問題を巡り、管理要員を80人増やすことを軸とした対応策を原子力規制庁に提出した。80人のうち40人は社内から集める計画だが、規制庁が求めた柏崎刈羽原発(新潟県)からの動員は20人どまり。安全審査を控えた柏崎刈羽原発にも一定数を確保する必要があり、人繰りに苦労している格好だ。


おそれていたことが起こりつつあります。フクシマ第一は現在、収束作業は何一つ始まっておらず、増え続ける汚染水の対応とその不始末に謀殺され、一方で大量の放射能を放出し続けています。そこへカネ目的のゼネコンが入ってきて、経験の浅い作業員を使い捨てにしてきました。数百ー千人単位の作業員がすでに死亡しているというウワサも聞きます。(これまで原発作業に従事した人が10万人ほどということです)収束作業が開始できないで被曝と汚染ばかりが増え続けているのですから、作業員が不足することは分かっていたはずでした。いくら自衛隊を投入しても、徴兵制を導入してムリヤリ現場で働かせても人間の数には限りがあります。収束は今のところ不可能ですから、悲しいことですが、フクシマからの全面撤退は時間の問題になってきたのではないかと思います。そうなれば、フクシマの4号ブールの使用済み核燃料を含め、膨大な量の放射性物質の核反応がおきて、東日本はおろか、全世界へと大量の放射性物質が撒き散らかされることになってしまいます。どれだけ粘れるのかわかりませんが、どれだけ頑張っても、私には勝ち目のない戦いにしか見えません。何千年と続いた美しい日本の自然はこの百年あまりですっかり破壊され、挙げ句に生き物が住めないような場所に変わりつつあります。すべて目先の欲にかられた人間の浅知恵のせいです。
いずれにしても、全面撤退を想定した上で、その後の被害をどれだけ最小限に食い止めるかという次善策(逃げる以外にそんなものがあるのかどうかわかりませんが)を考えておくべきだと思います。

もう一つ、暗黒夜考から。

しばらく前にドイツ国営放送が製作した「フクシマの嘘」が国際エミー賞にノミネートされたという話題。
日本のプロパガンダ偏向報道、情報隠蔽が及ばないドイツから見れば、数年後にオリンピックをするとか言っている日本は正気かと、疑っているでしょう。それまでに東日本が立ち入り禁止区域になっている可能性もかなり高いですから。

【注目動画】 国際エミー賞ノミネート作『フクシマの嘘』(第二ドイツテレビ・ZDF制作)

特に、同番組に登場する元GE社員で、現在は東京電力の協力会社「東北エンタープライズ」の名嘉幸照(なか・ゆきてる)社長が、番組後半にて指摘している「原発エンジニア(専門家)の不足」という問題は、今まさにフクシマ原発の現場が直面している問題の中でも”核心”的なものであるという点に強く共感した次第である。

即ち、ここ最近起きている初歩的ミスによるトラブルの数々は、原発に精通した専門家・作業員が絶対的に不足していることに起因しているということである。

このような実態の中、来月にはいよいよ4号機燃料プールに残置されたままの約1500体の使用済み核燃料の取り出し作業が開始されるが、本当に大丈夫なのであろうか?

4号機燃料プールの使用済み核燃料取り出し作業については、万一のことがあれば東日本全域、否、日本全土は勿論、場合によっては北半球全体にまで放射能汚染を引き起こす可能性があり、全世界が注目しているものである。

同問題については緘口令が敷かれているのか、来月より使用済み核燃料の取り出し作業が本格化するにも関わらず、新聞でもテレビでも全くこれが報じられない故、多くの国民が忘却してしまっているであろうが、「フクシマの嘘」の中でしっかり触れられているので是非その点についても再認識をいただければと思う次第である。



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父親の気持ち

2013-10-15 | Weblog
私のブログはほとんど、誰かの書いたものを拝借してきて成り立っておりますが、思うに、研究という活動もそれに近いですね。誰かがやってきた仕事の上に、ほんの小さなものを足していく、そういうことを延々と繰り返して一滴の雨水が大河を作るように科学研究は続いてきました。ノーベル賞が一つ生まれる前に、そうした無名の先人の人々の気の遠くなるような積み重ねがあります。

学会の行き帰りにたまたま知り合いの教授と飛行機が一緒になり雑談となりました。十年近く前に、学会がえりに空港までのバスで偶然、隣り合って雑談したのが最初で、その時はこの人は別の大学にいましたので、今のウチの近所の機関に移って、しょっちゅう顔を合わせるようになることになるとは想像もしていませんでした。この人は今のウチの業界の主要トレンドとなった研究分野の切っ掛けを作った人ですが、その発見について「誰が発見したかはいずれ忘れさられる。しかし、発見そのものは教科書に残ると思う。信頼できる仕事をすることが大切だ」みたいなことを言いました。誰が発見したかは重要ではないのです。その発見のための知識、技術はすべて、無数の先人たちの仕事の上にはじめてなりたったものですから。われわれの仕事はその大河の流れに一滴の水滴を加えることです。

そんなことを考えていたら、アメリカポスドクの歩き方というブログの記事、「上から下へ伝わっていくもの」に遭遇しました。個人的にとても共感しましたのリンクしておきます。

僕が以前ボスにきいたことがある。仕事もできない僕をおいておくなんて得にもならないことをなぜしてるのか?と。
そしたら、ボスは笑顔でこうこたえた。

自分はお前の父親みたいなものだ。子供の幸せを損得関係なく考えるのは当然だろう。

僕もそうやって下に接することができる人間にならないと。
でもきっとできると思う。受けた愛情をそのまま与えればいいのだから。


ウチも自転車操業の零細研究室ですが、二人の女の子がいて、なんとか一人前になってもらいたい、と日々、心を砕いております。研究そのもののことより人生どう生きるべきか、みたいな話をすることの方が多いぐらいです。私自身が一人前だと感じた事がないのにおこがましいことです。
 これは、多分、上のブログのボスが著者に言った「父親」の気持ちというのだろうと思います。研究を頑張って欲しいという気持ち同様に、彼女らに幸せになって欲しい、悪い男に騙されないで欲しい(といっても二人とも立派な三十路過ぎの大人で、一人は二人の子持ちですが)、そういう心配をしています。

そして、上のブログの著者同様、彼女らと話をしていると、私自身が、かつての私のボスと同じような口調で話しているのに気が付いてハッとすることが時々あります。昔はその前置きが長くて回りくどい喋り方にイライラしたものでしたが、私も、どうも、そうとう回りくどい話かたをしているようなのでした。彼女らはだまって聞いてくれていますが、内心は、かつての私同様、イライラしているのかもしれません。
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まともに考えるともう目も当てられないですから、日々をたんたんと過ごすしかない

2013-10-11 | Weblog
学会から帰ってきました。疲れましたが、普段あわない人と会って話したり、業界のトレンドを感じたり、とそれなりに有意義でした。経済不調を受けて、企業からの協賛の低下、参加者の減少、と一時の隆盛を思い出すと、寂しさを感じます。一方、中国からの発表は随分増えてきました。内容は玉石混交です。発表技術に難があることが多いので、折角の研究内容が伝わっていないと思うことが多くありました。一昔前の日本のような感じでしょうか。日本からの演題は、言葉の問題は中国同様ですが、スライドがきれいなので、スライドだけでだいたい分かります。
 また、アメリカ政府の一部閉鎖を受けて、アメリカの政府関係者は学会に参加することができず、多くの演題が取り消されたり、セッションそのものが消滅するという前代未聞の事態にもなりました。少し前にあった別の学会では、アメリカ政府関係者は遠路はるばる学会出席のためにやってきたのに、政府機能閉鎖が確定した途端に出席できなくなり、会場を目の前にして引き返したという話も聞きました。e-mailでさえチェックできないのだそうです。この融通の利かなさというかバカさ加減は日本なみです。

という訳で、世間から離れていたこの一週間でした。世間もいろいろ不安材料が多いです。つい先日、アメリカが新100ドル札の流通を開始しましたが、これをアメリカのデフォルトの計画の一部だと考える人もあります。(私は、多分、無関係だと思います)アメリカのデフォルトの危険というのも相当大きな問題ですが、やはり、フクシマ原発事故ほどではないと思います。下のブログサイトでフクシマ原発作業員の人のインタビューを知りました。大変、興味深いですが、一般日本人はどれぐらい、事の深刻さを知っているのだろうか、と思わずにはおれません。朝鮮日報の「嫌気がさすほどいらだたしい日本人の冷静さ」というコラムでは、これだけの災害を出して収束の見込みもない放射能事故をおこし、世界と国民に被害を与えた国と東電から逮捕者も出ず、責任者もとらない一方で、福島産の海産物を人々が普通に買っていく、という異常な(異常としか言いようがないです)日本について不満が示されています。日本人は全てをわかっていて冷静なのか、あるいは日本の情報隠蔽技術が高くで、国民はこの放射線事故が前人未到の領域に突入しつつあるということを理解していないぐらいなにも分かっていないのか、どちらなのでしょうか。新聞はノーベル賞や芸能ニュースで紙面を埋めているようですが、それを見ていると国民はやはりバカにされているのだなあと思わずにおれません。バカにされてもバカにされていることがわからないのか、あるいは単に大人しいのか、その辺もわかりませんが、いずれにしても現時点では、赤信号をみんなで渡って全滅する方向に向かっているのは間違いなさそうです。

ごく一部を抜粋してみましたが、是非、原文をお読みください。

福島 フクシマ FUKUSHIMA 津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに
汚染水より深刻  使用済み核燃料の取り出し ――収束作業の現場から

汚染水の情報もコントロールされていましたね。

草野:私の見方だけど、東京電力の方は、政府に泣きを入れていたと思うんです。「情報を抑えるのも、汚染水を抑えるのも、これ以上無理」と。でも、政府は「ちょっと待て。選挙控えているんだ。選挙終わったら何とかすっから」と。
 まあ、本当は最初から漏れているんですけどね。だってコンクリートなんかガタガタに亀裂が入っているわけですから。
 だけど、今いちばんの優先事項は、オリンピックのため、アベノミックスのために、安全神話で情報をコントロールすることなんです。人間の命なんか、どうでもいいという考え方があるとしか思えません。
____

草野:ひとつは、今言ったように、原発のことをわかっている人間は入れたくないという感じがかなりあります。
 それから、昔からの原発関係の会社に比べて、ゼネコンの方が請負の単価が安いという事情はあるでしょうね。
 ゼネコンにとってはおいしい仕事です。降りて来た金を黙って自分たちのところで回せばいいわけだから。要するに公共事業ですから。名前は収束作業だとか言っていますが、単なる公共事業だと思っているんですよ、彼らは。

――ゼネコンが主役ということですが、そうすると、東京電力は何を?記者発表をしているのはいつも東京電力ですが。

草野:もともと東京電力には何の技術もありません。東京電力はただの管理会社なんです。書類を見てハンコを押すだけ。

――収束作業の全体の状況を伺います。汚染水対策というのは、前に進むというより、後退を強いられているような事態では?

草野:そうですね、いわば負け戦です。
 
――そうすると、現場は必死という感じですか?

草野:いや、それが、現場は意外と必死ではないんです。まともに考えるともう目も当てられないですから、日々をたんたんと過ごすしかないわけです。

――溶融した核燃料の取り出し開始を前倒しにするという工程表の発表〔今年6月〕もありましたが。

草野:あれは工程表ではなくて、全くの希望ですから。工程表と呼べる代物ではありません。
 収束作業は、実質的には、まだ、始まってないという状況でしょう。燃料が溶けたり、再臨界したりしないように、冷やすしかないわけです。それ以外は何もできない状態です。だから、周りを片づけたり、環境を整える作業をしているしかないのです。 
 ところが、そうしていたら、汚染水が管理できなくなって、水で冷やすというやり方自体が、限界にきていしまったわけです。
 それから、溶けた核燃料を取り出すという話ですが、それ自体、ほとんど無理ではないでしょうか。鉛で固めてしまう方がまだいいのではないかと私は思っています。
 
――展望を描けるような状態ではないと。

草野:厳しいですね。深刻に考えていたら、やっていけないんで、与えられた仕事をこなすしかないですが。
___

――4号機のプールにある使用済み核燃料の取り出しを11月中旬から開始するとしていますが。

草野:これは、リスクのある作業です。汚染水のレベルではないですよ。汚染水はまだ流れているだけですから。それ自身がすぐに何かを起こすわけではない。海に溜まっていくだけです。それはそれでのちのち深刻な問題なのですが。
 だけど4号機プールの使用済み核燃料は、そもそも事故のとき、アメリカをはじめ、全世界が震撼していた問題です。福島だけじゃなくて東京が飛ぶかもしれないと本気で危惧されたものです。
 だから、失敗が許されないのです。

草野:4号機の作業で、タンクのときと同じレベルの人為的なミスや技術上の問題が起こったとき、汚染水のように「漏れてました」という具合では済まされませんね。起こることは、そういう比ではないですから。

――使用済み核燃料の取り出し作業が1~4号機全部で10年ぐらい続くとしていますが。

草野:気の遠くなる作業です。その間、一回の失敗もないなんて、この間起こっていることを見ていたら、難しいでしょう。また、10年の間、地震も津波も竜巻もないという保証もありません。

――作業員の確保の問題もあります。

草野:そうですね。個人的には、これだけのクレーン作業を扱える技術者が集まるだろうかと思っています。
 遠隔操作はできないでしょう。この間のプールのガレキ撤去作業で、1日の被ばくが2ミリシーベルトとかいっていますね。すごい被ばくです。線量の高いところに、クレーンで行かなければなりません。作業時間が限られます。そうすると、ものすごい人数がかかるわけです。しかも技術がないといけません。
 だから、作業員の確保というところで、限界にぶつかるかも知れないと私は思っています。

――深刻な危機と隣り合わせで進むわけですね。

草野:そうですよ。だから、オリンピックだとかと言って、浮かれている場合ではないわけです。4号機で、釣り上げて一本ダメにしたら、もうそれで終わりになってしまう。クレーンの操作に、日本の運命がかかっている。そう言っても過言ではありません。その間に地震が来ないことを神に祈るしかないのです。非科学的ですけど。
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恐怖の二乗

2013-10-04 | Weblog
学会へ出発する直前ですが。留守中の準備をいろいろしていたら、次のようなニュース。

東京電力は2日、福島第1原発の貯蔵タンクから汚染水が漏えいしたと発表した。漏れた量は不明だが、このタンクを囲っているせき内の水からストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり20万ベクレル検出された。タンクに設置されている点検用の足場を伝い、せき外にも漏えいしていた。このタンクの近くには外洋につなる排水溝があり、東電は「排水溝を通じて海に流出した可能性も否定できない」としている。
 東電によると、漏れたのは4号機原子炉建屋から南西に数百メートル離れた位置にあるタンク群内の1基。このタンクで貯蔵しているのは、セシウムを取り除く処理をした後の水で、ベータ線を出す放射性物質を含む。
 このタンクは、8月に300トンの漏出が発覚したタンクと同様、鋼板をボルトでつなぎ合わせるタイプ。容量450トンで円柱状。つなぎ目が溶接されるタイプに比べ、水漏れしやすいとされる。(2013/10/03-01:31)


「放射能漏れ」は驚きませんが、一リットルあたり20万ベクレルのベータ線核種による汚染もれ、というのは強烈です。昔、放射性リンをトレーサーにした実験を沢山しましたが、その時、使っていた量が、一ボトルあたり、37ベクレル(1 ミリ キューリー)で100マイクロリットルでした。たった37ベクレルでも、ガイガーカウンターはピーピーなります。厳重なシールドをして実験し、放射性廃棄物は全て記録して管理していました。 この放射性リンの原液は一リットルあたり37万ベクレルとなりますから、この汚染水と同じケタの放射性をもっているわけですが、違うのは32-Pの半減期は14日ほどですから、一年も置いておけば放射能は検出不能レベルに落ちるのに対し、ストロンチウムなど半減期が何万年もあるものは、いつまでたっても放射能が減衰しないということでしょう。しかも、一リットルあたり20万ベクレルの水が何万トンというレベルで、安普請のタンクに溜められていて、一日300トン漏れているという想像を絶するレベルことが現実におこっているということです。放射性物質を使って実験したことのある人間からすると、想像さえできないような恐ろしいことが現実に起こっていて、収まる気配さえない、という事実に対面して、途方にくれてしまうばかりです。アベ氏が上も下も弱いのはよく知っていますが、無理を承知で言いますが、この人も一度ぐらい分子生物の実験をしてみるなり、キューリー夫人の放射能障害で侵された手の写真を見てみるなり、低レベル放射性水を薬だと思って飲み続けた人がどれほど悲惨な最後を遂げたか調べてみるなり、もうちょっと勉強したらどうでしょうか。フクシマ原発事故の状況は、世界の歴史上最大の放射能汚染事故であり、今後の日本と世界に及ぼす影響はすでにわれわれの想像の範囲を越えています。それだけでも十分恐ろしいのに、その恐ろしさが理解できない、知性と理性と想像力と判断力が欠如した人間を日本は頭に頂いているという現実があります。何とかならんのでしょうか。赤信号を皆で渡って全滅、というパターンでしょうか。
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Carpe diem

2013-10-01 | Weblog
今週から来週にかけて学会でしばらく留守にするので、ブログの更新は休みます(多分)。研究の方も、終盤にかかってきた二、三のプロジェクトが、行き詰まってきて、ゴリゴリやってはいるのですが、なかなか前に進みません。そんなこともあって、ちょっと世間のことから離れておりました。

とはいうものの、世間も待った無しです。アメリカも今月、ヘタをすると政府機能の停止となる可能性があり、そのままデフォールトへ突き進んで、中国や日本が大量に持っている借用書がタダの紙切れになる、というウワサも飛び交っています。アメリカの財政危機は、人々の恐怖心を煽って、政治ショーを演出するだけのヤラセだと、皆が思っていましたが、前回の強制歳出縮小(Sequestration)が本当に発効してしまった、という例があるだけに、一応、アメリカの破産宣告に対する心の備えだけはして、目の前の仕事に集中したいと思います。

そんな不安定な世の中を、(あと何年あるかわかりませんが)死ぬまでの時間、どう生きるか、というようなことを考えることが増えました。

キリスト教的死生観、つまり、人生は一度きりでそれが終わったら天国(や地獄)に行って二度と地上に帰ってくることはないという考え方、がどうも私にはピンときません。魂が肉体とは別に存在していることを認めているが、その魂が持つことができる肉体は一つだけだということでしょう。そうならば、何らかの障害を持って産まれてきたり、不幸な環境に育ったり、というのも各々の魂に固有の一回きりの経験ということになってしまいますね。人生での経験から学び、生かすことができる機会が、魂にも与えられるべきだと思うので、私にとっては、魂が必要に応じて(異なる肉体や環境を選んで)地上に戻ってくると考える方がしっくりきます。

ある信心深いキリスト教信者が「地獄は存在するか」と問われて、「地獄は存在する、してもらわないと困る」と言ったという話を聞いた事があります。「キリスト教の教えに背いて身勝手に生きた人と、教えを守って節制して生きた人と同じ死後の扱いを受けるのはフェアでない」というようなことを答えたらしいです。これは東洋的、仏教的な考え方と対照的ですね。善人も悪人も同じ衆生、等しく往生すると考えるのが大乗仏教でしょうから。いずれにしても、複数回の肉体の生を仮定すれば、地獄の存在を仮定する必要はなくなるだろうと私は思います。天国から比べれば、現世は地獄のようなものです。

人生が一度きりで、肉体が滅んだらそれで終り、という唯物的な人生観を持つ人は少なくないようです。それでも、死に際して後生を願ったり、冥福を祈ったりするのだから、少なくとも人々の集合的無意識のレベルでは、魂が肉体の終焉の後にも残ることは広く信じられていると思います。だから、清く正しく美しく生きて、発つ鳥後を濁さず、キレイに去って行きたいと思う人も多いのでしょう。一方で、一度きりの人生なのだったら、太く短く、気ままに自由に生きて、後は野となれ山桜、と思う人もあるでしょう。そして、後者のような考え方が広まると、死んだ後の子孫のことや地球の未来など知ったことか、ウソはバレなければいいのだし、自分に責任が回ってこないのなら、知らない他人が苦しもうと死のうと関係ない、そう思う人も増えるのではないでしょうか。

今の日本の為政者を見ていて、唯物的、刹那的な人生観が思う以上に広まっているのではないだろうかと心配に思います。すっかり、貨幣性資本主義のワナにハマり、カネの奴隷と成り果てた日本の政、財、官の人々、自分が死ぬまで保てばそれでいいと思う無責任人間が多過ぎるのではないかと私は思います。しかも、もう死ぬまで何年もないのに、彼らは永遠に生き続けるかのような調子です。次に生まれ変わってみたら、地上は放射能汚染で安全な食物はなく、社会は荒廃し、近隣諸国とは戦争を繰返しているという世界になっていたらどうしよう、などと、彼らは想像したことはないのでしょうか。

勿論、誰でも自分は大切です。だからこそ、自分が大切なのだから他の人も同じように大切なのだ、と思えるのが人間というものでしょう。しかし、現在は、今の自分がよければ他人や将来の子供達はどうなってもよい、という短絡な考え方の持ち主が余りに多いのではないか、と政府や営利企業の責任者を見ていて思います。悪いことに、彼らは、その非人間的な考え方を認めたくなくて、いろいろ言い訳をひねくり出しているように見えます。そもそも「自分さえよければよい」というのは、ラクで楽しい生活をしたいというだけのことであったりします。私、人間、ラクするために生きているのではないと思います。もしそうなら、死ぬのが一番ラクでしょう。最近、関東各地の子供たちの尿から放射性セシウムがどんどん検出されているというニュースを聞きました。もう手遅れかも知れませんが、被害者を見捨て、国民を危険にさらし続けてきた政府、東電の責任者の人々は、黒沢映画の「生きる」でも見てみればどうでしょう。

そんな世間ですが、今日も青空が美しいです。目に入る街路樹や道路や建物や遠くの山の上にも、そして地の上にへばりついて業を深める人間たちに上にも、陽の光は贅沢に惜しみなく降り注いでいます。私もその朝陽を浴びて、「永遠」の意味を少し感じたりします。人生は良く生きる価値のあるものだと確信すさせてくれます。
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