百醜千拙草

何とかやっています

陸山会判決に憤る(2)

2011-09-30 | Weblog

日本が野蛮で非民主的な警察国家であることがあらためて露わになった陸山会裁判で怒りがなかなか収まりません。ネットでの意見などを拾ってみました。共通しているのは、 これは小沢氏ら反利権政治家だけの問題ではなく、国民全員に向けられた攻撃だという点です。私もその通りだと思います。その気になれば、連中は誰でも捕まえて適当な罪状をでっち上げ、有罪に仕立て上げることができるということを大っぴらに示したのです。

山崎行太郎氏のブログから

国家が本当に危機に直面すれば、何をするか。 何をやるか。なんでもやるのである。民主主義も三権分立も、そして人権の尊重も言論の自由も、その他諸々の権利もあったものではない。あらゆる思想や制度は隠れ蓑であり、「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)なのである。ひとたび、国家に危機が到来すれば、あらゆるイデオロギー装置は、本性を露わにして、一人一人の国民に向かって牙をむき出すのである。今回の裁判結果は、大げさに言えば、国家が国民に銃口を向けたようなものであるそれだけ国家の側が崖っぷちに追い詰められ、生き残りのために「必死」になっていることを意味する。昨日の国会審議を聞いていて、民主党もダメだが自民党はもっとダメだなと思わないわけにはいかなかった。

晴れのち曇り、時々パリから

 日本が「形だけでも」掲げていた<法治国家>の看板を下ろした日

もはや、日本はまともな国家としての体裁すら、整えていない状態に成り下がってしまいました。本日、2011年9月26日、日本の司法はついに、裁判の決まりを打ち捨てました。

陸山会事件なる「冤罪」事件で、貴殿のかっての秘書三名に対する「有罪判決」に於いて、登石郁朗裁判長は、証拠の無い事実に対して、『推認』して有罪にする、という裁判官としてあるまじき「不法行為」を行いました。
日本法制史上、類を見ない劇的な暴虐でした。

世相を斬るから

削除要請の危険が多いので、敢えて名前は伏字にて、第一報をお知らせします。なんとも凄いのですが、法務省からの依頼かどうか判断がつかないが、「登*郁*氏」に関する個人データの多くが削除対象になっているようだ。

地上げ屋さんのブログから

国策捜査・・と言う言葉は
先にご紹介した皆様のおかげで (笑)
広く世間に知れ渡りましたが・・
国策判決・・と言う言葉は、
今後もあまり世間に知られることはないかも知れません。

登意地だっけ? あと意地川? あの二人は・・あの証拠却下の時点で・・無罪を決めてたと思う。 登意地なんて・・"検察側は心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導した・・" こう決定書に書いて寄越したんだぞ! それがなんでこの判決になったのか?

そりゃ登意地ってくらいだ。 相当抵抗しただろ? でもな・・最後は・・コレまで出てきて・・アッチのアレ・・アレとナシつけたってワケさ。 この霞ヶ関じゃな。 事実と・・判決ってのは・・常に一致するとは限らないんだよ。

草の者が指差す・・コレ・・の先には、中央合同庁舎6号館八階付近・・
アッチのアレには・・最高裁判所があったことを・・  付け加えさせて戴きます。 (苦笑)


森ゆうこ議員のツイッターから

「検察のストーリー」という言葉は何度も聞いたが、「裁判所のストーリー」という言葉は初めてだ。 誰かの良識に期待していてはいけないのだ。


岩下俊三おじさんのブログから

「中途半端に宗主国に弓引くとこんな目にあうのだぞ」という見せしめは日本司令官の義務である。

江川紹子ジャーナルから

裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。

裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいた。

こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージ

 今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない9月27日の朝刊に掲載された共同通信配信の原稿に加筆


日々坦々から

不当判決を出す裁判所の問題点:「人質司法」「判検交流」「人事制度」

郵便不正事件では、村木元局長は「階段」だったこと、本当の狙いは石井一議員で、真意は民主党に対する攻撃であり、小沢一郎の改革阻止だったことは、少し考えればわかることだ。

いわば、検察は、小沢一郎をターゲットにした一連の事件で、小沢自身の不正ではなく、結果的に検察自らの不正をさらけ出してしまったと云える。

今後は検察と同じく、裁判所の今まで不透明だった数々の不正を白日の下に晒し、検察同様、膿を出していくいいチャンスであると考える。

杉並からの情報発信ですから

「2012年小沢政権つぶし」に裁判所が全面に出てきた!

田中良紹の『国会探検』から

 ロッキード事件以来、数々の「でっち上げ」を見てきた私には「またか」という思いがある。


最後の二つの記事に事件の本質がよくまとめられていると思います。

私は、平和ボケの日本でノホホンと育ち、大学を出てからも病院や実験室に籠って、世間から離れて、社会で起こっていることは自分とは直接関係のないことだと無関心でいました。アフリカ、中東、朝鮮半島、中央アメリカなどで、大量の市民が虐殺されてきたのも、自分のいる世界とは別の話だと他人事でした。しかし、この数年、平和な民主主義国家だと教えられてきた日本が実はとんでもない非民主的な劣等国であることをつくづく思い知らされました。日本は既に戦場であり国民は刈り取られる草なのだと思い知らされました。

上の森ゆうこ議員のツイートの後には、次のような意味深な言葉が続いています。

自ら戦いの中に身を置いたのだから。 「座標軸」があることは幸せだ。道に迷うことがないからである。

今の国民は自ら戦いの中に身を置いたのではなく、否応なく戦いの中に放り込まれたのだと思います。その事実を認めたくない人々も多いでしょうが、既に戦争に巻き込まれている以上、私は、少なくとも戦いの中にあることを自覚して、戦うべき時は雄々しく戦う方を選びたいと思います。森議員は、官僚組織(国家)の暴力と戦ってきました。その言葉からは、勝ち目がいかに小さくとも、その目標を目指し、座標軸に沿って、自ら勝利をつかみ取るのだという意志が読み取れます。誰か自分以外の人が助けてくれると期待してはいけないのです。自分自身と同胞を守るためには自分自身が立ち上がり、戦う必要があることをあらためて思い知らされました。

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陸山会判決に憤る

2011-09-28 | Weblog

仕事が忙しいので、こんなことしている場合ではないのですけど、今回の陸山会判決に関する記事を目にするたびに、怒りと情けなさで体が振える思いです。

このふざけた判決を出した裁判長、早速、判決当日付けで高裁へ昇進したとかいうウワサも聞きました。この裁判の本質を知っている数限りない人々が、「司法は死んだ」と言っていますが、司法というものが、行政(官僚)と独立しているという三権分立がそもそもウソだっただけのことで、日本という国は最初から司法など無かったヤクザ国家だったということが明らかになっただけなのでしょう。

永田町異聞では比較的冷静にこの判決のデタラメさを指摘しています(一部転載)

いま、東京地裁、登石郁郎裁判長の判決文要旨を読んでいる。この矛盾に満ちた文章が、この国の司法の場で通用することに唖然とするばかりだ。たとえば、陸山会事件に関するこの記述。


◇04年分収支報告書に「借入先・小沢一郎 4億円、備考・04年10月29日」との記載がある。・・・石川被告は4億円を複数の口座に分散させた後、陸山会の口座に集約しているが、4億円を目立たないようにする工作とみるのが自然だ◇


それが自然だろうか。であるなら、なぜ04年収支報告書に「4億円を小沢氏から借りた」ことを記載するのだろうか。


こういうくだりもある。「これらの事実を総合的に検討すると、石川被告は4億円の収入や、これを原資とした土地取得費用の支出が04年分収支報告書に載ることを回避しようとする強い意志を持って種々の隠ぺい工作をしたことが強く推認される」


不可解な文章ではないか。これに対しても同じ疑問をぶつけたい。ではなぜ、04年収支報告書に小沢氏からの4億円借り入れを記載したのだろうかと。


約3億5000万円の土地代金を支払ったとについても、記載していないわけではない。土地の登記が完了した翌年1月7日に支払ったことが次年度報告書で明らかにされている。


記載したことを無視し、記載しなかったことだけで考えれば、検察の言うような片手落ちの理屈になり、そのストーリーにそって作文した東京地裁の判決文になる。

 

私の気持ちとしては、下のコシミズ氏のブログ記事に近いです。(一部転載)
登石郁朗さん、たった一日で超有名人ですね。ところでお子さんいらっしゃいますか?ご自分の背中を子供たちに見せられますか?子供の顔を直視できますか?司法界の信用を根底から破壊するって楽しいですか?今後、海外などで「資産運用」される際はご注意ください。常に監視されていますので。

B層はいくら騙せても、日本には何もかもわかっている人たちがたくさんいることを御銘記下さい。残りの人生、常時人の目を気にするいばらの道となると思います。たとえ今後出世はできたとしても、心の平安は絶対に得られません。真の賢者は、貴方のような道は選びません。

こんなアホ丸出しの判決がまかり通り、マスコミが「小沢辞めろ」の大合唱をし、それにそのまま乗せられてしまう知識人のいる未開の国が現在の日本という国なのだ、と思う情けなさ。正直、日本人であることが恥ずかしいです。人々はもっと賢くならなければなりません。市民のできることはもっとこの国の本当の仕組みを知ることです。社会科の教科書や新聞が言うことを真に受けないことです。ワイドショーでヒステリックに叫ぶ司会者の言うことを疑い、自分の頭で考える習慣をつけることです。その上で連帯し、権力組織の弾圧と戦うことです。権力組織に弾圧されているという意識さえない人々も多いと思いますが、ちょっと考えてみてください。誰が消費税を上げようとしているのか、誰がただでさえ高い電気代をあげようとしているのか、誰が人々の雇用を不安定にしているのか、辿っていけば行き着く所は、官僚組織とその後ろにいる宗主国です。彼らに好き勝手に搾取されないようにするためには、市民の意識の向上と団結しかありません。

追加。つい先ほど、トニーさんの記事を読みました。是非一読を乞いたいと思います。私も日本人として恥ずかしいのは同じですが、私はトニーさんのようにこの状況を笑うような余裕はありません。無理が通って道理が引っ込むのを何度も何度も見せられて、なおかつそれはますます露骨にエスカレートする一方で、本当に気が滅入ります。実際のところは、この裁判長も頭に銃を突きつけられていたのかも知れませんが、野蛮な未開の国であることには変わりありません。

追加2。さきほど、石川議員のインタビュー記事を読みました。その悔しさを察すると余りあります。昇進というアメにつられたのなら論外ですが、たとえ銃を頭に突きつけられていたとしても、我が身かわいさで、人を陥れ職を汚したこの裁判官が残した汚点は消えません。石川議員、是非、最後まで戦い抜いてもらいたいと願います。国民がもうちょっと賢くなれば、こんなデタラメな裁判はできなくなるはずです。石川議員の有罪判決は、愚かな国民の責任でもあります。
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やはり裁判所もグル、国連関係ニュース

2011-09-27 | Weblog

期待に反して、小沢氏秘書に有罪判決とのこと。裁判は土地購入の4億円の記載が適切だったかどうかを問うものであり、水谷建設のヤミ献金の有無は無関係であったにもかかわらず、どうもヤミ献金の疑いをもって有罪としたというお粗末きわまりない判決だったようです。やはり、裁判所もグルだったということです。アメリカにムチとアメでコントロールされてきた日本代理人が作り上げた官僚組織という互助組織、即ち、国民の富を吸い上げて宗主国に貢いだ余りを仲間で分配しあうための搾取組織の保身本能は余りに強大だということです。裁判所も検察もマスコミも、そして総理大臣のぬいぐるみを着せてもらって喜んでいる誰かさんも、みんなその搾取組織の一員で、己の利益のためには、法も人権もなんのその、何でもするということがよくわかります。悪い事に、多くの国民もマスコミの洗脳がよく効いて、「国民の生活が第一」をめざしている人間を、金権政治で真っ黒と思い込み、政治の場から去るべきだと思っているというようなレベルにあるということです。高度成長期後の豊かな社会に生きてきた人は、飼い主がエサを与えてくれるのは、太らせて喰うためだと考えず、囲いを破って自由にしようとする者の方を平和を乱す腹黒いナラズものだと今だに思っているのでしょう。国民が新聞や週刊誌の記事をそのまま額面通りに受け取るのではなく、もうちょっと自分の頭でモノを考えるようにならないと、世の中は変らないのでしょう。このままだと日本は、共産党独裁政府による恐怖政治の中国やあるいは、ヒットラー時代のドイツと同じような国になるでしょう。

 

先週の国連関係のニュースで二、三、言いたい事。イラン首相、去年に引き続き、アメリカの9-11は自作自演でイラクに軍事侵攻するための口実づくりだ、とアメリカを批判。チョムスキーは9-11レベルのことを自作自演でやろうとしたら、絶対に情報が漏れるはずなので内部犯行ではないのではないか、というスタンスをとっていますが、私はやはりあれは自作自演の可能性の方が高いと思います。飛行機が突っ込んだ後にビルが一分もかからずに根元から崩壊するビデオをじっくりみれば、普通の思考能力があればこのビル崩壊が飛行機の衝突で起こされたという公式見解ははあり得ないと感じざるを得ないでしょう。そして、この事件の十分な究明をまたずに、速攻でアルカイダのテロリストの犯行と結論づけ、ブッシュドクトリンという怪しい理屈でイラクに侵攻したアメリカの行動を見れば、少なくともおかしいとは思うでしょう。ブッシュドクトリンが許されるならば、身の危険をヒシヒシと感じているであろうイランが国連という場を使って、テロ国家、アメリカを糾弾して機先を制しようとするのは当然だろうと私は思います。イランにしてみれば、イラクとフセインの二の舞はご免だと思っているでしょう。イラン,イラク戦争では、イラクに肩入れしながら、ウラではイランに武器を売っていたアメリカです。しかも、そのカネでニカラグアでの反政府ゲリラ勢力の援助していました。そして、ブッシュ政権に代わったそのすぐ後の湾岸戦争では手のひらを返したようにイラクに軍事攻撃。その軍事力をたのんで世界中で戦争を煽ったり介入したりしてカネもうけをしてきた暴力団まがいのテロ国家がアメリカである、とりわけ中東の人々はそう思っているでしょう。なぜなら、アメリカの世界軍事戦略というのは、中東のオイルの制御を中心にしているからです。それはアメリカが中東のオイルが欲しいだけではなく、中東のオイルに世界が依存する現在の経済システムゆえです。このオイルを押さえれば、ヨーロッパのみならず、日本を含むアジア諸国をもコントロールできるのでアメリカは中東にしつこく介入するわけです。だからアメリカは日本が中国やロシアと仲良くなってオイルラインをシベリアから引いたりしてもらったりすると困るのです。角栄がロッキードで嵌められたのも、小沢氏がずっと迫害されてきたのもこの理由です。

それから、パレスティナが国連加盟申請との話。パレスティナを国家として認めてもらい国とパレスティナ人の人権を守るためにこれは当然の要求だと思います。客観的に、イスラエルとアメリカが彼の地でやってパレスティナ人への迫害を考えたら、判官贔屓の日本人ならずともパレスティナに公平な権利を与えるべきだと思うでしょう。だだ、PLOはパレスティナの権利を守るという意味で余り有能ではありません。ここにも苦しむパレスティナ人とその人々を守るという建前の組織との利害の対立があるようです。無論、パレスティナの国連加盟に関して、イスラエルとアメリカは激しく抵抗しています。そもそもアメリカがイスラエルを支援する理由が中東オイルなのですから、パレスティナや反米アラブの力が多少なりとも増強することは望んでいません。その点でイスラエルとアメリカの利害は異なる理由で一致しているということでしょう。

しかし、だんだんと世界中の戦争に首を突っ込んで金儲けしてきたアメリカも、借金で首が回らなくなり、国際基軸通貨としてのドルの地位が危うくなってきている中、これまでのような強引で残虐な手は使いにくくなっていくでしょう。アメリカがおとなしくなるのは世界平和にとって悪くないことだと思いますが、反対に、今後はこれまで押さえ込まれて来た中国が暴走する可能性を私はちょっと不安に思います。だからこそ日本は、やはり中国とはもっと意思疎通する努力をしないといけないと思います。可能であれば、政府どうしだけでなく国民レベルで理解し合うようにするべきです。しかし、アメリカべったりだと、中国政府は反日姿勢を弱めることはないでしょうから、まずはアメリカとなんとか距離を置く努力を見せることではないかと思います。(ま、今の政府には無理です)

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小沢秘書の判決を前に

2011-09-25 | Weblog

これを書いている時点では、小沢氏秘書三人の判決はでていません。この事件については何度も触れましたが、一般の人のどれぐらいの人がこの事件の立件内容と本質を理解しているだろうかと私は不安に思います。特捜は(選挙前に小沢氏を不利にするようにという指示があったのでしょう)水谷建設のヤミ献金で小沢氏に泥をつけてやろうと画策したわけですが、何の証拠も無いので、5年も前の土地購入代金の支払い時期の不一致という政治資金規正法違反(実はこれは違反ではないようです)という名目で秘書を別件逮捕、それを口実に何度も強制捜査を入れて何とか裏献金の証拠を見つけようとしたがシロだったという話です。振り上げた拳を降ろしかねて、やむを得ず政治資金規正法違反だけは立件したという情けない話です。この事件に関わった特捜の重点メンバーが既に左遷されたり検察を辞めたりしているのを知っている人はどれぐらいいるでしょうか。これは明らかに無罪判決を予想してのトカゲの尻尾切りで、検察本体を守ろうとする動きです。小沢氏側が何度も言っているように、この違反という言いがかりをつけられているものは、土地購入代金の支払いと土地登記日が2ヶ月ほどずれているというだけの話です。こんなことで逮捕立件されるのなら、検察に目をつけられている人なら、過去五年間の何かの書類の日付をうっかり書き間違えたりしたら誰でも好きなように捕まえることができます。

私は当然、完全無罪判決で、検察に猛省を促すような判決になるのが法治国家として当然だと思いますが、裁判所と検察は、ある意味グルですから、裁判所が検察のメンツを立てるために微罪を適用する可能性はあります。完全無罪となった場合、世間の検察に対するバッシング(村木さん事件も記憶に新しい所です)、その検察リークを垂れ流して来たマスコミに対する不信など、権力側にとって不都合なことがいろいろおこり得ます。ただでさえ、政府と役人は地震後、信頼を全く失っている状況ですから。それを恐れて裁判所は微罪を出す可能性もありうると思います。この件が無罪にさえならなければ、小沢氏の共謀罪の裁判も継続できて、権力側にとってはまだ丸く収まる可能性があると裁判官が考える可能性も高いと思います。今となっては、矜持に富む裁判官がマトモな判決を出すことを望むばかりです。

逆に言えば、これが無罪にならないようでは、日本はまだまだ幼稚な官僚独裁国家から脱する見込みはないと思います。阿久根市前市長の竹原氏が言うように、なにしろ日本は司法、立法、行政にマスコミを加えた四権連立ですから、病根は深いです。

これが政治家秘書におこった一般国民とは関係のない話と考えて欲しくないと私は思います。この事件の経緯を見れば、これは明らかに小沢氏失脚を狙った政治的謀略に国家権力が使われたという極めて野蛮な事件であり、日本がまだまだ戦前の警察国家に過ぎないことを示しています。権力側に都合の悪い人間は誰でも好きなように迫害し始末することができるということです。明日は我が身ということです。

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研究広報

2011-09-23 | Weblog

学会から帰ってきました。友人や知り合いに会ったりするのは楽しいのですけど、肝心の学会の中身はパッとしませんでした。不景気で、参加者数の減少、出展企業数の減少などによる学会や研究活動の沈滞が主な理由かと思います。寂しい話です。

会期中の特別シンポジウムでは、どのようにして、科学研究活動を宣伝し、一般人や議員の人々のその価値や成果を理解してもらうか、という「研究広報」のセッションもありました。早い話が、大学や研究機関の研究の大部分が税金ベースの政府資金に頼っているという現状があるので、税金の使い道を決める人にできるだけアピールして研究資金への分配を増やす努力を積極的にしないと、研究者や大学関係者は喰い詰めますよ、ということです。

アメリカ国防省(ペンタゴン)が存在している本当の目的は国防そのものではなく、国防にからむ研究や企業へ税金を回すためであると先のチョムスキーの本に書いてありました。国防予算を削るとハイテク研究が打撃を受けます。同様にアメリカの医学生物研究の多くに金を出しているNIHの予算が削られると、当然ながら大学や研究施設の生物系研究が打撃を受け、大学院教育などが成り立たなくなるでしょう。国防に関する重要性を一般国民にアピールするのは比較的やさしいでしょうが、大学の基礎研究のアピールはそれよりは困難かと思います。テクノロジー開発に主眼を置く国防関連の研究と、生物学研究はその質からしてかなり違います。また国防だとテロなどで国防が危機になればなるほど、もっと国防費を増やそうというロジックになりますが、人の健康に関しては、こんなに金をつぎ込んでるのになかなか病気がなくならないのなら、役に立たない研究などやめてしまえ、という方向に行きかねません。その辺りからして基礎系生物学研究は立場が弱いです。

引退した議員の人がそのシンポジウムで講演の一つを行いましたが、もっと積極的に議員にコンタクトをとって、研究の重要性をわかってもらうべきだと言っていました。具体的には議員を研究室に招待するとか、マメに手紙を書くとか、その議員の科学アドバイザーになるとかを提案していました。そんなヒマがあったら実験する、という研究者の人の意見もわからないではないですけど、こういう「社会活動」に参加する人がいないと、研究者の社会的立場はやはりじりじりと悪くなっていってしまうと思います。社会活動は継続的に行い、そのノウハウを蓄積できるようなシステムをつくることが大切です。少数の活動家にまかせて自分は何もしないというのではいけません。というのは、多くの使命感に燃える活動家が結局、燃え尽きてしまいます。それは、彼らの活動がより広い人々からなるシステムに支えられていないからです。弱い立場である一般民衆は団結すること、継続的に活動を行えるような恒久的な場をつくることが必要だと思います。誰もが少ない負担で気軽に参加でき、少数の人々だけに頼らないような組織がシステマティックに運動を続けることが重要だと思います。アメリカ科学会ではFASEBとかAAASとかの広い科学コミュニティーなどがその役割を果たしていますが、それでも一般研究者の社会への関り方に関する意識は低いと思います。やはり、まずは一般民衆(研究者)個人の意識の向上が不可欠です。欲しいときだけ「金くれ」とせがんでおいて、もらったら関係ない、という態度はいけません。日頃から、研究活動を社会にどういう形で還元するかという意識はもっておいた方がよいと私は思います。

ところで、国連で野田首相は原発輸出継続を表明したそうですね。やはりこの人は、原発利権連中の言いなり、ただのブx型の操り人形だったようです。自分のところで、あれだけ大きな事故を起こしておいて、日本のみならず世界に迷惑をかけた上、半年たってもその後始末さえできていない状況で、「原発を輸出する」などとよく恥ずかしげもなく言えたものです。ニュース記事には、他の国の反応が書かれていませんが、おそらく、大ブーイングを浴びたことでしょう。私もふざけるのもいい加減にしろ、と思います。喩えてみれば、酒酔い運転して人身事故を起こした教習所の教官が、これからも安全運転に気をつけて運転を指導したい、と言っているようなものでしょう。直ちに免許取り消しするのが筋です。日本がすべきことは、原発を直ちに停止して深く反省することです。(そんなあたり前のことができないのですね)前の空きカンもヒドかったですが、この人もすでにダメなようです。

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若い世代

2011-09-16 | Weblog

ちょっと前の柳田先生のブログで、若い人の人付き合いに関して次のようにありました。

このあいだ札幌で話をしたひとたちはおおむねわたくしより10才から30才くらい若い範囲なのですが、異口同音に聞かれるのはいまどきの若者への不安でした。
共通的に聞かれるのは、同輩同士の関係には非常に気を使ってそれなりに上手にやっているが、年齢がはなれた人たちとの関係をつくれない。それで年上からみると、共通しておとなしくなってしまう。
離れた年齢のあいだでの断絶が問題になりつつあるのか、それとも若者がおとなしいのが問題なのか、そこのところがはっきりしません。

同輩同士の関係はまずまずだが、年齢の離れた人との関係を作れないというのは、日本だけではないと私は思います。自分の回りに線を引いて、味方と敵に分けてしまうやりかたの延長だと思うのです。例えば、現代のアメリカの都会に住む若者の9割5分はこのタイプだと思います。アメリカの都市のように多民族国家で移民が常に流入してくるような社会で、かつその生活レベルが年々下がっていっているような所では、事実、自分の常識の通用しない人間がすぐ横にいることも多く、他人に対して疑り深くなってしまい、それで最初から敵と味方に色分けするのではないかと想像します。結果として、自分のよく知っている人間だけとしかつきあわない、それ以外はたとえ同じ職場の先輩や上司であろうと、あいさつさえしないし、原則無視という態度になって現れるのではないかと思います。社会が平和で豊かで安全であれば、敵と味方に分ける必要はないわけで、逆に、構成員同士が信用できないような社会では、敵味方の線引きがはっきりするのもやむを得ないと思います。衣食足りて礼節を知るですから、喰っていくのに精一杯の国で、人間としての高潔さや善良性を求める方が無理というものでしょう。日本でも貧しい時代は、人を見たら泥棒と思え、と教育されてきました。社会が豊かになって安全なのが当然となったときは、人は自然とガードを降ろすのではないでしょうか。そう考えれば、現代アメリカ社会は以前の豊かさを失ってしまっているのだろうと思います。事実、アメリカの一般家庭の平均所得はこの30年間かわっていません。一方で労働時間と共稼ぎ世帯は相当に増加、モノの価格も上昇していますから、平均的アメリカ人の生活レベルは30年前に比べて、かなり落ちたと言えるでしょう。現在すでにそうなってきていますが、日本もアメリカも今の若い世代が大人になるころは、物質的にはおそらく彼らは総じて親の生活レベルよりも低い生活をすることになるでしょう。我々が若い世代に関して思う問題というものは、当然ながら彼らのintrinsicな問題ではなく、彼らが育ってきた社会の問題を単に反映しているのだと私は思います。ならば、責任はむしろそういう社会をつくってきた上の世代にあるでしょう。若い人が世代をこえた関係を作りたがらないのは、本能的に危険を察知しているからなのかも知れません。大学教授に騙されてポスドクをやって使われて捨てられたというような例を聞いたりして、上の世代を警戒しているのかも知れません。

それぞれの世代にはそれぞれの不満があるものだと思います。私の親の世代は気の毒でした。あの気違いじみた戦争と敗戦で成長期に十分食べることもできずに育っています。我々のちょっと上の時代は戦後のベビーブームで、過当競争の中で育っています。そして、私の世代はちょうどベビーブーマーが社会のポジションを埋め尽くした後、そして高度成長が止まって余った金がバクチに流れ、そのバブル経済の徒花が散ったころに社会に出ました。つまり私の世代以後の世代は、日本がいよいよ下り坂に入ったことを国民が実感したあとの世代です。そして日本経済は以後そのまま低迷したままです。早い話、これまでのような企業中心の資本主義は破綻して死ぬべき時期にきていると思います。これまでの30年間、アメリカや日本のしてきたことはその死んだ馬にムチを当てて、あたかも生きているかのように振る舞っていたということではないでしょうか。

それはともかく、それでは今の若い世代や私の子供が大人になるころの社会を考えると、先が読めないという点で大変だなあと思わざるを得ません。何十年か前、中学時代の社会の先生が、私たちに向かって「お前たちはこれからの大変な社会を生きねばならないから大変だなあ。オレはそのころにはあの世に行ってしまっているから気が楽だ」と言ったのを覚えています。いずれにしても未来は常に大変なものなのかも知れません。ただ、今は日本は本当に行き詰まっていると思います。高度成長がとまり、大災害が起こり、国が貧しくなっていっている一方で、高齢化と少子化が進んできています。そして今後十年以内に数百万人単位で放射線後遺症によるがん患者が出てくるだろうと推測されています。やはり、大変な事態だと思わざるを得ません。少子化はむしろ歓迎すべきことでしょうけど、ベピーブーマーの急激な高齢化や放射線障害者の急激な増加が社会に及ぼすショックをうまく受け止めないといけません。しかし今の政府ではムリでしょう。

ところで、所信表明、野田氏が早速、原発再開と増税を口にし、臨時国会は4日で閉めると言ったようです。やっぱり、この人はただの財務省の飼いブxだったようです。原発再開とか増税をする前にやらねばならないことがこんなにはっきりしているのにやらない。やるべきことを何もやらずして責任を国民に丸投げするのはこれまでの自民党と全く一緒です。しばらく前、複数のブログで、内閣参与に細川前首相の秘書官、成田憲彦氏がついたことの意味が述べられてありました。つまり、野田氏一人では危なっかしいので、不肖の弟子が可愛い細川氏が、代表選に際して小沢氏と野田氏の会談をセットアップした上で、後見人をつけてやったということです。問題はこの後見人がどれぐらい、すでに財務省の傀儡と言われるこの不肖のブxをコントロールできるのかということです。前の空きカンでわかったことは、一旦、首相になってしまうと、どんなにヒドい人間でも辞めさせるのは大変だということなので、注意しないといけません。輿石氏の幹事長人事などをみて一縷の期待もありましたが、この所信表明を聞く限りは、やはりハズレのようです。輿石幹事長という人事は単に首相になりたい一心で、この人が小沢氏の要求を飲んだだけのことだったようです。日本の夜明けは遠いです。

もう一つ、原発反対派の鉢呂氏が「放射能をつける」発言をでっち上げられて辞めさせられた事件ですが、その事情が本人のインタビューと共に明かされています。やはり原発利権連中の陰謀だったようです。まったく恥知らずで悪質極まりない大手マスコミには開いた口が塞がりません。

鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だった (現代ビジネス)

明日から学会で一週間ばかり出張します。その間は、ニュースは天気予報ぐらいにして学問に集中したいと思うので、ブログお休みします。

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チョムスキーに聞いてみたい

2011-09-13 | Weblog

政治の話はあまりしないつもりだったのですけど、これまでの自民党政治(=官僚政治)とは何であったか、二年前の政権交代で小沢氏が目指したものは何であったか、マスコミや国家権力を用いた二十年以上にわたる小沢氏バッシングの本質とはなにか、非常によくまとめられている記事を目にしたので紹介します。この記事では、今回のドジョウ内閣がやはり財務省官僚の傀儡だという読みのようです。確かに政調の復活とか、そこにマエハラ氏のような官僚の手先を据えたところなどはそう思わせます。しかし、幹事長に輿石氏、外務委員長に田中真紀子を配置したという辺りの本心がよくわからないのです。小沢派のガス抜き目的なのか、あるいは、ひょっとしてこの人、財務省傀儡のフリをしていたダブルエージェントなのか。偽メール事件の時の対応や財務大臣の時の発言など、過去から判断すると、やはりただのドジョウか家畜化したイノシシか、と思ったりもするのですけど。

財務省と仙谷が仕切る野田政権の本質は、「官僚の生活が第一」の再構築内閣だ! (日々坦々)

早速辞任に追い込まれた経産相の後にエダマメがノコノコでてきました。オフレコで本人も覚えていない「放射能をつける」発言が一斉に新聞の一面に載るという異常さに「開いた口が塞がらない」人も多いでしょう。官僚マスコミがグルになって原発反対派のこの大臣の揚げ足をとって辞めさせて、扱いやすいエダマメを出してきたわけで、野田氏がどこまでかかわっていたのか知りませんけど、この人事をみてやはりこのドジョウは喰えないと思いました。

さて、アメリカでは、オバマが$450Bの経済刺激政策法案を通したいと、先週木曜日、議員に向けて演説。その様子は全米に生中継されました。緊縮財政、小さな政府を主張する共和党が既に下院では過半数を占めている状況で、スピーチに対する共和党議員の反応はやはり冷ややかでした。アメリカ経済を好転させなければならない、というオバマの主張に関しては、民主党も共和党も一致しています。ただそのやり方に関して意見の相違が大きいということだと思います。オバマはアメリカ経済のために「この経済刺激法案を通さなければならない」とくどい位に繰り返していましたが、ねじれで下院を共和党に握られている状況での焦りが感じられました。縁起でもない話ですが、「法案を通さないとオレは辞めない」と言って顰蹙を買った空きカンをふと思い出しました。演説翌日の株価は下落、演説は下院多数の共和党の抵抗感を引き出してむしろ逆効果だったのかもしれません。

アメリカ構造言語学の祖、MITのチョムスキーの講演集「現代世界で起こったこと- ノームチョムスキーとの対話 1998-1999」(田中美佳子訳 日経BP社)を借りて来て読んでいます。これは言語学の本ではもちろんなく、活動家としてのチョムスキーの発言集です。まだ一部しか読んでおりませんが、いちいち頷く事が多く、チョムスキーの博識と慧眼にあらためて驚きます。この本は2001の9-11前に出されたもので、10年以上前のものですが、日本語訳は2008年に出ています。訳者の田中さんは、あとがきの中で、「偉大な救済者でもヒーローでもない普通の人たちが、こつこつと努力を続けた結果、現在の世界は数十年前と比べても格段に良くなっています」と言っています。本当にそうなのかどうか私はよくわかりません?確かに世界最大のテロ国家とチョムスキーが位置づけるアメリカがケネディー時代を頂点に徐々にその無法ぶりが抑えられて来たのは、少なからずアメリカ人を含む一般民衆の努力ゆえだと思います。しかし、日本国内に限ってみれば、今は、小泉売国政策のあおりで尻に火がついて、ようやく日本の官僚主義という搾取システムを何とかしないといけないと人々が思いはじめた段階に過ぎません。(その自民党の売国政策のウラには無論、アメリカと財務省がいるわけです)アメリカにおいても官、財、マスコミがタッグを組んで一般アメリカ人を洗脳し搾取してきたのは知られてはきましたが、まだまだそれが目に見えて改善している様子はないように思います。イラク戦争が失敗に終わり、アメリカの体力も落ち、諸外国へのアメリカの無法極まりない介入は確かに減りました。しかし、アメリカ内部、そして日本内部に目を向けてみれば、社会が本当に進歩して本当の民主主義に近づいてきたとはとても思えません。

競争原理主義、資本主義は労働者を人間ではなくモノと見、労働者は逆に資本家を搾取者と見る、喰うか喰われるかという対立関係が軸になっています。その非人間的な社会に、今われわれはいます。チョムスキーはこの本の中で、次のマルクスの言葉を引いています。

「社会主義は人間の動物的問題を解決するための試みであり、われわれは動物的問題を解決して初めて人間の問題にとりかかることができる」

人間の動物的問題とは、自分の利益ために他人を利用し搾取するということ、即ち、競争原理至上主義のことを言っているのでしょう。この動物的問題こそが資本主義の本質に他なりません。そして現在、富の殆どを少数の人々が独占する一方で一般人は毎日の生活に喘ぐという極端な富の偏在がいよいよ社会そのものを破綻させようとしている段階に近づきつつあると思います。チョムスキーはアメリカが恐れてきたのは市民の蜂起による革命だと述べています。日本同様、アメリカの報道機関も北朝鮮同様、プロパガンダ拡散機関です。丁度、10周年ですが、残念ながら、9-11に対する人々の反応を見ても、一般アメリカ人は市民蜂起に至るような意識レベルにはまだまだ至っていないようです。ヨーロッパやカナダでは、9-11を、アメリカの言う通りにイスラムテロリストグループやアルカイダの仕業だと本気で信じている人はむしろ少数派でしょう。(チョムスキーはアメリカ政府が9-11テロに積極的に関与したとする説に関しては否定的なようですが、9-11をブッシュ政権が十分利用して利益を得たとは考えているようです)そもそも、ペンタゴンの存在意義とは防衛そのものではなく、防衛に関連するハイテク産業に税金を回す目的だというのがチョムスキーのスタンスで、ちょうど日本の官僚がハコモノを乱立させるのと同じです。

このアメリカの構造はそっくり、そのまま日本に当てはまります。日本では官僚組織、財界、マスコミ、そしてアメリカ、が一般人の犠牲の上に利を貪っています。かれらの悪質さについては特に今回の地震に関する対応で一層、明らかになりました。

ゆえに、日本を良くするには官僚組織を中枢とし国家権力を操るこの利権集団の改革が何より大切なのは自明でしょう。だからこそ、政治主導で官僚組織改革、天下り禁止、マスコミのクロスオーナーシップの禁止、対等な日米関係を公言する小沢氏を、二十年に渡って、官僚(検察)やマスコミが、よってたかって不法に攻撃してきたワケです。それでも長年にわたるマスコミの洗脳が効いているのか、大学教授のような知的職業にある人間でさえ、小沢氏の目指しているものを理解しようとせず、単に小沢は古い体質の政治家だから消えて世代交代するべきだ、というマスコミの誘導をそのまま信じているような人もいます。マスコミが意見を押し付けようとしている時には、彼らにとって都合の悪い言うことを隠し、都合の良い方向へ誘導しようとしている可能性を考慮しないといけません。彼らにとって都合のよいことは、とりもなおさず一般日本人の不利益です。それがわかっていて、まだ小沢氏は消えるべきだと思う「こちら側」の一般日本人がいるとしたら、私は洗脳の病も膏肓に入ったと思うしかないと感じます。

下のビデオを見つけました。2003年のインタビューで、6分あたりから日本の現状について述べています。

 

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職業科学者のこれから

2011-09-09 | Weblog

夏休みに「ポアンカレ予想を解いた数学者 - ドナル オシア著、糸川洋訳」を読みました。私、たまたま、このポアンカレ予想を証明したというロシア人数学者、ペレルマンについて、以前Scienceが「Break-through of the year」にとりあげた際に、読んだ記憶があったので、たまたま見つけたこの本を借りてきました。このロシア人は、ちょっと変わった人のようで、賞も名誉も要らないと言って、ポアンカレ予想証明が正式に確認された後、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞やクレイ研究所のミレニアム賞の受賞を固辞、この大発見の後、MITで歴史的な講演をしたあと、ロシアに帰って数学はやめてしまったというような話を聞いた覚えがあります。「証明が正しければそれで良いのだ」と言ったらしいです。私もノーベル賞なんか要らないと断ってみたいものですが、絶対誰もくれるとは言わないでしょうからムリですね。それに、生物や医学研究は、先立つものなしには成り立ちませんから、数学と違って、この世界の研究者は金とか賞とか大好きです。私も賞はともかく、金は好きです。

数学に関しては「天才」と秀才や凡才との差は如何とも越え難いもののようですが、その点で、生物学や医学とは随分違うと思います。生命科学の分野ではノーベル賞をもらうような人も大抵、普通の人です。生ものを扱うので、頭の良さよりも、研究を長期間にコツコツやれる根性と、加えて、うまく金鉱を探り当てる山師的能力、つまり、直感力とか、運の良さとか、そんなものの方がより大切なような気がします。(数学とかでも、あるいはそうかも知れません)

思い返せば、中高生のころは私はまだ数学が好きでした。同学年に数学の天才がいて、当時はやっていたルービックキューブの一般解を行列式を使って解いたとか、とにかく数学に関してはつくづくレベルの差を思い知らされたものでした。その彼も何故か数学以外は全然ダメでした。それでもT大にストレートで入りました。今、どうしているのでしょうか。私は中学生の時の幾何学の証明問題とかが好きでした。幾何の授業には教科書がなかったように思うのですが、多分、あの授業はユークリッドの「原論」をやっていたのだろうと思います。中高での幾何の授業はユークリッド幾何学以上のことはやらなかったので、ポアンカレとかの名前を知ったのは大学に入ってからです。多分、ユークリッド幾何学の刷り込みが強かったのでしょう、三角形の内角の和が180度でなかったり、平行線が交わったりするという世界の話についていけなくなり、それと同時に、多分物理学での微分方程式のトラウマも相乗的にはたらいたのでしょう、すっかり数学嫌いになりました。

ところで、この本で、もっとも、私が興味を惹かれた点は、科学の発展の歴史です。第一次大戦や第二次大戦で、科学者がどのように政治や戦争に利用されたか、科学研究者という職業が成り立つためにいろいろな社会的条件が必要であったこととか、科学研究が必ずしも発展の一途を辿るものではないであろうこととか、高等教育は一種のブームであり、その需要で大学や研究者という職業が繁栄したということなど、今後の研究職という職業を考える上でも大変参考になりました。個人的には、アメリカでの高等教育ブームは、その投資が回収できない可能性が高いという観点から、まもなく終焉を迎えるのではないかと予想します。人間、「衣食足りて礼節を知る」で、「武士は喰わねど高楊枝」とはなかなかいきません。アメリカでの大学教育費はマトモに払えば授業料だけで1000万円は軽くこえますから、卒業とともに多額の学生ローンの借金の返済に苦しむ若者も多いようです。中流家庭では大学教育をより高収入の職につくための投資とみる傾向が高いですから、大学進学は投資の面からは既にワリに合わなくなっています。高等教育ブームが終わって、学生数が減れば大学は経営困難となり多くの研究者や教官が職を失うということになるでしょう。

科学研究においても新たな「金になる」発見をすることはどんどん難しくなってきており、それが証拠に多くの製薬会社は、研究開発部門をバイオテクにアウトソースするようになってきています。それだけリスクが高いということでしょう。あたり前ですけど、これまでの科学の発展も「役に立つ」部分があったからこそ正当化されてきました。しかし、だんだんそのあたりが不明瞭になってきています。世界的不況に入り、食料危機までがウワサされる今、科学(や学問一般)は平和で豊かな社会のみにゆるされる贅沢品だとみなされるようになるかも知れません。アメリカ政府の研究予算は2013年から本格的に締め付けがきつくなるだろうと予想されています。カネが無くなれば人はこなくなり、人が来なくなれば業績はでなくなり、業績がでないと予算が削られる、という負のサイクルに陥っていく可能性が高いでしょう。そして、科学研究の意義は根本から問われ直すことになるかも知れません。ちょっと気の重くなる話です。人間の好奇心が続く限り、科学者がいなくなることはないとは思いますが、それでメシを喰っていける職業科学者の数は経済の縮小に伴って減少していくのは避けられないと思います。

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週末の出来事、今後の研究資金事情など

2011-09-06 | Weblog

週末いろいろありました。

遠来の友人が学会帰りに寄ってくれました。波瀾万丈の学会旅行紀を聞かせてもらった上、晩飯をおごっていただいてお土産までいただきました。とても楽しかったです。

土曜日は結婚式でした。この年になって十歳も年下の人の式に、友人として招かれるのはうれしいものです。披露宴の後半はDJが入ってなつかしい60-80年台の曲を中心にディスコタイムとなりました。上着を脱ぎ捨てて踊り狂っている70以上かと見受けられた小柄な老人が愉快なので誰なのだろうと思っていたら、何と新郎の父でした。人が幸せそうにしているのを見るのはいいものですね。

日曜日、子供のサッカートーナメント。レフリーの度重なるアンフェアな審判に監督と選手(13歳)が激怒して怒鳴り合うという珍しいハプニング。善戦するも、引き分けで最終戦に進めず。これまでも、レフリーの依怙贔屓のいうのは何度かありましたが、選手である子供がレフリーに喰ってかかるのを見たのは初めてで、子供たちも成長してきているのだなと頼もしく思ったり。

某そこそこの有名雑誌から論文レビューの依頼。私もこの雑誌レベルを第一目標にしています。この雑誌はこれまで二度、挑戦しましたが、二度ともエディターのレベルで落とされました。このレビュー依頼の論文はよく知っている日本のT大のグループからです。有名雑誌からの論文レビューの依頼の少なからずがこのグループからなので、多分、向こうが私をレビューアに指定してくるのでしょう。知り合いの贔屓目ではないですけど、このグループからの論文はレビューするのも比較的気が楽です。いつもかなりのレベルの仕上がりで、ポイントが大抵きっちり押さえられているので、スラスラと気分よく読めます。

世の中には、途方にくれるような本当にどうしようもない論文が多数あって、そういう論文も少なからずレビューせざるを得ないわけですが、正直、ハラが立つことも少なくありません。その点、出来のよい論文のレビューは得をしたような気持ちになります。このグループからの論文に関してはこれまで採用拒否の推薦をしたことはありません。

しかし、結果がすべての研究界とはいえ、やはり、天下のT大の研究室が、マンパワーを使って高レベルの論文を量産しているのを横目で見ていると、多少は嫉妬を感じますね。私のところは、資金も乏しく、労働力は私を入れて2.5人ですから。彼らは建前上は二つのグループですが、人とリソースを融通し合い、ほぼ一体化したグループとして論文を出してきます。彼らのやりかたを見ていると、昔の「護送船団方式」と呼ばれ、官民一体となって貿易を推進してきた高度成長期の日本を思い出させます。その点、欧米の研究スタイルは個人主義的だと思います。中には「Factory style」と呼ばれる分業制の大研究室もありますが、それは例外でしょう。研究を業績(出版)主義で見てしまうと、分業制の方が効率がよいのは間違いないでしょうが、おそらくそうなると、人のトレーニングや研究の柔軟性という点で問題があること、分業制にするにはそれだけのグラントを取って来ないといけないわけですが、なかなか複数のグラントを常時維持することは難しいことなどの理由で、個人主義的研究スタイルをとる研究室が多いのではないかと想像します。

最近のNatureでは、今後厳しくなっていくであろうアメリカの研究資金の先行きを踏まえて、対応策を検討する委員会についての記事。結論は、結局ムダを省きリソースを共有して、少ない金を効率よく分配するという社会主義的解決策が提案されたというようなことが述べられていました。当然ながら、研究資金は力のあるところが競争で取って、そうでないところは淘汰されてしまえば良い、という競争原理、市場原理主義的提言は行われませんでした。それが研究界全体の利益を考えた場合の良識というもので、当然だと思います。リソースが少なくなってきたときに、強い少数を優先的に残すという選択をかけた場合と、多様性を重視して広く浅くリソースを回すという選択をした場合と、長期的視野に立ってみれば、どちらがよりプラスかは自明ではないかと思います。マトモな研究者を育て上げるのに最低十年はかかります。前者の現時点では生存力の強いものだけを残し、多数を斬り捨てれば、状況が変わって異なる技能が必要とされるようになった時にすばやい対応ができません。目先のカネにつられて優秀な頭脳が金融業などのバクチ稼業に流れてしまったのが、現在アメリカの衰退の原因ではないかと私は思っております。研究界も同様の愚を犯すべきではありません。いずれにしても、研究資金が研究のスタイルやアウトプットを変えるのはどうしようもないことです。中国は二昔前の日本のように怒濤の勢いで、研究論文を出版してきています。どうしても研究資金とレベルは国の経済力に比例しますから、今後は中国の台頭、アメリカと日本のレベルダウンは避けられないのではないかと思います。

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福島原発事故、その後(日本語字幕)

2011-09-02 | Weblog

福島中央テレビがYoutubeから削除させたらしいですが、その復活版。本当に政府と地方の役所のやり方に腹が立ちます。

<ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕>

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しばらく静観

2011-09-02 | Weblog

政治の話はこれからは余りしないつもりですが、野田氏が輿石氏を幹事長にしたことが解せずに引っかかっております。新聞は党内融和のためと、まるで素人の床屋政談なみの解説。野田氏の演説を聞いても、この人が個人的にもかなりの反小沢らしいのはわかります。とはいえ、全員野球とか言ったくせに徹底的に小沢派を干し上げて、無能をさらけ出した空きカンのブザマを目の当たりにして、いくら嫌いでも小沢氏なしでは政権運営はできないと悟ったということなのでしょうか。あるいは、単に小沢派の引きはがしのための懐柔策の初手なのでしょうか、しかし、小沢氏排除が目的の懐柔策では、いきなり幹事長ポストを輿石氏という大胆な策がわかりません。地上げ屋さんは、これは既に小沢氏が、海江田氏でコケた場合を想定して打ってあった計画のうちだったという話を書いていますが、どうなのか。同様に、田中良紹さんも、来年の代表選まで見越して打った小沢氏の作戦であると読んでいます。以下抜き書き。

野田氏は前原氏の出馬で落選確実と見られていた。その野田氏も前原氏も最大勢力を誇る小沢氏に面会して支持を求めた。その結果、小沢氏は前原氏の不支持を決めたが、野田氏を不支持とは言っていない。そして小沢氏は鳩山グループが推す海江田氏を支持する事に決めた。前原氏を不支持とした理由は幹事長人事で折り合わなかったとされている。つまり前原氏は輿石幹事長を承認しなかった。

 野田氏が代表選挙で「どじょう」の話を持ち出したのは輿石氏が念頭にあったからである。つまり代表選挙が始まる前から野田氏は輿石幹事長を約束していたと今になって私は思う。それが前原氏と野田氏の帰趨を分けた。そう考えると来年9月の代表選挙にかける小沢氏の意欲が見えてくる。

 来年の代表選挙に現職総理が立候補するのは当然である。その時、自分が支持した総理の足を引っ張って権力を奪うというのでは筋道がたたない。自分が支持した候補を破った総理と戦うのが正道である。その意味で来年9月までの総理は野田氏か前原氏でなければならなかった。しかし反小沢で動く総理でも全くパイプのない総理も困る。来年戦うに足る「対立」と党をバラバラにしない「共通項」とを併せ持つ総理が好ましかった。

 

また、それとは逆に天木さんのように、輿石氏は既に野田陣営に取り込まれたのだと読んでいる人もいます。しかし、輿石氏の年齢でここで寝返っても何もいい事はないでしょうから、その線はないでしょうね。

この小沢氏に近いと考えられている輿石氏の幹事長という人事に関して、早速、産経が感情的になっているようです。

【主張】野田新首相 輿石幹事長に唖然とする 2011.8.31

前回、小沢氏の処分解除の動きに、耳を疑ったと思ったら、今回は、唖然とする、この欄の著者は、感覚器と思考機能にかなりの問題がありそうです。放射能のせいでしょうか。ついでに「開いた口が塞がらない」朝日の社説子さんは、口腔外科で顎関節症を見てもらった方がよいでしょう。ま、ともかく、産経、朝日という潰れかけの売国新聞のことは放っておきましょう。輿石氏の人事の意味は、今後の野田氏、輿石氏の行動で自ずと明らかになるでしょうし。いずれにせよ、結束強い小沢派と敵対しては、政権運営は不可能だと考えていることだけは確かでしょう。その点、空きカンとか悪徳弁護士よりは智恵はあるようです。

これまでの野田氏の働きをみていると野田氏に期待しろという方が無理ですけど、あるいは、ひょっとするようなことがあるのかも知れません。織田信長なみにうつけ者を装っていただけという可能性もゼロとは言えません。現時点で官房長官が決まっていませんが、その辺の人事と今後の動きを見て、評価したいと思います。

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