百醜千拙草

何とかやっています

福神漬け作りました。

2015-07-31 | Weblog
研究は地道に一歩一歩やっていますが、やはり、スピードは大切ですね。PCSK9の中和抗体が高脂血症の治療薬としてアメリカとEUで認可をとったという話を聞いて思いました。ヒトでの遺伝子異常が見つかってから薬になるまで10年ちょっとです。よいものをじっくりと確実にやることが最も研究では優先すると思ってはおりますが、一方、モノになりそうなものには、タイムリーに手をさっと出せるフットワークの軽さと余裕を常に維持していくことも、社会のニーズに応えるという点でも極めて大切だと思うようになりました。グラントにおいては更にそうです。タイムリーであること、なぜその研究が「今」なされないといけないのか、という点が十分に納得してもらえないと研究の意義を評価してもらえませんし。

ということで、変わりばえのしない日々ですので、どうでもいい話でも。
最近、週末によくカレーを作っていますが、日本のカレーはよくできていると思います。カレーに限りませんが日本の食品のレベルは西洋諸国に比べると総じて3段階は上だろうと思います。日本人の飽くなき探究心と地道な努力の成果であろうと思います。カレーはイギリスを通じて明治初期に日本に輸入されたそうですが、本格的に大衆化するのは昭和で、特に固形のルーが開発されてからのようです。カレー用にスパイスを混合したカレー粉はイギリスの会社が最初に製品化そうですが、カレー粉の消費量では日本はインドに次ぐ堂々の世界第二位だそうです。なぜ、日本人にこれほどカレーが好まれるのか、よく分かりません。和風のカレー料理のバラエティーも多いです。私が中学生のころは、学校のそばの甘味屋で「カレー丼」というメニューがあり、よく食べに行っていました。これがすごく美味しかったのですが、いまはどんな料理であったのかはっきりと思い出せません。和風だしでカレーを溶いたシチュー状のものの中にカツレツが入っていて、ご飯が別盛りになっていたような気がします。当時、この料理を知らない人々にカレー丼のおいしさを説明しようとしたら、それはカツカレーとどう違うのだと聞かれて、自分の感覚では全く違う食べ物なのにうまく説明できずに困りました。

昔ながらの日本のカレーに福神漬けが添えられておりますが、この絶妙のコンビネーションは昭和初期に日本郵船が始めたのが起源のようです。どうもインドのチャツネかピクルスを添えるかわりに日本人の口に合うものとして代用したのが始まりのようです。適度な酸味と甘みとショウガの香りに加えて、歯ごたえの良さですね。
それで、最近、カレーをつくるついでに福神漬けも作ってみようと思いたち、作ってみました。意外に簡単にできて大変おいしく、カレー以外にも冷や奴に添えたりしてもいいです。豆腐は絹ごしを買ってきてざるなどで一、二日、冷蔵庫で水切りしてます。普通のヨーグルトからグリーク ヨーグルトを作るような感じです。
また、市販のものよりも野菜をかなり大きく切っているので、おかずの一品としてもいけます。本来の福神漬けは「大根、カブ、なす、レンコン、ナタ豆、うり、しそ」ということらしいですが、材料の関係上、大根、ナス、キュウリ、レンコンの四品で作ってみました。
 野菜は大きめに切り(2 cm角ほど)塩を降って一時間ほど、しんなりさせて水気を絞ります。その間に、醤油1、酒1.5、砂糖1、酢0.5 カップを煮立て、昆布だし、千切りにした一かけのショウガとゴマを大さじ1加えます。そこへ水気を絞った野菜を入れて、沸騰後1分ほどで火からおろし、一旦、野菜を取り出します。煮液だけを火にかけ直して5分ほど煮詰め、熱いうちに野菜の上からかけて密閉し、冷めてから、さらに冷蔵庫で一日ほど寝かせれば出来上がりです。ショウガのピリッとした爽やかさと煮汁の酸味と甘みが重要なように思います。難点は酢と醤油とショウガの匂いが結構つよいことですね。お弁当に持って行くのはおすすめできません。
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恐怖が生む視野狭窄と思考停止

2015-07-28 | Weblog
柳田先生のブログで、佐藤優氏の辺野古への米軍飛行場移設についての新聞の意見に関して、次のように述べられています。

いっぽうで、しかしながらわたくしは虫の良いことも考えたくなり、現存の沖縄にある飛行場というか空港は未来的には民間空港にも使えるようになると期待しているのです。どれも沖縄にとって貴重な社会的財産にある。そうなると、辺野古に空港ができれば将来的には沖縄本島の北部の振興にはものすごく役にたつ。嘉手納も返還される事を期待すれば、普天間にある空港は危険プラス無駄だが、辺野古が民間空港に転換されれば沖縄にとって大変なメリットでは無いか、などとかんがえてしまうのです。


沖縄返還から50年近くたっても、米軍基地はなくなるどころか、大多数の地元県民と県知事の反対にもかかわらず、辺野古の自然を破壊してバージョンアップして移転しようとしているのです。将来的に米軍のための飛行場が民間空港に転用されるかどうか、未来のことはわかりませんから「ない」とは言えませんが、その時は、おそらくアメリカの世界覇権が終わっているということであり、あるいは、アメリカの代わりに中国軍かロシア軍が現米軍基地を使用していることになっているかもしれません。グアムへと一歩引こうとしていた米軍を出て行かないでくれとすがっているのは、政府官僚の方で、沖縄の米軍基地恒久化が官僚の利益とアメリカの利益の双方のプラスである以上、新飛行場からそう簡単に米軍が出て行くとは思えないです。一方、日本政府が出て行けと交渉すれば、アメリカは出ていかざるを得ない。鳩山政権時代にアメリカはグアム、テニアン案をかなり真剣に検討していたはずですから。沖縄基地問題に唯一正面から対峙したその鳩山政権は基地利権官僚のサボタージュとメディアを使ったバッシングで半年で退陣に追い込まれたのですから、闇は深いです。

関連して、今回、アベ政権が安保法案を通そうと無理を通そうとしているわけですが、これを支持する人々もおります。そういう人々の意見をネットで見てみると、論理は通っているのです。ただ、気づいたことは、彼ら支持者と私たち反対者は、どうも異なる前提から出発しているらしいということです。彼らは、安保法案が、日本の国防のための法案である、という点から出発しており、それが私たちとは違うのです。公開された密約文書などから、安保は日本の国防という建前であるが、実質はアメリカの世界軍事戦略の一環にしか過ぎず、日本の安全を保障したりする意図はないというのが私には明らかに思えるのですが、安保法案支持者の人の意見には、そのアメリカから見た安保という視点があまり感じられないのです。もう一つは、彼らには「恐怖感」があるようです。

フリーアナウンサーの長谷川さんは、次にように書いています。

例えば、フジテレビの「みんなのニュース」に出演したときの安部さんの「火事の例え話」は結構残念な説明でした。むしろ分からなくなるというか…。そうですねぇ…。僕なら、「暴力団」で例えるかなぁ…。

安保賛成派ってのは、お父様に「オマエ、女なんだからケンカなんかしちゃいけねぇべ!」って強く言われて我が家の家訓にもなってるんだけれど、うるせーよ!山口組、超怖いんだよ!と、老害のオヤジを無視して…工藤君が転校生のアフガン太郎くんをボコボコにしているのを助けに行く、という選択肢です。その代わり、工藤君の「いい女」になれます。これで、歌舞伎町を歩いてても、工藤君と腕を組んでいるので、山口組は手を出してこないことでしょう。良かった良かった♪
逆に反対派は、工藤君がアフガン太郎君をボコっているのを見て、「工藤君を助けるのはケンカに参加することになるわ!」と言って工藤君を無視します。お父様はその姿勢を評価してくれるわ♪家訓も守れたわ♪ウフ♪ そう言ってる女の子だと思ってください。
 ちなみに、その子は、その後の歌舞伎町を歩いていたとして、90%くらいの確率で、山口組の3人に拉致られてレイプされてマワされますが、それは将来のことなので気にしないでおけるタイプです。大事なポイントはアメリカも中国もヤクザですよってこと。で、その中間で挟まれた腕力もない女の子ですよってこと。

この喩えもひどいと思いますが、つまり、この方は、ヤクザ同士に挟まれているのだから、長い方に巻かれて、その「女」になれ、そして命令されたら、アフガン君のような弱いものいじめに加担しろ、ヤクザ相手には力のない女は強い方の言いなりになるしかない、とでも言っているようです。それはあまりに情けない見方ではないでしょうか。アメリカも中国もヤクザかも知れませんが、アメリカ人、中国の大多数は堅気の普通の人々なのです。いくらヤクザの親分でも子分がついてこなければ無茶はできないのです。この方は、ヤクザは素人の女と見ればとにかく問答無用で害を加えにくるとででも思っているようです。しかし、ヤクザは誰彼構わずケンカを売るのが仕事ではなく、彼らも最小努力で自らの利益を最大化したいと思っているのです。武力行使や恫喝というのは、もっとも効率が悪くかつダメージの大きい方法ですから、彼らにしてもそれは簡単には出せないカードです。

一方、戦争を放棄している日本は武力以外での交渉を粘り強くして、身の安全を図る努力を怠ってきたのではないかと思います。戦後の安保というのは「飲む」しか選択肢がなかったが、日本人はそこで名を捨て身をとって急激な産業化と経済発展を成し遂げました。その間、対米従属はアプリオリに課せられた日本の義務であって、交渉の余地のないものという刷り込みができてしまったのではないかと思います。つまり、無条件でアメリカに貢ぐのではなく、アメリカヤクザと中国ヤクザの機嫌をとりつつ、お互いが得になるように交渉をするという努力を怠ってきたように思います。そして、日中国交正常化でアメリカからの自立を図ろうとした田中角榮がロッキードで嵌められて見せしめにされてから、日本は、ますますアメリカ隷属主義を徹底してしまったので、アメリカヤクザに更につけいる隙を与えてしまったということではないかと思います。

安保賛成派は、「戦争は人命を犠牲にした金儲けの手段であり、戦争は絶対悪である」という事実を軽くみすぎているのではないでしょうか。自分の身の安全のためなら、ヤクザの女になって、無実のアフガン人の無差別殺人に加担するのはやむを得ないと思っているのでしょうか?それ以外のもっと良い方法を考えようという努力をどうしてそこで放棄してしまうのでしょう。どうして立憲主義と大多数の国民の意見を踏みにじって、政府の独裁政権が戦争法案を通してしまうという事実の方を恐れないのでしょうか。戦争とは、まず、自国の政府がその国民に対して仕掛けるものです。アベ政権がやろうとしていることは、親が娘をヤクザに売り渡そうとするのと同じことです。

これらの愚かな行いを正当化するのは「恐怖」から来ていると思います。ヤクザに囲まれているからヤられるという恐怖です。冷静にヤクザの立場とその動機を見てみれば、その恐怖にはあまり根拠はないのです。ヤクザに囲まれたから即、拉致られるというのも、中国もアメリカもガチガチ一枚岩の凶暴なヤクザと見做すのも極端な視野狭窄に陥っているからではないでしょうか。恐怖で視野狭窄して、ヤクザの女になって言いなりになるしかない、という極論に飛ぶのは、思考が停止していると言わざるを得ません。

加えて、「恐怖」を利用して、人々を扇動し都合のよいように操るのは、権力者の常套手段です。

岩下おじさんの最近のエントリーの中の引用から。

我々はナチスのヘルマン・ゲーリングのあの言葉を思い出さざるを得ない。
「戦争を望まない国民を政治指導者が望むようにするのは簡単だ。国民に向かって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては愛国心が欠けていると非難すればよいのである」。
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ネタを仕込む

2015-07-24 | Weblog
次の研究ネタを探して、うろうろしている日々です。昔は、面白そうだと思った現象を理解するために実験するだけで良かった日々もありました。しかし、今やまずは研究費です。まずは、人に面白いと言ってもらえる研究ネタを見つけて、自分の専門分野とすり合わせてニッチを作っていく努力をしないとカネになりません。次の応募は来年を予定していますが、準備に数ヶ月、審査に数ヶ月、計算するとあまり余裕がありません。パイプラインには定期的に新ネタを仕込んでいく必要があるのですが、この一年ばかり、研究費申請のことにかかりきりになり、出すべき論文も後回しになっている状態ですので、新ネタを仕込む余裕がありませんでした。このツケは二年後にやってきますから、ここで少し頑張って遅れを取り戻したいところです。しかし、そんな簡単にパッとした新ネタが見つかるわけものなく、行き詰まった私小説家のように頭を掻き毟る日々です。

さて、安保法案反対の運動はますます大きくなっていっています。脱原発運動と同様に、官僚が描いた路線を民衆の力で方向転換するのは容易なことではありません。しかも今回の安保法案に関しては、アメリカの軍事費削減に伴う米軍戦力低下の穴埋めを自衛隊にさせるというアメリカの意向と対米隷属官僚の指令のもとに行われており、当のアベは、それで軍隊が持てるのなら渡りに船とぐらいにしか思っていないのですから、どうしようもありません。この動きが変わるとすれば、外圧しかありません。アメリカは、自衛隊にアメリカ軍の下働きをさせたいという短期的な利益追求の欲求がある一方で、戦後に日本を徹底的に骨抜きにして二度と逆らえないようにしたことでわかるように、日本が再び軍事的野心を持つことを恐れてもいます。加えて、アベ内閣にはその辺のバランス感覚がないということはアメリカはわかっていて、暴走する危険も懸念しているわけです。

ニューヨークタイムズが、わざわざ安保法案反対運動を取り上げて、アベ内閣のやり方を懸念するような社説を出したのは、アベ内閣に「暴走するな」と釘をさしたかったのだろうと思います。そのメッセージは、少なくとも官僚レベルは理解しているはずです。官僚にとっても、安保法案を通そうとするのは、アメリカの軍の縮小に伴う人員不足を自衛隊で補填しろ、という要求を満たすためだけの目的であり、中国にバカにされてたまるか、というような子供じみたエゴでやりたいわけではないのです。しかし、アベ氏は違うでしょう。この人の動機は(おそらく学生時代の劣等感に由来するであろうゆえに)非常に厄介だと想像できます。

ともあれこの状況を客観的に見ると、いくら各地で一般国民、学者の会、学生の団体らが、デモを繰り広げても、今回の法案を止めることは(仮に衆院の野党の総協力で内閣不信任案提出などの手を使ったとしても)困難だろうと思います。しかしながら、世の中は因果で動いて追います。この反安保運動、それから脱原発運動といった運動は、すぐには成果になって現れなくても、バイプラインに仕込まれたネタのように、しばらくたってから効いてくるものです。アベ内閣は次の参院選でトドメを刺されて遠からず退陣するであろうと思われます。それでも、すぐに対米従属が変わるわけでもありませんが、まずは目の前の障害を一つ一つ取り除いていくことです。そしてある時、そのネタが威力を発揮することになる、と私は想像しております。
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便所虫と意義なき存在の党

2015-07-21 | Weblog
次の研究申請のことを考え始めました。できることは限られているし同じネタを使い回すわけにはいかないので、その制約の中で、いかに自分が出きそうなことで社会のニーズに合うプロジェクトを申請するか、というパズルです。
 研究申請の採択率は随分下がり、競争は激しくなっており、その分、全体としての申請書のレベルは上昇していると思います。レベルが上がっているのに採択率が低いということは、採択されるためにはよりクオリティの高いものを書く必要があるということで、よい申請書(サイエンス フィクション)を書くために、本来の研究時間を犠牲にして、バカにならない時間を費やさねばならなくなっています。大変、非生産的です。
 通常サイズの研究プロジェクトの研究申請における最大の問題は、そのプロジェクトはまだ始まっていないにもかかわらず、その中心となっている仮説は正しくないといけないという宿命があることです。建前上は、わからないことがあるので研究して仮説が正しいかどうかを検証する、というスタンスで研究計画は書くわけですが、実はあらかじめその仮説がほぼ正しいことがわかっていることが申請書が通るための前提となっています。そうでなければ、研究は余りにリスクが大き過ぎると批判されて採択されないのです。仮説が正しいかどうかを知るには、実験してみるしかありません。それで、ある程度、仮説が正しそうだという予備データが得られてから、それを小出しにしつつ、レビューアを説得することになります。一方、仮説を完全に証明してしまうと「もう仮説が証明されたのなら、わざわざカネを出して研究する必要はない」と批判されることになります。私、バランス感覚は比較的いい方だと思っているのですが、この研究費申請の予備データの出し方に関しては、未だにそのコツがなかなかつかめません。
 この二年間ほど研究費獲得に苦しみ、一息ついたと思ったらすでに次にかからなければなりません。こんなことをしているうちに人生が終わってしまうという焦りを感じることが増えました。どんな立派な論文を書いた所で、一年もたたないうちに忘れ去られます。かりに歴史に残るような発見をしたところで、その喜びなど続いても一ヶ月といったところでしょう。「花の命」のような研究者人生です。

さて、強行採決された安保法案ですが、アメリカの方ではもう何ヶ月も前から、法案が通ることを前提に、アメリカ軍事予算が組まれていたという話がおおっぴらに新聞に出ていたということを知りました。そりゃ、アメリカの軍事戦略に加担するために、国民の税金と命を差し出して立憲主義と民主主義を踏みにじり、どう考えても無理な筋を通して道理を引っ込めさせたアベ政権ですから驚きはしません。しかし、あれだけの子供だましの詭弁を弄して、安保法案、解釈改憲を成立させようと、史上最長の会期延長までしてごり押ししたのは、アメリカの来年度の軍事予算に合わせるためだった、というのですから、あまりに情けない。学生時代は、こういう恥知らずのことをすると「便所虫に生まれ変わる」と言ったものです。

その記事、「US defense budget already counting on Japan self-defense plan」By Erik Slavinは今年の5月に発行されています。つまり、アベがホワイトハウスと議会で、TPP礼賛し日米軍事同盟強化の演説をして、アメリカ様に「日本国民の犠牲にして、多大な貢物をする」と宣言した後です。

2016年のアメリカ防衛予算は、日本の安保法案の成立を前提としている。
アメリカは日本の集団的自衛権に関する安保法案を維持している。
アベ内閣は、昨年、平和主義的日本国憲法の「再解釈」によって、第二次大戦後初めて、同盟国の「集団的自衛」に参加できるようにすることを決定した。、、、どれほど国民の反対が大きくとも議会で圧倒的多数をもつアベ政権は、法案を提出すればそれは可決されるだろう、、、、、公明党の協力がなければ、集団的自衛権の法案は通らない、とワタナベ ツネオ氏はいう。


アベとその取り巻きは仕方がないとしても、情けないのは公明党。週末の「アベ政権を許さない」デモは、公明党本部前もターゲットに大勢の人々が集まった様子。
公明党本部前でも「アベ政治を許さない」
きょうは「反安倍デー」。午後1時、全国各地各所で「アベ政治を許さない」のポスターが掲げられた。(呼びかけ人:作家・澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さんら)会場に行けない人は自宅の壁に貼った。ベビーカーに吊り下げた。カバンに貼って街を歩いた・・・新宿区信濃町では、市民団体(反安保実行委員会)が公明党本部前で「アベ政治を許さない」を掲げようとしたが、警察に阻止された。
公明党を抗議対象に選んだのは安倍政権の暴走を支えているのが公明党だからだ。
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バカはバカをやる

2015-07-17 | Weblog
Crispr/Cas9でマウスを作る実験をぼんやり考えていたら、思わぬところから、あるヒトの遺伝性疾患のマウスモデルを作りたいという話がやってきました。話を聞いて見ると、蛋白をコードしない領域に単塩基変異を入れたいということでした。通常のCrispr/Cas9でノックアウトをつくるよりもかなり難易度が高そうです(ただでさえ、私はCrispr素人ですし)。それでCriprの経験のそこそこある人々数人と戦略について相談しました。この実験の問題は非コード領域への単塩基変異の導入をするのですが、その変異以外の変異を入れたくないということでした。相同組み替えを利用したCrispr/Cas9を使っての変異の導入では、repair templateにガイドRNAと全く同じ配列を含めてしまうと、相同組み替えで望む変異が一旦入った後もCas9が生きている間は、ゲノムは断裂と修復を繰り返すことになります。となると相同置換よりも遥かに効率のよいNHEJで修復が起こって、望むような単塩基変異ではなく最終的にindelの変異になってしまう予測されます。これではダメです。これを防ぐために通常はrepair templateのガイド配列相同部位かPAMにわざと無害な変異をいれるわけですが、今回はそれが基本的にできません。ですので、ガイドの配列を変異を導入したい塩基を含めて設計し、一塩基ミスマッチを入れるのが精一杯です。変異部位をガイドの中に含めようとすると必然的にガイドの選択は極端に狭まります。そして、PAMの位置と変異導入部位はできるだけ近づける必要があります。結局、この条件を満たすガイドは一つだけでした。そして、そのガイドの効率をコンピュータで予測させてみると、「良くない」という結果がでて、ガックリしたところです。後は実際に予備実験をして効率を見るしかなさそうですが、どうしたものか前途が不安です。

自民と公明党は、勝てば官軍、憲法も法律もなんのそのと、安保法案を強行採決。こういう「うつ」になってしまいそうなときこそ開き直って、できることをするしかありません。人間、「恐怖」に捕われるから鬱になるのです。すぐにはどうにもならないことをどうにかしようともがくので無力感と焦燥感からパニック発作を起こすのです。自分でできることを確実にやり、すぐに力の及ばないことは、心配したり、恐怖を覚えたりしてはいけません。残念ながら日本の政府は、欲に駆られたどうしようもない連中がつるみ、数にものをいわせて、やりたい放題している状態です。それを一般国民はどうすることもできないというのが現実です。しかし、他人はコントロールできません。XXを治すこともできません。ましてや相手はXXに加えて数の暴力で強行採決という刃物を振り回しているのです。いくら気に入らない現実でも、それをまずは受け入れた上で、できることとすぐにはできないことを分けて、できることから確実にやっていくしかありません。

安保法案の強行採決に先だって反対の声はより高くなっていました。

ジブリの宮崎監督が辺野古への米軍基地恒久化移設と安保法案とアベ政権の愚劣さを厳しく批判。 
沖縄県名護市辺野古(へのこ)への新基地建設計画をめぐり、反対する市民運動を支援している「辺野古基金」の共同代表を務めるアニメ映画監督の宮崎駿氏が十三日、東京都小金井市のスタジオで外国特派員協会所属の記者と会見し「沖縄県民の半分以上の人たちが、新基地建設に反対している。永続的にあらゆることをしていく」と訴えた。
 宮崎氏は、国会審議が進む安全保障関連法案について「軍事力で中国の膨張を抑えるのは無理な話。もっと違う方法を考えないと。そのために私たちは平和憲法をつくった」と述べた。
 「憲法は占領下の産物ではないか」との問いには「十五年戦争の結果、三百万人を超す同胞の生命が失われた。そこに差し込んだ光が平和憲法だった。それは(第一次世界大戦後に各国が締結した)不戦条約の精神を引き継いだもので、決して押し付けと見られるものでない」と話した。
 安倍晋三首相に対しては「自分は憲法解釈を変えた男として歴史に残りたいのだろうが、愚劣なことだ」と強く批判した。


結局、安保法案、与党はいきなり強行採決。自民党はともかく、公明党、これでは「平和の党」とはとても言えません。踏まれても踏まれてもどこまでもついていくゲタの雪、単に与党の旨味を失いたくなかっただけの様子。
14日の日刊ゲンダイ、憲法学者、小林節氏のインタビュー記事から抜粋。

「結論を先に言いますと、強行採決は行われると思っていなければなりません」
こう言う小林氏は、その根拠をこう説明した。
安倍内閣はそういう体質だからです。『上御一人』ということです。子供の時からそういう育ちをした人は、何があっても、爺や婆やがその通りにしてくれました。周りには2種類の人間がいて、ひとつは、あの方と同じような先祖代々の世界、価値観の人たち。もうひとつは、秀才なのだけれども、その貴族集団にゴマすることで出世しようとする政治家・官僚たち。良心を売って新貴族階級に自分を入れてもらおうとする価値観しかない人たちです。ですから『殿、だいぶ風雲急になってきております。作戦を変えてはいかがでしょうか』とは言えない。言った途端、クビを切られるから。ですから暴走自動車は止まりません」、、、、
 小林氏がまず挙げたのが野党共闘だ。 いま我々が何よりも考えるべきことは、史上最悪の政権の退場です。この国は“狂った迷走状態”に入っている、日本丸という巨大な船。船長がいかれているのですよ。それなのに周りのクルーが『あんたが大将』と担いでいる。我々はこの船のオーナーであり受益者です。狂ったような船員集団を追い出さないといけないのです」
 小林氏は最後にこう力説した。「今回、強行採決をされても、諦めないで下さい。予定通り、バカがバカをやっただけです。『やっぱり来たか! バカ野郎!』と言っていればいいのです。強行すれば、参院選はつまずく。いや、つまずかせる。違憲訴訟も準備しています。法律が成立してしまったら、その瞬間から我々の平和的生存権がシクシクと害され続けるのです。たくさんの人が集団訴訟を起こすでしょう。今日も弁護士会でお願いをしてきました。『何百人という話も出ていますが、1000人の弁護団を作りませんか』と。そうすると、地裁の裁判官も『違憲』の判決を出しやすくなる。私は死ぬまで諦めません」
(取材協力=ジャーナリスト・横田一)  


愚劣な動機でバカがバカをやっているのですが、残念ながら私たちはすぐに止めることができません。バカはバカを自覚できない故にバカをやっていることもわからない。だから簡単には治せない。でもあきらめずにできることをやりましょう。この世は因果応報、天網恢々です。必ずアベ内閣は遠からず終わります。対米隷属も必ず終わる時がきます。あきらめなければ必ず報われます。
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時の早さを感じる時

2015-07-14 | Weblog
私は研究に遺伝子改変マウスを主に使ってきましたが、この数年、新しくマウスを作っていないことに気づきました。最後に自分でES細胞を培養したのは既に7-8年前だと思います。トランスジェニックマウスを最後に作ったのは3年前。その間、マウスはノックアウト コンソーシウムなどで欲しいものは買えばよいというようになってきて、わざわざ作る必要もなくなってきたのです。時代は変わったなあと思います。

しかし、久しぶりにトランスジェニックマウスを作ろうと思いついて、とりあえずコストを調べるためにコア施設に連絡をとろうとしたら、なんと驚いたことにトランスジェニック施設そのものが店じまいしていました。マウスのリソースの充実に伴って、マウスを作る人が減ったのかなと思い、やむを得ず、別の機関の施設に電話してみました。
そこの責任者の人は昔からの知り合いですが、その話を聞いて、あらためて時の流れの早さを感じてしまいました。
その施設では、通常のトランスジェニックのプロジェクトもESを使ったキメラマウスを作るプロジェクトも激減しているというのです。かといって、遺伝子改変動物をつくというプロジェクトが減っているわけではありません。つまり、従来のESを使った遺伝子改変導入技術を余り使わなくなったということなのでした。

今では、遺伝子の挿入も改変もほとんどがCrispr/Cas9を使ったワンステップの遺伝子操作でやっているという話。遺伝子導入も複数の変異の同時挿入も色々できて、その成功率も5割とか言われると、よほどの事情がない限り、ES細胞での遺伝子ターゲティングを選択しようとは思いません。しかも純系のマウスを使うのでBack crossもなし。ノックアウト、ノックインが3週間でできます。唯一の手間は、ガイドRNAをあらかじめ最適化しておく必要があるので、ガイドのデザインと合成に多少の前準備が必要なことぐらいです。私が最後に作ったノックアウトでは、ES由来の遺伝子がキメラのジャームラインに落ちずに一年以上も苦労し、時間とお金の制限の中でヒヤヒヤものの実験だったことを昨日のことのように覚えているのですが、知らぬ間に月日は流れ、世の中は変わりました。普段は、二十年前の機械を使いながら、三十年前のテクニックで解析をする日々ですから、時間が経ったという感覚に乏しいのです。実は技術の進歩はすさまじく、うっかり乗り遅れると致命的でさえあります。

小さいころ、「はだしのゲン」を読んで、子供心にも強い恐怖を感じました。そして、第二次世界大戦は信じ難いような苦しく悲しい出来ごとであったけれども、いまや日本は戦争を永久に放棄した国で、二度と戦争の悲劇は起こらないということに安心し、以来、それを当然のように思っておりました。その間も海外では、どこかで戦争が起こっていて(ほとんどアメリカが仕組んだり煽ったりしていたわけですが)、どうして他の国も戦争を永久に放棄しないのだろう、と思ったことを覚えております。子供だったので「戦争の本質」を知らなかったのです。

しかし、現在、戦争を知らない世代の内閣が、対米従属官僚に言われるがままに、アメリカの手先となって自衛隊員を戦地に送り込んで殺しあいに加担させるため、詭弁を弄して国民を騙しマスコミに圧力をかけ、大多数の憲法学者の反対を押し切って、戦争ができる国にするために憲法を修正しようとしています。「戦争の放棄」というのは覆らざる戦後日本の大義であったと疑いもしませんでした。事実それが戦争への最大の「抑止力」でした。しかし、判断力に乏しく言われたことをハイハイと聞くだけの数人が権力の要にいるだけで、盤石と思われた戦後日本の基礎でさえ(アメリカや官僚のの都合で)簡単にひっくり返りそうです。時のはやさを感じるばかりです。平和で豊かな戦後の日本は終わり、より殺伐とした世の中へとかわりつつあるのかも知れません。
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福耳ジーン

2015-07-10 | Weblog
昔、稲村ジェーンという映画があったなあ、と思い出しました。サーフィンと言えば海、海といえば南国、南国といえばラテン。

ちょっと前、Nature CommunにGWASで「耳の形と関連するSNPを同定した」という論文が出ていました。うーん、この役に立たなさそうなところが好きです。イグ ノーベル賞受賞候補にあげておきましょう。
研究そのものはオーソドックスで、ラテンアメリカでのヒト多様性に関する研究の一部とのことで、5000人余りを解析しています。ただしラテン系論文でも研究グループの所属はイギリスはロンドン、Tim HuntのUCL。

耳たぶの大きさと関係しているのは4つのSNPで、中でもEDARという遺伝子近傍のSNPは耳たぶ以外の耳の形態とも関連しているということで、EDARノックアウトマウスをの耳の形を解析しています。確かに耳の形状に変化はでるのですが、マウスの場合、どこが耳たぶなのかよくわかりません。ヒトのEDAR遺伝子変異はectodermal dysplasiaという外分泌腺や歯の異常などを示すようです。ヒトの症例の写真を見ると耳の形もスポック型みたいに変形しているように見えますが、耳たぶの形に関してはよくわかりません。SNPと機能欠失変異では表現型への影響は勿論異なるでしょうから、このSNPが本当に福耳の原因となっているかどうかは、ツインスタディーなどでもっと厳密に関連性を調べるしかなさそうです。(誰もやらないでしょうけど)
もしも、将来、Crispr/Casでデザイナーベイビーを作れるようになった時には、この「福耳gene」へのSNP導入もやってみてもらいたいと思います。

こういうよく意義がわからない(?)研究に、どうも私は惹かれます。何かの役に立つことを目指してなされた研究で、実際に何かの役に立ったりすると、すごいなあと感動はするのですが、それがすぐにビジネスに直結してしまうからかギラギラした人間の欲望がチラつくような気がしてしまいます。無論、建前上は、税金を使って、国民の健康増進を最終目的に行われる研究ですから、「福耳ジーン」を同定するという研究よりも、致死性疾患の新規治療方法を開発するという研究が優先されるのは当然であろうとは思います。しかし、私はこの論文を読んで楽しませて貰いましたから、(少なくとも私の)健康増進の役には立った研究だと擁護しておきたいと思います。

また、アイスボール セオリーというものもあります。あと何十億年も経てば、太陽は燃え尽きて地球は氷の球となり人間は消滅する、そういう視点から物事を眺めたらどのような重要案件もさほど重要ではないという話です。人間の活動など宇宙の規模からみればほんの小さなものであり、研究の重要さという基準も人間が各々の立場で決めた恣意的なものだということでしょう。

研究であれ何であれ、対象を「判断する」ということ自体がある種のネティティブな要素を内包していると私は思います。「そんな研究をして何の意味があるのか」という批判を聞くと、脱力してしまいます。随分前、小さな学会で私を含めた数人の発表に関して、当時若手で大活躍していた某先生からその手のコメントをされたことがあり、その時に感じた反感のせいかもしれません。その人はその後も重要論文を発表し続けて大活躍しましたがスキャンダルに巻き込まれて失脚し、結局、研究現場から去ってしまいました。

人間は、生まれた以上そのうち必ず死にますし、人類も消滅するでしょう。終わりがある限られた人生ですから、いかに良く生きて楽しく死ぬまでの時間を過ごすかの方が「誰かに取って意義のあることをする」よりも大切ではないかと私は思います。バカげたことをした言い訳に若者が YOLO (You only live once) という言葉を使ったりしますが、そこのは深い哲学が潜んでいるように思います。結局、立派なことをするのもバカげたことをするのも、死ぬ時までのヒマつぶしで、本質的に差はないというのが私のミニ アイスボール セオリーです。ならば、楽しいことをしましょう。私個人にとっては、何かの実利的意味のある研究よりも、楽しくなるような研究や、感動を与えてくれるような研究が良い研究です。
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研究とカネ

2015-07-07 | Weblog
どうも国際会議屋という商売があるみたいで、数年前から、怪しげな会議からの招待がしばしば届きます。中国が多いですが韓国、イタリア、イギリス、アメリカなど様々な場所でやってます。マトモな会議ならアカデミアの人が直接コンタクトしてくるはずですが、あきらかにプロのオーガナイザーらしき人が仕切っているようです。私はこの手のメール全てに「残念ながら行けません」と丁寧に返事しているのですが、まれにその返事に返事がくることがあり、この間は「それでは、別の人を紹介してもらえませんか」みたいな返事が来ました。つまり、それなりの機関や大学に所属していれば、会議でしゃべる人は誰でもいいのです。雑誌の記事と同じです(雑誌は広告料を取るための手段ですが、しかし記事がなければ誰も読みませんからね)しかし国際会議がそんなに儲かる商売になるとは思えないのですが、どういう仕組みなのでしょうか。ウチのメインの学会は、コストがかかり過ぎて、参加費は年々上がるのに内容はお粗末になっていく一方です(これは製薬会社の撤退傾向が響いているのです。二十年ほど前は、新薬も好調で学会も賑やかだったのですけど)。

学会ビジネスもどうかと思いますが、出版ビジネスも最近とくにひどいと思います。名前もきいたことのないような雑誌(本当の存在するのでしょうか)から、論文出版が今なら無料とか、編集委員しませんかとかというメールが毎日のように来ます。著者が費用を負担することの多い学術論文出版の場合、ビジネスになるのはわかります。編集もレビューアもアカデミアの人間を無料で使い回せばいいわけですし。確かにアカデミアの人間にとって研究成果を論文にして出版することは最も大切な活動ですから、それがビジネスになるのはわかります。しかし、紙媒体も使うマトモな雑誌への出版費用はバカになりません。それも限られた研究費の中から支払われるわけですし。

限られた研究費と言えば、現在、アメリカでは、グラントの採択率は1割ちょっとという悲惨な状態が続いているわけですが、6/18/15のCellのフロントページでは、珍しく7ページにもわたって、アメリカのNIH研究費の問題点についての議論がありました。グラントは研究計画をを提出してそれを評価するのですが、研究計画ではなく研究者を評価して決めるべきだという話です。私もその通りだと思いますが、実は、現在のシステムでも研究者が誰かということは、グラントの評価にかなり重要な因子となっています。現在のシステムだと、第一に研究意義、第二に研究者、第三に具体的な研究計画、そして研究環境、という感じで評価されると思います。第一の点「研究意義」が不十分であれば、あとの項目がいくら良くても原則的にはダメだと思います。一方、「研究意義」などというものは実際の研究結果を伴って初めて意味があるのであり、計画段階で評価しても仕方がない、それよりも研究者自身の過去の実績から今後を予測して資金を配分する方が実利的だという意見はもっともです。私もそう思います。しかし、研究計画書というのは、大学でいえば入学試験みたいなものだと思います。いくら内申書が良くても、試験の点が悪ければ不合格にせざるを得ないと私は思います。また、若手で実績の少ない人は研究者の過去の業績(内申書)もあまり当てにできないわけですから、研究計画の評価に重点を置かないということになると、若手はその点不利になります。今でも若手への優遇処置はあります。初めての通常サイズのNIHグラント応募者は特典があって、採点にゲタを履かせてもらえます。そのゲタも近年は高くなる傾向にあるようで、5年前にはあるNIH機関での採択率15%ぐらいのときは、2%ほどでしたが、最近では同じ機関で一般採択率が12%と減少した分、若手へのゲタは5%となり、若手の場合トップ17%が採用ラインとなっています。それだけ、若手の確保に気を配っているのでしょう。

しかしながら、こうした努力は、よくある喩えで言えば、「タイタニック号の甲板の椅子を並べ替える」ようなもので、根本的な解決ではありません。問題は、グラントの採択率が1割程度しかないという絶対的なカネと研究活動のアンバランスにあるわけで、根本的な解決は、採択率を少なくとも2倍以上に上げるしかありません。そのためにはとりあえずは国の研究予算を増やすしかありません。

どうやって予算を増やすのかということですが、管理通貨制の現代、カネはそもそも実在しているものではなく、無からつくられているのですから、必要ならもっと無からつくればよい、と私は思います。それができないのは人々がカネには価値があると信じていて、その信念を利用する人間がいるからです。そういう連中が、無からFRBに作らせたカネを政府に貸し付けて利息をとるようなことをするので、アメリカは累積赤字がどうにもならないレベルに達してしまっているわけです。実は、無から作ったものですから、これを解決するのも実は簡単です。FRBではなくアメリカ政府自身が通貨を発行すればよいのです。日本も借金がどうとか言って増税してますが、同じことで、政府自らが日銀券でない別の通貨を発行して、「日本政府券」を公式通貨にしてその無からつくった新しい通貨で過去の「日銀券」の借金を相殺してしまえばよいのです。(もちろん政府と日銀は同じ穴のナントカですから、本当に民主的な政府ができない限りこれを実現するのは不可能なのですが)
 私は、現代の管理通貨制のカネというのは、カネが価値のあるものだという人々の信念を利用したある種の詐欺のようなものではないかと思います。極端な喩えで言えば、国の借金というのは、タダ同然の「壷」を高額で国民に売りつけた上で、それを体で返させる(増税)ようなヤクザの追い込みのようなものではないのかと思います。

ギリシャ危機は、うまくすれば、このスキームを暴くことになるのではないかな、とふと思いました。ギリシャは一応、債務縮減の努力をしたわけですが、アベノミクスと同様、いくら政府が成長計画などという絵に描いた餅を掲げても、できないものはできないのです。金貸し側が、「カネを返せないのなら、体で払ってもらうしかない(社会保障の削減etc)」と脅しだしたので、結局、国民は「ない袖は振れない、貸した方にも責任がある」と開き直ったというところでしょう。貸す方は勿論、ビジネスで貸しており、ボランティアでやっているわけではありません。例えばユーロの中央銀行を牛耳るドイツが、ギリシャをユーロ圏に留めることで、ギリシャに借金させたカネでドイツの兵器を買わせたりしているわけです。悪意のある言い方をすれば、麻薬中毒にしておいて借金漬けにしてカタに嵌めるようなものです。この話はまたギリシャ危機の帰趨をみてからやりたいと思います。

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口は禍い

2015-07-03 | Weblog
しばらくまえ、「研究室の女性は恋する、批判すると泣く」と漏らした発言の揚げ足を取られて、Tim Hunt氏がUCL名誉教授辞任に追い込まれた事件に関して、6/25Natureが、元Hunt研究室の研究員で元Nature系雑誌のエディターの女性の記事を掲載しています。「Judge by actions, not words」というタイトルで、Tim Huntは、女性蔑視の行動をとったことはなかったとHuntの擁護記事です。
イギリスの誇る科学者のスキャンダルに関して、イギリスの誇る科学雑誌が「身内」の視点からの擁護記事を出したわけで、その辺、多少、割り引いて読むべきでしょうが、多分、実際はこの人のいう通りだろうな、と思いました。

誰でも、人や出来ごとやモノに対して、判断を下しながら生きています。それがステロタイプをつくっていくわけですが、そうした先入観や偏見はそれなりに有用なものです。ある経験に基づいて将来におこる良くないできごとを回避するための知恵とも言えるでしょう。しかし、それを公に口にするわけにはいきません。ちょっとした冗談のつもりで言ったことが冗談に取られずに、逆に悪意を持って利用されたり、全く意図したことと違うように誤解されることも起こります。聞く方は自由に解釈するわけですから。
女性蔑視的発言に関しては、Jim Watsonもやりましたし、Larry Summersもやりました。パワーポジションにある男性が、女性一般について語るときは十分な配慮が必要ということです。Tim Huntの場合は、想像するに本当に出来の悪い冗談のつもりだったのだろうと思います。本音でさえなかったのではないかと思います。

いずれにせよ、口は禍いの元です。公人が発言するという行為を、様々な受け手の立場に立って考えるという点に関して日本は大変、遅れています。己の言動を様々な立場にある第三者の目から見ることができる能力というのは、人間の成熟度と相関しています。それだけの想像力のトレーニングが必要です。その点、商売人はすぐれています。お客さんの身になって第三者的観点から自己の振る舞いを評価する能力は商売には不可欠だからでしょう。論文やグラントを「売る」研究者もこの技術がないと長期には生き残れません。ダメなのは権力を持っているとでも思っている思い上がった連中ですね。

加えて、日本の与党政治家や某作家は自由に思っていることをしゃべるのは言論と表現の自由だとでも勘違いしているようです。その自由にどれほどの責任が伴っているのか、その発言が社会のコンテクストでどのように受け止められるのか、十分に考えてから発言しているようには思えません。某作家は、会議室の中での発言で、酒場でオヤジが戯れ話をするのと同じだ、と言い訳したそうですが、それならば国民の代表や言論者というパワーポジションから降りて、酒場に行ってからヨタ話をすればよいことです。アベ氏も国の代表というポジションをやめてからなら、どんなヨタ話をしようと誰も気にしません。その酒場のオヤジのヨタ話を、政党の「勉強会」みたいなところでやったということが問題なのです。Tim Hunt事件同様、あれは冗談だよ、という言い訳が通用しないのは当然です。

更に、大西某とかいう代議士、政権に都合の悪いことを言う新聞を「懲らしめてやらなければならない」と繰り返したそうです。この人、自分は仮面ライダーか水戸黄門かとでも思っているのでしょうかね。幹事長にそのバカ発言のために、自分自身が懲らしめられたというのに、懲りない人です。権力側が、力のない一般国民に対して秘密保護法という言論統制を仕掛け、都合の悪い言論人には痴漢をでっち上げたりマスコミに圧力をかけてて干したりして言論封鎖するような卑劣なマネをしておきながら、己の放言に関しては「言論の自由」だとか言う支離滅裂さは救いがないです。

沖縄の二誌の怒りは当然で、そろって記者会見。

 自民党若手議員の勉強会で沖縄2紙への圧力発言が出たことを受け、琉球新報の潮平芳和編集局長と、沖縄タイムスの武富和彦編集局長が2日、日本記者クラブで記者会見し、いずれも「事実に基づかない暴論で断じて許せない」と批判した。
 潮平氏は、安倍晋三首相が公明党の山口那津男代表に陳謝したことを報じた2日付自社紙面を掲げ「謝罪の時期と場所が間違っている。問題発覚直後に国会や国民の前ですべきだ」と強調した。


たしかに、謝罪するのは国民と報道機関に対してです。公明党に謝罪するというところからして、本当に反省しているようには見えません。

さらに、沖縄県議会は2日、自民党若手議員の勉強会で講師を務めた作家百田尚樹氏と出席議員による発言に抗議し、撤回と謝罪を求める決議を自民党を除く賛成多数で可決した。「県民を愚弄するもので、断じて許すわけにはいかない」と強調した、ということです。人間は軽い方がいいと私は思っておりますが、軽いのと幼稚なのは違います。権力側にいると思っているこうした連中の、自分の言動の重さを理解できない幼稚さとでもいうものが、軽々しい発言を生むのでしょう。
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