百醜千拙草

何とかやっています

カネの話とか

2013-06-25 | Weblog
休み中ですが、ちょっと一言。
東京都議選、もり下がりました。記録的低投票率に加え、自民党の(一見)圧勝。民主党に懲りた人々で、その前に自民党に懲りた記憶力のよい人々が、政治そのものに幻滅して、投票に行かなかったせいではないかな、と思います。当然、公明党は安定しているでしょうし、自民党の昔ながらの支持者は相対的に投票に対するモチベーションが高くなったであろうと思います。つまり、自民党が勝ったのは別に支持が上がったのではなく、反自民党の人々の選挙に対するモチベーションが下がっただけのことでしょう。ま、日本の政治はいずれにしても茶番といっていいでしょう。実のところ、「民主主義ごっこ」の体裁付けのための儀式に過ぎません。どの政党に入れても投票者の願いが本当に反映されることはありませんから、選挙などにいくエネルギーがもったいないと考えるのは理にかなったことかも知れません。鳩山政権が潰されたのを見ると、官僚政治の悪質さはよくわかります。

さて、6/6号のNatureの書評欄で、Flex Martin著の「Money; The unauthorised biography」が取り上げられていました。経済学に分類されるであろう本を自然科学の雑誌が取り上げるというのは興味深いです。
 世の中の多くの人は、カネの持つパワーはよく知っていて、カネを欲しがりますが、そのカネを使った経済システムは誰がコントロールしているのか、近代のクレジットを基本とした貨幣経済は誰が作り出したのか、実はよく知りません。しかし、それでもちょっと考えてみれば、カネは力であり、カネを発行する中央銀行システムのウラにいる連中がそのパワーを握っていて、末端のわれわれにはよくわからないようにカモフラージュされてはいるものの、近代の金融システムというものは、かなり手の込んだ詐欺であるらしいということはわかります。
適当に意訳しながら一部を抜き書きしておきたいと思います。

ある程度まで、Martinは、カネという概念は全て想像上のものであるということを示している。信用がカネのシステムの潤滑剤となり、期待、法律、慣習、権力などの複雑なブレンドがカネの「価値」を作り出している。(クレジットに関して)クレジットを出す機関(政府や銀行など)が信用できると考えられる場合に、やり取り可能なクレジットはカネとして働く。交換の力学におけるカネとクレジットの基本的な性質は、その受け手が損をすることなく、別の人に支払いすることができることが期待できることだ。
(貨幣経済というものは人々の共通の幻想の上に成り立っているということですね。とくに紙幣はタダの紙切れですから、それに価値があると人々が信じない限り、貨幣経済は成り立ちません)

Martinは貿易(トレード、交換)の歴史的発展に触れる。ここで、彼は、あらゆる貨幣経済における中心的問題を取り上げる。即ち、「誰が(カネの)システムをコントロールしているのか?」ということだ。
 アリストテレスから知ることができるように、古代ギリシャ人はカネは個別のモノの交換を促進するものと捉えていた。一方、初期の中国では、カネは国家(運営)の重要な道具と考えていた。


カネのシステムは誰がコントロールし、それによって誰が利益を受けているのか、カネの本当の目的は何か、実はあまり知られていないのではないでしょうか。ギリシャと中国ではカネに対する捉え方が違う訳ですね。もちろん、両方の要素がありますが、現代では、カネがないと行きて行けないような社会にすることで、中央銀行、資本家は、人々を奴隷化することができますから、中国的に人民をコントロールする手段である側面の方が強いと思います。

グローバル資本主義というものは、かつてのヨーロッパ帝国主義、植民地主義と同じ構造です。かつてヨーロッパ諸国は武力でアフリカやアジアの人々を奴隷化し、搾取することによって、自分たちだけは快適な生活を送ろうとしました。現代は、武力ではなくカネの力を使って、国境を問わず、資本主義社会に生きる人々を奴隷化できます。国境はカネによる奴隷化においては、既に人々を守ってはくれませんから、かつての植民地主義よりもより悪質であると言えるかも知れません。権力はカネで動き、そのカネをコントロールしているのは金融マフィアとそれに結託した資本家です。彼らは、貨幣システムを支配できるごく一部のものをトップに世界を支配階級と被支配階級いう構造へと階層化しようとしています。思うにNatureのEditorは、この現在の貨幣経済システムに危機感を感じているのではないでしょうか。

われわれがこの支配から抜け出すには、できるだけ、中央銀行の発行するカネに依存することを止めることです。かわりに、地域通貨、自給自足、ローカルな小コミュニティーが自立した機能をもつような社会という下層構造をまず確立することでしょう(簡単なことではありませんが、フクシマ事故で汚染食材がコッソリ流通し食や生活の安全が脅かされている現在、自分の目が届く範囲のものを使って生活したい、と思う人々が、行動を起こしつつあるようです)。自家農園、日本版ダーチャですね、まずは、食の自立から奴隷体制からの離脱が可能になるように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三本のイヤ

2013-06-21 | Weblog
明日から二週間ほど、休みを取ります(しばらく更新しないかも知れません)。休み中の仕事の段取りを調整するのにアタフタしておりますが、そういう時に狙ったようにやってくるのが雑用ですね。この一週間ほどで、論文のレビュー3本、内部のグラントのレビュー、いつものイタリア政府からのグラントレビューの依頼(十本以上、やってほしいとの話)、それから講座内の人のグラント申請書の応募前のレビュー二本、まとめてやってきました。こういうものは、来ない時は来ないのに、来て欲しくない時に限って来ますね。ま、誰かがやらなければならないことです。私、こうしてブログ書いて現実逃避しているぐらいですから、雑用するのは基本的に嫌いではない方なのですけど、休み前はちょっと辛いです。
 因みに、イタリア政府のグラント、今年度は3503の応募があったようです。いくつかのカテゴリーに分かれていますが、一番大きなカテゴリーが、Ordinary Projectsとあって、ちょっと笑ってしまいました。たぶん、一般プロジェクトという意味でしょうが、「ありきたりの(つまらない)研究」という意味にとれます。グラント獲得競争も激しそうですし、規模的にも十分ではないし、イタリアでは大学のポジションが得られたとしても食べて行くことも難しい、という話もききましたから、イタリアの研究者の人は本当に気の毒です。ルネッサンスのころと違って、現代のイタリアは学問したりするような国では無くなってしまったのかも知れません。イタリア人さえ住んでいなければ、イタリアは世界一素晴らしい国だ、というような冗談も聞いたりします。こういうと失礼ですが、確かに研究や学問に向かないお国柄というものはありますね。

さて、自民党の悪口を書いても虚しいので、やめようと思っていましたが、このニュースを聞いて、またまた開いた口が塞がらなくなりました。

「福島事故で死者なし」 自民・高市氏が原発再稼働主張
 
自民党の高市早苗政調会長=似顔=は十七日、神戸市で講演し、原発の再稼働問題について「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」と述べた。
 同時に「原発は廃炉まで考えると莫大(ばくだい)なお金がかかるが、稼働している間はコストが比較的安い。エネルギーを安定的に供給できる絵を描けない限り、原発を利用しないというのは無責任な気がする」と指摘した。


この発言を聞いて、みなさんどう思います?言葉がない、というのが正直なところでしょう。健康被害を隠蔽してきたのは政府自身ですから。北関東、東北ですごい勢いで突然死が増えています。原発事故で首を吊って東電相手に裁判になっている例もあります。「原発事故で死者がない」などという被害者の人々の神経を逆撫でするような無責任きわまりない発言を与党政治家がよく出来たものです。原発事故の影響で亡くなった人は、死人に口無しだとでも思っているのでしょう。加えて、最後の二行、論理もなにもあったものではありません。小学生でもここまでハチャメチャなバカは言わないでしょう。稼働のコストと廃炉のコストを比べてどうするのですかね。いつかは廃炉にしなければならないのですから廃炉のコストはどっちにしても必要です。廃炉にするコストも考えずにどんどん核廃棄物を出し続け、環境と国民の生命を危険に晒し続ける方が、百倍も無責任でしょう。  
いや、もうやめておきます。自民党は、常識と判断力に欠け漢字が書けない総裁と、漢字が読めない副首相がリーダーの幼稚園政党です。その下にいる連中も推して知るべしでした。

その後、植草さんのこの記事を読んだので、ちょっと転載。
巷間でアホノミスと呼ばれる売国経済政策ですが、早晩、破綻してその後は金融緩和の悪影響がコントロール不可能になって国民生活を直撃することになります。植草さんは国民生活と国家経済を危険に晒すので、アベノリスクと呼んでおられます。この記事では、財務省コピーライターが書いたアホノミクスの「三本の矢」とかいう笑えない冗談をもじって、「三本のイヤ」という笑える話(でも、本当は笑いごとではないのですが)がアップされています。

英国の北アイルランド・ベルファストで開催されたG8の会議。
最大のニュースは、日米首脳会談が開催されなかったことだ。

安倍政権は執拗に米国オバマ政権に対して、日米首脳会談の開催を求めた。
しかし、米国の対応は冷たかった。米国が日米首脳会談の開催を拒絶したのである。
安倍首相は、中国の習近平主席にも会ってもらえず、韓国の朴槿恵大統領にも会ってもらえず、頼りにしていた米国のオバマ大統領からも拒絶された。

これを「新・三本のイヤ」という。(私、爆笑しました)

安倍氏の戦術は、中国包囲網を形成するということらしいが、現実に形成されているのは、日本包囲網である。


アメリカの力を頼んで軍国化を推進したいアベ氏、カネだけ欲しいアメリカからは迷惑なヤツと思われ、アジア諸国からも当然嫌われます。アジア平和とアメリカの軍事戦略にとって迷惑なオジャマ虫、そりゃ、みんなからイヤがられるでしょう。本人は、なぜ嫌われているのかわかっているのでしょうかね。

( オヤジは外相だったが、息子は害虫だった。わかるかな?わっかんねーだろなあ、、、)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パスツールの屋根裏

2013-06-18 | Weblog
ちょっと前のScienceの訃報欄で、フランソワ ヤコブ氏が4月に亡くなったという記事を読みました。
最初、ピンと来なくて、ひょっとしてあのヤコブ、モノーのヤコブのことかと思ったら、そうでした。失礼ですが、とっくの昔に亡くなったのだろうと想像していました。私の中では、ヤコブ、モノーとなれば、生物学のテキストに乗るよりはむしろ歴史の本に載る方がふさわしいぐらいの感覚でしたので、21世紀も十年も過ぎてから亡くなった(92歳とのことです)というニュースにちょっと驚きました。
調べてみると、ヤコブ、モノーとヤコブの師であるルウォルフが、オペロンの概念でノーベル賞になったのは65年のことだそうですから、実は、私の感覚ほど大昔のことではありません。クリック ワトソン フランクリン ウィルキンスのDNA構造の発見の論文が53年、ノーベル賞が62年ですから、それより後なのはあたり前なのですが。

ヤコブは、外科医を志したものの、戦争で重症を負い、外科医への道を断念、その後ルウォルフに弟子入りし、パスツール研究所の「屋根裏」研究室で、研究者となったそうです。戦争がなければ、ヤコブは普通の一外科医となっていたかも知れません。となると、ひょっとしたら遺伝子発現メカニズムは解明されず、結果として私が今のような仕事をすることもなかったかも知れません。塞翁が馬ですか、なんとなく不思議な感慨を感じます。

分子生物学が生まれてからの生物学の発展は目覚ましいものがあります。振り返ると、分子生物学的手法、つまり遺伝子操作技術(組み換え技術、増幅技術、遺伝子配列解読技術など)が、前世紀ではまず大きなの生物学研究手法上のパラダイム変換を引き起こし、その技術に基づく遺伝学的研究(ノックアウトなど)が、高等生物での研究手法を劇的に変えました。生物を分子(特に遺伝子)のコードによって解釈しようとする、分子生物学、分子遺伝学は、功罪あると思いますが、生物学は「厳密科学」としての立場から研究するべきだという考え方を広めたと思います。モノーの「大腸菌が解れば、象も解る」という言葉に、そのことがよく現れていると思います。しかし、結局、それほど単純な話ではなく、現在の状況を眺めれば、私が思うには、むしろ生物学はかつての博物学へと逆戻りしたような感があります。記述のレベルが遺伝子レベルになっているので、「分子博物学」とでも呼ぶのが、現在の生物学をよりよく表しているかも知れません。

私、個人的には、生物学が厳密科学ではなく、博物学である方が面白いと思います。今後も、分子生物学や高等動物での分子遺伝学のような技術的革命によって、生物研究はその都度、違うレベルで行われていくでしょうが、たぶん、厳密科学の物理学が目指しているのように、例えば、生物の「統一理論」のようなものが発見されるというようなことはありえないだろう、と想像します。逆に、細かいことがいろいろ分かるにつれ、生命現象を記述する言葉はますます複雑になっていくのではないかと思います。ただ、そのプロセスは刺激的なものです。現在は、Encode Projectなどのように、シークエンス技術の進歩によって、ゲノムレベルでの動的な遺伝子発現制御を記述するというような包括的解析法が流行っているようです。多分、この方向性は生物学研究を劇的に変えることには繋がらず、大量の記述的データを産み出した後、行き詰まって収束するような気がします。私の想像では、次のブレークスルーはイメージングでではないかな、と思います。リアルタイムの細胞レベルでのイメージングが高等動物で可能になれば、(現在はごく限られた組織と時間にのみ可能です)、ノックアウト技術以降の大きな技術的ブレークスルーになり、生物学研究を劇的に変えるような気がします。

ところで、イランの新大統領が決まりました。対立して来た西側諸国との対話を望むということですが、イラン-イスラエル関係が中東の、ひいては世界の平和の鍵を握っていると私は考えているので、イランと欧米、イスラエルの関係が改善することを望むばかりです。この新大統領がイランの核開発をどの程度推進しようとするのかが、1つの重要な要素だと思います。イラン核開発を強力に推進しつづけると、イスラエルとアメリカの反発は必至ですし、このところかなり好戦的なイスラエルが、イランを攻撃したら、ロシアはイラン側から参戦してきますから、一瞬にして第三次世界大戦と広がってしまいます。この一年が勝負ですね。
また、シリア内戦を巡ってプーチンが欧米を批判。このシリア内戦、アメリカを含む西側諸国が、トルコ経由で反政府軍を煽ってやらせていると考えられています。反政府ゲリラをこっそり支援して、都合の悪い国の政権をすげ替えようとするのは、アメリカが昔からいろんな国でやってきた常套手段ですね。このまま、中東をアメリカに押さえられては困るロシアは当然、シリア政府軍を支持。今回、なかなか陥落しないアサド政権に苛立ったのか、これまで、こっそり支援だったのに、「シリア政府軍が神経毒を使った」と言いがかりをつけて、露骨に介入しようとしてきました。それに対してプーチンが反発。

プーチン大統領が欧米批判、「内臓食べるシリア反体制派に支援不要」

プーチン大統領はキャメロン英首相との会談後、「敵を殺害するだけでなく、カメラの前で遺体を切開し内臓を食べるような集団を支援する必要はない」と指摘。反体制派への武器供与は「数百年にわたり欧州で伝えられてきた人道的価値観とは無関係だろう」と述べた。


つまり、いつものアメリカの他国への介入のときに振りかざす言い訳、「人道主義、民主主義」に対して(今回の場合、「政府軍がその人民に対して神経毒を使って制圧しようとするのは人道上、許せない」という理屈ですね)、「反政府軍は政府軍兵士の内蔵を喰うような、人道をわきまえない連中だ」とプーチンがやり返した、ということですね。「反体制派への武器供与は人道的価値観とは無関係」とわざわざ皮肉を言ったのですから、オマエらの手の内はわかっているから、これ以上やると容赦はしないぞ、と欧米に対して脅したということでしょう。中東を挟んで米露の対立がエスカレートしつつあるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発はワリに合わない

2013-06-14 | Weblog
ちょっと前、カリフォルニア州で、水漏れ事故を起こした結果、廃炉に追い込まれたサンオノフレ原発の話ですが、事故の原因が三菱重工業製の蒸気発生器の設計ミスであるとの結論に達し、三菱重工に対して損害賠償を求める訴訟を起こすことを決定した、というニュースがありました。
 結局、地元住民の反対や原発の維持費用など色々考えて、「原発はワリにあわない」という結論に達した電力会社が廃炉を決定したということですが、直接原因となったのは三菱重工の装置の故障(?)なので、三菱にオトシマエをつけさせよう、という話です。

この決定を聞いて、アベ氏がどう反応したのか私は知りませんが、「原発はワリにあわない」という電力会社の決定と、その直接原因となった日本企業を訴えるという行動をみれば、「原発輸出はワリにあわない」と判断するのが普通ではないでしょうか。ただでさえ、フクシマの原発事故をおこし、チェルノブイリ以上になると思われる甚大な健康被害と国土の喪失をおこしつつあるのに、事故の収束の見込みさえつかないという状況にある国です。原発再稼働だけでも噴飯ものなのに、原発を輸出してカネ儲けをしようと首相が言うなど、心得違いも甚だしい、常識と判断力のある人間なら誰でもそう思うと思います。でもアベ氏は、常識と判断力のある普通の人の考え方ができません。私、首相の行動や発言は、日本の官僚政治や利権構造が5割決めており、そして4割は自分の権力欲、金銭欲、次の選挙の心配が決めているのだろうと思っておりますから、本当に物事を正しく見て正しく判断することが、首相の発言や行動に影響するのは1割ぐらいだろう、と想像しております。とすると十回に一回ぐらいはマトモなことを言っていもいいと思うのですが、アベ氏がマトモなことを言ったという記憶がありません。あるいは普段が余りにヒドいのでマトモな部分が目立たないのでしょうか。

責任転嫁社会、訴訟社会のアメリカですが、今回の三菱重工への訴訟への動きは、原発輸出の動きに歯止めとなる可能性があるので、私個人としては歓迎です。カネに生きるものはカネに死すです。原発がワリに合わないビジネスだと当事者が自覚しない限り、原発廃止は困難だと思います。それに、アベ自民党は末期民主党よりも酷いですから、選挙前に自民党政策のデタラメぐあいが露呈することは良いことです。アホノミクスと経済学者に揶揄される人工バブル経済政策もすでに馬脚が現れてきました。アベ氏、日銀総裁を入れ替えて、気違いじみた金融緩和を行えば、少なくとも、参院選までは株価は上昇してくれるだろうと思ったのでしょうが、もう既に暴落ぎみ。この相場で外人投資家は沢山稼いだことでしょう。損をしたのは日本人。その上、これから金融緩和のツケを払わなければなりません。金利の上昇、物価の上昇、消費税の増税に加えて、上がらない収入、就職困難という苦しい未来がやってきます。ただでさえ、フクシマ事故で、日本は近い将来、大きな喪失と困難を迎えますから、状況はますます厳しくなっていく一方です。

ま、アベ氏が首相を投げ出すのは時間の問題かも知れませんが、思い出すのが、前回の政権交代前の自民党総裁タライ回し。アベ氏が「小沢さんが会ってくれない」と泣き言を言って、腹痛で退場した後、税金を使って馬鹿げた総裁選を繰り返し、福田氏、アホウ氏とタライ回しの挙げ句に、自民党は与党の座から転落しました。当時も、彼らの悪口は散々、書きましたが、福田氏などアベ氏やアホウ氏に比べたら、ずいぶんマシだったと思います。その総裁タライ回しのアベ氏とアホウ氏がまた、昔と同じようにバカをやっているのを許している日本人というのは、寛容なのか、忘れっぽいのか、どうでもいいのか(全部でしょうね)。

しかし、困った事にこのデタラメ自民党に変わるべき野党の影が薄すぎます。前の衆院選で「未来の党」へ合流した現「生活の党」が、野党第一等党となるべきですが、衆院選での予想外の惨敗がこたえています。しかし、アベ氏のデタラメ政策はコイズミ氏の二番煎じで、失敗するのが最初から分かっているのですから、なんとか止めさせなければならないと感じます。アベ氏自身は、たとえ参院選で勝利したところで、余り長くはないでしょう。健康不安もありますから、今年中に腹痛退場の可能性はかなり高いです。しかし、自民党そのものを止めないといけません。アベ氏の後のアホウ氏では、何もよくなりませんから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なださん

2013-06-11 | Weblog
中学生のころ、北杜夫さんや、なだいなださんのエッセイが好きでゲラゲラ笑いながら読んでいました。二年前に、なださんと同じ精神科の医局出身の北杜夫さんが亡くなったのを知ったのは、なださんのブログでした。なださんが、前立腺がん(訂正、膵癌の間違いでした)を患っているのは知っていましたが、つい最近まで老人党のことや政治のことなど、活発に発言されており、まだまだ元気なご様子だったので、突然の訃報に戸惑っております。5/28のエントリーでは、アベ自民党の経済政策を批判されていました。私も、今日は選挙前のアベ批判をするつもりでしたが、なださんの悲報に接して、アベ自民党の話を同じエントリーで触れるのは、故人への不敬のような気がするので、後日に回したいと思います。
 亡くなる前、数日のブログのエントリーから、少し抜き書きしておきたいと思います。


5月30日 木曜日 雨
雨の日、告知のことを考える。ぼくにとっては、告知されてから終末までかなり時間がありそうなので、本を書く計画だとか、旅行の計画を立てることができた。計画通りにことが運ぶか分からないが。しかし、目的を持って生きられる。
 他方、家族と一緒に暮らしながら、夫を間もなく失うことの分かった妻、というのもかなりつらいことが分かる。そう簡単に割り切れるものではない。娘もそうだ。遠く分かれて住んでいるせいもあって、こころの整理がなかなかつきにくいだろうと思う。皆親切にしてくれるが、結局死んでいくぼくが一番楽なのかもしれないと思う。こういう家族のことも考えながら告知をしている医者がいるのだろうか。


6月2日 日曜日 晴 少しつめたい風が吹く。
新しい本の見本が届けられた「とりあえず今日を生き、明日もまた今日を生きよう」という長い題。本屋のセンスに従う。
1日は6時から7時まで講演をした。小人数の集まりだったが、まあ、まあ退屈させずに話ができた。一応の自信はできた。これからは体力の回復が勝負だ。

6月6日 
 脈拍だけ130台血圧上下はまあ平常。痛み止めに頼る生活だ。
 月末、フランスに行って、そこでフランス語で最後の講演をするつもりだったが、どうもこの状況では、難しくなってきた。講演のテキストを準備して向こうで配ってもらおうと思うのだが、その翻訳の中で、コモンセンスの訳として作られた日本語常識なのだが、もう元には戻れない。さりとて、新しい言葉にぶつからない。フランス語にぴったりしたことばがないのだ。


常識という言葉やその概念そのものが、消えつつあるということでしょうか。
魂の不死を信じる私は、「冥福を祈る」という言葉が実はピンと来ませんが、常識的であることは大切だと私は思っていますので、中学生時代を楽しませてくれたなださんのご冥福を祈りたいと思います。肉体を離れた後の、魂の新しい生活が幸運でありますように、という意味です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国の将来

2013-06-07 | Weblog
研究室に新しい人が来てくれました。イランからの若い女性医師の人です。私はこれまで、イラン人の知り合いはいませんでしたので、イランの情勢を内部の人から聞くのは興味深いです。私は、イランも北朝鮮も欧米諸国の利己的な理由から、不当な非難や制裁を受けていると思っていますが、彼女によると、イラン政府は独裁主義が強くて、民衆は必ずしも幸せではないのだそうです。北朝鮮もそんな感じですね。かつて、独裁であったリビアのガダフィは、それでも国の石油資産を使って、世界一豊かな国と呼ばれるほどの福祉国家を運営していました。ヒトラーも民衆から熱狂的な支持を受けていました。だから、独裁だから悪いということは必ずしもないし、民主主義が絶対よいということもありません(チャーチルは民主主義は最悪だが、他の政治形態よりは多少ましだ、と言っていますね)。結局、多数の国民にとって満足できるものであれば、国の政治形態などは大きな問題ではないということでしょう。

イラク、イランと言えば、世界4大文明のうちのメソポタミア文明発祥の地であり、その歴史遺産の豊穣さには子供のころから多少の憧れがあります。ペルシャといえば、絨毯、猫、千夜一夜物語、とてもエキゾティックなイメージがあります。日本は何を誇れるのでしょうか?イランの電化製品は殆ど日本製だと言っていましたから、日本のテクノロジーでしょうか。かつて、日本人は親切で思いやり深く勤勉で礼儀正しい人々が多かったように思います。今でも、外国と比べたら「よい人」の率は、多分、有意に高いと思います。今後はどうなるかわかりませんけど、日本人に多いこれらの性質、気質は間違いなく世界に誇れるものだろうと私は思っています。外国では、こういった思いやり、礼儀正しさ、勤勉さは、それなりの教育を受けた裕福な人々は身につけていますが、日本のように誰でもが持っているというものではないように思います。そして、教養の無い外国人やずる賢い人々は、これらの「人のよさ」を自己利益が計算できないのだと思って逆にバカにしたり、利用価値があると思って利用してやろうとします。それをわかって、あえてバカにされたり、利用させてやったりする「できた人」も多いのが日本人だと思います。(もちろん、陰湿で利己的で厚かましい日本人も大勢おりますから、総じての印象ということです)

同じイスラム圏では、以前はエジプトとシリアからの人の知り合いがいました。そのうちの数人はいまでも学会で顔を合わせます。みんな良い人々でした。私は、国籍や人種や文化背景よりも、個人個人のばらつきの方が大きいと思うので、国籍や文化背景でステレオタイプな発言はすべきではないと思いますが、やはり、総じて、合わない人が多い国はあります。なぜか、第二次大戦の戦勝国の人は合わない人が多いような気がします。つまり、中国、アメリカ、フランス、イギリス、といった国出身の人ですね。全く知らない人でこれらの国々の出身だとちょっと身構えてしまいます。(個人的に良く知っている人々は、これらの国の出身でも、合う合わないというのはあまりありません)一方、第二次大戦の敗戦国の人は、初対面の時から、総じて親切でつき合いやすい印象があります。(大戦時の同盟国か敵国かという過去からの集合意識が影響しているのでしょうか?不思議です)

話かわって、フクシマはいよいよ、ヤバいことになってきていますね。事故後二年が過ぎて、恐れていたことが現実になりつつあります。共同ニュースでは「甲状腺がん「確定」12人に 福島18歳以下、疑いは15人」と子供の甲状腺癌が増えていることを伝えています。例数は少ないものの母集団が17万人で、疑い例を含めると、一万人に1.6人の発生率。これはチェルノブイリで4-5年後にピークを迎えた時の甲状腺癌の発症率、一万人に一人を越えていることになるそうです(木下黄太のブログ)。この調子でいけば、チェルノブイリを数倍越える規模の健康被害がでるのではないでしょうか。加えて、フクシマ原発での原発作業員の確保がどんどん難しくなってきているという話も聞きました。フクシマ原発は、根本的な解決策を人間がとれるような状況ではないようですから、とにかく、放射性物質の飛散を可能な限り抑制する方法を考えて、できるだけ少ない作業員で長期的にもっとも安定性の高いやりかたをとるしかありません。一番ダメなのが政府です。東電には自力で何とかするような体力はないのですから、政府があらゆるリソースをつぎ込んででも押さえ込まないといけません。東電は未だに原発事故対応の方針をコストベースで決めているようなところがあります。安かろう悪かろうですね。とりあえず数年先のことしか考えていない、そう思います。東電が倒産して、もう原発は知らないとと言って放置したら、どうなりますか。これは営利企業に任せておけるような問題ではなく、国の滅亡の危機であって、政府が東電を解体して、仕えるリソースを全てつぎ込んで、収束に全力を尽くさないといけないはずです。にもかかわrず、この二年間、それをしなかったために、被害がここまで拡大してしまいました。空きカンがこの間、反原発集会で演説したそうですが、正直、この人の無神経さにはハラが立ちますね。本人は真面目なのかも知れませんけど、この人とその後のドジョウが、問題を過小評価し、情報を隠蔽し、ウソ丸わかりの事故収束宣言までし、すべきことをせず、せざるべきことをして、ここまで状況を悪くした当事者だという意識が全くみえません。加えて、今のアベ氏はそもそも常識と判断力に相当な問題があり、この原発事故の対応を誤れば、日本が滅亡するということを想像するだけの能力もなさそうです。このままでは、傲慢経済学者、ラリー サマーズの「日本は大変、貧しい国になる」という予言は、悔しいですが、多分、現実化するでしょう。国の将来は労働者で納税者となる未来の子供たちにかかっています。その子供たちに健康被害がすでに出ています。5年後は誤摩化しようのない規模になっているでしょう。その健康被害を抱えた子供たちがやがて成人して、国を背負っていかねばなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Careful what you wish for

2013-06-04 | Weblog
明るい話題を探しておりますが、なかなかパッとしたものがありません。それどころか、暗い話ばかりです。
私の周辺でも、今年は、随分研究費が削られて、みんな苦しい思いをしています。カネがないと、やらねばならないことができないという焦りが大変、精神衛生に悪いです。ウチの研究機関では、研究費の危機に際して、急場を凌ぐために、こっそり溜めていた「埋蔵金」を出すということになりました。ところが、こういう事態は前例のないことで、そのカネをどう配分するのがよいのか、長期的にどのように使うのがよいのか、という実際的な問題が出てきました。結局、グラントの取れそうな研究と、金欠でプログラムの存続が厳しいような困っている研究を補助する、というあたり前のおおまかな方針が決まりました。グラントの取れそうな研究は、すでにグラントに応募していて、採用はされなかったもののかなり良いセンに行ったものという条件なので、これらは簡単に同定できます。問題は二つ目のカテゴリーのカネに困っている現在進行形の研究をどう順位付けするかということです。みんな多かれ少なかれ、困っていますが、全員をサポートすることはできないので、誰を助けるかを決めないといけないのです。それで、まずは「どれぐらい困っているのか実情を訴えよ」という「おふれ」がでました。ウチの講座でも、グラント担当の人が、私がどれぐらい困っているか書いてくれ、というので、実験助手を雇えないとか、マウスのコストがかさむとか、気楽に書きました。それを読んだ講座長の人は、どうも、私のケースは「研究貧困」に当たると思ったようで、わざわざ「直訴状」を私のために書いてくれました。私もグラントはいろいろ書きましたが、グラント応募は「私の研究はやる意味がある(と思う)ので補助してください」というスタンスです。一応、商品を売り込むワケです。しかし、今回のは「お金がないので、お金ください」というだけのことなので、お金がないことを強調しないといけません。要するに、merit-basedではなくneed-basedなので、お金を貰おうとするとビンボー自慢になるのですね。ビンボー自慢で勝たないとお金が貰えないのですが、勝つ方がうれしいか(もちろん勝てば、補助が貰えるのでうれしいことはうれしいでしょうが)、負けた方が勝ったような気がしてよりうれしいのか、よく分かりません。なんとなく、切なくなりました。そう言えば、昔もビンボー研究者自慢を聞いたことがあるのを思い出しました。制限酵素を薄めて使っていたとか、放射性トレーサーの余りを他の講座の人から貰って歩いたとか(これ私です)、病院の消耗品をこっそり実験用にくすねて、婦長に「ドロボー」と追いかけられたとか(もう時効ですが、これも私です)、実験スペースが貰えなくて遠心機の上を実験台がわりにしたとか、みかん箱を机にして研究したとか(こりゃ、ウソでしょうね)、、、

とはいっても、ビンボーながらも細々と研究ができるのは幸せなことです。コップに半分の水を「もう半分」とみるか「まだ半分」と見るかは、見る人次第ですから、明るい話題というのも、私が一つ一つの事柄にどれだけ明るさを見いだせるか、という私の問題であると言えます。

それで、この人のビデオを思い出しました。
アラブ系アメリカ人で、バシャールと呼んでいる宇宙人とチャネリングして、メッセージを伝えるという「紙一重」の人です。喋り方も怪しいです。でも、言っている内容を偏見なく聞けば、大変、含蓄のある話をしています。



このビデオメッセージの中で、

Circumstances don't matter; only my state of being matters (状況は問題ではない、私の存在のありかただけが重要だ)と言っています。つまり、「コップに半分の量の水がある」というのは中立的な事実に過ぎず、「私」にとっては、それだけでは何の意味もありません。私が、それを見て「もう半分しかない」(あるいは「まだ半分ある」)と判断する私自身の状態が問題(意味)を作り出すということです。さらに、進んで、「私」の存在のありかたが、現実を作り出す、とも言っています。極端に言えば、「私」の意識が「私」の現実を作り出している、ということです。私も自分の経験を振り返ると、そうかも知れない、と思うことに思い当たります。前にも書きましたが、聖書の中にも、「 祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」 (聖書/マルコ11:24)という言葉があります。私も、心の底で「起こる」と信じていることは、実際に起こりました。だから、祈ったり願ったりすることは、注意深くないといけない、と思っています。英語には「Be careful what you wish for」という警句があります。(心の底で信じていれば)叶ってしまうから、いい加減な願い事をしてはいけない、ということですね。起こると信じている願望は叶う可能性が高いのです。

このビデオでは「マントラ」を唱えることの効用も説いています。「南無阿弥陀仏」の六文字を唱えるだけで浄土が具現する真宗や、密教での真言などの例もあります。最近、よく聞くハワイの「ホ・オポノポノ」というのもそうですね。私のマントラ(というほどのものではありませんが)は、前にも書きましたが、五木寛之さん作詞の「これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛」です。世界は神の無限の愛によって作られた、と私は信じたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする