百醜千拙草

何とかやっています

教育問題を論じるには教養不足か?

2007-08-30 | Weblog
先週の美人コンテスト、ミスティーンUSAでの18歳のミスサウスカロライナの出場者の発言が話題になっています。一般アメリカ人の教育レベルが低いのはアメリカ以外の国では常識ですが、そのアメリカ人からもあきれられた程だったので、彼女は一瞬にしてYouTubeでスターとなり、三大TVネット局の一つのTodayショーに出演し、新聞にも取り上げられました。話題になっているのは、パジェントでのインタビューコーナーで、「調査によると、5人に1人のアメリカ人は、地図上でどこにアメリカがあるかわからないらしいですが、それはなぜだと思いますか」との質問に対しての返答なのです。この女の子は、この一般アメリカ人の教育レベルの低さの問題をどう思うかという問いかけに対し、「アメリカ人の5人に1人が地図上でアメリカの位置を示すことができない理由は、その辺のアメリカ人は地図を持っていないからだと思う」と答えた上に、どういう発想なのか、地図がないのは(あるいは教育レベルが低いのは)南アフリカやイラクみたいだと示唆した挙げ句、明るい未来を築くためには、アメリカは南アフリカとかイラクとかアジアの教育を援助するべきだと全く筋違いの結論をしています。YouTubeで実際しゃべっているのを聞くとその尻滅裂ぶりがよりいっそう味わえます。アメリカ人の地理知識の乏しさを一例としてアメリカの教育問題を訊かれているのに、「地図を持っていないから」と答えたのがウケ狙いなら大したものですが、話している様子をみると、どう見ても天然がそのままこぼれ出しただけのようです。おまけに、普通の論理でいくとこの問題を解決するには、アメリカ人に地図を配布しましょうという結論になるのに、どういうわけか南アフリカ、イラクやアジアの教育をアメリカが援助するべきだという結論にいってしまいました。しかもアメリカよりずっと教育レベルの高い南アフリカや多くのアジアの国々の教育を、教育レベルが低くて問題になっているアメリカが助けるといったのですから、こういうのを何というのでしょう、病膏肓というか、つける薬がないというか、曰く言い難しです。こういう若い子供を見ていると、教育というのは大切だなあとつくづく思います。彼女は大学に進学するらしいですが、18歳でこのレベルなのですから、大学教育が彼女にとって多少でも何かの足しになるのか疑問に感じざるを得ません。はっきり言って、こういうレベルの人がアメリカ人の平均であれば、私はアメリカ人と意思疎通できる自信がありません。さわらぬ神に祟り無し、桑原桑原、という気分になります。アメリカは民主主義ですから、このレベルの人が多数派であれば、とんでもない意見が通ってしまったりする可能性もあるわけです。チャーチルが民主主義は最悪だ(ただし、その他の政治形態よりはまし)と言った所以でしょう。最初は人ごとのように、はははと笑ってみていたのですが、しばらくしてから、ひょっとしたら教育問題というのは、実は本当に深刻なのではないかとちょっと暗い気分になってしまったのでした。(Todayショーで彼女は、あれは舞台であがってしまって尻滅裂になっただけで、自分はアメリカがどこにあるのかはちゃんと知っていると弁解していました)
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都市の老化問題

2007-08-28 | Weblog
しばらく前にミネソタを流れるミシシッピ川に架かっていた橋が突然崩壊し、数多くの犠牲者が出たという事件がありました。当初はテロではないかという話もあったようですが、現時点では橋の構造的な欠陥による自然崩壊という説が有力なようです。この大きな橋を使って、ツインシティーであるミネアポリスとセントポールの間を通勤の人々が毎日、長年に渡って行き来してきたわけです。橋の崩壊に遭遇した人は、よもや橋がいきなり崩れるとも思っていなかったでしょうから、青天の霹靂の心持ちであったでしょう。その後アメリカ各地でこの橋と同様の工法でつくられた橋についての懸念が巻き上がり、多くの都市で橋の構造の再点検が計画されています。地震の少ないアメリカでの建物の寿命は長く、ニューヨークのマンハッタンのビル群は100年以上前に建てられたものも少なくありません。新天地アメリカへの移住が爆発的に増え出したのが1800年代終わりですから、そのころに多くの建物が建造され、当時の新築のビルがそろそろ耐久年数に到達しようとしつつあるわけです。マンハッタンの地下には水道管、スチームパイプやガス管が張り巡らされています。そうした普段目に見えないものにもあちこちで劣化がはじまっており、実際ガス管やスチーム管が爆発して通りの真ん中から蒸気が吹き上がったとかいう事件もちらほら聞きます。また各地で高速道路の高架などの金属部分が落下して事故になったとかいう話も最近よく聞きます。つまりアメリカの大都市のインフラストラクチャーがそろそろ寿命に近づいているのではと思われるのです。人間であれば老化というものは何ともしようのないもので、いくら最新医学で頑張っても人を若返らせることはできません。都市も同じではないでしょうか。マンハッタンのような人工的な街が建造されたころは、その建物が百年以上後にどういう状態でなって、そのころに起こりうる問題にどう対処するかなどはおそらく考えられはしなかったのではと想像します。事実、田舎のアメリカの都市では、建物が古くなったら、それはそのまま放っておいて、違う場所に新しい建物を建てるというように、まるで焼き畑農業のように土地を使っていました。古くなって使いものにならなくなったビルのその後のことまで考えていないわけです。しかしニューヨークみたいに経済的機能が集中している場所では、建物が古くなったから、マンハッタンを打ち捨てて、ニュージャージの山手に引っ越すというわけにはなかなかいかないでしょう。そうすると、当面は寿命がきた部分をその都度応急手当して回ることになるのだと思います。果たしてそれでずっとやっていけるのでしょうか。こうした老朽化は都市のあちこちで同時進行してきたのですから、不都合は一気に噴出しそうです。
50-60年前の豊かなアメリカでは、人は大量に消費し、巨大な家に住み、1ガロン3マイルしか走らないキャディラックに乗って、空気を汚染し、環境をどんどん破壊し、それでも50年後のことなど気にもとめず、豊かさを享受していました。日本はそのアメリカをそのまま手本とし、10年遅れで後を追ってきました。そのアメリカの都市がそろそろ老年期に入ってきて、刹那的な快楽に溺れていたころのツケを払わねばならぬ時期に来ているように感じます。残念なことにツケを払わされるのは豊かさを享受してきた時代の人間ではなく、その次やそのまた次ぎの世代なのです。これはアメリカに限りません。地球規模で、温暖化が進み、ベニスは沈没し、毎年300種の生物が絶滅し、大型魚類は化学物質の汚染が激しく危険で食べれなくなってきているのです。こういったFiascoをつくり出した世代ではなく、その子供や孫の世代が借りを返さねばならないというのはどうも釈然としないものが残ります。そう思うのも因果応報という人間の世界の考え方に縛られているせいでしょうか
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悪い社会

2007-08-24 | Weblog
2日前、ハリケーン、ディーンがメキシコのユカタン半島の東海岸を直撃しました。ユカタン半島の東海岸は北端のカンクーンから始まって、南の隣国、ベリーズに至るまで、メキシコの中ではアメリカおよびヨーロッパからの観光客がもっとも多く訪れる所です。海岸沿いはお洒落なホテルやリゾート断続的に並んでいます。ユカタン半島はまた古代文明の地でもあり、多数のマヤ遺跡が平坦なジャングルの中に点在しており、大変エキゾティックな土地でもあります。ハリケーンの眼はカンクーンとメキシコとベリーズの国境との間ぐらいを通過したようです。このあたりには海岸沿いに残るトウルムのマヤ遺跡があります。多くの遺跡は内陸にあるのですが、このトウルムの遺跡は例外で、海を背にした神殿を中心に建物跡が点在し、それらを守るように壁が築かれています。カリブのエメラルドグリーンの海を背景に建つトウルムの神殿は、他のマヤ遺跡とひと味違った美しさがあります。この遺跡から少し南の海岸沿いは観光客相手のホテルが並んでいますが、少し内陸よりのトウルムの街中に入ると、一本のメインストリートだけは観光客のためのレストランや土産もの屋などで華やかなのですが、それ以外は粗末な家が並んでいます。この街をぬけてさらに内部の村にいけば、この一般住民の貧しさというものがもっと明らかに実感できます。この観光客の宿泊場所や有名なチチェンなどのマヤ遺跡の周辺の華やかさと、一般現地住民の貧しさの対比というのは、ちょっと気がめいります。
スペインがメキシコを植民地にした時、スペインは2つの方法で現地をコントロールしました。宗教と混血です。スペインは現地人男性を虐殺し、現地女性を強姦するという積極的混血政策により、現地人とスペイン人との混血児を大量に作り出しました。彼ら混血児はスペイン人の道具となり、メキシコの植民地化を促進しました。一方で各地にカトリックの教会を建て、カトリックの戒律によって内的にも現地人および混血人をコントロールしたのです。過去のこうしたメキシコの植民地政策を見ていると、このスペイン人たちのやりかたには反吐が出ますが、戦時中には多かれ少なかれ、どこの国でも人を人とも思わない蛮行が見られるものですから、別段スペイン人に限ったことではありません。しかし、この場合の現地住民の男性を虐殺し女性を強姦するのは戦争の混乱に乗じたものではなく、メキシコの土地を収奪するための意図的な国家の政策であったのですからおぞましいです。単に利用するためだけに現地人の女性との間に無理矢理自分の子供を作るのですから、私たちの感覚からすると、そこには愛とか家庭とか、子供にとって自分の存在理由に必要なものがそもそもなく、非常に殺伐とした動物未満の世界があるだけです。とにかく、そうして作られた教会とその周囲のスペイン様式の建物は現在にいたるまでメキシコ各地に残っており、そうしたスパニッシュコロニアルの街が国外からの観光客のための観光地となっています。しかし、ここでも観光客の集まる場所から一歩はずれると現地の人の貧しい生活が現れてきます。日本でも経済的なクラス分けは勿論ありますが、メキシコや同じくかつてはスペイン領だったフィリピンではもっと露骨です。一部の金持ちはビバリーヒルズに住むアメリカ人なみの生活をしている一方、大部分の国民は今日食べるものにも事欠く貧困レベルの生活を強いられています。そういった部分を見ないで、単純にカリブの青い海辺でパイナップルサルサのトルティージャチップスをつまみながらコロナビールを飲んで楽しく過せるのなら、外国からの観光客にとっては良い所でしょう。この貧しい光景は、戦中戦後の日本とだぶります。私はもちろん小説とか写真とかで間接的に知っているだけですから本当は違うのかも知れませんが、貧しかったころの日本を描いた作品とかをみると気持ちが重くなってきます。金銭的な貧しさはしばしば心まで貧しくしてしまうようです。(勿論、貧しさに負けずに頑張っている人もいれば、金持ちでスポイルされて人の心を失ってしまう人もいます。)金持ちの外国人客が気軽に使う数ドルはきっと貧しい現地の人にしてみれば大金であったりするのでしょう。そう思うと悲しい気持ちになります。今回のハリケーンでも、貧しい人たちがもっとも重い被害にあっているようです。彼らの祖末な家は嵐で吹き飛びんでしまいました。大多数の国民が苦しんでいて一部の金持ちが豊かに暮らしているそういうひずんだ国は悲しいです。
日本でも市場主義の蔓延で一昔前の国民総中流意識というものがだんだんなくなってきていっているようです。国民の間にアメリカ流の不公平な競争原理が浸透していくと、日本もそのうちメキシコやフィリピンみたいになってしまうかもしれません。終身雇用制だった時代は、会社は有機的な全体的存在で、会社は社員とお客のものでした。今や株式会社であれば会社は株主のものらしいです。社員はお金と引き換えに労働を提供する部品に過ぎなくなり、個人はより断片化し、生活は不安定になってきています。個人の自由が増えたといえばそうなのですが、責任と経済的プレッシャーも増えてきていますから、少数の競争に勝てる人はいいですが、競争に弱い大多数の人にとってはより困難な社会です。そんな大多数の人々が幸せになれない社会というのは、私からすれば「悪い社会」です。国民の幸せ度を上げるために政治家がいるのに、残念ながら今の日本の政治家は、大多数の国民の立場に立って考えているように見えません。日本はこれからますます悪い社会となっていくのでしょうか?
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科学発見の機序

2007-08-21 | 研究
「Science」誌の現チーフエディターのDonald Kennedyがしばらく前にステップダウンを表明しましたが、8月10日号のEditorialで、Kennedyは先月亡くなったDan Koshlandについて語っています。KoshlandはUC Berkleyの生化学の教授でしたが、Kennedyの前の1985年から1995年の十年間、「Science」のチーフエディターを務めたのでした。 同号の「Perspective」のセクションに彼の遺稿(?)となった一文が掲載されており、過去の科学的発見がおこった機序についての考察がされています。「The Cha-Cha-Cha Theory of Scientific Discovery」とヒューモラスに題された小文では、過去の科学的発見のメカニズムは、Charge, Challenge, Chanceの三つに分類可能であるとの意見を述べています。「Charge」による発見というのは、皆が認識しているありふれた問題の中に凡人の考えつかない法則を見いだす場合です。その例として、リンゴが落ちるという当たり前の現象の中に惑星の運行を制御するのと同じ法則を見いだしたニュートンの万有引力の発見をあげています。「Challenge」による発見は、科学的知見の蓄積のよって明らかになってきた問題に対して、解答を発見するような場合で、例としてケクレのベンゼン環の構造の発見があげられています。第三の「Chance」による発見は、いわゆるセレンディピシャスな発見であり、パスツールのいうところの「準備された心」によって通常見過ごされるようなものが発見されるという場合です。この例としてはフレミングによるペニシリンやレントゲンのX線の発見があげられています。
この小文を読んでみて、このCha-Cha-Cha 説がどれほど現実に即しているのか、またそもそもこういう分類をすることに何らかの有用性があるのか、私自身はちょっと疑問に思ったのです。文中で述べられているように、殆どの大発見は単一の「Eureka!」的一瞬に頼っているわけではなく、それに至るまで、またそのひらめきを得たあとの地道な検討によって大発見に育っていくものだと思います。ケクレがベンゼン環の構造を思いついたのは、尻尾をくわえて輪になっている蛇を夢で見たからであるという有名な話がありますが、本当に夢から発想を得たのか、あるいは発想を得たから夢に意味が与えられたのか、または時間を経るうちに話に誇張が入ってより重要でない部分が省かれ、象徴的なエピソードだけが残ったのか、本当のところはわかりません。私が想像するに、この発見も夢にみるほど普段から頑張っていたからできたのだろうと思うのです。後になって大発見と考えられるものには必ず歴史の修飾が入りますから、科学的大発見に至るまでの事実というものは、おそらく一般に知られている程簡単に記述できるものではないのではないかと思います。私の限られた小さな発見の経験を振り返ってみても、一つの発見にこのCha-Cha-Chaの要素の全てが多かれ少なかれ関与しているように思います。どんな発見であっても十分に準備された心がなければ発見には至らないでしょう。その心の準備は普段からの地道な努力によってしかなされないものだと思います。
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30年前の思い出

2007-08-17 | 音楽
多くのアメリカ人にとって今年の8月16日はやや特別なようです。ちょうど30年前にエルビスプレスリーが死んだのでした。今年の命日は例年に増して多くの人がメンフィスのグレースランドを訪れています。興味深いことにその多くの人はプレスリーをリアルタイムで知らない比較的若い世代の人らしいです。私もなぜかプレスリーが死んだ日のことはよく覚えています。当時は子供でしたからまだ音楽にそれほど興味もなく、ロック音楽とはどんなものかさえよく知りませんでした。プレスリーの死が報道される前の晩、たまたま自宅のレコード置き場に父親が昔買ったのであろうエルビスのLPを見つけたのでした。子供ながらエルビスプレスリーの名前ぐらいは知っていましたので、興味本位で針を落としてみたのでした。ですから私が初めてエルビスの歌を聞いた翌朝、テレビでエルビスの死亡を報道しているのを聞いたときはとてもびっくりしました。ひょっとしたら私がレコードを聞いていたちょうどその頃に死んだのかも知れません。もっとも悪名高いエルビスのマネージャー、トムパーカーが、エルビス死亡のニュースの隠蔽工作をしたという話もあるので、私がエルビス死亡のニュースを聞いたのが、本当に彼の死亡した直後であったのかどうかちょっと定かではありません。実はこのレコードは1968年にエルビスが長らくぶりにテレビに出演したときのライブ版だったのでした。トムパーカーは60年代に映画会社と長期の契約を結び、エルビスをハリウッドに釘付けにしてしまいます。エルビス自身も「だだで見られるテレビに出たのでは、お金を払って映画を見に来てくれるファンに悪い」などと発言し、テレビの出演を長らく行っていなかったのでした。その間、歌手活動は低迷し大きなヒットも出ませんでした。どういう経緯か知りませんが、エルビスのテレビ再出演が実現することになり、これは相当なインパクトをもってアメリカ国民に受け取られたようです。68年のNBCの1時間にわたる特別番組、「ELVIS ON STAGE」は、瞬間最高72%という驚異的な視聴率を叩き出し、一瞬にしてエルビス神話が復活しました。このライブレコードの日本語版のライナーノーツの一つは湯川れい子さんが書いていて、そのタイトルが「エルビスは生きていた!」というものだったように覚えています。レコードは、トラブル、ギターマン、ハウンドドッグ、監獄ロック、ラブミーテンダーなどなどのヒット曲からなっていましたが、当時子供だった私が知っていたのはラブミーテンダーだけでした。子供だったので、バラード曲を除いて、ロックンロール、R&Bやゴスペル調の曲はいいとも思えず、レコードを聞いている間に寝てしまったのを覚えています。その後は折りにふれ、このレコードを聞きました。クリスマス曲のブルークリスマス、バラードのメモリーズはお気に入りになりました。クリスマスシーズンの日本ではビングクロスビーのホワイトクリスマスが定番ですが、私のクリスマスソングはブルークリスマスでした。大きくなるにつれ、エルビスの他の曲にも親しむようになりましたが、中学の頃はビートルズとかもっとコンテンポラリーなロック、ポップス、高校になってからはジャズ、大学では主にソウルミュージックと興味が移っていったので、余り音楽そのものを聞かなくなった10年前ぐらいまではエルビスの曲を聞くこともありませんでした。皮肉なことに音楽から興味がうすれてきてから、おりおりにラジオなどで聞こえてくるエルビスの曲を耳にする機会が相対的に増えてきたようです。没後30年に因んで、エルビスの娘のリサマリーが、録画した父親とデュエットをするらしいです。数年前、ナットキングコールの娘ナタリーが同じような技術を使って亡き父デュエットしたレコードがヒットしたのを思い出します。私はリサマリーの歌は聞いたことがないので彼女がナタリーコール並みに歌えるのかどうか知りません。
エルビス死亡のニュースは、マイルスデイビスが復帰した日のように、映像つきで昨日のことのように覚えているのですが、それがもう30年も前のことだったのかと思うと、まるで邯鄲の夢のような目眩を覚えるのでした。
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戦争と原爆

2007-08-14 | Weblog
8月3日号のScienceの書評で、プリンストン大のMichael D. Gordin著の「Five Days in August: How World War II Became a Nuclear War」について書かれていました。普段このセクションに眼を通すことはないのですが、原爆に関したことなのでちょっと読んでみました。この評論では、この本の主題は「原爆が第二次世界大戦を終結させた」という一般的に広まっている認識についての再考にあるようです。広島、長崎とその他の都市が、余り攻撃を受けていなかったのは、二種類の原爆の効果を調べるための「実験」場所であったからであると書かれています。一種類のみしか実際に落とされるまでテストされていなかったそうです。ですからアメリカ軍も実際の原爆の威力というものを十分には理解しておらず、実際、長崎の原爆投下の後も1000機以上にわたる飛行隊で日本各地に空襲を継続しており、また原爆生産も継続されていたという事実があります。この書評では、第二次世界大戦を終結したのは、原爆ではなく、「日本の無条件降伏」であると書いてあります。日本に限って言えば、原爆が降伏への大きな要因であったのは間違いないでしょう。しかし世界大戦という目でみれば、原爆が直接大戦終結に結びついたというのは言い過ぎではないかという意見のようです。原爆は落とされなくても、日本の降伏は時間の問題でした。しかし戦争末期のソ連の満州への侵攻は、アメリカにとっては、より早い日本の降伏を目指させる大きな動機であったに違いありません。以前に「原爆はしようがなかった」発言で辞任した大臣についてコメントした際、私が間違っていたことは「原爆が戦争終結の最終兵器」であるとアメリカ軍が確信していて使用したと考えていたことでした。この書評からは、どうも当時のアメリカ軍は原爆で一気に片がつくと思ってはいなかった、というよりどれだけの威力があるのかはっきり把握していなかったらしいです。「原爆が大戦を終結させた」というコンセンサスは、大戦後に原爆の実際の効果が明らかになってから、徐々に形成されていったもののようです。戦争終結に導いた原爆を、正義の味方の強いアメリカの輝かしい科学の勝利と位置づけたい人々が、その世論の形成を誘導したのでしょう。
 原爆であれ何であれ、人が人を殺すことは理由無しに悪いことです。良い戦争などというものはあったためしはない。そうしたものを正当化しようとするものは、「殺される」ということがどういうことか理解できない愚か者か、理解しようとしない卑怯者でしょう。
 数年前のロマンポランスキーの映画「ピアニスト」では、ユダヤ系ポーランド人のピアニストがナチの弾圧による苦難を生き延びることが主題となっています。私の最初の印象では、ナチの非情な弾圧をひたすら描いていて、一方的な描写になっていて、感心しませんでした。ポランスキー自身がユダヤ系ポーランド人であることを考えれば、この感情的な映画も無理はないと思えるのですが、映画としては面白くない。しかし原爆のことを考えていて、この映画のメッセージが、単純にナチに対する嫌悪感の昇華ではなく、戦争の悪というものを人間のレベルで強く訴えたいというものであれば、あのしつこいまでのユダヤ人迫害の描写はわからなくもないと思ったのでした。
人間というものは、のど元過ぎれば熱さを忘れるものなのです。誰かがしつこく言い続けなければ、また同じ誤りを繰り返してしまいます。戦後60年以上たった今も、八月には原爆があったこと、それがどれ程多くの人に多大な悲しみと苦しみを与えたかを思い出さなければなりません。
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キャンプに行きました

2007-08-12 | Weblog
少し休みをとってキャンプをしてきました。たまに静かな自然の中で、夏の夜に薪に火を起こして火を見ながらぼおーとするのはいいものです。燃える薪に赤い炎がちらちらするのを見ていると、炭化した薪の黒色と火のある部分の赤色がいろいろな模様をつくります。私は三人の人の顔が見えました。子供は主に動物を見つけたようです。古代の政治家は亀の甲を焼いて、入るひびのパターンで占いをしました。そうした偶然の中に意味を見いだすこと(ちょっと前にユングのシンクロニシティーについて書きましたが)が、火を使うと起こりやすくなるのかも知れません。私に見えた三人の顔、二人は中年の男性、一人は若い女性が、何を意味しているのかは、きっとこれからわかると思います。
キャンプでは、マシュマロを長い枝にさして火であぶって食べるのを子供たちは楽しみにしていて、結局二人で一袋食べきってしまいました。マシュマロは直火であぶると中がやわらかくとろけるので子供の好きな味になります。見上げると満天の星空でした。北斗七星とカシオペア座がすぐに眼に入って、昔やったみたいに、北極星を見つけました。
しかしキャンプ場は、家に比べると結局何かと不便ですから、無駄も多くなるしゴミも沢山でます。環境にはおそらく悪いでしょうね。二三日だったので楽しめましたが、家に帰って風呂に入って自分のベッドで寝たらほっとしました。もっと年をとったらキャンプやらないでしょうね。でも子供たちがとても楽しんでくれたのでいい思い出になりました。
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進化論の進化?

2007-08-07 | 研究
アメリカではキリスト教原理主義者を中心に、人類が進化によって現在の形となったとする「進化論」に、宗教的立場から反対し公立の学校で進化論について教えることを中止させようとする動きがあります。彼らは人間はその他の生き物とは独立して神が創造したものであるという考えを支持したいのです。同様に、厳密に聖書に書かれている様式ではないが、宇宙人やその他の人間よりも優れた存在が人間を創造したと考える立場も含めて「創造説」と呼ぶ事にします。一方、創造説に比べて「進化論」には科学的な根拠があるので、科学的根拠のあるものこそ学校で教えるべきだとする立場の人々が創造説に反対しています。これはちょうどダーウィンやラマルクが種の多様性について研究していたころのヨーロッパの社会情勢と似ています。キリスト教では、動物なり植物の種から別の種が派生するのではなく、すべての種は神が独立して創造したことになっています。キリスト教の盲目的信者にしてみれば、聖書に書いてあることと矛盾したことが世の中に広まることは悪ですから、それを正すのが正しいのだと思っているわけで、これはどうしようもありません。私自身は状況証拠から進化というものは本当にあったのだろうと考えているのですが、「進化論」が証明不能である以上、「進化論」が正しいとは結論できない、進化論はモデルに過ぎないという立場です。実際現代の科学的立場からは、「進化論」そういう位置づけであると考えるのが正しいと思います。
今回はその進化論者の問題というか、ちょっと人と話していて驚いたことがあったので書き留めておく次第です。「創造説」は基本的に聖書に書いてある事を文字通り信じたいと思うキリスト教原理主義者によって支えられていると思います。勿論、科学的に「創造説」が間違っているという証拠がないことが、彼らの行動の根拠でもあります。しかし「The absence of the evidence is not the evidence for the absence」といわれるように、科学的証拠がないということは「ない」ことの証拠ではありません。そもそも「ない」ことを厳密に証明するのは不可能です。一方、「進化論」者も同じような間違いをしていることが多いように思います。つまり「進化論」を支持する科学的な証拠があるから「進化」が正しいと結論してしまうことです。証拠にはいろいろなレベルの証拠があって、進化論には「動かぬ証拠」というレベルの証拠はなく、「科学的」な証明に必要な「因果関係」が示されていないので、進化という現象は存在が示唆されるというレベルの証拠なのです。私も「進化論」側にたっている研究者と、たまに進化論に関連した話をする機会があるわけですが、私が驚いたことは、彼らの多くは「進化」は実際に起こった事実であると考えていることでした。端的に言えば、彼らは「進化論」は進化という現象を記述したものだと認識しているのです。これは私の眼からすると誤解であって、私はその態度に「創造説」者と同様の問題を感じたのでした。そもそもダーウィンやラマルクが問うた問題とは何であったのか、それを思い出せば「進化論」の性質がわかると思います。彼らが疑問に思った事、それは「なぜこの世の中にこんなに様々な生き物の種類があるのか」ということでした。彼らは綿密な自然の観察から、「生物の多様性が生まれるメカニズムを説明する理論」として「進化」というアイデアを得たわけです。よって「進化論」はそもそも進化を研究するものではなく、進化というのは「生物の多様性」という観察可能な事象を説明しやすくするためのモデルなのです。だから進化が実際にあったのかどうかという点は、そもそも二次的な問題であるし、証明のしようもないものなのです。「進化論」の擁護者は、しばしば「進化」は概念ではなく事実であるという信仰を持っているように思います。この点でおいて「創造説」者と同質の問題があると私は思います。仮に進化が起こった事が事実であったとして、遺伝子の相同性などから樹形図を描いてみて、生き物のもっともプリミティブなプロトタイプを想像してみるとしましょう。それではそのプロトタイプはどこから生まれたのか、非生物から生物への明らかにエントロピーの減少を伴う変化というものはどうして起こったのか、生き物は非生物とどれぐらいの連続性があるのか、このように生き物の発生する瞬間とかその辺にまでさかのぼってみると、進化論は無力です。最初の生き物はあるいは誰かが意図的に創ったものかも知れません。人間という動物種から離れてもっと大きな視点で見てみると、生物が何らかの外部からの意図なく、無生物から自然に発生することが可能であったかと考えると、われわれの常識的な感覚からは不可能ではないかと思う方が自然なように思います。
ここでダーウインの進化論に欠かせない「自然選択」という言葉の問題点です。この言葉は生存に適したものが選択され、適さないものが淘汰されていくということです。「選択されたものが生き残る」というのは、「生き残っているから選択された」というのと同じことです。つまり一種のトートロジーです。生き残っていないものが本当に選択されなかったのかどうかは、生き残っていないので知りようがありません。この自然選択という概念が比較的無批判に受入れられる理由はおそらく、人為的な選択の例を知っているからだと思います。農作物の品種改良などは、人為的に選択を加えることで様々な形質をもつ作物を作ることができることが知られています。しかしこういった例から自然選択が進化の過程であったであろうと単純に結論してしまうのは間違いだと私は断言したいと思います。なぜなら、品種改良の場合と異なり、自然選択の場合、「誰が」選択するのかというのが明らかでないからです。「自然選択」という言葉から普通に考えると、「自然」が選択することになるわけですが、では「自然」とは何でしょう。品種改良のように人間が選択する場合、その意思や目的に従った選択圧をかけることになります。選択が行われるには選択するものの「意思や目的」が必要なわけです。「意思や目的」なしに選択というのはあり得ません。そうすると「自然」に「意思や目的」があるのかということを必然的に問うことに繋がります。これには答えようがありません。そもそも自然という概念は曖昧模糊としたエンティティーであり殆ど「神」と言い換えても問題ない類いのものなのですから。「自然選択」において選択するものの主体は不明なのです。そう考えると少なくとも「自然選択」という言葉は、悪く言えば、わからないことをわかったように言うためのレトリックというか、まあ言葉のあやです。しかし「自然選択」という概念が厳密に定義できないからといって、その言葉の含意する現象はもちろんなかったとはいえません。生物の多様性が「ランダムな(この言葉も厳密に意味するところはよくわかりませんが)」遺伝子の変異から起きてきているであろうとする概念はおそらく正しいのでしょう。遺伝子の変異が不平等に生物に受け継がれていくという現象を比喩的に言えば、自然選択ということになるのだろうと思います。
一般の進化論者と話してみて、進化や自然選択といった言葉が時間とともに広まるにつれ、本来意図したものとは異なったものへと変化しているように感じたのでした。社会のコンテクストなどが選択圧となって、オリジナルから変異した概念が自然に選択されたのでしょうか。そうはいっても、本当にダーウィンが意図したことは私は知りようがないのですが。
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生物科学でない部分の生物学について思う

2007-08-03 | 研究
本棚を片付けていたら、10年余り前の本が出てきて、思わず読み出してしまいました。ドリーのクローニングの論文がネイチャーに出てまもなくして出版されたこの雑誌は多様性の生物学というタイトルの特集号で、その中では柴谷篤弘と盛岡正博のクローニングに関しての対談も収録されています。この本の中の京大の川出由巳さんの「自然学としての生物記号論」というエッセイを改めて読み直して見ました。極めて近視的な現代生命科学の方法論からちょっと距離をおいてみると、現代においても生物学はもっと豊かな文化としての学問でありうる可能性があると思います。エッセイの要点は、今西錦司の提唱した自然学は、現代の生物記号論者の考えと極めて近いということを指摘していることにあります。文中に述べてある通り、生物記号論は、「生物とは意味を解釈する存在、意味を創造するものである」という立場で生物学を研究していこうとする態度です。
少し長いですが、出だしと途中を抜き出してみます。

生物学はどこへ向かうのか。
二十世紀後半の分子生物学の登場によって生物学は著しく物理科学化した。物理学を科学の模範とする一般の風潮に従って、これは生物学の進歩と解される。複雑で多岐にわたる生物の世界に、普遍的で単純な法則性が見いだされ、多様な生命現象の説明を求めるための確固たる基盤が出来た。しかしこれは同時に生物を分子機械の集合とみる機械論を助長し、生物を人間の操作の対象と見なす技術的生物観を強化する。分子生物学の最大の衝撃は、生命現象の分子機構の解明といった科学的なことよりも、むしろ生物学を技術化したことにあるのではないだろうか。組み替えDNA技術その他に見られるように、分子生物学は広大な技術的可能性を開いたので、ある程度の訓練を受けた人を集め、資金を投入しさえすればやりうる仕事がいわばいくらでもあるという状況が生まれた。生物学は歴史上はじめて大々的に人間の役に立つものとなり、医療技術や農工業生産にひろく利用されるようになった。生物学は現在非常な勢いですすめられているが、その広い範囲にわたってそれがもはや科学とよぶよりは技術基礎学と呼ぶのがふさわしい類の仕事になっている。
(中略)
近代科学としての生物学はどうか。十八―十九世紀の変わり目あたりに誕生した生物学がそれまでの博物学と決定的に違うのは、生物に共通する原理として生命というものを認識したことだった。それ以前には科学的認識の対象としては生命の概念は存在せず、存在したのはもろもろの生き物だったにすぎないといわれる。(中略)
分子生物学については二つのことをいいたい。まず、それが対象とした生命の原理とは何だったのか。初期のデルブリュックその他の研究者たちが生物に特有でもっとも基本的な性質として、増殖と遺伝に的をしぼったとき、すでに生物の物理的、機械的側面だけが抽出されていたのである。生命の神秘が物質の言葉で明らかにされるなどという言い方がされていたが、分子の言葉で生命現象のメカニズムが語れるようになってみれば、解明されたのは物理的、機械的なことがらばかりではないか。(中略)

このようにこのエッセイでは、現代生物学が、組み替えDNA技術の開発とそれによる分子レベルでの生物の記載が可能になったために、その機械的側面の理解は進みましたが、むしろそれ故に生物の機械的側面を研究することこそが生物学であって、生物そのもの、自然そのものを研究するという生物学、自然学の本来の立場から乖離していきつつある現状についての批判から始まります。生物に共通する原理としての生命は、意味を創出し解釈する存在であるという考えは、分子生物学が推進した現代生物学が生物に与えたパラダイムとはすれ違います。現代生物学では、生命については研究しないのです。この十年前のエッセイの要点は未だに真実であるばかりか、現代生物学が生物の機械的側面のみしか扱わないとする態度はますます強くなってきていると私は思います。それは現代生物学の技術が人体その他に利用できるから優れているという単純な価値観が基礎にあると思います。利用できるものはお金になるのです。
 残念なことに、意味的存在としての生物を学問しようとすると、いわゆる「客観性」を保つことができなくなります。意味は解釈するものの主体があって始めて意味があり、それ故に主体や解釈するものの立場を離れて客観的に事物は存在しているとの前提から出発する近代科学の最初の公理を疑うことに繋がるからです。(事実、量子力学が明らかにした一つのことは観測者はシステムの外側から客観的立場で観察することはできず、観察者は既にシステムの内部に存在しているということでした)早い話が、現代生物学は生物の機械的側面のみしか扱わないと限定することによって発展してきたと言えるでしょう。こうした生物においての意味論を議論する人々は、現代生物学が生物の機械的部分の研究であるという限定を忘れて、あたかも生物は自動機械以上の何ものでもないと考えてしまう傾向を危惧しているわけです。生物の意味的側面を科学的手法で研究することは困難です。じっさいこの手の研究は結局、哲学的議論の枠内に収束してしまうのです。しかし、私はこうした生物学における意味論的な議論が常に生物学の分野の中で進行していることは極めて重要であると思います。現代生物学では、眼に見えるものしか扱えません。見えないものは存在していないのと同じという態度です。見えないから無いとは結論できません。本来「生命」とは何かを問う生物学が、「それはよくわからないから議論するのは置いといて、とりあえず生物を分子機械とみなして研究する方が沢山データがでるからその方向でいきましょう」という感じで進んできている、そういったことを、現代生物研究者は意識しておくべきではないかと私は思うのです。
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